サラリーマン野宿旅
10年前の野宿旅 (その4)
旅の4日目
 
 
 
 
 
 3月27日土曜日。旅の空も4日目ともなれば、旅暮らしの毎日が当たり前のように送れるようになる。朝、テントの中で目覚め、見開いた目の前に狭っ苦しいテントがあっても、「ここは一体どこだ?!!」などと、びっくりすることはなくなる。「ああ、ここは大内山村の山の中か。そうか、昨夜は千石越を前に野宿したんだっけ」と、落ち着いたものだ。温かいシュラフの温もりを素肌に心地よく感じながら、ぼんやりした頭でまた暫くまどろみの時間を楽しむ。  
 
   普段の生活では厚いカーテンが引かれていて、朝になっても部屋はいつまでも暗いままだ。僅かにカーテンの隙間から強い太陽光が漏れてきて、今日はいい天気らしいなどと思ったリする。
 しかし、テント暮らしでは、寝ながらにして外の明るさの変化は手に取るように分かる。日が昇ってきてテント地の色がまぶしいくらいになっては、いつまでもまどろんではいられない。
 早春の山の朝は冷え込む。寒さをこらえてテントを這い出すと、直ぐに昨夜の焚き火の跡を掘り起こし、また火をつけた。
 
 この林道終点の治山ダムの野宿地は、全く人がやって来そうにないので、比較的のんびりできるのがいい。人の目に触れそうな野宿地では、朝早いうちにそそくさと出発しなければならない。別に犯罪を犯している訳ではないが、かといって野宿など惚れられた行為でもない。人に見られれば、何をしているのかと、いぶかしがられるのが落ちである。野宿は人知れず行うのがよい。  
 
   朝食もしっかり済ませると、昨日の一本道の林道を引返す。朝の出だしから、もうラフ路走行である。普通のホテルや旅館に泊まっていては、こうはいかない。これも野宿の特権である。
 
 本線の千石越林道に無事に戻り、今日最初の目的地である千石越の峠へと向かう。道は千石越林道というやはりラフ路で、登りにかかると道は荒れた。進むにつれ路面に落石がゴロゴロと転がっている。これはちょっと普通ではない。
 
 運良く初老のおじさんが道を歩いて下りてきた。尋ねてみるとこの先落石で峠を越えることはままならぬとのこと。それを聞いてあっさり諦めた。折角昨日の野宿はよかったと思っていたのに、今日は朝からちょっと出だしをくじかれた感じである。
 
 越えられなかった千石越は、悔しいので数年後に再び訪れ、今度は無事に越えた。しかし、道はすっかり変わり、全線舗装となっていたのは残念であった。
 
 その折、野宿した林道の入口を写真に収めた。道には「青山林道」とちゃんと林道標識が立っていた。名もない単なる作業道とばかり思っていたが、思いのほか立派な林道でびっくりした。
 
 
青山林道 
この先に進んで野宿地を見つけた(撮影 1996.11. 3)
 
 青山林道の出口
前方の道を右へ行けば千石越
 
   寂しい林道を車でのんびり音を立てずに走っていると、野生の動物に出会う機会が多い。千石越を諦めて引き返す途中、道路脇の斜面に一匹のサルを見かけた。車を止めると、こちらをじっとうかがっている。これなら写真が写せるかもと思い、いつも助手席の上に転がしてあるカメラを掴んでシャッターを押したが、さっと逃げられ、後日プリントした写真には林しか写っていなかった。
 
 千石越は越えられなくとも、峠の向こうにある宮川村には是非行ってみたかった。国道・県道を走り繋いで、宮川村最奥にある宮川ダムへ出た。寂しそうな宮川貯水池が広がり、その奥には奈良県との県境の高い峰が連なっていた。
 
 思った通り、宮川村は私好みの土地であった。別に観光地でもなく、これといって名所・旧跡がある訳でもなく、自然ばかりで人が少ない寂しい所は、私の大得意とするところなのだ。こんな所にたった一人で来て、一体何が楽しいのかと人は思うかもしれないが、荒涼とした湖面をボーっと眺めていたり、「望郷」と刻まれた鎮魂碑があればそれを写真に撮ったり、貯水池に架かる赤い鉄骨製の吊橋を見つければ、車で渡ってみたり、そんなことが愉快でたまらない。根っから一人遊びが上手な性質(たち)である。
 
