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序 |
<峠再訪> この立丸峠については、うっかり忘れてしまっていたのだが、2001年4月.24日の日付で掲載済みであった(立丸峠)。峠の遠野市側に「ここは立丸峠 ここより 川井」と書かれた、3メートル程もある高い木製の標柱が立っていたのが印象的な峠だった。しかし、それ以外、峠道に関してあまり記憶が残っていない。自分のホームページを読み返し、冬場に越えた立丸峠の思い出を呼び起こし、何だかとても懐かしい。 立丸峠はその後、二度ほど再訪している。川井村が宮古市に編入された為か、「ここより 川井」の標柱はなくなっていた。そんなことなどを含め、ここに再掲載しておこうと思う。 |
<峠の所在> 立丸峠は岩手県の遠野市と宮古市との境に位置する。ただ、今の宮古市は広過ぎて、峠の所在を示すのには要領を得ない。ここはやはり「旧川井村」と地域を限定して呼 びたい。 |
<旧川井村> 岩手県を流れる北上川の東側に、早池峰山(はやちねさん、標高1917m、一等三角点1913.4m)を最高峰とする北上山地が南北に大きく連なってい る。旧川井村はその早池峰山の北東麓に広がり、北上山地の奥懐に抱かれた村である。岩手県は、北海道を除く都府県の中で最大の面積を誇る県であるが、旧川 井村はその県内に於いて、村としては最大の面積があったそうだ。平成大合併前の資料だが、国内でも新潟県の朝日村と山形県の朝日村に次ぐ、第三位の広さ だったとのこと。ただ現在は、新里村などと合併した後の宮古市に編入され(2010年)、川井村はなくなってしまった。 <閉伊川> 旧川井村の西端の盛岡市との境に区界峠(くざかいとうげ)があるが、その付近を源流とする閉伊川(へいがわ)が真東に流れ下り、宮古市街を通って宮古湾 に注いでいる。旧川井村の中心地はその閉伊川沿いにある。盛岡市街と宮古市街を結ぶ国道106号・閉伊街道/宮古街道が閉伊川沿いに通じていて、村はその沿線 が栄えている。 <小国川> 立丸峠の道は、南の遠野市側から峠を越え、閉伊川の支流・小国川(おぐにがわ)にほぼ沿って北に下り、東西に通じる閉伊川沿いの国道106号にT字に合 する。小国川は閉伊川最大の支流で、広大な面積を持つ旧川井村だが、その集落のほとんどは閉伊川とこの小国川沿いに集中している。 |
<遠野市> 一方、峠の南側の遠野市は、柳田国男の「遠野物語」でも知られる民話の里で、観光地として人気がある。つい最近もNHKの「歴史秘話ヒストリア」で登場して いた。私も「遠野物語」は一度読んだことがあり、遠野は東北の旅の途中で2、3度訪れたことがある。旧川井村と同様、北上山地の中央部に位置するが、山峡にある旧川井村とは 違い、遠野市は北上山地最大の盆地に位置する。遠野駅を中心とする市街地はちょっとした都会の雰囲気が漂い、駅前などは観光客で賑っている。 |
駅前は観光客で賑わっている |
多分、鍋倉城址から見た景色 |
<猿ヶ石川、小烏瀬川> 遠野市の北辺に早池峰山がそびえるが、その直ぐ南に位置する薬師岳(1645m)を水源とする猿ヶ石川(さるがいしがわ)が、最初遠野市内を南流、市街 地近くからは西流し、田瀬湖(たせこ)を経て、やがて東北有数の河川である北上川に注ぐ。猿ヶ石川は北上川の第一次支流である。立丸峠はその猿ヶ石川の上流部の支流・小烏瀬川 (こがらせがわ)の源流部にある。 |
<オーヅ岳、白見山> 猿ヶ石川本流や小烏瀬川を含むその幾筋かの支流は、早池峰山から南東へ伸びる主稜の南麓に源を発し、立丸峠はその稜線上にある。細かく見れば、西 のオーヅ岳(1028m)と東の白見山(しろみやま、1172m)を結ぶ稜線の鞍部に位置する。白見山は遠野市、大槌町、宮古市(旧川井村)との境に位置し、小国 川の水源地でもある。 |
遠野市側から峠へ |
直進方向にカッパ渕がある 右折は遠野駅へ |
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<国道340号> 県道160号との交差点付近の国道340号は、二車線ながらも集落の中を通過し、やや狭い感じを受ける。今は、カッパ渕の南側に土淵バイパスが通じているようだ。 |
県道160号から入った直後 |
「遠野市 土渕」 |
<土淵> 国道標識の地名には「土渕」(つちぶち)とあった。一般の道路地図では「土淵」の漢字の方が使われる。住所では土淵町土淵(つちぶちちょうつちぶち)。土 淵町の前身は、明治22年に土淵、飯豊、柏崎、山口、栃内(とちない)の5ヵ村が合併してできた土淵村で、昭和29年より遠野市の町名になっている。 国道標識の様に単に「土淵」と書かれると、明治22年より前の土淵村の範囲か、それとも合併後の土淵村なのか迷う。ただ、峠に近付くに従って、国道標識には「柏崎」などと出て来るので、国道標識が示す「土渕」とは、古い土淵村の狭い地域を示しているのかもしれない。 |
