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石崎松前線の峠  (石崎越?)
  いしざきまつまえせんのとうげ  (峠と旅 No.355)
  未開通道道を繋ぐ未舗装林道の峠道
  (掲載 2026. 8.28  最終峠走行 1996. 7.23)

   
   
   
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石崎松前線の峠 (撮影 1996. 7.23)
左手前は北海道檜山郡上ノ国町(字早川)、右奥が松前郡松前町字大津
道は石崎松前林道(道道607号・石崎松前線の未開通区間)
標高は約650m (地理院地図の等高線より)

30年前の峠の様子
(正確には峠の切り通しの少し上ノ国町寄り)
生憎ガスっていて峠前後に視界は全くない
この峠はもう車で行くことは難しいだろう

   
   
   

概要

   

<掲載動機(余談)>
 前回掲載したオロフレ峠を30年前に越えた時、続いて越えたのが今回の峠だった。オロフレ峠のアルバムを眺めていたら、ついでにこの峠の写真が出て来たと言う訳だ。
 
 残念ながらこの峠には名前がない。名前がないと「あいうえお」順に峠を管理することができないし、フォルダ名やファイル名を付けるのにも困ってしまう。それでこれまで掲載してこなかった。
 
 この峠は40Km以上の未舗装区間を残す壮大な峠道だ。本来は全線が道道607号・石崎松前線のルートとなる筈だったのだろうが、峠前後で道道としては未開通だった。その区間に石崎松前林道などが通じ、峠を越えて車で走ることができた。
 
 最近はもう道道607号を開通されるような様子がない。石崎松前林道も増々通行が困難となって行くようだ。30年も前の姿になるが、その峠の様子を掲載しておきたいと思った。

   

<峠名>
 さて、峠名をどうするかだ。勝手な名前を付けてもしょうがないので、有り触れた手段だが道路名を使うこととした。道道名も林道名にも「石崎松前」が使われるので、「石崎松前線の峠」としてみた。
 
 ただ、この峠には前身があるようで、「石崎越」と呼ばれた可能性がある(後述)。「石崎松前線の峠」でも「石崎越」でも、あいうえお順で同じ位置に来て、好都合だ。

   

<所在>
 峠道は概ね南北方向に通じる。北側は北海道檜山郡(ひやまぐん)上ノ国町(かみのくにちょう)になる。北海道では大字の表記は使わないようで、上ノ国町の下は字早川(はやかわ)となる。但し、峠は人里離れた山間部なので、地理院地図では上ノ国町の下は不確定になっている。
 
 峠の南側は松前郡(まつまえぐん)松前町(まつまえちょう)字大津(おおつ)になる。しかし、道は他にも字上川(かみかわ)など幾つかの字を通って行く。また、こちらも峠近くは集落などない山間部で、あまり正確な住所にこだわっても仕方がないと思う。

   

<地理院地図(参考)>
 国土地理院地理院地図 にリンクします。


   
本ページでは地理院地図上での地点を適宜リンクで示してあります。
   

<郡境>
 峠は上ノ国町と松前町の町境だが、更には檜山郡と松前郡の郡境でもある。峠には「郡町境界」と書かれた大きな標柱が立っていた。
 
<振興局境・支庁境>
 松前町は渡島(おしま)総合振興局、上ノ国町は檜山振興局に属すので、峠は振興局境となるものと思う。以前の渡島支庁と檜山支庁の支庁境である。
 
<地方境>
 文献(角川日本地名大辞典)では「地方」という言葉がよく使われている。例えば「松前町は渡島地方南西端に位置する」とか、「檜山地方上ノ国町」などと書かれている。この場合の「地方」は旧支庁とほぼ同じような範囲を指しているようだ。よって峠は「地方境」となるのだろう。

   

<水系>
 上ノ国町は地形的にシンプルで、石崎川水系にあり、ほぼ石崎川本流沿いに道が通じる。石崎川本流の正面には燈明岳(931m、地理院地図)がそびえるが、それより数Km手前の左岸支流の源頭部に峠は通じる。
 
 一方、松前町側は複雑だ。幾つもの水系・水域を跨いで行く。峠に近い側から挙げると、大鴨津(おおかもつ)川、小鴨津川、茂草(もぐさ)川、及部(およべ)川となるだ。峠道の後半は概ね及部川沿いに下り、最終的に及部川水系として道は終わる。
 
<石崎・朝日間>
 石崎川は上ノ国町字石崎(いしざき、地理院地図)にて日本海に注ぐ。一方、及部川は松前町字朝日(あさひ、地理院地図)で津軽海峡に注ぐ。よって、本峠道は石崎と朝日を結ぶことになる。しかし、石崎も朝日も海岸沿いの集落である。上ノ国町側では多くの部分は字早川、松前町側では字川上の中に道が通じる。

   

<道道607号>
 地形的には石崎・朝日間を結ぶ峠道だが、その区間が北海道道607号・石崎松前線とほぼ一致する。道道607号は比較的地形にかなった峠道らしいルート設定だったと言える。ただ、繰り返すようだが峠前後は道道としては未開通だ。
 
 この峠に名前はないが、道道607号(未開通区間含む)の最高所であり、全体的にも峠道としての体裁は整っている。唯一、松前町側で複数の水域を通過し、道に若干のアップダウンが生じるのが難点だ。 しかし、北海道の峠道ではこうしたことがままある。前回のオロフレ峠もそうだった。北海道は大陸的な広大さがあり、そこに通した道はどうしても複数の水域を跨ぐ結果になっている。

   

