大抵、旅は一人で出掛ける。それが一番、自分の性に合っている。それでさみしいと思ったことはない。奥深い山の中の、寂しい林道のかたわらで、たった一人でテントを張って野宿しても、怖いと思うことはあれ、さみしさを感じることはない。そんな一人旅に慣れてしまっている。 |
でも、たまには連れのある旅行もする。2000年の夏休みは、親しい友だちと2人での北海道旅行だった。ところが、その旅行の半ばで、もらい事故に遭ってしまい、乗っていた友だちの車は走行不能になった。幸い、誰も怪我をすることはなかったが、急きょ代車に乗り換えて旅行を続ける羽目となった。
続けて更に、入院中の友だちの家族の容態が、急に悪くなったと連絡が入った。事態はかなり悪そうである。連絡がきた時刻はもう夕方遅かったので、その日は取り敢えず予約してあった小樽のホテルに宿泊した。2人で考え迷った末、翌日早く友だちは飛行機で帰ることになった。 不安な夜が明け、朝早く小樽駅に友だちを送ってから、ホテルの一室に戻り、一人ボンヤリこれからの予定を考えてみた。もう旅行は中断し、帰ってしまおうか。でもこの夏休みの混雑時期に、フェリーに乗れるか分からない。それとも思い切って代車を返却し、荷物は宅配便で送って、自分も飛行機で帰ろうか。しかし、車は別海で借りた物であり、小樽からはかなり離れてしまっている。いろいろ思い巡らすが、結論が出ない。 ウダウダしている内にチェックアウトの時間も近付いたので、仕方なくホテルを出発した。2人分の旅行カバンを抱え、ホテルから少し離れた立体駐車場へ歩いていく。足取りが重いのは、荷物のせいだけではなかった。慣れない代車の運転に気を付けながら、駐車場から車を出す。こわごわ小樽市街を抜け、一路、積丹岬方面に向けて走った。 |
途中、余市町にある道の駅に寄った。これから先の旅館やホテルの予約はもう必要ない。電話ボックスを探し、キャンセルの電話をする。ついでにフェリーの問い合わせをしてみたが、どこも満杯で、キャンセル待ちも期待できそうにない状況だった。仕方がない。予約してあるフェリーの出航日まで、このまま旅を続けることにする。
これからの野宿のために、水を確保することにした。今回の旅行では、テントやシュラフなど一応のキャンプ道具も持ってきてあった。しかし、いつも使っている20リッターのポリタンクは、普通乗用車ではがさばるので置いてきた。そこで、旅行中に飲んだジュースなどの500mlのペットボトルを沢山残しておいたので、それに水を汲むことにした。
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道の駅を出発する。昨日まで2人で冗談を言い合いながら賑やかに続けてきた旅行が、一転、一人で無口に車を走らせる旅となってしまった。ぽっかり穴が空いたかのようである。
海が見えてきた。ローソク岩が立っている。車を止めて写真を撮る。こんなパターンがいつもの一人旅なのだが、何だかしっくりこない。 積丹岬を見学する。観光客から離れて、岬の突端までとぼとぼ歩いてみた。友だちは岬や灯台が好きなので、土産にと思い写真をいっぱい撮った。神威岬にも寄った。10年くらい前に一度来たことがある。しかし、友だちは今回始めて訪れるはずだった。あんなに楽しみにしていたのに。
黙って車を運転していても何だか物足りないので、友だちが残していったカセットテープをかけた。愛車ジムニーのラジカセはもう壊れて久しい。ラジオは聞けるが、テープは鳴らない。車でカセットテープが聞けるというのは、随分便利なことだと改めて思った。車でCDが聞けるとか、TVが見えるとか、ナビゲーションが使えるなどというのは、もう想像もつかない。
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さて、夕暮れも近付き、野宿地探しの時間となった。ちょうど海岸沿いを走っていたので、どこかの浜辺ででも野宿することにしよう。
