サラリーマンのちょっと一言
 
 
バイクをやめた
 
 
 
 
 
 30歳も過ぎて最初に乗り始めたのが車ではなくバイクだった。10代の若者に混じって教習所に通い免許をとった。何故バイクかというと、旅にはやっぱりバイクが似合うからだ。タイヤが二個しかない単純なマシン。止まれば足で支えなければ倒れてしまうし、走れば露出した全身でもろに風や雨を受ける。その無骨さがいい。気分はさながら西部を旅するカウボーイといったところである。  
 
   買ったバイクはホンダのAX−1。ヤマハのセローと比べたが、セローにはセルがなく、キックがいや(ケッチンはごめん)なのでAX−1に軍配が上がった。その歳ではバイクを乗り回している友人などはなく、何をするにも全て自分で考え、自分一人のAX−1にまたがった旅が始まった。最初は近場を乗り回していたが、バイクといえば北海道である。翌年の夏期休暇には単独で長期の北海道ツーリングを敢行した。それまで北海道は家族でパック旅行をした事が1度あっただけ。長距離フェリーにバイクで乗り込むのも初めてだし、あのだだっ広い北海道をどうやって走っていいか右も左も分からなかった。あまりにも快適な道が続いているので、ついついスピードを出していたら、突然未舗装路になって危うく転倒しそうになった。大雨にほとんど前が見えない状態で、昼食もとらずに長距離を移動しなければならなかった。思い起こすと、とにかくいろいろ苦労した。バイクは本当に体力勝負である。でも、日本最北端の地、宗谷岬に立ったりした時は、よくもまあ、こんなちっぽけなバイクで遥々ここまで来れたものだと感慨深かった。
 
 その後も、東北や四国、九州、2度目の北海道とバイクツーリングは続いた。いろいろな事が思い出される。AX−1はオンロードでスピードを競う訳にはいかず、かといってオフロードをガンガン走る事もままならない。でも旅には最適なバイクだった。ライディングポジションがオンロードの様に前傾姿勢でなく、長時間乗っていても疲れない。また、予定外の未舗装路が現れても慌てる事のない程度のオフロード走行性は持ち合わせている。四国の剣山スーパー林道さえも走った事がある。  
 
 
 
 旅以外でも通勤や所用を足すのに便利だった。通勤では燃費がいいので交通費がうくし、車より少し早いし、何しろ会社の敷地内の駐輪場が使えるのがよかった。車だと会社から随分離れた駐車場に停めなければならなかったのだ。よって、バイクだと家を出るのが10分遅くてもよかった。毎朝の10分は大きい。
 買い物などの所用もバイクだと駐車場の心配がいらない。勿論有料駐車場など使わずに済む。新聞の折り込み広告を見ては、あっちのスーパーでティッシュが安いとか、こっちのクスリ屋でシャンプーが安いとか、気軽に出掛けられた。但し、トイレットペーパーなど買い過ぎると荷台に乗せきらないのが難点であった。
 
 その内、車を使っての野宿旅を始めるようになると、バイクではあまり遠出をしなくなった。バイクが傷んできて長距離ツーリングが心配であったのと、やっぱり車で楽をしてしまうとバイクの苦労が身にこたえるのである。それでも雨などで天候さえ悪くなければ真冬でもバイク通勤をしていた。メットをかぶりグローブをはめバイクにまたがりセルをかけスロットルを開ける。冬の早朝の空気は刺すように冷たい。でも、どこか気分がいい。周りがほとんど車である中を一人バイクでさっそうと走る。あんた達とはちょっと違うんだよと。ところが、会社に近づく頃には指先が真っ赤になって痛いほどで、信号待ちのたびにマフラーに触って手を温めなければクラッチも握れなくなった。  
 
 
 
 それもそろそろ限界である。バイクもそうだがこちらの身がもたない。特に今季の冬は寒く、雨も降ってないのについつい車に乗ってしまう。暖房をがんがんにかけ、一般人の仲間入りである。ちょうどキャミという新車を買って、オートマで楽して走れるし、会社の駐車場が新しく会社の近くに出来たのもタイムリーであった。人は一度堕落してしまうと、なかなか元には戻れないのである。いろいろ考えたが、自賠責保険や任意保険が切れる期日の迫る去年の12月末、遂にAX−1を廃車する事と決めた。14年間、8万キロであった。
 
 前もってバイク屋に廃車の旨を連絡し、とある休日にバイク屋まで乗っていこうとすると、セルが全然回ってくれない。バッテリーが古く寒いこともあり、2、3週間乗らなかっただけでバッテリーが完全に上がってしまったようだ。押しがけを何度か試みたが、今度はこちらの息が上がってしまった。AX−1が廃車を嫌がり、最後の駄々をこねているように思えた。  
 
 
 
 仕方ないのでキャミのバッテリーをつなぎ、どうにかエンジンは始動した。AX−1からキャミへのバトンタッチである。無事にAX−1をバイク屋に届けた帰り、ぽとぽと歩いているとごみ収集箱が目に付いたので、手にぶら下げていたヘルメットとグローブを投げ入れた。こんな物、記念に残しておいてもしょうがない。でも、バイク屋にはバイクと一緒にほとんど使ったことのない予備のキーを残してきた。手を突っ込んだジャンバーのポケットの中には、長年使ってきた古くて薄汚れたキーが入っていた。
<掲載 2003. 1.10>
 
 
 
 
 
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