サラリーマン野宿旅
野宿実例 No.28
 
隠岐の島・キャンプ事情
 
島根県西ノ島町・外浜海水浴場にて
 
  
 
 日本海に面した中国地方の沖合いに、ぽっかり浮かぶ隠岐の島。国賀海岸(くにがかいがん)の景勝地で知られているが、一体どんな所だろうか。島根県美保関町の七類港からフェリーで2時間以上とちょっとした距離にある。東京からでは尚更、なかなか訪れ難い場所であり、地図を見ては気になるばかりであった。それを遂に、2002年のゴールデンウィークを使って旅することと決心した。
 
 隠岐諸島は島前(どうぜん)、島後(どうご)と大きく分かれ、島前は更に西ノ島、中ノ島、知夫里(ちぶり)島の3島に分かれる。どうせ行くなら全部回ろうと思うのだが、本州・隠岐間のフェリー、隠岐の島間の船便など、よほど計画を緻密に立てなければ、1週間程度の短いサラリーマンの休暇で、うまくこなせる筈がない。いつもの勝手気ままな旅という訳にはいかないのだ。船の運航表とにらめっこして頭を悩ませながら詳しい旅程を練った。それでも、島内4泊の内、2泊は事前に宿を予約したが、残り2泊はどこかにキャンプをしようと考えた。初めから100%決められた旅では面白くない。不確定な部分を残したかったのだ。
  
 旅の初日は東京を早朝に発ち、鳥取県の米子まで1日で走破する。乗っている車は5日前に納車したばかりのキャミである。マニュアル車のジムニーからオートマ車への乗換えで、まだ運転にも慣れていない。しかも、新車のしょっぱなから750kmの連続長距離走行である。エンジンの負担を心配しつつ回転数を3,000rpmに抑える。それでも高速道路でキャミは時速90kmで走った。660ccの軽とはやっぱり違う。
 
 米子のホテルに1泊し、翌日はまず島後に上陸。島のほぼ西半分を時計回りに回る。この日をキャンプとしていたのだが、午後から生憎の雨。早くもキャンプを断念する気の弱さ。どうも小さな島の中では勝手が分からず、キャンプ地をどうやって見つけたらいいか迷ったのもその理由の一つである。島後の中心地である西郷町のビジネスホテルに宿を予約した。
 
 次の日は島前の中ノ島に渡り、この日は事前予約のホテルに泊まる。更に次の日、西ノ島に舞台は移ることになる。この日は何としてもキャンプをしたい。でなければ、東京から隠岐の島までわざわざ運んできたキャンプ道具が全部無駄になるのである。何しろ、車の中の荷物の内、キャンプ道具が大半を占めている。邪魔でしょうがないのである。
 
  
 
 2002年5月2日。天気は良好。ホテルを出発した足で中ノ島菱浦港に向かい、8時10分発の隠岐観光「びんご」に滑り込みで車を乗り入れる。乗船には事前予約の必要がなく、手続きも何もない。とにかく港の付近に集まっていた車が、そのまま平然と船に入って行くので、こちらも戸惑いながら後に続いた次第だ。料金は中で支払う。狭い甲板には、地元の軽トラックなどが数台乗っていて、我々以外に観光客らしき姿はない。中ノ島、西ノ島間を15分で繋ぐ「びんご」は、全く地元の足といった感じだ。目指す西ノ島別府港は海峡を挟んだ直ぐ目の前に見えた。
 
 西ノ島では今回の隠岐観光のメインである、国賀海岸を巡る観光船に乗った。それ以外に余った時間で、西ノ島の隅々まで車を走らせる。それ程大きな島ではないので、1日もあればほとんどの所を回れる。三度や珍崎、波止といった小さな漁村を訪れる。未舗装林道も走る。車道が通じる所は、どこへでも行った。
 
 そうこうしながらも、気になるのはキャンプ地である。地図などで調べると、西ノ島の島内にもいくつか「キャンプ場」と記された場所があった。まず、別府港から北3km程に位置する、耳浦キャンプ場に寄ってみた。
 
 北へ向かう一本道を進む。沿道に人家はない。この先道はどこにも通じていないのだ。道はそのまま耳浦海水浴場に真っ直ぐ突き当たって果てた。車止めのポストが立ち、その先の海岸までは車を乗り入れることはできない。車道終点の少し手前に駐車場が道に隣接してあり、海岸の利用者はそこに車を停めることになっているらしい。歩くにはちょっと離れている。他に誰も居ないが、一応所定の場所に車を停めて、歩いて耳浦海岸を散策することにした。
 
 耳浦海水浴場(撮影 2002.5.2)
 
