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野反峠 / 富士見峠
 
のぞりとうげ / ふじみとうげ
 
風が吹き抜ける草原の峠
 
(初掲載 2011. 4.21  最終峠走行 2006.10.22)
 
  
 
 野反峠 (撮影 2006.10.22)
場所は群馬県中之条町入山(旧六合村)
奥が旧六合村中心地方面
手前が野反湖方面
峠の標高は1,561m
道は国道405号
 
 
峠の名前、所在
 
 ここが何と言う峠か、結局よく分からない。「野反峠」なのか「富士見峠」なのか。昔から愛用のツーリングマップ(昭文社 関東 ツーリングマップ 1989年1月発行)とツーリングマップル(昭文社 ツーリングマップル 3 関東 1997年3月発行)には、どちらも「富士見峠」と出ている。同じ昭文社でも県別マップル(昭文社 県別マップル道路地図 群馬県 2006年2版15刷発行)では「野反峠」と記載されている。面白いのは、前掲のツーリングマップルには、富士見峠以外に野反湖の下流の県境に「野反峠」と書かれている。
 
 こういうのは現場が一番だ。現場にどう掲示されているかで判断しようと思ったら、現場でも2通りの峠名が見受けられた。よって、ここでは「野反峠」と「富士見峠」の併記と相成った。ただ、「富士見」というのは、他にもよく見られる峠の名前だ。一方、「野反」というのは他に心当たりがない。よって、個人的には「野反峠」を押したい。富士見峠ではどこの富士見だか分からないが、野反峠ならこの峠である。以下では便宜的に野反峠と表記する。
 
 野反、野反と言っているが、実は「野尻」(のじり)と取り違えて呼んでしまうことが多い。野反は峠名としてより、湖の名前で知られている。一方、野尻という湖もある。乙見山峠のページで少し出てきた。長野県信濃町にあり、こちらの野反湖とさほども離れていない。「のぞり」と「のじり」で発音も似ている。
 
 「尻」という字は、何かの終わりを示すことがある。長野県の地名の「塩尻」は塩の道の終着点を表したものだと聞く。下北半島の尻屋崎なども、陸地の果ていう感じがするではないか。野反湖は国道405号が行き止まる地点にある。だから「尻」かと思いきや、こちらが「反」なのであった。
 
 野反峠は群馬県中之条町の旧六合村入山にある。六合村は「くにむら」と読む。普通ではなかなか読めない。しかし、一度覚えると意外と忘れないものだ。「六合村」をさり気なく「くにむら」と読めるあたりは、なかなか旅慣れた「通」な感じがする。今は中之条町に吸収され、六合村がなくなったのは残念だ。
 
 旧六合村は、群馬県の中でも北西の端っこに位置する。何しろ、長野県と新潟県に接しているのだから、これ以上の端っこはない。西の長野県との境にはあの標高が高くて有名な渋峠がある。また東の旧中之条町との境には暮坂峠がある。そして、北の長野県や新潟県との境を越える車道はない。この野反湖へ通じる国道405号が、長野県の山ノ内町(やまのうちまち)及び栄村(さかえむら)との境のちょっと手前まで行っている。その途中で越えるのが野反峠である。野反峠や野反湖を含めた旧六合村の北側の広い地域を入山(いりやま)と呼ぶそうだ。
 
 
国道405号の分岐
 
 峠への国道405号は、旧六合村内で国道292号から分岐して始まる。もうこの付近から北が入山と呼ばれる地域だと思う。集落名は荷付場だ。
 

草津方面から国道292号を来たところ (撮影 2006.10.22)
この先左に国道405号が分岐する
直進がそのまま国道292号を旧六合村の中心地へ

国道分岐の看板 (撮影 2006.10.22)
左折方向は野反湖、花敷(はなしき)
 

国道405号に入って直ぐの所 (撮影 2006.10.22)
 国道405号は、以前は主要地方道(県道42号)・津南秋山長野原線と呼んだ。「長野原」は旧六合村の南に接する長野原町を指すが、「津南」(つなん)や「秋山」については、ピンとこないかもしれない。「秋山」とは北の県境を越え長野県栄村(さかえむら)に下った所にある「秋山郷」(あきやまごう)のことだと思う。また、「津南」とは、秋山郷を更に北へ下り新潟県に入った津南町のことだと考えられる。野反湖から先、秋山郷の切明(きりあけ)という所まで車道は通じていないが、名前だけは壮大な県境越えの峠道にふさわしい。
 
