サラリーマン野宿旅
野宿実例 No.30
 
あわや遭難かの野宿
 
長野県須坂市・米子大瀑布の駐車広場にて
 
  
 
 去年(2004年)の夏休み旅行は8月7日(土)から始まった。最初の内は友人と2人で山梨県や長野県を旅し、山伏峠やしらびそ峠などを訪れた。そして三日目の昨日は、かねてからの念願だった鹿教湯温泉(かけゆおんせん)に泊まり(勿論安い国民宿舎)、今日(10日)は都合があると言う友人と長野県の松本で分かれた。友人は松本駅から電車で帰宅していった。
 
 さて、これからは一人旅である。隣に座ってナビをしてくれる者がいないので、松本市街から抜け出すのも一苦労だ。地図をよ〜く見て覚えた積りでも、信号で止まるたびに地図を確認しないと分からなくなる。まずは美ヶ原林道を目指すのだが、結局迷って路肩に停まらざるを得なくなった。車を降りて辺りを見回し、地図と照らし合わせてやっと現在地確認無事軌道修正することができた。
 
 寂しい林道に入ってしまえばこっちのものだ。道は険しくとも一本道で、迷う心配がない。目の前に続く道を淡々と走る。
  
 こうした一人旅は慣れたものなのだが、今朝まで友人との二人旅だったので、急には気持ちの切り替えができない。ぽっかり空いた助手席を隣に、暫くの間は何となく物足りなく、寂しい思いを引きずる。美ヶ原林道の途中から松本市街が一望に眺め渡すことができた。でも、誰にも話し掛けることがでず、ただ、一人黙って眺めるしかなかった。
 
 これからの大まかな旅程は、この長野県から新潟県に入り、その後新潟県内を東へ移動、甲子峠(かっしとうげ)を越えて福島県まで行こうというものだ。いつものことながら細かな計画は全くなく、極めて場当たり的に旅を進める積りである。ただ、甲子峠だけは越えてみようというのが唯一の目的らしい目的であった。
 
 時々地図を見て、その場その場で行く道を決める。上田市を抜けた先で、菅ノ沢林道を選んだのも、ただそこに道があったからだ。菅ノ沢林道は真田町にあり、町役場の方から国道を通らず山の中を抜けて直接菅平高原へと抜けている。この林道に関しては何らの予備知識もなく、特別な意図もなかった。しかし、後から考えると、これがそもそもの旅のつまづきの始まりだったのだ。
 
 菅ノ沢林道起点(撮影 2004.8.10)
 
林道標識には「延長 10,001m」とある
 
 菅ノ沢林道は、初めの内はコンクリート舗装の道で、通行止の看板も何もなく、入り込むことに何ら躊躇させるものは感じられなかった。林道看板を見て延長10Kmであることを確認し、平然と車を進めるのだった。
 
菅ノ沢林道 
 
最初はこんな感じ
 
 ところが、進むに連れて道の状況は悪化していった。路面が未舗装になる程度なら、別段何とも思わないのだが、それだけでは済まなかった。
 
 菅ノ沢林道
 
未舗装路となる
 
 轍は大きく掘れ、草は路面が見えない程に道を覆い尽くし始めた。倒木も何度か行く手をさえぎる。車の底を何度か打った。その内ガリガリと床の下から異音がしだした。降りて調べると、枯れ枝が車の底に絡み付いていた。必死で取り除く。
 
 これはどこかで引き返した方が無難かと考え始めたが、車を回転する場所などなかなか見つからない。何度か厳しい区間を抜けた先で、少しホッとできる道となり、僅かな路肩も見つかった。ここが引き返すチャンスかと考えたが、もうこんなひどい道はそうそう続くもんじゃないだろうと、先に進むことにした。すると、もっとひどい道が待っていた。
 