誰も居ない海岸は、キャンプ地としてとても魅力的なのだが・・・
 
 耳浦は小さな湾になっていて、砂ではなく砂利が多い海岸が僅かに広がっている。海水浴の季節でもないので、昼間に人は誰も居ない。波打ち際にややゴミが多いのが気になるが、こんな静かな海岸を目の前にテントを張るのは悪くない。しかし・・・。
 
耳浦キャンプ場 
 
キャンプサイトらしき場所は草ぼうぼう
(海岸より車道方向を見る)
 
 海岸の手前に広がるキャンプサイトらしき敷地は、手入れもされずに草が伸び放題に伸びていた。車止めから草地を縦断して海岸まで歩くにも、草の中の僅かな踏み跡を辿ることになる。サンダルなど履いていたら、歩くのにも躊躇しそうだ。車止めの脇に無人の管理小屋と電話ボックスが立ち、耳浦湾に注ぐ小さな川を渡ると、そちらに水場とトイレがある。一応、キャンプ場の体裁は整えてあるようだが、草ばかりで殺風景なものだ。近頃はやりの設備の整ったオートキャンプ場などとは雲泥の差である。耳浦海岸は一般的な観光地などではないので、整備が行き届かないのも仕方ないところだろうか。
 
 しばし考える。砂利の海岸は幅が狭く、草地を避けてテントを張れるスペースはない。草地に無理やりテントを設営できないこともなかろうが、この草では虫が厄介だ。特に蚊に悩まされそうである。他に島のどこにもキャンプ地が見つからなかったら、その時はここを緊急避難場所とすることにしよう。とにかく他を探すことにした。
 
 帰り際、二人連れのバイクがやって来た。男女のペアである。小さな島なので、ここに来る前にも途中の道で出会っている。やはりキャンプ地候補を探しに来たのかもしれないが、この有様ではどうしようもないだろう。
 
 もう一つのキャンプ地候補は国賀浜キャンプ場である。西ノ島の北西に面した国賀海岸沿いの観光名所・通天橋の近くにあることになっている。とりあえず車道の終点・国賀まで行ってみる。断崖の上より海岸線を見下ろす風光明媚な所だった。案内看板によると、そこより国賀浜、通天橋方面へと散策路が伸びているが、肝心なキャンプ場の記述がどこにもないのだ。
 
 これはまんまとやられてしまった。仮にキャンプ場があったとしても、どうやら歩いてしか行けない浜辺にあるのだろう。こちらとしては、車の近くにしかテントを張らない方針なので、全くの論外である。
 
 その後も島のあちこちを探索しながらキャンプ地を物色するが、これぞキャンプ場という代物には出くわさなかった。いざとなれば山沿いの開けた牧草地などがあり、その気になればどこでもテントを張れないこともない。しかし、馬や牛がそこかしこで放牧されている。車道まで出てきて車の行く手を塞ぐ時もある。糞もあちこち散らばっている。夜中に牛や馬にテントを襲撃されてはかなわない。それに、こうした小さな島の中で勝手にキャンプしていいものだろうか。どうも、様子が分からない。できるだけ正規のキャンプ場に泊まった方が安全である。どこかに適当なキャンプ場はないものか。
 
 そして最後に辿り着いたのが、外浜海水浴場であった。
 
 西ノ島は大きく東西に分かれ、中央を僅かな陸地が繋いでいる。その部分には船引運河という水路が設けられ、島の南北を船が行き来できるようになっている。国賀海岸の観光船もこの運河を通って行った。島に唯一走る国道485号がこの船引運河を渡って島の東西を結んでいる。この運河を北に出た右手に広がるのが外浜の海岸だ。
 
 外浜の海岸に面した道は国道から少し外れ、車の通りはほとんどなかった。車道から眺めると、穏やかな湾内に比較的大きな弓なりの海岸線が広がっていた。浜は砂浜で、これだけ広いものは島内では珍しい。夏場の海水浴としては最適だろう。キャンプにももってこいである。
 
 外浜はどちらかというと、島内では人家が比較的密集した船越という集落に近く、キャンプ地としてどうかと思っていたが、浜に面して人家はほとんどなく、付近に人影も見えない。これは最後になって一番いい場所に辿り着けた。外浜到着夕方6時。日が長い5月とはいえ、これ以上遅いと危なかった。早速テント設営にかかる。
 
 外浜海水浴場
 
やっとテントを設営
 
 設営場所は船引運河から離れた浜の東端とした。そのそばには車道沿いにトイレと水場があるのだ。また浜に降りる細い道が造られている。砂浜まで車を乗り入れるのはちょっと無謀だが、その道の途中まで車をバックで降ろし、キャンプ荷物を浜に下ろすには都合よかった。その後、車は車道に戻し、路肩に駐車した。
 
