サラリーマン野宿旅 |
2002年10月13日(日)。今日は群馬・新潟を巡る旅の二日目。本来明日の14日(月)は体育の日で、一般の会社は休みの筈だが、今勤めている会社はそうではない。そこで代わりに有給休暇を取っての、二泊三日の小旅行中である。
今の会社では、春のゴールデンウィークと夏期休暇と年末年始の休みは、それぞれほぼ1週間ずつもらえ、それを使ってちょっとした長旅ができる。しかし、それ以外の国民の祝祭日は休みではないのだ。これでは大型連休以外に遠出をすることができない。そこで今回の様に週末の土日に有給休暇を1日プラスし、二泊三日の旅をするのが、年に2、3度あるかないかの、ささやかな楽しみとなっている。けなげなサラリーマン生活である。 どうせ出掛けるなら、時期としてはやっぱり秋である。暑くもなく寒くもなく、峠の冬季通行止もまだで、山に入れば紅葉が楽しめる。そして選んだのが、関越自動車道を使えば東京都心からもさほど遠くはない、群馬・新潟の県境付近である。 |
昨日は国道17号の三国峠を越えて群馬から新潟に入った。今日は同じ群馬・新潟県境にある清水峠を、新潟県側から目指すことにした。と言っても、清水峠は現在車道が通じていない。そこを車で行ける所まで行ってみようというのである。
新潟県塩沢町の国道291号・通称清水街道を、南の県境の峰に向けて進む。清水の集落を過ぎた先で道は未舗装路となり、更に車を走らせると登川の河原に出た。 |
左手にコンクリート舗装の狭い車道が登っているが、入り口にはゲートが置かれていて、残念ながら車では入り込めないようになっている。多分こちらが清水越え新道と呼ばれる峠道の続きなのだろう。
代わって登川の河原伝いに登山道が始まっている。「清水峠」と書かれた小さな看板が置かれている。付近に居合わせた人に、この道は車でも行けるのかと聞くと、行けないこともないが直ぐに行止りだという。ならば行ける所まで行ってみることにした。 増水すれば水没しそうな河原沿いの登山道を慎重に走る。いよいよ道が狭くなり、どうなることかと思っていると、道は川の中へ忽然と消えていた。見上げると、清水峠がある県境の峰はまだまだはるか先であった。 ここまで来ればもう気が済んだ。近くに釣り客の車が2台ほど停まっていて、Uターンに苦労したが、満足して引き返しとなった。 |
行止りの道に入り込んだりして、随分と物好きなことだが、それにはもう一つの狙いがあった。こうした寂しい道の近くには、野宿に適した所があるだろうと思ってのことだった。国道291号を戻りながら、野宿地を物色する。左手に流れる登川の河原あたりでいい所はないかと探したが、大きな石がゴロゴロしていて、テントを張るにはあまり好ましい場所ではなった。
清水の集落も通り過ぎ、これは困ったと思っていると、登川とは反対側の右手に一本の林道が分岐していた。登川支流の米子沢沿いに伸びる道のようだ。どこに通じているとも知らずに、とにかく入ってみることにする。 草が生い茂った中を狭い道が進む。あまり気は進まないが、沿道に見掛けた狭い空き地にでもテントを張ってしまおうかと思っていると、ひょっこり別の車道に出た。 |
林道を進むと別の道に出た
左がやって来た林道、奧がキャンプ地、右手に駐車場
手前方向が清水の集落
よく見るとその分岐の角に「キャンプ場」と書かれた小さな矢印看板が立ててある。分岐に隣接して駐車場もあり、既に何台かの車が停めてあった。看板が示す矢印の方向にふらふらと車を進める。アスファルト舗装された道が少し下り、直ぐに大きな広場で行き止った。 |
そこはとても雰囲気がいいキャンプ場であった。空が開けて開放的である。東にそびえる山並みが望めた。キャンプサイトはあまり人工的過ぎることなく、単なる草地が広がり、一角に水場がり、車道を来る手前に少し離れてトイレがあるだけだった。
