サラリーマンのちょっと一言
 
2000年
 
2000.5.18
野宿旅ダイエット
 
 いつもの様に今回のゴールデンウィークも、ジムニーと二人だけの野宿旅だった。山梨、長野、静岡と比較的近場の6泊7日の旅は、天候に恵まれたこともあり、雷雨に遭った日の1回はホテルに泊まったが、残りの5泊は野宿であった。

 こうした野宿旅から帰ってくると、必ずと言っていいほどすることがある。それは体重測定だ。
 普段は174cmの身長に、体重59kg前後が、ここ数年の私の標準である。痩せ過ぎているが、特別なことがない限りほとんど増減せず、安定しているのがいい。ところがこれまでの経験からして、野宿旅の直後は体重がかなり減っているのだ。
 今回の測定結果は56.2kgであった。普段の平均体重から約3kgも減っている。今年の初めの頃にひどい風邪を引いて、会社を何日も休む程であったが、その時でさえ体重の減少は57kg台でとどまっていた。世の中にはいろいろなダイエット方法があるが、この野宿旅ダイエットの効果は絶大なのである。

 それに野宿旅ダイエットは、体重は落ちても体力もいっしょに落ちることはない。風邪を引いた時は、体重の減少と共に、ちょっと体を動かすだけでも気だるさを感じ、体力の衰えを痛感した。それに対し、野宿旅ダイエットで体重を落とした後は逆である。体が軽く感じ、力がみなぎってくる様に思える。確かに長い旅から帰ってきたから、疲れはたまっている。でも、スポーツの後の様な心地よい疲れであり、一晩ぐっすり寝れば、すっかり解消されてしまう。
 また、中年になって最近気になりだしたウエストの周りを見ると、心持ちぜい肉が落ちて、スマートになっているような気もする。体が引き締まり、顔や腕の日焼けもあいまって、ちょっと野生的になったと思えるのがうれしい。

 旅では毎日車に乗っているといっても、ハンドルを真っ直ぐにしている時などほとんどない、曲がりくねった林道を走っていることが多い。パワーステアリングでないハンドルを、四六時中、右に切ったり左に切ったりしているのだ。それを1時間以上繰り返す時もある。クラッチやブレークも頻繁に操作する。シフトチェンジも何度もやっていれば、左腕が鍛えられるというものだ。ガタガタ道では、体を支える為に全身運動となる。
 また野宿をする時は、テントを張ったり、たき火の為の枯れ枝を集めたり、たき火の周りに石を運んだりと、体を使うことが多い。さらに今回の旅は登山靴を持参し、1時間から2時間くらいの山歩きを2回ほどこなしている。
 
 一方、普段のサラリーマン生活では、定期的に運動をすることが全くない。会社の始業前のラジオ体操が、唯一の定期的な運動と言ってもいいくらいだ。経費節約ということで会社ではエレベータ使用禁止で、3階にあるオフィスまで階段を上らなければならない。3階といっても1階は工場になっているので、普通のオフィスビル4階建ての高さがある。毎朝出社して4階分の階段を上り切ると、どっと疲れるのである。ひどい時にはめまいも起こす。
 それが野宿旅直後は足取りも軽いのだ。気持ちの持ちようもあるのか、何の苦もなく一気に上りきってしまう。町中を歩くのも、人より早足ですたすた軽快である。

 しかし、そんな健康的な体も、いつのもサラリーマン生活に戻り1週間もすれば、また元の木阿弥である。体重もちゃんと3kg戻ってくる。その間、筋肉が付いた訳でも、骨が太くなった訳でもない。また余計な皮下脂肪が、余計なところに付いたまでのことだ。

 今日も3kgの重りを抱えて、4階分の階段を昇って行く。さすがに4階は高いので、空気が薄いせいか息切れがするな、と思うのであった。
 

 
2000.2.13
衝撃映像
 
 この前テレビで、衝撃映像を見てしまった。ある民放で自宅出産を題材とした番組をやっていたのだ。そこで出産シーンが出てくる。ただし、衝撃映像と言うのはその出産場面のことではない。出産をカメラでとらえたものを一般に放映することは、今ではそんなに珍しいことではなくなった。つい最近でもNHK教育で、人間の生命に関したシリーズもののひとつの一場面として、出産シーンが出てきた。カメラは子供の頭が出てくるところなど、ほとんどズバリを捕らえていた。

