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板谷峠
 
いたや とうげ
 
あまり知られていない車道の峠へ
 
板谷峠 (撮影 2001. 8.10)
奥が山形県米沢市板谷、手前が同市大沢
道は県道232号・板谷米沢停車場線
峠の標高は約825m
 
 もうこの板谷峠に関しては改めてここでとやかく言ってもしょうがないだろうという程有名である。福島県福島市と山形県米沢市の境に位置する、奥羽本線最大の難所の峠として名が知れている。連続するスイッチバック、峠と言う名の駅、名物峠の力餅。鉄道ファンならずとも、あちこちで見聞きしていることだろう。近年は山形新幹線の開通に伴いスイッチバックがなくなるなど、大きな変貌を余儀なくされたようだ。
 
 ところで、この「峠と旅」での関心はといえば、「鉄道」ではなく「車道」の方の峠である。鉄道の板谷峠に関してはテレビや書籍などにいろいろと登場するが、車道の峠に関してはほとんど一般には知られる機会がない。車で越える板谷峠とは一体どんなものなのだろうか。
 
 現在、車道としては国道13号がこの県境部分を、東栗子トンネルと西栗子トンネルという2つの長いトンネルで越えている。しかし、この国道上をよく見ても、「板谷峠」の文字はない。例えば、ツーリングマップル(昭文社、東北編、1997年3月)でみると、東西の栗子トンネルの間は「栗子峠(610m)」ということになっている。代わって、トンネル間の山形県側で国道より分岐し、奥羽本線の板谷駅を過ぎる県道途中に「板谷峠」と書かれている。車道の板谷峠は県境になっていないのだった。
 
 等高線からすると、どうもこの県境自体が腑に落ちない。本来、県境は山の稜線を繋ぐ線に一致するのが一般的だが、そうなっていないようなのだ。また、別の道路地図や古いツーリングマップを見ると、「板谷峠」と書かれた位置が微妙に異なるのだ。地図を眺めただけでもこの付近はいろいろ複雑な事情を抱えていると察せられる。
 
 車道の板谷峠があることは確かなようなのだが、いまだに「峠をはさんで約5Kmのダート」との記載もある。何だか訳ありといった感じ。これはやっぱり実際に一度行ってみなければなるまい。
 

東栗子トンネルを抜け山形県に入る
左に板谷への分岐
 福島市側より国道13号を県境方向に走っている最中、運転中の友人に起こされた。ちょっと体調不良で休ませてもらっていたのだが、これから目的の板谷峠へ向かうとあって、友人が起こしてくれたのだった。
 
 寝ぼけまなこのまま、暗い東栗子トンネルに入る。慌ててカメラを構える。出口でまず1枚撮るが、ひどいピンぼけ。直ぐに左に板谷への分岐が現れ、また1枚。
道路標識には分岐方向に「板谷 1Km」とあった。立派な国道に比べるとか細い貧相な道で、ウッカリすると通り過ぎてしまいそうな分岐に忙しく曲がる。
 
 分岐に入って路肩に停車。車を降りて深呼吸。やっと目が覚めてきた。周囲を見渡せば、静かな山の中。天候がやや悪く、ガスがかかり始めている。
 
 入ったこの道は県道232号・板谷米沢停車場線というらしい。まだ板谷峠を越えていないが、ここはもう山形県米沢市である。
 
 後で調べてみると、昔に境界争いなどもあったようだが、江戸幕府が米沢側に有利な「川境」に裁定したそうな。福島市街に下る松川の支流、蟹が沢を境とした。板谷峠が越えているのは中央分水嶺である奥羽山脈なのだが、敢えてそこを境とはしなかった。それが現在の県境にまで受け継がれているということのようだ。
 
 また、それだけでもないような気がする。現在の道は東栗山トンネルで福島市街に一直線に下るが、古い街道はそう簡単ではなかった。米沢藩が参勤交代に用いた当時の板谷街道は、板谷宿から福島城下に下るのに、標高600m余りの副峠を越えなければならなかったという。そのことからも分かるように、この付近の地形がやや複雑だったのではないだろうか。それが、境界を定めるのに、事情を複雑にしたと考えられないだろうか。

分岐直後の県道周辺の様子
 

旧板谷駅ホーム側
 県道脇に「板谷観光案内」と書かれた看板が立つ。そこに描かれた地図には、この先の県道上に「板谷峠」の文字もしっかりあった。
 
 車に乗り込み県道を少し進むと、米沢市大字板谷・板谷集落の中を進む。道の両側には思いのほか建物が多い。昔もここが板谷宿のメインストリートだったのだろうか。この付近の標高は530m前後である。
 
 集落が終わりかけると、板谷駅が現れる。右手に今は使われなくなったスイッチバックの旧ホーム、その先線路を渡って左手に現在の板谷駅。道は狭く、駅前ロータリーなどというものはない。奥羽本線はこの先板谷トンネルで峠を越えて行く。
 
 一方県道は狭く寂しい道を登って行く。周囲に人家は途絶える。路面は舗装されてはいるが、ひび割れた古いもので、白線もガードレールもない。アスファルトぎりぎりまで両側から生い茂った草木が迫る。いよいよ峠道のクライマックスだ。それまで体調が思わしくなかったのだが、俄然元気が出てきた。
 
