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田戸隧道  (田戸トンネル)
  たどずいどう (たどトンネル)  (峠と旅 No.342)
  旧国道から更に通行止ともなった峠道
  (掲載 2025.10.10  最終峠走行 2015.10.14)
   
   

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田戸隧道の南(西)側坑口 (撮影 1996.11. 4)
トンネルの前後は共に和歌山県の旧熊野川町大字玉置口(現新宮市熊野川町玉置口)
坑口の標高は約195m (地理院地図の等高線より)
このトンネル坑口前には4回訪れている(この時は2回目)
但し、峠だからとわざわざ意図してやって来た訳ではない
紀伊半島をあちこち旅していると、いつの間にかここに辿り着いているのだ

   

   

<掲載理由(余談)>
 田戸隧道(田戸トンネル)を峠だと意識することはほとんどないだろう。北山川(きたやまがわ)沿いに通じる国道169号にはこうしたトンネルが多い。田戸隧道もその一つに過ぎない。 特に近年、奥瀞(おくどろ)道路が開発されてからは国道169号はトンネルの連続ばかりだ。
 
 しかし、前回の蟻越峠は峠名を持つことなどからもしっかりと峠道の体裁を整えている。 北山川の激しい屈曲を避け、その小さな支流(湯之谷川と平谷川)同士の分水界を越えている。その意味では田戸隧道も全く同様だ。 観光名所で知られる瀞八丁(どろはっちょう、下瀞とも)の峡谷区間を避け、北山川沿いから分かれて小さな分水界の峰を越えるルートを辿っている道だ。
 
 それでもやはり田戸隧道は峠道だと言い切るには抵抗がないではない。余りにも小さな尾根越えだ。ただ、前回の蟻越峠に続く国道169号の旧道であり、とにかく紀伊山地の峠を連載したい。そこでやや無理やりの掲載であった。

   

<隧道とトンネル(余談)>
 尚、表題は「田戸隧道」としたが、これはトンネルの扁額が「田戸隧道」となっていたことや、地理院地図にも「田戸隧道」で出ていたからだ。それ以外、特に「田戸トンネル」と区別する意図はない。本稿では固有名詞として基本的に「田戸隧道」と表記する。

   

<所在>
 田戸隧道はスッポリ和歌山県の新宮市熊野川町(くまのがわちょう)玉置口(たまきぐち)の中に納まる。2005年(平成17年)10月1日に新宮市と熊野川町が合併する前は、熊野川町(くまのがわちょう)大字玉置口であった。

   

<地理院地図(参考)>
 国土地理院地理院地図 にリンクします。


   
本ページでは地理院地図上での地点を適宜リンクで示してあります。
   

<峠道の起点>
 田戸隧道を峠道と考えた場合、当然ながら異なる2地点間を結ぶことになる。
 
<玉置口橋>
 南側の起点は玉置口の玉置口橋(地理院地図)と言える。ここは蟻越峠の北側起点でもある。
 
 尚、玉置口橋は通常なら「たまきぐちばし」と呼びそうだ。地名の玉置口は「たまきぐち」である。ただ、橋の銘板では「たまぐちばし」となっているようだ。「玉置」を「たまき」と読むことは、知らないとなかなか分からない。まして「たまい」とはなかなか読めない
 
<田戸>
 峠の北の起点は奈良県吉野郡(よしのぐん)十津川村(とつかわむら)大字神下(こうか)の田戸(たど、地理院地図)と考えたい。 隧道の名である「田戸」もこの地名から来ている。「田戸」は古くは「たと」とも呼んだようだ。現在、この地は国道169号線から外れ、そもそも車道としては行止りなのだが、かつての国道はここまで通じていた。 そしてその先、北山川上流方向は未開通の国道であった。

   

<水系/玉置川>
 玉置口橋は北山川支流の玉置川(たまきがわ、地理院地図)に架かる。田戸隧道の南側はこの玉置川水域になる。尚、玉置川の上流に位置する十津川村大字玉置川の地名は「たまいがわ」と呼ぶ。よって川の方も場合によっては「たまい」と呼ぶかもしれない。
 
<水系/葛川>
 田戸は葛川(くずかわ、地理院地図)が北山川に注ぐ河口近くに位置する。田戸隧道の北側はこの葛川水域になる。
 
 地形的に田戸隧道は、玉置川と葛川の分水界上に通じる峠道と言える。但し、行政区画上では何の境でもない。

   

<玉置川上流部(余談)>
 尚、玉置川の源流は玉置山(たまきやま、地理院地図)の南麓付近だ。 ほぼ玉置川に沿って車道が登り、玉置山近くでピークを迎え、その後十津川(熊野川の上流部)へと下る。そこに峠名など存在しないが、言ってみればこれも一つの峠道だ。よって、厳密には玉置川沿いは田戸隧道の峠道とはならない。 しかし、北山川沿いに一貫して通じる国道の一部として、大目に見てもらう。

