サラリーマン野宿旅
道は良くなってはいるが、まだ周囲に建造物がずらりと建ち並んでいる訳ではなく、町中などに比べれば自然に囲まれて雰囲気はとてもいい。峠よりさほどの距離もないところで、道の脇に山を切り崩して整地した広場があり、面白そうなので思わず車を乗り入れてしまった。時刻は正午を2時間ほど回ったくらいで、野宿地に落ち着くにはまだ早い。でもとにかくこの場所が気に入ってしまった。急ぐ旅ではないし、たまには一個所にゆっくり落ち着く野宿もいい。
広場は道に隣接しているが、路面より1mほど高くなっている。それに背が高く伸びた草が密集して生えているところがあり、それをうまく利用すれば人目につかずにテントが張れそうだ。いつもよりじっくり場所を選んでテントを設営する。次は焚き火の準備だ。何と言っても野宿に焚き火は欠かせない。広場をあちこち歩き回って薪を集める。あまり豊富ではなかったが、それでも一晩楽しむには充分な薪を集められた。通常は面倒なので、かまどを掘ったりはしないのだが、この時ばかりはたっぷり時間がある。テントの近くに風向きなどを考えて土を掘り、石を並べて小さいながらもかまどを設える。そんな野宿の準備の最中に一台のオフロードバイクが広場に入ってきた。荷台には野宿道具が積まれている。そのライダーも野宿地探しを目的で来たのかもしれない。しかしこちらに気付くと広場を一周してまた出ていった。悪いが今夜はこの場所は私一人の貸し切りにさせてもらう。同じ野宿旅でも一緒に野宿しようとは思わない。お互い誰の気兼ねもいらない様にと出掛けた一人旅であるのだから。
夜を迎える準備ができても、まだ日は残っていた。そこで広場の周辺を探索する。広場の隅の一画には山を切り崩してできた崖あった。最初思わずこの広場に入り込んだのも、実はこの崖が目に付いたからだった。低いが簡単には登れない崖で、ちょっとしたロッククライミングの気分が味わえそうだ。そう言えば小学生の頃、これと似た近くの丘の崩れて土が露出した急斜面で、秘密基地ごっこなどをよくやった。あまりにも急な斜面なので、小さな子供にはそのままでは到底登れない。そこで学校がひけた後、仲間と言い合わせて、それぞれ家から小さなシャベルなどを持ち出して、みんなで丹念に階段などを造って登るのである。楽しくて時間の経つのも忘れ、暗くなるまで遊んだ。もしその光景を母親達が見たらびっくりして悲鳴をあげただろう。小規模ながら崖崩れが起こった現場に幼い息子らが張りついているのである。当然ながら暫くして学校の指導か何かで、その場所は立入禁止となった。仕方がないので子供等は秘密基地を別の場所に移したのだが、詰まらないので直ぐに秘密基地は閉鎖とあいなった。
現代は遊園地やテレビゲームなど、子供の遊び道具は豊富になる一方で、自然の遊び場は少なくなっていく。ジェットコースターなどの乗り物がなくても、ただ広い草地があり、ちょっと冒険心をくすぐる崖でもあれば、それで子供は十分に楽しめる。自然にある石や木を使って泥だらけになりながら、いろいろ工夫することの喜びは何にも代え難い。自然の中で体で感じる面白さはテレビゲームの比ではないと思う。崖を登っている最中の、あの足がすくみそうなスリルには何とも言えないものがある。広場の一画にある崖を見上げていたら、思わず登ってみたくなった。しかし1mほど登ってやっぱり止めた。かなり手強そうな崖だし、ここで怪我をしたら、この先旅が続けられなくなる。それに怪我をした理由を人に説明できない。大の大人が意味もなく崖を登って落ちましたとは言えないではないか。諦めてテントに引き返す。
暗くなり始め、滅多に車も通らなくなってから、おもむろに焚き火を開始した。面倒なのでいつもは焚き火をしても、夕食はポケットコンロで作ってしまうのだが、今回はかまどを準備したので、焚き火を使って夕食の仕度をする。なかなかうまく鍋を火に掛けられないで苦労する。鍋が安定する様に石の積み方を変えてみたりする。へたをするとすすで鍋の底が真っ黒になる。風向きが乱れ、テントの方にも煙が流れてきて、煙たくて逃げ回る。鍋に灰が入ってしまった。普段やりなれていないのでなかなかうまく食事が作れない。しかしそこがまた楽しいのだ。自然の中でそこにある物だけで工夫する。不便さを楽しむ。
食事も終わり、秋の夜長を焚き火で過ごす。日が落ちればもうめっきり肌寒く、ジャンバーを着込み、焚き火に手をかざす。考えてみれば、こうした野宿も子供の時の秘密基地ごっこの延長の様なものである。大人になって野宿旅などと言っても、体好く子供の遊びをしているのである。