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鳥越峠
 
とりごえ とうげ
 
伊吹山脈を越える豪快な林道の峠道
 
鳥越峠 (撮影 2001.11.12)
奥が滋賀県浅井(あざい)町高山、手前が岐阜県坂内村広瀬浅又
道は広域基幹林道鳥越線
標高は1,040m余り
 
 「鳥越」とはどこにもありそうな有り触れた名前なのだが、林道が通るこの峠の存在を知ったのはつい最近のことである。滋賀県にお住まいの方から電子メールで情報を頂いたのだ。ツーリングマップル(昭文社 中部編、関西編 1997年3月)にはまだ掲載されていない、比較的新しく開削された林道の峠である。
 
 場所は岐阜県と滋賀県の県境で、同じ県境上にあるあの八草(はっそう)峠の南南東約5Kmに位置する。鳥越峠の道は岐阜県側で八草峠の国道303号から分岐している。これまで八草峠は何度か越えたり、越えられなかったりしているが、こんな近くに別ルートの県境越えがあるとは驚きであった。
 

二俣橋が東俣谷川を渡る
橋の向こうに見えるのが高山キャンプ場

二俣出合
左は二俣橋、右が鳥越林道へ
 
 鳥越峠へは滋賀県側からのアクセスとなった。浅井町の県道高山長浜線を北上する。浅井町最北の集落・高山を過ぎ、県道の続きを更に遡る。人家はなくなり一挙に寂しい道となる。程なくして二俣出合に出る。ここは草野川の2つの源流、西俣谷川と東俣谷川が合流する地点で、道も二手に分かれる。左の道は東俣谷川を二俣橋で渡り、西俣谷川の左岸を行く。橋の袂には「ようこそ 滝と渓流の 高山キャンプ場へ」と看板にあり、ほとんどキャンプ場の入口と化している。
 
 一方、二俣出合を右に、ほぼ東俣谷川に沿って登る道が目指す峠へと続く鳥越林道である。道の入り口は狭く、両側に沢山の看板が並ぶ。その半分以上が工事看板で、一際大きく「通行止」とある。二俣橋以上に入り難いのであった。
 
 入り口から見える様な狭い道がいつまでも続くのなら、無理に入れば往来する工事車両に迷惑をかけることになる。単に途中で進めなくなるだけなら、そこから引き返してくればいい。自分の苦労はいとわない。でも、他人の迷惑になることは避けたい。簡単な柵が造られ、それが今は入り口の脇にどけてある。それは一般車が入っていいということではなく、多分、工事車両の通行がある為だろう。

鳥越林道入り口
左の細い道は工事用道路
 

早くも前方に峠が見える
 こんな時はいつも迷う。進むべくか進まざるべきか。峠は越えたいし、無謀なことはしたくないし。でも、ここまで来て林道に一歩も踏み込まずに帰るのはやっぱり残念である。暫し悩んだ後、結局、進むことにした。途中でダメそうだった直ぐに諦めよう。
 
 鳥越林道は、最初は東俣谷川の谷底の道だが、直ぐにも高度を上げて視界が開けてくる。心配した道幅もそれ程狭くない。アスファルト路面は新しく、白線やガードレールの白さもまばゆいくらいだ。谷は北に向かってほぼ直線的で、暫く進むともう前方に峠がある峰の鞍部がはっきり見てとれた。
 
 いつ現れるかもしれない工事車両に注意する意味で、非常にのんびり車を進める。この方が峠道もじっくり味わえる。
 
 すると、前方に車が一台止まっていた。工事のトラックなどではなく、一般的なセダンタイプの乗用車だ。峠方向に向いて、道の端によけるでもなく、中途半端な位置に止まって動かない。その脇をすり抜けられない訳ではないが、事情がはっきりしないので、ちょっと離れた後方にこちらも止まり、黙って様子をうかがう。
 
 暫くしてやっとこちらに気付いたらしく、そのセダンは道の端に寄った。そこで、ゆっくり追い越していく。横目で見ていると、男性のドライバーと2、3人の同乗者が居た。どうやら単に景色を眺めていただけのようである。

峠方向を望む
やや谷がジグザグする
 

谷を埋める紅葉
 折りしもこの東俣谷川の谷間は、標高が上がってくると、紅葉がなかなかなのだ。左手に見下ろす谷を紅葉が埋め始める。それは車を止めて暫し眺めるだけの価値がある。カーブをひとつ曲がるたびに、また新たな景色が望める。いい紅葉のビューピントを見付けては、車を停車させることになるのだ。
 
 車から降りて写真など撮っていると、先ほどの乗用車がのろのろやってきて追い越して行った。そして今度はそのちょっと先で止まっている乗用車をこちらが追い越して行く。路肩に車を停めるスペースがあまりないので、先に取られた場所は後から来た方は遠慮し、2台一緒に止めることはしない。暗黙のうちにそんなルールができて、抜きつ抜かれつしながら進むこととなった。
 
