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板谷峠 (後編)
 
 

峠駅に着く

板谷峠方向を振り返る
ここが駅前広場
 

峠の力餅の店
 道が行き止まった所がすなわち駅前広場であった。水溜りがそこかしこにあり、ゴミを焼いた後が残り、ウサギが何匹か放し飼いにされ、何とものどかな所である。
 
 広場を挟んで右手に商店が一軒、左手に名物峠の力餅の店がある。商店は営業する時があるのかないのか、どうもコメントし難い様相だが、力餅の方はなかなか立派な佇まいだ。ひとつその名物とやらを買ってみようかと思ったが、「予約」と看板にあったのと、門構えがちょっと入りづらかったのでやめておいた。(値段も気になる)
 

峠駅の旧スノーシェッド(福島方向を向く)
この手前が旧峠駅ホーム

峠駅案内図
 
 駅前広場の正面が、まず旧奥羽本線の路線(スイッチバック)跡である。左手方向に旧峠駅のホームがあったらしい。しかし、今では線路は外されて、草地にとなりかけている。路線跡の先に山形新幹線も通る現在の線路が走る。左が谷間を下って米沢方向、右がスノーシェッドや板谷トンネル抜けて福島方向である。
 
 この奥羽本線を目の前にして立つと、線路を越える車道の踏み切りはなく、また線路に沿って米沢方向へ進む道も見当たらない。車道は確かにこの峠駅で終点だ。となると疑問は、先ほどの旧板谷峠を越えてきた古い板谷街道は、どの様に続いていたのかということである。勿論、現在の車道がそのまま昔の板谷街道と全く同じ道筋を通っているとは限らないが、概ね板谷集落からこの峠駅付近までは、旧道と重なる部分が多いのではないかと思う。
 
 これは推測だが、昔の峠道は現在の峠駅付近からほぼ奥羽本線が通る道筋を米沢方面へと下っていったのではないだろうか。峠直下の羽黒川上流の沢沿いを下る道筋である。一方、現在の車道の板谷峠は沢沿いを避け、もっと北の鉢森山に近い肩口を越えている。
 
 現在の峠駅にはガランとした旧スノーシェッドの中を歩いて行く。スノーシェッドの壁に立て掛けて、「峠八景」とか「吾妻連峰案内図」とかの朽ちかけた古い看板が残っていた。今はこの峠駅そのものを見るために、車で訪れる者がぽつりぽつりと居る。しかし、以前は峠八景や吾妻連峰を探訪する為に、リュックを背負って峠駅に降り立つ者も多くいたのだろう。そしてその案内看板を眺め、スイッチバックの鉄路で遥々やってきたなと実感したに違いない。
 
 仮設のようなトイレの前を過ぎ、小さな遮断機のある踏切で米沢方向の線路を渡ってホームに上がる。改札口らしきものはない。ホームは狭く、この前を山形新幹線が通過するのかと思うと、ちょっと怖い。

峠駅より米沢方面を見る
左がもう使われていないスノーシェッド
 

峠駅より福島方面を向く
ぽつんと駅舎がある
 ホームには小さな駅舎がぽつんとある。中を覗くと寂しい時刻表がかけてあった。この駅に停車する列車は上下線ともそれぞれ6本である。以前のことは知らないが、随分と本数が減ったそうだ。駅前広場に居た僅かな時間に、2、3回遮断機の警報音が鳴るのが聞こえたが、峠駅に列車が止まった気配はなかった。
 
 それにしても「峠」という駅名はあっさりしている。地名ではなく、地形や場所を表す一般名称が使われている点も変な感じを受ける。奥羽本線には板谷トンネルがるので、実際にはトンネル部分が峠であリ、峠駅は米沢側に少し下った所に位置する筈だ。
 
 「峠の力餅」の店の前にどういう訳か駅名を書いた看板が立ててあった。それには標高も付記されていて、峠駅が624m、その前後の板谷駅548m、大沢駅470mである。標高差が大きいことをいいたいのだろう。スイッチバックがあったのはこの3駅と福島県側の赤岩駅である。古いツーリングマップ(1989年5月、東北編)には、そのスイッチバックが記されている。盲腸の様に線路が僅かに飛び出し、そこに駅がある。実際に列車に乗ってこの路線を通った経験はなく、鉄道マニアでもないので、この奥羽本線の難所はそのツーリングマップを見て想像するのが常であった。
 
 ここは峠マニアのページなので、これ以上鉄道には深入りせず、沢山撮った峠駅の写真も掲載を控え、さっさと車道の板谷峠へ向かうとする。峠駅の広場を出発しようとすると、一台のマイクロバスがやって来た。「姥湯温泉」とある。どうやらそろそろ峠駅に列車が到着するらしい。駅と温泉を結ぶ送迎バスなのだ。奥羽本線のスイッチバックはもう楽しめないが、送迎バスの利用客は車道のスイッチバックをさぞかし堪能できることだろう。
 
 旧峠を越え戻り、分岐に帰ってきた。実は気掛かりなことがある。この先、板谷峠の前後はツーリングマップルに「約5Kmのダート」とあり、いつものジムニーなら望むところではある。しかし、今回は友人の車だ。この車は特に底が低く、これまでもダートに連れて行くと、大抵何度か底を擦る。パンクも一度あった。でも、この峠を越えなければ今夜の宿には行き着かないのである。大型車通行止(8M以上)の看板を横目に、恐々ダートへと突入した。