   

<葛川上流部(余談)>
 一方、葛川上流方向にも車道が延び、葛川隧道(地理院地図)を抜けて十津川の支流・芦迺瀬川(あしのせがわ)水域へと下る。葛川隧道は正に立派な峠道で、田戸はその起点と言った方が正確だ。しかし、こちらの場合も大目に見てもらい、葛川沿いの一部を田戸隧道の峠道として扱う。

   
   
   

玉置口橋側

   

<旧「瀞の郷」の入口>
 南の起点となる玉置口橋の左岸側袂は、瀞峡観光の一大拠点となる「瀞の郷」への分岐であった。観光案内の看板がいろいろと並ぶ。ただ、最近はその施設の一部が閉鎖され、「瀞の郷」という呼称はもう使われないようだ。それでも瀞峡めぐりの乗船場があり(地理院地図)、重要な観光拠点であることに変わりない。かつての「瀞の郷」の様子については蟻越峠で少し触れた(瀞の郷)。

   
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玉置口橋の左岸側袂 (撮影 1996.11. 4)
かつての「瀞の郷」入口で、右が「瀞の郷」へ
奥が田戸隧道方面、手前が玉置口橋を渡って蟻越峠方面

   

<起点の様子>
 この分岐には以前は熊野交通の玉置口橋バス停があった。志古(地理院地図)を出発したバスが、蟻越峠を越えて遥々やって来たそうだ。今はもうそのバス路線はないらしい。
 
<奥瀞道路の影響>
 また、特にこの地点の状況が大きく変わったのは、奥瀞道路(おくどろどうろ)の開通が大きく影響している。奥瀞道路(第1期)工事によって瀞峡トンネル(地理院地図)が平成20年(2008年)2月に竣工、7月より併用開始となった。これにより田戸隧道前後の峠道は旧国道の存在となった。瀞峡トンネルは工事を始める時は「奥瀞道路新田戸トンネル」と呼ばれたそうだ。その名からしても、田戸隧道の後継であることは確かだ。
 
<玉置口トンネルなど>
 続いて玉置口トンネル(地理院地図)や竹筒トンネル(地理院地図)が貫通する(竣工平成27年5月)。瀞峡トンネルから玉置口トンネルへは、上空を玉置口第一橋(地理院地図)で玉置川、玉置口第二橋(地理院地図)で平谷川と渡って行く。これにより、玉置口橋前後から蟻越峠の峠道は完全に国道のルートから外れてしまった。

   
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快適な奥瀞道路 (撮影 2015.10.14)
手前が瀞峡トンネル方面、奥に小さく見えているのは玉置口トンネル
ここは玉置口第一橋で玉置川を渡っている最中、この先続いて玉置口第二橋で平谷川を渡る

   

 かつて、新宮方面から陸路で瀞峡観光に訪れる者は、必ずと言っていい程蟻越峠を越えて玉置口橋の袂に降り立ったものだ。私も何度か蟻越峠を越えている。それが今は快適な奥瀞道路が玉置口橋などを完全にバイパスして通じる。隔世の感がある。

   

<旧道区間の通行止>
 田戸隧道前後は旧国道とはなったものの、地理院地図などではまだ国道表記(赤色)を維持している。何らかの事情で瀞峡トンネルの新ルートが使えない場合、代替路になるのだろう。
 
 ところが、近年瀞峡トンネル南側坑口付近(地理院地図)から戸田隧道南側坑口(地理院地図)までの間で土砂崩れが発生、それによりその区間が全面通行止となってしまった。現在、復旧したか不明だが、旧国道になるわ、通行止になるわで、踏んだり蹴ったりの峠道である。

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瀞峡トンネルを玉置口側に抜けた所 (撮影 2015.10.14)
手前が瀞峡トンネル
左が玉置口橋へ、右は田戸隧道へ

   
   
   

田戸隧道(峠)

   

<田戸隧道の南(西)側坑口>
 玉置口橋から引き続き玉置川左岸沿いに通じる1.5車線幅の細々とした道を2.6Km程登ると、丁字路に突き当たる。そこを右に行くのが国道169号の続きで、直ぐに田戸隧道に入る。道路標識の行先は「橿原 北山」となっていた。 今でこそ国道169号は北山村(和歌山県東牟婁郡)まで通じているが、かつては未開通区間がある国道だった。 尚、橿原(かしはら)とは国道169号起点の都市だ(地理院地図)。

   
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田戸隧道の南側坑口付近の様子 (撮影 2002. 1. 6)
(3度目に訪れた時)
大きな変わりはない。

