サラリーマン野宿旅
トラブル (つづき)
 
  
 
 初掲載 2000. 7.19
 
 ここ何年か、何の問題もなかったのだ。
 
 交通違反もなければ、愛車ジムニーの傷を増やすようなこともなかった。勿論警察のお世話になるような交通事故に遭ったこともない。車のトラブルに関してだけ言えば、平穏無事な野宿旅が送れてきたのだ。今年7月に来る免許更新の期日を前に、届いた通知はがきには「優良」の文字が印刷されていた。すなわち次の免許の有効期間は5年となるのだ。免許証には金色のストライプが描かれた、ゴールドドライバーになるのである。それなのに・・・。あれは魔が差したとしか言い様がない。
  
  
 
大弛峠 山梨と長野の県境の大弛(おおだるみ)峠
  
 梅雨が本格化する前にちょっとした旅をしようと考えた。そこで思いきって「私用」の有給休暇を1日取り、土日の週末に繋げて3日間の連休を手に入れたのだ。6月初旬のことである。世の中の大多数のサラリーマンが働いているのをよそに、私は金曜日の朝から愛車ジムニーに乗って、北西に進路をとった。今回は長野と新潟の県境附近の峠などを訪れながら野宿旅する積もりである。
 
 手始めに山梨県の塩山市の方から、大弛峠を越えて長野県に入ることにした。この峠は何度か越えたことがあるので、行きがけの駄賃程度の気持ちである。ところが峠道の入口附近の国道が改修されていて、なかなか目的の峠道が見付からず、あっちこっち迷走してしまった。油断禁物と反省するのであった。
 
 大弛峠は少し以前と変わっていた。山梨県側の峠直下が舗装され、また峠に立派なトイレも出来ていた。平日だというのに峠には、登山客の車が所狭しと並んでいた。私以外にも平日に遊んでいる日本人は多いのだった。
  
大弛峠の長野県側 林道
 
  
 
 峠を長野県側に下ると、嬉しいことに昔と大して変わらぬ険しい未舗装路が残っていた。脆そうな路肩にガードレールもなく、気の抜けない峠道である。勿論いつもの慎重な運転に心掛ける。目指す新潟県との県境は遥かに遠いいが、峠道を焦って走ることなどしない。先のことより今現在の峠道の走りや、道からの眺めを楽しもうと思うからでもある。それに野宿旅ではあまり目的にはこだわらないことにしている。時間がなくて目的が達成されなくても、途中で楽しい寄道ができれば、それでいいのである。
 
 峠道をあらかた下ると、もう昼時になっていた。林道脇の空地に車を停め、塩山市のコンビニで買っておいたパンなどで昼食を済ます。その後また走り始めたが、今度は眠気をもよおしてきた。居眠り運転する程でもないが、ここはひとつ昼寝でもしていこうと考えた。昼寝なんて普段の生活ではなかなかする機会がない贅沢なことである。それが自由にできるのも野宿旅のいいところだ。新潟県の県境はますます遠くなるが、そんなことはかまわない。
  
 日差しが強いので木陰の涼しそうな所はないかと物色しながら林道を下る。すると行き止まり林道が一本分岐していた。入口から直ぐのところで道の壁側が木陰になっており、そこに車を止めれば、なかなかいい昼寝の場所となりそうだ。後で道から出てくるのが楽な様にとバックでその林道に入り込んだ。
 
 バックだと壁はちょうど運転席側にきた。運転席の窓から壁がぎりぎりになるように車を動かす。やっと目指す場所まで車を寄せると、なんとそこにはゴミが山積みに捨てられていた。ビールビンやら弁当の空き箱やら、汚いことおびただしい。登山者のものだろうか。窓の真下にそんなおぞましい物があっては、気分よく昼寝もできない。反射的に崖側に車を寄せ、もっと林道の奥に車を移動しようとした。
  
 その時であった。ジムニーが天を仰いでしまった。咄嗟のことで何があったか分からない。左に大きく傾いた助手席の窓越しに、なにやら川底が見えるではないか。このまま川に転落してしまうのか。恐怖が襲ってきた。何とか早くこの場を脱出したい。その一心でエンジンを掛け、4輪駆動にし、ローギヤを繋げてみた。しかしタイヤがむなしく空回りするだけで、ジムニーはびくとも動かない。
 
 次は一刻も早くジムニーから脱出することにした。エンジンを切り、財布等が入ったデイパックだけつかみ、なるべく車に衝撃を与えないように、ゆっくり体重移動して車外にはいずり出た。脱出する最中も車ごと川底に落ちるんじゃないかと、生きた心地がしない。
 
 無事に外に出て状況を見てみると、林道の崖側の一部が大きく崩れていて、それに気付かず左後輪を落としてしまったのだった。この林道に入り込む時は、こんな奥まで入る積もりがなかったので、この崖崩れにまで注意してなかったのだ。すべてはあのゴミが悪いのである。しかしこれまでもバックで左後輪を畑に落としたりしているので、やはり自分の不注意には違いない。ゴミがきっかけになり、ふと集中力が途切れてしまったのだ。
 
