サラリーマン野宿旅
野宿実例 No.21
 
中央構造線上の野宿
初掲載 2001. 3.17

 
 「中央構造線上の野宿」。と言っても、別に大それたことをした訳ではないのだ。いつもよくある様に、野宿地探しにアタフタし、やっと野宿できた所が中央構造線上にあったというだけのことである。
 「中央構造線」とは・・・、面倒なので省略する。
 ただ、それが最も顕著に表れているのが、長野県の諏訪の方から静岡県の佐久間町近辺まで、ほぼ南北に直線的に走る断層地帯である。その周辺には分杭峠や地蔵峠、青崩峠など、峠としても面白いものが多い。分杭峠からの眺めなどは、あまりにも不自然なほど直線的に谷間が伸びていて、これはただ事ではないと感じるのである。
 
 
 2000年のゴールデンウィークは、比較的近場をのんびり旅することにしたのだった。1週間から10日間といった、サラリーマンにとっては非常に長くとても得難い休暇は、どうしても遠くへ出掛けたくなる。そこをグッと抑え、山梨、長野、静岡といった、都心からもそう遠くない所を丹念に廻ることにした。概ね、南アルプスの西側をぐるっと回遊してくる積もりである。

 旅も半ばの4日目。前日は雨模様だったので、今回の旅では唯一のホテル泊を、伊那市内に求めた。今日は天候も回復し、長野と静岡の県境にある青崩峠を越えようと思う。
 
 以前に何度か旅した所でも、改めてのんびり訪れてみると、いろいろなものが目に止まる。何やら所々に「中央構造線」という名称が出てくる。「露頭」があると言うので寄ってみる。何だかよく分からないが、大きな断層の痕跡が地表に露出しているようなのだ。大鹿町には「中央構造線博物館」があると、看板に出ていた。これは博学の為に、ちょっと寄っていくことにする。
 
 行き過ぎた道をわざわざ引き返してまで寄った博物館では、そこの館長らしき人と長々と話しをすることになってしまった。こちらが中央構造線とは無縁でない青崩や地蔵峠に詳しく、途中の看板で聞きかじった露頭の話など交えてしたものだから、地質学の専門家か何かと勘違いしたらしいのだ。ただの峠好きとは知るよしもない。
 いろいろされる説明を、中学生以下しかない地理の知識をフルに働かせて相槌を打ち、成り行き上さも面白そうに耳を傾け、勘所をついた質問を返していたら、話はいつまで経っても尽きることがない。一般には知られていない青崩峠直下の露頭の在りかまで、事細かに教えていただくこととなった。
 最後には学術論文をコピーしてもらい、推薦図書まで購入して館を出たのは、入館から1時間20分後のことである。
 
 人間が生きてゆく時間とは、大きく掛け離れた地質学というゆったりした時間の流れの中にいて、どことなく浮世離れしている館長であった。

 
国道152号の地蔵峠行き止まり近く 
 
上村の大島河原公園を建設中
 
 しかし、こちらは人間の中でも特に時間がない日本のサラリーマンである。そうそうゆっくりはしていられない。露頭を見つつ地蔵峠を越え、しらびそ峠を巡るうちには、もう早午後の4時となった。野宿地求めて地蔵峠の上村側、国道152号の行き止まりへと進んで行った。

 そこでは折りしも大島河原公園なるを建設中。誰も居なければ広々としていい野宿地なのだが、工事関係者がちらほら見受けられる。人目があっては野宿は出来ぬ。すごすご引き返し。
 矢筈トンネルを抜け、喬木(たかぎ)村へ出てみたがダメ。赤石トンネルでまた上村に戻ってみても、途中には良さそうな野宿地が全くない。時間は5時を過ぎた。矢筈峠で一人佇み、赤石山脈を眺める気持ちにも、やや焦りが影を落とす。

 
 青崩峠への行止り国道の入り口
 
この先で野宿地が見付からないと、いよいよ困ったことになる
 
こんな所に民宿への分岐が 
 
はたして営業しているのだろうか
 
 もうとっくに諦めている青崩峠越えだが、他に進む当てもないので、国道152号を峠に向けて南下する。青崩峠は国道が通じていない。峠手前で行き止まりとなる狭い道へと入って行く。この先で野宿地が見付からないと、いよいよ困ったことになる。
 もう夕方6時を前に、中央構造線に沿う深い谷間は暗く寂しい。途中、「民宿島畑」と書かれた分岐が現れた。こんな所ではたして営業しているのだろうか。やっているなら飛び込みで泊めてもらおうかなどと、弱気も出てくる。そこをこらえて、尚も車を進める。
 
 間もなく同じ様な分岐が河原へ向かって下りていた。慌てず慎重に下ってみる。谷底が現れてくると同時に車とテントがちらりと見えた。先客がいるようだ。あまり接近遭遇したくない。
 下に到達したら、先客とは反対の上流側へ進んでみた。直ぐに砂防ダムで行き止まりとなり、こちらには誰も居ない。砂防ダム手前には車を停めてテントを張る十分なスペースがあった。