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左とほぼ同じ場所 (撮影 1996.11. 4)
この時は既に北山村まで国道が開通していた
(2度目に訪れた時)

   

 田戸隧道の南側坑口を2度目に訪れたのは1996年11月のことだった。丁度その年の7月に奥瀞道路(第1期)工事により国道未開通区間が解消されている。道路標識も新しそうだった。

   
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田戸隧道の南側坑口の様子 (撮影 1996.11. 4)
「瀞峡周遊船 ←乗り場」と案内がある

   

<市道分岐>
 丁字を隧道とは反対方向の玉置川沿いに遡れば、奈良県の十津川村に至る。ただ、この分岐自体はまだ和歌山県新宮市熊野川町玉置口になる。分岐するのは新宮市の市道らしい。その市道を1Km余りも行けば県境を越え、その先は十津川村の村道となる。

   
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市道側より丁字路を見る (撮影 2015.10.14)
手前が十津川村方面
左手にバス停などが立つ
直進方向に「吉野熊野国立公園 瀞峡2Km」と看板がある

   

<玉置川口バス停>
 分岐にはいろいろと看板などが並んで立っている。その中に十津川村の玉置川口バス停である。この場合の「玉置川」は地名で、「たまいがわ」と読むものと思う。村道を登った先に玉置川(たまいがわ)という集落がある(地理院地図)。ここはその「入口」に当たる。ただ、付近に人家は皆無だ。車の往来さえも極めて少ない。乗降客が居るのだろうかと、心配になるくらいだ。
 
 村営バスは今でも瀞八丁線というバス路線があり、この玉置川口を経由して玉置川集落に至る。

   
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分岐に立つ看板など (撮影 2002. 1. 6)

   

<分岐に立つ看板>
 看板類はほとんどが瀞峡に関する観光案内だ。観光船や宿泊施設の看板が目立つ。中には村道を行った先の玉置山(たまきさん)や十津川温泉の案内もある。玉置山の山頂(地理院地図)近くには玉置神社(たまきじんじゃ)が鎮座する。

   

<通行止>
 近年、この分岐に異変が起きた。ある旅(2015年10月)で玉置神社に参拝した後、玉置川集落を経て村道を下って来た。図らずしも田戸隧道を訪れるのはこれで4度目となる。 すると、トンネル手前の丁字路から玉置口橋方向の国道169号が通行止となっていた。ガードレールでしっかりバリケードが設けられている。

   
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丁字路より玉置口橋方向に見る (撮影 2015.10.14)
「通行止」の看板が立つ

   

<路面決壊>
 通行止の看板の先を覗くと、100mくらい行った所で大規模な土砂崩れが発生していた。路面が完全に決壊している。
 
 その日は新宮市街にホテルを予約してあった。ここより国道169号から168号と走り繋いで新宮市内に入る予定なのだ。もう午後3時を回っているので、丁度いい頃合いに宿に着けると見込んでいた。
 
 国道169号が通れないとなると、この地からどのようなルートで新宮まで辿り着けるのか、直ぐには見当が付かない。さて、どうしたものか。

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土砂崩れ箇所 (撮影 2015.10.14)

   
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通行止の看板 (撮影 2015.10.14)
迂回路が示されていた

<迂回路/瀞峡トンネル>
 落ち着いて奥に立つ通行止の看板を読むと、迂回路として田戸トンネルを抜けた後、瀞峡トンネルを通行するように案内されていた。その時の旅の為に最新のツーリングマップル(2015年版)を持参してあった。 地図にはこれまで見たことがない快適そうな道が北山川沿い描かれている。そこを走ればいいようだ。
 
<奥瀞道路>
 後で知ったことだが、それが奥瀞道路であった。瀞峡トンネル(竣工:2008年2月10日)で玉置口に出た先も、竹筒トンネル(竣工:2015年5月29日)などが丁度完成したばかりで、竹筒まであっと言う間だ。以前なら蟻越峠の細い峠道をトコトコ越えなければならなかった。
 
 竹筒の先も葛川トンネル(地理院地図、竣工:2015年7月31日)さえ通じていた。新宮のホテルには目論見よりずっと早く到着したのだった。

   

<田戸隧道の開通>
 田戸隧道には扁額が掛かるが、銘板がない。こうなるとトンネルの竣工日が分からない。トンネル竣工がほぼこの峠道の開通と考えられる。
 
 扁額に「トンネル」ではなく「隧道」とあるからと言って、古いとは限らない。同じ紀伊半島にある野々川トンネルなどは1992年1月の開通だが、扁額は「野々川隧道」である。
 
