横谷峠を宮崎県側に下りてきた。勿論トンネルの新道ではない旧道の方である。峠には集落があり、何と民宿も一軒やっていた。「砂は黄金」という名だ。今夜の宿にどうかとチラリと頭をよぎったが、飛び込みで入るのもなんである。それに、仮に泊まれたとしても、家族的なもてなしなどされては、こちらはどうしていいか分からない。やっぱり気楽に一人で野宿だと思ったのだった。
でも、峠を下る途中には適当な野宿地は全く見当たらない。新道の国道に出てしまえば、尚更どうにもならない。やっぱり泊まれるかどうか聞いてみてもよかっただろうかと今になって後悔した。 横谷トンネルを見るため、国道を熊本県方面に少し戻った。するとトンネル出口の直ぐ脇より一本の林道が始まっていた。黒仁田線という。早速入り込むが、100mほどで一軒の人家の前まで来ると、その先はチェーンで通行止。おまけにその家の飼い犬にけたたましく吼えられた。まるでこんな所で野宿するなと追い返されてでもいるようである。方法の体で退散する。 |
国道を西米良村の中心地・村所へと向かう。そんな所に行っても、野宿地など見付からないだろうが、他に仕方がない。ただ、ツーリングマップルを見ると、キャンプ場のマークが一つある。その「双子キャンプ村」とかいうのをのぞいてみようと思う。
キャンプ場はマップルに示された位置にはなかった。結局、村所の交差点より国道219号を少し東に走った、道路脇の川に面した所に見付かった。比較的新しく、設備も整ったオートキャンプ場である。へタに近付くと、ゲートを通らされて、お金も取られかねない。蟻地獄にはまらないよう、車道に車を停めて遠目で様子を伺った。 立地は車道より低い渓谷沿いで、周囲から見下ろされてしまうような位置にある。駐車場とキャンプサイトは離れているらしい。サイトは設備が良すぎてごちゃごちゃと建物が多く、何だか遊園地のようだ。お客は居るようで、何台かの車が停められている。中には大型のキャンピングカーらしきものもある。 やはりどうも気乗りがしない。思い切ってキャンプ場の中に入ってしまえば、それはそれでどうにか一夜を過ごせるのだろうか、どうも二の足を踏んでしまうのだ。 暫く眺めていると、荷台に多くの荷物をくくり付けた一台のオンロードバイクが、キャンプ場に吸い込まれる用に降りて行った。ハンドルには白いビニールの買い物袋が握られている。どこかで買い込んだ今夜の食料だろうか。あちらも一人旅のようだ。こちらはどこか別に野宿地を探そう。 |
しかし、どこと言って当てはない。少なくとも国道を走っていては見つからないのは確かだ。丁度近くより鉱山谷・古川線という林道が分岐していることになっている。国道上には分岐の標識がなく、キャンプ場の位置が地図に記されているのと違っていたので、半信半疑で入った細い道がどうもその林道だった。国道を右往左往したが、結局キャンプ場からは目と鼻の先にあったのだ。
林道といっても、現在は綺麗な舗装がされた道だ。国道から7Kmほどで分岐に出た。そこには標識があるのだが、「スーパー林道まで5Km」だとか、知らない県道まで6Kmだとか記されている。何がなんだか分からないが、県道よりスーパー林道の方がいいだろうと、そちらに向かった。後で調べてみると、進んだ道は天包山林道で、ここでいうスーパー林道とは米良椎葉線を指すようだ。鉱山谷・古川線にしろ天包山線にしろ、沿線に林道名を書いておいてくれた方が、よっぽどよく分かりやすいのに。 |
舗装の整った林道を野宿地探して尚も進む。しかし一向に良さそうな所がない。それなら枝道に入ろうと、地図にも無い分岐に曲がる。しかし、その終点では大規模なビニールハウスによる栽培が行われていて、農作業中の人を沢山見掛けた。野宿地として立地的にはいいのだが、人目があっては野宿はできない。行止りのこんな道の奥まで、よそ者が一体何の用に来たのかと不信に思われる。まさか、野宿地探しだとは思わないだろうから、あやしいことこの上ない。さっさと車をUターンしてまた元の林道へと戻った。
そんな枝道探索を繰り返すが、なかなかうまくいかない。既に野宿地を探し始めてから1時間以上になる。今は5月初旬なので、夕方7時近くまでは明るい筈だ。しかし、時計を見るともう6時をとっくに回り、見上げる空はタイムリミットが刻々と近付いていることを物語っている。これはいかん。いつものことながら、野宿地探しは大変である。 |
