サラリーマン野宿旅

サラリーマンと旅

●旅への衝動

 いつもの様に車で勤めに出かける。通勤ラッシュで満員の電車に乗らずに済むのがよい。車通勤出来ることが今の会社に転職した理由の一つでもある。都心とは逆方向の為さほど渋滞もない片道15kmの道。何百回、何千回となく走り慣れた道を、いつもの時間にいつもの通り走る。学校を出て会社勤めを始めてから十数年,サラリーマンがしっかり身に付いてしまった。会社の仕事が詰まらないわけではないが,さりとて新鮮味を感じる事は無くなった。ただただ無難にこなしている。毎日の出勤はほとんど条件反射であり、今日の仕事への意気込みが原動力になっているわけではない。

 最近こうして朝のまだ冷たく気持ちの良い空気の中を走っていると,ふとこのまま旅に出たいという衝動にかられる。旅のことを考えると、さっきまでとはうって変わって急に気持ちがうきうきしてくる。旅とはいっても一般的な観光旅行ではない。野宿旅である。車にキャンプ道具を積め込み、田舎道や林道をのんびりまわり、日暮れにはキャンプ出来そうな場所を探して野宿する。そんな旅である。

●サラリーマン

 日本では大多数の人がサラリーマンで収入を得るしかない。中にはきまった会社に勤めずともパチンコで生活費を稼いでしまうという強者もいる。自分で商売をはじめて成功する者,さらには企業を起こし人を雇う側の立場になる者もいる。しかしそうした会社勤め以外に収入を得る器用さや才能を持っている者は少ない。

 よく人は会社を辞めたいと言うが,本当は会社ではなく会社員を辞めたいのである。私は4つ会社を変わった。会社規模は従業員数で数十名の会社から数万名といろいろであった。確かにそれぞれに特色があり,勤務形態も異なっていた。しかしサラリーマンとしての本質はどこも同じである。会社をかわっても雇われの身であるという本質には変わりはないのだ。

 雇われの身ながら努力し、仕事でそれなりに業績を上げれば、自分でも満足だし周囲からも認められる。そしてそれが自己の確立であるように思う。とこらが転職してみれば分かるが、それまで会社でやってきた業績などは単に自分の記憶、思い出の中に残るだけの存在である事に気づく。転職先の会社で私はこれこれこのような事をやってきましたと話しても、それは自分のキャリアの説明の一手段にはなるが、物として明確に存在する形で相手に見せる事はできない。よく中途採用の方で以前の会社でやってきた事を自慢げに話す人がいる。私自信もついその傾向があり、喋ってから後で反省するのだがむなしいものだ。ただ全く形として残らないこともない。建築、建設に携わる人なら、ビルや道路、橋、ダムなどが残る。私は工業用の生産機械を設計しているので、装置として世の中に存在はする。しかしこれは私の装置ですと主張出来るわけではない。画家ならこれは私の絵ですと言える。音楽家ならこれは私の歌ですと言える。小説家ならこれが私の小説ですと言える。私はこれは私の装置ですとは言えない。小説には作者の名前が載るが、装置に会社のロゴははいっても設計者のサインは書けない。画家たちと私の違いは、彼らの作品は彼らの自己表現であるのに対し、私が設計した装置は私の自己表現とは言えない。ここが根本的に違う。サラリーマンの不満の一端はこんなところにあるのではないか。自己の確立、自己の表現が会社の仕事と直接結びつきにくいからなのではないかと思う。

●サラリーマンのあがき

 会社がだめなら会社以外で何かを求めようと考え始めるようになる。私も30歳前後の時期にいろいろな事を始めた。私はあまり体には自信が無く、スポーツは嫌いではないが積極的にやるほうではなかった。ある時近くに温水プールのあるスポーツジムができた。そこでジムに通いつめ、全く泳げなかったのが半年ほどでクロールで1Km泳げるようになった。また将棋を始め、ある将棋クラブでアマ四段になった。金を持っている事がステータスだと考え金儲けにはしり、株や商品先物に手を出して大失敗した。他にもいろいろ考えたり、やってみたりした。サラリーマンのあがきである。世の中のサラリーマンもいろいろな事をやっているのではないだろうか。それはちょっとした趣味程度のものからかなり本格的なものまであるだろう。サラリーマンで稼いだ財産をなげうってという人も中にはいるだろう。しかし自己実現出来たと満足できる人はなかなかいないのではないか。