 右から左に「何々隧道」(道隧々何)とあるとそれなりに古い。戦前(昭和20年以前)までの扁額はほとんどそうなっている。比較的新しいものでは夜叉神隧道の扁額が右から左に書かれていて、トンネル竣工は昭和30年(1955年)9月だ。田戸隧道は左から右なので、その頃より新しいだろう。

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田戸隧道 (撮影 1996.11. 4)

   

<林道奥瀞線>
 トンネル開通時期について何か手掛かりがないかとウェブサイトを探していると、「奈良 県民の友 47.7」に「林道奥瀞線の田戸橋完成」という記事があるのを見付けた。「田戸橋」と「田戸トンネル」が完成したとある。 田戸橋は県境に架かるが、田戸隧道は完全に和歌山県側に位置する。それで題名は「田戸橋完成」なのだろうが、橋とトンネルはほぼ同時期に開通したようだ。林道奥瀞線の一部だったらしい。
 
 田戸橋の竣工は昭和47年(1972年)3月だそうで、「県民の友」の発行時期、昭和47年7月とほぼ一致する。田戸隧道の竣工も昭和47年(1972年)3月頃ということでよさそうだ。これが今回の峠道の開通時期となる。

   

<国道169号へ昇格>
 当初は林道奥瀞線として開通した道だが、昭和50年(1975年)4月1日には国道169号のルートに指定され、田戸(瀞八丁)までが国道に昇格した。ただ、田戸(瀞八丁)から先は車道未開通のままで残った。多分、林道奥瀞線は田戸(瀞八丁)を起点とする林道だったのだろう。

   
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田戸隧道の中 (撮影 1996.11. 4)
狭く長い (ドラレコ画像より)

<田戸隧道>
 地理院地図で見ると、田戸隧道の延長は丁度800mくらいだ。南側坑口の標高が約190m、北側が200m余りに読み取れる。峠と考えると、とても低い。
 
 トンネルは真っ直ぐで、最低限の照明が灯る。幅は狭く、乗用車同士の離合も困難だろう。中央辺りに離合の為にトンネル幅が広くなっている箇所がある。しかし、そんなこととは露とも知らないので、譲り合っての交互通行となるだろう。 延長800mはとても長く感じる。誤って対向車が入り込んで来ないかと、冷や汗ものだ。

   

<対向車(余談)>
 以前、伊豆の天城(山)隧道(延長446m)を抜けていた時のこと。トンネル延長の半分近く進んだ所で、対向車のヘッドライトが点くのが見えた。 こちらのヘッドライトに気付いて引き返すだろうと思っていたら、そのままどんどん近付いて来る。ライトをハイビームにしても効果がなかった。仕方がないからこちらがバックすることとした。 軽自動車のハスラーなので、狭いトンネル内の後退もそれほど苦労はない。
 
 トンネルを出て暫く待っていると、セダンタイプの乗用車がノロノロ出て来た。見ると、老夫婦が乗っている。こちらに済まなそうにちょっと挨拶して通り過ぎて行った。私も来年で数え年の古希を迎える。 車の運転も以前ほどに自信はない。こうした狭いトンネルでの咄嗟の判断も、だんだん怪しくなってきているかもしれない。

   
   
   

玉置川沿いに遡る村道(余談)

   

<玉置川沿いに遡る道>
 田戸隧道南(西)側坑口前で国道169号から分かれて行く道は、玉置川沿いに登って玉置山近くで道のピークを迎え、更に奈良県十津川村の十津川(新宮川)沿いへと下って行く。ちょっと峠道に似た道筋だ。余談になるが、その道について少し触れる。
 
<林道玉置山線>
 文献(角川日本地名大辞典)の玉置川(地誌編)の項に、折立(おりたち)〜国道169号間に「林道玉置山線」が通じたとあった。その林道が十津川方面と、途中玉置川を経て、熊野川町玉置口を結ぶ最初の車道だったようだ。「国道」と言うからには昭和50年(1975年)以降の開通だろうか。
 
<折立>
 十津川村の大字折立(おりたち、地理院地図)は、十津川本流沿い於いて中心的機能を果たす集落だそうだ。 左岸の平坦地に比較的多くに人家が集まる。また、古くから十津川郷の鎮守・玉置神社への登り口に当たる。それもあって、折立を起点とする林道玉置山線が玉置神社方面へと開削されてたものと思う。 よって、やはり峠道と言うよりは、玉置山への登山道となる道筋を辿る。峠道ならなるべく低い峰の鞍部を越えるが、林道玉置山線は玉置山の山頂を目指して登っている。

   
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折立集落を望む (撮影 1994.10. 9)
旧林道玉置山線より

   

