サラリーマン野宿旅

野宿実例集 No.08  東屋などを利用した野宿


 テントは耐環境性が低い。雨や風に非常に弱いのだ。そこで東屋や展望所などあれば大いに利用する。


市民運動場 野球場脇の展望所を利用
1992年10月21日岐阜県中津川市の市民運動場にて

 その日は神坂峠を目指して中津川市街方面より細い道を上っていた。日暮れが近いので峠越えは明日にし、どこかに野宿地を見出そうとするも、暗く狭い道が曲りくねっているばかり。途中運動場の標識を見つけてとにかく行ってみることにした。

 そこには山を切り開いた広場に野球場があり、トイレも使える状態にあった。あまりこうした人工的な場所は好まないのだが、このように開けた場所は他に見つかりそうにない。それに今日はこれ以上こんな山の中に野球をしに人がやって来る心配もないだろう。そこを野宿地と決定した。

 広場の片隅に展望所があった。その中にテントを張ろうと試みたがスペース的に無理があり、やむなくテントはその近くに張ったが、夕食などはその展望所を大いに利用した。こういう物は利用してこそ価値がある。夕食を取りながらそこから眺めた夕日は奇麗であった。こんながら空きの建物でもその中にいると案外落ち着けるものなのだ。


君尾山キャンプ場 君尾山キャンプ場にて1992年10月9日
キャンプ場の一角にあった東屋の中にテントを張る

 西に向かって長い旅をしていた途中、京都府綾部市を通りかかった。その日の野宿地をどこで見つけ出そうかとツーリングマップを調べていると君尾山(582m)という所にキャンプ場のマークがある。車道が頂上近くまで伸びており、眺めも良さそうだ。早速その道に入り込んだ。

 キャンプ場は山道を登った山頂にあるのかと思っていたら、なんと都合が良いことに車道脇にあるではないか。車道は君尾山の頂上近くを通って更に先へ伸びている。念の為車を少し進めてみたが野宿に適した場所がない。無断使用になるがその君尾山キャンプ場で野宿することにした。

 10月に入りもう一般にはキャンプの季節ではなくなっている。夏休み中などには子供たちで賑やかだったろうが、今はひっそり寂しいキャンプ場である。キャンプファイヤーに使う薪などもきちんと片づけられ、また来年の季節到来を待ってる。当然誰もいない。ひねくれ者なので、こういうキャンプ場なら喜んでキャンプする。自分一人の貸し切りである。

 どこにテントを張ろうか考えていると、キャンプ場の一角にある東屋が目に付いた。天候があまり良くなく、場合によっては夜半に雨になるおそれもある。やや苦労したがその東屋の中にテントを張った。しっかりした屋根に守られ、これで安心して眠ることができる。

 翌朝は麓が霧の海で埋め尽くされ、幻想的な景色を眺めることができた。


五色湖ロッジ 秋田県田代町五色湖ロッジ泊の翌朝1994年8月16日
りっぱなロッジ。しかしこの中に泊まったのではない。軒下にテントを張ったのだ。

 その日は秋田県と青森県の県境の峠、長慶峠を目指すつもりでいたが、カーラジオはその付近一帯に大雨洪水雷警報が出されていると報じている。注意報ではなく警報である。ここは秋田県田代町の岩瀬ダム近く。この先峠までは岩瀬林道を行くことになるが、警報通り時々激しい雨が降り、雷の稲光もする。こんな天候では林道走行は諦めるしかない。それより何より今夜の野宿が問題である。

 ダム湖近くの駐車場に車を停め、激しく降る雨を見ながら思案する。大雨に対してはいつも使っている4、980円のテントではもちそうもない。しかしそれはこういう時の為にと奮発して買った4万円以上するテントを使えばいい(はずだ)。問題は洪水と雷である。夜中に洪水や土砂崩れの心配をし、雷の稲光や雷鳴にびくつくのではかなわない。場所を厳選しなければならない。迷った末、意を決して比較的安全そうな湖畔の広場にテントを張ることにした。

 雨の中テント設営に手間取る。それに旅の疲れが出て来たのか、体がだるく熱もある。その上なんとやっとテントを張り終える頃には、大雨でテントの周り一体がみるみる水田の様になっていった。これでは高級テントでもかたなしである。到底こんな所で野営はできない。テントを撤収する気力もなく、その場を逃げ出した。

 近くに木造の比較的新しいロッジがあった。表札には「五色湖ロッジ」とある。誰かいないかと思ったが、窓からのぞいても明かりは点けられてなく、人の気配はない。当然鍵が掛かっていて中には入れない。しかし軒下のコンクリートの上にどうにかテントが張れそうだ。早速残っている安物の方のテントを設営する。こんな軒下でも雨風はある程度防げるし、洪水や土砂崩れ、雷の心配はない。

 寝床が確保できたら、4万円のテントが心配になった。もう一度水浸しの広場に行ってテントを丸めて畳んで車に突っ込み、ロッジに戻って来た。しかしそんな事をして疲労し雨にも濡れた為に、いよいよ体の具合が悪くなった。テントの中でぐったりと横になったきり、夕食を取る元気もなくただじっと夜を待った。

 夜が更けるにしたがい頭痛や吐き気、腹痛も始まった。胸も苦しい。熱を下げる為タオルを水に濡らし額に置く。少しまどろんでは雨の音にまた目が覚める。人の助けが欲しいとは思うが、この体では人家のある所まで行くこともできない。しかし幸いに苦痛はある程度までで、それ以上はひどくならなかった。これなら耐えられる。熱のせいか、この程度の苦痛を我慢するだけでこのまま死ねるならそれもいいと思った。今死んでも何も心残りがない。もっとやりたいことやもう一度逢いたい人が自分にはないなと思った。

 夜半には雨も弱まり、夜明けまではある程度眠れた。目が覚めると体の気だるさは残ってはいるものの、熱も下がり起き上がることができる。昨夜は余計なことを考えたようだ。気を取り直して旅を続けるとする。


天竜の森避難小屋 静岡県天竜スーパー林道途中天竜の森避難小屋
1992年10月22日泊。翌朝朝日が当たる。

 この時は東屋やロッジの軒下などではなく、ちゃんとした小屋に泊まることができた。

 西への長い旅の帰り、静岡県の天竜スーパー林道を走行中おあつらい向きに林道脇に避難小屋があった。その竜頭山の近辺は天竜の森として林間広場等が整備され、その一環として建てられたまだ新しい避難小屋であった。中をのぞくと誰もいない。少しの土間とあとは板の間で、「天竜の森」というパンフレットが置かれていた。もう10月下旬で標高も1000mを越えるこの付近では夜はかなり冷え込む。こういう小屋は助かる。

 長旅でコンロのLPガスも切れ、冷たい夕食をとった。板の間にアルミマットを引き、安物の薄いシュラフを2枚重ね、持っている衣服は着れるだけ着て、あとは足元や胸に掛けて寒さに備えた。ローソクの明かりで照らし出された夜の小屋の中は薄気味悪い。板の間は平ら過ぎて腰のあたりが持ち上げられる様でかえって寝にくい。しかし動くと冷気がシュラフや服の隙間に入って来るので寝返りも打てない。早朝は予想以上に冷え込んだ。がたがた震えがきて、何度も目を覚ました。

避難小屋の朝 避難小屋の朝

 翌朝は見事な晴天だった。西への旅に出て17日目の真っ赤な太陽が昇る。やや疲れも溜り、またもう野宿するには厳しい季節になってしまった。この旅もひとまず今日で終りとし、家路を急ぐとする。


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