現在地は静岡県佐久間町の県道290号上である。水窪町の方からホウジ峠、二本杉峠と越えて来たところだ。地図を見ると佐久間町と龍山村との境の近辺に、林道がごちゃごちゃ走っている。まだ行ったことがない地域なので様子は分からないが、林道が多ければ野宿地も見付け易いだろうと、そこを目指すことにした。
手始めに中部天竜駅の近くから始まっている半陽林道というのを通ることにした。中部天竜駅は何度か訪れているので、迷わず辿りついた。わざわざ駅前まで行き(実はちょっと道を間違えて駅前に出てしまったのだ)、挨拶がてらに駅の様子をちらっと見て、また引き返してきた。駅や駅の周囲はあまり変わっていない様子だった。自宅の最寄駅の周囲などは、最近も28階建てのショッピングビルができたり、道路改修で道幅が広くなったりと、目まぐるしい変化である。それとは随分対照的である。
もう20年近くも前になるか、鉄道を使って旅をしていた時のことを思い出した。ひとり中部天竜駅に下り立ち、さてそれからどこに行く当てもない。しばし考えた後、それ程遠くはない所に佐久間ダムがあるようなので、歩いて行ってみることにした。旅の荷物をそのまま背負い、ダムへの道をとことこ登って行く。その頃はまだ歩くことはぜんぜん苦にならなかった。しかしダムまでには幾つかのトンネルが立ちはだかった。歩道のないトンネルで、照明もなく真っ暗だ。時折通る車に肝を冷やすしまつ。結局そのトンネルがいやになって途中で引き返してきた。
そんなことはよく覚えているが、その後どうしたのか全く記憶がない。メモをとったり、写真を撮る習慣さえもなかったので、旅の記録のような物は今となっては何一つ残っていない。多分、ダムを見ることもなく、どこかふらふら放浪したのだろう。今ならダムまでジムニーを使ってあっという間であるが、相変わらず放浪していることには何ら変わりはないのであった。
駅は見付かったが、肝心な林道の入口が分からない。使っている13万分の1の地図では、難なく見付けられそうな程単純に描かれているが、実際は地図にない狭い道が縦横に走っている。勿論道路標識など皆無である。行止りに迷い込んだりしながらも、感を頼りに道を探す。やっとそれらしい道に出て、山を登って行く。林の中の暗い未舗装路で、沿道にはいい野宿地はなかった。しかしまだまだこれからである。
半陽林道らしき道を登りきると、不意に県道の様な立派な舗装路に飛び出した。嫌な予感である。人がやって来ない様な辺ぴな林道を期待していたのに、当てが外れたようだ。近くに開通記念碑があり、そこが佐久間林道であることが確認できた。仕方がないのでその佐久間線を更に西へ走る。その先には和山間林道があるはずなのだ。
佐久間線はどこまで行っても舗装されていた。一応その途中でも野宿できる所はないかと探したが、入り込める支線林道もなく、さりとてこんな舗装道路の脇の空地にテントを張るわけにもいかず、ただただ先を急ぐだけであった。
しぶしぶ佐久間林道を引き返しながらも、どこかに野宿できないかと、キョロキョロ沿道を見回す。道路脇に鉄塔が立てられた空地などがあるが、どうにも車道に近すぎる。テントを張るべき所ではないと、長年の野宿の勘が訴えている。
行く時にも気付いていたが、神妻という名の神社がひとつあった。立ち寄ってみると、トイレも水場もあり野宿には好都合だ。しかし境内にテントを張って、万が一人がやってきたら体裁が悪い。さりとて、この先野宿地探しで苦労もしたくない。迷ったが、もう少し林道を東へ走ってみることにした。
半陽林道の分岐を過ぎ、更に進む。途中で車を道路脇に停め、何やら野草でも探している人を数人見掛ける。それ以外には、すれ違う車は1台もない。舗装された県道のような林道だが、崖崩れで通行止ということもあり、この道を使う者はほとんど居ない様だ。
あと数kmも行くと国道に出てしまうという所までやって来て、やっと決心が固まった。あの神社で野宿しよう。この様子なら神社の方まで来るものは居そうもない。居たとしても野草を探しに来た中年のあばさん達くらいなものだ。
下の境内の木立の一画にテントをしつらえた。車から荷物を持ち出し、チェーンを跨ぎ、テントサイトまで往復するのはやはり苦労だった。テントを張り終わるとそれまので旅の疲れも溜まっていたのか、体調がどうも優れない。異常なまでに気だるく、気持ちが悪い。境内の一画にある水場の脇に陣取り、腰を下ろして暫くじっと休むことにした。神社の境内は西に向いて開かれた場所にあり、もう直ぐ山に沈もうとする西日が斜めに差し込んで来る。そんな景色をぼんやり眺めていた。
こうしている自分は何者だろうか、こんなことをしていて楽しいのだろうかと思う。しかしこうして眺める山の夕日は、普段の生活では得られない景色だ。都会の喧騒など全く聞こえない山の中で、こうしてひとり静かに夕暮れのひと時を送れるのは、やはりいいことなのかもしれない。
真夜中にけたたましい車のエンジン音やタイヤが軋む音に腹を立てたり、テレビで流れるむごたらしい犯罪報道に気分を害したりすることはここではない。会社の面倒な人間関係も、しばし思い出さずに済む。今の様に体調を崩すことがあっても、煩わしい人との関係を絶ち、自然の中で過ごす方がましだ。少なくともこの先、サラリーマン生活の中で時折出掛けるこうした野宿旅を止めようとは思わない。