<折立橋起点>
 旧林道玉置山線は1994年10月に走ったことがある。折立橋(1958年5月18日完成)の左岸袂より国道168号から分岐してその道は始まる(地理院地図)。ちょっと登ると林道途中(地理院地図)から折立集落を望むことができた(上の写真)。今は林が多くて難しいかもしれない。
 
<野宿(余談)>
 その道に入り込んだのは玉置神社を参拝するような目的ではなかった。どこかに野宿地が見付からないかと闇雲に車を走らせたのだった。結局いい場所はなく、道路脇でテントを張った。その時のことは引牛越のページで触れた(野宿)。

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折立橋を望む (撮影 1994.10. 9)
奥が十津川左岸

   

 野宿の翌日は神社へ向かう林道大谷線に入ってみたが、当時は未完成でどこにも抜けられない。神社にも寄らず、ただ大峰(峯)奥駆道が通じる峰上から景色を眺めただけで、直ぐまた折立へと引き返した。 後年、林道大谷線の開通後に妻とゆっくり大峰奥駆道を見学し、玉置神社も参拝した。

   

<村道平谷竹筒線>
 現在、旧林道玉置山線の多くの区間は村道平谷竹筒線となっている。但し、起点が折立から大字平谷(ひらだに、ひらたに、地理院地図)に変更された。正確な起点は猿飼橋(さるかいばし、1974年3月建設、橋長138.8m)の右岸袂になる(地理院地図)。尚、古くからの吊り橋の猿飼橋(地理院地図)があり、それより後に架けられた。
 
 猿飼橋から先は新しく開削された道で、玉置神社や霊峰玉置山へのアクセス路としては、折立起点より距離が短いようだ。玉置山には大峰奥駆道が通じる。こうして道が改良されたのは、「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産になったことも関係するのだろうか。

   

<大字玉置川>
 村道平谷竹筒線は玉置山近くを過ぎてから玉置川(たまきがわ)水域を下る。地名も大字玉置川(たまいがわ)に変わる。江戸期には玉井川村と称した。時に玉井河村とも書く。明治22年(1889年)に東十津川村の大字玉置川となり、村役場が当地に置かれた。明治23年からは十津川村の大字となって行く。
 
<玉置川集落>
 玉置川上流部には最大の玉置川集落が位置する(地理院地図)。以前は村道上から集落全貌が見渡せた(下の写真)。玉置川沿いの緩斜面に田畑が広がり、比較的多くの人家が点在する。素朴な山里の雰囲気だ。

   
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玉置川集落を望む (撮影 1996.11. 4)
村道平谷竹筒線より (今から30年近く前の様子)

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玉置川集落内に通じる村道 (撮影 2015.10.14)

<集落内>
 村道平谷竹筒線は集落内を蛇行して下る。時に建物の軒をかすめるように進む。(ここでは2015年10月に訪れた時の写真を使用)

   
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玉置川バス停付近 (撮影 2015.10.14)

   

<玉置川バス停>
 集落の真ん中付近に玉置川バス停が立つ(地理院地図)。退避所などはなく、バスが停まれば狭い村道は道幅いっぱいに埋まってしまうことだろう。

   
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玉置川バス停 (撮影 2015.10.14)
道路脇には赤い郵便ポストが立つ

   

<村営バス>
 十津川村の村営バスは折立や平谷方面から来る訳ではない。下の玉置川口バス停より登って来て、玉置川が終点となるようだ。途中、北又(地理院地図)、玉置川下(地理院地図)のバス停が立つ。そうしたバス停付近にもポツポツ集落の人家が見られる。ただ、村営バスの定期運航はもうないようである。
 
 林道玉置山線の開通により、この山間部の集落に始めた車道が通じたものと思う。その車道開通はそれほど古いことではない。それ以前は熊野三山の奥の宮とも呼ばれる玉置神社への参詣者らが、この集落を歩いて通行したものと想像する。素朴な暮らしだったのだろう。

   

<市道北山川玉置線>
 村道平谷竹筒線は奈良県側までで、和歌山県との県境(地理院地図)からは新宮市の市道北山川玉置線と呼ばれるようだ。それが田戸隧道まで延びる。

   

<竹筒>
 ところで、村道平谷竹筒線は竹筒(たけとう)には直接には通じていない。その点が不思議だった。竹筒は同じ十津川村として玉置山とは地続きだが、その間に車道が見られないのだ。竹筒は他県を通らずにはどこにも行けない立地だ。
 
<玉置街道>
 ただ、竹筒から玉置山へと至る山道があり、「玉置街道」などとも呼ばれるそうだ。竹筒の葛山集落から始まり(地理院地図)、途中玉置神社鳥居を過ぎ(地理院地図)、村道平谷竹筒線に接続している(右の写真、地理院地図)。別に玉置川集落へ至るルートもあるようだ(地理院地図)。こうした竹筒と玉置川を結ぶ山道を人々は歩いたのだろう。

