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暗 峠
 
くらがり とうげ
 
車で越えるとあまりにも険しい峠道
 
暗峠 (撮影 2002. 1. 3)
奥が奈良県生駒(いこま)市西畑町、手前が大阪府東大阪市東豊浦町
道は国道308号・暗越(え)奈良街道
見事な石畳の峠
車幅制限1.3mの古い道路標識がまだ立っている
 
 暗峠は是非とも越えてみたかった。いろいろと噂に聞いていた峠である。しかし、これまでどうにも行く勇気がでなかった。ツーリングマップルを眺めてみると、暗峠の周囲はめまいがしそうな程ごちゃごちゃしているのだ。何しろ、奈良県と大阪府の県境にある。大都市がひしめくただ中に暗峠はあったのだ。これでは怖くて近寄れたものではない。
 
 しかし、案ずるより生むが易しということわざもある。考えてばかりいても仕方がない。恐る恐る行ってみることにした。ところが今回の旅は友人と一緒なので、いつもの軽のジムニーではなく友人の普通乗用車である。ジムニーより車幅が約30cmほど広く、全長が約80cmほど長い。これがいけなかった。こんな怖い思いをしたのは、久しぶりのことであった。
 
 県道1号で奈良市から生駒市に入った。国道168号に入ろうとしたら入れない。いろいろ迷った末、やっと国道168号を見つけ南に向かう。これだから都会は大嫌いだ。
 
 第二阪奈道路の下を抜けて、国道308号の分岐を探すが標識がない。どうも行き過ぎたと思ったところから、ドツボにはまることとなった。
 訳も分からず国道168号から左に曲がり、何となく北へ戻っているなと思ったら、また第二阪奈道路だ。小瀬料金所附近である。この近くからでも国道308号が近鉄生駒線の南生駒駅方面へ下っている筈だ。それに入ればその先の道も分かるだろうと、右往左往する。しかし、やっぱり国道への入口がない。もうほとんど頭に来ていた。何が何でも国道308号を見付けなければ気が済まない。後は我武者羅に走りまわることになった。
 
 ふと気が付くと、家が密集し、道の両側ともブロック塀に囲まれた恐ろしいほど狭い道に入っていた。南生駒駅の少し南側に位置する、萩の台という住宅街に紛れ込んだらしい。車の脇には人ひとり通る余裕もない程だ。しかも、右に左にと屈曲する。車が挟まって抜けなくなるのではないかと思った。さりとて、もうバックなどできる状態でもない。車を停めて友人共々唖然とするが、とにかく進むしかないのだ。恐る恐るアクセルを踏む。
 また一つ狭い屈曲をどうにかクリアしたかと思ったら、恐れていたことが起こった。突然前方の角から軽乗用車が現れたのだ。おばさんが乗っている。お互い暫しの間、見合ったまま動けない。やっと向こうが意を決して、近くの人家の庭先に頭を突っ込んだ。これで、こちらは無事に前進できた。その後おばさんの軽が無事に戻れたかは、もう見届ける余裕もない。
 まさかこのまま道が行き止まりになったらどうしようと、想像しただけでも恐ろしい考えが頭に浮かぶ。でも、今乗っているこの車は、もう前進以外できない乗り物となっているのだ。後は運を天に任せて、ただただ進むしかない。
 それでも、道は行き止まることなく、無事に広い道へと抜けていた。思わず安堵のため息が出る。
 
 その後、やっと国道168号から国道308号への分岐を発見し、無事に暗峠への道に車を乗り入れることができた。峠にも着かない前から、もうこれで満足しようかという気持ちにさえなっていた。それ程さっきのショックが大きかったのである。
 
 ちょっとした町中を抜けると、また一段と狭くなる登り坂に行き着いた。ただでさえ、暗峠の道は狭いと聞いている。その道がこの先に待っているのは確実だ。思わずその場所に車を停めて、考え込んでしまった。
 
 また萩の台と同じ様な恐怖を味わうのは、真っ平ご免である。峠越えをしようという気持ちは完全に萎えていた。もう帰ろうかと弱音まで吐く。高いけど信貴生駒スカイラインに行けばいいやとも話した。
 