<立地/渡島半島・渡島山地>
 渡島支庁と檜山支庁を合わせて道南(どうなん)と呼ぶことがある。北海道南部に位置する渡島半島(おしまはんとう)の多くを占める。この半島部の大半に渡島山地(おしまさんち)が脊梁山地として走る。 渡島山地の主脈を越える峠としては、雲石峠地理院地図)、姫待峠地理院地図)、厚雲峠地理院地図)などが面白い峠道の代表格だろう。しかし、今では廃道になった峠もある。
 
<立地/松前半島>
 渡島半島の先端部は東側の亀田半島となる西側の松前半島に分かれる。松前半島には渡島山地の脊梁が続く。そこには標高1,000mを超える大千軒岳(だいせんげんだけ、地理院地図)・前千軒岳(地理院地図)を主峰とし、袴腰岳(はかまごしだけ、地理院地図)などの険しい山地がそびえる。大千軒岳は松前半島の最高峰になる。
 
 今回の峠道は残念ながら大千軒岳に通じる主脈(大千軒岳山脈)を越えている訳ではない。大千軒岳の近くで、大千軒岳から西へと派生する尾根上にある。この尾根は渡島総合振興局と檜山振興局の境界を成す。松前半島内にも幾つもの峠道が通じるが、車道の峠としては本峠は松前半島で最も標高が高いと思う。

   
   
   

石崎より峠へ

   

<30年前の旅(余談)>
 オロフレ峠を越えた後、渡島半島へ足を延ばすこととした。稲穂峠で渡島半島の西岸に出た。日本海沿いだ。稲穂峠は今は美利河(ぴりか)峠で出ている(地理院地図)。これも渡島山地を越える峠と言っていいだろう。続いて日本海沿いを延々と南下し、上ノ国町の石崎から石崎川沿いの道に入った。松前半島の沿岸沿いは過去にバイクで回っているので、今回は内陸部を旅しようと思う。

   
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上ノ国町側のゲート箇所 (撮影 1996. 7.22)

<道道607号>
 当時使っていたツーリングマップ(1989年5月発行)には、石崎から松前町へと山中を越えて一本の道が描かれているだけで、何の情報もない。道を進むと道路標識が立ち、道道607号であることが分かった。 道道ならそれなりの道だろうと思っていると、数Kmも進むと未舗装に変わった。沿岸沿いの石崎集落を離れると、もう沿道に人家などは皆無だ。この先、長く寂しい道が予想される。
 
<上ノ国町側のゲート箇所>
 道は概ね石崎川に沿って遡る。暫くは谷が広く、開けた雰囲気だ。未舗装路も今のところはよく整備されていて走り易い。間もなく唐突にゲート箇所が出て来た(地理院地図)。石崎で国道228号から分かれて6Km程の地点だ。

   

<上国鉱山(余談)>
 このゲート箇所は現在の地理院地図では標高が「42m」とある地点のようだ。付近は石崎川左岸に平坦地が広がるばかりで、何もない。何故ここにゲート箇所が設けられたのかと、ちょっと不思議である。
 
 今回調べてみると、この付近一帯にはかつて上国鉱山(じょうこくこうざん)の集落があったようだ。地理院地図の1974年-1978年の航空写真には、鉱山に務める職員用の住居と思われる建屋が多く並んでいる(地理院地図)。今からは全く想像できない光景だ。

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ゲートの様子 (撮影 1996. 7.22)

   

<ゲート以降>
 ゲート手前には工事看板などが立っていたが、通れないことはなさそうだ。ゲート以降は旧上国鉱山も過ぎ、更に何もない寂しい道になるだろう。
 
<二股橋>
 二股橋で石崎川右岸に入る(地理院地図)。石崎起点から約8Kmになる。支流の左股川沿いに道が分かれるが、石崎川本流沿いに通じる本線を見誤ることはない。轍はしっかり本線を示している。こんな時、未舗装路は便利だ。
 
 後に買った2000年4月発行のツーリングマップルでは、二股橋まで黄色の道道表記で、そこから以降が未舗装となっていた。

   
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石崎川を下流方向に見る (撮影 1996. 7.22)

<石崎川右岸沿い>
 石崎川右岸沿いを進むと、いよいよ谷は狭まった。わざわざこんな寂しく険しい道に一人で入り込むんだのは、未舗装林道を走りたいとか、峠道を探訪したいとか、北海道の内陸部を旅したいとか、いろいろ理由があっただろう。 しかし、もっと切実なり問題があった。野宿地探しである。沿岸部を走っていても、人目に付かない野宿地など見付からない。そこでこうした山間部に分け入るのだ。こうした野宿旅を始めた一つの切っ掛けとなった、北海道での苦い記憶がある。

   

<北海道ツーリング(余談)>
 初めての北海道ツーリングでは、安全をみて前もって9日間全ての旅程を組み、全ての宿を決めて行った。ところが、途中でもっと寄りたい場所が出てきたり、酷い天候に遭遇しても、とにかく予約した宿までその日の内に辿り着かなければならない。もっと自由に旅ができないものかとつくづく思った。
 
 そこで2回目の北海道ツーリングでは、なるべく行き先々で宿を決めることとした。その方式は途中までうまく行っていた。ある日、江差を起点に松前半島・亀田半島をくまなく散策し、再び江差に戻った。 市内で電話ボックスを見付け、宿を予約しようとした。ところが、なかなか決まらない。前日泊まった江差のホテルは、その日はガラガラに空いていたのでまた泊まれるかと期待したが、本日は満室だとのこと。 大都市函館が近いから大丈夫だと高をくくっていたが、そちらも断られ続けた。携帯電話さえない時代、簡単に空室を見付けることはできない。宿泊情報の冊子を頼りに電話をかけ続け、やっと予約が取れたのは室蘭のビジネスホテルだった。

   

