サラリーマンのちょっと一言
 
2001年
 
<掲載 2001. 8. 6>
久しぶりの都会
 
 先日、出張の帰りに少し時間があったので、久しぶりに新宿駅で下りてみた。電車の乗換えでは時々訪れる新宿駅ではあるが、最近は滅多に下りたことがない。考えて見ると、新宿に限らず都会を歩いた覚えが、ここ何年もほとんどないのである。個人的には都会に何の用もない身の上であった。

 映画でも見ようかと、東口に出てみた。相変わらず人が多く、これでは本当にお祭りでもあったのかと思わせる混雑振りだ。こんな所にもヨドバシカメラができたのかと、きょろきょろしながら歩いていると、その店の前の一画で、ホームレスと思しき人達が小宴会をやっていた。即席の四角いテーブルを囲んで4人が座り、一応酒の肴も用意されているようである。歩道を行き交う多くの人は、彼らには目もくれない。また彼らの方も、目の前を通る人など存在しないがごとく、楽しそうに歓談している。そこだけ見れば、どこかの居酒屋の風景そのものである。

 目指す映画館はどこにあっただろうかと、もう10年以上も前の記憶をたどりながら歩いていると、何となく気持ちに引っかかることがある。それが何であろうかと、いろいろ自己分析してみた。簡単に言葉で表わしてしまうと、「羨ましかった」ようなのである。あのホームレスの人達が。

 何も囚われることなく、自由そのものに見えたのだ。食べている物は例え粗末であろうが、何の屈託もなく楽しいんでいた。内輪の話だろうか、世間話だろうか、はたまた政治や世界情勢について語っているのか分からないが、時には腕を組み真剣そうに、時には顔を崩して笑っている。

 勿論、ホームレスがそんなに甘いものではないのは分かっている。好きでなる人もいないだろう。でも、一種の踏ん切りというか、悟りににも似たものを彼らに感じる。あの雑踏の中に居て、それでいて世間とのしがらみを、すっぱり断ち切っているように見えた。そこが何とも羨ましい。

 自分も会社の休みには野宿旅などに出て、その間は俗世間から離れられている。野宿旅で束の間の自由を手にしているのだ。しかし、休みが終われば、またしがらみのサラリーマン生活に逆戻りだ。

 最近、会社から気持ちが離れかけている。いろいろ気に食わないことが多い。これまで何度か転職を繰り返したが、会社を辞める直前はいつもこんな気持ちになる。辞めようかとかなり真剣に考え出した。しかし、いい加減歳だし、やはりその先の生活が気に掛かる。なかなか踏ん切りがつくものではない。
 それに、サラリーマンしかやったことのない者が会社を辞めるということは、社会とのつながりを断ち切ることに等しい。それが漠然と恐ろしい。自らあのホームレスの人達のようには、簡単にはなれないのである。
 

 映画はスティーブン・スピルバーグのA.Iを見た。見ない方がよかった。将来の大事な生活費になるかも知れない1,800円を無駄にした思いだ。やっぱり都会になんか来るもんじゃない。帰りがけ、ヨドバシカメラで36枚撮りのフィルムを20本買った。こちらにはお金を惜しまない。今度の夏休みも、旅先で沢山写真を撮る積りである。
 帰り際にもちょっとのぞいたが、既にあの宴会はお開きになっていた。あの人達は今夜はどこでどうやって眠るのだろう。

 私の結論は果たしていつ出るのだろうか。このままズルズルいってしまうのか。それとも思い切ることができるものだろうか。
 

 
<掲載 2001. 3. 4>
週末の歩く旅
 
 毎年、年の初めに、今年こそは体にいいことをしようと、目標めいたことをいつも考える。例えばジョギングをするとか、ストレッチ体操をするとかである。しかし、長続きしたためしがない。三日坊主どころか、ジョギングなど1日やって、もう続かない。最近、おなかのまわりの贅肉が気になり、部屋の中で腹筋運動など始めたりするが、2、3回やってもう忘れている。
 しかし、今年は細々とだが、いまだに続いていることがあるのだ。それは歩くことである。週末の3時間くらい使って、自宅周辺を散歩がてらに歩きまわっている。

 きっかけは、皮下脂肪の燃焼である。NHKのテレビか何かで歩くことがいいと報じていた。おなかの贅肉を取るには、こっちの方がよさそうなのだ。それで、散歩がてらといえど、すたすたと早歩きする。この寒い冬に、額に汗がうっすら浮かぶくらい一生懸命歩く。

 歩くための七つ道具は、まず地図。「でっか字まっぷ 東京多摩」(昭文社 ¥1,000)を新規に購入。頭が寒いので、100円ショップで帽子も買った。以前、買っておいた1,000円のウォーキングシューズをこの歩く為の専用とする。エンジニアだから、歩くことを定量的に測りたい。そこで万歩計をあっちこっちの店(これも歩くことの一環)で探し回り、本来1,700円以上するところを、中国製798円を見つけた。

 出掛けるのは、土曜か日曜の午前9時頃である。カメラと、水筒にコーヒー牛乳を300mlくらい詰め、あればみかん1個やバナナ1本といっしょに、デイパックに入れて背中に背負う。厚手の靴下で足ごしらえをしっかりし、腰には万歩計、手袋をしてさっそうと出発。
 運動のためのウォーキングなどとは全く違う。ほとんど遠足気分なのだ。地図を片手に、東だ西だと、毎回行くところを変える。途中には公園やら神社やら、ちょっとした名所、旧跡、場合によってはディスカウントショップなども織り交ぜる。見晴らしのいいところに出たら写真を撮り、手ごろなベンチがあれば乾いた喉をコーヒー牛乳で潤す。

 行ったところは、ローカルな話になるが、大栗川の源流、八王子絹商人の絹の道、道了堂跡、鑓水峠、多摩川河川敷、分倍河原古戦場碑、多摩動物園の周辺、鎌倉古道小野路の切り通し、浅川、百草園、南平丘陵公園、府中四谷橋、稲城中央公園、府中郷土の森公園、野猿峠遊歩道、その他ほとんど名も知られぬ公園や河川、丘の上の住宅団地などなどである。
 自宅から歩いていける距離など限られている。それでも、こんなところにこんな土の道があったのかなどど、うれしい発見が毎回ある。ちょっとした立て札なども立ち止まって読むと、以外な歴史を知ることにもなる。

 多摩川河川敷に行くと、よくジョギングやら自転車で走っている。どうもああいうのは性に合わない。やっても面白くないのだ。歩くことがまだ続いているのは、やはり「旅」が好きだからである。身近にあっても、普段行ったことがないところは多い。そんなところを訪ね歩く、小さいながらも「旅」を味わえるのが楽しくて続いているのだ。

 9時に出発して、12時頃には帰ってくるようにしている。ついつい行き過ぎて、1時頃になることもままだ。楽しく運動にもなって、おなかはぺこぺこである。食事が進む進む。1月元旦から3日間連続で続けたら、それだけであっと言う間に1キロ体重が増えた。
 3月になった今でもこの「週末の歩く旅」が続いているのはいいことである。しかし、当初の目的である贅肉取りの効果が、全くみられないのが悩みの種なのであった。

 

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