サラリーマン野宿旅

西への長い旅 (Part3) 冬に追われ、警察に追われ


 本州の西の終点、下関市で折り返しとなり、一転我が家への東への旅となった「西への長い旅」の最終回です。
 旅暮らしは続く

 我が家へ向けて折り返したと言っても、素直に真っ直ぐ東には進まない。まだまだ家に帰る気はないのだ。南へ北へとくねくね蛇行し、時には西へ少し戻ったりしながら、徐々徐々に東に移動していく旅だ。寄り道ばかりで、相変わらず険しい林道なども探しまわる。

荒ケ峠林道 荒ケ峠林道入り口

山口県長門市から秋芳町へ抜ける林道
左の錆びた標識に「林道荒ケ峠線」と辛うじて読める。険しそうなので行くのはやめた。

 長門市から秋芳町へ抜ける道をツーリングマップに見付けた。細い一本線で描かれた道で、注意して見ないと気が付かない。車が通れるかどうか怪しいものだが、とにかく行ってみるのである。そうしたことがこの旅の真髄なのだから。道に迷った挙句、どうにかそれらしい林道の入り口まで辿り着いた。ほんとにこの道だろうかと考えていると、地元の人が通りかかり、道に迷っていると思ったらしく、どこに行くのかと話しかけてきた。親切は嬉しいのだが、こんな時どう返答したらいいか戸惑ってしまう。別にどこに行く積もりもないからだ。ただ険しい峠道が見つかればそれでいいのである。この道は通れるかと、目の前の道を指差して聞いてみた。するとひどい道で車では通れないという様な返事で、道を教えるからどこへ行きたいのかと問い直してくる。目的地がないという事を説明するのが面倒で、結局適当な会話に相槌を打ち、礼を言って別れた。その人が十分遠ざかったのを確かめてから、おもむろにその道に入ってみる。暫く行くと錆びて字もほとんど読めない林道標識が立っていた。「林道荒ケ峠線 長門市」と辛うじて読める。長門市と秋芳町の境の峠を荒ケ峠と呼ぶのだろうか。なかなか険しそうないい名前である。見るとその先で道は未舗装となり、実態も極めて険しそうだ。いつもなら行けるところまで行くのだが、この時は何となくおじ気付いてしまった。さっきの人から通れないと言われたこともあり、行っても無駄だと引き返すことにした。しかし後から考えると、どうもしっくりしない。通れないなら通れないで、やはり自分の目でしっかり見届けておけばよかった。


 あちこち寄り道が多い旅

 毎日続ける旅は場当たり的である。あっちの道をふらふら、こっちの道をふらふら、全く目的がない。北に未舗装の林道があれば行ってがたがた揺られ、南に険しい峠道があればこわごわ越えてくる。でもただ道を走っていただけでは詰まらないので、目に付いたものはそれが何だか知らなくても、ちょっと寄り道したりするのだ。

広島県豊平町中原の分水嶺 豊平町の分水嶺

 広島県豊平町で名も知らぬ林道に入ろうとして、どうやら入り口の分岐を見落としたらしく、そのまま国道433号に出てしまった。そこで「分水嶺」と書かれた石碑を見掛け、車を止めてしげしげと見る。日本海と瀬戸内海の分水嶺だろうが、場所はなだらかな丘陵地といった感じである。普通もっと高い山脈を思い浮かべるが、そこが腑に落ちなかったので、わざわざ止まったのである。しかし確かに石碑には「分水嶺」と大きくあり、また標高509mとも記されていた。他に確認の手立てもないので、それなりの標高があるから、そうなのだろうなと納得したまでのことだった。後は石碑の台座のコンクリートに腰掛け、暫くのんびりボーっとする。辺りの何でもない景色を眺め、時折通る車を目で追ったりする。こんな観光地でもなく、ましてやわざわざ遠くから見に来るところでもない場所に、何気なく立ち寄ってみるのも、旅暮らしの内のひとつである。車の運転で疲れた目を休ませ、同じ運転姿勢を続けてきた体がほぐれたら、また出発だ。