 今日もタッチの差で、詰まらぬ車内泊とならずに済んだ。しかも、周囲を見渡せば焚き火ができる枯枝が転がっている。そこはまたとない野宿地なのだった。

 
最後の最後にいい野宿地に巡り合えた 
 
焚き火もできるのがいい
 
 ここは中央構造線の谷の底
 
この谷の先には、まだ見ぬ青崩峠がある
 
 早速テントを張り、エアーマットを膨らませ、シュラフを敷いて今夜の寝床を確保。次は薪を集めに廻る。細い枯枝ばかりしかなかったが、量さえ集めれば、かえって燃え易くていい。それに、それ程盛大に焚き火をする積もりはないのだ。山火事の心配もある。細々と炎が上がれば、それで充分楽しめるのである。
 
 ひと抱えくらいの薪が集まれば、次はかまどを設える。かまどと言っても、これも大掛かりな土木工事はせず、非常に簡単な物である。小型のシャベルで地面の土を少し窪む程度にのけて、その周りに手近にある石を並べるだけである。少し大きな岩があれば、それを椅子代わりや、テーブル代わりに、かまどの側に置く。最近は、食料を入れるのにクーラーボックスを使い、それを椅子代わりにすることが多い。
 
 そしていよいよ点火である。旅の途中で出た燃えるゴミを使って、細い枝から燃やしていく。枯枝がしけっていたり、まだ生木であったりすると難しいが、大抵の場合どうにか立派な焚き火に成長してくれる。その成長過程が一番面白い。
 
 焚き火に手が掛からなくなれば、次は夕食の支度である。折角焚き火があるのだから、その火力を使えばいいと思うのだが、ついつい面倒でポケットコンロを使ってしまう。
 ポリタンクの水を鍋に注ぎ、コンロの火にかける。クーラーボックスからレトルト食品を気分で選んで鍋の水に沈める。後は温まるのをのんびり待つ。

 旅で出た燃えるゴミを、焚き火で綺麗さっぱり燃やしてしまえば、後はほとんどすることはない。地図を眺めたり、時折消えかける焚き火に薪をくべたり、手帳にちょっと旅のメモを書き込んだりするだけだ。
 今日の車の走行距離は約180kmである。のんびり旅はで、この程度で充分だ。但し、出費の方が多かった。車のガス代2,599円は仕方ないとして、本が1,550円にコピー代20円は不意な出費であった。一方、食事代はといえば、これが1銭も使ってない。朝、夕、晩の3食とも、手持ちの食料で済ませてしまっていた。
 1日の出費合計4,169円也。これでも野宿旅としては多い方なのだ。

 夕食を済ませ、食後にココアなどすすれば、もうポケットコンロなどの野宿道具はさっさと片付けてしまう。いつでもテントにもぐって寝られる体制を整えた上で、焚き火の炎でも眺めている。
 
 とっぷり暗くなったテントのある谷間から、砂防ダム越しに青崩峠方向を仰ぎ見る。細い車道がまだ登っているのが見える。しかし、それももう少しで行き止まりとなり、その先、峠までは山道しかない。明日は車を降りての山歩きである。普段より足腰には全く自信がないので、せめて体調だけは万全を期さなければならない。
 薪をくべるのを早々に止め、焚き火が燃え尽きるのを待った。そして、残った灰に土をかぶせて地面を平らにし、とどめは水をかけて後始末。テントにもぐった後も、夜更かしすることなく直ぐに眠りについた。

 
峠方向を仰ぎ見る 
 
明日は峠までの山歩きが待っている
 
 野宿の夜は、必ず何度か目が覚める。朝まで熟睡することは滅多にない。今回も、寝付きは良かったのだが、夜中になって数回目が覚めた。しかも、首筋が痛かったり、頭痛がしたり、寒気に襲われたりである。ちょっと様子がおかしい。心配しながらも、今は何も取る手立てはない。シュラフを手繰り寄せ体に密着させ、体を丸くしてただじっと眠ることに専念した。
 
 翌朝
 
また焚き火を起こす
 
 翌朝は5時前に起きた。シュラフに横になりながらテントの床を触ると、水をこぼした様に濡れている。凄い露である。これほどまでのはなかなか経験がない。慌てて床に置いてあった地図を持ち上げてみたが、既に遅く、水がしみてふやけていた。エアマットの下面やその他床に置いてあった物すべてがびっしょりだ。テントのフライシートにも、さぞかし大きな露の玉が並んでいることだろう。今朝の野宿撤収は、いつもより手間取りそうである。

 テントの外に出てみると、少し寒さを感じる。それを言い訳に、また焚き火をすることにした。露で湿った薪ではあったが、それ程苦もなく火が起きた。
 昨夜の体の痛みは、今はほとんどない。これなら今日の山歩きは大丈夫そうだ。
 ここからは見えないが、昨夜からこの地に同席しているキャンパーが居るはずである。しかし、何の気配も伝わってこない。お互い何の干渉もしないことが、一番の野宿マナーかもしれない。

 テントを撤収する。
 定番の、ラーメンに魚肉ソーセージを入れた朝食をとる。
 露を浴びて曇った車の窓を雑巾で拭く。
 さあ、車のエンジンをかけ、今日の旅の出発である。そうそう、中央構造線博物館の館長に聞いた青崩峠下の露頭も忘れずに寄っておこう。

 
前日の野宿地を見下ろす 
 
砂防ダムの向こう側
 

 
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