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小南峠  (小南峠隧道)
  こみなみとうげ  (峠と旅 No.337)
  奈良の「へそ」に位置する峠道
  (掲載 2025. 6. 6  最終峠走行 1992. 4.26)
   
   

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小南峠隧道 (撮影 1992. 4.26)
トンネル坑口のこちら側は奈良県吉野郡黒滝村大字中戸
反対側は同郡天川村大字洞川
道は奈良県道(主要地方道)48号・洞川下市線
坑口標高は約1,050m (地理院地図の等高線より)
今にも崩れそうなトンネルだ
炭鉱跡にでも間違われそうである
現在は少し補修されているらしい

   

   

<掲載動機(余談)>
 このところ、紀伊山地にある峠の掲載を続けようと試みている。紀伊山地は三重・奈良・和歌山の3県にまたがり、この山地の中央部は奈良県吉野郡(よしのぐん)になるそうだ。その奈良県のほぼ真ん中に位置するのが吉野郡黒滝村(くろたきむら)で、「奈良のへそ」などとも呼ばれるとのこと。
 
 黒滝村と言えば、その南部の山間地に小南峠が通じる。よって、小南峠は紀伊山地のど真ん中にある峠となるかもしれない。かなりこじつけだが、こういう訳で今回の峠を決めてみた。 ただ、この峠を越えたのは一回きりで、それももう随分昔になる。僅かな写真が残るだけであるが、古いトンネルの姿は少しは価値があるでのはないかと思う。

   

<所在>
 峠道は概ね南北方向に通っている。峠の北側は奈良県吉野郡黒滝村の大字中戸(なかと)になる。
 
 峠の南側は同郡天川村(てんかわむら)大字洞川(どろがわ)だ。

   

<地理院地図(参考)>
 国土地理院地理院地図 にリンクします。


   
本ページでは地理院地図上での地点を適宜リンクで示してあります。
   

<紀の川水系>
 峠の黒滝村側には川谷川が流れ下り(地理院地図)、黒滝川を合した後丹生川(にゅうかわ、にうかわ)となり(地理院地図)、やがて本流の紀の川(紀ノ川)に注ぐ。紀の川の上流部は吉野川との名があり、和歌山県に入ってから紀の川と呼ばれる。正式には全て紀の川である。
 
<川谷川本流説>
 尚、地理院地図にははっきり「川谷川」の名が記されるが、こちらを丹生川本流とし、それに支流・黒滝川が合流するとする地図も見掛ける。
 
<黒滝川本流説>
 一方、文献(角川日本地名大辞典)では丹生川の源流は大天井ケ岳(おおてんじょうがだけ、地理院地図)の北西斜面としている。それだと黒滝川の方が本流である。川谷川より流長も長そうだ。更に、文献では丹生川の主な支流に黒滝川の名が出て来ない。やはり黒滝川を本流とするからだろう。
 
<西谷川>
 代わりに西谷川という支流があることになっている。笠木川より上流左岸に位置するという。どうも西谷川と川谷川は同一の川ような気がする。どちらかが誤植ではないだろうか。

   

<新宮川水系>
 峠の天川村側には小泉川の支流が流れ下り(地理院地図)、小泉川(地理院地図)、山上川(地理院地図)、天ノ川(てんのかわ、地理院地図)となって行く。山上川は洞川(どろがわ)の別称を持つ。
 
 尚、天ノ川は新宮川水系の本流で、下って十津川、熊野川と名を変えるが、正式には全て新宮川である。天ノ川を新宮川と呼んでも間違いではないが、それではやや詰まらない。ただ、これらの川の名については行者還峠(行者還トンネル)のページで調べたのだが、やっぱり良く分からない。

   

 それにしても、黒滝村と天川村は小南峠を挟んだお隣同士の村だが、一方の紀の川は紀伊半島西側の紀伊水道に流れ、一方の新宮川(熊野川)は東の熊野灘に注ぐ。峠は大きな分水嶺上に位置する。
 
 余談だが、紀の川最源流に位置する車道の峠は伯母峰峠地理院地図)ではないかと思う。また、新宮川については行者還トンネルが最源流であろう。今回の小南峠は天ノ川より上流域にあり、行者還トンネルにも近い。ただ、五番関トンネル(地理院地図)の方が僅かに上流側に位置するので、新宮川本流域では3番目の峠となろうか。

   
   
   

黒滝村側

   

<旅のこと(余談)>
 あれはもう33年前のことになる。3社目に勤めた会社も既に6年近く経ち、そろそろ倦怠期に入った。一人前の仕事はこなしている積りだが、この数年これと言って目立った仕事の成果を出せずにいる。仕事内容もあまり面白くない。 何日か休出したので、その代休が溜まっていた。丁度春のゴールデンウィークが迫っていたので、代休などを足して11日間の休暇をもらうこととする。外資系の会社だった為か、こうした融通は日本の企業と比べると楽に通してもらえた。
 