宮川貯水池に架かる新大杉橋 
車で渡るとなかなかスリルがある
 
 宮川村にはその後も何度か訪れている。ダム付近は雨量が多い所だそうで、テレビで「宮川村に集中豪雨が降りました」などという放送を見れば、「ああ、あの宮川か」と、ダム湖の様子を思い浮かべることができる。宮川村に親類でも住んでいない限り、遠く離れた三重県の片隅に位置する縁もゆかりもない村を、その名前だけでさえ知っている者はほとんどいない。しかし、私は知っている。それがちょっと自慢である。
 
 野宿旅ではあまり世間に知られることのない町や村を訪れる。その町や村が偶然テレビニュースや新聞に登場すると何となく嬉しい気持ちになる。地理には全く疎かったのに、我ながら随分知見が広がったと思うのだ。
 
 普通の観光旅行では、ひとつの観光地から次の観光地へと、「点と点」を結んだ「線」の旅である。一方、野宿旅は決められた目的地がある訳ではないので、移動していく過程そのものがある意味で全て目的地となる。通りかかった何の変哲もない村で、村の記念物の老木があるといえば行ってみるし、滝があると聞けばわざわざ山を歩くしと、寄り道を繰り返す。言ってみれば野宿旅は「面」で旅をしている。
 
 狭い島国の日本も、面で旅をすれば広い広い。だから野宿旅は飽きることがない。
 
 
   宮川貯水池から南へ、水呑(みずのみ)峠を越えて海に面した海山町へと出た。この時はまだ峠近くに未舗装区間を残していたが、その後間もなく全線舗装の峠道となった。
 
 海山町に出る旧大杉林道の道沿いから、大河内川の河原に野宿地によさそうな場所があるのが目に付いた。野宿地を見つけるというのは難しいことだが、時々こうして偶然いい場所を発見することがある。しかし、まだ昼にもなっていない時に野宿地を見つけてもしょうがない。今度、機会があったら野宿してみようと思いつつ、それ以後機会は巡ってこない。野宿地はその日その日の一発勝負で、前もって目処が立たないものであった。
 
 海山町から更に南の尾鷲(おわせ)市に入り、どこかで昼食をとろうと食堂を探していたら、そのまま市街を抜けてしまい、もうダメかと思ったら、国道42号沿いに手頃な店を見つけてそこに入った。これで、久しぶりにまともな食事にありつける。顔の髭もそらず、みすぼらしい姿なので、店員や他の客の視線が気になる。不信がられないように、なるべく品良く立ち振る舞う。言葉使いも丁寧にする。宮川貯水池は大得意だったが、こういう場所は苦手で緊張する。何を食べたか、どんな店だったかも全然覚えていない。  
 
   尾鷲市で昼食を済ませてからは、国道42号の旧道・矢ノ川(やのこ)峠を訪れたり、一旦市街に戻り、西へと寂しい国道425号に進入したりと、また私の独壇場である。
 
 国道425号は三重県から県境を越えて奈良県に入った。周囲に野宿地を求めるが、探せば探すほど野宿地はどこかに行ってしまうものである。坂本貯水池から池原貯水池へと走り繋ぎ、湖畔にいい場所はないかと期待したが、これも全然無駄であった。
 
 池原ダム
ダム湖周辺に適当な野宿地は見つからず
 
 下北山村に出てからは、更に西へと池郷林道に入り込んだ。日が暮れかかり、もう後がない。いい野宿地があろうがなかろうが、この林道沿いに野宿する他はないのである。
 
 林道の右の崖下に池郷川が流れる。谷は深く、川原の野宿は期待できそうにない。寂しく狭いラフ路が続く。ランニングの男子生徒が二人並んで走ってきた。この道をロードワーク用に使っているようだ。これから村の家に帰るのであろう。こちらは逆方向の山へと今夜のねぐらを探しに行く。
 
