サラリーマン野宿旅

キャンプ場 私がキャンプ場を嫌いな訳


 野宿旅では原則的にキャンプ場ではキャンプしていけない掟になっている。特に有料のキャンプ場はなるべく避けて通らなければならない。これは野宿旅のポリシーの問題で、金銭の問題では決してないことを断っておく。

 しかし緊急避難的にキャンプ場の使用が許されるケースがある。それは以下の通りである。

  1. キャンプ場以外に適当な野宿地を見つけ出せなかった場合(ただし野宿地探しに十分な努力したと証明する必要がある)
  2. キャンプ場以外の場所でのキャンプが禁止されている場合
  3. キャンプ場以外の場所での野宿に危険があると判断された場合

 1の場合については特に説明を要しないと思う。それ程今の日本でいい野宿地を見つけ出すことが困難なのだ。2の場合は特に山火事防止や環境保護を目的に、指定場所以外のキャンプを自治体が禁止しているケースである。いい例が長野県の川上村周辺である。三国峠大弛峠などの素晴らしい峠を持つこの村では、到る所にキャンプ禁止の立札が立っている。その為一般のキャンパーに混じって野宿旅の旅人も川上村にある有料の廻り目平キャンプ場へ導かれる羽目になる。何か陰謀を感じざるをえない。

 3の場合は危険の種類について色々なケースがあり一概には言えない。しかし典型的な例を挙げるとそれは熊の危険性である。特に北海道は狂暴なヒグマの棲息域である。ヒグマが出て来るかどうかの判断は非常に難しい。その為安全を考えるとどうしても北海道の旅ではキャンプ場を使うケースが多くなるのである。


学生がはしゃぎ回る

モーラップキャンプ場
1992年7月20日、千歳市支笏湖畔モーラップキャンプ場

 支笏湖は観光地であまりにも有名であり、またこのモーラップキャンプ場も各種のガイドに載っている。当然最初からこのキャンプ場を利用する積りは毛頭なかった。

 湖を眺めながらの野宿を夢見て支笏湖の周囲をぐるりと回ったが、湖畔にキャンプ場以外の野宿場所を見出すのは困難であった。仕方なく丁度出くわした樽前山の登山道路に入り込む。道は未舗装の林道で鬱蒼と森が茂り、薄気味悪いことはなはだしい。薄気味悪いだけならまだいいのだが、やはりヒグマのことが頭をよぎる。途中で断念して引き返し、その近くにあったモーラップキャンプ場へおずおず入っていった。

 モーラップキャンプ場は比較的広い湖畔の砂地に位置し、なかなかいい環境である。私がテントを張った時点ではまだキャンパーの人数も少なく、ゆったりしていた。湖を挟んで対岸の山並みに沈んで行く夕日など眺めながらいい夜が過ごせそうだと思った。

夕焼け 湖畔の夕暮れ。悲劇はこの後待っていた。

 ところが日も暮れてテントに潜り込み、静かな時間を過ごそうとしていると外が何やら騒がしくなってきた。どこからか高校生くらいの学生の集団が湧いて出て、キャンプファイヤーを始めたのだ。火を囲んでオクラホマミキサー(年齢が分かってしまう)でも踊っているならいいが、ワイワイとやたらにうるさい。その内花火を始めた。しかもロケット花火である。ヒュルヒュルパーンと辺りに騒音を撒き散らし、そのたびに歓声を上げる。中には打ち上げ花火を手に持って、仲間を追いかける奴も出て来た。私のテントの傍らでは居合わせた女性のキャンパーにさっきからしつこく軟派している。仲間を狙った打ち上げ花火がテントをかすめて飛んで行った。更にエスカレートして今度は爆竹である。

 さすがに引率の先生らしき人の声で注意がとぶ。しかし普段夜更かしの学生の悪ふざけは止まらない。遂にはキャンプ場の管理者からスピーカーで「爆竹は禁止です」との注意放送があった。ところが既に誰かが爆竹をまとめてキャンプファイヤーの中に投げ込んだらしい。もう止めようにも止まらない。その後も時々爆竹の大音響がキャンプ場に響いた。

 普段真夜中まで深夜テレビなどを見ては起きていて、昼間は授業中に居眠りする学生が、その生活リズムをそのままキャンプ場に持ち込んだ。真夏の時期なら夜明けは早い。だから夜の9時には寝てしまい、翌朝は4時頃起きるのが私の野宿のパターンである。その日はうるさくてなかなか寝付かれず、それでも次の日の朝は5時頃には起きてテントから這い出した。あの学生達のテントは今は静かなもんだ。

 ふと見ると確か隣りでテントを張っていたオートバイツーリングのキャンパーがもう跡形もなくいなくなっている。既にテントを撤収し旅立った後だった。エンジン音をさせることもなく早朝静かに出発したのだ。まったく野宿旅の鏡である。中にはこういう見上げた若者もいるのだ。