 今回は紀伊半島から淡路島、四国、九州へと渡り、最後に東九フェリーで新門司港から東京フェリーターミナルに戻って来る予定だ。休暇は11日間だが、旅の最終日は12日目となる。 東京フェリーターミナル下船が早朝の6時過ぎなので、その足で会社に出勤するのだ。いつもの通り、宿の予約は全く取っていない。時間とジムニーと野宿道具さえあれば、日本のどこへでも自由に行けると思っていた頃のことだ。

   
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野宿の朝 (撮影 1992. 4.26)
既にテントは撤収し、備品の後片付けの真っ最中

<野宿(余談)>
 旅の初日はほとんど高速道路移動で、夕暮れに奈良県の吉野町に入った。この地はほとんど土地勘がなく、どこに野宿地が見付かるか全く検討が付かない。とにかく市街地から抜け出そうと、近鉄吉野線沿いを南の吉野駅方向へと向かって走った。 県道37号・桜井吉野線沿いをキョロキョロ見回していると、何やら寂しい道が分岐している。
 
 その道は沿道に人家はなく、資材置き場のような箇所を抜けて進むと800m程で行止りとなった(地理院地図)。そこは広い造成地で、眺めもいい。野宿地としては最適だ。ただ、繁華な吉野市街から直線距離で1Km余りしか離れておらず、人がやって来る可能性が高い。しかし、事ここに至っては他に手立てはない。覚悟を決めてテントを設営することにした。

   

 心配をよそに、その夜半にやって来る者は一人もおらず、無事に一夜を過ごすことができた。 朝は早くからテントや野宿道具を撤収し、人の目に付く前にとさっさと県道に戻る。奈良の吉野と言えば吉野山の桜だが、もう時期が過ぎているようだった。人込みも避けたいので、下市町へと越え、県道48号・洞川下市線で黒滝村を目指す。
 
<黒滝村>
 黒滝村では県道138号・赤滝五條線に寄り道した。大字赤滝の先で川上村に越える峠道が通じていないものかと期待したのだ。しかし、やはり赤滝で車道は行止りだった(地理院地図)。

   

<奈良のへそ>
 黒滝村はその2年後にまた訪れている。下市町方面から今度は国道309号を使った。黒滝村に入ると直ぐ、国道脇に村のガイドマップの看板が立っていた(地理院地図)。「奈良のへそ黒滝」と大書されていた。

   
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「奈良のへそ黒滝」の看板が立つ (撮影 1994.10. 9)


 現在は道の駅・吉野路黒滝が近くにできたようで、村の観光案内などはそちらで手に入るのだろう。

   
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「奈良のへそ黒滝」の看板 (撮影 1994.10. 9)
地図は概ね左が北

   

 看板の地図には小南峠隧道や笠木トンネル・新笠木トンネルが描かれていた。黒滝村の南部を越えるには、この2通りの峠道しかない。小南峠の道は険しいので、実質新笠木トンネル一択である。ただ、村の中心地は小南峠を越える県道48号沿いにある。この県道が村の中央部を南北に通じる幹線路になっている。

   

<峠へ>
 赤滝への寄り道から戻って県道48号で小南峠を目指す(地理院地図)。 当時使っていたツーリングマップ(1989年7月発行 昭文社)では、そこから先、峠を越えて天川村に下るまで、道はまだ県道表記になっていなかったと思う。何かの林道だろうという心積りだった。 林道だと覚悟を決めれば、道の険しさも左程ではない。しかし、その後まもなく主要地方道に昇格している。あの道がまさかと、思わざるを得ない。

   

<河分神社(余談)>
 峠道の情報に関してはいつも文献(角川日本地名大辞典)を頼りにしているが、さすがにこんな小さな峠道についての記述は見付からない。しかし唯一、河分神社(かわわけじんじゃ)の項に登場していた。「丘陵の尾根の先端にあり、社前の道は赤滝方面へ通じる道と、小南峠を越えて洞川に出る道に分かれる。古記録には「川分大明神」とあり、地元では「河分の明神さん」と呼んでいる。」と出ていた。赤滝方面から流れ下る黒滝川(丹生川本流の上流部)に、小南峠からの川谷川が合流する地に神社は立地する(地理院地図)。峠道の分岐点でもある。黒滝川を本流とした場合、今回の峠道の範疇は川谷川水域のみとなり、赤滝方面の峠道の方が格上である。ただ、赤滝の先にまだ車道の峠道は通じていないようだ。
 