 ほとんど引き返す積りになっていたちょうどその時、夫婦連れで散歩している方が道を下ってきた。地元の人なら事情に詳しいだろうと、直ぐにも車を下りて、話しを聞いてみた。
 暗峠は車で行けますかとの問いに対し、狭くて対向車とすれ違うのが大変な所もあるけれど、行けますよとの返事。なんでも、この道を通勤に使っている人もいるとのこと。
 暗峠が通勤に使われるくらいならばと、急きょ方針変更で、意を決して先に進むことにした。

やっと暗峠への道に入ったが、
ここで進むかどうか、迷ってしまった
 

途中から立派な道に
 登り始めて直ぐに人家の塀に囲まれた坂道が始まった。さっきの悪夢が蘇る。しかし、幸い対向車はなかった。それに萩の台の狭さに比べれば、まだまだましな方なのである。あの難所を抜けて来たのだから、このくらいはもう平気であった。
 
 住宅街を一しきり抜けると、寂しい山道になった。周囲は林に囲まれる。ブロック塀に挟まれるより、よっぽどいいし、こうした景色の方が見慣れている。
 間もなく左手に街道の名前を書いた石碑が建っていた。「暗越奈良街道 暗峠まで約2粁」とあった。丁度その時対向車が来た。そこは道幅が充分で難なく離合に成功。うまく行くときはうまく行くのである。
 その後右手に「石造阿弥陀如来立像」などを見て進む。歴史がある道だけあって、史跡が多い。
 
 このまま峠まで狭い道が続くのかと思っていたら、途中から2車線路の立派な道になって拍子抜けした。改修ができる所は改修が進んでいるのであった。改修が一番できないのは、あの人家の塀に挟まれた箇所であろう。あそこは最後までこの峠道の難所として残るのではないだろうか。
 車にとって険しい道とは、人も通わぬ様な寂しい道ではなく、人家が密集した道であったのだ。
 
 暫く登ると分岐に出た。右は宝山寺とある。左が峠方面だ。よく見るとその分岐に、この先車幅制限1.3mの道路標識があった。今の世の中、軽自動車でも幅が1.4mある。これでは、どの車も通れないではないか。その道路標識は古そうなので、多分問題ないとは思ったが、また躊躇させられることとなった。

左は峠、右は宝山寺へ
車幅制限1.3m
この先1200m
回転不能
 

峠は近い
 結局、分岐後も普通の道で、間もなく峠の稜線が見えてきた。もう直ぐそこである。道路脇を見ると、道幅拡張の工事が進んでいた。既に工事が完了し、りっぱな2車線路となっている区間もある。新道の脇には狭い旧道が残されていた。
 
 稜線直前になると、その上を道路が通っているのが見えた。信貴生駒スカイラインである。峠道はその下を四角いトンネルでくぐっている。
 峠には車の駐車スペースがないだろうと、スカイラインをくぐる少し手前の道路脇に車を停めた。脇を見ると「本陣跡」とある。郡山城主柳沢氏の本陣跡と伝わるのはここのことだろうか。
 
 歩いて峠に向かう。なかなか緊張する。スカイラインを抜けると、噂に聞く石畳が始まった。なかなかいい味である。そして、いよいよ静かに佇む歴史の峠かと思ったら、そこはおお賑わいであった。
 今しも、敬老会か何かのハイキングで押し寄せたじいさんばあさんが、峠に集まってわいわい言いながら記念写真を撮ろうとしているのである。さっさと撮ってしまえばいいものを、ああだこうだと人の並び順を変えたり、カメラのアングルを検討したりで、なかなか終る様子がない。
 
 こちらも峠の写真は撮りたいが、これではかなわんと、一時暗峠地蔵の方へ避難していた。暫くしてもういいかと戻ってみると、相変わらず峠にたむろしていて、こちらのシャッターチャンスを与えてくれない。そこに丁度自転車で大阪方面から一人の少年が登って来た。こんどはその少年を相手にわいわいガヤガヤ、少年を峠に立たせて記念写真会まで始まった。

暗峠
奥が東大阪市、手前が生駒市
 

スカイライから峠を見下ろす
 私の居場所などない。仕方がないので、今度はスカイライの車道の方へ避難した。下の狭い峠道をよそに、別世界の様な見事な道が通っていた。それにしても、このスカイラインなどを使わず、苦労しても暗峠の道を登ってきて良かったと、つくづく思った。道路上から生駒市側の景色が広がった。眼下には見事な棚田が築かれていた。
 