夜中に暴走族

岩尾内湖キャンプ場 1992年7月21日、朝日町岩尾内湖キャンプ場
湖の中央付近に突き出た半島にある

 旭川市より於鬼頭峠(現在はトンネルができている)を越えて朝日町の岩尾内湖に着いた。遥々未舗装の道を通ってやって来たという気持ちがあり、湖の眺めも格別である。キャンプ場が有りそうなので、そちらに行ってみる。広い駐車場の周りの林の中にいく張りかのテントが見えた。管理者は見当たらずどうも無料のようである。気に入った。早速テント設営場所をいろいろ物色し、比較的駐車場近くの林の中に陣取った。

 トイレ以外これといったキャンプ設備はなく、ただ広い敷地があるばかりである。こういうキャンプ場は好きだ。キャンパーの数が少ないせいもあり、ほとんど物音がしない。静かな夜を迎え、穏やかな眠りに着くことができた。

岩尾内湖キャンプ場 林の中にテントを張る

 それはキャンパー達が寝静まった深夜に始まった。何台かの車がどやどややって来る。人の話し声がし、ヘッドライトの光がテントを照らす。迷惑だ。こんな遅くに到着したキャンパーがいるのかと思ったら、なんと連中は広い駐車場の中を車で走り始めた。大きなエンジン音が響き、タイヤがきしむ音が轟く。自宅で寝ている時に時々悩まされる騒音をこんなキャンプ場で聞かされる羽目になるとは思ってもみなかった。今や岩尾内湖や周りの豊かな自然は夜の闇の中に隠れ、テントの外はこうこうと車のライトに浮かび上がったサーキット場と化してしまったのだ。

 彼らには林の中のテントが目に入らないのだろうか。そしてテントの中には人が寝ているのを知らないのだろうか。怒りが込み上げて来た。しかしどんな連中だか分からないので、テントを飛び出し怒鳴りたいのをこらえてじっとしていた。

 その騒音は1時間程続いて、車は引き揚げていった。しかしその後もしばらく気持ちが高ぶって眠れなかった。翌朝は昨夜の出来事が嘘のように森に囲まれた静かな岩尾内湖が再び姿を現した。


オバタリアンの野外カラオケ

屈斜路湖 幻想的な屈斜路湖(津別峠展望所より)

 津別町より津別峠を越えて屈斜路湖に向かった。途中津別峠展望所より屈斜路湖を眺める。旅をしていて、きれいだとか雄大だとか思う景色には時々出会うことがあるが、景色に感動したなどということは滅多にない。どちらかというと無感動なたちである。しかしその展望所より眺めた屈斜路湖は特別であった。しばし我を忘れて呆然と立ち尽くしてしまった。そこにはこの世ではない様な、何か幻想的な世界が広がっていた。

 感動を胸に津別峠を下る。今日は屈斜路湖周辺でキャンプしようと思う。だれもいない野宿地などを探すのは困難そうなので、適当なキャンプ場があればそれでもかまわない。湖岸の道路を走る。観光客目当ての店が目立つ。コンビニ風の店もある。キャンプ場も幾つか有りそうだ。適当に目に付いたキャンプ場に入って行った。狭くて既にキャンパーが何組もいるが、車を停めテントを張るスペースを見つけられた。岸辺からは離れた場所なので、テントからの眺めは望めない。ただ寝るだけの場所と諦め、そこをその日のねぐらと決めた。

 テントを張っていると一人の男が近付いて来た。やはり無料ではなかったのだ。しかし世間話でもする様に近付いて来て、自然に料金を徴収していく態度には好感を持てた。

いなせキャンプ場 1992年7月24日、弟子屈町屈斜路湖畔いなせキャンプ場

 隣りにタクシーの車が止まっていた。タクシー運転手のキャンパーである。しかしその車よりその側に置かれた機材が非常に気になる。かなり大掛かりなものを持ち込んできているのだ。そして日暮れるとともにカラオケが始まった。

 あの津別峠展望所より眺めた屈斜路湖は幻想的であった。しかし近付いてみれば人間界の猥雑さに満ち溢れていた。こんな大きな自然を目の前にし、そしてキャンプという普段の生活とは違ってより自然に近い暮らしをしているのに、わざわざ器材を持ち込んでまでカラオケをすることはないだろうに。それとも自然の中でするカラオケはまた味わいが違うとでもいうのか。

 その中年の男2人と女1人のカラオケは延々続いた。しかしそれも夜の10時を過ぎると、片方の男が迷惑になるからもうやめようと言い出した。さすがに男性は常識人である。これで安眠できると思ったら、オバタリアンが本領を発揮した。まだ早いから続けようと、渋る男からマイクを取って演歌を歌いだした。気の弱い男どもはいともた易く押し切られてしまった。屈斜路湖の湖畔は一際大きな中年女性の歌声とやや遠慮がちな中年男性の歌声が深夜まで響き渡った。