それでも、偶然またひとつの枝道を見付けた。勿論この分岐も地図には載っていない。但し入口に看板があり、天包山への登山道らしいことが分かった。車でどこまで登っているか分からないが、もうそんなことはかまっていられない。とにかく進んでみる。 路面がかなり荒れた道である。でも、ジムニーなら問題ない。こんな時頼りになる車だ。ただ、このまま無残に行止りとならなければと願う。道の周囲は暗い林に覆われ、野宿をするスペースなど全くないのだ。 |
林が途切れ、ぽっかり広い場所に出た。車道はそこで尽きている。広場には誰も居ないし、車も置いてない。焚き火の跡が見られるだけだ。これで、どうにか今回も助かったようだ。 そこは天包山登山道の九合目にあたるらしい。今登って来た車道と入れ替わりに、その横から山道が登っていた。天包山という山がどんな山か知らないが、仮に登山客が多い山だったとしても、この時間にここを通り過ぎる者は居ないだろう。この広場が今夜の絶好な野宿地である。 |
早速広場にテントを張ろうとして、ふと考えた。いつも野宿地探しできゅうきゅうとしている。今回もそうだ。これでは余裕というものが感じられないではないか。一日中ほとんど車を走らせてばかりで、最後には野宿地探しだけの目的で、走り回らなければならなかった。こんな旅をしたくて遥々九州までやって来た訳ではないのだ。テントを張った後に、焚き火でもできたら、それはそれでいいかもしれない。でも、周囲を見回しても、いい薪になるような枯れ木は落ちていない。 それならいっそ、山登りをしてみるか。丁度登山道の真中に居るんだし、テント張りを後回しにして、今すぐ登り始めれば、暗くなる前に頂上まで行って来れるだろう。軽いハイキング程度の山歩きでもすれば、気分も変わるというものだ。野宿旅ではこのくらいの余裕がなくてはいけないのである。 |
ここに来るまで天包山なんて山は聞いたこともなかったが、これも何かの縁である。デイパックに貴重品と飲み水を入れ、広場にジムニーを残して日没を気にしながら山道を登り始めた。道は階段が多く、かえって歩き難い。しかも歩き始めて気が付いた。いつも旅では車の運転がし易いようにと、靴底の薄い靴を履いている。その代わり、長距離を歩く時などの為にと、ウォーキングシューズも車に積んで置いたのだ。それを使えばいいものを、やや気が焦っていたので、すっかり忘れていた。どうもあまり余裕があるとは言えない登山である。 階段の枕木が足にこたえる。早く頂上に着かないだろうか。周囲は相変わらず林に覆われ、何の眺望もない。それにやっぱり日没が気になる。知らず知らず早足になった。 |
天包山頂上
鉄塔と展望台が建つ
山の頂上には鉄塔が建っていた。それがやや無粋な感じがして、あまり味のある山頂とは思えなかった。でも、その横に並ぶ展望台に登ると、四方に眺めが広がった。そして今しも西の山並みに日が沈もうとしているではないか。じっくり眺めていたいところだが、そうゆっくりもしていられない。頂上には2、3分居ただけで、今来た道を直ちに降り始めた。 |
何でもない山道ではあるが、一人旅の身。万が一怪我でもすると厄介である。広場で待っているジムニーは助けには来てくれない。転ばぬように、道を間違えぬようにと慎重に下る。それに私は鳥目の気がある。暗いのは苦手なのだ。懐中電灯を持って来ればよかった。 |
広場に戻ったときは、もう薄暗がりであった。相変わらず誰も居ないのには安心した。ただ、ジムニーがポツンとひとり待っているだけだった。 テントを張り、寝床を整え、夕食の支度ができた頃にはもうあたりは真っ暗だ。テントの外ではランプなどを使う習慣がないので、焚き火ができないともう明かりとなるものはない。食事をしながらも手元は全く見えないことになる。一体何を食べているかも分からないくらいだ。これでは食べ物にゴミや虫が入っても気付かない。こんなことになったのも、山歩きなどしたせいだが、全然後悔はなかった。 山歩きという適度な運動をしたこともあってか、よく眠ることができた。でも、翌朝は登山客が来る前にと、早々と九合目広場を後にするのだった。今度はもう少し余裕のある旅をしよう。 <初掲載 2002.
1.14>
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