サラリーマン野宿旅

西への長い旅 (Part1) 王滝村をさまよう


 もう5年以上も前のこと

 いろいろあったがやっぱりやめることにした。何をやめるかというと当然ながら会社をである。これまでも2回辞めているが、それらはいわゆる転職であり、サラリーマンを続ける意志はそのままに、より条件のいい会社を求めてのことだった。しかし今回はちょっとわけが違う。次の勤め口の当てがないままに、ただただ会社を辞めてしまったのだ。定職を持たないフリーターなどの経験はなく、学校を出てから幾年月、謹厳実直(?)なサラリーマンを生業としてずっと続けてきたのをここに来て放棄してしまったのだ。

 会社に対する不満もあった。仕事の内容や上司とのこととか、辞めた理由を分析すればいろいろな要素をあげられる。しかし根本的な理由はその会社を辞めたいのではなく、やはりサラリーマン自体を辞めたかったからだとしか言うより仕方がない。辞める何ヶ月も前から仕事に身が入らなくなっていた。会社を休みがちであった。そうなる直接の原因はあったのだが、気持ちの奥底にはついにサラリーマン生活に対する嫌気が差し始めていたのだ。

 理由が理由だからまた別の会社に勤めようなどという気には当然なれない。それまでの転職経験からどんな会社に勤めても、どこも似たり寄ったりのどんぐりの背比べで、サラリーマンであることに変わりはないのは分かりきっている。かといってサラリ−マン以外に日々の糧を手に入れる能など持ち合わせていない。自分で商売をしたり事業を起したり出来るならとっくにしている。そんな自分が情けなくて、何の収入の当てもないまま、自分を放り出すように会社を去ったのだった。


 厚生年金を国民年金に切り替え、情けないことに健康保険を子供の頃と同じ様に父親の扶養家族にしてもらうよう手続きし、ハローワーク(職安)に行って雇用保険の保険金を申請した。自己都合退職のため、退職後3ヶ月経たなければ保険金はもらえないのだが、今はそれが唯一の収入源となるのである。余談だがサラリーマンなら誰でも給料明細書で毎月きっちり雇用保険料を月給から天引きされているのを知っている。僅かな金額とはいえ何ら自分の為にならないので気に食わなく思うだろうが、私は十分元を取ることが出来た。

 長年サラリーマンをして爪に灯を点す様に(?)貯めてきた貯金も少しはある。雇用保険金と合わせればしばらくは何も働かなくて食っていける。通勤などしなくてもいい、仕事のことなど何も考えなくていい、自由な毎日がただあるばかりだ。となればあとはやることは一つである。そう、旅に出るのだ。

 年金の手続きなどの事務処理を済ませたときには既に10月に入ってしまっていた。野宿にはそろそろ厳しい季節である。もう少し早く会社を辞めておけばよかったのだが、さすがに野宿旅に合わせて退職時期を考えるほど精神的な余裕はなかった。なるべく野宿がし易い様に暖かい地方がいいと考え、行き先はただ東京より西へとだけ決めた。

 いつもは限られた会社の休暇を利用した旅だったが、今回は無期限の長い旅である。どうせ旅の途中でいろいろ補給しなければならないのだからと、荷物は特別に増やすことなく毎度の旅支度とし、現金は多めに20万円ほど用意した。しかし結局その1/3しか使わなかったのだが。

 今は収入の見込みはないが、代わりに時間だけはたっぷりある。よって高速道路などの有料道路は一切使わない。無職の身の上だから倹約するのではなく、お金を使う必要がないのだ。急いで行かなければいけない目的地も、急がなければならない理由も何もないのだから。

 秋も深まったとある日に愛車ジムニーでふらりと旅立った。

愛車ジムニー 旅の相棒


 甲州街道に乗り、西へ走る。諏訪市より有賀峠を越えて辰野町、さらに牛首峠を越えて楢川村で中山道に入る。鳥居峠の旧道が通れるかと探したが無駄で、新鳥居トンネルを抜けて中山道を木曽福島まで来た。そこより国道を離れ西へ王滝村を目指して進む。長野県王滝村は木曽の御嶽山の南麓一帯に広がる森林地帯を持ち、野宿旅には極めてふさわしいところだ。王滝川に沿った道を行くと牧尾ダムに堰き止められた御岳湖がある。渇水期なのか水量は少なく湖底の一部が露出している。湖岸の道を溯ると王滝村の中心地に出る。村内は道幅が狭く、標識もなくごちゃごちゃしていて間違って黒石林道に入ってしまった。この林道は御嶽山のかなり高いところまで通じた林道で、眺めがよいと聞いているが有料である。とっとと引き返す。目指すは王滝川のさらに上流にある三浦貯水池に通じる御岳御厩野林道だ。

 その後、林道溝口線に迷い込んだすえやっとそれらしい林道に入り、鈴ヶ沢を渡るところに立っていた看板で現在位置を確認し一安心した。御岳御厩野林道をさらに進むと右脇に広い空き地があった。枯れ木が豊富にあり、焚き火の薪には不自由しない。まだ日が沈むには早いが、旅の初日で体がまだ旅に慣れていないこともあり、その場をこの旅の最初の野宿地と決めた。

