サラリーマン野宿旅
初めての野宿
 

 
 それまでキャンプの経験は皆無だった。野外スポーツやアウトドアなど無縁であった。山歩き程度は好きだが、あの山小屋の狭い中に泊るのがいやで、いつも日帰りの山歩きであった。それが30歳もいくつか過ぎてから別に誰かにそそのかされたのではなく、自発的に野宿を始めたのは何だったのか。

 ひとつは、それまでも旅行が好きで、あちこちよく行ったが、マンネリ化した旅館やホテルの利用から脱皮し、旅行の宿泊手段のひとつとして野宿というバリエーションも手に入れられたら、旅行の形も変わり、また新しい楽しみ方ができるのではないかと思ったことだ。しかしそれとは別に野宿そのものについて何か他の思いがある気がする。

 子供の頃、洗濯機か何かが入っていたダンボールの空箱を庭に横にして置き、入り口や窓を開け、それを家に見立てて遊んだ記憶がある。中で特別な事をするわけではない。ただ自分の子供部屋に普段居る時と同じ事をするのだ。雨が降ればダンボール箱などたまったものではないが、しかしそんな日こそ、好んでそのダンボールの家にいそいそ入って行った。雨がダンボールの屋根を打つ音が中で響く。その内水がしみてふにゃふにゃになってくる。その危うさがたまらなく楽しかった。自然に対してぎりぎりの抵抗をしているという、ちょっとした緊迫感がよかった。子供の気持ちとしては荒れ狂う大自然の猛威に必死に耐えている積もりなのだ。ビニール袋を持ってきて屋根にかぶせたり、テープで補強したりといろいろ工夫する。それもまた楽しい。

 野宿もそれに似たところがある。しっかりした屋根のある家の代わりの単なる布切れのテントや、暖かくふんわりした布団の代わりのうすべったいシュラフ、蛍光燈の代わりのローソク、台所の代わりのポケットコンロ。野宿は便利さから離れ、より自然に近いところで生活することである。自然に生身をさらさした危うさと、物が十分にない不便さを工夫して乗り切る楽しさが、あのダンボールの家と通じるところがある。初冬の寒い日の野宿に、テントの中で安物のシュラフを二重にし、着られる物は全部着てもまだ寒く、がたがた震えながら夜明けを待つことも同じだ。そこに少し淫靡で変態的な一種の楽しさを感じるのである。

 最近田舎暮らしをしたいとつくづく思う。どこかの山里の朽ちかけた古い農家を買って、自分で修理しながら暮らすのだ。できればわずかばかりの畑で野菜などを育て自分の食料とする。それはサラリーマン生活から逃れたいという気持ちだけからではない。何か特別なことを成し遂げるのではなく、ただ自分が生きていく事自体に直接関わり、生活そのものをじっくり味わいたいという気持ちが強くなってきている表われだ。この田舎暮らしもダンボールの家や野宿の延長上にあるような気がする。しかし言い換えれば、何も特別人に認められたり、自分の名前が残るような事などできない一介のサラリーマン人生と諦めた今、自分自身の生活にでも目を向ける以外に何もないのかもしれない。それは会社の仕事以外にもいろいろやってみたが、結局野宿旅という何ら生産的でなく、人に認められもしないことに行き着いて、それだけが今も続いているのと符合する。

 
初めての野宿地 初めての野宿地
 
9月21日 山梨県早川町 奈良田湖下流の早川の河原
 
 何事もその道の通からいちいち教えてもらったり、またベテランのやる事をそっくりそのまま真似るのはいやなので、自分で考え、自分で判断して用意した野宿道具を車に積んで、いよいよ野宿の実地体験である。家を出発した時から頭にあるのは野宿の事だ。なにしろその日宿泊するホテルや旅館の予約をしていないのである。昼間、どんなにいい道を走っていても、どんなにいい景色に出会っても上の空だ。午後日がやや傾くと野宿地の目星を付けていた山梨県は早川町の早川を目指して車を進めた。早川は南アルプスの東を南北に流れる川で、まだ行ったことがなかったが、地図を見る限り山深く、河原に野宿地を見つけられるのではないかと期待していた。

 川沿いの県道を奈良田湖に向かって溯る。しかし見込み違いだった。狭い道で運転に注意しながらも、テントが張れる河原がないか探すが、道は水面よりずっと高い崖の上を通っていて、河原に簡単には降りられない。川もここまで上流にくると激しく谷を削って濁流が流れている。平野を流れるゆったりした川の流れとは違って、広い河原などない。あれよあれよと思う間に西山温泉を過ぎた。もう西山温泉の宿に飛び込みで泊めてもらえないかと完全に弱気である。それでもさらに進むと川へ降りる道をひとつ見つけた。急な砂利道で、納車よりまだ1週間しか経っていない慣れない4WDの車をこわごわ操って岸辺に降りていく。

 
野宿地を見下ろす 県道より野宿地を見下ろす
 
左岸に河原に降りる急坂が見える。


 河原には誰も居ない。上の県道より見られてしまうかとも思ったが、通り過ぎる車からはよほど覗き込みでもされなければ大丈夫である。さっそく家で予行練習済みのテント張りを開始する。私は何についても用意周到である。前もって準備した事については、実地でも大抵うまくいく(逆に土壇場に弱い)。難なくテントを張り、シュラフの寝床をしつらえて夕食とした。お湯で温めるだけの簡単なものだがそれでも案外うまい。夜のとばりにやや恐ろしさを感じるが、テントに入ってシュラフに潜り込めば気持ちもやや落ち着いた。

 用意周到なのはそれだけ頭が回り、事態を予測する能力があることで、すなわち頭がいいのである。しかしそれが余計な心配をさせる原因にもなるのがたまに傷だ。この野宿地の直ぐ上流には奈良田ダムがある。もし放流でもされたらテントごと流されてしまうのではないか。そうでなくても徐々に水かさが増し、夜中に浸水してしまうのではないか。いろいろ不安なことが頭を過ぎる。そこでいざという時、直ちにここから脱出できる様に、車は県道に上る道の方向に向けて止め、車のキーも付けっぱなしで、すべてのドアはロックを解除しておいた。しかし夜中には、昼間それほど気にならない川の流れの音でも、ごうごうと流れる濁流に聞こえる。心配になってテントから顔を時々出し、懐中電灯で川面を照らしてみる。それを何度か繰り返していたが、特に水かさが増す様子もないので眠りにつくことにした。

 川の音をもう心配する積もりはないのだけれど、今度はうるさくてなかなか寝つかれない。それでも徐々にもうろうとしてきた頭で、次の野宿旅には耳栓を買っていこうと考えていた。

  
奈良田湖 山梨県早川町奈良田湖
 
 初めての野宿の一夜は余計な心配をよそに何事もなく過ぎた。終わってしまえばこんなものかと思う。人目に付かない前にそそくさとテントを撤収して、奈良田湖に向かう。その先、野呂川林道も丸山林道も通行止で敢え無く引き返しとなった。帰りに昨夜の野宿地を県道の上から写真に撮る。

 野宿は一度の経験で何もかもが分かる訳ではない。野宿地や天候によってその状況は千差万別だ。いろいろ経験を積む必要があるが、一方何度やっても飽きなのも野宿だ。

 数年前に野呂川林道を走りに出かけたら、県道にバイパスのトンネルができ、あの野宿地は工事用の砂利が積まれて跡形もなくなっていた。

<初掲載 1997/12/14> <修正 2001. 8. 9>
  

  
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