 それを何度か繰り返していると、また、前方に相手の車が停車している。しかし、今度は様子が違う。景色を楽しんでいるのではなかった。遂に工事現場に出くわしたのだ。右手の高い崖に数人の作業者がロープでぶら下がり、法面工事をしていた。路上の工事車両は路肩に片付けられ、通行は可能なようだ。でも、路面は崖から崩れた土でやや汚れ、若干通るのが躊躇われる。
 
 前の車が迷っていつまでも立ち尽くしているので、こちらが思い切って先に法面工事の下を通過することにした。なるべくゆっくり慎重に。それを見た相手の車も後を追ってきた。
 
 何事もなく通れた。でも、工事箇所の終端に車を停めて、工事の様子でも写真に撮ろうとしたら、危険だからここに車を停めるなと怒られた。謝るついでにこの先にもこうした工事箇所がまだあるかと聞いたらもうないと言う。これでこの先、安心して峠が越えられそうだ。
 
 その後、ちょっとした工事区間を過ぎたが、林道全線に渡り工事による一般車両通行の支障はなかった。林道入り口で心配した程でなくてよかった。
 
 やや残念なのは、峠に近付くにつれて天候が悪くなり、時折強く雨が落ちてきたことだ。迂闊に車外に出られない。ガスも薄くかかり、紅葉もあまり楽しめなくなってきた。それまで一緒に登ってきた車は、途中から引き返していった。峠を見ずにもったいないとことだと思ったが、誰でもが峠に執着がある訳ではなかった。
 
 
 峠を前にして道が大きく変化する。峠のある主脈から南に派生する尾根を西から東へと大きく回り込むのだ。道としてなかなかダイナミックで、この峠道のクライマックスと言っていいのではないだろうか。

峠を前に屈曲する道
峠道のクライマックスである
 

前方の尾根を越えていく
 最初から最後まで峠が見渡せるようなストレートな道もいいが、いろいろ屈曲する道も楽しい。カーブを曲がるたびに目の前に広がる景色が急展開し、その都度わくわくさせられる。如何にも山道を登っているという実感がある。いつまた峠が現れるだろうかと、期待も膨らむ。
 
 前方に尾根を回り込む道が見えた。その尾根の頂上まで出ると、その先に再び峠が姿を現した。見た目にはなかなか雄大な峠である。
 
 また、尾根を峠とは反対方向の南に見下ろすと、広い眺望がある。峠より南に張り出した尾根上なので、谷を詰めた峠より眺めは広いのだろう。天気がいいと琵琶湖まで望めるらしいが、この時は白く霞んではっきりしない。
 

尾根を回り込み、再び峠が現れた

尾根上より南方を望む
晴れた日には琵琶湖も望めるとか
 
 この尾根に沿って金糞岳への登山道が通る。道路脇に「登山道あり 登山者に注意」と書かれた看板が立つ。金糞岳へはこちらの滋賀県側に2本の登山道が開かれている。ひとつは「東俣本流コース」と呼ばれ、ほぼ東俣谷川に沿った谷筋を行く。もうひとつがこの尾根を通る「中津尾根コース」である。本流コースが上・中級者向けであるのに対し、尾根コースは初心者・一般向けだそうだ。
 
 これらの登山道は鳥越林道が開通する以前より整備され、阪神・中京方面からの登山者に利用されてきたそうだ。しかし、滋賀県側からも林道が峠まで達した今では、車で峠のある稜線まで行き、そこから稜線に沿って金糞岳に向かった方がたやすいように思う。登山としては味気ないが、かといって車で行ける所をわざわざ歩くのも詰まらない気がする。便利になるのも考えものだ。
 
 峠を直前にして、道幅の半分を塞ぐゲートがあった。しかし、故意かどうか分からないがゲートは倒されていた。その脇をすり抜けて進む。
 
 鳥越峠に着いた。すっきりした峠である。きれいなV字の切通しを、弧を描いて道が抜けている。峠前後のどちらにも眺望がある。大きな峰を越える峠道らしい峠である。
 
 登ってきた滋賀県側を眺めると、残念ながら相変わらず白く霞んで遠くは判然としない。代わりに滋賀県側に道が下りだす所に立つ工事看板が目にとまった。「法面工事中」とある。期間は「平成13年9月10日〜平成14年3月11日」。冬季閉鎖の時期を挟む為か、長い期間だ。ただ、通行止とは記してなかった。

滋賀県側より峠に着く
 

峠の小さな石柱
 峠の丁度境となる道路脇には「鳥越峠」と書かれた小さな石柱がポツリと佇む。そのちょっと滋賀県寄りに、「鳥越林道」と大書された石碑と、開通記念碑が並んで立つ。
 
 開通記念碑に書かれたことによると、林道の起工は昭和47年と古いが、竣工は平成9年とやはり比較的最近である。石碑やその周囲に敷き詰められた砂利、アスファルト路面や白線など、どれをとっても新しさを感じる峠である。
 