 道は概ね北の県境方向から流れ下る白砂川に沿う。六合村自体がこの南北に流れる白砂川に沿って開けた村である。場所によっては断崖が切り立ち、険しい様相を呈する。沿道にぽつぽつと集落が現れる。

国道405号沿線の様子 (撮影 2006.10.22)
 
花敷の分岐
 
 この峠道の中では一番大きな分岐となる花敷への分岐が現れる。行く手がY字になっていて、左に下る細い道が花敷や尻焼といった温泉へ行く。右手に登るのが野反峠への本線である。分岐周辺には酒屋や旅館の看板が立つ。
 

花敷の分岐 (撮影 2006.10.22)
前方のY字を左に下るのが花敷温泉へ
右の登るのが野反湖へ

分岐の直後 (撮影 2006.10.22)
看板には左方向に尻焼、花敷の温泉マーク
直進は野反湖へ15kmとある
 
 花敷の分岐を過ぎると白砂トンネルをくぐり、その後、白砂大橋で白砂川の本流を右岸へと渡る。この橋の直ぐ下流にダムが築かれていて、川はちょっとした湖の様に大きい。川岸は断崖となって切り立ち、険しい雰囲気だ。
 
 以前のツーリングマップを見ると、現在の花敷に分岐はなく、花敷温泉や尻焼温泉には車道が通っていない。代わりに白砂大橋を渡った先で左に矢倉集落方面への道が分岐している。六合村は野反湖や花敷、尻焼といった温泉などで観光化を目指した。その一環で花敷温泉と尻焼温泉を通る道を開削したのだろうか。今はその道が県道55号・中之条草津線となっている。
 

和光原の集落付近 (撮影 2006.10.22)
 白砂大橋の後は白砂川の本流から徐々に離れ、支流の白味田沢川沿いとなる。この付近の集落は和光原と呼ぶようだ。ここが旧六合村側の最後の集落となるようだ。
 
ゲート箇所以降
 
 集落が過ぎ、道も狭くやや悪くなったと思っていると、ゲート箇所が現れる。冬期はこの先が通行止となるのだろうか。ゲートの後は川沿いを寂しい道が尚も続いている。

ゲート箇所 (撮影 2006.10.22)
 

万沢林道の分岐 (撮影 2006.10.22)
野反湖からの帰りは、この林道を通った
 寂しい道の途中で更に寂しい林道が右に分岐する。起点から既に未舗装である。万沢林道と呼ぶ。この道は怪しいのである。分岐の所に林道起点を示す木柱と一緒に何やら看板が立ち、下記の様に書いてある。
 
(国道方向) 野反湖 あと5km
(林道方向) 野反湖パークランド和光原 あと2km
 
 「野反湖 あと5km」は分かるが、「野反湖パークランド和光原」とは一体何であろうか。実は過去に2回、野反湖を訪れているが、湖からの帰りはいづれもこの林道を通っているのだ。しかし、パークランドの正体は分かっていない。
 
 この付近の地名は大原と呼ぶらしいが、六合村は大原に別荘地を開発しようとしているとのこと。よってこのパークランドとは別荘地の名前だと思われる。
 
 2006年にこの林道を通った時は、大型のダンプカーが土煙を上げて走っていて、まだ別荘地は完成しているようには思われなかった。それにしても野反湖とは随分離れているのに、「野反湖」と冠したネーミングは、やや無理があるように思う。名前からすると、湖を眺める別荘を期待するが、野反湖は峠の向こう側である。
 
 分岐の近くに立つ「お知らせ」の看板には、「ここから9.2km間は連続雨量100mmに達した時 通行止になります 群馬県」とある。林道分岐の看板の「野反湖 あと5km」とは、峠直下が野反湖の上流部なので、ほとんど峠までの道程を表しているのだと思う。一方、お知らせ看板の9.2kmは、国道の終点、野反ダムの堰堤近辺までの距離のようだ。
 