菅ノ沢林道 
 
路面は荒れ、草も多くなる
この後は写真を撮る余裕もない道となった
 
 道はもう道としての体裁を全く失い、車で草の海を泳いでいるかのようだ。その草の下にどこまでしっかりした路肩があるのか確認できず、目をつぶって車を進めているのと同じ様なものである。仮に崖崩れがあっても分かりはしない。でも、その場に留まる訳にもいかず、恐怖心にかられてアクセルを踏み続けた。
 
 もう、写真など撮っている余裕はない。気が付くと喉がカラカラである。声も出ない状態だった。車の運転でこんなに緊張したのは久しぶりのことである。ほとんど何の覚悟もしなしで入り込んだ林道で、急にとんでもない危機に襲われ、心身共々大きなショックを受けているようである。自分の体がどうにかなってしまうのではないかと心配になった。
 
 菅ノ沢林道の出口
 
やっと抜け出した(左へ入る道が菅ノ沢林道へ)
 
 それでもどうにか難関を乗り切ることができた。木材伐採の為か、路面に木の皮が敷き詰められた道となった。ひどい道に変わりはないが、それでも最近使われた様子が伺われる。これなら人里まで無事に出られそうだ。案の定、間もなく木材の積み込み作業の現場に出くわした。廃道寸前の林道から車が出て来たのを見て、作業者がびっくりしていた。
 
  
 
 林道を抜け出たと所で車を停め、車体を調べてみたが特にダメージなどの問題はなさそうだ。しかし、身体の方は精も根も尽き果てたという感じである。それに、もうそろそろ今夜のねぐらを決めなければならない時刻となっている。どこかにいい野宿地はないか。少々弱った体に鞭打ちながら再び車を走らせ、真田町から国道406号で須坂市へと入っていった。
 
 須坂市は今の私には縁もゆかりもない土地だが、我家の代々からの菩提寺に残る過去帳によると、遠い祖先はこの須坂の出だそうである。須坂市井上町という所に居城を構えていた武士だそうだ。そんなこともあり、この須坂市は何度か訪れている。ここに野宿できるような場所があっただろうか。すると、もう群馬県との境近くの山奥に、米子大瀑布(よなこだいばくふ)というのを地図で見つけた。市街地から大きく外れ、一本道で山の中に分け入った終点にある。どんな所か知らないが、そこならどうにかなるのではないか。
  
米子大瀑布への分岐 
 
右が米子大瀑布への林道米子不動線
ここからほぼ一本道
 
 国道からは大瀑布への看板が出ていて、途中の分岐も迷わずに進むことができた。道は米子不動林道でほぼ一本道になってからも快適な舗装路であった。周囲には何もなく、すれ違う車は2、3台程度である。どんどん寂しい山の中へと入って行くが、沿道には野宿に適した場所は皆無であった。進むに連れて不安は募るばかりである。
 
 大瀑布への道
 
野宿地はまだ見つからない
 
 結局道の終点まで来てしまった。そこには広い駐車場が待っていた。滝見物の観光客や登山者が利用するのだろう。車が1台停まっていたが、暫くすると滝見物から帰って来たらしい、中年の夫婦が散策路から現れ、そのまま車に乗って帰って行った。
 
 これで、誰も居なくなった。広い駐車場に私一人である。それなら、ここで野宿してしまおうと考えた。もう今日は誰も来ないだろうから。
 
車道の終点 
 
大きな駐車場になっていた
  
 野宿の目処が立つと、俄然欲が出てきた。折角ここまで来たのだから、滝見物しない手はない。体が疲れていてやや時間も遅いが、滝までの散策路はきちっと整備されているようだ。看板に片道800mとある。何とか歩けるだろうと、そそくさと出発したのだった。
 
 沢沿いのじめじめした道を登る。看板をよく見てこなかったが、滝は複数あるようだ。途中でまず不動滝を眺めたが、更なる奧にまた別の滝があるらしいのだ。こうなったら行き着く所まで行こうと足を速めた。沢を離れて細い山道を登り、米子不動尊奥の院を過ぎ、その裏手に回って権現滝とやらを目にした時には、既にあたりは暗くなっていた。これはまずい。やや慌てて引き返す。
 