 当時まだ道央自動車道などの高速道路はない。全て一般道を行く。江差から室蘭までその距離は200Km近い。夜間の雲石峠などをバイクで突っ走った。 一つ運転を間違えれば大事故になったろう。現在の室蘭半島は先端部に大きな白鳥大橋が架かっている。しかし、そんな近道はなく、半島に広がる工業地帯の中を抜けて室蘭の市街地へと走る。市街地の外れにやっと目的のビジネスホテルオーシャンを見付け(地理院地図)、どうにかチャックインした。宿の中は静まり返っていたが、こうしたビジネス向けの宿泊施設は夜遅くまでフロントが開いているので、気兼ねなく利用できる。
 
 部屋に入るとやっと人心地が付けた。当時はハードコンタクトレンズを使っていたが、その日は長時間ずっと着けっぱなしだった。顔でも洗おうかと洗面台の鏡の前に立つと、青ざめた顔に目は充血して真っ赤だった。 食事をしたり風呂に入る気もせず、ベッドに倒れ込んだ。それでも一晩眠ると元気を取り戻し、翌日は霧の中のオロフレ峠を探訪したりした。

   

 そんなことが6年前、この松前半島であった。つらい経験だったが、それでも前もって宿を決めないという魅力は捨て難い。行き当たりばったりの旅の面白さは一度味をしめると手放せないのだ。そこで新たに野宿という宿泊手段を手に入れた。選択肢が増えればそれなりに対処できると考えた。
 
 今度の旅も江差より更に南の松前半島の先である。鼻から宿が見付かるとは思っていない。しかし、今回はジムニーの中に豊富な野宿道具が積まれていた。道の右手には石崎川が流れている。河原というのは野宿地の有力な候補だ。いい場所がないかと注意を払う。

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石崎川沿いにいい野宿地を見付けた (撮影 1996. 7.22)

   

<野宿(余談)>
 道路脇に石の河原が広がっている所があった(地理院地図)。河原の端にはジムニーも乗り入れられる。直ぐ近くに川面を眺め、野趣満点のロケーションだ。これ程野宿に最適な場所は、そうそうは見付からない。即座に今夜はここで野宿と決っした。

   
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ここが今夜の野宿地 (撮影 1996. 7.22)

   

<ヒグマ(余談)>
 但し、ここは自然豊かな北海道である。危険なヒグマの生息地でもある。特にここ数年、クマ被害が急増してきた。こんな所で一人で野宿するなど今は到底考えられないが、30年前の当時でもクマは恐ろしい存在だった。 北海道はキャンプ場が多く私もよく利用したが、そうした一般人が集まる場所でもクマは時々出没した。ましてや誰も居ない山奥で一人で野宿するには、細心の注意を必要とする。 テントを設営する時などもなるべく大きな音を立て、焚火もし、ここに人が居るのだと最大限にアピールする。

   
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テントを張って、焚火 (撮影 1996. 7.22)
側らに石崎川が流れる

 それでも宿を探して右往左往するより遥かにましであった。テントを張ってからも時間は十分ある。焚火の傍らに腰掛け、のんびり夕食の支度をする。直ぐ横に川が流れているというのも、普段にない状況で、なかなか趣がある。 ただ、エキノコックスが怖いので川の水で手や顔を洗ったりはしない。飲料を始め、口や手にするのは全て20リッターポリタンクの水である。それでも焚火の後始末には豊富な川の水が利用でき、野宿に欠かせないポリタンクの水を節約できる。 こうしてのんびり一夜を過ごすが、時々背後が気になって一人振り返る。やはりクマは怖いのだ。
 
 この時の旅では北海道内で7泊したが、ホテルに泊まったのは僅か2回だけだった。まあまあ、野宿旅が成功している時期だった。

   

<野宿の翌日>
 翌日は空が白み始めると早々に起床し、朝の支度を開始する。ヒグマのこともあるが、野宿地からはできるだけ早く立ち去ることにしている。
 
 昨日の続きの道をジムニーで走る。こうして早一番から未舗装林道の峠道を探訪できるのも野宿の利点である。私の旅の場合、こうして野宿と峠道がしばしば組み合わされる。野宿地探しに寂しく険しい道に入り込むが、そこは大抵峠道なのである。
 
 ただ、数え年で古希を迎えた今ではもうこんな旅はできない。それに最近のクマの被害は異常である。また、車で走ることができる林道自身が少なくなり、キャンプも規制が厳しくなった。こんなスタイルの旅はもう日本では難しい。

   

 
<経営道分岐>
 野宿地から暫く行くと大きな分岐があった。道がY字に分かれている。矢印で示された看板にはどちらも「千軒岳(せんげんだけ)登山口」とある。後ではっきり分かったのだが、峠から尾根沿いに大千軒岳へと至る登山道が始まっている。 千軒岳登山口とはすなわち峠のことでもある。よって、峠まで左は12Km、右は13Kmとなる。どちらに進んでもいいようだ。道もどちらも同じようなものだ。

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分岐 (撮影 1996. 7.23)
左も右も行先は道

   
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分岐の看板 (撮影 1996. 7.23)

<分岐の位置>
 今回、峠まで約12Kmというヒントを頼りにその分岐点を探してみると、地理院地図で点線表記の徒歩道が右に分かれる箇所だと思う(地理院地図)。石崎起点から約16Kmになる。当時は支流の赤井川(地理院地図)沿いに道が分かれているのかと思っていたが、間違いだった。
 
 
<林道案内板>
 矢印看板とは別に「林道案内板」と書かれたしっかりした看板が立っていた(下の写真)。今後、こうした林道に関する看板がよく登場する。何も書かれていないツーリングマップの代わりとして、大変参考になった。

   

<道道から林道石崎松前線へ>
 左の道は「石崎松前線 松前町川上」とある。林道看板だから「林道石崎松前線」なのだろう。もうこの先は道道ではないらしい。現在の地理院地図でも、この分岐までは黄色の道道表記になっている。林道起点を示す看板などはなかったと思うが、この分岐が石崎松前林道の上ノ国町側起点と考えておく。
 