 ツーリングマップに書かれているちょっとしたガイド文が目を引くこともある。でも、観光用のガイドブックの様な訳にはいかない。詳しい内容や、アクセス方法が全く不充分であるのは諦めなけらばならない。広島県庄原市に「日本ピラミッド」というガイドが記されていた。「どこから見ても三角形の姿、謎とロマンに包まれている」という文句も添えられている。そのガイド文だけでいろいろと想像を膨らませるのだ。「日本」と冠するくらいだから、もしかするとすごく有名で、中国地方の観光ガイドブックでは、必ず載っている程のものかもしれない。でも、「日本」と言うのはときどき怪しいのだ。はっきり言って誇大表現としか思えない時がある。「日本キャニオン」というのが青森県にある。アメリカのグランドキャニオンと対比させたのだろうが、行ってみたら、ネーミングにちょっと無理があるんじゃないかとしか思われないのであった。さてこの「日本ピラミッド」はどうだろうか。とにかくこの目で見てみよう。どちらにしろ葦獄山という名の山で、その山に登ることまではできない。代わりになるべく近くからその三角形の姿を眺め、できれば謎とロマンの正体を知りたいものだ。ところがどこからアクセスしたらいいか判らない。きょろきょろしていたら、登山口らしい狭い道を見付けたので、その泥道に入って行った。しかし三角の山は相変わらず姿を現さない。そのうち車道は行き止まり、登山道となった。ここまで来たからはと、車を降りてぬかるみの道を暫し歩く。しかし林に囲まれ、展望がきかない。結局靴と車が汚れただけで、諦めて戻る羽目になった。未だに「日本ピラミッド」は謎に包まれているのであった。

帝釈峡 広島県東城町の帝釈峡

車は入れない道 オレンジ色の馬車が通っている

 時には奇勝らしい奇勝に出くわす場合もある。広島県東城町に「帝釈峡」なるものがあった。駐車料金を300円取られるのが気にかかったが、「帝釈峡保全協力費」という名目であるのと、ここで300円ケチって見なかったら、もう二度と来ないだろうと思ったので、ひとつ奮発することとした。見学するには駐車場から暫く歩かなければならない。その歩道を馬車が観光客を乗せて通っている。なかなか味わいがある。ここの一番の売りは峡谷に架かった「雄橋」と呼ばれる自然にできた橋である。実物は自然の造形は不思議なものだと感心させられるものであった。思わずこの橋の上に上がってみたくなり、観光コースを外れて崖を上って行くと、そこに一人の男がしゃがみ込んでいた。男はこちらに気付くと、慌ててズボンをたくし上げながら立ち上がる。一見して全てを察した私は、身をひるがえし崖を下ったのであった。それにしてもよほどの緊急事態だったのだろうか。急な下痢などは私にも嫌と言うほど覚えがあるが、選りによって天然記念物でするとは、まったくバチが当たる。「帝釈峡」では他に「白雲洞」という鍾乳洞にもお金を払って入った。しかしどんなだったか全く記憶にない。「雄橋」はよかったが、やはり「帝釈峡」で一番記憶に残ったことが、狼狽した男の表情であったのが悲しい。

広島県より県境を越えて岡山県に入る 広島岡山県境

広島県東城町と岡山県神郷町との境 何と言う峠だろうか?

井倉洞 井倉洞へ渡る高梁川に架かる橋

井倉洞は土産物屋もある紛れもない観光地である

 鍾乳洞と言えば、岡山県新見市にある「井倉洞」も訪れた。やはり折角だからとお金を払って入ったのだが、同じく鍾乳洞そのものの記憶は残らなかった。秋芳洞、龍泉洞、竜河洞といった日本三大鍾乳洞なら辛うじて覚えているのだが、それ以外のさほど大きくない鍾乳洞はどこも同じ様なもので、記憶の上では全く区別などつかない。「井倉洞」には土産物屋が並び、如何にも観光地といった感じで、訪れた日がちょうど日曜日ということもあり、観光客が多かった。記念写真を撮ろうとしても、人が邪魔でいい写真が撮れない。洞窟の入り口に通じる橋からの写真を撮ろうとして、人が途切れるのを待ったが、なかなか途切れない。やっとシャッターチャンスと思ったら、子供が一人走ってきて、真中に写ってしまった。それが「井倉洞」の思い出となった。

岡山県東粟倉村 日名倉山 日名倉山

途中まで急坂の車道が通じていた。登ってみると景色は抜群。

 岡山県では他に新庄村の「がいせん桜通」、湯原町の「足温泉」(130円は安かった)、日名倉山と寄り道し、志引峠を越えて兵庫県に入った。それにしてもマイナーなところが多いのである。