 米子大瀑布の一つの権現滝
 
これをカメラに収めると、急いで引き返した
  
 帰り道を急ぎつつ、こんな時に道を間違えたりしなければいいなと思っていると、間違えた。いつの間にやら来た時とは違う道を歩いているではないか。
 
 よく低山の山歩きでも、遭難が起きることがあると聞く。道を間違えるのは仕方ないが、その後の判断を誤り、事態を悪化させてしまうようだ。間違ったと気づいたら、はっきり場所が特定ができる所まで引き返すのが鉄則である。無闇に先へ進んではいけない。この私はそんなヘマはしないぞと、高をくくっていた。
 
 しかし、いざ自分の身に起こってみると、全く引き返す気持ちの余裕がない。周囲は益々暗くなる一方だし、万が一の場合の準備は何もして来なかった。デイパックの中には懐中電灯も飲み水も何も入っていないのだ。足は勝手に先へ先へと進んでしまう。早くこの不安な事態から抜け出したい一心だ。道は概ね下の沢へと下って行く。来る時、途中までその沢伝いに歩いて来た筈だ。このまま行っても、きっと元の沢沿いの道に合流するだろう。こんな滝見物の散策路で遭難などしたら、いい恥さらしだ。
 
 速まる足を気に掛けながら、こんな時に転倒などしたら事だぞと思っていたら、転倒した。濡れた岩ですべり、もんどり打って後ろにひっくり返った。慌てて起き上がる。幸いびてい骨辺りに軽い打身を受けただけで、他に怪我はないようだ。頭を打ったり、足首や転んだ時についた手を捻挫しなくて本当に良かった。これで歩けなくなったりしていたら、それこそ遭難騒ぎであった。
 
 ここにきて、何とか冷静さを取り戻さなければならないのだと痛感した。そこで、「落ち着け!!!、落ち着け!!!」と大きな声を出すことにした。今はただ頭で考えただけではダメである。自分自身に自分で声を掛けることにしたのだ。今まで緊張で閉じきっていた口を大きく開くと、少しは緊張がほぐれるようだった。足取りも一歩一歩、しっかり歩けるようになった。
 
 その内、道は沢沿いを下るようになった。暗くなった周囲に目を凝らし、来た時に見覚えのある場所がないかと確かめながら歩いた。すると、河原にあった大きな岩に確かに見覚えがあった。どうにか元来た道に戻れたようだ。
 
 それからの残りの道程も非常に長く感じた。道は一本道なのだが、また迷っているのではないかと、時々不安にかられた。やっと暗い山道を抜け、広い駐車場に出て来た時は、本当にホッとした。
 
やっと暗い山道を抜け出す 
 
無事に帰って来れて本当によかった
  
 駐車場の片隅にあったトイレの裏の水場で、転倒した時に汚れた両手を洗うと、すぐさまテントの設営に取り掛かった。これを済まさなければ寝られないのだ。てんとうを張っていると体が無性に熱くて、上着を脱ぎ捨てて作業を続けた。その内、どうも体の調子がおかしい。単に疲れたというだけではないようだ。寝床をしつらえるのを待っていられない。手に持っていた物を投げ出し、そのまま地面の上に大の字になって寝転んだ。
 
 不整脈が始まっていた。普段から静かに横になっている時などに、不整脈がよく起こる。年に一度受ける人間ドックでは必ず心電図に異常が出る。心臓の精密検査も受けたことがあるが、結局何らかの治療をするまでには至らず、そのままほってあった。しかし、今回はひどい不整脈だ。心臓が不規則に波打つ度に、体が小刻みに震動するのが分かる。原因不明の息苦しさも襲ってくる。暫くじっとしていることにした。
 
