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森茂峠 奥が大谷側 |
岐阜県清見村の村内に森茂(もりも)峠というのがある。白川村の御母衣湖の右岸に注ぐ森茂川を溯り、清見村大谷に越える峠である。森茂川の周辺一帯は集落もなく寂しい所である。丁度4年前に峠を目指し、荘川村岩瀬より母衣湖右岸沿いの林道に入り込んだが、白川村との村境付近で早々にゲートによる通行止にあった。どうも通り抜けられない峠の様なので、それ以来頭の片隅にはあったが、再度アプローチすることはなかった。今年西の方へ旅に行く途中清見村を通り掛かった。いつまでも気になっているだけではらちがあかない。同じ道の往復になるだろうが、峠が見られるだけでもいいと、寄道する事とした。 |
清見村内の県道90号を河合村方面に向かって北上していた。地図によると江黒という所で小鳥川を渡り大谷へ直角に分岐する道がある。橋を目印に分岐を探していたら、河合村にまで来てしまった。うんざりして引き返す。ひとつ気になっていたY字の分岐まで戻ると、反対方向からは気が付かない「至大谷」の標識がちゃんと立っていた。橋は分岐より少し下った奥まった所にあり、これでは県道からは分からなかったはずだ。こういう時は地図がもう少し詳しければと思う。 |
県道90号清見村江黒の分岐 |
森茂林道起点 |
橋を渡ったT字路を左に行けば大谷、峠へは右の川沿いを行く。民家を過ぎると道は未舗装となり、そして行く手に赤い大きな文字が現われた。早くも「通行止」かと思ったら「大型車輌通行中」であった。大型車輌に注意しろという事なのだろう。通してもらえるならそんな事はお易い御用だ。 |
林道は小鳥川を離れて急登となる。谷は峠に向かってほぼ直線的なのだが、道は進んでは戻り、戻っては進むを繰り返す。大型車輌が通る為にか、余計は事にカーブの所だけコンクリート舗装になっている。センターデフがないパートタイム4駆ではタイトコーナーブレーキング現象を起こすので、その都度2駆と4駆を切り替えなければならない。直線では3速の4駆でスピードを上げ、コーナー手前で2駆に戻し2速で減速して曲がる。これを何回となく繰り返すのだ。とにかくよく登る林道である。 |
大谷側の景色 |
峠 奥が森茂側 |
景色もあまり開けないので単純労働に夢中になっていると、ひょっこり峠に着いた。両脇から木々が覆い被さる様に生い茂った、雰囲気のある峠らしい峠だ。 |
森茂側 送電線工事 |
工事中の送電線 |
森茂峠は標高1、112m、かつては森茂嶺とか名伏峠、名伏嶺とも呼ばれたそうだ。元は白川郷に属していた森茂集落だが、大谷との交流が深く、村人はこの峠を越えて行き来したのだ。現在の林道は当時の道筋と異なっているかも知れないが、峠の傍らにある小さな地蔵の社は、中部電力の鉄塔なんかよりずっと古い。この峠はきっと当時使われたものだと思う。車道を通す為に道は拡幅され、コースを違えたが、この峠には当時を偲ぶ面影がまだ残されているのではないだろうか。 |
地蔵の社 |
森茂側の道 帰りの登り |
分岐 右が森茂へ |
それでも森茂川沿いになると道も安定してきた。間もなくY字路に出る。左は4年前に通行止に合った荘川村の岩瀬、または六厩(むまや)川を溯って六厩に通じる道である。右折すると森茂川を渡ってそろそろ森茂集落のあった近辺だ。森茂は昭和48年に廃村となった。ずっと昔のことで今ではほとんど痕跡を残さないだろう。仮にあったとしても、今は高く伸びたすすきに覆い隠されて見出す事は困難である。ただ道がやたらに直線的で、この両側に人家があったのではないかと想像される。 |
森茂集落跡近辺 |
尚も進むと道は登り始める。この先一ノ谷、二ノ谷、三ノ谷と谷を渡りつつ標高を上げていくが結局行き止まりのはずだ。適当なところで引き返すとする。 |