●旅のきっかけ

 そんな不満を感じていた時、オートバイにキャンプ道具を積み、野宿をしながら林道などを走りつないで日本中を回っている人種があることを知った。野宿ライダーである。本や雑誌でその生体が徐々に分かるにつけ、非常に興味を感じた。別に観光地巡りをするでもなく、はっきりした目的地があるでもなく、へんぴな所を好んで走り、人気の無い所で野宿をする。こんな旅もあるんだなと思うと同時に、なぜかしら心が引かれた。しかし自分がそんな野宿旅をしようなどとはまだ思ってもいなかった。

 車の免許も持ってない私が30歳過ぎて十代の若者に混じってオートバイの教習所に通い、中型自動二輪の免許を取った。免許を取る事自体はまた一つのあがきだった。自分で車やオートバイを運転して旅行するなどそれまで考えた事もない。最初に中古の原付バイクを買い、ある休日に東京都民にとっては自然と触れ合える行楽地の奥多摩に向けて走りだした。今から思えば片道わずか50〜60Kmの道のりだったが、そのときは原付バイクということもあり随分長い時間掛かった様に感じた。バイクの運転には慣れていないし、地理には不案内で道路地図も見慣れていない。まごつきながらも徐々に町中を抜け、だんだん家並がまばらになり、ついには気がつくと周りの景色は山や木々ばかりになっていた。道端の空き地にバイクを止めエンジンを切る。それまでずっと続いていたエンジン音から耳が解放され、まわりの驚くほどの静粛さを体で感じる。その時、それまで初めての遠出ということで張りつめていた緊張がほぐれ、達成感とはるばる遠い所までやってきたという実感がわいてきた。奥多摩など東京近郊に住みマイカーを所有している人にとっては,ちょっとしたドライブ気分で行ける所である。今から考えれば他愛も無いことだったのだが、その時は十分旅の気分が味わえた。

 その後は病みつきである。250ccのバイクを買い、北は北海道の宗谷岬から南は九州は鹿児島の佐多岬まで。また車の免許も取り休みとあらば出かけていった。いろんな経験をし、失敗もした。失敗を重ねることによりだんだんと旅が板に着いてくるのが楽しかった。いやな目にも遭った。苦しい思い、恐い思いもした。しかし観光バスなどで行ったどの旅行などよりもずっと印象深く記憶に残った。例えば次の様なことがあった。