<経営道>
 右に分かれる道は「経営道 松前町川上」となっていた。峠まで13Kmで、やはり松前町川上へと越えられそうだ。見た目にも道はしっかりしていた。その時、ツーリングマップに記したメモでは、この経営道を選んだことになっている。しかし、現在の地理院地図ではその徒歩道は行き止まりだ(地理院地図)。記入間違いだろうか。林道案内板の地図は上下逆さまだったことだし。

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林道案内板 (撮影 1996. 7.23)

   
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林道案内板 (撮影 1996. 7.23)
地図は下が北
下の上ノ国町石崎方面からやって来た

   

<林道の様子>
 林道は砂利がきれいに敷かれた未舗装路が続いた。新規開削か、あるいは改修直後のように思える。道はいいが、朝まだ早いせいか霧が濃い。太陽も見えず、方向感覚がない。すると、少し先の路面に何か居る。暫くじっとして動かない。どうやらエゾウサギのようだ。ヒグマでなくてよかった。

   
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林道の様子 (撮影 1996. 7.23)
濃い霧が立ち込める

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エゾウサギ? (撮影 1996. 7.23)

   

<84林班分岐>
 私のメモが正しければ、石崎川沿いの林道石崎松前線の本線より西側を迂回し、道は再び石崎松前線に合流した筈だ。合流点に立つ看板には「84林班」と出ていたようだった。しかし、現在の地理院地図には84林班に相当するような道は描かれていない。

   
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84林班方向を見る (撮影 1996. 7.23)
左は松前町方面、右は上ノ国町方面

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84林班分岐の看板 (撮影 1996. 7.23)

   

<峠7Km手前>
 84林班分岐の地点だったか、それより先かは今では分からないが、「千軒岳登山口7Km」の看板が立っていた。峠まで後7Kmという訳だ。

   
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峠の手前7Kmの地点 (撮影 1996. 7.23)
84林班分岐の所だったかもしれない

   
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矢印看板が立つ (撮影 1996. 7.23)

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「千軒岳登山口 7Km」とある (撮影 1996. 7.23)

   

 峠の7Km手前となると、バンノ沢川(地理院地図)を渡った少し先くらいだと思う。石崎川沿いからは少し離れ、道は左岸の中腹に通じていたようだ。
 
<右股川>
 地理院地図などではその上流部まで石崎川と書かれているが、ツーリングマップなどでは赤井川との合流付近より上流側は「右股川」となっている。石崎川本流の源流は大千軒岳の北麓だが、文献(角川日本地名大辞典)ではその川を「石崎川の支流・右股川」とも言っている。
 
 石崎川は二股橋の所で2本の大きな支流・左股川と右股川が合流していると見ることもできそうだ。ただ、正式には右股川の方を石崎川本流として扱っている。

   

<分岐>
 地理院地図には途中にはっきりした林道の分岐が見られる(地理院地図)。標高349mの地点だ。峠まで4Km程手前になる。しかし、この分岐には覚えがない(写真がない)。
 
<大鴨津線分岐>
 峠の手前400m程の所で、今度こそはっきりした分岐が出て来る(地理院地図)。峠は左にカーブして行く。そこを右に林道大鴨津線が分岐する。

   
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大鴨津線分岐 (撮影 1996. 7.23)
手前が石崎方面
左が峠、右が大鴨津線

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分岐の看板 (撮影 1996. 7.23)

   

<看板>
 峠方向は「峠」とは書かれていないが、「松前町」とか「千軒岳登山口」とある。石崎方面は「上ノ国町」とか「上ノ国町石崎」とある。

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分岐の看板 (撮影 1996. 7.23)
左が峠(松前町)、手前は上ノ国町の石崎へ

   
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分岐の看板 (撮影 1996. 7.23)
峠方向から見る

<大鴨津線>
 石崎松前線から分岐する道には林道看板が立ち、「普通林道・大鴨津線」と出ている。別の看板では「80林班」ともあった。こちらの行先にも「上ノ国町」とあるが、大鴨津線は「行き止まり」と出ている(地理院地図)。上ノ国町と松前町の境の尾根沿いを少し西に進んでから、その名の通り大鴨津川流域へと下って行る。しかし、大鴨津川は松前町に流れる川なので、行先が上ノ国町とあるのは違和感がある。

   
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分岐の看板 (撮影 1996. 7.23)
手前に「松前町 千軒岳登山口」とあるのが峠方向
左右どちらも行先は上ノ国町  

   
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林道案内板 (撮影 1996. 7.23)
地図は上が北
大鴨津線は「行き止まり」とある

   
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アカゲラ (撮影 1996. 7.23)

<アカゲラ(余談)>
 これまでも何度も登場しているのだが、頭頂部が赤い鳥の絵が看板などに描かれている。アカゲラだ。キツツキの仲間だそうだ。この付近の森林に生息しているとのこと。シンプルでなかなか愛らしい。

   
   
   

   
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石崎松前線の峠(再掲) (撮影 1996. 7.23)

<峠の様子>
 大鴨津線の分岐を過ぎた先でいよいよ峠を迎える。まず、道の右手(西側)に大きな標柱が立ち、「郡町境界」とか上ノ国町側に「上ノ国町」と書かれていた。写真は撮っていないが、標柱の松崎町側の面には多分「松崎町」とあったのだろう。
 
 林道の峠は通常何もなくて寂しいことが多い。特に町境や郡境程度では看板の一つも期待できない。その点、この峠は名前はないが、こうして境界を示す峠の標柱があるのが嬉しい。 林道途中の主要な分岐などには看板が設けられ、アカゲラのマスコットキャラクターも描かれていた。この林道に対する愛着・期待の大きさが窺える。