 ところで断っておくが、私は出産シーンが見たくて、いつもテレビをチェックしているわけではないのだ。先の民放とNHK教育のどちらの場合も、パソコンをやりながら点けっぱなしにしておいたテレビで、偶然見ただけの話である。出産シーンに異常な興味があるのではないので、誤解のないようにしていただきたい。

 話しを戻して、自宅出産では当然家族もその現場に居合わせる。代表的な人物としては、この様な事態を招くきっかけをつくった張本人の夫がいる。他にはその夫婦の両親、すなわち生まれてくる子供にとってはおじいさん、おばあさん達だ。また、既に産まれている子供達も同席することもある。そんな中で、夫はほとんど役立たない。ただただおろおろするだけだったり、せいぜい妻の手を握り、額の汗などを拭くくらいだ。カメラマンをしているという夫は、出産の決定的シーンを写真におさめたりしていたが、出産そのものに関しては何の役にも立っていない。その現場ではほとんど声を発することもなく、ただただ事の成り行きに圧倒されて呆然と見ているだけである。同じくおじいさん、おばあさんも別室でただ孫が無事に生まれてくるのを祈るばかりだ。

 あるご家庭の出産の様子が映し出された。ここも修羅場では2人の助産婦と、出産をする当人の声が行き交うばかりである。そこへ5歳くらの男の子が現れた。助産婦さんの指示で、消毒液などを危なっかしい手つきで運んでいる。そしていよいよ生まれるという段になると、なんとビデオカメラを持ち出して出産シーンを撮り始めた。両足を開いた母親の目の前の、絶好なポジションに陣取り、カメラの液晶モニターを熱心にのぞいているではないか。赤ん坊が頭まで出てきて、肩のところで止まり、そこからなかなか進まなくなった。母親は苦労している。その子供は「こっちが肩こっちゃうよ」などといいながら、相変わらずひょうひょうとしてビデオ撮影を続けるのである。これは全く衝撃的な映像であった。

 時代が変わったのであろうか。昔は、子供などにそのような場を見せるものではないと考えるのが普通だっただろう。こうしたことに関して、親は隠したがるものである。幼い頃、どこから赤ちゃんが産まれてくるのか本当に不思議に思い、弟と一緒になって母親に聞いたことがあった。その時母親はひどく戸惑ったのを今でも覚えている。子供心に何か聞いてはいけない事を聞いてしまったのだと感じた。

 例の男の子はこれからどのように成長していくのだろうか。全てが自分の目の前で明らかになったのだ。赤ちゃんがどこから生まれてくるのかなどと、もう母親に聞く必要もない。今後の母と子としての関係や、生まれたばかりの新しい兄弟との関係に、少なからず影響もあることだろう。そしてきっと、大人になり自分の妻が出産する時には、テレビに出てきたあの無力な夫たちとは違って、助産婦と一緒になって自分の子供を取り上げるのかもしれない。
 

 
2000.1.26
ミレニアム年末年始の旅

 12月25日より11日間の休暇。勿論旅三昧。今回は、とりあえず中国地方を目指し、旅の後半は最近できたばかりの瀬戸内しまなみ海道/西瀬戸自動車道を通って四国に渡り、最後に紀州を回って帰ってくるという、いつもながら大まかな計画で出発した。初日と最終日は高速道路による長い移動であり、なか9日間が実質的な旅である。宿は初日だけ福井県の敦賀にとり、あとは風まかせ。念のためテントとシュラフは車に積んだが、寒いから基本的には宿に泊まることにした。

 旅の2日目には早くも雪に見舞われた。朝から車に積もった雪下ろしである。最初の内は雪が珍しく、雪道走行も楽しいのだが、半日もするとウンザリしてきた。山陰地方の冬は暗く重苦しい。それに主要国道など走っていると、どの車も意外なほど早いスピードで走っていて、それについていくのが大変である。それに、反対車線を走る車からすれ違いざま、シャーベット状の雪をフロントガラスに跳ねかけられる。どうも気分が悪い。南に通じるどこかの峠を越えて、温暖な瀬戸内海に向かうことにする。こんな時、行き先定めぬ旅は自由でいいのだ。