 1月2日、正月だというのに私はひとり、青森は下北半島の国道338号、通称海峡ラインを脇野沢村方面から本州最北端の地、大間崎に向けて車で移動していた。下北半島はよく斧の形でたとえられる。脇野沢村から大間崎を結ぶ海峡ラインはその斧の刃の部分にあたる。舗装工事が急ピッチで進んではいるが、国道なのに未だ一部に未舗装区間を残す。東北地方を真冬に訪れたのは今回が初めてで、雪道走行は不慣れなため慎重に走る。現に3日前、猪苗代湖畔でアイスバーンでスリップ事故を起こし、一時は旅を諦めなければならないかと思った。事故で曲がったドアの隙間から冷たい風が入って来る。この海峡ラインの途中には景観で有名な仏ヶ浦がある。夏場の観光の時期には遊覧船なども運行され訪れる人も多い。しかしこの冬場ではアクセスは不便な陸路のみで、わざわざ来ようと思う人は少ない。仏ヶ浦は海岸に奇岩が並び、一種不気味な風景を作りだしている。国道は海岸の崖の上を走っている為、国道脇の駐車場に車を止め、崖下まで10分以上登山道の様な道を歩いて下らなければならない。午後の日は暮れ掛かり、空はどんより曇り雪もちらついている。しかし折角だからと仏ヶ浦まで降りていった。当然ながら誰もいない。以前夏にオートバイで来た時は何十人もの観光客がいた。今は私の独り占めである。写真を撮ってもどこの誰だか分からない奴まで景色と一緒に撮る必要が無い。しかしごうごうと音をたて、打ち寄せ砕ける波。周りには不気味な形をした岩がにょきにょき生えている。だんだん恐くなってきた。下北半島は恐山で有名な所。変な霊にでも取り憑かれたら困る。そそくさと来た道を登り始めた。知らぬ間に早足になっている。半分ほど登ったであろうか、ふと前方に目を向けて立ちすくんでしまった。20m程前方に黒い塊がいる。動物だ。大きさは明らかに狸などよりずっと大きい。うかつだった。霊などという曖昧なものなどより、周りの自然の状況を良く考えておくべきだった。有名な観光地といえども、今は人など来ない。代わりに獣が俳諧しているのだ。熊だろか。うす暗いのではっきりしない。これまでも熊に何度か遭遇している。しかし幸い車のなかに居る時であったり、熊までの距離が離れていたりして、危険を感じたことはなかった。しかしこの距離ではだめだ。逃げ込む所も無い。その時その獣が顔を上げた。顔には白い毛が混じっている。目と目が合った。睨みあってはまずいと思い私は目を背けた。襲っては来ない。しばらくしてその獣は頭を下げ、また何か餌でもあさり始めた。私はゆっくりその場に腰を下ろした。とりあえず安全なようだ。何と言う動物であるか分からないが、熊ではなかった。少し落ちつくと写真を撮っておこうという気になった。バッグより写真機を取り出し、脅かすとまずいのでフラッシュを切りにセットして2枚撮る。奴はときどきこちらに顔を上げるが、動こうとはせず、相変わらず餌をあさっている。このままいつ終わるか分からない奴の食事に付つき合う訳にもいかない。しかし奴は通り道の直ぐそばに陣取っている。熊ではないにしても突き飛ばされ、けがでもさせられたら、誰も助けに来てくれないこの場所から自力脱出が出来なくなるではないか。どうしようかと辺りを見回すと、少し引き返した所で道が分岐している。分岐した道は奴の右上を巻いてその先で元の道と合流しているようだ。ゆっくりと奴を驚かせない様にその道を進む。奴の真横あたりまで来た時にまた写真を1枚撮る。結局終始奴はときどき顔を上げるが餌をあさっておとなしくしていた。その日はその後大間崎に寄り、暗くなって田名部市に着いてホテルに宿泊した。後日写真を現像するとブレていたりただ黒い塊が小さく写っているだけで何のことだかさっぱり分からない。かなり慌てていたらしい。図書館で記憶を頼りに調べると,あれはどうもニホンカモシカだったようだ。ニホンカモシカは天然記念物に指定されており生存する数も少ない。野生のものを見られたのは幸運だったのかもしれない。

●野宿旅は自己実現

 原付バイクで始まった私の旅もいろいろやっている内に一つのパターンが出来た。車を使った野宿旅である。以前野宿ライダーに憧れのようなものを感じたが、今私は休日には車で出かけ、野宿旅の旅人に変身するサラリーマンとなった。

 転職は繰り返したがサラリーマンから逃れる事は出来なかった。サラリーマンのあがきとしていろいろやってはみたが、どれも満足出来なかった。もうスポーツジムには行かないし、将棋クラブにも通わない。しかしこうして通勤の車を運転している時でも旅人に変身したくてしょうがない。野宿旅はサラリーマンに許された自己実現の一つだ、などと大袈裟に言えはしないかもしれない。しかし野宿旅で味わい感じるあの充実感はやった者でしか分からない。人を引き付ける何かがある。少なくともパック旅行でお決まりの観光地を巡るより、ゴルフウエアに身を包み大金はたいてゴルフコースを回るより、パチンコや競輪、競馬に給料をつぎ込むより、家出でごろごろしているより、ずっとましである。サラリーマンがサラリーマンでないもう一人の自分を見出す時間が野宿旅である。


☆サラリーマン野宿旅の目次 トップページの目次へ

☆サラリーマン野宿旅      トップページへ