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<伝承園前> 遠野市観光の目玉の一つは伝承園である。 県道160号から入った直ぐの国道沿いにある。 有料ではあるが立ち寄る価値はある。 |
伝承園以降/柏崎 |
<柏崎> 伝承園の前を過ぎると、間もなく国道標識は「遠野市 柏崎」に変わった。正確な地名では「土淵町柏崎」となるのだろう。道は県道160号と交差する辺りから、本流の猿ヶ石川から外れ、支流の小烏瀬川(こがらせがわ)の左岸沿いになっている。 <土渕の観光案内図> 伝承園以降もその付近には民話の里・遠野らしい観光スポットが点在する。 かなり古いが、観光案内図の看板を掲載する(下の写真)。図中、小烏瀬川の支流・山口川沿いに「佐々木喜善の家」とあるが、「遠野物語」はこの佐々木喜善によって語られた民話が元になっている。 |
<川井へ至る3本の道> 2012年に立丸峠を目指した時は、途中で「時間通行止め」の看板が出てきた(下の写真)。これはちょっと、事である。 立丸峠の場合、迂回路はちょっと考えられない。極端なことを言えば、遠野から東の太平洋沿岸の釜石方面に出て、海岸沿いを北上して宮古に至り、そこからまた内陸 方向へと閉伊川沿いに遡る。あるいは、西の北上川沿いの花巻方面に出て、北上川沿いに盛岡まで遡り、そこから区界峠を越える。とんでもない迂回路となる。 細かく見れば、旧川井村へ至る車道は他にもある。数本の県道(一部主要地方道)や林道も通じるが、冬期はまず閉鎖である。区界峠と閉伊川沿い(どちらも 国道106号)、それに立丸峠(国道340号)のこの3本が、主な道筋であり、冬期では旧川井村の村域に至るほとんど唯一の車道と言っていい。幹線路であ る国道106号と合わせ、立丸峠が冬期も通行可能を維持しているのは、大きな意味がある。 |
この付近の国道は狭い ただ、今頃は土淵バイパスが完成しているだろう |
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<時間通行止め> 今は14:30。看板を見ると、15:00から15:15の僅か15分間は通行可能なようだ。それを頼りに峠を目指す。 |
火石の分岐 |
<国道左折> 暫く進むと、国道340号が左折している。道路看板には直進は「貞任 山口」とある。遠野市内の山口集落や貞任(さだとう)山などへ通じる。また、界木峠(さかいぎとうげ)を越えて釜石に至る和山林道もその方角だ。 |
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<分岐の様子> 分岐周辺は火石と呼ばれる集落の様だ。直進が界木峠で釜石市に、左折は立丸峠で旧川井村へ、2つの峠の分岐点である。しかし、今頃はこの分岐の様子も 一変していることだろう。立派な土渕バイパスが右手の山口川を渡って来て、この交差点を横切っている筈だ。旧国道や界木峠への道は、その新しい国道から細 々と分岐しているに違いない。 |
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<火石の分岐後> 分岐を左折して立丸峠方向に舵を切った後、2012年当時は沿道で拡幅工事が進んでいた。土渕バイパスに続き、国道を二車線路の道に改修している最中であった(下の写真)。ここから先峠までは、ずっと土淵町栃内の地である。 |
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<道の様子> 道はほぼ北の峠方向へと向くようになった。二車線路の快適な路面も始まった。前方に遠野盆地を区切る山並みが見渡せてくる。沿道に目をやれば、時折小さな集落が現われは過ぎる。多くは田畑が広がり、遠野盆地の勢いはまだ衰えない。 |
この先は二車線路になる 前方に山並みが見渡せてくる |
小さな集落を過ぎる |
一ノ渡の分岐 |
<道路看板> 道路看板に「宮古 66km 川井 34km」と出てきた(下の写真)。この場合の「川井」とは、旧川井村の村役場の位置と思われる。現在は「宮古市川井総合事務所」となっているらしい。閉 伊川に沿う国道106号沿線にあり、立丸峠を越える国道340号が国道160号に接続する地点より、2km程宮古市街寄りにある。この道路看板の位置から 峠まで約11km、峠から国道106号接続まで約21km、国道106号を宮古市川井総合事務所まで約2km、残り宮古市街まで約32kmといったところ だ。 |
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<樺坂峠への分岐> 尚、道路看板の右側に分岐がある。国道上にその分岐を示す標識などは見掛けない。ただ、その分岐を指して何かの「御神水」(山の神本祠御神水)と案内看板があった。その周辺は一ノ渡と呼ばれる集落のようだ。 その分岐する道は、小烏瀬川の支流・琴畑川沿いに琴畑林道で遡り、樺坂峠を越えて大槌町(おおつちちょう)に至っているようだ。まだ走ったことがないが、一度訪れてみたいものだ。 |