峠への登り
 
 万沢林道を分岐した後、道は川筋から離れ、グングン登って行く。道は良くなり、センターラインのある二車線路の区間も暫く続く。センターラインがなくなった辺りから一段と登りがきつくなる。旧六合村、すなわち群馬県側に大きな眺めが広がる。野反峠は正確には県境の峠ではないが、群馬県と長野県・新潟県との境を形成する峰々に向かって登っていることには変わりない。
 

林道分岐以降 (撮影 2006.10.22)

ややきつい登りが始まる (撮影 2006.10.22)
 
道沿いからの群馬県側の眺め (撮影 2006.10.22)
 
 高度を上げると沿道の雑木林が途切れ、代わりに樹皮の白い白樺が目に付くようになる。稜線が見え出した山肌には、低い潅木以外に木々はなく、標高の高さを物語る。
 
 この先、峠を越えた向こうにある野反湖は、旧六合村の一大観光拠点の一つである。そこまで続く車道はこれ一本であり、なかなか走り良い観光道路に整備されている。峠からの眺めは別として、沿道から群馬県側に良い眺めが広がり、峠道としてはここ一番のクライマックスとなっている。車好きならドライブの楽しみを味わえる。

周囲に白樺 (撮影 2006.10.22)
 

峠直前 (撮影 2006.10.22)
左手に案内看板
 道の傾斜が緩くなり、前方に木々のないさっぱりした山肌が見え出すと、もう間もなく峠である。随分と広々とした景観だ。あまり峠らしくない。
 
 峠のピークに達する数100mほど手前から、いろいろな案内看板が道路の左手に出てくる。まず、「大型バス 駐車場入口」。次に左の写真にある看板が立つ(下に看板の拡大図)。峠と野反湖周辺の駐車場やトイレ、売店の案内だが、ここでは「富士見峠」と呼んでいて、「野反峠」ではない。ただ、「野反湖富士見峠」という記載方法は、数ある富士見峠とこの峠を区別する意味で、なかなか適した方法に思える。
 
 看板によると、峠を野反湖の湖畔に下った所に「展望台兼案内所」や「キャンプ場」があることになっている。峠から約5kmの道程だ。
 
看板の拡大図 (撮影 2006.10.22)
 
 駐車場などの案内看板の直ぐ先に、第1駐車場の入口があるが、なんとここには、「野反峠 P」と書かれた木製の立札がある(下の写真)。折角「富士見峠」かなと思っていると、「野反峠」でもあるようなので、結論が出ないのであった。
 
 左手の丘の上に休憩舎の建物が見えてきて、間もなく峠のピークだ。
 
第1駐車場入口 (撮影 2006.10.22)
ここには「野反峠」ともある
左手の丘の上には休憩舎が立つ
 
 
峠に到着
 
野反峠 (撮影 2006.10.22)
奥が野反湖方面
手前が旧六合村の中心地方向
 
 野反峠はあまりにも広い峠だ。車道が一応のピークを越えていて、その付近が峠であることは間違いないだろうが、周囲を見渡せば、ちょっとした草原の雰囲気である。時折、強い風が吹き抜ける。狭い切り通しの峠などとは、全く趣を異にする。
 
 実は、初めて野反湖を訪れた時(2004年)、ここが峠であるという認識が全くなかった。ただただ野反湖のキャンプ場を目指してジムニーを走らせていたので、この峠も素通りした。生憎、霧が出ていて視界が悪かったのも原因の一つだった。後になって道路地図を眺めていると、野反湖の手前に峠の記載があるではないか。二度目に訪れた時(2006年)は、しっかり峠を散策した。
 
 峠の車道から少し入った高台の上に、休憩舎がぽつんと一棟建っている。訪れた時は改修工事中らしく、足場が組んであった。前掲の看板には「野反湖富士見峠休憩舎」とあった筈が、肝心の休憩舎の入口には、「野反峠休憩舎 花の駅」とある。「野反湖富士見峠」を縮めて「野反峠」になった様な気がしてならない。
 

休憩舎遠景 (撮影 2006.10.22)
一見みすぼらしく見えるが、
工事中で足場が組んであるのだ

野反峠休憩舎 (撮影 2006.10.22)
 
 峠からは西に弁天山が、北東に八間山が見えているものと思う。それぞれに向けて峠から登山道が伸びている。
 

休憩舎近くから西方を眺める (撮影 2006.10.22)
三角形に尖っているのが弁天山(1653m)

