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大峠    追補       (初掲載 1997. 8.23)
 
 大 峠(回想) 2013. 9.19 (最終版)

大峠隧道
大峠隧道(旧大峠トンネル) 山形県側

大峠トンネル
大峠トンネル 山形県側

 山形県米沢市と福島県喜多方市を結ぶ国道121号の旧道の峠、大峠は幻の峠(勝手にそう決めている)である。昔一度、米沢市側から喜 多方市側にオートバイで越えたことは確かなのだが、峠付近の様子など記憶がいまいち曖昧である。また当時写真を撮ることを潔しとしていなかったので写真が ない。
 旅は一過性のもので後で未練たらしくアルバムを眺めるなんて女々しいと考えていた。いい景色に出会ったら鞄からカメラを出してファインダーから覗いてい るより、自分の両目を大きく開いて自分の脳裏に焼き付ければよい。自分の記憶に残らなかったら、それは自分にとって記憶するだけの価値が無かったのであ る。だから旅にカメラは持って行かない。わざわざ写真フィルムに焼き付けなくとも、記憶に残るものはほっといてもちゃんと自分の脳みそに残るものだ。地図 を眺め返して指で道を辿っていると、一度訪れたことがある何でもない道の曲がり角の様子が鮮明に思い返されるなどということがある。旅で車を流している と、道の雰囲気とでもいうものに何となく覚えがある。調べてみると確かに以前通ったことがある道であったなどということもある。そうした自分の脳をくすぐ るような切ない感触さえあれば旅の思い出としては十分だ。どうせ人は死ぬ時は裸。墓場にアルバムを持って行く訳にはいかないのだ。旅行をするならカメラを 持っていけ。俺は旅をするのだからカメラは持たない、といきがっていた。
 ところが今ではアルバムの山が棚を占領している。あの世にいっしょに持って行くには自分用以外にもう一つ棺桶が必要だ。30代になってからめっきり女々 しくなってしまったのだ。アルバムを眺めては懐かしがっている。旅の途中でもちょくちょく車を停めてはカメラのシャッターをきっている。オートバイで遠出 をする元気もなくなった。年はとりたくないものだ。
 という訳で今回(1997年8月)訪れたときは写真を撮りまくった。大峠は短い大峠隧道で越えていた。夏草に覆われてひっそりと消え入りそうである。一 方新道の大峠トンネルはその脇のパークエリアに出店もでて、夏休みの行楽客で賑わい対照的であった。もちろん私がどちらを好むかは言わずもがなである。

通行止
福島県側の通行止の標識

 大峠には今は車だと喜多方市側からしか行けない。喜多方市街を走る国道121号を真っ直ぐ北上する。途中立派な新道の121号と交差 したり、国道標識が県道標識に変わったりして惑わされるが、ただひたすら真っ直ぐに道を進めばいい。市街地を抜け、雰囲気が良くなったと思った瞬間に左の 写真の様にこれでもかといった大きな「通行止」の標識が現われる。しかし前方に広がる山並み目掛けて更に進む。

 その後も幾度か通行止の標識があり、遂には道の半分をゲートが塞ぎ、車両通行止となる。その先は自己の責任に於いて進むこととなる。
 自己の責任とは万が一事故を起こして、愛車をオシャカにしてしまったり、自分自身がけがをしたり、最悪の場合は命を落としても構わないと覚悟を決めるこ とではない。自分が自由でいる為には同時に他人の自由を阻害するようであってはならない。すなわち自分の自由により他人に迷惑を掛けないよう最大限の努力 をするのが自己の責任である。事故を起こせばどうしても家族や地域の関係者に迷惑が掛かる。だから細心の注意を払って事故を起こさないようにするのが、車 両通行止の先に進む場合の自己の責任である。自分の命だから勝手にすると無謀な走りをするのは他人に甘えている子どものすることだ。そこの所をわきまえて 進んで欲しい。普通の町中でもとんだ事をして他人に迷惑を掛けている人が後を絶たない。ならば車両通行止の先で十分注意したが、それでも事故を起こしてし まったのなら許してもらえるだろう。人間は助け合うことが出来る生き物である。万が一の時は有り難く助けてもらう。
 年を取って邪魔なアルバムは増えてしまったが、我ながらよい分別がつくようになったと思う今日このごろである。

 車両通行止の先はいよいよ峠道らしくなる。いやという程のつづら折れが続く。このヘアピンは確かさっき通ったじゃないかと思いなが ら、同じようなカーブを幾度となく繰り返す。道は生い茂った草木に覆い被さりあまり視界はきかない。時々ちらりと前方の山並みを望み、時々さっと上ってき た谷間が木の間から覗く。
 つづら折れの嵐が止み、静かな山中の道となると遠望はないが、木陰の道は真夏の中にあって涼しげな感じを受ける。すると前方に何やら危険な香り。車を降 りて偵察。崖下を覗くとアスファルトの下は大きく土砂がえぐれ取れている。自己の責任。しばし進むか退くか考え、行けると判断。そこ以外にも路肩が悪そう な箇所が何個所かあるので注意が必要だ。

