サラリーマン野宿旅

野宿旅とは


<旅行と旅>

 旅行や旅が嫌いと言う人は少ないのではないか。仮に嫌いと言う人がいたとしても、電車や高速道路が混雑するとか、有名観光地は人がいっぱいで嫌いだとか、旅行や旅に付随する不都合や不便がいやなのではないだろういか。誰しも普段の日常を離れ、いつもと違った環境に身を置き、雄大な自然の景色を眺めたり、珍しい所を訪れたりすることは楽しいはずだ。こうして旅のことを考えているだけで、うきうきしてきてしまう方は私だけではないはでしょう。例えばサラリーマンならいつも同じ時間に起き、同じ電車に乗り、さして変わりばえのしない仕ことを繰り返す毎日に比べ、日常の雑事から解放され、自由な時間の持てる旅のひと時は素晴らしいものだ。

 ところで旅行と旅はどこが違うのだろうか。とはいっても明確な定義がある訳では無いだろう。だいたいにおいて、旅行は名所旧跡を訪れもっぱら楽しむことで、旅はある目的地に着く為にはるばる移動して行くこと、ぐらいの感じをもっているのではないだろうか。これは私の勝手な解釈だが、基本的に旅行に対し旅は何らかの困難を伴っているものだと思う。さらに旅には何か哀愁のようなものが感じられる。旅行は好きで今までもいろいろな所をまわったが、なぜか旅に心が引かれる様になった。年のせいか。しかし交通機関の発達した現在の日本に於いて、旅らしい旅はもうない。新幹線やジャンボジェットを使ったのではだめだ。あるとしたら例えば、小学生が一人で初めて新幹線に乗っておじいちゃんの住んでいる田舎まで行く。これはある意味で現代日本の旅。その子にとっては大変な不安や驚きが有り、また無事おじいちゃんに会えた時の達成感や喜びでいっぱいの経験が得られるだろう。では子どもではない私たちには旅は無いのか。

 野宿旅とは現代日本の旅の一つである。

<野宿旅は自由である>

 野宿旅は野宿する事を目的とする旅という意味ではない。目的は飽くまでも旅全体である。野宿そのものは旅の空で一夜を過ごす為の手段であり、旅の一要素である。しかしこの旅に於いて野宿は非常に大きな意味を持っている。

 普通の旅行ならその日の宿泊先はたいてい予約して決めてある。旅行先や会社の出張先などで泊まる所が決まっていない程不安な事はない。日帰り出張の予定が仕事がうまくいかずに結局夜中までかかり、急きょ泊まらなくてはならなくなった時などは大変である。慌てて電話帳などで調べて旅館やホテルに予約を入れる。何件電話をしても満室で断られると焦らされる。また初めて訪れた所では地理が不案内で、やっと予約が取れたホテルがなかなか見つからなかったり、検討外れの遠い所にある旅館を予約してしまったりする。また前もって予約を入れ地図で大体の所在さえも確認しておいた場合でも、実際に現地に行ってみるとなかなかホテルが見つからず、車で町中をさんざん走り回ってうんざりしたという経験がある。それほど旅先での宿泊場所は重要で旅の成功のカギでもある。

 しかし一方宿泊場所が前もって決まっていると旅の自由さが損なわれてしまう。ホテルや旅館の予約は安心をもたらすが、予約はまた足かせともなる。旅の途中、気に入った場所を見つけても、夕方までには目的の宿泊場所まで移動しなければならない。もっとゆっくり眺めていたい景色に出会っても時間を気にして立ち去らなくてはならない。

 野宿旅は自由さが信条である。なるべく勝手気ままに、思いのままに、臨機応変に旅をする。その為には予約などというものは無用である。

 ある年の夏休み、東北を抜けて北海道まで渡ろうと旅に出発した。初日はなるべく距離を稼ぎたいので東京から盛岡まで高速道路をひた走る移動日とした。渋滞も予想され、盛岡に着くまでには日が暮れるだろう。日暮れてから野宿地を探すのは大変である。また長距離移動で疲れる事もあり、初日だけは盛岡にホテルを予約した。その日の目的地がはっきりしているという事は、自由さと引き換えに安心感が得られる。自分を受け入れてくれる場所までただただ移動すればよい。野宿をするという興奮や緊張が無い旅が始まった。朝早く出発したが東北自動車道に乗る前の一般道で既に渋滞は始まった。夏休み真っ盛りに東北方面に出かけるのは今回が初めてである。高速道路も当然の渋滞であるが、東京から離れれば渋滞は徐々に緩和していくものと思っていた。行楽関係で非常に混む中央自動車道も、下りは小仏トンネルあたりを過ぎてしまえば順調に流れだし、名古屋に近づくまでは渋滞に悩む事はない。東北自動車道も同じようなものと思っていたが、おお間違いであった。東京から盛岡までの間渋滞の大波が次々に襲ってきた。一つの渋滞をやっと抜けたと思うとまた次ぎに何十Kmという大型の渋滞が待ち受けている。ハイウエイラジオから流れてくる交通情報は私を唖然とさせた。しかもその日はその夏、帰省客で一番混雑した日であったようだ。日が暮れてもいつ目的地に着くか検討もつかない。ホテルには夜7時頃に着くと予約したので、遅くなる旨電話をいれる必要がある。サービスエリアに寄り、電話待ちの列に辛抱強く並んで電話する。夕食を取りたいがレストランは満員。仕方ないので五平餅と缶コーヒーを買い、車の中に入って食べる。長時間の運転で非常に疲れた。しかもあと何時間も掛かるだろう。うんざりすると同時に腹立たしくなってきた。こんな思いをする為の旅ではないはずだったのに。その時車の窓越しにサービスエリアの一画にある芝生の上に何張りかのテントが見えた。ちゃっかりこんな所で一夜を過ごそうと言う訳だ。その気になれば何処ででも野宿はできる。私は野宿旅の本質を忘れていたのを思い知った。


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