 地面から体に伝わる冷たさが最初は気持ちよかったが、数10分程も横になっていると体が冷えてきた。このままの状態を続けてもしょうがないので、テント設営を再開することにした。どうにかテントを張り終え、エアーマットも膨らませ、マットの上にはシュラフを敷き、やっとその上に倒れ込んだ。勿論夕食などを作ってた食べる余裕はない。
 
 やっとテントを設営
 
もう完全に日は落ちていた
 
 苦しさは続く。一体自分の体はどうなってしまったのだろうか。菅ノ沢林道や滝見物で、精神的にも肉体的にも疲れたことは確かだが、それだけではこの体の異常は説明できない。苦しさの為、じっとしていられない程だ。時折寝返りを打つ。
 
 一人旅ではこんな時、何も有効な手立てを打つことができない。じっとテントの中で我慢するしかない。これ以上事態が悪化しないことを祈るばかりだ。
 
 最近、歳のせいか、旅先で今回の様に体調を崩すことが多くなった。風邪を引いたりした訳でもなく、何かはっきりした理由がないまま、突然体調を崩してしまう。旅の疲れだと片づけるには、あまりにもひどい状態になる。体が苦しくて苦しくて、食事ができないどころか、車を運転することもままならない場合もあった。旅の連れがいる時は、助けてもらうが、一人旅だと家にたどり着くまで必死であった。
 
 体調を崩したことがはっきりしてからは、いろいろ後悔しだした。あんな険しい林道など走らなければよかった。別に何の関心もない滝など見に行かなければよかった。しかし、みんな後の祭りである。目をきつく閉じて、早く眠ってしまおうと思う。でも、苦痛でなかなか眠れない。シュラフの上で数時間も悶絶していたろうか、やっとどうにか眠りに就くことができた。
 
 そのまま朝までぐっすり眠りたいところだが、野宿ではそう簡単に問屋が卸さない。深夜に物音がしたようで目がさめた。すると、車が近くに止まっているらしく、ヘッドライトがテントに当たっている。一体誰がこんな夜中にこんな寂しい所にやって来るんだ。深夜にドライブして来たって何の景色も望めないし、勿論滝見物だってできる訳ない。怪しいことしきりである。自然相手の野宿旅なのだが、人間が一番怖い存在だというのが皮肉である。どんな人物がどんな目的で来たのか分からないと不安でしょうがない。テントを出て行って調べようかとも思ったが、無用な接触は避ける方が無難と判断した。じっと息を殺して様子を伺う。
 
 暫く聞き耳を立てていたが、どうも動きがない。話し声も聞こえない。一体何をしているのだろうか。薄っぺらな生地でできたテントでは何の防御にもならない。襲ってくるかもしれないので、物音には神経を尖らせていた。
 
 10分程もしたろうか、やっと4WD車風のディーゼルエンジンの音が高まり、ヘッドライトが動いた。そしてテントの側らを通り過ぎ、車道へと出て行ったようだった。これでやっと眠れる。ただでさえ体調が悪いというのに、全く嫌になる。直ぐに目を閉じ、また眠りに就いた。
 
 しかし、深夜の出来事はそれだけでは済まなかった。暫くするとまた別の車がやって来たのだ。今度は車道を走って来る時から気が付いて目が覚めた。一体全体何の目的でこんな夜中に車を運転するのだろう。腹立たしくなる。その車は砂利の駐車場に乗り入れると、少し離れた所に停まった。相手の素性が分からないので、怖くてしょうがない。夜中に活動するような人間は信用ならない。また暫く聞き耳を立てていなければならなかった。
 
 結局、その車も何もすることなく立ち去り、また静かな野宿地となった。それからはやっと朝まで眠り続けることができた。
 
  
  
