サラリーマン野宿旅
見ず知らずの薬屋さんの自宅の中へお邪魔します <初掲載 2001.
9.14>
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1994年10月10日午後。その時、紀伊半島の南端を和歌山の方から三重県方面に向けて、国道42号をひた走っていた。昼過ぎから降り始めた雨は、ますますその勢いを増してきている。わざわざ国道をそれ、潮岬へ出てみた。これまでも何度か訪れた地であり、天候がよければ野宿も可能だ。しかし今の岬は風を伴なった大雨であり、何も見る価値は無い。 かねてより考えのあったとおり、近くの公衆電話に入り1軒のホテルに電話する。以前にも何度か利用したことがあるステーションホテル新宮であった。三重県との県境に近い和歌山県新宮市のJR新宮駅の近くにある。リーズナブルな価格なのが気に入っている。うまく予約は取れた。もう日は暮れるし、後はそのホテル目指して走るだけである。 潮岬から新宮市まで、さほどの距離はないと高をくくっていたが、走ってみるとなかなか遠い。後で調べて見ると50km近くある。長い道程をただただ消化しなければいけない旅となった。
それでもどうにか新宮市がもう目の前にと迫った。早くホテルに着き、ベッドに横になってゆったりくつろぎたい。それももうひとふんばりである。
その日の昼時には、和歌山県本宮町の湯川温泉にいた。ツーリングマップにある公衆浴場が直ぐに見つかった。目の前の河原では、露天風呂も行われている。普段、あまり温泉などには入らないのだが、たまには気分を出して一風呂浴びようと公衆浴場へ入った。入浴後にはこれまた奮発し、隣接する食堂で焼き飯を食べた。
そうこうしている間にも、痛みは周期的に襲ってきて、そのたびごとに強さを増していった。これはいけない。その内我慢の限界に到達するであろう。すなわち、排泄すべきものを体外に排泄せざるを得ない事態となるのだ。いつもはその排泄という処置さえ無事に済めば、腹痛は収束へと向かってくれる。よって排泄はある意味で歓迎すべきことなのだ。
ただ、最後の望みが一つあった。目的のホテルに早く着けばいいのである。ホテルには当然衛生的なトイレが備え付けられてあるのだ。今夜予約を入れたステーションホテル新宮は、国道から少し離れた所にあり、場所的には見つけにくい立地である。しかし、これまで何度か泊まったことがあり、どうにかなるだろう。
同乗者が居れば、地図を見ながらナビゲーションしてもらえるが、一人で運転していては地図の確認もままならない。仕方がないので、道路わきに車を一時停車させ、地図を確認する。それも、ジムニーの薄暗い車内灯では、鳥目の私ではよく分からないので、雨降る外に出て、ヘッドライトや街灯の下で、地図を覗く。
ホテルも諦めなければならないのか。絶望が走った。しかし、ただ雨の中に立っている訳にはいかない。下腹部の痛みが否応無しに行動を強いた。多分曲がるべき道を逃してしまったのだろう。車に乗って国道をUターンした。すると直ぐに、小さな交番が目に入った。入り口に丸い赤い明かりが灯っている。その前に車を止めて、交番の中に駆け込んだ。しかし誰も居ない。小さな事務机がポツンと置かれているだけである。奧の部屋に続くドアのノブにも手を掛けてみた。しかし、案の定鍵が掛かっている。仕方なく交番を出た。夜の闇から降り注ぐ雨を仰いだ。天は我を見放したか!!! といっても感傷に浸っているような余裕はないのである。このまま車で走っていても埒があかない。路地の方へ歩いていたった。すると直ぐに1件の薬屋がまだ明かりを灯しているのが目に入った。この期に及んで薬など全く効かないのは百も承知だが、とにかく店に入る。 小さな店内には誰も居なかった。緊急事態だが、それを悟られないように声を押させて「すみません」と一こえ声を掛ける。誰も出てこない。苛立ちながら大きな声でもう一度声を掛けた。やっと、奧から中年女性が出てきた。腹痛で困っている旨を告げ、薬を選んでもらう。こちらは何でもかまいはしないのだ。その場で水をもらって数粒の錠剤を飲み込む。
間一髪のセーフであった。これがもし後数分遅かったら、一体どうなっていただろうか。考えただけでもそら恐ろしいことであった。
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