<小烏瀬川の範囲> 文献では琴畑川(琴町川?)と恩徳川が合した後を小烏瀬川と呼ぶというようなことが書かれていたが、それが正しければ、これから上流側は恩徳川沿いということに なる。しかし、地形図や県別マップルでは、この先も小烏瀬川と記されていた。琴畑川は樺坂峠付近の大槌町との境付近を水源とし、小烏瀬川本流とも言える恩徳 川は立丸峠付近の旧川井村との境を源流とする。少なくとも琴畑川と恩徳川は、小烏瀬川の2大水源を成す川と言える。栃内の地は、この2つの支流とそれらが 合した小烏瀬川の流域に位置する領域である。 |
西内集落付近 |
<西内集落> 一ノ渡以降も細々と集落が点在する。国道標識には「遠野市 西内」と出てきた(左の写真)。最初「栃内」の間違いかと思ったが、「西内」とは土淵町栃内 の中にあるこの付近の集落名だった。 これより先の遠野市側には、少し離れて恩徳の集落を一つ残すばかりである。折しも、西内の集落付近は路面のアスファルト舗 装を改修している最中だった。これも土渕バイパス建設に伴う、国道340号全般の改修工事の一環だろうか。 |
<不動沢林道分岐> 西内集落を過ぎると、道は狭い谷沿いになる。広い遠野盆地もここに来て遂に山際に取り付いた。 左手に未舗装の道が分岐している(左の写真)。入口に「荒川高原」と看板が立つ。小烏瀬川の上流域にある支流・不動沢沿いに不動沢林道が延びている。そ の道の上部では大規模林道川井住田線に接続しているようだ。その大規模林道は遠野市と旧川井村を結ぶ林道の一つである。林道と言えども、幅の広い立派な舗装路だが、冬期は勿論閉鎖であろう。 |
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<小烏瀬沢> 不動沢より更に上流部に「小烏瀬沢」という支流がある。最初それが本流かと思ったが、「川」ではなく「沢」であった。小烏瀬沢は立丸峠より西に源を発する。オーヅ岳よりも更に西側である。 |
恩徳集落 |
宮古 61km 川井 29km |
<恩徳集落> 道はほぼ小烏瀬川の右岸に沿って峠を目指す。道路看板には川井29kmと出て来た。峠まで約6kmを残す。 やがて遠野市側最終の恩徳の集落に差し掛かる。「恩徳」の正確な読みは分らない(おんとく?)。古くは「忍徳」と書かれた書物もあるようだ。また、立丸峠を「恩徳立丸峠」と呼ぶこともあったとのこと。 小烏瀬川の谷は狭まり、沿道に平地は少ない。集落という程には人家が集中することなく、国道 脇にポツリポツリと家屋が点在するばかりだ。中には人が住まなくなって久しいような家屋もあり、その前を通る国道ばかりが立派に見える。それでも恩徳のバ ス停が立ち、家庭ごみの集積所が設けられ、人の暮らしがうかがえる地だ。 |
恩徳の集落内 |
「只今の気温 7℃」 |
<道幅減少> 恩徳集落の北の外れに、狭いながらもチェーン着脱場が道路の左脇にあり、その直ぐ先で車道のセンターラインが消える(下の写真)。これから峠までは狭い上り坂が続く。 |
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<恩徳川> 尚、地形図などでは、恩徳集落付近から先、道の側らを流れる川を「恩徳川」と記している。途中で大きな支流が流れ込むことなく、小烏瀬川から恩徳川に名前が変わっているのだ。やはり、恩徳川が小烏瀬川の本流らしい。 |
峠への登り |
<登坂開始> いよいよ立丸峠に向け、本格的な登りが始まった。ただ、峠の遠野市側は比較的地形が穏やかで、道の勾配も緩やかだ。急なカーブなども少ない。暫くは引き続き恩徳川の側らに沿って登る。周囲の視界は狭く、遠望は皆無だが、折しも紅葉が少し楽しめた。 |
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<金堀沢> 恩徳川の上流部は、立丸峠付近から流れ下る沢(名前は不明)と、西のオーヅ岳近辺を源流とする金堀沢の二手に分かれる。道はその金堀沢を横切り、峠を目指す。そこからは道の勾配もやや増し、屈曲も多くなる。 <恩徳川の源流> 尚、立丸峠より流れ下る沢より、金堀沢の方が延長が長そうだ。恩徳川、しいては小烏瀬川の源流は、金堀沢となるのではないだろうか。ならば水源はオーヅ岳である。 |
<法面工事> いろいろと工事看板が出てきたので、例の時間通行止かと思ったが、法面の工事を行っていた。やはり峠近くは道が険しい証拠である。重機が入っている箇所もあった。 この辺りになると、空が開けてきて、遠望は相変わらずないものの、気分が晴れる。峠まで残り約2kmといったところだ。 |
空が開けてきた |
車列に遅れないように進む |
<時間通行止箇所> 時間通行止箇所には既に5、6台の車が列を作って待っていた。通行止解除の15時までは10数分あるので、のんびり待とうかと思っていると、間もなく車列が動き出した。後続車は来なかったが、車列に遅れないようにと車を走らせる。 |