 朝目覚めてみると、体調はかなり回復していた。やっぱり休養が一番である。テントをそろりそろりと抜け出し、辺りを見回してみる。誰も居ない。すがすがしい朝である。
 
野宿の朝 
 
体調はやや回復
 
 昨夜はあまり周囲の様子を見る余裕がなかった。デジタルカメラを片手に駐車場となっている広場を歩いてみる。
 
 車道方向を見る
 
駐車場となっている砂利の広場が広がる
 
 ここは開けた所でなかなかいい場所であった。岩が露出した山肌が望める。なかなか見ごたえがある。あまりのんびりしていると人が来るかもしれないので、テントの撤収を開始する。
 
滝への山道方向を見る 
 
広場の片隅に看板やトイレがある
 
 テントを畳み終わる頃、ふと顔を上げると、朝日が周辺の山肌を照らし出していた。なかなか壮観である。
 
 朝日が山肌を照らす
 
こんな山も望める 
 
 朝の新鮮な空気の中で周囲の山々を一回り眺め渡し、それにしても昨日は無事に生還できて良かったなと、米子大瀑布の野宿地を後にしたのだった。
 
  
 
*エピローグ*
 
 夏休みの旅はその後も続けられたが、米子大瀑布の野宿で崩した体調は、結局全快してはくれなかった。時々ひどい苦痛が襲ってきて、その病状は一進一退を繰り返した。よっぽど菅ノ沢林道と米子大瀑布が、体にこたえたらしい。野宿はそれっきり諦め、ビジネスホテル泊へと切り替えた。8月11日(水)には飯山市の飯山線・北飯山駅近くのホテルに泊まり、翌12日には新潟県に入って、当初の目的である甲子峠を目指すのだが、息も絶え絶えの旅である。12日の宿は大和町の上越線・浦佐駅近くにとったが、まだ日が高い内にホテルの部屋に入ってベッドに倒れ込むと、そのまま飲まず食わずで翌朝まで、約14時間昏々と眠った。
 
 朝、ベッドで目覚めた時は、さすがにこれはまずいと思った。旅を中断し、帰宅した方がいいのではないだろうか。幸い近くを関越自動車道が通り、それに乗れば比較的楽に自宅まで戻れる。この体調では残りの休暇は家でゆっくり養生すべきだろう。
 
 しかし、である。サラリーマンの休日は貴重だ。この機を逃せばここまでまた旅に出て来れる機会はなかなか得られない。甲子峠はもう直ぐ手の届く距離にあるのだ。誘惑にかられ、ホテルを出発すると車を自宅とは反対方向へと向けて走り出した。国道17号を北上し、更に国道252号で東へと進む。
 
 それがまたしても失敗だった。新潟と福島の県境を成す六十里越を越えて田子倉ダムに着く頃には、もう田子倉湖の景色を見る余裕など全くなくなっていた。暑い真夏の日差しを避け、ダムサイトの木陰のベンチに腰を降ろすと、下を向いてただただ呼吸を整えるばかりである。ここまで来るともう手遅れだった。関越道に戻るも、東北道へ進むも、長い長い国道走行が待っている。果たして体がもつだろうか。
 
 じっとしていても仕方がないので、また車に乗って走り出す。険しい六十里越を引き返すより、東北道へと先に進むことにした。ただただ苦痛
耐えるだけの移動だ。なんて馬鹿なことをしているのだろうと思う。時折、適当な休憩場所を見つけては、東屋なんぞの下で横になって体を休めた。途中、会津田島町を通り過ぎるが、甲子峠はこの直ぐ近くにある。しかし、甲子峠は日本屈指の悪路の峠道だ。険しい未舗装林道が待ち受けている。今の体調で挑んだら、体がバラバラになってしまうだろう。今回の旅の大きな目標を目の前に、泣く泣く東北道・西那須野塩原ICを目指すのだった。
 
 その後も、塩原の交通渋滞に耐え、意識が薄れそうになる高速道路走行で最後の気力を振り絞り、普段でも運転が苦手な都心を抜け、それでもどうにか無事に帰宅した。夏期休暇の残りの3日間は、自宅の布団の中で過ごす羽目となった。
 
<初掲載 2005. 3.20>
 
  
 
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