 高原のホテル

 兵庫県の一宮町で福地生野線(今は県道一宮生野線、当時は未舗装区間もあり)に入る。途中からツーリングマップにも載っていない、さらに険しい林道を見付けて入り込む(後で調べたら、峰山広域基幹林道と呼ぶらしい)。どこに通じているか判らないし、行き止まりとなるかも知れない。荒涼とした景色が続き、寂しいかぎりである。こんなことをしていると、楽しいのか辛いのか自分でもよく判らない。それでも無事にどこかの県道に出て一安心。しかし次は野宿の心配だ。

福地生野線 兵庫県一宮町の福地生野線

左側に「通行注意」の標識が立つ。道は未舗装となった。険しそうだ。

 険しい林道抜けた後に、また野宿地を探してどこかの脇道に入り込まなければならない。いつもの様にツーリングマップとにらめっこである。すると「峰山高原」という所に「宿泊施設あり」とあるのが目にとまった。たったそれだけで、その峰山高原とやらに、いったい何があるのかは判らない。でも険しい林道を走ってきた後でもあり、久しぶりにふかふかのベッドで休みたくなった。仮に宿泊できなくとも、どこかに野宿地を見つけようと、その峰山高原に向かった。

 県道から分かれて高原に続く坂道を登りきると、忽然と立派な建物が現れた。周囲には運動施設があるようだ。玄関の前には綺麗に花など植えられたロータリーもあり、そこに長旅で汚れきった軽自動車の我が愛車を駐車するのが忍びなく思われる。いったいここは何なのであろうか。いつも使い慣れた場末の安いビジネスホテルなどとは全く別物であることだけは確かだ。予約無しの一人の飛び込みで、身なりも気に掛かるが、恐る恐る玄関を入ってフロントに向かう。若い男性の係員が応対してくれ、こちらの心配をよそに、あっさり泊めてもらえることとなった。その日のねぐらが確保できたと判ると、毎度の事ながら安堵するものだ。それが野宿であろうがホテルであろうが同じである。急いで車を駐車場に停めに外に出ると、もう高原は夕暮れに染まっていた。荷物を抱えて明るい照明が灯ったホテルのロビーに戻った。

 後になって判ったことだが、そこは簡易保険保養センター、いわゆる「カンポの宿」である。加入者以外でも空いている時は利用できる。素泊まりだけだと、どこの安いビジネスホテルもかなわない低価格さであった。しかしみすぼらしい服で「食事無し」ではあなどられてしまう。ここはひとつ奮発して食事付きでお願いした。勿論、2コースある夕食の安い方ではあるが。それでもその食事代はいつもの野宿での食事の10食分の値段であった。

 カンポの宿など初めて泊まるので勝手が判らない。部屋に入ってみると、それほど広くない洋室だった。あまりビジネスホテルとは変わりないと思った。久しぶりに石鹸を使って洗面所で手や顔を洗う。野宿でポリタンクの水を使うのとは違って、豊富に水が使えるのが有難い。暫く休んでから、持っている中で一番いい服(それでやっと世間並みの普段着)を着て、予約した時間に食堂に向かう。小さなテーブルにちゃんと一人分の食事が用意されていた。周りには少ないながらも客が居て、みんなお喋りなどしながら夕食を楽しんでいる。やはり連れがいないひとりぼっちは私だけのようで、こんな時は少し気まずく寂しい気持ちになる。かえって誰もいない山深いところで一人で野宿する時の方が、寂しさなど感じないのだ。食事はボリュームがあり、全部は平らげきれなかった。部屋に戻りバッグの中を確認すると、野宿した時の夕食となるはずだった菓子パンが入っていた。たまには今日のような豪華な食事もいいが、こんな菓子パンやおにぎりなどの質素な食事でも何ら不満はない。かえって豪華な食事をしても後でどんな料理だったか、それがどんな味だったかなど、ほとんど思い出せない。私に高価な食事を与えても、もったいないだけなのである。残った菓子パンは勿論無駄にすることなく、明日の昼食用となる。