 この車道がそのまま昔の板谷街道と同じ道筋をなぞっているかは分からないが、ほぼこの付近を米沢藩の殿様も江戸参勤で通ったのだろう。板谷峠の道は険しくとも米沢から江戸までの最短経路であった。
 
 暫く行くと、左手に「大旗山の家」という茶屋が立っていた。随分寂しい所にある茶屋だと思ったが、何らかの謂れがあるのだろう。その時は、どうも営業していないらしく、森閑としていた。

板谷集落を過ぎた先の県道
 

大旗山の家
この時は誰も居なくて森閑としていた

「大野九郎兵衛の供養碑」の入り口
 
 その先、今度は右手に何やら看板が立っている。「大野九郎兵衛の供養碑」とある。赤穂藩浅野家の家老だった大野九郎兵衛はあの有名な討ち入りに参加しなかった。しかし、討ち入りが失敗した時に吉良が米沢に居る縁者を頼って逃げるところをこの板谷峠で待ち伏せて討とうと画策したものと、後になって推測されるようになった。大野九郎兵衛は討ち入りの翌年、峠の近くの馬場平という所で切腹している。この碑はそのことに因んで建てられたもの。実際に碑があるのは車道から徒歩10分程離れた所とある。
 

この前方左が峠駅への分岐

分岐
左は峠駅へ、右は板谷峠を越えて大沢へ
右の道には次の様にあった
板谷〜大沢間
この先
大型車通行止
 

分岐の峠駅方向にあった案内看板
 県道は碑を過ぎると直ぐに分岐に出る。ほぼY字路である。左は奥羽線の峠駅へ、右が板谷峠を越えて米沢市街てと続いている筈だ。分岐に立つ標識は、左を指して「姥湯温泉10Km、滑川温泉6Km、峠駅2.8Km」、右を指して「大沢7.3Km(普門院、米沢市街)」とあった。
 
 また分岐の峠駅方向には大きな案内看板が立っていた。姥湯温泉への道が工事による通行止とある。峠駅には行けそうだ。鉄道マニアではないが、かりにも「峠」と名付けられた駅である。訪ねない訳にはいかない。道は峠駅で行止りで、その先にはどこにも通じていないが、峠駅とやらをちょっと寄り道することにした。
 
 分岐後、峠駅への道は僅かに登って直ぐに下り始める。実は、どうもこのピークが元の板谷峠ではないかと思うのである。
 
 古い道路地図や国土地理院の地形図などをよくよく見ると、ほぼこの部分を指して板谷峠と記述されているのだ。標高を等高線から読み取れば755m。文献等で板谷峠の標高を755mとしているのと一致する。一方、現在米沢市街へと続いている方の峠は等高線の820mと830mの間にある。どちらも地形図を読み取る限り、奥羽山脈の中央分水嶺を越えている。
 
 考えてみれば、これから向かう峠駅は奥羽本線の板谷トンネルを抜けた先、すなわち「鉄道の板谷峠」を既に越えた所にあるのだ。峠駅の所在地の住所も「山形県米沢市大字大沢」である。確かに板谷から峠を越えて反対側の大沢に入って来ているのだ。鉄路が峠を越えているのに、車道が峠を越えないということはないのである。
 
 それにしても旧板谷峠は、何もない峠であった。道は狭く展望はなく、峠を示す何の標識もない。本当に板谷峠と呼んでいい所なのか、今もって判然としない。

旧板谷峠付近
 

名物「峠の持餅」の看板が現れる
 旧峠からの勾配はなかなか急である。すると直ぐに対向車が一台現れた。大型のパジェロだった。道幅がないので、こちらの普通の乗用車がアスファルト路面からはみ出してまでよけた。それなのに、相手は路肩の水溜りを避けてすり抜けようとしてくる。車のボディがギリギリにすれ違う。車が汚れるのを嫌ってか、水溜りを避けるような乗り方をするなら、初めからオフロード向きの大きなパジェロになんか乗るなと頭にきた。迷惑だ。車の乗り方を全く分かっていない者が多すぎる。(やや興奮気味なのであった)
 
 尚も急な下りが暫し続く。「峠の力餅」と書かれた宣伝看板が出てきた。寂しい峠道に人間臭い気がした。その直後に小さなT字路に突き当たる。正面に看板有り。左折は滑川・姥湯温泉方向、右折が峠駅へとある。
 
 地図を見ると滑川・姥湯温泉へは、この先萱峠(かやとうげ)で再度中央分水嶺を越え戻っている。ここより4Km、8Kmと奥まった所にある。道はそこで行止りだ。
 
 また、工事看板には「スイッチバックの改良工事」とあるが、これは何も奥羽本線のスイッチバックなどではない。何と、車道のスイッチバックなのだそうだ。あな恐ろしや。これは機会をみて是非行ってみたいところである。
 
 今日の旅に残された時間も少ないので、分岐をとっと右折する。道は更に下る。間もなく前方に建物が見えてきた。人影もちらほら動き回っている。やっとひと気のあるところに出てきたという安堵感があった。
 
 板谷峠後編に続く
<制作 2002. 7.28>

T字の分岐
左に姥湯温泉8Km、滑川温泉4Km
右に峠駅0.6Km
 
板谷峠後編

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