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村道平谷竹筒線から分岐する山道 (撮影 2015.10.14)
手前が玉置神社方向

   
   
   

田戸隧道以北

   
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田戸隧道を北(東)側に抜けた所 (撮影 2015.10.14)
右手に新道が通じる

<田戸隧道北(東)側>
 ここから話を元に戻して、田戸隧道の続きである。田戸隧道を北(東)側に抜けても依然、新宮市熊野川町玉置口のままである。トンネルはどこの行政区域の境にもなっていない。坑口周辺には車を停められるようなスペースはないので、大抵は行き過ぎてしまう。
 
 最近は瀞峡トンネルを抜ける新道(奥瀞道路)が右から近付いて来る。実際はこちらがクネクネ蛇行しながら近付いて行くのだが。

   

<新道に合流>
 道は直ぐにその奥瀞道路に合流する。快適な新道から見ると、旧道はややみすぼらしい。特に田戸隧道南(西)側坑口から玉置口までの間が通行止となっては、尚更、田戸隧道を使う車はない。 ただ、十津川村の玉置川集落に向かうには相変わらず重要なトンネルである。たまにはバスも通るのかもしれない。

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新道を葛川大橋方向に見る (撮影 2015.10.14)

   
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奥瀞道路の新道より瀞峡トンネル方向を見る (撮影 2015.10.14)
右手に田戸隧道を抜ける旧道が通じるる

   
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瀞峡トンネル直前 (撮影 2015.10.14)
右手上に旧道の田戸隧道が見える

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瀞峡トンネルの中 (撮影 2015.10.14)
当然ながらセンターラインがある
田戸隧道とは大きな違い

   

<田戸橋>
 一旦新道に合流した旧道だが、直ぐに田戸橋(地理院地図)へとフラフラ分かれて行く。田戸橋は北山川の支流・葛川(くずかわ)を渡る橋で、そこは和歌山・奈良の県境になる。前述の様に林道奥瀞線の一環として田戸隧道と共に建設された。竣工は昭和47年(1972年)3月とのこと。

   
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田戸橋 (撮影 2002. 1. 6)
手前が和歌山県、奥が奈良県
まだ葛川大橋が架かる前の様子

   

<葛川大橋>
 現在は少し下流側に新道の葛川大橋(くずかわおおはし)が架かる。平成16年(2004年)3月の竣工だそうだ。これ程至近距離に新旧の橋が並んでは、もう古い田戸橋を使う車はないのではなかろうか。橋の保守管理も大変だから、その内、田戸橋は閉鎖になるかもしれない。
 
 葛川大橋が架かる直前の2002年に訪れた時、何とはなしに田戸橋の写真を撮って置いた(上の写真)。何の変哲もない橋だ。「奈良 県民の友 47.7」では「緑の山々に赤い色がきれいな田戸橋」と完成当時の橋の様子が形容されていた。その30年後、もう色あせていて赤い橋だったとは全く気付かなかった。

   
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旧田戸橋バス停付近 (撮影 2002. 1. 6)

<神下>
 田戸橋を渡った先は:奈良県吉野郡(よしのぐん)十津川村(とつかわむら)大字神下(こうか)である。これでやっと峠道は別の場所に出た。
 
 神下(こうか)とはちょっと変わった地名だ。文献(角川日本地名大辞典)で調べてみると、明治17年(1884年)に神山村(こうやまむら)と下葛川村(しもくずかわむら)が合併し、両村の一文字を取って「神下村」としたらしい。
 
 その後、神下村は玉井川村や竹筒村などと同じく明治22年(1889年)に東十津川村の大字、明治23年からは十津川村の大字となって行く。

   

<田戸橋バス停>
 田戸橋の十津川村側の袂には田戸橋バス停が立っていた。ただ、新道ができてからはそちらに移されたようだ。かつては熊野交通と十津川村営の共通のバス停だった。今は熊野交通(後に熊野御坊南海バス)によるバス路線はないようだ。

   
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田戸橋バス停横に立つ看板 (撮影 2002. 1. 6)
幾つもの分岐があった

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田戸橋バス停の様子 (撮影 2002. 1. 6)

   

<瀞八丁(田戸)などへの分岐>
 このバス停周辺も相変わらず人家は見られないが、ここは幾つもの分岐がある交通の要衝だった。
 
<林道笠捨瀞線・旧国道>
 まず、看板に「瀞峡1Km」とあるのは田戸の内でも瀞八丁バス停がある北山川沿いに至る(地理院地図)。そこは瀞峡の観光拠点だ。かつてはそれが国道169号の続きだった。今は村道笠捨瀞線の一部となっているようだ。
 