 河分神社を起点する小南峠の道は、峠の隧道まで約6.5Kmである。
 
<中戸>
 河分神社付近から峠までの黒滝村は、大字では全て中戸(なかと)となるようだ。江戸期には中戸村、明治22年からは南芳野村(みなみよしのむら)の大字、明治45年からは黒滝村の大字中戸となって行った。
 
 中戸には字は4つあるそうで、川戸(かわど)、雫(しずく)、上中戸(かみなかと、中戸?)、上平(うえだいら)と呼ばれるそうだ。河分神社がある所が字川戸で、元は役場などがある村の中心地だったとのこと。今は少し丹生川下流に位置する大字寺戸(てらど)に移っている。

   

<山上街道>
 洞川(どろがわ)の別称を持つ山上川は、天川村の山上ケ岳(さんじょうがだけ、1,719m、地理院地図)に源を発する。この山は大峰山とも呼ばれる大峰山脈(地理院地図)の主峰で、役行者が開いたと伝える修験道の根本道場になる。その山上参りの人々が歩いた道が山上街道であった。
 
 文献によると、黒滝村の大字粟飯谷(あわいだに、地理院地図)は下市から洞川(地理院地図)に通じる旧山上街道が通じていたとのこと。小南峠を越えたとは記されていないが、その道筋から言ってまず間違いなく、旧山上街道は小南峠を越えていたものと思う。黒滝村側の峠道の中間くらいに松ヶ茶屋跡という箇所が見られる(地理院地図)。これなども山上街道の名残ではないかと思ったりする。

   

<旧峠>
 ただ、かつて山上参りで使われたのは勿論現在のトンネルの峠ではない。車道開削により峠道はかなり西へと迂回してしまったようだ。元の峠はトンネルの東600m余りにある鞍部(地理院地図)ではないかと思う。トンネル上部の標高は1,090m余りあるが、旧峠は1,070m余りとやや低い。

   

<峠名>
 現在の車道の峠には小南峠隧道が通じる。そこを「小南峠」だと言い切ってしまっても、大筋に間違いはないだろう。但し、旧峠の存在を尊重すれば、あくまで「小南峠」の名を継承したトンネル名を持つ新規の峠である。やはり「新小南峠」などと呼びたいところだ。

   

<道の様子>
 小南峠隧道は見るからに古く、峠道の開通はかなり昔のことだろう。ただ、私が訪れた時点(1992年4月)では、峠に近い山間部の区間はよく整備されていた。 法面を固めたコンクリートなどもまだ新しく、沿道の草木の伐採もしっかり行われていて、つい最近改修が行われたかのようだった。かえって麓の集落内の道の方が、道路拡張の余地もなく、車で通るには狭苦しい道だった。しかし、それも旧山上街道を彷彿させるようで、今思うと味わい深い道だ。

   
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峠道の様子 (撮影 1992. 4.26)
峠の手前600m余りの箇所
それ程険しい峠道には見えない

   

<展望箇所>
 ツーリングマップ(ル)は辺鄙な道ばかり推奨していて、この小南峠の道にもコメントが見られた。峠の少し黒滝村側には、「吉野の展望台 絶好のビューポイント」と記している。多分、そのポイントだろう、展望が開ける箇所があった(地理院地図)。

   
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黒滝村側の展望箇所からの眺め (撮影 1992. 4.26)
「吉野の展望台 絶好のビューポイント」とか

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正光寺付近の集落の遠望 (撮影 1992. 4.26)
多分、上中戸の集落

<景色>
 目の前に高い鉄塔の高圧電線が横切るが、その先に北へと大きく視界が広がる。奥には吉野の山々が連なる。手前では、黒滝村の中心部付近は丁度山影になっていたが、黒滝川上流側の正光寺のある集落付近(上中戸?)が望めたようだ(地理院地図)。
 
 この景色も道路改修工事のお陰かもしれない。沿道の木々が成長してしまえば、この眺望は得られない。巡り合わせ如何である。

   

<峠直前>
 峠直前の地形は険しく、道の様相もそれなりだ。しかし、ガードレースなどは完備されていて、過度に不安を感じさせる道ではない。峠はもう間近である。

   
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峠直前の道の様子 (撮影 1992. 4.26)
急傾斜地

   
   

   

<坑口の様子>
 ひょいと左カーブを曲がった先に、妙なものが待っていた。いろいろなトンネルを見て来たが、これ程みすぼらしい姿はあまり経験がない。まるで炭鉱の廃坑跡のようである。今にも崩れそうで、入っていいものか迷うほどだ。

   
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小南峠隧道の黒滝村側坑口 (撮影 1992. 4.26)


 トンネルの扁額や銘板なども見当たらない。ただ入口に高さ制限の道路標識がポツンと立つばかりだ。2.5mとあった。最近は坑口がコンクリートで補修され、その為か高さ制限は2.3mと少し低くなっているようだ。本格的なトンネル改修は行われないのだろうか。
 
