サラリーマン野宿旅
野宿実例 No.24
 
小雨降る池のほとりで、しみじみ野宿
 
関田峠下の野宿
 

 
 旅の最中というのは、それほど楽しいものではない。特別に感激するような出来事が次々に起こる訳でもなく、何かウキウキする程夢中になる事を経験する訳でもない。それでも、普段の生活をしていると、無性に旅に出たくなる時がある。会社への通勤途中で、もうウンザリするほど通ったいつもの道だが、ふと見ると道の両側に立つ街路樹が芽吹いていたりする。改めて見直してみると、なかなかいい雰囲気だ。何だかどこか知らない所を旅しているみたいである。このまま本当に旅に出掛けてしまいたいと思う。

 旅の一番の魅力はやはりその自由さにあるような気がする。何に縛られることも無く、勝手気ままにその日その日を過ごせばいい。それが普段のサラリーマン生活と決定的に違うところだ。だから、たとえ旅の途中でそれ程面白いことがある訳ではなくとも、また性懲りもなく旅に出掛けたくなるのだ。

 
 関田峠付近
 
6月というのに、道路脇の林の中にはまだ雪が残っていた <撮影 2000. 6. 3>
 
 新潟県の上越市・板倉町と通って関田峠で県境を越え、長野県飯山市側に下ってきた。もう6月だというのに、峠の近くにはまだ多くの雪が残っていて、さすがに雪深い土地柄だと実感した。しかし、季節はずれの雪を眺めたこと以外は、特に名所旧跡を訪れた訳でもなく、言ってみればちょっと険しい県道の峠道をのんびり走って来たまでのことである。
 しかも今日一日の旅を振り返ってみると、この峠越え以上の特出すべき出来事など、何一つないのである。でも、私の旅はいつもこんなものだ。それで十分満足である。一日の終わりが近づき、いい峠越えができた、いい旅ができたと思えた。

 そして次は今夜のネグラを心配する番だ。今の時期は日が長いといっても、時計を見るともう直ぐ夕方の6時である。少々焦る。このまま峠道を終えて市街地に出てしまえば、野宿地探しが難しくなる。どうにかこの道の沿線で、いい野宿地を見つけたいものだ。それに、どうもさっきから雲行きが悪くなってきた。早くテントを張らないと、雨の中での設営作業となってしまいそうなのである。

 でも、そう野宿にこだわることもない。あっさり飯山市街まで下りてしまい、どこぞの安いビジネスホテルに泊まってしまってもいい。最後の手段として、ちょっと辛いが車内泊というのもある。自由気ままが旅のいいところなのだから、なるべく自分の好き勝手にすればいい。

 
田茂大池のほとり 
 
岸から水面が近い
 
 峠を半分も下って来たろうか、広々とした場所に出たと思ったら、湖というか、大きな池があった。マップルで調べると「田茂大池」とある。岸から水面までが近く、如何にも人工的な用水池といった感じである。池のほとりにちょっとした広場があり、車道からも適度に離れていて、テントを張るにはよさそうなロケーションだ。水辺を眺めながらの野宿も、おつなものである。

 ただ気になるのは、近くに車が1、2台置かれていることだ。どうやら池に釣をしに来ているらしい。相手が釣り人と分かっていれば、それ程人の目を気にすることもないのだが、やはり居ないにこしたことはない。他の場所はないかと、もう少し峠道を下ることにした。

 人家はまだ出てこないが、だんだん人里に近付いている雰囲気だ。田畑が現れだした。下の麓の方を眺めると、集落が望める。これ以上下っては、野宿地は見付からないと判断。野宿を決行するなら、あの池のほとりは、なかなか魅力的である。暫し迷ったが、池に引き返すことにした。

 戻ってみると、テントを張ろうとした池のほとりの車は一台もいなくなっていた。もう日も暮れかかり、ちょうど釣り人達が家路につき始めたのだ。池の対岸の方にまだ一人釣り客が糸を垂らしているが、これなら心置きなくテントが張れる。

 
 テントを設営
 
今夜の雨を考えて、適度に草が茂っている場所を選んだ
 
 水はけが良さそうで、適度に草が生えた地面を吟味し、テントの設営場所を決めた。テントを張り、エアーマットやシュラフを設えた頃になって、早速雨粒が落ちてきた。タッチの差でセーフである。

 ただ、困るのは食事の支度だ。テントの中でポケットコンロを使うのは危険だし、私の安物テントに、雨がしのげる前室などという便利な代物はついてない。雨降る野外で湯を沸かす他はないのだ。幸い雨はザーザー降りではなく、しとしとと、そして思い出したように時々雨らしく降るといった程度である。コンロに水を入れた鍋を掛け、自分もテントに入らず、外で待つことにした。
 コンロの脇に食料が入ったクーラーボックスを置いて、それを椅子代わりに座り、普段使っているやや骨が曲がった折りたたみ傘をかざした。時々鍋の蓋を取って、中の様子を伺う。水に浸けたレトルトのご飯やおかずが浮き上がっていないかチェックする為だ。浮き上がっていると、鍋の蓋で押し込み、また蓋を戻す。