<村道田戸線>
 「田戸」とあるのは村道田戸線で田戸集落に至る(地理院地図)。やはり車道はそこで行止りとなるようだ。瀞八丁への道とはほぼ平行して通じる。
 
<村道笠捨瀞線>
 葛川を遡り、「森林植物公園」(地理院地図)や「滝」(地理院地図)に至るのが村道笠捨瀞線だ。 十津川村の資料によると、元は林道笠捨瀞線だったそうだ。昭和35年頃から工事が行われ、昭和40年8月15日に完成したとのこと。これにより、神下役場から瀞八丁(田戸)間に村営バスが通じたとのこと。 尚、「笠捨」の地名が不明なのだが、葛川源流に笠捨山(地理院地図)が見られる。
 
<新国道169号>
 画期的だったのは、田戸橋より先に国道169号が延伸され、「北山村へ」と通じたことだ。 2002年1月に訪れた時、葛川大橋はまだ架かっていなかったが、東野(とうの)トンネル(1389m、1993年2月)、有蔵(あんぞう)トンネル(306m、1995年3月)、小松トンネル(734m、1988年10月)と続き、永く未開通だった区間が解消していた。 開通したのは奥瀞道路(第1期)工事の1996年7月のことだそうだ。
 
 尚、トンネル名になる東野(地理院地図)や有蔵(地理院地図)は現地にある集落名となる。これまでこれらの集落には車道が通じていなかった。残念ながら「有蔵」は地理院地図から、もうその名が消えている。

   

<瀞八丁(田戸)>
 田戸橋より葛川左岸沿いに1Kmも下れば瀞八丁(田戸)だ(地理院地図)。その間に瀞郵便局や瀞駐在所があるが、田戸の人家らしい建物はほとんど見られない。
 
 道の終点には瀞八丁バス停があり、バスの転回場ともなる。瀞峡の遊覧船乗り場として訪れる観光客は多い。眼下に北山川を望む。
 
 但し、陸路としては険しい地にある。昭和40年(1965年)、葛川沿いに林道笠捨瀞線が通じたのが最初の車道ではなかったろうか。昭和47年には田戸橋・田戸隧道により熊野川町玉置口へのルートが開けた。

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瀞八丁(田戸) (撮影 1993. 3.28)
かつての国道169号の行止り

   
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瀞八丁の看板 (撮影 1993. 3.28)
桜が咲く

   

<瀞峡観光の思い出(余談)>
 この瀞八丁(田戸)には1993年3月に訪れている。当時はまだここが国道169号の行止り箇所だった。桜の季節で、下を覗くと北山川に遊覧船がのどかに停泊しているのが見えた。

   
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瀞八丁(田戸)より北山川を望む (撮影 1993. 3.28)
遊覧船が停まる
以前、あのような遊覧船に乗った記憶がある

   

<余談の続き>
 運転免許を持つ以前の二十歳代、紀伊半島を旅したことがあった。カメラも持たず、最小限の旅行荷物をカバン一つに詰め、気ままな一人旅である。その折り、瀞峡を遊覧船で観光した。 しかし、自由になるバイクや車がなくて、どうやって瀞峡を訪れたのか、全く記憶がない。新宮駅前から定期観光バスに乗った覚えがあるので、多分その観光ルートに瀞峡も含まれていたのだろう。 大型バスが瀞八丁(田戸)まで来る訳にはいかないので、手前のどこかで乗船した筈だ。船は瀞八丁(田戸)まで来て一度川岸に停泊、下船してちょっと休憩した後、また同じ船で川を下って戻ったような気がする。
 
 バイクや車で自由に旅ができるようになると、行動力は一気に高まった。この広い日本の中、田戸隧道を4回も訪れているくらいだ。その一方、バイクや車を走らせてばかりで、のんびりとした舟下りなどしてこなかった。 妻を連れて瀞峡を訪れたことも2度あったが、「瀞の郷」から眺めるくらいだった(下の写真)。一緒に舟下りでもしておけばよかったと思う。

   
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「瀞の郷」から眺める瀞八丁(地理院地図) (撮影 2002. 1. 6)
右手奥に見えるのは田戸隧道坑口付近だろうか
この時はまだ瀞峡トンネルも葛川大橋も開通していない

   

<字田戸>
 文献(角川日本地名大辞典)の「下葛川村」の項によると、現在の十津川村大字神下の字田戸は、「もと東村組の上葛川・下葛川・中の諸村の境域にできた集落で、明治元年当村に編入した(十津川記事)」と出ている。場所は特定できないが、「上・中・下の境域」となると葛川の中流域ではないだろうか。少なくとも現在のような葛川河口付近とは思えない。集落ごと集団移転したのだろうか。
 