   

 標柱の傍らにはバリケードが倒されていた。そこに付けられていた看板には「立入禁止」とも書かれていた。この時は運よく峠を越えることができたのだった。
 
  峠の標柱は若干上ノ国町側に寄って立つようだ。標柱を巻くようにして道は右カーブして行く。その左手には上ノ国町側へと石崎川本流(右股川とも)の谷が下る。しかし、この時は完全に霧が覆い、何も見えなかった。何しろ、野宿した朝に訪れているのだ。時間としては7時くらいだったろう。

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峠の標柱 (撮影 1996. 7.23)
横に立入禁止の看板が倒れていた

   
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峠の標柱 (撮影 1996. 7.23)
奥の上ノ国町側は霧で何も見えない

   

<峠の切り通し>
 大きな標柱を過ぎ、案内看板などを左に見て過ぎると、直線路になる(下の写真)。深い霧の中だが、切り通し状になっていることが分かる。
 
 その途中、左手(東方)の稜線方向に登山道が始まっている。入口に道標が立ち、「大千軒岳(標高1072M)」、「大千軒岳登山口」などと書かれている。その前後で道のアップダウンは殆どなく、その点はあまり峠らしくない。 しかし、そこがピンポイントで郡町境界の稜線を越える峠となるようだ。
 
<道程>
 石崎起点から経営道分岐まで約16Km、経営道分岐から峠まで12Km弱で、合計27〜28Kmになる。その間、未舗装路は約22Kmであった。

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案内看板などを過ぎる (撮影 1996. 7.23)

   
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峠の切り通し (撮影 1996. 7.23)
手前が上ノ国町側、奥が松前町側
あまり峠らしくないが、ここがピンポイントの峠
ジムニーの左手前に大千軒岳登山口がある

   

<標高>
 切り通しの標高は650m余りとそれ程高くはない。しかし、上ノ国町側も松前町側も起点は海岸沿いであり、ほぼ海抜0mからのスタートである。峠の標高そのままを上り下りすることになる。
 
<峠の松前町側>
 道は稜線を鋭角に横切っていて、松前町側では今度は右手に大鴨津川水域の谷が下る。しかし、やはり視界はなかった。
 
<大千軒岳登山口(余談)>
 峠から登山道を行くと、大千軒岳山頂まで尾根沿いに2Km 以上はありそうだ。大千軒岳は上ノ国町と松前町、福島町の境に位置する。福島町側の知内川(地理院地図)沿いに登山ルートがあるそうだ。しかし、この峠まで車で来れたら、山頂までは一番近かったろう。

   
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大千軒岳への登山道の入口 (撮影 1996. 7.23)

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「大千軒岳登山口」の道標 (撮影 1996. 7.23)

   
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保健保安の看板 (撮影 1996. 7.23)
現在地は峠

<保健保安林の看板>
 多分、大千軒岳登山口の手前に並んで保健保安林の看板が立っていた。地図は左が北のなので、ちょっと分かり難い。それでもいろいろ参考になる。
 
<スズキの沢>
 大鴨津川の上流部(地理院地図)は「スズキの沢」と呼ぶようだ。石崎松前線はこの先でその川を渡る(地理院地図)。
 
<二股川>
 スズキの沢でない方の支流は地理院地図には二股川と出ている(地理院地図)。
 
<右石崎越沢>
 一方、保健保安林の看板では二股川は「右石崎越沢」となっている。その上流部の一つに今回の峠が位置するが、それとは別に稜線上の大鴨津線から分かれた支線が途中まで下って来ている(地理院地図)。

   
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地図は左が北 (撮影 1996. 7.23)
左端に「右石崎越沢」とある

   

<石崎越>
 この「右石崎越沢」という川の名の一部となっている「石崎越」(いしざきごえ、いしざきごし)とは、如何にも峠名のようである。それを暗示するかのように、大鴨津線が通じる尾根上に「607m」の地点が地理院地図に示されている(地理院地図)。もしかすると、それこそが石崎越と呼ばれる峠ではないだろうか。そう言えば、この峠道は本来は道道「607号」となる筈の道であり、数値が妙に符合する。
 
<新石崎越?>
 冗談はともかく、松前方面と上ノ国町石崎を繋ぐ峠道が古くからそこに通じ、「石崎越」と呼ばれていた可能性がある。ただ、車道が開通したのはそこより600m程東の現在の峠であった。 その意味で今回の峠は「新石崎越」とでも命名してよさそうに思う。松前市街方面からは幾つもの水域を跨いで来る道なので、そのルートの選択如何により、峠が移ってしまったものと想像する。
 
<松前越(余談)>
 「石崎越」があるなら、上ノ国町側からすれば「松前越」とも呼んだかもしれない。松前港は本州に最も近く、松前は北海道の中で最も早くから開発された地である。より人口が多く交通が発達した地へと至る峠道の方が利用価値が高い。 産物の搬出や生活物資の搬入などに活用できる。その意味では石崎側から「松前越」と呼ぶ方が一般的なように思える。その一方、北海道は開拓の地だ。松前側から石崎方面へ開拓が進んだとすると、「石崎越」と呼ぶことが多かったかもしれない。

   

<峠道の役割(余談)>
 それにしても、松前方面と上ノ国地方を山中で結ぶ峠道が林道開削以前から通じていたとすると、ちょっと驚きである。現在、松前市街と上ノ国町の石崎や上ノ国町の中心地などは、海岸線に通じる国道228号によって繋がっている。 今後も峠越えの道道607号の開通は望めず、国道228号が唯一の道となりそだ。そこを先人はわざわざ険しい山間部に道を通した。それは何故だろうか。
 