 中国地方の旅は、いつも方向の定まらない旅になる。これといった目的地を決められないのだ。中国地方にはもとから面白い峠が少ないし、冬場は通行不能で尚更訪れるべき峠がない。景勝地もあまり多いとは言えず、それに大抵のところは既に行き尽くしてしまっている。それに、あまり観光地化されている所はいやだ。また、都会は嫌いだから近付かない。温泉はいろいろあるのだが、わざわざ入るのは面倒だ。史跡や文化遺産は理解できないい。寺や神社は区別がつかない。結局、何の目的もないまま、まだ通ったことがない道を選んで車を進めることにする。しかしそれも、地図に記した通行済みの黄色いマーカーが、主要な道路にはほとんど塗られていて、途方に暮れてしまうのだ。

 それでも、名も知らぬ、何でもない町や農村の風景を楽しみながら、旅は続く。冬の日は短かく、日の出と共に出発しても、ちょっとした峠一本をのんびり越えれば、もう昼になってしまう。どこか見晴らしがいい所に車を停めて、ゆっくり昼食にする。お湯を沸かし、レトルトのカレーを作ったり、コンビニで買ったサンドイッチに砂糖たっぷりの甘〜いココアでもいれて一緒に食べる。そうこうしている内に気が付けばもう午後の3時。今日の宿を決めなければならない時刻だ。夕方5時には暗くなるので、それまでの2時間圏内ある市街地に的を絞る。宿泊表の値段の欄を見ながら、なるべく安い宿を選択し電話をかける。年末年始は小規模で安いビジネスホテルは休みなので、何度かかけ直さなければならない時もある。予約が取れたら後は宿へ一目散だ。

 中国地方を概ね西へ西へと旅をして、山口まで行き着いたので、今度は東に進路を向けて反転した。広島県まで戻り、尾道より瀬戸内しまなみ海道に乗る。立派な高速道路が四国の今治まで一本道で続いているのかと思っていたら、途切れ途切れで、途中一般国道に下りなければならなかった。下りたついでに地図で見つけた大島の亀老山へ登る。来島海峡の眺めがよかった。

来島海峡
来島海峡に架かる来島海峡大橋(亀老山より)

 1999年12月31日、大晦日。四国最大の都市、松山の駅前に安いビジネスホテルをとった。宿に荷物を置いてから、このまま宿から出ずに寝てしまうのは何となく寂しいので、日の暮れた駅周辺を少し散歩する。しかし別に何の当てがある訳ではない。車の通行は多いが、歩いている者は少なく、寂しい歩道である。めぼしいものはないので、古本屋をのぞいてみる。チェーン店の近代的な店で、中は明るく客もそれなりに居る。一通り本やCDや人の様子を見て回って、何も買わずに店を出た。

 宿に戻り、コンビニで買っておいたそばを、年越しそばの積もりで食べる。後は暫く地図を眺めたりしていた。昔は楽しみに見た紅白歌合戦も、最近は見たいとは思わない。知っている歌や歌手が少なくなった。部屋が寂しいのでどこかの民放をつけてはいるが、ほとんど見ていない。年が明けるのを待つこともなく、いつもの様に寝てしまった。

 お雑煮にも、お節料理もない正月を旅の空で過ごす。
 年末年始も私にとっては特別な時間ではなく、単なる旅の通過点にすぎない。世間ではミレニアムなどと言っている。確か西暦はキリストを起源としていて、キリスト教信者ではない日本人には、関係ないのでは、とひねくれて思う。なんでも中国の暦では、4千年以上にもなるそうだ。

 旅の途中で今年の目標や抱負でも決めようかと思ったが、結局たいしたことも思い浮かばないまま旅は終わりに近付いた。抱負じゃないが、ただただお金が欲しい。30枚買った年末ジャンボは当たっただろうか。家に戻ったら早速新聞で調べよう。こうしてまた一年が始まる。
 
 今度の旅のことは、ここでこうしてホームページに書いている以外は、家族の者にも全く話していない。いつものことである。知人に断片的な事を一言二言は喋ったりするが、旅で感じた気持ちを人と共有するようなことはない。まったくの一人遊びである。
 
追伸
 30枚の宝くじは3枚の当り券となった。一等と前後賞の合わせて3枚・・・、なんてはずがなく、末等の300円が3枚である。私の人生をどうしてくれるんだ〜!。毎年これで年の始めからつまずいている。
 

 
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