峰山高原簡易保険保養センター峰山高原

飛び込みで宿泊。宿泊施設の周辺には体育館やテニスコート、キャンプ場などがある。

 満腹した後は浴場に出掛けた。トロン温泉と言うらしい。浴室に入ると誰もいない貸切であった。ジャグジーやらサウナやら、湯船も複数ある。温泉の効能書きを読んだが全く覚えていない。私にはほとんど関係ないことなのである。のんびりゆっくり温泉につかるといった性格ではなく、暫く湯船に入っていると、直ぐにもぞもぞしてくる。そこで浴室にある、ありとあらゆる物を試し、最後には誰もいないのをいいことに水泳までして帰ってきた。これが私の温泉である。

 部屋ではベッドに横になりながら備え付けのテレビを見て、普段家に居る時よりもずっと怠惰にその日が終わった。


 またもや車内泊

 東への進路途中に立ちはだかる琵琶湖を琵琶湖大橋で渡ったところで、タイミング悪く夕暮れとなった。近くには山などなく、野宿地を探しようがない。うろうろしている内に道にも迷い、どこを走っているか判らなくなった。こんな時に限って腹の具合も悪くなる。トイレはないかと探したが、暗くて見つけようがない。ついには緊急事態だからと、夜の闇の紛れて、道端でしてしまった。その後どうにか資材置き場の様な敷地に入り込み、建設機械の中に混じって車を停め、そこで眠ることにした。リクライニングシートを倒して体を伸ばし、ふと遠くを見ると小さなオフィスビルの一角にこうこうと明かりが灯っている。もう夜も遅いというのに、まだ残業をしているようだ。サラリーマンは大変である。但し今はひと事である。それがいいような寂しいような・・・。気になって時々目を開けてそのビルを眺めたが、寝付くまで明かりは消えることがなかった。


 PLガス切れ

 食事を作る時は専らキャンピングガスのポケットコンロを使っている。そのLPガスが無くなりかけた。岐阜県で中津川市を通りかかったので、市内を車でうろついて探してみる。道に不案内なため、いつの間にやら狭い路地に入ってしまったが、そこで看板に「テント」と書かれている小さな店を見つけた。アウトドア用品店とは全く違う、木造の古ぼけた店舗だが、念のため声をかけてみる。しかしいくら呼んでも店の者が出てこなかった。小さな店は駄目だと、次には国道沿いの大店舗スーパーに入ってみた。日用雑貨が豊富に取り揃えてある。しかし肝心な物はなかった。今の日本、物がこんなにあふれているのに、欲しいものが手に入らない時もあるのである。

 神坂峠手前の野宿の朝、遂にガスが切れた。僅かに炎が着いているのだが、即席ラーメンは一向に煮えない。寒さの為に液化ガスが十分揮発しないのも原因らしい。1リットルの紙パックのカラがひとつあった。試しにそれを燃やすと、なかなか火力があり、それでなんと無事にラーメンを煮る事ができた。寒い朝にあったかいラーメンは格別である。

 普段家や会社で不要な紙をぽいぽいとゴミ箱に捨てているが、それがもったいなくてしょうがない。それらを燃やした時の火力をどうにか有効に使えないだろうかと考えてします。しかし都会では無理な話で、ゴミ収集車に持っていってもらう以外に手はない。これがもし田舎暮らしができたら、事情は変わるのにと思う。ストーブや暖炉の焚き付けに使える。庭でたき火でもするときに一緒に燃やして、焼き芋をするのもいい。田舎暮らしへの憧れはこんなところからも膨らむ。


 警察に追われ

 静岡県水窪町の山住峠から天竜スーパー林道に入った。しばらくすると、いつの間にやら後方より一台の怪しいジープが土煙を上げて迫ってきているのに気付いた。こちらはいつもの様にのんびり走りたいので、道の端に避けて止まり、追い越されるのを待っていた。するとどういう訳かそのジープも後方に着けて止まろうとしている。何だか判らないが、それなら先に行かせてもらいますよと走り始め、慌ててまた停止した。二人の男がジープから降りてきて、こちらに歩いてくるのが、ルームミラーに写ったのだ。その怪しい男達は運転席の窓際まで来ると警察だと名乗った。この林道は一般車通行止めだったかなと思っていると、どうも様子が違う。どこから来たのか、これからどこへ行くのか、こんなところで何をしているのかとか、交通取締りとは思えない職務質問を受ける。こちらには別に弱みなどあるわけないのだが、返答がしどろもどろになってしまった。どこから来てどこに行くのかと聞かれても、今のこの旅をしている状態を、一般の良識人が理解できるように、どう説明したらいいか判らない。それにここで何をしているのかと疑われても、ただただ走っているだけなので、答えようがない。その上今は無職の身の上。サラリーマンの時はよくある職業欄に「会社員」と胸を張って書けたのだが、今はそれさえも許されない。社会と明確な繋がりを持たない、根無しい草の様な存在なのだ。結局その警察官殿に氏名や住所等の記録を取られてしまった。最後には、不審者と間違われるので、こんな所でうろうろしないようにと付け加えられた。

