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国見峠
 
くにみ とうげ
 
近江と美濃を結ぶ県境の峠道
 
国見峠 (撮影 2001.11.12)
手前が滋賀県伊吹(いぶき)町板並
奧が岐阜県春日(かすが)村美束(みつか)
標高は約850m
道は林道国見線
 
 国見峠は岐阜県の南西端に位置する春日村と、村の西側にそびえる山並を越えて滋賀県伊吹町とを結ぶ峠だ。春日村にはこの他に、南の関ヶ原町へ抜ける峠や北の久瀬(くぜ)村へ抜ける峠が、車が通れる峠として存在する。その中で県境越えとなるこの国見峠が、春日村と外界とを結ぶ最も高く険しい峠道であり、それに未舗装林道というおまけ付でもある。すなわち、一番楽しい峠越えという訳だ。
 

峠にあった看板
 

春日村美束寺本の分岐
直進は森の文化博物館・長者の里・長者平スキー場
左折が伊吹町・国見岳リゾートスキー場
 
道沿いに立つ看板には
にっこりと あいさつすれば なかよしさ
という標語が書かれていた
<春日村側からの起点>
 
 国見峠の道の春日村側の起点は、春日村美束(みつか)である。村の東に隣接する揖斐川(いびがわ)町より県道32号・春日揖斐川線が、途中村役場を通り過ぎ、遥々この地まで通じている。県道は美束地区寺本の集落内にある分岐で方向を変える。寺本には小さな商店や郵便局があって、それらが川沿いの狭い道に並んでいる。とてもこじんまりした集落だ。
 
 分岐点には狭い道のわりに立派な道路標識が出ていて、それには直進方向が「長者の里」などとなっているが、現在は北の久瀬村まで峠道が通じている。その峠は最近になって車道が通じたもので、名前は不明だ。近くに古くからある日坂越(ひさかごし)に因んで、新日坂越とでも呼ぶべきだろうか。
 
 一方、分岐を左へ行く道が県道の続きで、標識にはそちら方向に「伊吹町」の文字があり、県境を越えて滋賀県まで通じていることが分かる。
 
 以前(1996年8月)県道32号を走ってこの分岐まで来た時には、まだこの道路標識はなかったか、あるいはうっかり見落としたのかもしれない。当時持っていたツーリングマップ(中部 昭文社1988年5月発行)では、国見峠の文字などどこにもなく、道も滋賀県側が未掲載だった。まさかこの春日村から滋賀県に直接抜ける峠道が存在するとは思ってもみなかった。また、久瀬村への峠道もまだ建設途中で通行止だった。
 
 仕方なく、その時は春日村で一晩野宿し、翌日、南へ向かう県道257号を岐阜県関ヶ原町へと峠を越えて行ったのだった。この峠についても名前がはっきりしないが、岐阜県垂井町へ越える岩手(いわで)峠の道の新道とも言える存在なので、新岩手峠といったところだろうか。
 
<県道から村道へ>
 
 寺本の分岐を左に進む。中郷という集落を過ぎる。春日村は周囲を急峻な地形で囲まれているが、この美束地区は比較的平坦地が多い。道もその分、穏やかである。
 
 道路地図では中郷の先で県道が終わりになっている。そして道はそのまま村道国見線に接続しているそうだが、その区切りははっきりしなかった。
 
 間もなく別の道にT字で合流した。その道の方がメインルートのようにも思えた。この先には国見岳スキー場がある。その為に新しく別ルートが改修されたのかもしれない。
 
 道は尾西(おさい)、千疋(せんびき)という寒村を過ぎ、遂には人家が姿を消す。向かう方向は西から峠のある南へと変わり、更に奥へと谷を分け入って行く。周囲を山々が取り囲む。

寺本からの県道の続き
中郷付近
 

中郷の先で別の道にT字で合流

道は尾西(おさい)、千疋(せんびき)と過ぎる
 

右に国見岳スキー場への道を分岐
<スキー場分岐>
 
 暫くして右に国見岳スキー場への分岐が現れる。お世辞にもいい道ではないし、分岐に掲げられた看板も小さな物だ。訪れたのは11月中旬で、まだ雪のない時期では正しく判断できないが、それにしてもあまり賑わいそうなスキー場とは思えないのであった。
 
 私は旅先で野宿はしてもアウトドアには全く縁がなく、スキー板も生まれてこのかた一度も履いた経験がない。それであまりスキー事情には詳しくないが、テレビなどから流れてくる話では、スキー人口は1993年頃をピークに、年を追うごとに少なくなっているそうな。最近では最盛期の60%程度までに落ち込んでいるとのこと。その影響がこの春日村のスキー場にも響いているのではないだろうか。スキー客誘致に村も力を入れようとしているのかもしれないが、スキー離れは世の中の流行で、どうしようもない。
 