 ジムニーの左後輪は見事にすっぽりはまっている。自力脱出は完全に不可能だが、代わりに、はまった状態でかなり安定している。崖下に転げ落ちる心配はなさそうだ。崖の高さはそれ程でもないが、落ちていれば車にかなりのダメージを受けていただろう。それに自分自身の体も無事ではすむまい。擦り傷ひとつ負うこともなくすんだことを、有り難く思わなければいけない。
  
落ちた 天を仰ぐジムニー

 
  
 
 さて、どうしたものか。大型の4WD車でも通り掛ったら、引っ張り上げてみたいところだが、そう都合よく車が通り掛るとは思えない。やはり歩いて助けを呼びに行くしかないか。ここから民家がある所まで歩いてどのくらい掛かるだろう。携帯電話は圏外だろうし、仮に電話がかけられたとしても、この近所のクレーン屋なり車の修理工場なりの電話番号を、どうやって調べればいいのか。やはり民家を探し、NTTのタウンページでも借りて調べる方がいい。ところで、このジムニーは引っ張って上がるだろうか。安全をみてクレーンを呼んだ方がいいのか。この狭い林道にクレーン車は入るだろうか。今日中に事故処理が片付かなかったら、今夜はどこに泊まろうか。電車に乗ってひとまず自宅に帰ろうか。
 
 頭の中はいろいろな考えがくるくる回った。今となっては新潟県の県境は遥か彼方の存在である。折角の休みが台無しだと、苦々しい思いも湧きあがって来た。
  
 立ちすくんでいても仕方がないので、恐る恐る車に乗り込み、必要最小限の荷物を持ち出した。勿論カメラも出して、記念写真を撮ることは忘れない。荷物は全てデイパックに詰め、それを背負って林道を、町を目指して歩き始めた。服装はいつもの野宿仕様で、ややみすぼらしい。少しやけっぱちな気持ちで、腕を大きく振り、大股でのしのし歩いた。砂利道では靴底の薄い安物のスニーカーは歩きにくかった。
 
 車が通り掛らないかと、時折振り返ってみたりするが、平日ということもあってか、なかなかやって来ない。それでも間もなく舗装路となり、更に10分も歩くと、後方より乗用車が一台やって来た。ここぞとばかり両手を大きく振って止まってもらい、事情を話して同乗させて頂く。車には登山帰りらしい中年の男女が乗っていた。近くの民家まででいいと言ったが、それでは困るだろうと、わざわざ修理工場などを探しながら走ってもらう。しかしなかなか見付からず、結局10km以上も走って最初にあったガソリンスタンドで降ろしてもらった。
   
  
 
 登山の二人に丁重にお礼を言って分かれた後、そのガソリンスタンドのおじさんに訳を話した。軽自動車なら2トン車で引いてみようと、直ぐに応じてくれた。その2トン車とは小型のタンクローリーだった。ちょうどガソリンが入ってなくて、軽くていいと言いながら、助手席に乗せてもらって現場に向かった。途中世間話をする。この辺りはレタスの産地で、東京方面にも多く出荷されているとか、雪は少ないが寒さは北海道にも負けないとか、話しをしていると、なかなか人の良さそうなおじさんである。林道に差し掛かると軽いとは言えその2トン車は、1速以外では坂を登ろうとしなかった。エンジンを唸らせてのろのろ走った。ジムニーは乗り心地がいい車だったんだと身をもって知らされた。
 
 現場に到着し、ワイヤーで車同士を繋ぎ、再び私がジムニーに乗り込む。合図とともに引っ張ってもらうと、ジムニーはひょっこり穴から上がった。あまりにもあっけなかった。この一瞬の為に、砂利道を歩いたり、車に乗せてもらったり、2トン車で狭い林道を登って来たりしたのである。随分長い時間が掛かったような気がしていたが、後で調べてみると、落ちてから引き上げるまで1時間15分程度であった。我ながら素早いリカバリーであった。
   
 引き上げたジムニーは傷やへこみはあるが、走行に支障はなさそうである。そこで、その場で引き上げの手間賃を払うことにした。いくら程度かと聞くと、はっきりしない。ではと、1万円札1枚を差し出すと、その半分程度でいいと言う。残念ながら財布の中には5千円札や千円札がない。ガソリンスタンドまで戻れば、お釣が渡せると言うが、面倒である。直ぐに対応してくれたことや、気の良さそうな人だったので、受け取ろうとしない1万円札を、相手の服のポケットに入れて、無理やり受け取ってもらった。
 
 礼を言って2トン車と別れ、再度ジムニーを点検した後、こちらも林道を下る。広い舗装路になってからスピードを出してみたが、走行に異常なし。一度は絶望とまで思った新潟県境ではあったが、またそれを目標に旅が続けられることになった。しかしその後も寄道が多く、新潟の地を踏んだのは、2日目の昼であった。
   
  
 
 7月に入って無事に免許更新を終え、現在は手元にゴールド免許を持つ身である。しかしジムニーについた真新しい傷を見るたびに、運転はくれぐれも慎重にしようと自らを戒めるのであった。
  
  
 
☆車のトラブル (その1)
 
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