 
   池郷林道は1つとして野宿地を提供してくれることなく、そのまま十津川村との境まで達していた。ここはちょっとした峠になっている。あせる気持ちを抑えつつ、車を降りて小休止とする。
 
 暮れ行く山の景色でも眺めて現実逃避の感傷にでも浸ろうと、崖際まで歩いて近づくと、突然、足元の崖下の方で岩が転がり落ちる大きな音がした。自然の落石にしては、ちょっとおかしいと思い、何気なく下をのぞくと、黒い塊が谷を駆け下っていくところだった。クマだった。
 
 よりによって嫌な時に嫌な物を見てしまった。こんなところではおっかなくって野宿などできたものではない。車に戻ろうとするとそばに小さな山小屋があるのに気が付いた。近寄ると中から僅かに人の声がする。登山者でも居るのか。クマが出たことを話して、今夜はそこに泊めてもらおうかとも思ったが、やはり私は一人遊びが似合っている。とにかくこの場からなるべく遠くに離れようと、十津川村に続く林道へと進むことにした。  
 
   走りながら気掛かりなことがまた1つ増えた。工事による通行止を示す看板を見かけたのだ。この林道は一本道だから抜けられないとどうしようもない。泣きっ面に蜂の思いである。しかし、他に手立てはないのだから、今はただ走るしかない。
 
 不安をよそに、道は何事もなく続いた。やれやれクマの出る怖い林道からもう少しでひとけのある国道425号に出ると思ったら、そこに最後の難関が現れた。道幅一杯に木枠でコンクリートが打たれている。その距離僅か数メートル。人が歩くだけなら何でもないが、車となるとそれが如何に4WDであろうとも、越すに越せない障害となった。道の脇には側溝があり、道を外れて進むこともできない。
 
 こんな所で立ち往生かと、もう薄暗い中でよくよく見ると、コンクリートの上を2枚の板が渡してあった。どうもここを通れと言っているようだ。念のため板の上を歩いて確かめたが、どうにか車の重量に耐えられそうである。ジムニーが軽い軽自動車であるのも心強い。渡ってみることにした。
 
 板が折れたり、板を踏み外せば、一巻の終わりである。慎重の上にも慎重に車を進める。バイクの免許をとるには、一本橋という教習があるが、これでは二本橋という教習が車にも必要だ。
 
 
   有り難いことに、林道は無事に抜けられた。国道425号に出てみると、そこも林道と変わらぬ寂しい道だった。もう夜道となっては誰も通る気配がない。
 
 国道に出る直前の林道脇に土の広場があった。暗い中、手探りでテントを張った。クマを見た場所からもう随分離れてきたし、寂しいといえども国道が近くを通るのだから、こんな所にクマは出ないと、自分を納得させた。
 
 どうにも疲れたし、日も落ちてしまったので、食事を作る気になれない。昼間にちゃんとした食事をしておいたこともあり、今夜は何も食べずに寝ることにした。
 
 野宿旅ではこうして夕食を抜くことが時々ある。大抵が野宿地探しに手間取って、テントを張るだけでも精一杯だったり、テントはおろか車の中で一夜を過ごす羽目になった時である。元々小食だし、気疲れで食欲もないので、テントや車の中で一晩中空腹に悩ませられるなんてことはない。しかし、ただでさえ惨めな野宿に、レトルトや即席物といえども、夕食抜きでは何となくやりきれない気持ちにさせられる。
 
 何をするともなくぼんやりテントの中でシュラフにくるまっていると、クマに出会ったり、板の二本橋を車で渡ったりした興奮が、頭の中に僅かに蘇ってきた。でも、それもひと時のことで、その内浅い眠りに就いていった。そばを通る国道に車の音がしたような気がした。
<制作 2003. 6. 1>
 
 
林道脇の野宿 
到着した時はもう暗かったので、翌朝に撮影
 
10年前の野宿旅 その5 につづく
 
 
 
10年前の野宿旅  その3
 
 
 
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