 スキー場分岐の近くに「花高原くにみ」と書かれた看板の立つ広場があった。ここは花高原に訪れた車の為の駐車場だろうか。スキーシーズン以外では花を楽しんでもらおうということだろう。春日村における観光資源開発の努力の一端がうかがえる。
 
 そういえば、寺本から北に進む道の途中にある「長者の里」もなかなか立派なものだった。そこまでの道はまだ狭かったが、それも工事車両が入っていて、鋭意改修中であった。

花高原くにみ
 

林道国見線起点
左へ登る道が本線の国見林道
<林道国見線>
 
 スキー場分岐を過ぎれば間もなく「林道国見線」が始まる。細い道を右に分けた角に林道標識が立っていた。ここまでが村道国見線、ここから峠へと登っている道が林道国見線ということだ。
 
 如何にも古そうな林道の標柱には、「延長2,267m」とあった。多分この長さは峠までのものだろう。これはまだ滋賀県側の林道が開通していなかった頃に建てられたからではないだろうか。
 
 ところが、近くに立つ別の看板には「国見峠まで1.5Km」ともあった。その看板が差す矢印が微妙である。林道を指し示しているようにも見えるが、本線の車道から右に分岐する細い道を示しているようにも見える。
 
 林道国見線は林道といっても春日村側の峠までは既に舗装済みだ。古そうなアスファルト路面が細々とだが続いている。未舗装と違ってこんな舗装路でも、車を普通に通そうとしている道なんだという気持ちがあり、何となく安心する。
 
 ただ、勾配は急になり、峠への本格的な登りである。カーブも多くなる。運転には注意が必要だ。

林道国見線の標柱が立つ
幅員4.0m、延長2,267m
 

国見岳スキー場を望む
<国見岳スキー場を望む>
 
 慎重に車を進めていると、林の中を抜けて視界が広がりだす。右手後方に下る山の斜面にスキー場が見渡せる。リフトが何本か通っている。国見岳スキー場のようだ。誰もいないオフシーズンのゲレンデは、かえって寂しさを感じさせる。
 
 季節は11月も中旬では、もう紅葉のピークはとっくに過ぎているのだろうが、山肌にはまだ秋の色がところどころ色濃く残っている。春の新緑や秋の色鮮やかな紅葉の季節もいいが、こうした初冬の落ち着いた雰囲気は私の好みである。他に訪れる者もなく、旅には打って付けだ。
 
<峠を望む>
 
 峠道も大分登って来ると、前方に峠のあるなだらかな鞍部が望めるようになる。そこまでの道筋もはっきり見えてくる。車など一台もやって来そうにない。そういえば、春日村に入ってからこれまで、人一人見掛けず、車一台すれ違っていなかった。いつもながら寂しい一人旅である。
 
 峠に近づくに連れて、益々視界が広がっていく。この分では峠からの眺めはよさそうだ。

ススキ越しに峠の鞍部を望む
 


手前が春日村、奥が伊吹町
<峠に着く>
 
 春日村から登る峠までの道程は短く、完全舗装ということもあってか、難なく峠に着いてしまった。
 
 峠は生憎のこと、何の風情もなかった。
 
 ちょうど峠の滋賀県側の部分で造成工事が行われているらしく、峠にはプレハブ式の工事詰め所が建てられ、その側にトラックなどの工事車両が停まり、点けっぱなしのカーラジオから音声が流れ、ショベルカーが土をならして動き回っていた。
 
 
 そんな中、工事作業者の物らしいお仲間のジムニーが一台停まっていた。私のより旧型だ。ジムニーはこういう場所にはお似合いの車である。
 
<峠>
 
 工事の土にまみれ、粗雑な感じを受ける峠の片隅には、峠の石碑やら碑文やら、旅僧の石像や飾りが施された社が並んで佇んでいた。今の峠の様相からはちょっと不似合いな程立派である。
 
 
 案の定、峠の春日村側に立つと、そこからの眺めは広かった。山々が幾重にも連なっている。この山の深い懐に抱かれて、春日村はあるのだった。


手前が伊吹町、奥が春日村
右手の木陰の所に、石碑などが立ち並ぶ
 
峠より岐阜県春日村側を望む
 
 ほぼ東西に走る県境の稜線に対し、峠道は北東から南西へとやや斜めに横切っている。峠より東へ、その先更に南へと伸びる稜線の方向には伊吹山がそびえる。また、その稜線の途中には国見岳という山がある。頂上に電波塔らしきものが立っているので、それと分かる。
 
 峠を滋賀県側に越えた直ぐの所で、左手方向に未舗装の支線林道が分岐しているようだった。しかし、地図にはこの道の記載はなく、この時は道にショベルカーが立ちはだかり、どこまで通じている道だか未確認である。
 

