サラリーマン野宿旅

野宿とは

●野宿をするとはどんなこと

 旅に於いて宿泊は大きな要素の一つである。りっぱな観光ホテル,ひなびた温泉旅館,あるいはただただ宿泊するだけの機能に徹したビジネスホテル。こうした泊まるべくして作られた施設を利用するのはお金さえあれば安易であるが芸が無い。一方キャンプという手がある。最近車を使ったいわゆるオートキャンプがはやって、あちこちにオートキャンプ場なるものが作られている。トイレや炊事場、場合によってはシャワーや電源設備までそろっているキャンプ場もある。このキャンプするべくして作られた施設を利用するのも、有り触れた旅館やホテルを利用するよりよいが、まだ不満である。キャンプ場によってはまわりを柵で囲われ、テントや車を止める場所が五番の目の様にきっちり区画されたりしている。一区画が狭く、お隣の様子が覗く訳でもないが手に取る様に分かる。夏の最盛期ともなると満杯状態。そこらを子どもが走り回り、騒がしい声がし、ゴミ置き場はゴミで溢れかえり、トイレは悪臭を放つ。普段はウサギ小屋に住んでいる日本人。キャンプする時ぐらいは大きな自然の中に抱かれて、一夜を静かに過ごせればよいのに、それもままならない。そこでいっそのことキャンプするべくした場所でない所にテントを張ることになるわけである。

 林道脇にちょっとした広場を見つける。日も暮れ掛かってきたのでここを今日のキャンプ地とする。回りには誰も居ない。いや半径5Km以内には人間は自分一人しか居ない。見渡す限り山また山。近くにきれいな沢が流れ、美味しい水が飲める。それで食事を作り、食後にはコーヒーを飲みながら山間に沈む真っ赤な夕焼けを眺める。薪を集め火を起こす。焚き火の火はいつまで見ていても飽きないものだ。いつの間にか辺りは真っ暗。ふと見上げると満天の星。テントに入りロウソクの明かりで地図を眺める。明日はこの辺りに行って見よう。今日一日の旅の疲れが心地よい眠りを誘う。シュラフにもぐり込み、遠くで鹿の鳴き声を聞いたのを最後に静かな深い眠りにつく。

 こんな夢のようなことはほとんどあり得ない。現実は厳しい。キャンプなどと気楽に呼べるものでは無い。野営、いや野宿と言った方が似合っている。確かに部分的にはこうしたいい面もある。しかしいろんな条件が全ていい様に揃うことは希だ。場合によっては自然の手厳しさをいやという程思い知らされる。まず初めて訪れた土地で野営出来る場所などおいそれとは見つからない。あっちこっちうろうろしているうちに日が暮れてしまい、仕方なく廃材置き場の様な所にテントを張る。見晴らしなど二の次である。近くに沢など無い。有っても谷が深くて降りていけない。たまに手頃な小川があっても最近は山奥まで人が多く入り込んでいて、農薬など混じっている可能性が有りうかつにそのままは飲めない。家からポリタンクに入れて持ってきた水道水を使う。焚き火をしたいが手頃な薪が見当たらない。さりとて木を切ってなたで割ってなどとやっている暇は無い。日が暮れると辺りは薄気味悪く、空を見上げても曇っていて星一つ見えない。そそくさとテントに入る。テントの中は狭く、夏など暑くてかなわない。しかしテントに入らないと蚊の大群に襲われる。横になって本など読むが無理な姿勢で読むので直ぐに腕や首が痛くなる。とっとと寝てしまおうと思っても地面が岩だらけで寝心地が悪い。やっと眠り掛けたかと思ったらテントの近くで動物の唸り声と走り回る音。恐怖で体は硬直し、目はぱっちりとあいてしまった。夜半曇っていた空から大粒の雨が落ち始める。そのうち風も強くなりテントに打ちつける雨音がうるさい。仕舞には雨漏りでテントの中は水浸し。一睡も出来ずに夜は明けた。

 このぐらいのことは覚悟しておく。まず楽しい時を過ごすことより,安全に野営することを優先にする。その日の疲れをとりまた明日から続く旅に備えて十分な休養がとれるかが旅を成功させるカギとなる。特に精神的な安心感が重要である。何らかの不安を抱えていると熟睡など出来ない。そばに崩れてきそうな崖があるとか,増水しそうな川の側で野営してしまったとか,心配事があってはおちおち寝ていられない。宿泊すべく作られた施設でない所で一夜を明かすということはそれなりの用意と工夫,配慮,経験が必要である。しかし後込みすることはない。少しづつ失敗を重ねてはその都度改善を加えていく。自分でもだんだんとうまく野営が出来るようになると愉快である。しいては自然を満喫した野営が出来るようになる。ともかくやってみることだ。


☆サラリーマン野宿旅の目次 トップページの目次へ

☆サラリーマン野宿旅      トップページへ