 一つには森林や鉱山などの開発を目的としたのだろう。それと、やはり海岸沿いのみの道だけではなく、別ルートの道の確保も重要と考えたのではないだろうか。不慮の災害などによる道の不通は起こり得る。その時の代替路としての役割もあったのではないかと想像する。
 
 但し、今は国道228号のみに頼っているのが現状だ。万が一の場合は、松前半島を大きく東に迂回することになる。まあ、昔と違い現代は自動車社会である。道さえ良ければ、距離はあまり関係ないかもしれない。

   
   
   

峠より松前町側へ

   

<大津・上川>
 峠の松前町側は字大津(おおつ)になる。但し、道は東に接する字上川(かみかわ)との境付近に通じ、一部は上川内を通過する。

   

<袴腰林道へ>
 松前町側に暫く下ると、唐突に「袴腰林道」と大きく看板が出て来た。延長5,284mとある。

   
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ここから袴腰林道になるようだ (撮影 1996. 7.23)

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袴腰林道の看板 (撮影 1996. 7.23)

   

 その看板の裏側から峠方向に見ると、今度は「石崎松前林道」という別の看板が立ち、延長12,280mとなっていた。道は一本の林道なのだが、ここで林道名が変わるらしい。

   
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石崎松前林道の看板 (撮影 1996. 7.23)

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ここまでが石崎松前林道 (撮影 1996. 7.23)

   

<林道切替点の位置>
 石崎松前林道の上ノ国町側起点は経営道の分岐点だったと考えている。そこから峠まで約12Kmと看板があった。石崎松前林道の延長が12,280mなら、峠から1Kmも下って来ていないことになる。
 
 どこかに林道が切替ってもよさそうな地点はないかと探すと、道が二俣川の上流部を渡る所が怪しい(地理院地図)。地理院地図ではそこから以降が黄色の道道表記になっている。ただ、峠から1.8Kmも下って来ている。
 
<袴腰(余談)>
 また、袴腰林道という名が気になる。袴腰岳(地理院地図)から来ていると思うが、その山とはかなり離れている。ただ、もう写真を撮った時の記憶がなく、袴腰林道の区間は特定できない。

   
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沢を渡る (撮影 1996. 7.23)

<大鴨津川水域>
 峠直下、道は暫く大鴨津川水域に通じる。大鴨津川は前千軒岳の西麓に源を発し、西流して日本海に注ぐが、道は川沿いに下るのではなく、その本流や支流の上流部を横切って南下する。
 
 左の写真は多分、大鴨津川本流(スズキの沢)を越えた時のものと思う。地理院地図に485mの標高が記された地点だ(地理院地図)。石積みで補修されていたが、川の上流部は土砂が崩れ、険しい様子だった。こうした道の維持・管理を続けるのは難しいことだろう。

   

<小鴨津川水域へ>
 道は緩いアップダウンを繰り返しながら大鴨津川から小鴨津川の水域に入って行く。袴腰林道の延長は約5.3Kmだったが、そろそろその範囲を超えようとしている。
 
<分岐>
 途中、右手に分岐がある。多分、地理院地図の370mの地点だったと思う(地理院地図)。小さな道標となる看板が立ち、分岐方向も「上ノ国町」と出ていた。上部で道道と合流していたようだ(地理院地図)。

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分岐する道を見る (撮影 1996. 7.23)
一度下って、また登る
多分、小鴨津川を渡って行く(地理院地図

   
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分岐の看板 (撮影 1996. 7.23)

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分岐の看板 (撮影 1996. 7.23)
後方は「上ノ国町」、進行方向は「松前町」
右(手前)に分岐する方向も「「上ノ国町」

   

<別ルート(余談)>
 今後もこうした現在の道道のルートとは別ルートの道が出て来る。しかも道道より短距離だ。もしかすると現在の道道が開削される前からあった元の道ではないかと思ったりする。更には、石崎越を越えていた古くからの峠道ではなかったかと想像する。
 
 また、袴腰林道の麓側起点を後述の茂草大曲林道分岐とすると、その距離は約6.7Kmとなる。林道看板の延長約5.3Kmと異なる。もしかすると、この短い別ルートの方が袴腰林道かもしれない。

   

<ゲート箇所>
 道は小鴨津川左岸沿いを下っている。すると、正面にゲート箇所が出て来る(地理院地図)。なかなかしっかりしたゲートが設けられている。ゲートは奥に開くようになっていた。これより麓方向の通行を規制する為にあるようだ。峠方向の通行止ではなさそうなので、ちょっと不可解である。

   
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ゲート箇所 (撮影 1996. 7.23)
手前が峠、奥が松前市街方面
ゲートは奥に開いている

   

<ゲート箇所の様子>
 ゲートの側らに道道標識が立つ。峠から下って来て最初に見る道道標識だったかもしれない。反対側には何かの注意看板が転がっていたが、文字がかすれて内容は読めなかった。大変ご迷惑をおかけするとか、何かには十分注意しろとか、ご協力をお願いするなどとあるが、肝心なことは分からなかった。

   
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道道標識 (撮影 1996. 7.23)
通行止の看板は麓方向に見るようになっている

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注意看板 (撮影 1996. 7.23)
「巾」という字が見える

   
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ゲート手前で分岐する茂草大曲林道 (撮影 1996. 7.23)

<茂草大曲林道分岐>
 ゲート箇所の手前を左(東)へとしっかりした道が分かれている。入口に「茂草大曲林道」と看板が立つ。その延長は4,920mとしている。また別の看板では、ゲートがある道道方向に「松前町」とあったが、茂草大曲林道方向にも「松前町」とあったように思う。
 
<茂草・大曲>
 林道名になっている茂草(もぐさ)については、茂草川という川が流れ(地理院地図)、その下流域に茂草という集落がある(地理院地図)。一方、「大曲」についてはよく分からない。