国見峠之碑(国見林道開通記念)
<峠道の変遷>
 
 林道開通記念の石碑に刻まれた日付を見ると、平成6年(1994年)となっている。実際に林道が完成したのはこれより更に数年遡るようだ。やはり私が最初に春日村を訪れた時には、既に国見峠の道は開通していたのだった。
 
 この開通記念碑は、滋賀県側の林道が新しく開削され、一本の車道の峠道として岐阜県春日村と滋賀県伊吹町が結ばれたことを記念している意味合いが強い。これ以前には春日村から峠までの車道はあったが、伊吹町側にはほとんど使われることのない昔の峠道の痕跡が残っていただけのようである。
 
国見峠之碑
 
平成6年12月国見林道開通記念
  
林 野 庁
 
滋賀県・岐阜県
 
 林道の開通はつい最近のことだが、碑文などを読むと歴史のある峠であることが分かる。
 参考まで碑文の内容を下記に写す。

 国見とは太古の謎を偲ばせる言葉である。この峠道は近江と美濃を結ぶ歴史の間道であり、塩と絹の道として往来する村人の暮らしの道であった。教如上人をかくまった鉈が岩屋は峠にも近く、落ちのびた武将や子女の哀史は尽きない。また明治、大正期には伊吹の野麦峠でもあったのである。宮本武蔵が駆け抜けた峠、判団右エ門の大滝、炭山村跡、さざれ石の伝説もある。峠を下れば寝仏、尻まくり地蔵が、訪れる人々に歴史の歳月を語りかける。
 
 
 峠に立つ行脚姿の僧は教如上人なのだろうか?。


国見峠の碑文
 

峠に並ぶ社など
 この国見峠は、滋賀県側にある地名を用いて「板並峠」とか、江州(ごうしゅう)街道の「江州峠」などとも呼ばれることがあったようだが、やはり国見峠というのが昔からの一般的な言い慣わしになっているようだ。
 
 峠の位置は嬉しいことにほぼ昔と変わらず、車道の開削により地面が少し低くなった程度と推測される。よって峠から眺められる山々の風景は、今も昔もほとんど変わらないのだろう。
 
 しかし、峠を挟むそれぞれの道のコースは昔とは大きく異なってしまったようだ。春日村側については、下の国見岳スキー場入口付近から峠までが、昭和40年代に自衛隊によって新しく開削された道が元になって、現在へと改修が行われたそうだ。旧道はもっと西のスキー場寄りにあったらしい。
 
 伊吹町側の現在の林道は、峠直下から始まる谷の右岸に沿って、比較的なだらかなコースを南か西へと向きを変えて上板並吉槻へと降りる。一方、旧道は一旦南に尾根を越えて板名古川に下り、下板並大久保へと通じていたそうだ。
 
 尚、国見峠の歴史や文化などについては、ホームページ「ぎふこくナビ」が非常に参考になる。下記の<参考資料>を参照のこと。
 
<伊吹町側に下る>
 
 歴史の深さを思わされる国見峠であるが、現在車で訪れる峠にはそのような味わいを感じない。特に建設重機が動き回っていては尚更である。しかし、大いに期待するものがある。未舗装林道だ。峠に立って伊吹町側を見渡せば、右手の山肌を縫って一筋の道が下っている。路面に無粋なアスファルトやコンクリートは見られない。山に溶け込むような土の道である。ガードレールの設置も最小限だ。この先どんな道が待っているかと胸を躍らされる。現在の国見峠は林道を旅することが好きな者にとって、十分楽しい峠道となっている。

峠より伊吹町側を望む
 

伊吹山を正面に望む
 林道は最初、峠の南方に位置する伊吹山に向かってほぼ真っ直ぐに下る谷に沿う。車を走らせながらも正面になだらかな山頂を呈する伊吹山を望む。
 
 伊吹山には以前、伊吹山ドライブウェイを使ってその終点まで車で行ったことがある。道は長く勾配はきつく、軽自動車のジムニーのエンジンは終始あえいだ。やっと到着した頂上直下は深い霧で全く何も見えず、そのまま引き返す羽目となった。ただただ、高い通行料金を払っただけのことだった。料金所の係りが少女の様に若い女性だったことしか記憶にない。
 
 こうして国見峠から眺める伊吹山は魅力的に見える。伊吹山ドライブウェイを降りてから山頂まで歩いても直ぐだそうだ。今度天候がいい日に是非あの頂上に立ってみたいものだ。
 
 谷の右岸に付けられた道は、峠から続いてずっと谷の上部を走るので、谷は深く空は広く、開放的である。林の木々の中に隠れることが一度もなく、視界は常にクリアだ。こういう道は走っていて楽しい。
 
