サラリーマン野宿旅
生理現象 惨劇(その2)
 
住宅街の民家の軒先で失礼
<初掲載 2002. 1.12>
 
 
 旅の途中では、どうしても止むに止まれぬ事情から、トイレ以外の場所で用を足すことがしばしばある。勿論この場合、「小」の方ではなく「大」の方の話である。女性ならともかく、男性なら「小」でさえあれば、いざとなれば如何様にも処理のしようがある。ちょっとした町中にいたとしても、狭い路地裏や駐車場の隅っこに行って、ささっと済ませることもあろう。まあ、軽犯罪法に引っ掛かる行為なので、あまりお勧めすることはできないのだが・・・。
 
 しかしこれが「大」の方となると、たとえ男性であっても場所を選ばないという訳にはいかない。特に急な腹痛に襲われたりすると、異常を察知してからの猶予が僅かに20〜30分程度しかないこともある。それ以上は精神的にも肉体的にも、もう我慢の限界を超えてしまうのだ。その猶予期間の間にどうにかしてトイレに辿り着かねばならない。しかし、最大限の人力を尽くしてもトイレが見付からなければ、これはもうトイレ以外の場所にするしかないのである。
 
 
 ある旅先での出来事であった。それが日本のどこにあったのか覚えていないが、自然にできた土の橋がある。なかなか珍しい物で多分国が指定する天然記念物だったと思う。周囲は観光地になっていて、その橋の下を通って、遊歩道が伸びている。よって橋は下から眺めることになっている。
 そこを訪れた折り、その橋(雄橋とか言った)をただ下から眺めるだけでは詰まらないので、ここはひとつ上に登ってみようと考えた。橋の袂を調べてみると、僅かな上り口を見つけた。普通の観光客は誰も顧みることがない、かすかな道筋である。これだと思って、早速登ってみた。
 ちょうど遊歩道から人の高さ程度上がった所だろうか、草むらに隠れて一人の小太りの男がしゃがみ込んでいた。そして、こちらに気付くと突然ズボンを引き上げながら立ち上がったのだった。一瞬にして全ての事情を飲み込んだ私は、直ぐに元の遊歩道に戻った。
 
 環境保全の為だろうか、この遊歩道の周辺にはトイレが全く無かった。確かにそれは不便なことだ。しかし、のっぴきならぬ事態に追い込まれたとしても、仮にも天然記念物にしようというのは何ごとか。単なる登山道の脇でするのとは訳が違う。橋の上に登るのは諦めなければいけないし、全く不届き千番な奴だと思ったのだった。
 
 
 しかし、自分の胸に手を当てて考えてみると、あまり他人のことばかりは責められないのである。思えば旅先に於いて、数々のそぐわない場所で用を済ましている経験があるのだった。

 普通の旅行であれば、ある目的地からある目的地へと計画的に移動する。大抵、その目的地とは観光地であったり、昼食場所のレストランであったり、その日に泊まる旅館であったりする。そしてそこには間違いなくトイレがあるのだ。また、電車の旅行なら駅や車内にもトイレはある。旅客機や船舶なら勿論のこと、長距離バスなら車内にトイレを備えていることもある。
 こうしたある程度計画性のある旅行なら時間が読める。自分の体調に合わせて、済ませられる時に早目にトイレに行っておくとか、我慢するにしてもどの程度の時間我慢すればよいか見当がつく。それなら我慢のし甲斐もあるというものだ。

 しかし、私の様な旅には、はっきりした目的地などほとんど無い。へんぴな田舎道や林道などをただただ闇雲に走っていることが、旅の時間の大半となっている。急にトイレが必要になったからといって、咄嗟には何の当ても無いのだ。この道の先に一体何が待っているのかも知らないままで走っているのだから。
 時によっては都合の良い事に、公衆トイレが道路脇にひょっこり建っていたりする。公園やオートキャンプ場を見付け、そこのトイレを借りることもある。しかし大半はどこにあるかも知れないトイレを探して、右往左往する羽目に遭う。どれだけ我慢すればいいかも分からず、とにかく車を走らせるしかない。その内、フロントガラス越しに悲痛な形相でトイレを探す額には、じっとり脂汗がにじんでくる。アクセルを踏む足には震えが始まる。こうなるともうトイレだ何だとかまってはいられない。どこでもいいから済ませられそうな場所を必死に探す。

 これが人家もない山の中なら、かえって都合がいい。トイレなど勿論ない代わりに、通りかかる人も車もない。道路脇のちょっとした藪に隠れて、済ましてしまえばいいのだ。時間的な余裕がなければ、車から飛び降りた直ぐの路肩でしてしまってもいい。道から丸見えであっても、だれも居ないのなら別段問題はないではないか。それに他人に迷惑を掛ける訳でもないのだから。

 中途半端なのは住宅地である。トイレのある公園などの公共施設が少なく、かといって人目から隠れられる藪や林もない。ここは非常に厄介な所なのだ。

 
 