先客のテントは3張りあった。比較的大きな2張りには中年男女数名のキャンパー達が居たが、片隅の小さな青色のテントの住人は、先程の駐車場の車の持ち主たちと同様、登山をしている最中なのであろうか、留守であった。 時間も既に夕方の4時で、10月半ばともなるとあと1時間もすれば日が暮れてしまう。その間にここより他にいい場所を見つけてテントを張るのは難しい。単なる空き地と違って、ここはキャンプ場と指定された場所である。そのことで一抹の不安を覚えるのであったが、周囲に管理棟も見当たらず、誰に断るということもないようだ。今夜はこのまま、この場に居座ることと決めた。 |
そうなれば、さっさと自分の居場所を確保し、暗くなる前にとテントを張り終える。水場の近くは人通りが多い可能性が高いので、水場から離れた広場の隅の、大きな岩がある近くにテントを設営した。他のキャンパーからも離れ、我ながらなかなかいい選択である。
夕食にはまだ早いので、歩いてキャンプサイト周辺を散策する。広場の東の奥は、山際を川が流れているようだが、河原には降りられそうになかった。また、登山道などもないようである。そうなれば、このキャンプサイトに来る者は、ここでキャンプをする者か、水を調達しに来る者だけである。あまり人と関わり合いを持つことを好まないので、この方が好都合である。 |
日が傾くとキャンプサイトには影が落ちた。代わりに東にそびえる紅葉した山肌を夕日が照らし出してきれいである。テントの外では照明を使う習慣がないので、あまり手元が暗くならない内にと、夕食を済ませることにした。いつものレトルトの食事を作るのだが、側に水場があるのがいい。蛇口をひねるだけで水が得られるというのは何と便利なことか。鍋いっぱいの水を汲んで来てお湯を沸かす。
100円ショップで買った折畳みの小さな椅子に座り、まずはつぶつぶコーンスープをお湯に溶かして飲む。これまでアウトドア用品にはお金を掛けず、必要最低限の物しか持っていなかったが、それが100円という安さなら別である。さすがに100円の椅子はちゃちで、座り心地も見栄えも悪いが、地面に直接座るよりはずっといい。それに小さいということは、愛用のキャミの様な小さな車に積んでも邪魔にならないということだ。 この季節になるとスープの温かさが心地よい。カップを口に運びながら、今日の旅の走行経路を黄色いマーカーで地図に記したりした。 |
そうこうしている内に、水場ですれ違ったりしていた2張りのキャンパー達は次々とテントを撤収し、日暮れ前には帰って行ってしまった。残るは私と青色テントだけである。これまた好都合だ。それにしても青色テントの持ち主はどうしたのだろうか。
そのテントの住人が登山から帰ってきたのは、もう辺りが暗くなってからだった。男女の二人連れである。男は中年で、女はそれよりずっと若く20代後半から30代といったところだろうか。しかし、もう暗いので容姿などははっきりとしない。二人は背中から登山の荷を下ろすと、キャンプの支度を始めた。この二人が今夜のこのキャンプ場での同居人ということになった。 |
夕食はレトルトのカレーとした。グリコのカレー職人とかいう。味にこだわることがないので、別に何でもいいのだ。どこかのスーパーの特価品を買って家に置いてたのを、今回持って来ただけのことだった。カレーは直ぐ温まるのだが、レトルトのご飯は15分ほど掛かる。これを待つのが長い。
一人、ぐつぐつ沸騰している鍋を寂しく見つめながら、お隣りさんの会話が聞くともなく聞こえてくる。二人は夫婦かと思ったが、どうもそうではないらしいのだ。女性が「×××なんですよー」などと、やや可愛らしげに喋っている。明らかに目上の男性への話し方である。まるで会社の上司と部下が、社外のプライベートで会っているかのようだ。二人仲良く差し向かいで夕食をとりながら、いろいろと会話が弾んでいる。時折大きな笑い合う声も聞こえる。話しの内容は声がこもっていて分からないが、こちらとは対照的に何やらとても楽しげである。 