<工事区間> 工事区間は意外と長い。1km近くもあったのではないだろうか。車列の最後尾を遅れないように進む。峠までのラストランというのに、何だか味気ない。周 囲の景色などあまり目に入らず、前を行く軽トラックのお尻ばかりを見ながら車を運転する。結局、工事区間は峠まで続いていた。 |
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<峠に到着> 峠では車列から離脱し、路肩に停車した。宮古市側から遠野市側に入る車は一台もなさそうだ。そればかりか、峠付近には工事関係者の人影もない。その後、暫く峠で散策していたが、立丸峠を通過する者は誰一人、車一台なかった。 |
峠 |
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<峠の様子> 立丸峠は浅い切通しの峠で、樹木が頭上に覆いかぶさっているが、それ程圧迫感はない。切通しの両側の斜面も傾斜が緩く、比較的空が開けた峠だ。冬期など は周囲の落葉樹の葉が落ちて、更に見通しが良い。切通しの法面はコンクリートなどの擁壁工事が行われることなく、落ち葉が堆積するままにしてある。市境を示す 「遠野市」、「宮古市」と書かれた看板が立つだけで、素朴な味わいの峠だ。ただ、あまり特徴らしきものがなく、印象に残り難い気もする。 <峠名> 「立丸」の由来などは分らない。付近の地名ということもなさそうだ。ただ、「丸」というのは城の縄張で本丸、二の丸、三の丸などと使われる。城郭の一種だ。「立丸」とは、山の高い所に位置する砦というようなニュアンスがあるのではないだろうか。 <峠の標高> 文献(角川日本地名大辞典)では、立丸峠の標高を「775m」とある。現在の地形図の等高線では、780mと790mの間に峠が通じている。こうした数 値の違いは、測量方法などの変遷によるものと思われる。少なくとも最近の数値の方が高いので、峠の切通しが昔より深く掘り込まれたというようなことはなさ そうだ。 |
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この立丸峠は、現在の国道340号の様な車道が通じるよりずっと古くから通じていた峠であろう。昔の峠道に関して、現在ではその様子をうかがわせる物は見
掛けられないが、少なくとも峠の位置に変わりはないものと思う。この落葉樹が茂る峰を、一本の細々とした山道が越えていたことだろう。 <金精神> 文献では、この立丸峠について金精神の由来を説く伝説があり、昔から石神があったということだそうだ。「金精神」とは何か、詳しくは知らないが、直ぐに思い出すのは金精峠(こんせいとうげ)である。こちらの峠には「金精様」という御神体が祭られているが、この「金精様」とは性信仰に関わる男女のシンボルのことである。立丸峠もこうした信仰に関わりがあるのだろうか。 |
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<遠野市側から見た峠> 2012年に訪れた時は、遠野市側で工事をしていた為、沿道にいろいろと工事看板が立っていた。この峠で時間通行止の車を待たせる為に、信号機も設置してあった。 |
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<大きな標柱> 以前は峠の遠野市側に、「←これより 川井」とか「ここは 立丸峠」とか書かれた木製の大きな標柱が立っていた。それがこの峠の特徴でもあった。ただ、これに類した標柱は、立丸峠に限ったものではなかった。遠野市の主要な峠には立っていたようだ。 |
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<遠野盆地の峠(余談)> 遠野盆地に降る雨は、何れは猿ヶ石川へと注ぎ、西へと流れ下る。よって、国道283号などの猿ヶ石川沿いに通る道を除くと、遠野盆地と外界とを繋ぐ道は全て、大なり小なり峠を越える峠道となる。立丸峠もその一つだ。 旧宮守村との境の小峠(国道396号)にも立丸峠にあったのと同じような標柱を2002年に見掛けている(左の写真)。国道396号には小峠トンネルが開通していて、標柱が立つのは旧道の峠である。標柱には「ここは 小峠」、「←これより 民話のふるさと遠野路」とあった。他には、住田町との境の赤羽根峠(国道340号旧道)でも同類の標柱を見ている。これら以外の峠にも立っていたかもしれないが、私の旅の記録から確認できたのは、この3峠だった。 立丸峠からこの標柱が消えたのは、川井村が宮古市に編入され、「これより 川井」の文字がそぐわなくなった為かと思った。あるいは、単に標柱の老朽化かもしれない。また、最近になって宮守村を編入してからは、遠野市は遠野盆地から大きくはみ出す市域を持つようになった。遠野盆地と外界を繋ぐ小峠も、今は遠野市内に位置する峠である。「ここより 民話のふるさと遠野路」という文句も、今はあまりピンと来ないと言える。 |