 どうも警察官の話からすると、最近巷では神社へ放火という物騒な事件が発生していたようである。旅暮らしでは新聞は読まないし、テレビも見れない。カーラジオは時々点けてみるが、辺ぴな所ばかり走っているので、受信状態が悪くて聞けたものではない。よって世の中で何が起こっているのかさっぱり知らないのだ。知らないなら知らないで、それで済めばいいのだが、今回のようにひょんなことで、とばっちりを受けてしまう。そう言えばこの近くには山住神社や少し離れた所には有名な秋葉神社があるではないか。なかなか世の中とは縁が切れないものである。


 冬に追われ

 自分が不審者に間違われるだけでなく、本当の不審者に出くわしでもしたら怖いことだが、しかしうろうろするなと言われて、ハイそうですかと素直にはなれないものである。警察官の前では終始低姿勢だったが、分かれてしまった後は忠告など無視して、そのまま天竜スーパー林道を先に進むのであった。この林道は尾根近くを通るスカイライン林道で、終始眺めがよく、距離もそこそこ長くて走りごたえがあるのだ。ただ最近道路やその周辺の整備が行われたらしく、荒々しさに欠けるのは難点である。その整備の一環らしく、途中で真新しい避難小屋を見付つけた。これは利用しない手はない。中に入ると土間と板張りの床があり、なかなか広い。パンフレットまで置いてあったので記念にもらっておいた。ここは標高が高いので、夜は冷え込むはずだ。こうした小屋にでも泊まれば少しは寒さをしのげるかもしれない。

 案の定、夜中は寒くて熟睡などできたものではなかった。小屋の中でもしんしんと冷気が立ちこめ、床からは直接寒さが体に立ち上ってきた。安物のシュラフを2枚重ねたりしたが、もうこんな貧弱な装備では太刀打ちできない季節になっていた。翌朝は空が白み始めると、寒くて眠ってもいられないので、シュラフをかぶって外に出てみた。空は快晴で真っ赤な朝日が昇ってきた。そろそろ家に帰る時がきたようだ。我が家が懐かしく思える。毎日変わらぬ同じ場所で同じ布団に入ってぬくぬくと眠りたくなってきた。もうほとんど冬といって言い程の寒さにがたがた震えながら、今日を旅の最終日とすることに決めた。

旅の最終日

旅の最終日の夜明け。天竜スーパー林道より。


 てん末

 この旅は合計17日間。走行距離は一日平均151Km。野宿ばかりではなく、ホテルにも3泊している。但し高速道路は全く使わなかった。ガソリン代、食事代、たまに泊まるホテルの宿泊代、その他もろもろ合わせて費用は一日平均4047円なり。1泊2食付きで1万5千円(から)なんていう旅館に泊まる旅行をしていたら、絶対こうはいかないのである。野宿旅の本領発揮であった。

 結果的にそれ程長期の旅ではなかったものの、会社勤めの時に休暇を使って出掛ける旅と違って、全く時間を気にする必要がなかったのが一番嬉しかった。時間を気にするのは、もう昼時だから食事をどこでとろうかとか、そろそろ日が傾き始めたから野宿地探しをしなければならないとかいう時だけである。明日という日を気にする必要はなかった。ほっといても朝日は上り、そうすればまたその日の旅が始まるだけだった。

 旅が終わった後もあちこち小さな旅には出掛けていたが、雇用保険の給付が切れる前には適当に勤め先を見つけ、結局また元のサラリーマンのさやに収まって今に至っている。無職の期間は約半年であった。今の日本で真っ当なサラリーマン人生をやっていると、定年が来る前にそれだけの長い期間を自由に過ごすことは不可能であろう。もう一度あの様な旅をするには、会社を辞める以外に手はないのである。最近また時間を気にしない旅に出たいと切に思うのであった。

終わり  


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