すると間もなく海水浴場が道路脇に現れた。敷地に入ってみたが、人影はほとんどない。釣りでもしに来ていたらしい人も、直ぐに車に乗って帰って行った。時間が遅いせいか、海水浴客は一人も居ない。浜辺付近はいいキャンプ地となっていた。管理人などはいる気配はなく、これなら間違いなくタダである。こういう自由な海水浴場はいい。北海道の野宿はヒグマに注意しなければならないが、国道が側を通るこんな浜辺ならその心配も要らない。迷うことなくその場を今日の野宿地と決めた。 但し、テントを張る場所はいろいろ迷った。駐車場からすぐ近くにある海辺のいい場所には、すでにテントがひと張り張られていた。どうやら男女2人のキャンパーだ。近づけばお互いに迷惑である。そこから離れた場所でいい所はないかと車で周る。なるべく海辺に近くて、それでいて車も行ける所だ。一度などあまり無理をして、危うく砂にはまりかけた。こんな時、4輪駆動なら頼りになるのに。 何とか妥協できる所を見つけ、テントを張る。日が暮れるまで、浜辺を散歩。サンダルに履き替えて、波打ち際を歩き回った。安物の健康サンダルだったので、砂が例のイボイボの間に入って、取れなくなった。足にも砂がまとわりつく。水道で洗い流そうと海水浴場の水場に行くと、何やら看板が掛けてある。何と有料であった。高々100円だが、そこをケチるのが野宿旅である。しかし、ペットボトルの水は貴重な飲料水で使う訳にはいかない。結局、サンダルは家に帰るまで砂にまみれたまま。足の砂は極力払い落としたが、テントの中まで砂が入ってしまった。 |
夜の9時になってテントを抜け出し、電話をかけに車で出掛けた。友だちに電話をする約束をしていたのだ。
海水浴場を出てまず国道を左に向かって走った。しかし、電話ボックスなど全然ありそうもない。仕方なく戻って、今度は逆方向へ進んだ。すると本目の小さな集落に店があり、そこに電話があるのが見付かった。 店先の僅かな明かりを頼りに電話をする。呼び出し音が鳴っている間、胸の中に不安が広がっていった。最悪の事態も考えられる。しかし、電話に出た友だちの声は穏やかだった。それを聞いてホッとする。友だちは予定通り帰宅できたこと、病人の様態は峠を越えたことなどを話し、電話を切った。 これで、ひとまず安心できる筈だった。しかし、友だちの声を聞いて、またさびしさがぶり返してきた。テントに戻る足取りも重い。少し離れた所にキャンプしている2人組みのテントの明かりが、今はうらやましく思えた。 何だか、とってもさびしい夜が更けていった。 |
友だちと別れてから数日後、函館港のフェリー乗り場にいた。観光客で賑わう待合室を避け、誰も来ない港の岸辺にあるコンクリートブロックの上に登って座っていた。これから青森県の大間行きフェリーに乗る。本当はもっと長距離のフェリーを利用する積もりだったのだが、予約が取れたのはこの航路だけだったのだ。大間に上陸してから先、長い陸路を延々と走って帰らなければならない。ややうんざりする。
港には随分早く着いてしまったので、長い間コンクリートブロックの上で佇んでいた。別の便の船が出航していく様子などを一人ボンヤリ眺めているしかなかった。
病人の様態が安定したので、昨夜急きょまた飛行機で北海道までやってきたとのこと。連絡の不手際で、昨夜予約してあったホテルのキャンセルがされておらず、私が来るのをホテルのロビーでずっと待っていたらしい。そして、何の連絡も取れず、会えないかもしれないのに、今日はまた函館港までバスでやってきたのだった。乗れないといけないので、フェリーの乗船券も購入してあった。しかし、徒歩で大間に上陸しては、その先どこへも行けやしない。 びっくりしたし、嬉しかった。長くつまらない帰路と諦めていたが、楽しい旅行の続きとなった。 |