休憩舎を背に峠方向を見る (撮影 2006.10.22)
車道が最高地点を通過している
峠の向こう、北東方向には八間山(1934.5m)
 
野反湖のこと
 
 開放的に開けた峠だが、一番の眺めは何と言っても野反湖である。峠の北側に湖の全景が見渡せる。車道からは少し休憩舎の近くまで歩いて来ないと眺められない。
 
 険しい山間部の多い旧六合村にとって、野反湖は観光の目玉である。元々は発電目的で昭和31年に竣工した野反ダムによって堰き止められてできた人工の湖だ。周囲は珍しい高山植物や動物の宝庫になっている。釣りやキャンプや登山などの行楽地である。
 
 それにしても、この地は群馬県と長野県・新潟県の境を成す稜線の頂上部だ。そこにこれだけの湖があるというのは、不思議な気がする。現在の野反湖は人工湖だが、かつてこの地には野反池と呼ばれる自然湖があったそうである。それだけ特異な地形をしている。

峠からの野反湖全景 (撮影 2006.10.22)
 
 特異と言えば、峠から眺める野反湖は稜線の長野県方面に広がる。しかし、まだ群馬県からは出ていないのだ。この峠まで登って来た方面は、白砂川の水系だ。白砂川を地図で追っかけてみると、吾妻川になり、ついで利根川になり、最終的に千葉県の銚子で太平洋に注ぐ。一方、野反湖は、ダムの堰堤下から千沢となって北へ下り県境を越え、途中、魚野川とも呼ばれて切明に達し、以後は中津川になって最終的に信濃川に注ぐ。大河信濃川は新潟県新潟市で日本海に出ている。野反峠は正しく日本列島を分ける一大分水嶺なのだ。夏期に貯めた湖の水で冬期は発電をするそうだが、その水で回るタービンは長野県の切明発電所にある。
 
 それなのに、野反湖は群馬県の旧六合村の地内にある。地形的には野反峠に県境が走っていても不思議ではない。何らかの政策的な思惑があったのだろうか。ただ言えるのは、野反湖へのアクセスは、群馬県側の方が優位である。野反ダムの堰堤から下流の切明までは、健脚向きの登山道があるだけである。湖周辺を観光資源として活用するのにも、六合村の所有であった方が良かったのだろうか。
 

峠に立つ湖周辺の登山道の案内図 (撮影 2006.10.22)
(画像をクリックすると地図の拡大図が見れます)
 峠の標高は1,561mである。湖の標高は1,514m。その差は僅かである。尚、湖の下流を1km弱下った所に県境の線が引かれているが、その標高は約1,450mである。
 
峠を野反湖へ下る
 
 峠からは湖の右岸に道が下っている。終点まであと僅かである。道は快適で時折左手に湖面が望める。夏季に限定してJRバスもここを通り、国道の終点まで運行しているそうだ。

野反湖への下り (撮影 2006.10.22)
 

野反湖へ (撮影 2006.10.22)

野反湖へ (撮影 2006.10.22)
 

湖の対岸にキャンプ場が見える (撮影 2006.10.22)
 ある程度道を下って来ると、対岸にキャンプ場が望める。下にあるダムの堰堤を渡り返し、左岸に少し回り込んだ位置にある。野反湖ロッヂや何棟かのバンガロー、キャンプサイトがあってなかなか広そうなキャンプ場だ。
 
 
野反湖展望台
 
 いよいよ国道の終点に到着する。そこには展望台や案内所などの施設があり、車が停められるようになっている。JRバスもここまで来るのだろう。東の駐車場の脇からは、白砂山への登山道が始まっている。白砂山はここより群馬・長野両県の境を東に行った所にある2,139.7mの山で、群馬、長野、新潟の3県の境となる。群馬と新潟の境には三国峠があるが、本当の3つの国の境はこの山だ。
 

野反湖展望台 (撮影 2006.10.22)
車道上を峠方向に見る

展望台から先の道 (撮影 2006.10.22)
車両通行止
 
 展望所の敷地の側らに白砂山への案内看板が立つが、そこには「池ノ峠 パーキング」という気に掛かることが書かれていた。「峠」の文字にはやたらと敏感なのだ。野反峠からここまで来る道沿いにあったことになる。確かに峠からここまで、一本調子の下りではなく、若干のアップダウンがあった。その部分が何らかの峠になっていたのだろうか。
 