 暫くするとお湯が沸騰を始めるので、コンロの火力を弱める。これからレトルトご飯ができるまで、説明書きによると15分掛かることになっている。鍋から上がる白い蒸気を見つめたり、雨が落ちる池を眺めたりして、ただただのんびり待つ。

 
傘をさして夕食準備 
 
 対岸の山の斜面の中腹に、小さな小屋の様な家がぽつんと一軒建っているのが見えた。日が陰るとそこに明かりが灯った。人が居るようだ。でも、普通の人家ではなく、いわゆる別荘らしい。人里離れたこの場所で、のんびり一夜を過ごすのだろう。うらやましいことである。まあ、こちらもテント暮らしながら、のんびりやってはいるが。それに、テントなら場所にとらわれることなく、どこにでも行ける。気ままな旅先がどこでも別荘地となるのである。

 先ほど一人居残っていた釣り人は、まだやっているようだ。人影が夕日に黒いシルエットとなっている。熱心なことである。

 この場所は、集落からさほどの距離もなく、一級の県道が脇を通っていることもあり、多くはないが人の往来がある。人も通わぬ険しい山の奥では、クマや何やらの心配があり、野宿もなかなか気疲れするが、この程度の自然の中なら、夜になっても安心していられるのがいい。それに雨が降っても地形的に安定している場所で、夜中にテントを撤収するような事態になる恐れもない。何と言っても安心してぐっすり眠れる野宿が一番である。

  
 奧に見えるのは近くを通る県道
 
誰も通わぬ林道より適度に往来があって、ある意味で不安はない
 
 ふと時計を見ると、もう15分はとっくに過ぎていた。ご飯も十分過ぎるほど出来上がった筈である。外はもう暗いし、さすがに傘を差したままで食事はしにくい。テントの中に持ち込んで食べることとした。

 食事の後、暫くしてもう一度テントを出てお湯を少し沸かし、ココアを炒れてすする。さすがにもう釣り人の影は、池の岸のどこにも見当たらなかった。対岸の小屋の明かりだけが、暗い山陰にボンヤリ見えた。

 シュラフにもぐり、そろそろ寝ようとしている頃に、一台の車のライトが池のほとりに止まった。こんな夜に釣りでもなかろうに、一体どういう人種が来たのだろうか。しかし、暫くしてまたどこかへ行ってしまった。

 真夜中に大きな音がして、目が覚めた。車が一台、大きなエンジン音を夜空に轟かせ、峠道を登っていったらしい。安眠妨害で迷惑なことだ。まあ、クマ避けになると諦めて、また眠りについた。

 雨は夜の間中も勢いを増すことなく、時々、テントを叩く音が聞こえるくらいの雨粒が落ちてきたが、それも僅かでやんだ。

 
野宿の朝 
 
山や池の水面に僅かながら霧が掛かった
 
 翌朝は、4時ちょっと過ぎに起きて、テントを這い出した。この時刻でももう空は白み始めている。天候は回復していた。このぶんだと今日の旅は雨に降られずにすみそうだ。
 テントの周囲や周辺の景色を見回したが、別段何の変わりもない。朝のすがすがしい雰囲気が漂っていた。
 
 しかし、穏やかな朝の池のほとりを、長くは独り占めできなかった。まだテントも畳んでいない内から、もう釣り人が一人やってきたのだ。池の周りをあっちこっち移動しながら、熱心に釣りを始めた。テントの目の前も、行ったり来たり。でも、こちらのことなど全く意に介さない風で、釣りに夢中である。まあ、それならこちらも気が楽だが。
 
 やはり、昨夜の雨はさほどでもなく、地面もそれ程悪くはなっていなかった。草地にテントを張ったのも、効を奏していた。泥だらけにならずにすんでいる。でも、テントの上部はしっかり濡れていた。タオルで拭いて、暫くそのまま乾かしておくことにした。
 
 朝食はいつもの即席ラーメンを食べる。体が温まる。こちらが鍋を片手にラーメンをズルズルすすっている間にも、釣り人は糸を垂れながら池の周囲をあっちに行ったり、こっちに来たり。今さっき目の前に居たと思ったら、もうあんな遠くに居る。釣りとはそんなに面白いものか。

 まあ、こちらの野宿旅ももう随分長くやっているが、こんな所にテントを張ってどこが面白いかと言われると、返答に窮してしまう。結局は、旅の自由さを満喫しているのだと言うしかないのだろう。

 昨夜も俗世間から離れ、しみじみ野宿したわけである。昔のことを思い出し、将来のことを考え、今の暮らしや会社のこともチラッと頭をよぎったはずだ。しかし、後になっては何を考えていたかさっぱり思い出せない。勿論結論めいたことが出てきたわけでもない。やっぱりただ、旅をし、野宿をしたまでのことである。それ以上でも、それ以下でもない。

 食事をしたら、生理現象もどこかで済ませたくなった。しかし、ギャラリーが一人いるし、周囲に適当に隠れる藪もない。旅の途中で「道の駅」でも見つけて処理することとする。いつまでも乾かないテントを丸めて畳み、出発することにした。さて、この日はその後何をやったのだろうか、よく思い出せない。それが私の旅である。
 

<初掲載 2001. 8. 6>
 


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