<初掲載 2000. 6.27> <修正 2019. 7.4> |
電子メールを頂いた方から、「どこそこにいいキャンプ地がないですか」と、時々問われることがある。そんな折り、どう返信したらいいか悩んでしまう。 |
ところは静岡県静岡市井川。お気に入りの土地だ。だから野宿の回数も多くなる。野宿地は大井川の上流にある井川湖の、更にそのまた上流にある。 |
右に大井川の渓谷を眺めながら走ると、途中畑薙第二ダム、畑薙第一ダムが次々と姿を現す。 以前は畑薙第一ダムの堰堤を渡った所で一般車通行止であったが、現在は湖の左岸をもう少し上流まで行ける。 |
道路脇には所々に高速道路のキロポストのようなものが立っている。それは南アルプス公園線の終点を0kmとした距離を表したものだ。 終点の地は南アルプスの登山基地となっている。道路脇に設けられた駐車場には、季節ともなると登山者の車がズラリと並ぶ。 目の前には南アルプスの山がそびえ立つ。登山をしなくても、キャンプのついでに一度は訪れてもいい所である。 |
車のかげにある管理人小屋に、おじさんが一人暇そうにしていた
<撮影 2000. 5. 5>
南アルプス公園線の途中には赤石温泉白樺荘がある。キャンプの合間に一風呂といきたい。 しかし営業時間が午前10時から午後4時までと短いのが難点だ。 |
営業時間が短いので、これまで1度も入れたことがない。この時も、もう誰も居なかった。
<撮影 2000. 5. 5>
それでは、肝心なおすすめの野宿地であるが、井川湖の上流で小河内(こごち)への分岐を右に見てから、幾つかのトンネルを抜けた先で、右に河原に下りる道がある。 その分岐は最近できた大綱トンネルのやや手前である。狭い道だが他に間違える道はないので、注意していれば必ず見付かる。 |
ここより大井川の河原に急降下する
<撮影 2000. 5. 5>
道の入口には下のような看板が立っている。キャンプ禁止などと堅いことを言わないのがいい。自分の命のことだから、川の増水くらいならいくらでも注意する。
道は以前は未舗装だったが、今は下の河原まで完全舗装である。でも道幅は以前のままなので、対向車がやって来ないことを祈ることになる。
河原に下りる直前に、何かの建物らしい跡がある。以前はもっと痕跡がはっきりしていたと思うが、今はほとんど気付かれないくらいになっている。
怪しげな建物であったような気がしてならない
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降り立ったところは広い河原である。やはり野宿地はこの様に空が開けた明るいところがいい。 地面は石ばかりでなく土や草地の部分も多くあるので、テントを張るのには都合がいい。 ただし、いい場所は当然人も多く来る。キャンパーも居るが、それより釣などをして遊びに来ている者が多い。 昼間は賑わっているが、日が暮れてくると三々五々家路に着き、夜をここで過ごす者は意外と少ない。 |
今年の5月の連休にも、3度目か4度目の野宿をここでしたが、薄暗くなると釣人や子供を連れで遊びに来ていた家族らの車は、次々と河原を後にした。 結局テントは私以外に離れた所に一張り見えるだけである。ところが、こちらのテントの近くに後からやって来て、いつまでも居座っている2組の若いペアが居た。 どうも目障りである。4人で盛大にバーベキューでもやっている様だ。こちらはいつものレトルトのわびしい夕食である。とっぷりと日が暮れても、まだ帰る様子がない。 こちらはさっさとテントにもぐってしまった。そしてもう、うつらうつら眠り掛けた頃になって、ようやくヘッドライトの光がテントをかすめ、車のエンジン音が遠ざかっていった。 やっと、心静かな夜が訪れたのであった。 |
近くに昨夜は見掛けなかった3台のバイクと一つのテント、右端にあるのは簡易トイレ
<撮影 2000. 5. 6>
野宿の朝は早く起きる。特にこの様にいいキャンプ地は人が押し掛けて来るので、その前に撤収してしまいたい。
いつものことだが、朝一番にテントを開ける時は、何となく不安なものだ。
夜中のうちにテントの周囲で何か異変でも起こっていないかと、恐る恐るテントのジッパーを開け、顔をのぞかせる。
すると、近くに昨夜にはなかった3台のバイクが置いてあり、その傍らにテントも一張りあった。どうもこちらがぐっすり寝ている真夜中になって、やって来たらしい。
それ以外は異常なし。すがすがしい河原の朝である。 |
奥の三角屋根の建物がトイレ、立派で清掃が行き届いている
<撮影 2000. 5. 6>
こうした正規のキャンプ場ではないところで野宿すると、確かにトイレで困ることになる。女性なら言うまでもないが、男でも「大きい方」は処置が難しい。
しかし「おすすめの野宿地」と言うからには、その点は抜かりがないのだ。野宿地から車で数分の所に、公衆トイレの立派なのをちゃんと見付けてある。 |
ところでさっきから、「てしゃまんく」とか「てしゃまんくの里」とか出てきたが、何のことかと思われるだろう。
トイレがある駐車場脇に案内板があるが、なんでも井川の里(田代の里)に住んでいた力持ちのことらしい。
手者万九と書き、「三十人力 手者万九居士 寛永ニ年」という墓石も里に残っているそうだ。
看板に書かれている冠石のエピソードを読むと、単なる力持ちというだけではない。手者万九とは手の達者な知恵者を意味するらしい。 |