 峠の開通直後はまだダートを残していたそうだが、最後に峠の滋賀県側直下が舗装され、現在は全線舗装路の林道となった。
 
鳥越林道
 
     滋賀県 岐阜県
     浅井村 坂内村
          平成9年
 
 
広域基幹林道鳥越線開通記念碑
 
起 点 岐阜県揖斐郡坂内村広瀬 
終 点 滋賀県東浅井郡浅井町高山
延 長 総延長  22,634m
    岐阜県側 10,289m
    滋賀県側 12,345m
開設期間 起工 昭和 47年  
       竣工 平成  9年    
総事業費 2,237 百万円  

林道の石碑と開通記念碑が並ぶ
 
 峠より岐阜県側を望むと、広瀬浅又川の上流部の谷間が見渡せる。その中を峠道が下っている。なかなか豪快である。やや左手の稜線方向を眺めると、頂上がややガスで霞んだ山が見えた。金糞岳と思われる。
 

峠より岐阜県側に下る道
前方に見えるのは金糞岳か?

峠より見る岐阜県側の眺め
 
 この林道の鳥越峠はこのように新しいものだが、鳥越峠の名前そのものはもっと古くからある。すなわち人が通う峠道が林道開通前に存在していた。岐阜県の坂内村は県境などの高い峰に囲まれ、東面方向からの坂内川に沿う出入りを除くと、残りは険しい峠越えばかりだ。しかし、その峠道を使って滋賀県との交流が少なからず行われていたという。西の八草峠を越えて木ノ本町と、南の新穂(しんぽ)峠を越えて伊吹町と、そしてこの鳥越峠を越えて浅井町高山(旧上草野村大字高山)と。
 
 特に鳥越峠は近江側との物資の交流に使われ、昭和の初め頃は坂内村より繭を背負って近江側に越えた峠である。また、同じ頃、大阪の紡績工場に坂内村の若い娘たちが働きに出た峠道でもあった。坂内村と県境を越えての婚姻関係も生まれたそうだ。
 
 その後は鳥越峠を利用する者は絶え、廃道となっていった。今となっては旧道の峠の痕跡など全く見られない。しかし、現在の車道の峠はほぼ旧鳥越峠と同じ峰の鞍部を越えているものと思われる。歴史のない新しい林道の峠ではあるが、「鳥越峠」という名前にはそれなりの歴史があり重みがあった。林道開通碑やアスファルト路面、白いガードレールは真新しくて空々しいが、一見有り触れた鳥越峠という名前に、どうにか救われているような気がした。
 
<参考文献:角川 日本地名大辞典 滋賀県編、岐阜県編>
 

岐阜県側より峠を望む
 峠の岐阜県側を道は一気に下って行った。道もいいのであっという間に高度を下げる。振り返ると峠の鞍部が稜線上にちょこんとくびれて見える。如何にもここを通りなさいよと言わんばかりだ。昔の峠道を通った者も、こうして行く手の峰を仰ぎ見たのだろうか。快適な林道を車で走っているのでは、何でもない距離なのだが、荷を背負っての山道はどれほどの苦労があったことか。
 
 路面は終始良好で、道幅も狭いと感じない。間もなく谷底の広瀬浅又川の近くを進むようになる。道は川の蛇行に合わせて屈曲を繰り返し、視界もあまりなくなる。走っていて楽しくはない。ただ、時折色鮮やかな紅葉が目を和ませてくれる。天候が悪く日の光が乏しいので、写真を撮ると空の明るさに対し紅葉の色合いがでなかったのは残念である。
 
 沿線にはこれといって気を引くものもなく、勿論人家は皆無だ。農耕地も見掛けない。途中より右手に広瀬浅又川を従えて、水平移動が暫し続く。その終わりに前方が開けたと思うと国道303号に合流した。

終始路面状態はいい
 

林道標識(峠方向を向く)

前方に国道303号
 

林道終点
 林道の終点近くに林道標識と「法面工事中」の看板が立つ。そしてここにははっきり「通行止」とある。鳥越林道はやっぱりどちら側からも一応通行止なのであった。こうして無事に越えられて運が良かったと安堵である。
 
 国道からの林道分岐点は坂内村大草履(おおぞり)という。八草峠を越えたり越えなかったりした折り、何度も通過している筈だが全然記憶にない。走る国道があまりにも快適なので見落としていた。あるいは、八草峠が越えられるかどうか気掛かりで、他のことには頭が働かなかったようである。
 
 大草履より少し国道を八草峠方向に行った川上より、北に国道を少し離れた所に夜叉ヶ池という池がある。そこに伝説が伝わる。それに因んだ看板が林道入り口にも立っていた。ここは夜叉と龍神が草履を履き替えた地で、大草履・小草履(こぞり)という地名として残っているとのこと。看板には若い龍神が娘の夜叉の草履を履き替えさせている姿が描かれていた。
 
 1、2年前には八草峠に新しいトンネルができ、今も滋賀県側で国道303号の改良が進んでいる。今回更に鳥越林道の舗装も完了した。車道が通じていない新穂峠を除けば、峠越えは昔に比べて格段に楽になった。過疎が進む坂内村に、昔の様に峠を越えて滋賀県と交流する活力が生まれるといいのだが。
 
<制作 2002. 8. 5>
 
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