日が落ち暗くなる前に、夕食を済ませてしまおうと、いつもながらのレトルトの食事の支度を始めた。水場の石のかめには頼りない程ちょろちょろとした水が流れ込んでいる。奥の石段を登った上には沢水が勢いよく出ているところがあったが、そこまで行く元気は今はない。片手鍋をかざし、水が満たされるのを辛抱強く待つ。後はポケットコンロに火を点けお湯を沸かし、その中にレトルトのご飯とレトルトの中華丼を入れ、また暫く西の山の景色を眺めていた。コンロの火の音と沸騰するお湯の音だけが、人工的にあたりに響いた。
中華丼を食べ、その後即席のワカメスープをいれてすする。考えてみると今日は1円も使っていない。朝も昼も夜も、手持ちの食料だけで済ませている。家から持って来たレトルトや即席物、数日前に立ち寄ったスーパーで買い込んだパンやバナナなどである。自販機で缶ジュース1本買うこともしない。車の走行距離も短かったので、ガスを入れる必要もなかった。いつもながら安上がりな旅である。
食事が終る頃には少し元気が戻ってきた。有り難い。やや心細い気持ちになっていたが、それも落ち着いた。地図を調べたり旅のメモをとったりする余裕もでてくる。車に備え付けの高度計では、ここの標高は350mくらいとそれほど高くない。最初は半袖のTシャツだけで大丈夫であった。しかし、日が傾き始めると肌寒さを感じるようになってきた。温度計は調べるたびに、23℃から21℃、19℃と確実に下がってゆく。素足だったので着替えの靴下を履く。それまでの5日間履き通した靴下はゴミ袋に入れた。旅には古い靴下を持ってきて、こうして使っては捨てるようにしている。セーターも着込み、遂にはジャンバーも羽織る程に冷え込んだ。
西の山に日が隠れ、赤い夕焼けばかりになると手元の地図を見る明るさはなくなった。テントに入ることにする。予想通りそれまで神社の前を通る車は1台もなかった。これから夜に向け、尚更人などが来る心配はないだろう。安心してテントの中で休むことにする。日が落ちてから少し風が出たようだ。テントの回りの枯れ枝がテントに触れてガサゴソ音を立てた。しかしテントは神社の境内の木立に守られ、何の不安もない夜を送れるだろう。
9時前にはシュラフに潜り込み、小さくなったローソクの炎は点けたままで目を閉じ、ウトウトし始めた。すると何やら聞きなれない虫の声が近くでする。しかし直ぐに止んでしまった。ところがまた暫くして同じ音がする。気が付いてみると、枕もとに置いたバッグの奥の中に入っている携帯電話の呼び出し音であった。最近携帯電話の機種変更をしたばかりなので、呼び出し音の設定もうまく出来ず、聞きなれない音がしていたのだ。
こんな山中で受信できるとは驚きである。慌てて携帯電話を取り出し、「もしもし」と応答する。友人の声がした。「今はテントの中だよ〜」と、野宿旅の真っ最中であることを告げる。他愛もない会話をする。さすがに受信状況は悪く、時折話が聞き取れず、2、3分後には完全に通話が切れてしまった。テントの中はまた静まり返り、会話の余韻だけが残った。
人との関係が煩わしくてひとりで旅をしているくせに、こうして電話をくれるのは嬉しく思う。自分でもあまり意識していた訳ではないが、携帯電話の電源を入れたまま、テントの中に持ち込んでいたのである。どこか人との繋がりを絶ち切れない。こんな自分でも時には人の温もりが欲しいのか。さっきの友人のことなど思いながら眠りについた。
翌朝もスッキリ晴れた。5時頃起きて、人が来る前にとまずテントを撤収し、昨日と同じ水場の傍らで即席ラーメンの朝食を始める。水がめの上には真新しいステンレス製の柄杓がふたつ、並べて伏せて置かれてあった。手前の柄杓を何の気なしに掴み上げると、柄杓の中から何か大きな虫が這い出て来て、もう片方の柄杓の中にさっと隠れて行った。その柄杓をそっと持ち上げて覗いてみると、中に大きな蜘蛛がへばりついていた。
普段、虫といえばゴキブリやハエくらいしか見掛けることはない。虫は毛嫌いする存在である。それより何より虫は大の苦手である。しかし、こうして柄杓の中に棲息する大きな蜘蛛を見ても、不思議と嫌な思いはしない。こちらは一晩この神社に泊まっただけだが、この蜘蛛はこの神社に住む主である。こちらの方が遠慮しなければならない。神社の主を驚かさないように柄杓を元に戻した。
テントサイトと車が離れていることもあったのか、野宿道具を片付けて出発できたのは6時半頃となった。目覚めてから1時間30分も掛かっている。普段会社に出掛ける時よりも長い。それにしても近頃は、野宿の朝に長い時間を掛けるようになった気がする。これまで人がやって来るのが嫌で、直ぐに野宿地を出発することが多かった。最近は少々図々しくなったらしい。
神社の境内の中には、小さいながらも真新しいトイレがあった。入口が両開きの扉になっている。よく西部劇で出てくる酒場の入り口のようになっているのだ。扉の近くには水が入った容器が肩の高さにぶら下がっていた。これを何と呼ぶのか知らないが、容器の下に飛び出ている金具を押すと、暫く水が出てきて、それで手を洗う仕掛けになっているのだ。大昔に時折見掛けたことがある。トイレの中は綺麗に清掃され、トイレットペーパーも完備であった。朝食後にはこれらも図々しく使わせてもらった。全く便利なことである。