その最中、男性がこちらに向かって歩いて来た。何の用かと思ったら、ビールの栓抜きがないかという。丁度持ち合わせていたナイフに栓抜きの機能もあったので、これをどうぞと貸してやった。その時のぞいた男の顔は、言っては悪いが、田舎のおっさんといった風であった。女性の方の顔も気になったが、終始分からずじまいだった。 5時半になってやっとカレーが準備できた。他に即席の味噌汁を作ろうとしたら、手元を誤って味噌を半分程こぼし、塩分控え目のうすい味噌汁となった。もう外は暗いのでテントの中に入って食べることにした。テントではローソクを2本灯した。狭いテントの中はこれで十分に明るい。ふかふかのエアーマットにあぐらをかいて食事をした。 |
秋の夜は長い。食事が済んでもまだ寝る前には十分な時間がある。そこで双眼鏡を取り出し、夜空を眺めることにした。晴れた夜空には下弦の月が輝き、周囲を明るく照らしていた。都会では見られない多くの星ぼしを眺めると、最初の内は甚く感動させられる。しかし、星座などについての知識が全くないので、暫くすると飽きてくる。100円ショップの椅子に腰掛け、上を向いて双眼鏡をのぞきながらも、気になるのはお隣りさんである。ちらちら横目で見ていると、夕げの宴を終えた二人は、こちらよりも更に小さそうなテントに、仲良く入って行くのだった。
一人でいつまで上を見ていても切りがないので、テントの中へと戻ることにした。エアーマットの上にシュラフを敷き、横になる。今回、これも100円ショップで買った空気枕を試す。これまで野宿の枕にあまり気を使ったことがなかった。大抵が脱いだ上着などを丸めて枕代わりとしていた。しかし、枕の具合ひとつで寝心地は大きく違ってくる。夜中に寝苦しい思いをして目が覚め、枕を直すことがしばしばあった。それが解消されるといいのだが。 |
テントに入ってからも、ご近所さんの話し声は続いていた。それが8時を少し過ぎたところでぴたりと止んだ。もう眠ってしまったのか。それとも・・・。お隣りの狭いテントの中では、一体どういう事態になっているのかと、尚更気になるのであった。
横になった耳元には、一匹の鈴虫のか細い鳴き声が聞こえてきた。しかし、それもいつしか止んでしまった。もう、虫が鳴く季節も終わったのか。後はただただ静かな夜となった。ただ一度、遠慮のない大きなおならの音がした。どうもこちらの妄想とは異なって、色気のない話しである。 9時近くになり、どうしてもトイレに行きたくなってテントを出た。数10メートル離れた所にキャンプ場のトイレがあるのだが、それにはお隣りさんのテントの前を通ることになる。変な勘違いをされても困るし、ちょっと面倒だ。近場で用を済ませることにした。月明かりが頼りになるかと思ったら、かなり雲が出てきていた。暗がりに注意しながら近くの茂みに寄って済ませた。 夜中に目が覚めないように念入りに寝支度する。特に寒さ対策は十分気を付ける。9時過ぎにはローソクを吹き消し就寝とした。 |
希望は叶わず夜中になってふと目が覚めた。枕が悪いせいではなく、何か物音がしたようだった。間もなくはっきり雨がテントに当たる音が始まった。段々強くなる。昨夜の宿で見たテレビの天気予報では、晴れになるようなことを言っていたのに。
今更ジタバタしても仕方がない。暫く聞き耳を立てていたが、直ぐにまた眠りについた。 それからもしばしば目が覚めた。腰が痛い。わき腹も痛む。単に寝苦しいだけでなく、どこか体がおかしいらしい。 |
10月14日(月)。旅の3日目。目覚し時計の音で目が覚める。普段使い慣れた物と違うので、どう止めたらいいか分からず、お隣りに迷惑だろうと、少し焦る。時間は5時。思ったより寒くはない。温度計の針は約15℃を指している。こんなに暖かいとは想像外だった。10℃は切るかと覚悟していたのに。