  
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茂草大曲林道の看板 (撮影 1996. 7.23)
「延長 4,920m」とある

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茂草大曲林道分岐に立つ看板 (撮影 1996. 7.23)
左は「上ノ国町」、右は「松前町」
これは道道に関するもののようだ

   

<2つのルート>
 茂草大曲林道はその終点でまた道道に合流する(地理院地図)。この図式については麓側の分岐点に立っていた看板が分かり易い(下の写真)。

   
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麓側分岐点に立つ看板 (撮影 1996. 7.23)
地図は上が北(上が峠方向、下が松前市街方向)
左(西)ルートは道道、右(東)ルートは茂草大曲林道

   

<西ルート>
 西側に通じるのが道道のルートで、その距離9.1Kmとある。峠側・麓側のどちらの分岐点でもゲート箇所(看板では「門扉」)が設けられていて、その区間で通行規制が行われることが分かる。調べてみると、峠側の門扉を「袴腰遮断機」、麓側を「大曲り遮断機」と呼ぶようだ。
 
<東ルート>
 茂草大曲林道は東ルートになる。上の看板ではその距離5.4Kmとなっているが、前出の林道看板では4.9Kmだった。ちょっとした食い違いがある。
 
 尚、看板の峠側分岐点は一見十字路の様に描かれている。しかし、道道とは別に峠に向かう道(名前不明)は、若干シフトして分岐する。
 
 この時は東ルートの茂草大曲林道を走った。距離が短いし、それに道道の方はゲートで挟まれているからには険しい道なのだろう。安全策を採った。

   

<麓側分岐の様子>
 分岐付近はちょうど茂草川の支流を渡る箇所で(地理院地図)、その関係か路面は水溜りができる程ぬかるんでいた。
 
 
<茂草大曲林道方向>
 麓側分岐から茂草大曲林道側を見ると、いろいろ看板が立っている。この林道方向も、門扉がある道道方向も、共に行先は「上ノ国町」とあった。更に、茂草大曲林道方向には「千軒岳登山口 13Km」とも出ていた。林道延長が約5Kmだから、峠側分岐から峠まで約8Kmとなる。

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麓側分岐より茂草大曲林道を見る (撮影 1996. 7.23)
この時はこの茂草大曲林道を走って来た

   
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茂草大曲林道の看板など (撮影 1996. 7.23)

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看板 (撮影 1996. 7.23)

   

<道道方向>
 道道はヘアピンカーブしている。左は松前市街方向へと進む本線だ。右には直ぐにゲート箇所(門扉、大曲り遮断機)があり、その後一旦茂草川支流沿いに下り、続いて本流沿いに遡って峠を目指す。かなり冗長な道筋だ。

   
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麓側分岐より道道方向を見る (撮影 1996. 7.23)
左は松前市街へ、右はゲートを通って上ノ国町(峠)方面へと戻る

   

<道道コース/東ルート>
 ゲート脇には看板が立ち、大雨により通行止となる旨が記されている。やはり、茂草大曲林道より険しいルートと思われる。
 
 しかし、前述の峠に立つ保健保安林の看板では、この道道が採る東ルートは描かれていない。断定はできないが、茂草大曲林道より後に開削された道と思われる。確かに茂草大曲林道の方は峠に向かう道として、とても素直な道筋を辿っている。元からあった道らしい。
 
 一方、新規開削と思われる道道コースは屈曲が多く距離も長い。その分、安定した地形を行くのかと思いきや、ゲートで挟まれ、大雨で通行止にもなる。どうも話が合わない。
 
 道道として開削した積りだったが、予想外に崖崩れが起こり易く、後になってゲートを設けたのかもしれない。
 
 尚、麓側分岐から道道を行くと、峠まで約17Kmとなる。

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ゲート脇の通行止の看板 (撮影 1996. 7.23)

   

<及部川水域へ>
 分岐を過ぎると道はまた登りだす。茂草川水域から最終的には及部(およべ)川水域へと越えようとしている。とにかくアップダウンの多い峠道だ。

   

<舗装路に>
 茂草川と及部川の分水界を過ぎる所はちょっとした峠の様になっている。丁度その付近(地理院地図)から舗装路に変わった。道幅は狭いままだが、比較的新しいアスファルト舗装であった。
 
 
<ダート開始地点(余談)>
 2000年4月発行のツーリングマップルには、松前側ではダートまで9Kmとあった。しかし、この地点は国道228号から11.5Km程入って来ている。

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舗装路が出て来た (撮影 1996. 7.23)
峠方向に見る
この付近、ちょっとした峠の様相

   

<ダート(余談)>
 尚、峠まで道道をそのまま行けば18.5Kmのダートが続く。一方、上ノ国町側のダートは約22Kmだったので、未舗装距離は合計約40.5Kmと計算される。ちなみに前記のツーリングマップルには「ダート 42.5Km」とあった。2Km程誤差がある。それでもとにかく長いダートだ。
 
 また、「急坂急カーブ多く 特に峠付近 かなりガレて荒れているハードな林道」とコメントされていた。しかし、私にはそんな印象は全くない。よく整備され、走り易い林道であった。やはり私が越えた時点(1996年7月)では、まだまだ道の状態が良かったようだ。数年程度でガレてしまったのだろうか。

   

<土岐沢林道分岐>
 舗装路になった直ぐ先で、右(西)に林道が分岐する(地理院地図)。奥に立つ林道看板には「土岐沢林道」とあったようだ。しかし、土岐沢という川は見付からない。

   
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土岐沢林道方向を見る (撮影 1996. 7.23)

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土岐沢林道の看板 (撮影 1996. 7.23)

   

