サラリーマン野宿旅
10年前の野宿旅 (その2)
旅の2日目
 
 
 
 
 
 旅先で見知らぬ都会を車で走るのは大の苦手である。宿に泊まるため以外には、滅多に町中などには近づかないことにしている。でも、市街地走行も悪くないかなと思う時がある。それは早朝だ。
 
 3月25日。昨夜泊まったビジネスホテルサンライズをいの一番に出発し、豊田市の町中を抜けて走る。昨日は深夜までヘッドライトの洪水であっただろう町のメインストリートも、この時ばかりは閑散とし、交差点の信号機も手持ち無沙汰の様子である。のんびり道を確認しながら車を進めても、他の車に急かされることはない。今はシャッターが下りて閉まっている商店街をきょろきょろと見渡しながら、まだ寝静まっている町の朝の横顔を観察する。誰もいないこんな時の方が、かえって人の生活を感じさせられる。住人の寝息が聞こえてきそうだ。この町にも人の暮らしがある。
 
 
   しかし、あまりのんびり走ってもいられない。間もなく、今日一日の活動が始まり、通勤のマイカーやバスが溢れ出てくる。その前にさっさと町から遠ざからなくてはならない。それに、目指す南紀はまだまだ先である。今日は必死に距離をかせがなければいけないのだ。
 
 豊田市から一路、南西方向の知立市に出て、国道23号で知多半島の付根を通り伊勢湾沿いを走る。考えてみれば、早く先に進むだけであれば、混雑する国道より高速道路を使えばいいのであった。でも、旅の最初と最後の移動日以外に、高速道路を使うという発想そのものが全くなかった。お金のかかる高速道路はいつも特別な存在で、頭の中の隅っこの方に鍵を掛けられ仕舞われていたのだ。
 
 おっかなそうな、それこそ大都会・名古屋をどうにか過ぎて三重県に入り、木曽川、長良川・揖斐川と木曽三川を渡ったところで、またしても寄り道の癖が出た。紀伊半島へはそのまま国道23号を行くのが一番手っ取り早いのだが、市街地走行はもううんざりである。
 
 そこで、国道421号にプイとそれた。この道はあの石榑峠(いしぐれとうげ)に続いている。その峠道は大好きである。でも、険しく時間がかかり、越えた先はあらぬ方向へ行ってしまう。そこで急きょ、鈴鹿スカイラインの武平峠へと矛先を変えた。鈴鹿スカイラインは有料だが、まだ武平峠に行ったことがなかったのだ。料金を気にしながらも、のんきに車を走らせていくと、スカイラインはまだ冬期閉鎖だった。念のため入口のゲートまで行って、やっぱりダメかと引き返してきた。
 
 
   仕方がないので国道306号で南下する。この道がまた狭くてややっこしい。これでは時間がかかってしょうがない。それで遂に、頭の中の禁断の扉が開いたのだ。高速道路を使えばいいのではないだろうか。我ながら大胆な発想の転換であった。
 
 マップを見ると、近くを走る東名阪自動車道は、亀山で途切れてしまっている。しかし、そのちょっと先の関インターからは伊勢自動車道が始まっていた。これだと思った。それにまだ走ったことが全然ない高速道路なら、一度は経験してもバチは当たらない。
 
 関から勇んで乗った伊勢自動車道ではあったが、何とまだ当時は久居(ひさい)までしか通じていなかった。軽自動車で僅か550円の区間である。折角の考えも、どれだけ効果があったか分からない。
 
 久居で放り出されてからは、またいつもの迷走モードに入った。方向感の定まらぬジグザグ走行だ。でも概ね南に向かっていた。
 
 それに、迷走にはある程度訳がある。それは野宿地探しを兼ねているからだ。決まった宿に泊まるなら、そこに目掛けて真っ直ぐ進めばいい。しかし、野宿地はどこにあるか分からないのだ。あっちに行ったり、こっちに来たり、後から見れば迷走としか思えない走行経路も、どこかでいい野宿地に巡り会えないだろうかと考えてのことである。
 
 
   しかし、巡り会えないのだった。もういいかげんに野宿地を決めなければという時刻になっても、相変わらず迷走は続いていた。ちょうど伊勢市から南勢町に越えるサニーロードなる道を走っていた。峠は鍛冶屋トンネルというつまらないトンネルで抜けた。沿道には野宿に適した場所は皆無であった。このまま南勢町の市街に下っても尚更野宿地など見つかる筈がない。
 
 そこで、トンネルを抜けた先で分岐していた鍛冶屋峠への道に入り込んだ。多分、トンネルができる前の旧道だろうが、まだツーリングマップでは県道表記になっていた。
 
 旧峠道は狭く、広い路肩もない。これといって収穫がないまま、鍛冶屋峠を越えて伊勢市側に戻ってきてしまった。その付近に平家の里キャンプ村というのがマップに載っていた。性懲りもなく行ってはみたが、どうも時期が早くて営業してそうもなく、途方に暮れるばかりだった。
 
 昨日に続いてまたホテル泊かとも思ったが、それでは車に積んできた野宿道具は何のためか。ここはひとつ是が非でもテントを張ってやる。
 
 実は旧道の鍛冶屋峠へ登る途中、道路脇にあった僅かな場所が目にとまっていた。車が一台やっと停められる程度の狭い敷地で、お世辞にも野宿に適した場所とは思えなかった。しかし、こうなったら贅沢など言ってられない。再びサニーロードに戻り、トンネルを抜け、同じ道を辿って今日の野宿地へと着いた。
 
 
 3月25日の野宿地
車を停めると、後は僅かなスペースしか残らなかった
 
   車道から敷地にバックでジムニーを乗り入れる。何とかテントが張れるスペースを残そうと、ジムニーの位置をいろいろ工夫したが、やはりどうにもなりそうにない。そこで、いつも使う3〜4人用のドームテントは諦めて、緊急用にと持ってきていた小さなテントを試した。仕様では1〜2人用となっているが、ひとりで寝ても狭いくらいだ。しかし、それが功を奏して何とかテントが置けた。車道から目と鼻の先で、ちょっとみっともないが、旧道なら車が通る心配はない。
 
野宿地からの眺め 
この眺望だけが唯一の救い(野宿の翌朝に撮影)
 
 ペグにつまずかないように、開いた車のドアに頭をぶつけないようにと、狭い敷地を注意しながら動き回り、テントの中に寝床をしつらえ、夕食の準備もする。前は崖、後ろは車道、両脇は林に囲まれたこの場所以外、今夜の野宿では他に行くところがどこにもない。
 
 ただ、崖に面して車止めの様に大きな丸太が横たわっていた。座って景色を眺めるには、おあつらえ向きである。丸太に腰掛け南勢町側に開けた谷を眺めながら、できあがったレトルトの食事を口に運ぶ。ここまでくると、もう気も座っているので、景色も食事も落ち着いて楽しめた。
 
 ここからは望めないが、この景色の向こうには熊野灘が広がっている筈だ。明日は海を見に行こう。今年初めての野宿も、これでどうにか無事に過ごせそうだ。
 
<制作 2003.03.31>
 
 
☆10年前の野宿旅(その3) につづく
 
 
 
10年前の野宿旅  その1
 
 
 
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