 それは、「西への長い旅」(別項参照)も終わりに近付いたある日のことだった。野宿泊を続ける為に、それまで比較的辺ぴな所ばかりを選んで走ってきたのだが、この日はどうにも都合がつかず、琵琶湖大橋を渡る頃には、太陽が西に大きく傾いていた。
 
 この琵琶湖のある滋賀県の附近は、日本列島が細くくびれていて、どこもかしこも人家だらけである。あまり野宿ができそうな山深い所がないのだ。琵琶湖大橋を西から東へ渡る前なら、まだどこかに野宿地を探せたのかもしれない。しかし、勢い渡ってしまった先は、そこはもう家また家の海であった。
 
 それでも、どこかに野宿地を見付けようと、県道や国道といった主要道から外れてしまったのが、またいけなかった。間もなく完全に道を失ってしまったのだ。道路標識など全くない上に、暗くなって道路脇の看板などもよく読めない。一体自分がどこに居るのか、どっちに向かって走っているのかも分からなくなった。周囲はちょっとした商店街だったり、ひっそりした住宅街だったりする。

 とにかく暗そうな道、寂しそうな道へと曲がって行った。しかし、人家は一向に途切れない。その内住宅街にある小さな公園の様な所に出た。先ほどから、今夜の寝床が決まらない焦りか、はたまた長旅の疲れでも溜まってきたのか、下腹部に異常を感じだしていた。公園ならトイレでもないかと、車を降りて探してみることにした。しかし、薄暗い街頭の元で、うろうろ歩きまわったが、全くそれらしきものはない。諦めて車に戻るよりなかった。

 
 
 車に乗り込み、暗い車内で暫し考えた。このまま暗い夜道を走り続けても、一向にらちがあきそうにない。それどころか、下手をすれば慣れない土地で事故でも起すのが落ちである。幸いここは住宅街といっても、人通りが非常に少ない。もう暗いので、人目にも付き難いだろう。今夜はこの場所で車内泊にするのが最良の手ではないだろうか。

 周囲を見渡すと、公園に隣接した民家のブロック塀の横が、街灯も当らず車を停めても通行の邪魔にならなそうな場所だった。そこへ車を移し、ライトを消し、エンジンを止めた。腹の具合も悪そうなので、夕食は抜きである。10月下旬ともなると夜は冷えるので、後はシュラフをかぶり、ひっそりした車内でじっと腕組みをして目を閉じた。

 
 
 住民が通り掛れば、こんな所に見なれない車が停まっているとなり、怪しまれてしまう。それが気になって時々薄目を開けては周囲を見回したりしたが、その内うつらうつらし始めた。しかし、完全に眠りにつく前に、先ほどから感じていた下腹部の違和感が、具体的な痛みとなって襲ってきた。でも、今の自分にはどうすることもできない。ただじっと目をきつく閉じて我慢するだけだった。

 ところがやっぱりダメである。弱り目にたたり目とはこのことである。これはもうここでやってしまうしかないというところまで追い詰められた。意を決し、いつも取り出し易いようにとグローブボックスに置いてあったトイレットペーパーを掴み、車から出る。周囲の人影に注意しながら、車とブロック塀の僅かな隙間にしゃがみ込んだ。これが、土の地面ならご愛用のシャベルで穴を掘るのだが、アスファルト路面ではそうもいかない。そのままこんもりと出すこととなった。
 
 これがまた、出るわ出るわ。悲劇の中にあっても、一種の爽快感を味わったのだった。でも、人が通り掛かるとまずいので、じっくり余韻に浸ることもできず、後始末もそこそこに直ぐに車に戻った。そして直ちに車を走らせたのだった。ただでさえ怪しい車内泊だ。しかも、その車の横にこんもりお山が築かれていたとあっては、これはただでは済まされない。早くこの場を立ち去らねばならないのだ。悪人が逃走するような面持ちである。

  
 
 どこをどうは走ったか分からないが、建設資材置場のような所を道路脇に見つけ、そこに車を乗り入れた。周囲には土管やらブルドーザーやらが乱雑に置かれている。道を挟んで少し離れた所には、事務所の様な建物が1軒立ち、窓には明かりが灯っていた。今日は残業のようだ。それ以外に附近には建物はなく、ひとまず安心して眠れそうな場所である。

 それにしても、考えれば考えるほど随分迷惑な話である。明日の朝、あそこの住民が通り掛ったら、どう思うであろうか。犬の糞どころの騒ぎではないのである。住民の方には申し訳ないことをしてしまったと思うが、今は自分の体調の方が大事である。早く眠りにつこうと努力するだけだった。

 
 
 この時以外にも、後で人に迷惑が掛かったのではないかと思われる所で、用を足したことが何回かあるのが思い出される。住民の皆様には、この場をお借りして、謝罪いたします。まあ、本人に悪気はないので、お許し下さいませ。
 
☆生理現象
 
☆サラリーマン野宿旅      ☆目 次