 浜辺のキャンプでいつも気になるのが、潮の満ち引きである。あまり水辺近くにテントを張ると、夜中に波にさらわれるのではないかと心配なのだ。それで、荷物を下ろした直ぐ近くにテントを設営することにした。これならいざという時に浜から脱出し易い。車にもトイレにも近くて便利である。
 
 日が落ちる前にテント設営までこぎつければ、これで気持ちの余裕も出てくるというものだ。素足にサンダルを履いて、砂浜を散策する。波打ち際に近付いて海水に手を浸し、隠岐の島の海の感触を肌で感じる。名の知れた観光地を巡るより、こうした経験の方が隠岐を旅したという実感が持てるような気がする。
 
 遊んでばかりでは仕方ないので、夕食の支度を始める。食料は全部自宅から運んできた物ばかりである。これはいつものことなのだが、特にこうした島ではあまり店がないので、食料持参が無難であろう。飲み物も重要である。500mlのペットボトルで、ジュースやコーラの類を沢山積んできてあった。
 
 食事の準備をしていると、バイクの一人旅の青年がやって来た。彼もここにキャンプする様子だ。少し離れた護岸のコンクリート沿いにテントを張り始めた。浜を見回してみると、更に遠くの岸辺にテントらしきものが見えた。今夜のこの浜での泊り客は、我々を含めて3、4組ということに落ち着きそうだ。互いの干渉がない距離を保ってのキャンプである。
 
 さっきからコンロでお湯を沸かそうとしているのだが、海から吹く風が邪魔をしてなかなか沸騰してくれない。かばんや丸めたシュラフなどを並べて盾とする。バイクの青年がコンクリート壁を背にしてテントを張ったのは正解だった。風が幾分弱まるようである。
 
 浜に打ち寄せる波は、日が暮れても荒れることはなかった。しかし、テントの中で横になっている身には、波の音は意外と大きく聞こえ、気になるものだ。波打ち際までの距離は、夜間ではなかなか目測し難い。そこで、テントと波打ち際の途中に流木を立てておいた。時折テントから懐中電灯を照らし、その流木と波打ち際までの間隔を確認する。流木まで波が押し寄せるようになると、要注意という訳である。それをキャンプに不慣れな友人が聞いて感心していたが、どうせ眠ってしまえば確認のしようがないのである。単なるはったりでしかないのであった。
 
 就寝前にトイレに立った。トイレ脇にポツンと一つ立つ外灯が唯一の明かりである。浜は暗く沖に船の漁り火などは見えない。湾の正面に張り出した半島に立つ灯台が、遠くの海に明かりを放っていた。波の音以外は静かに夜は深まっていった。
 
  
 
 明け方近くになって、風が出てきた。テントがはためき、睡眠を邪魔する。砂地でペグの利きが悪いのだ。砂地用のペグを100円ショップで見つけて買ってあるのだが、肝心な時に忘れてきてしまっていた。友人はテントの外に置いた靴が流される夢を見たという。浜辺のキャンプは慣れないと心理的な圧迫があるのだろうか。私自身もいまだに慣れず、寝不足気味の朝を迎えた。
 
翌日の外浜の海岸 
 
穏やかな浜辺
 
 早朝5時にはテントを這い出す。周囲に人影はない。昨日と変わらぬ穏やかな波がゆっくり寄せては返していた。
 
 体が十分起きるのを待ちながら、浜辺の散歩などをしていると、船引運河を抜けて来た漁船が、エンジン音を響かせながら外浜の湾へと姿を現した。見ていると、次から次へとやって来る。合計4、5艘も続いたろうか。列をなして湾を渡り、外海へと船出していった。勇壮な感じを受けた。
 
 キャンプの朝は、これといってやることもなく、早々に朝食の準備をする。ところが風が強く、またしてもコンロでお湯を沸かすのを阻む。下手をすると舞い上がった砂が鍋に入りそうになる。そこでテントの出入り口の前にある僅かながらの前室にコンロを置くことにした。換気の為に前室を半分開き、そこに海を背にして私が座り込んだ。自らが砂と風の盾となったのである。友人はテントの中だ。お湯が沸いたらそのままの態勢でカップラーメンなどを作って食べる。油断するとテントがはためき、砂が舞い散る。テントの端を尻で抑えつつ、ラーメンをすする。かなり間抜けである。友人と笑いながらの朝食を済ませる。
 
 6時過ぎにはさっさとテントを撤収し、6時半には外浜を後にした。
 
  
 
 その後、隠岐の島4泊5日の旅程は無事に終了し、帰路へと就いた。わざわざ750kmの距離を運んで行ったキャンプ道具は、結局1回しか役立てられなかったが、それでもまあまあ良しとする。有り触れた旅館やホテルに泊まるだけでは経験できないものがキャンプにはある。私にとって外浜での一夜は、隠岐の印象の一つとしてしっかり残った。
 
<初掲載 2004. 9. 6>
 
  
 
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