<看板など> 峠の道路上に掲げられた道路看板には「宮古 55km 川井 23km」とある。この内、峠から閉伊川沿いの国道106号までの峠道区間が約21kmである。 峠の遠野市側に「立丸峠トンネル化早期着工を!」と大きな看板がいつしか立ち始めた(下の写真)。同じ様なトンネル開通を望む看板が、旧川井村と大槌町との境にある土坂峠(つちざかとうげ)にも立っている。しかし残念ながら、どちらの峠でもトンネル工事着工の気配は見受けられなかった。 |
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峠の遠野市側 |
<峠の遠野市側> 路肩が少し広くなった所があり、丁度車一台分のスペースがある(下の写真)。立丸峠の遠野市側は少し眺望が広がるので、あまり峠に関心がない方でもここに 車を停車させ、一時景色を見ながら休憩するとよい。その路肩の先は直ぐに道幅が狭くない、暫く険しい道に苦労することとなる。 道路看板には「大船渡 73km 遠野市街 23km」とある。立丸峠の峠道の延長は、宮古市側の21kmを合わせ、合計約44kmとなる。なかなかの距離だ。 |
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下の写真は今から18年程前の様子。上の写真とほぼ同じ場所を写している。1997年(平成9年)の新年早々のことであった。旧川井村から登り、遠野市へと向かう旅の途中である。立丸峠はこうして真冬でも通行を可能にしている。 |
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<遠野市側の景色> 峠の楽しみの一つは峠からの遠望だが、立丸峠はそれ程高い峠ではなく、峠が越える峰もそれ程急峻ではないので、あまり眺望はない。それでも、峠の遠野市側では幾分景色が広がる。ただ、年々沿道の木々が成長してきているようで、車道から望める視界は徐々に狭くなっている。 |
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峠の宮古市側 |
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<宮古市側から見た峠> 宮古市側から眺めた立丸峠も、ただただ1.5車線幅のアスファルト道がゆったり峰を越えているだけだ。峠道全般に関しても、延長こそ長いものの、大部分で改修済みの立派な国道が通じる道で、それ程険しいという印象はない。 しかし、さすがにこの峠に辿り着くと、それなりの感慨を持つ。旧川井村から来た時は、これから遠野市の賑やかな市街地へと向かうこととなる。民話の里 「遠野」で、観光客に混じってカッパ渕などでも観光しようか。また遠野市側から登って来た時は、これより北上山地の奥深く、旧川井村小国の地へと分け入ることとな る。早池峰山の山麓にある「タイマグラ」でも訪れようか。峠を挟んで遠野と川井、全く趣を異にする。 |
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<工事看板> 遠野市側で行っている工事の工事看板を眺めていると、なかなか面白い(下の写真)。一応迂回路が示されていたのだが、一つは海岸沿いコースで宮古・釜石を経 由する。もう一つは内陸コースで、タイマグラキャンプ場付近から川井住田大規模林道を経由する。どちらも気の遠くなる様な迂回路だ。それだけこの立丸峠の 存在は重要と言える。 |
工事看板など (撮影 2012.11. 3) (上の画像をクリックすると看板の拡大画像が表示されます) |
工事中は宮古市側からの車はこの付近で時間通行待ちをした |
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<空き地> 宮古市側には、峠の少し手前で道路脇に空き地がある。ここならゆったり車を停められる。ただ、周囲は林に囲まれ、景色にはあまり恵まれない。 |
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<国道標識> 空き地の端に宮古市側最初の国道標識が立っている。2006年に訪れた時は、「立丸峠(川井村)」であった。今は「(川井村)」の部分が白く塗り潰され、「宮古市」に書き換えられている。やや傾いて立っていたポールも、直されていた。何にしても、峠で「立丸峠」の文字が見られるのは嬉しい。「ここは 立丸峠」の大きな標柱がなくなってしまったのが悔やまれる。 |
国道標識が傾いて立っていた |
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宮古市側に下る |