<神山渡>
 田戸について調べていると、文献(角川日本地名大辞典)に「神山渡」という一項があった。以下に全文を転記する。
 
 神山渡【こうやまのわたし】
 江戸期の渡し名。吉野郡十津川村神下字田戸と和歌山県熊野町玉置口を結び、幅1mの歩道がある。「大和志」にも見える。なお享保20年版嘉永元年改版大和国細見図に見える「田戸越」は現在の上瀞入口に架かるやまびこ釣橋付近を渡ったと思われる。
 
 これだけでは神山渡が北山川を渡るのか葛川を渡るのかさえも分からない。
 
<神山>
 神山(こうやま)は、今は大字神下(こうか)の一部になっているが、明治17年(1884年)に下葛川村(しもくずかわむら)と合併する前は、江戸期から続く神山村(こうやまむら)であった。 現在ではその旧村域はよく分からないが、字田戸などに比べればずっと広範囲だったろう。文献によると神山村は玉置山と葛川の間にあったとのこと。確かに葛川西岸(右岸)側に神山という集落名が見られる(地理院地図)。 かつての田戸はその付近にあったのかもしれない。
 
 神山を葛川右岸とすると、現在の瀞八丁(田戸)から直ぐに葛川右岸に渡る吊り橋があったようだ(地理院地図)。その右岸は現在は和歌山県の飛地だが、この付近は明治4年(1871年)の府県区画整理により境界が変わっている。どうもそれが神山渡(こうやまのわたし)ではないかと思う。その吊り橋の先は、新しい瀞峡トンネルの上部を田戸と玉置口を結ぶ徒歩道が続く(地理院地図)。これが文献に言う「幅1mの歩道」であろうか。
 
<田戸越>
 田戸越については、「上瀞入口に架かるやまびこ釣橋」とは現在の山彦橋(地理院地図)に相当するのであろう。田戸集落に直結して架かる。こちらは北山川左岸沿いに木津呂(きづろ、地理院地図)に至る。
 
 上記は憶測に過ぎないが、林道奥瀞線などの車道が通じるずっと以前、字田戸・字東野(とうの)・字有蔵(あんぞう)といった北山川沿いに立地する小さな集落と外界とを結び、神山渡や田戸越と呼ばれる陸路も人々の生活を支えて来たのだろう。 今回の「田戸隧道」は「田戸越」の後継とも言えそうだ。危険な峡谷の渡(わたし)や渇水や増水に影響される舟運に頼らず、安全に通行できる田戸隧道の開通は、大きな意味があったものと思う。

   
   
   

<あとがき(余談)>
 田戸隧道一本だけで、よくもまあいろいろ話しを作るものだと自分でも関心する。しかも、これでもまだ書き足りない。旅に関していろいろな思い出があり、峠に限らず、話したいことが山ほどある。 「旅と宿」も続けたい。人生もう一度分くらい時間が必要だが、既に一度目の残り時間は多くはなさそうだ。とりあえず、パソコンに向かってばかりではなく、ちょっとは旅に出てみようかと思う、田戸隧道であった。

   
   
   

<走行日>
・1990年前後 瀞八丁を遊覧船で見学
・1993. 3.28 瀞八丁(田戸)→田戸隧道→玉置口/ジムニーにて
・1994.10. 9 折立→玉置神社近くの村道平谷竹筒線脇で野宿/ジムニー
・1994.10.10 玉置山展望台付近→折立
・1996.11. 4 玉置口→田戸隧道前→玉置川/ジムニーにて
・2002. 1. 6 玉置口→田戸隧道→十津川村/ミラージュにて
・2015.10.14 玉置神社→田戸隧道→瀞峡トンネル→玉置口/パジェロ・ミニにて
 
<参考資料>
・関西 2輪車 ツーリングマップ 1989年7月発行 昭文社
・ツーリングマップル 5 関西 1997年3月発行 昭文社
・ツーリングマップル 関西 2015年8版1刷発行 昭文社
・角川日本地名大辞典 24 三重県 昭和58年 6月 発行 角川書店
・角川日本地名大辞典 29 奈良県 1990年 3月 8日発行 角川書店
・角川日本地名大辞典 30 和歌山県 1985年7月 発行 角川書店
・角川日本地名大辞典のオンライン版(JLogos)
・日本歴史地名体系 24巻 三重県の地名 1983.5.20 初版第一刷 (株)平凡社
・日本歴史地名体系 30巻 奈良県の地名 1981.6.23 初版第一刷 (株)平凡社
・日本歴史地名体系 31巻 和歌山県の地名 1983.2.18 初版第一刷 (株)平凡社
・十津川村・新宮市の公式ホームページ
・その他の道路地図、河川地図、一般のウェブサイトなど
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒  資料

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