崖崩れ
福島県側途中の崖崩れ

山形県側の景色
峠より山形県側を望む

 昔の記憶を掘り起こしながら車を走らせていると突然峠に着いた。喜多方の市街から右折も左折もすることなく、ただ道なりに真っ直ぐに 走ってくるだけで、この山奥にひっそり佇む大峠隧道に辿り着くというのが不思議な感じがする。さすがに立派な峠道である。
 隧道を抜けた米沢市側は見晴らしが良い。ほっとしながら景色に見入る。

 隧道を出た先は右に林道を分け、直下に鉱山用の道路が下り、米沢へ通じる道は左に進む。しかし間もなく舗装が途切れた所にゲートが威 張っており、車は先には進めない。ゲートの脇にはオートバイのタイヤの跡。ゲートの先は左に上る林道と右に穏やかに下って行く米沢市街に続くダートが分岐 する。米沢側の峠付近はかなり複雑だ。しかし全く記憶にない。
 しかもゲートの先、眺める限りは未舗装が続いていそうだ。仮にも国道である。てっきり完全舗装だと思い込んでいたのも記憶違いのようだ。

ゲート
峠より山形県側へはゲートで通行止

 人の記憶など当てにならない。これからもカメラのお世話になりそうだ。
 しかしこの大峠の道は通行止になって久しい。新道が開通した今ではその役割は小さく、再度開通させる意味合いが薄いのであろう。しかし旅をする者にとっ てなんともおしい峠道である。このまま二度と通ることができないほんとの幻の峠道とならないことを願う。


 峠道状況

 大峠についてinabaさんよりメールを頂戴しました。峠道状況としてその内容を掲載 させて頂きます。
<1998年4月19日>

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 私は峠の部分の改良史に興味を持っているものです。 このページで最初に拝見させていただいたものが大峠だったので,この峠について少しコメントさせていただきます。私もこの旧道には今まで3回ほど行きまし たが,いずれも通行止でした。新道が開通した今となっては,維持管理の困難な旧道は通行止のまま閉鎖・廃道となるような気がします。しかし,新道開通直後 の92年に大峠トンネル(もちろん旧道のトンネル)の改築工事や,96年6月には山形県側の通行止め表示からさらに先の部分で防災工事を行っていたことか ら,まだ希望はもてそうです。廃道にするのならわざわざ費用をかけて工事はしないでしょうから。

 97年11月時点での福島側の旧道の状況についてお 知らせします。通行止の表示がありましたが,ゲートらしきものはなく,地元の車(農作業らしい)は入っておりましたので,悪いとは思いつつ私も入りまし た。途中,路肩決壊箇所や雑草に覆われて道幅が狭くなっている箇所がありましたが,車で大峠トンネルまで行くことができました。いずれにしても峠までの道 はほとんど補修がされた様子はありませんでしたので,このままですとあと数年で福島側も通行不能となるような状況でした。

 ちなみに,大峠について記述してある文献としては, 今私が知っているところでは,新道を中心に述べている「峠の道路史」.山海堂出版.野村和正があります。また,旧道については「東北の道路今昔」.建設省 東北地方建設局があります。

 この他にも大峠についてメールを頂くことがありま す。どうも大峠に思い入れがある人が多い様です。


 この大峠について岩田賢次さんよりメールを頂戴しました。面白い体験談がつづられてお りましたので、ご本人の許可を得てここにメールの内容を掲載させて頂きます。<1997年10月4日>

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 峠のページ楽しく見させていただきました。私、現在48歳ですが、思い起こせば20歳の学生時代、大峠を8月の半ば、 夜の9時ごろ米沢から喜多方へ越えた経験があります。高校の同窓生と3人で東北へドライブに行きその帰りに若気の至りで闇夜に大峠を越えたのです。あの当 時ドライブマップにはナンバーロードでもあり通行止めの×印も有りませんでしたから、またその時の天候も山形市内は晴天でしたので強行したのです。車は日 産のスカイラインS/1800ccでした。プリンスのG18と言う四発のエンジンを載せたセダンです。夜でおまけに道幅が狭くワインディングがきついため ヘッドライトの軸線が道を捉えず、砂利を敷き詰めた後の轍で駆動輪がセカンドギャアでは空転してドリフトを起こし、何とかサードを保って走ろうとすると、 スピードが出過ぎてコーナーが曲がれない。車歴2年目の若い私には相当きつい峠でした。上に行くほどガスもかかり生唾を飲んでの走行、同乗の友人も緊張で 真っ青、2度ほどライトの中を獣が横切り、眼球に反射して目玉が不気味にこちらを睨みます。ほとんど車幅と同じ道の左側はおそらく深い谷でしょう、Uター ンも出来ません。そうこうして上がって行くと向こうから1台のトラックが上がってきました。互いにへこみで何とかすれ違い、向こうのドライバーも驚いたこ とでしょう。これ喜多方まで行けますか?との問いに東北弁で、イキョオルローとの返事、これでひとまず安心、ほどなく例のトンネルにさしかかり下りになっ たところで総員拍手でした。私にとっても一度だけの思い出の深い峠です。その最近の姿、大変懐かしくメール致しました。貴重な映像どうも有り難うございま した。

 

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