<峠直下の道> 立丸峠の直下は、遠野市側より宮古市側の方が幾分険しい。一部にセンターラインもある二車線幅の区間もあるが、ほとんどは1.5車線幅未満の道である。路面のアスファルトにひび割れや補修の跡も目立つ。屈曲も多い。 |
左脇に国道標識 |
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<小国> 国道標識に示されている地名は「小国」である。今は宮古市小国、以前は川井村小国であった。旧川井村の南辺に沿った範囲が大字小国の範囲である。江戸期か ら明治22年まで小国と呼ぶ村があり、明治22年からは北隣の江繋村(えつなぎむら)と合併して新しい小国村と称した。昭和30年には川井村の一部とな り、江戸 期の川井村の地域が現在の大字小国の範囲と思われる。 「小国」という地名は盆地状の地形に多く、日本の各地にみられる。旧川井村の小国は「隠れ里」の称がある程、外部と隔絶された山谷にある為、「国」にたとえて「小国」と称されたものとも伝わるそうだ。由来はともかく、確かに隔絶された地にある。 |
峠方向に見る ややアスファルトのひび割れが目に付く |
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<道の様子> 立丸峠の峠道の中にあっては、比較的勾配がきつい道を下る。立丸峠は小国川の源流域にあり、その源流を構成する小さな沢を何度か渡っている。「立丸四の 橋」とか「立丸三の橋」とう名の橋が架かっている。橋自体は小さいが、わざわざ大きく名前を書いた看板が立っているので、こうして名前が分るのだった。 |
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橋の袂から林道が始まっている |
新田の分岐 |
<二車線路> 峠直下を程下り切った頃、センターラインがある立派な道となる。すると間もなく分岐を示す看板が出て来る。左への分岐の行先には「大仁田」(おおにた)と書かれている。 |
沿道に人家が見え始める |
分岐の行先は大仁田 |
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<新田の分岐> その分岐付近には僅かに人家が点在している。「新田」と呼ばれる集落のようだ。立丸峠を宮古市側に下って来ると、国道から見える最初の集落となる。旧川 井村の中でも、最も南に位置する集落であろう。周辺には小国川本流に沿う平坦地が広がり、新田集落の耕作地となっている。 |
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峠方向に見る |
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小国川本流沿い |
<小国川沿い> 新田集落を過ぎると、道は小国川本流の左岸沿いになる。といっても川の下流方向に進んでいるのではない。逆に遡っているのだ。 小国川の最源流は、新田集落より東に位置する白見山とのこと。小国川の上流部では、白見山方向から流れ下る川と立丸峠方向からの川と、大きく2つに分か れている。地図上ではそれらに河川名が記されていないので、どちらが本流か不明だが、文献に示す源流(白見山)や川の延長距離からすると、白見山からの川 の方が本流と思われる。道は白見山方向に向かって、僅かながら登りだすのだ。 |
<小国川を右岸へ> まだ新しそうな快適な二車線路は、あまり長くは続かない。小国川本流の川を渡って右岸に出ると、その先、道はグッと狭くなる。進路も北へと変わっていく。 <新田牧場> すると道路の東側に沿って牧場が広がりだす。時期によっては、放牧された牛が草をはんだり、横になって休んでいたりする、のどかな光景を目にする。新田牧場である。白見山の北西麓に広がっている。 |
峠方向に見る この先が新田集落、手前が新田牧場 |
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<湯沢川水域との境へ> 新田牧場を過ぎると、道は狭くなると同時に川沿いを離れ、登り勾配もきつくなる。小国川本流の水域から、その支流である湯沢川の水域へと移動し始めたのだ。 湯沢川は大槌町との境にある長者森(1010m)付近を源流とする。長者森から西へ派生する支尾根が小国川本流と湯沢川の水域を分かつ山並みである。道はその山並みを越えようと、登りだすのだ。 |
ここを下ると新田牧場 |
<変則的な峠道のコース> どうして立丸峠の峠道が、このように変則的なコースをとったのだろうか。新田で分れた大仁田方面への道は、素直に小国川沿いに下り、最終的には小国の中心地である末角(まっかく)付近で、こちらの国道340号に合流している。 ただ、地図を見て言えることは、その区間の小国川本流は蛇行が多い上に、やや西へ迂回するように流れている。それに比べ支流の湯沢川は、比較的真っ直ぐ 末角に向かう。現在湯沢川沿いに通じる立派な国道340号を、仮に小国川沿いに通したとすれば、随分と開削が難しかっただろうと思う。 それでも、峠道としてどちらが本道かとなると、やや疑問が残る。小国川沿いには大仁田の集落以外にも、所々に集落が点在する。国道沿いと比べ、かえって 人家が多い印象がある。現在、小国川沿いに通じる道より、国道340号の方がはるかに立派だが、峠道の興りとしては、小国川沿いの方が早いかもしれない。 |