王滝村野宿地 この旅最初の野宿は王滝村で

 焚き火をしつらえて夜を待つ。辺りに人気はない。一番近い集落までも10Km近い道程がある。ただただ静かだ。時折薪が弾ける音が闇夜に響く。焚き火の揺らめく炎を眺めていると、否応なくこれからのことを考えさせられてしまう。どうやって収入を得ようかということよりも、いったい自分は何をしたいのかが問題だ。こうやって旅をするのは好きだが、年中やっている訳にはいかない。まあ、まだ旅は始まったばかりで、余計な事を考えるよりもまずこの旅を楽しまなくては意味が無い。ひとしきり焚き火で遊んだ後はテントに入り、ローソクの明かりで地図を眺め、明日の道程をあれこれ思い描いて眠りについた。


 翌朝いよいよ王滝村の奥深くに車を進める。王滝村は昭和59年9月14日8時48分、長野県西部に起こったマグニチュード6.8の大地震で御岳崩れの大崩落が発生し、多大な被害を受け、その時土石流という言葉も一般に知れることとなった。

王滝村 王滝村の土石流の爪痕

 林道は被害のひどかった伝上川や濁沢の流域一帯に差し掛かった。荒廃地の復旧工事は進んではいたが、その荒涼とした眺めには不気味な恐怖を覚える。土石流が通過したであろう個所を車で横切る間も、今にも上から土砂が押し寄せてくるのではないかと不安に駆られる。

 その先下黒沢を渡り、道はさらに三浦貯水池まで通じている様に地図にはあったが、敢え無くゲートで通行止となった。ゲートが無くても入り込む気には到底なれないほど荒れた、ほとんど廃道状態である。代わりに滝越併用林道というのが左に分岐していた。その名からすると下の王滝川沿いの滝越に通じているようだ。手持ちの地図には無いが、どこかに貯水池まで行ける道が他にあるはずだ。滝越に下りる。案の定王滝川沿いに道が上流に伸びていた。

 道は支流の上黒沢に掛かる橋を渡り、そこに関係者以外進入禁止とある。ここよりさらに上流の地域は岐阜県との県境を成す森林地帯で、その中心に一般人にはほとんど目に触れることがない三浦貯水池がひっそり佇んでいる。私の西への旅はその貯水地を眺め、さらにその先の県境の峠、鞍掛を越えて行く予定なのだ。失礼して結界を破らさせてもらう。

三浦貯水池 三浦貯水池遠望

 林道は直ぐに川沿いをそのまま真っ直ぐ進む道と、右に急登する林道(上黒沢線?)に分かれた。これからは地図は何の役にも立たない。何しろ貯水池の周りにはほとんど道が記されていないのだ。自分の感だけが頼りである。もとの御岳御厩野林道に戻ることを考え、右の道を行くこととした。その後も幾つかの分岐が現れるたびにこれまでの野宿旅で鍛えた感を遺憾無く働かせる。途中貯水池を遠望することができ、うまくいくかと思えたが、結局三浦ダムは通り越し、貯水池北岸、上流の王滝川の流れ込みでやっと湖岸に立った。水量が少なく岸辺は広く土が露出し、そこに無数の立ち枯れた木の切り株が墓標の様に立ち並ぶ。一人ぽつんと眺めていると吸い込まれてしまいそうな光景だ。しばらくボーと立ち尽くしていたが、何かの霊に取りつかれそうなのを振りほどくようにして車に戻り、また先に進む。

 目指すは鞍掛峠。今度は複雑な分岐もなく、途中に看板もあり難なく峠に着いた。ところがそこに待っていたのは丈夫なゲートであった。王滝村に入れないようにするゲートの為に今は王滝村から出ることが出来ない。峠の先にはすばらしい眺めと楽しそうな林道があるのに残念だ。ところで林道御岳御厩野線の名の御厩野とは鞍掛峠を岐阜県下呂町に下ったところの地名である。するとこの林道名は鞍掛峠を挟む峠道全線を指したものということになる。しかし林道途中の看板には五味沢林道という名が見られ、また下呂町側は県道何々公園線と名付けられている。御岳御厩野線とはもともとあった古い名なのであろう。また途中寸断されてしまったこともあり、現在ではこの名は使われないのかも知れない。

 泣く泣く来た道を滝越まで戻る。その後も往生際悪く真弓峠などを調べて回るがどうしても県境を越えては王滝村を脱出することは出来ず、結局牧尾ダムまで引き返す羽目となった。昨日から続けて思う存分林道走行を楽しめたのはいいのだが、やや疲れた。王滝村を出たところで食堂に入り、遅い昼食を取る。

 午後は岐阜県をうろつく内に雨が降り出し、野宿地を見つけるタイミングを失ったまま日が暮れた。夜の道を何処を走っているかも分からなくなり、途中にあった路肩の工事現場の一画に車を止め、車内泊となった。夕食を取る元気もなく、着の身着のままリクライニングシートを倒しシュラフにくるまる。軽自動車は狭いので足を伸ばせず寝苦しい。寂しい道を選んだはずだったが、それでも時たま車が傍らを通過し、そのたびにヘッドライトが眩しく気が休まらない。深夜雨足は強くなり、車の鉄板の屋根を叩いてうるさい。旅の疲れか腹痛に襲われ下痢をする。これから先、旅が続けられるのだろうかと、浅い眠りで夜明けを待った。

(長くなりそうなのでPart2に続きます)


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