駐車料金まで取られる

阿寒湖畔キャンプ場 1992年7月25日、阿寒町阿寒湖畔キャンプ場
駐車場より延々歩かされた

 阿寒湖付近で日が暮れかかった。阿寒湖畔キャンプ場というのがある。湖畔といいながら湖とは国道を隔てて反対側にあり、湖を眺めることなどできない。入口の料金表を眺め、一張り数百円が惜しいと思うが、小雨も降り始めて来ておりこれ以上あちこち野宿地を探す気力もない。今日も仕方なくキャンプ場のお世話になるとする。

 窓口から管理人に料金を支払おうとすると、なんとキャンプ代の他に車の駐車料金も請求された。確か千円近くして、キャンプ代よりもずっと高い。こんな田舎でどこかの都会の駐車料金並である。唖然とすると同時にやや恥ずかしい思いが込み上げてきた。なるべく平静を装ってお金を払う。

 駐車場に車を停めてキャンプ道具を運び出していると先程の管理人が出て来て、荷物運びにリアカーを貸そうかと親切に言ってくれる。平静を装った積りでもこちらの動揺を察っし、またみすぼらしい格好をしていたので哀れに思ったのだろうか。普段はサラリーマンをやっているからそれ程お金に困っている訳ではないのだ。ただ野宿するのにも千円前後のお金を払わなければならない現実にやや驚いただけなのである。照れくさいのでリアカーは愛想笑いをしながら断った。

 しかし断らなければよかった。駐車場の近くは既にテントで埋まっており、テント設営場所を求めてずっと奥まで歩くことになった。これまでキャンプ場では他のキャンパーからよく騒音公害に合っている。なるべく他のキャンパーから離れたかった。結局一番奥のこの先はもう誰もいない所まで行ってテントを張ることにした。一度だけではキャンプ道具は運びきれない。長い道程を何度か往復する羽目になった。高い金を払って車と引き離され、それでまた苦労しなければいけないのがしゃくに障った。


国設野営場は大混雑

オンネトー 1992年7月26日、オンネトー
奥に見える左が雌阿寒岳、右が雄阿寒岳

 阿寒湖畔キャンプ場では苦労して静かな場所を選んだ甲斐もあり、ぐっすり眠ることができた。翌朝は他のキャンパーが起き出す前にテントを撤収、寝静まったテントの間をまたも何度も往復して荷物を車に積み、何の未練もなく出発した。

 近くのオンネトーに寄る。「原生林の中の秘湖」というツーリングマップにあった謳い文句にひかれたのだ。その湖にもキャンプ場があった。国設オンネトー野営場である。湖をひと目見ようとその野営場の中を通って岸辺まで行く。ところがひどい混みようである。足の踏み場もないくらいところ狭しにテントが張られている。これではキャンパー同士のプライバシーが保たれないないだろうに。そろそろキャンパーたちが起きだしてきた頃で、なにか他人の家の中を覗きながら歩いている様で気が引ける。

 その内ひどい臭いがしてきた。トイレである。これだけいるキャンパーの数に対して小さなトイレだ。到底さばききれないだろう。さらにひどいのはその悪臭を放つトイレの直ぐ側にもテントを張っていることだ。秘湖とも言われる自然の奥深くまで来て、随分惨めな話ではないか。


兜沼キャンプ場 1992年7月22日、豊富町兜沼キャンプ場

 災難が続いた北海道の野宿旅だが、よかったキャンプ場もあった。北海道の北端に近い豊富町の兜沼キャンプ場もその一つである。ここは自前のテントを張るだけならただである。キャンプ場内を細い道が巡っていて、テントの側に車を停めることができる。トイレや水場などの設備がよく、有料でシャワーも使える。貸しテントもある。薪が一束300円で売っていたので試しに購入した。生憎小雨が降っていたが、そのせいかキャンパーは沢山いたのに夜は静かで、テントの中に入ると全く自分一人でキャンプしているようであった。テントにしとしと降る雨さえも音を立てなかった。翌朝はしっとり濡れたテントや芝生や木々がかえって清々しく新鮮であった。


 北海道には本州に比べて自然の豊さを利用した質の高いキャンプ場が沢山ある。人気があるところは混雑したり、高いお金を取られたりするが、そうした一部のキャンプ場を除けば北海道をゆったり野宿旅できると思う。問題なのはキャンプ場そのものではなく、そこでキャンプするキャンパーたちである。野宿旅の野宿と一般のキャンプとにはずれがあるのだ。

 野宿旅ではなるべく自然のリズムに合わせようとする。日の暮れと共に休み、日の出と共に起きる。野宿地は夜遅くまで花火などをして遊ぶ所ではなく、明日の旅の為に休養を取る所なのだ。色々な思惑を持った人々が集まるキャンプ場ではこうしたずれがどうしても起きてしまう。

 しかしうるさいというだけなら今までに轟々と濁流が流れる川岸や、大粒の雨がテントを叩く日や、嵐の様な風が唸る日や、雷が何度も轟く日に野宿したことがある。こうした自然が出す音は少しはうるさいとは思うが、腹が立つほどではない。耳栓でもすれば案外眠れるものだ。これが人間が立てる音にはうるさい以上に腹が立って眠れないのだ。私の野宿旅も、もう少し悟りを開く必要を感じる。


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