<景色>
 野宿明けの早朝の峠越えで、霧が多くこれまで殆ど景色が望めなかった。それが、及部川沿いへと下る途中でやっと眺めが得られた。ハタケの沢川上流部の谷を挟み、西方に視界が広がったと思う。

   
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途中の景色 (撮影 1996. 7.23)

   

<松前町側ゲート箇所>
 道は及部川支流・ハタケの沢川左岸沿いに下って来る。本流との合流点のちょっと手前にゲート箇所がある(地理院地図)。脇にハタケの沢川沿いの道が分かれる。

   
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松前町側ゲート箇所 (撮影 1996. 7.23)
奥が峠方向、手前が松前市街方向
向かって左(西)にハタケの沢川沿いの枝道が分かれる

   

<通行止区間>
 茂草大曲林道のバイパス路(道道)側にあるゲート箇所(門扉)を除けば、ここは松前町側最奥のゲート箇所となるだろう。この直後に及部川本流沿いに通じる道が合流して来る(地理院地図)。通常その分岐までは通行規制がないようだ。
 
 上ノ国町側の旧上国鉱山付近のゲート箇所からこのゲートまでが、大きな範囲での通行規制区間と言える。最近はこの間でほとんど通行止となっているようだ。

   

<通行規制>
 道路通行規制の看板に区間距離は「16.2Km」と出ている。茂草大曲林道を通らず全て道道を行くとすると、概ね峠側の茂草大曲林道分岐までである。袴腰遮断機までということだろう。
 
 この区間の通行規制は単に「異常気象時」とだけあるが、別の看板には「この路線は大雨のとき、通行止めとなる場合があります」とも出ている。
 
 また、通行規制の看板の横にはクマに関する注意看板も立っていた。ここ数年、この付近の地域でも人的被害が発生している。もう、野宿など出来たものではない。

   
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通行規制の看板 (撮影 1996. 7.23)
区間距離は16.2Km
右端にはクマ注意の看板

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奥にゲートが見える (撮影 1996. 7.23)
ここから袴腰遮断機までが規制区間となるようだ

   

<道程>
 このゲート箇所から峠までだと約24.5Kmになる。また、ここから松前町側の国道228号までは6Km余りなので、松前町側の峠道は合計約30.5Kmと計算される。尚、途中で茂草大曲林道を使えば4Km程短縮され、約26.5Km程だろう。
 
 上ノ国町側は27〜28Kmだったので、道道の峠道は合計約58Kmと推測される。ただ、途中の看板に示された数値などを参考にしたが、食い違いうこともあり、それ程正確ではないだろう。
 
<峠道の終点>
 道道607号は松前市街のちょっと東側で国道228号に接続する。及部川の河口周辺に朝日の素朴な集落が佇む。そこが石崎松前線の峠の終点となる。

   

<白神岬(余談)>
 松前城などを見学するのもいいが、国道を少し東に進むと北海道最南端の白神岬(しらがみみさき)がある(地理院地図)。以前バイクツーリングでも訪れたことがあった。現在はこの岬を回って幾つものトンネルをくぐる国道が通じ、比較的容易に訪れることができる。

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白神岬 (撮影 1996. 7.23)

   
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白神岬 (撮影 1996. 7.23)
野宿もしつつ、40Km以上のダートを走って来たところ
ジムニーは林道走行には絶大な信頼性があった

   
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白神岬灯台 (撮影 1996. 7.23)

<吉岡峠(余談)>
 しかし、かつては白神岬先端を通る海岸道路はなかったそうだ。松前町荒谷(地理院地図)から福島町松浦(地理院地図)へは、山越えのルートを辿ったとのこと。大千軒岳から白神岬へと続く稜線上に吉岡峠という峠が見られる(地理院地図)。多分、それがかつての松前街道、あるいは福山街道と呼ばれた道のルートである。
 
 大災害などで万が一白神岬が通れなくなった場合、その道が代替路となるのだろう。今回の峠もそうだが、海岸道路を補完する意味で峠道も重要という訳だ。しかし、吉岡峠はまだ車が通れるのだろうか。石崎松前線の峠はどうも難しそうである。

   
   
   
   
   

<終わりに(余談)>
 30年も前に越えた峠だが、道の途中に看板が多くあり、それらを頼りにどんな峠道だったか再考証することができた。また、最近のウェブサイトの発達で地理院地図を始めとした詳しい地形図や航空写真を閲覧できたのも助けとなった。
 
 今回の峠は全長で60Km近い長大な峠道を成し、その間に未舗装路も40Km以上続いた。野宿はしたし、ダートも楽しめた。こんな峠の旅はもう日本のどこでもできないと思う、石崎松前線の峠であった。

   
   
   

<走行日>
(1990. 7. 2 白神岬/AX−1にて)
・1996. 7.22 上ノ国町石崎→野宿/ジムニーにて
・1996. 7.23 野宿→峠→松前町→白神岬/ジムニーにて
 
<参考資料>
・北海道 2輪車 ツーリングマップ 1989年5月発行 昭文社
・ツーリングマップル 1 北海道 2000年4月2版10刷発行 昭文社
・角川日本地名大辞典 1 北海道 1987年10月 発行 角川書店
・角川日本地名大辞典 1 北海道 昭和62年10月 8日 発行 角川書店
・日本歴史地名大系 1巻 北海道の地名 2003.10.20 初版第一刷 (株)平凡社
・旅先で入手した観光パンフレット各種
・その他、一般の道路地図など
 
<参考ウェブサイト>
・角川日本地名大辞典のオンライン版(JLogos)
・地図のウェブサイト 「Google マップ」、「NAVITIME」、「MapFan」、「Yahoo! マップ」など
・川のウェブサイト 「川の名前を調べる地図」(道路名も参考に)
・松前町、上ノ国町の公式ホームページ
・その他、一般の道路地図など
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒  資料

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