 下の道に戻ると、あれほど賑やかだった峠には、もうだれの人影もなかった。ひっそりとした石畳の峠道があった。脇の人家の引き戸が開き、住人が一人出てきて、どこぞへとふらりと歩いて行った。普段の様子を見せる、峠であった。
 
 この暗峠は何かと有名で、芭蕉が通って俳句を残したとか、国土庁だったかの「道100選」に選ばれたとか、井出孫六氏の「日本百名峠」に入っているとか、その他いろいろなところで紹介されていて、下手なことを書けばボロが出る。ただ、江戸時代には参勤交代や庶民の奈良・初瀬・伊勢の参詣路として、また奈良〜大阪間の物資輸送路の商業路として賑わった歴史のある峠道そうだ。
 
 しかし、明治25年の関西鉄道(後の国鉄関西本線)
の湊町〜奈良間の開通や、大正3年の大阪電気軌道(後の近鉄奈良線)の上本町〜奈良間の開通により、峠は急速にさびれてしまった。
 
 峠道は暗越(え)奈良街道と呼ばれたが、奈良では暗越(え)大坂街道とも称した。明治期は仮定県道となり、大正9年には府道大阪枚岡奈良線、そして昭和45年には国道308号となった。

スカイラインの上から生駒市側を望む
目の前に棚田が広がる
 

峠の東大阪市側を望む
 しかし、ちょっと古い道路地図などを見ても、暗峠前後は車など到底通れないのではないかと思わされる、細〜い一本線で描かれている。国道などと言われても、おいそれとは信じる訳にはいかないのだ。現代の庶民の交通手段として、車は極めて一般的なものとなってきたが、その車が通れるか分からないのだから、困った道である。
 
 峠を旅するこちらとしても、峠の歴史などより、車で越えられるかどうかが、まず最大の関心事であった。特にいつもの小さなジムニーでなく、乗り慣れない乗用車というのが、大きな問題であった。県別の地図まで調べたが、結局のところ現場に来るまで、その実体はなかなか分からないものだと知った。
 
 憧れの石畳の峠をこの目で見れたということより、車で暗峠を越えられたということの方が、何だかとっても嬉しく、達成感のようなものまで感じるのであった。
 
 峠の大阪側は暫く平地の中を道が続く。昔はこの附近の道の両側に、茶屋や旅篭などが並んでいたのかもしれない。
 集落の外れ頃からまた急坂が始まる。道は滑り止めのあるコンクリート舗装である。一度大きな道が斜めに交差するが、そちらは一般車進入禁止であった。
 
 人家がなくなった後は、急坂・急カーブの連続となる。なかなか険しいが、左右を塀で囲まれるといった閉塞感はない。そんなに恐ろしさを感じることもなく、あの萩の台に比べれば、花歌交じりである。
 
 暫く下ると東大阪市が見えてくる。とにかく道は急降下でその市街へと落ちて行った。途中、道の周囲には公園が設けられている。駐車場には車が何台か置かれていた。市民にとって身近な憩いの場なのかもしれないが、慣れないとおいそれとは近付けない公園である。ましてや、初めて訪れる他所者にとっては、気の休まりようがない道だ。

峠方向を望む
一般車進入禁止の道が斜めに交差する
左の狭い道が峠へ
 

前方に近鉄奈良線の高架
道の出口には進入禁止の道路標識が立つ
 住宅街に再び入った。また、塀である。路肩に車も停まっている。でも直ぐに道幅が広くなり、その先に近鉄奈良線の高架が見えた。振りかえると峠道への入口には、進入禁止の道路標識が空々しく立っていた。但し、読み取れなかったが、条件付きで通行可能なようだ。
 
 生駒市側からは峠へのアクセスが分かり難かったが、東大阪市側からは比較的分かり易い様な気がする。道の険しさは、全般的に大阪側の方が険しいが、奈良側の住宅街の狭さが、僅かな距離ではあるが、あまり気持ちのいいものではない。しかし全線に渡り、幅1.67m、全長4.23mの車でも通れることは証明できたのだった。
 機会があったらまた是非車で来ようと思う暗峠である。でも萩の台だけはもう二度とご免だ。
 
<制作 2002. 1.30>
 
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