サラリーマン野宿旅
野宿旅では一般のキャンプ場には泊らないのが仁義である。しかし何にでも例外はある。無料で、管理人やキャンパーも誰もいなくて、ロケーションが良ければその限りではない。しかしそんな虫がよいことなど滅多にない。そんなキャンプ場、探そうとしたって探せるものではない。だが偶然に出会うことはある。それは常日頃の野宿道の精進の賜物である。
7月23日、北海道の道南地方を旅してた。午前中、前菜として1、2本の林道走行を済ませ、午後には今日のメインディッシュに向けて進んでいた。
それは上磯町茂辺地(もへじ)と厚沢部(あっさぶ)町を結ぶ梅漬峠越えの道道29号である。ここは長い未舗装路が期待出来る。国道228号から分かれて茂辺地の町中を抜け、江差線の線路を越える。道は茂辺地川に沿って北西に伸びている。進むに従いだんだん家がまばらになる。代わりに田や畑が広がりを見せ、その行く手に山並がそびえてくる。林道による峠越えの道などを行く時の、こうしたアプローチが私は好きだ。そのうち道はだんだん悪くなり、谷が狭まり山が迫って来るだろう。さらにその先にはどんな道が待ち受けているだろうか。どんな景色を眺める事が出来るのだろうか。まるで素敵な音楽の前奏を聞いているようだ。期待が膨らむ。
とその時前方にいやな物が見えてきた。間近に車を停めて恨めしく見上げる。通行止と書かれた看板である。開通未定とある。しばらく通行止が続いているようだ。毎度の事ながらがっかりする。しかしたかがこんな看板ぐらいで引き下がってはいけない。通行止と出ていながら通れた例もしばしばある。行けるとこまで行くのが野宿旅精神だ。
数キロ進むと左手に公園らしき広い敷地があった。湯の沢水辺公園とあり、キャンプも出来るようになっている。管理者はおいてなく、自由に使っていいようだ。トイレや水場は真新しく、公園自体出来たてだ。ここに来るまで公園の存在を知らせる看板等はなく、地元の人以外まだ知られていない穴場かもしれない。通行止の看板で引き返していたら、ここは見つける事が出来なかったのだ。
この湯の沢水辺公園には柵がほとんど無い。茂辺地川の川原までも歩いて行ける。非常に広く開放的で、公園の境界が曖昧なのがいい。それに雨のせいもあり、人もほとんど来ない。今も不信な車が一台公園内の狭い車道をゆっくりぐるぐる回っているだけだ。どうも車の運転の練習をしているらしい。むこうにしてみれば私の方がよっぽど不信かもしれないが。
公園を後にとにかく先に進む。道道29号は起点より7Km程で未舗装となり、まもなく東股川沿いの林道への分岐の先で敢え無くゲートにより通行止となった。やはりだめか。メインディッシュを食いそこなった。ここがだめとなるともう今日は行く当てが無い。雨もしとしと降っていて、これ以上他の所へ行く気もしない。それに何をおいてもあの絶好なキャンプ地を逃すのがもったいないではないか。キャンプすることとする。
野宿旅では野宿のぎりぎりまで、どこにテントを張るのか分からないのが常である。しかし今日は早々と決めてしまった。その日の寝ぐらが確保されているということは非常に心強いものだ。気持ちにゆとりができる。公園まではゆっくり、途中にある函館教育体験の森林(もり)などで道草をしながら戻る。
公園内のキャンプ場はきちんと区画されている。一区画に車一台と、テントを一張りするスペースがある。しかし誰もいないところで、そんな律義な野宿はしたくない。トイレや水場から離れて、わざわざ公園の端の方にテント設営の場所を定めた。
余談だが、夕暮れまで時間がたっぷりあるので茂辺地の町に買い出しでもしようと出掛けた。茂辺地の町は江差線茂辺地駅の周辺に線路と国道の間に挟まれて小じんまりとある。狭い町内を回っていると、2件床屋を見つけた。丁度髪が伸びていて、ドライブで風に吹かれると邪魔くさい。都合がよいと片方の床屋に入るが店内には誰もいない。控えめに声を2度ほどかけてやっと主人が出て来た。「やってもらえますか」とおとなしく聞くと、今は休憩中だと断られた。外には例の床屋の青と赤のマークが回っているし、営業中の札も掛かっている。どうもふに落ちないまま、キャンプ地への帰路についた。
道々考えた。今の私の格好は完全な野宿仕様である。髪は櫛をいれずぼさぼさのまま。髭も十分にはそっていない。うす汚れたTシャツに色褪せたジーパン、泥だらけの靴。しかもここらで見かける顔ではない。どうも不信人物と思われたのではないか。さっそく途中で車を停め、持っている服の中で一番上等(といっても普段着以下)な物に着替え、いい方の靴(といっても泥の付きかたがやや少ないだけ)に履き替える。
町中仕様に変身してもう一件の床屋に入るが、ここも店内は電気が消えて空っぽ。でも声を掛けると直ぐに2十台後半とおぼしき男性が出て来て、難無く散髪にありついた。感じのよい青年で少し話をする。それによると例の厚沢部への道は、平成5年の北海道南西沖地震で不通になったもので、しばらく開通の見込みは無いのではないかとのこと。
明らかに一見の客と知りつつも、散髪は丁寧で3千円の料金は安い。さっぱりした気持ちで野宿地に帰れた。
その夜雨がひどく降った。夜中の2時にテントを叩く音があまりうるさいので目が覚める。
こういう時は耳栓をする。私は野宿に耳栓は必需品だと思っている。昼間気にならない川の音も、夜間には耳につく。そのほか海辺の波の音、風の音、雷、そして今日のような雨。熟睡できるかどうかは野宿旅を続けていく上で重要なポイントである。しかし耳栓は必要な音も聞こえにくくしてしまう。音は危険の前兆を知る上で重要なものである。安全な場所以外で耳栓は使えない。危険と言えば北海道はヒグマが恐い。幸い仮にもここはキャンプ場。まさか熊が出没することはないだろう。
少し様子を見にテントの外に出た。空は厚い雨雲に覆われているのか、星明かりも無い真の闇である。付近に人工的な明かりは全く無い。懐中電灯を向けた先の草木だけが、気持ち悪く闇夜に浮かび上がる。ほんとに熊は来ないだろうか。突然薮の中から出て来るのではなかろうか。恐くなってさっさとテントに潜り、耳栓をしっかりして目を閉じた。