<峠の立地>
 峠は大峰山脈の主脈上に位置する大天井ヶ岳(おおてんじょうがだけ)から、西に派生する紀の川(吉野川)水系と新宮川(十津川、熊野川)水系との大きな分水嶺上に位置する。坑口標高も約1,050mと1,000m級の峠だ。 ここに近い旧峠のことではあるが、山上参りの人々は徒歩でこの高い峰を越えて行ったのである。

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高さ制限2.5m (撮影 1992. 4.26)

   
   
   

天川村側

   

<天川村側>
 小南峠隧道の天川村側は、一転して緩傾斜地が続く。そこに通じる道も穏やかそのものだ。その代わり、殆ど視界が広がらない。終始、杉木立の中を行く道で、何の面白みも感じない。道の狭さばかり気になる。人家もほとんどなく、ただただ車を走らせるだけだ。写真を撮ることもすっかり忘れていた。
 
 道は本流の小泉川(その上流部は千本谷)沿いに移り(地理院地図)、更に下る。

   

<洞川>
 峠から3Km余りで突然別世界が広がる。そこが洞川(どろがわ)だ。この地は大峰山上参りの登山基地であり、洞川温泉でも知られる。多くの宿泊施設などが山上川(洞川とも)沿いにびっしり林立する。 野宿しながら辺鄙な小南峠を越えて来た者には、何とも場違いな雰囲気である。とっとと通り過ぎてしまった。今なら少なくとも一泊して、のんびり洞川界隈を散策してみたいものだと思う。

   

<峠道終点>
 山上川沿い以降は五番関(トンネル)の峠道の範疇となり、小南峠の峠道は洞川で終点となる。河分神社前から僅か10Kmにも満たない道程だった。それでももう一度、松ヶ茶屋跡などを探訪しながら旧山上街道の名残を訪れてみたいものだ。

   

<天川村(余談)>
 1990年から1994年まで、紀伊半島には毎年欠かさず旅をしていた。小南峠を訪れたのもその時期だった。天川村にも何度か訪れている。1994年10月に新笠木トンネル経由で天川村に入った時は、天ノ川上流部へと遡り、行者還トンネルを越えた(下の写真)。その21年後にも行者還トンネルを訪れたが、世界遺産の関係か、多くの人で賑わっていた。

   
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行者還トンネルの上北山村側坑口 (撮影 1994.10. 9)
(本文とは特に関係なし)

   
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行者還トンネルの上北山村側坑口 (撮影 2015.10.13)
前の写真と同じ場所だが、
トンネルの様子は随分変わっていた
(本文とは特に関係なし)

   
   
   

<愚痴(余談)>
 紀伊半島・四国・九州への長旅から帰って来た後も、やや惰性的に会社勤めを続けていた。しかし、やはりもう限界だったようだ。その年の9月には6年間勤めた会社をあっさり辞めてしまった。再就職先などは全く決めていない。 とにかく旅に出ようと17日間程、西日本を彷徨ったが、それが案外飽きるものである。その後、時間がたっぷりある割には、家で暇つぶしすることが多くなった。 かえって仕事で日々忙しくしている中、本の僅かな休暇を見付けてはジムニーで飛び回っていた方が、楽しく充実していたのかもしれない。
 
 今はと言えば、有り余る暇があり、資金もそこそこ溜まったが、肝心な自分の身体がもういけない。毎年1つずつ病が増えていくようだ。今年は70年近く私の聴覚を担ってくれていた右耳が、突発性難聴でほとんど役に立たなくなった。 もう好きな音楽もステレオで聞くことはできない。治療にステロイド療法を試みたが、肝心な聴覚は一向に改善せず、かえってステロイドの副作用か、上半身のあちこちが痛くて夜も眠れない。
 
 船酔に悩まされながらも30時間以上の長い船旅から戻り、早朝のフェリーターミナルに着くとそのまま会社へと走って仕事をこなしていたあの頃が、何と羨ましいことかと思う、小南峠であった。

   
   
   

<走行日>
・1992. 4.26 黒滝村→天川村/ジムニーにて
・1994.10. 9 行者還トンネルへ/ジムニーにて
・2015.10.13 行者還トンネルへ/パジェロ・ミニ
 
<参考資料>
・関西 2輪車 ツーリングマップ 1989年7月発行 昭文社
・ツーリングマップル 5 関西 1997年3月発行 昭文社
・ツーリングマップル 関西 2015年8版1刷発行 昭文社
・角川日本地名大辞典 29 奈良県 1990年 3月 8日発行 角川書店
・角川日本地名大辞典のオンライン版(JLogos)
・その他、地理院地図、一般の道路地図、河川地図、各種ウェブサイトなど
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒  資料

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