テントの中の一部がかなり濡れている。昨夜の雨で浸水したようだ。お隣りさんからも声が聞こえ始めていた。 暫くシュラフの中でのんびりし、頭がはっきり覚めたところでシュラフを抜け出した。まだ暗いのでローソクを一本点ける。エアーマットの空気を抜き、その上でシュラフを丸めて畳む。更にエアーマットも畳んでビール袋に納める。ローソクも消し、その他のテントに入っている物を整頓し、出入り口の近くにまとめる。 靴を履いてテントを出る。雨は止んでいた。昨夜はそれ程ひどい雨ではなかったようで、水溜りなどはない。地面もそれ程ぬかるんでいない。空にはまだ雲が多いが、今日のこれからの天気は大丈夫そうだ。テントから荷物を出して車に仕舞う。テントは濡れているので暫くそのままとする。眠気覚ましにココアを一杯。お湯を入れ過ぎてやや薄い。昨夜から飲みの物は失敗続きだ。電気カミソリでひげをそる。 |
朝食はチキンラーメンにしようかと思ったが、昨夜の体調不良を考慮し、玄米粥とする。これもお湯だけでできるカップに入ったレトルト品で、今回初体験。でも味がない。ソーセージをおかずにやっと食べる。
食後の歯磨きもきちんとして、のんびり朝の時間を過ごしていたら、もう7時を過ぎそうである。慌てて水がしたたるテントを丸めて畳み、車に押しこむ。日が登って暖かくなったら、どこかで日干しにしようと思う。 見ると、お隣りもテントを撤収し、今しも出発しそうな様子だ。タッチの差でこちらの車が先にキャンプ場を後にした。時間は既に7:20。目が覚めてから2時間以上も過ごしたことになる。 気になるお隣りの女性だが、車で通りかかる時にチラリと顔が見えた。まん丸なメガネをかけて、なかなかチャーミングである。二人の関係は永遠に謎のままだった。 |
昨日、キャンプ場の看板を見掛けた分岐を、「清水」と標識がある方に入った。暫し林の中の狭い道を走り、そこを抜けると広場に出た。近くに山荘が建っている。するとキャンプ場の看板があるではないか。ここは機巻山(はたまきやま)キャンプ場という所であった。タダかと思っていたら、何と有料のようだ。一張り1、000円とある。山荘で支払うことになっている。キャンプ場への本来のコースとは違った道を行ったので、こういうこととは知らなかった。どうやら昨夜はキャンプ代を踏み倒してしまったらしい。
山荘が建つこの付近は、機巻山などへの登山基地になっているようだ。昨日のキャンプ場もそうした登山客の利用が多いのだろう。 |
巻機山登山道を左に見て、更に車道を直進する。静かな佇まいの集落に入った。清水の集落のようだ。昔、国道17号の三国トンネルが開通する前、上越国境の清水峠を越える清水街道が使われていた時には、この清水は越後側の最初の宿場として、賑わった時代もあったのかもしれない。
集落から国道291号への出口近くに、駐車場や巻機山登山の案内看板があった。旅館の案内も出ている。周囲にカラフルな登山姿の若者がたむろしていた。今の清水は街道を行き交う旅人はなく、こうして山を目当てに訪れる登山客を相手とする集落となっているようだ。 集落内の一角に登山客の便宜を図ってか、立派な公衆トイレが設けられていた。キャンプ場にあったトイレはあまり良さそうでなかったので、どこか別の所で用を済ませようと思っていたが、これは好都合である。トイレはきれいで水洗でペーパー完備であった。 |
旅はその後、湯沢町の県道を走って関越自動車道の土樽(つちたる)PAの近くまで行った。高速道路はこの後、関越トンネルに入って関東平野へと抜けて行くが、一般道は上越国境を成す高い山並みを前に行止りとなる。道が尽き果てるところを見たくて、こんな旅をしている。でも、案外道の終りとははっきりしないもので、昨日の清水街道と同じように、この程度で妥協しようといった所で引き返しとなった。
結局上越国境は、来た時と同じ国道17号の三国トンネルで越えて、今回の旅の帰路に就いたのであった。 <初掲載 2004.10.18>
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