奥が小国川本流水域、手前が湯沢川水域 |
<小さな峠> 車で走っているとほとんど峠だとは気付かないような小さな峠を越える。標高は、地形図によると630mと640mの間である。そのちょっとしたピークを過ぎると、湯沢川の水域に足を踏み入れたことになる。 |
湯沢川沿い |
<湯沢川沿いへ> 林の中の屈曲が多い道を下る。道幅が狭く、路面のアスファルトの状態もあまり良くない。国道340号は、改修された部分とそうでない部分の落差が激しい気がする。 |
峠方向に見る |
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<土坂峠分岐> 小さな峠越えは全長でも僅かに1.5km程だ。坂を下り切った所で、右手に分岐が出てくる。湯沢川を右岸に渡った橋の袂から、県道(主要地方道)26号・大槌小国線が始まっている。この道は土坂峠を越え、内陸の旧川井村小国と太平洋岸の大槌町市街とを結んでいる。旧川井村にとって、国道106号・国道340号に次ぐ幹線路とも言える。土坂峠は旧川井村と外界とを繋ぐ、重要な峠道だ。ただ、それほど交通量はない。 県道入口にはゲート個所があり、大槌町側の大貫台にもしっかりしたゲート個所が設けられている。道路地図などでは冬期通行止とはなっていないようだが、豪雪時などでは、このゲートが閉ざされることもままあるのではないだろうか。 |
左は末角方面へ 右は湯沢川を渡って新田方面へ |
立派な道が始まる |
<湯沢川沿い> 県道26号の分岐付近ではまだ人家がなく、さびしい雰囲気だ。一方国道340号は、ここより白線の白色もまぶしげな立派な二車線路となる。 道は快適で、湯沢川に沿いながらも直線的である。間もなく家屋が現われ、人が住む人家も見えてくる。 |
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小国の中心地へ |
<小国の中心地を望む> 土坂峠を小国側に下る途中、早池峰山などの雄大な景色が広がる(下の写真)。手前の谷間には湯沢川沿いに比較的大きな集落を望む。その僅かに下流側で西から流れ下って来た小国川の本流が合する。その合流点付近が末角集落などが集まる小国の中心地となる。 |
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<小国の中心地へ> 道は小国川を小国橋で渡って小国川の左岸沿いになる。付近には小学校なども見られ、この付近から小国の中心地だ。ただ、現在の国道は快適な直線路に改修 されていて、小国の中心地と言えども沿道に人家はまばらである。もっと小国川に近い所を通る旧道沿いに人家が並ぶようだ。 |
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<小国川沿いの道の分岐> 集落の途中、左から一本の細い道を合する。国道上にその分岐を示す看板などは見当たらない。それが新田集落から小国川本流沿いに下って来た道である。改 修された広い国道が縦横無尽に横切っているので、ほとんど目立たない存在だ。交差点も殺風景そのものである。そこだけみると、その道が立丸峠の本線だった ろうかというような想像は、消し飛んでしまいそうである。 |
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小国川沿いの別ルート(余談) |
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<新田より分岐> ついでながら、新田から末角までの小国川沿いのルートを辿ってみる(近頃、余談が多くなった)。立丸峠の峠道は、全線が国道340号でその多くの部分が 改修され、あまり味わいが感じられない。そこにいくとこの小国川沿いの道は、センターラインなど皆無で、蛇行する小国川にぴったり寄り添い一緒に屈曲し、 途中いくつかの素朴な集落を過ぎる。旅情を感じるには絶好な道である。距離は10kmに満たない。一度国道340号を走ったら、次には是非寄り道したい道 だ。 新田の分岐を折れると、直ぐに新田のバス停が路傍にポツンと立つ。ここが旧川井村最南端のバス停のようだ。バスはここで折り返すのか、あるいは国道と小国川沿いの道で、循環路となっているのかもしれない。 |
<道の様子> 小国川沿いは平坦地が少なく、視界が開ける訳ではない。小国川は全般的に狭い谷に流れている。しかし、道はほぼ水平で、川沿いの道は空が比較的広い。側らを流れる小国川の川面を眺めたりしながら、淡々と車を進める。 |