 路面の状態も全般的に悪くはない。土を露出させた路面や細かな砂利を敷き詰めた所などいろいろだが、どこも整備された後らしく、荒れた様子がない。道幅も十分あり傾斜も緩く、春日村側の舗装路より走り易いくらいに感じる。

未舗装林道の様子
 

方向を変えて西へと伸びる谷
 林道は3キロほども下ると、谷の屈曲に従って大きく右手(西方)へと方向を変える。峠がある峰は山影に隠れ、2度と見えなくなる。そしてその先にはまた暫く直線的な谷が続く。
 
 谷は一段と幅を広め、視界もそれに従って広がりを見せる。谷を埋める紅葉の色も鮮やかさをまだ留めていた。その眺めはすがすがしい気分にさせてくれる。
 

振り返っても、もう峠は望めない

谷沿いの道は尚も続く
愛車のジムニーと私一人きり
 
 左手の谷を挟んだ対岸の紅葉がまた美しい。じっと見つめていると眼前に迫って圧倒されるようだ。ただ、逆光となり写真にはその迫力は収められなかった。
 
 自分をこうした深い自然の中に置く時、ある種の快感の様なものを感じる。特に一人旅で他には誰もいないと、ちょっとした恐怖心も手伝って、尚更ぞくぞくとした感覚に襲われる。それがいい。
 
 
 暫く走るとアスファルトの路面が部分的に現れた。比較的新しいものだ。この国見峠の道も徐々に舗装化が進んでいるようである。

対岸の紅葉
 

舗装路が現れる

谷はやや左手(南西方向)に屈曲していく
 

林道標識
 谷は今度は左手(南西)方向にカーブし、北から下って来た足股川の谷と合流していく。道は谷底に下り立ち、林の中へと視界がさえぎられていく。路面ももう舗装が途切れることはない。
 
 道の右手に林道標識を見つけた。「林道国見線」とある。以前から開通していた春日村側の国見林道と合わせて、全線に渡って一本の国見林道として呼ばれるようになったのだろう。
 
 国見林道の標識の直後、右手に林道板並線と書かれた道の分岐がある。足股川に沿って北に遡る、行止り林道のようだ。
 
 更にその先、左手より来た見知らぬ細い道を合わせる。
 

林道板並線の入口

左手から一本の道を合流する
 
 峠道は林を抜けると、山間の平地にのどかな田んぼが広がる吉槻に下り立つ。しかしこの付近に集落はない。昔の峠道が大久保の集落などを通過していたのに対し、後から開通した林道の峠道は、車道を通し易い経路を選択し、そこに集落はなかった。こういう点は峠道としての味わいがなくて残念だ。
 
 右手に足股川が流れ、前方には県道40号・山東本巣線が通っているのが見えてくる。

吉槻に下り立つ
前方に県道が通っている
 

県道との合流点
 道が県道に合流した所には、工事看板がいくつも立ち並ぶが、これが県境の国見峠を越えて隣県の春日村まで通じる峠道の入口であることを示す道路標識は一向に見当たらない。ただただ「通り抜け出来ません」の一点張りの工事看板が恨めしい。
 
 出た県道を右へ進むと県道は行き止まるが、その途中で七廻り峠で県道264号に通じているようだ。但しこの時は七廻り峠は通行止であった。県道を左に進めば国道365へと繋がる。
 
 車道開通前の古い時代から使われてきた国見峠ではあるが、その使用頻度や利用価値の変遷は、その峠道そのものだけではなく、他の道との相対的な関係も影響してくる。春日村を揖斐川町と結ぶ粕川沿いの道は、今でこそ普通に車で行き来できる県道ではあるが、昔は険しい難所をも通る道だったそうだ。されば、滋賀県側に直接越えられる国見峠の価値は高かったことだろう。しかし、道が改修され、車などの交通機関も発達すれば、事情は変わってくる。滋賀県側に出るにも、距離は遠くとも揖斐川町経由の方が容易となってくる。こうしたことも古い国見峠の道が使われなくなっていった要因の一つではないだろうか。
 
 今は林道が開通し生まれ変わった国見峠である。時代も変わり、生活物資や山で取れる資源などの輸送ではなく、登山客やスキー客などが訪れる峠として、再び利用されるようになっていくのだろうか。少なくともこれで私でも旅ができる峠道となったことは確かである。またいつの日にか訪れたい。
 
<参考資料>
 昭文社 中部ツーリングマップ  1988年5月発行
 昭文社 ツーリングマップル 4 中部 1997年3月発行
 昭文社 県別マップル21 岐阜県 2001年1月発行
 国土地理院発行 2万5千分の1地形図
 ホームページ ぎふこくナビ http://www.gifukoku.go.jp/
 (国土交通省 中部地方整備局 岐阜国道事務所)
  道の文化 美濃の峠 http://www.gifukoku.go.jp/mino/
 
<制作 2004. 2.24 蓑上誠一>
 

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