峠へ向かうダート道
 

やや天候が悪化し、ガスってきた
 道は思いのほか良かった。細かい石がしっかり踏み固められた平らな路面で、ダートとしてこれ以上のものは望むべくもない。途中一箇所やや荒れた部分はあったが、それも走行にはほとんど支障なかった。
 
 周囲は開け、峠駅に向かう道とは対照的に、開放感がある峠道となった。鉄塔が立ち、高圧電線が通じている。残念ながら天候の崩れは進んでいるらしく、ガスって遠望はない。沿道にも見るべくものはなく、道もなだらかで直ぐにも峠に着いた。
 
 峠自体もなだらかで、空が開けている。ただ、ガスのせいだけではなく、展望がなさそうだ。広い路肩はあるが、ここが峠ですよと示すものもない。
 
 峠には一台の車が止まり、先客の2人の男があたりをうろついていた。草木を分けて何か探してでもいるようだが、どうも眺めが得られる場所はないかと見て回っているらしい。車道をそれると夏草が歩行を阻む。結局諦めて板谷側に車を走らせて行った。
 
 板谷峠は、古くは鉢森山(1003.3m)の南、標高810m付近を通っていたそうだ。かえって現在のこの車道の峠に近いことになる。

板谷峠
板谷側から見る
 
 後にもっと南の標高755mを通過するようになる。「一人横たはれば万人を止るのところ」と称され、「座頭転がし」などと呼ばれる難所が待つ険路であった。改修により夏は牛馬、冬季は背負子などにより荷が運ばれ、伊勢参りの旅人も越えた。
 
 しかし、明治期に入ると、荷車の越えられない板谷街道を避け、北約7Kmにある栗子峠に栗子隧道が掘削される。全長86.4mの栗子隧道は素堀式で、明治13年10月に完成。翌14年に明治天皇が巡幸の際に「万世大路」(「ばんせいおおじ」又は「ばんせいたいろ」)と命名される。新しい峠道の開通により、板谷峠越えは急速に寂れることとなり、廃道へと進んでいった。一方、万世大路は後に国道13号へとなっていく。その後の板谷峠には、明治32年に国鉄奥羽南線(後の奥羽本線)が通り、峠を挟んで板谷と峠の駅が設けられる。
 
 一度は板谷峠に取って代わった栗子峠であったが、その万世大路が昭和32年より大幅に改修され、今度は板谷峠の近く、北東約2Kmを2つの栗子トンネルで越えることになった。そして昭和41年に国道13号として開通すると、栗子隧道の栗子峠は廃道となった。ツーリングマップルには2つの栗子トンネルの間に「栗子峠」とあるが、これは「新栗子峠」ということになる。古いツーリングマップをよく見ると、東栗子トンネルの福島側入り口手前より、栗子山方向に向かって道がある。また、米沢側の栗子川沿いにも途中まで道が来ている。しかし、峠付近に栗子隧道とやらは見られない。
<参考文献:角川日本地名大辞典/福島県編、山形県編>
 

峠から大沢への下り
 一方、東栗子トンネルの開通に伴って、再び板谷峠が福島と米沢の間を越えられる峠となった。峠の変遷は何と複雑なことか。
 
 
 板谷峠より大沢側に下ると、徐々に視界がさえぎられ、沢沿いの道へとなっていく。道は相変わらずの締まったダートで、沿線にあるのは草木だけ。栗子トンネルが完成する以前は、峠駅や板谷集落へ行くのに、この道が唯一の車道だったということだろうか。
 
 道は終始走りやすく、数キロの道程はあっという間だ。再び舗装路が現れた。心配したダート区間を無事に通過していた。しかし、現れたアスファルト舗装は古いもので、それまでのダートと大して変わりがないのだった。
 
 遂に雨が降り出し、車を停めて長く外に出ていることができなくなった。左手にある笠松鉱泉も覗き見ることもなくそのまま通過。それに今夜はしっかり宿を予約してある。米沢市の更に北、飯豊町にある「添川温泉しらさぎ荘」という公共の宿だ。豪勢にも夕食付である。わびしいコンビニ弁当などではない。その夕食にどうしても間に合わなければならないのだ。もう直ぐ夕方の5時で、残す時間がない。幸い道は直線的で走りやすく、さっさと走り抜ける。

峠方向を見る
ここより再び舗装が始まる
 

笠松〜大沢間 (大沢方向を見る)
直線的で走りやすい

大沢集落付近 (峠方向を見る)
 
 道がまたちょっと狭くなったと思ったら、人家が現れた。大沢集落と思われる。「板谷〜笠松間 大型車通行止」の看板が集落端に立っていた。
 
 その後、大雨の米沢市街をワイパーフル回転で抜け、6時丁度には宿に着いた。それで夕食も無事にありつけたのであった。
 
 地図の上では何度も見てきた板谷峠ではあるが、やっぱりこうして実際に越えてみると、初めてこの峠について分かったような気になってくる。もう奥羽本線のスイッチバックがなくなった後であったり、峠道の後半がやや駆け足だったりはしたが、板谷峠を越えたことの事実に変わりはない。でも、滑川・姥山の両温泉や旧栗山峠の道など、旅の取りこぼしはいくらでもある。まだまだ探訪し足りないと思う板谷峠であった。
<制作 2002. 7.28>
 
板谷峠前編

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