サラリーマン野宿旅
今回の例は行き当たりばったりの野宿である。
野宿旅ではよく旧道を好んで通る。古くは道幅が狭くカーブが多い道が、立派な橋や長いトンネルによって生まれ変わる。その時元の道が跡形もなく消え失せてしまう場合もあるが、うまくすると新道が旧道をバイパスするような形で作られ、元の道は旧道としてそっくり残るケースがある。
それが仮に国道であっても旧道になってからほとんど使われず、人がほとんど来ないことがある。そんな旧道を訪れた折り、脇にテントが張れそうな場所があればそこで野宿してしまうのだ。
9月20日、かねてより一度行ってみようと思っていた恵那山林道へアプローチしていた。恵那山林道は長野県と岐阜県の県境にそびえる恵那山の南西麓に位置する。道は岐阜県中津川市と上矢作町を山深い中をえぐる様に通って結んでいる。その林道を上矢作町より目指した。
単純なアプローチと思って高をくくっていたらひどい目に合った。白井沢に掛かる橋に書かれていた飯田洞川の名前に惑わされ、散々上矢作町内を走り回った挙げ句、やっと林道標識を見つけるとその先は通行止だった。
通行止はある程度予想していたが、恵那山林道で野宿しようという目論見は消え失せた。またその周辺の恵那山線以外の林道も大きな工事車輌が頻繁に通り、野宿地探しに入り込む気になれない。道を迷って時間をロスしたこともあり、もう日が傾いてしまった。今日は野宿を諦め国道を恵那市へ向かう。恵那市内で安いビジネスホテルでも探そうと思う。野宿旅は必ず野宿をしなくてはいけないという掟はないのだ。
恵那市に通じる国道275号は上矢作町と岩村町の町境を新しいトンネルで抜けている。そのトンネル手前に左へ旧道が分岐している。迷わず旧道に入る。旧道区間は全部でも2〜3Km程度、直ぐに旧道の短いトンネルを抜け、岩村町に入った。トンネル手前に峰山方面への分岐があるが、トンネルの後は新道と合流するまで分岐はない。沿道に人家もなく、道はにわかに旧道の雰囲気を漂わせる。道の両脇は草が伸び、アスファルトにも枯れ草が溜まり始めている。通る車もない。
ふと横を見ると狭いながらもテントが張れそうな場所がある。野宿心が沸き上がってきた。念のため新道と合流する所まで、もっとよい野宿地がないか調べに行く。しかし無駄と分かって引き返してきた。今日はここにテントを張ることとする。
テント設営の間、道路のほうが気になる。旧道といっても元は国道。通行する人にこんな所でキャンプしているなどと思われたくない。しかしテント設営から夕食を作って食べ、最後にテントに潜り込む間に1、2台の車しか通らなかった。
テントに入ってしまえば何処でキャンプしていたって大して変わりはない。道端だろうが、どこか素晴らしく眺めが良い場所だろうが。見える物はロウソクで照らし出されたテントの中だけである。夜中さらに数台の車やバイクが通った記憶がぼんやりある。そして変な夢を見た。テントから出ると周りは花見か何かで多くの村人で賑わっている。そして皆と一緒に盆踊りの様な踊りを踊らされるのだ。一体何のことだろう。どちらにしろあまりよく眠れなかった。
朝方、露でテントは雨が降られた様に濡れていた。テント内に置いてあった手帳なども下に接していた面がびっしょりである。いつもの様に野宿道具を片づけ、即席ラーメンの朝食を取る。まだ日が昇ったばかりなので一台の車も通らない。ついでに生理現象の処理をする。大きいほうである。シャベルとトイレットペーパーを持って奥のほうに散歩に行く。ここらでいいと思って振り向いたが、まだ道路から丸見えである。面倒なのでそこで済ます。どうせ誰も通らないのだから。ところがその真っ最中に1台の軽トラックがやって来た。よりによって置いてあった私の車でも不信に思ったのか、そこで止まってこちらをうかがっている。私にはなすすべがない。こちらに気付き、事情を悟った軽トラックはやっと走り去っていった。やはり場所選びに横着はいけない。