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<集落を過ぎる> 新田の集落に続き、中仁沢集落が現われる。道の両側には僅かな人家が並ぶ。この素朴な佇まいが、旅人には心を惹かれる。 |
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<大仁田を過ぎる> さびしい道が暫く続いたかと思うと、またポツリポツリと人家が現われる。家屋の外壁に沿って薪が沢山積まれていたりする。東北の厳しい冬の暖をとる、大 切な燃料となるのだろう。今はスイッチ一つで湯船に適温のお湯があっと言う間に満たされる時代である。薪で風呂を焚いていた子供の頃を懐かしく思い出す。 道半ばで、比較的大きな集落を過ぎる。集落内で左に分岐があり、その道の角に「大仁田」のバス停が立つ。付近では支流の大仁田沢が小国川に注いでいる。分岐する道は大仁田沢沿いに登り、上部で川井住田大規模林道に接続しているようだ。 |
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狭い小国川の谷も下るに従い徐々に広がりだし、周辺に耕地も見掛けるようになる。集落の規模も大きくなっていくようだ。 |
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<国道に接続> 道は終始狭いまま、国道に接続する。はす向かいに道の続きが延びていて、そちらに進めば小国川沿いの旧道になり、末角の人家の間を通るようだ。 |
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峠とは反対方向に見る |
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国道106号へ |
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<小国川沿い>
末角以降の国道340号は快適な道が続く。蛇行する小国川をよそに、トンネルや橋で繋いだ直線路が延びる。その陰で旧道は脇に追いやられた格好だ。
<小田越分岐> 途中、左に県道(主要地方道)25号・紫波江繋線(しわえつなぎせん)が分岐する(左の写真)。この道は小田越(おだごえ)を経て西の花巻市(旧大迫町)に通じる。旧川井村と外界を繋ぐ数少ない道の一つではあるが、小田越はそんな生易しい峠道ではない。冬期閉鎖の期間も長く、峠前後はほとんど早池峰山の登山用道路のようなものである。 |
<川井地区> 末角から7、8kmで道は本流の閉伊川を渡り、その先で国道106号に合する。この付近は旧川井村の村名にもなった「川井」の名が興った地である。閉伊川とその最大の支流・小国川が合流するということで、「川合」が「川井」になったものだそうだ。 |
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<峠道の終点> 国道340号は、国道106号との併用区間を経て、岩泉町の方向へと続いて行くが、立丸峠の峠道はこの川井地区で終点である。 突き当たった国道106号を東の宮古市方向に進めば、直ぐに役場などがある旧川井村の中心地を通り、やがては太平洋岸へと出る。西へ向かえば、区界峠を越えて盛岡市街の大都会だ。大きく旅の行き先を左右する別れ道である。 |
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立丸峠は、これといって面白い峠とは言えないかもしれない。峠道の全線に渡って比較的整備された大人しい国道である。同じ旧川井村の峠でも、土坂峠や小田越の方がはるかに険しく、より魅力的だ。ただ、「ここは立丸峠」と書かれた大きな標柱の立つ峠の様子だけは、どういう訳か印象に残っている。東北の冬を初めて味わった旅の途中のことであった。 いわば「東北」そのものが旅情と言える。あの真冬の凍てついた峠の姿は、その旅情の断片を切り取った一つの風景である。旅の詳しいことなど、もうすっかり忘却の彼方だが、僅かに記憶する大きな標柱などは懐かしい旅のカケラだと思う、立丸峠であった。 |
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<走行日> ・1997. 1. 2 旧川井村 → 遠野市 ジムニーにて ・2006. 5. 4 旧川井村から峠まで往復 キャミにて ・2012.11. 4 遠野市 → 宮古市 パジェロ・ミニにて <参考資料> ・角川日本地名大辞典 3 岩手県 昭和60年 3月 8日発行 昭文社 ・その他、一般の道路地図など (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒ 資料) <1997〜2014 Copyright 蓑上誠一>
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