 また、この近くの県境上の直ぐ東に地蔵山という山があるが、その西の肩の部分には、地蔵峠と呼ばれる峠があるようだ。昔、ここに野反池があった頃、この地を経て切明、秋山郷に人が通ったことがあるそうだ。池ノ峠とか地蔵峠とは、その当時の峠道に関係した峠名なのかもしれない。今は観光地化した野反湖周辺だが、山間に僅かな水を湛えた野反池を眺めならが、往時の旅人はどのような思いでこの峠を下って行ったのだろうか。あの秘境と呼ばれた秋山郷を目指して。
 

野反ダムへ下る道 (撮影 2006.10.22)
歩いて堰堤を目指す
 訪れた折り(10月22日)、展望台から先は車両通行止の看板が立っていた。側らの看板には、この先にある野反湖キャンプ場は10月10日をもって本年度の営業を終了したとある。ただ、キャンプ場が営業している時は、この先まで車が入れたか不確かである。
 
 初めて訪れた時は、8月の夏期休暇真っ最中で、キャンプ場も賑わっていた筈だが、キャンプサイトまで随分歩いた覚えがある。ここに来た目的は、道の終点まで行ってみたかったことと、一晩の野宿地を探してのことだった。野宿ではいつも車の直ぐ側らにテントを張る。シュラフやマットや食事道具と、荷物が多いからだ。ジムニーを降りて一先ずキャンプ場まで歩いて偵察したが、あまりにも遠いので、辟易して帰って来た。観光地には無縁とばかりに、そのままさっさと引き返し、万沢林道に入って中之条町との境の側らにある僅かな空き地で侘しい野宿をしたのだった。
 
 展望台から少し下ると野反ダムだ。展望台から眺めるより堰堤からの眺めの方が良い。キャンプ場まで行かなくとも、そこまでは行きたい。
 
野反ダム
 
 ダムの堰堤はそのまま車道の続きとなっていて、車でも渡れるようになっている。鉄筋コンクリートのロックフィル式のダムだ。湖面が近い。湖畔には釣り糸を垂れた釣り人がちらほら見掛けられる。湖面の向こうには野反峠がくっきりと望める。望遠を使えば休憩舎も写真に収められる。

野反ダムの堰堤 (撮影 2006.10.22)
堰堤を渡った先(キャンプ場がある側)
 

堰堤からの湖の眺め (撮影 2006.10.22)

望遠で峠を望む (撮影 2006.10.22)
休憩舎が建つ
 
 堰堤から下流側を眺めると、堰堤直下から一見道のような物が続いている。水路のようであった。今は湖に水を湛える時期だからであろうか、干上がっていて、少し下流になってから水が僅かに流れ始めていた。これが千沢となって行く行くは切明へと流れ下っているのだろう。
 
堰堤から下流を望む (撮影 2006.10.22)
直下に水路が見える
 
 沢はV字の谷底を流れ、その谷の先、距離で1kmにも届かない距離に長野県との県境があることになっている。道路地図によってはそこを野反峠と記しているものもある。車ではもうこれ以上先へは進めない。山を歩く者達だけの世界である。自分には手が届かないのが残念に思う。
 
 
津南から切明を目指す
 
 野反ダムから切明までの区間は、車ではどうしても行けないが、反対側の新潟県津南から切明までは、体力がなくても車で行けるのだ。野反湖は2回しか行ったことがないが、切明は4回も行っている。それには訳がある。
 
 切明は野反ダムから直線距離でも既に10km程離れていて、津南から切明まで峠道らしい風情はない。元々野反峠そのものの存在も分かっていなかったくらいで、長野県栄村切明と六合村入山が一つの峠道として繋がっていることなど、考えたこともなかった。切明までやって来たのは、峠道が目的ではなった。それは秋山郷であった。
 
 手元に古い観光ガイドの本が残っている。実業之日本社(昭和62年発行)のブルーガイドブックスの「佐渡・越後路」である。最近の観光ガイドの本がカラフルな彩りに満ち満ちているのに対し、このブルーガイドブックスは黒と薄茶色の2色刷りである。車の免許を取る前の時期、これを片手に電車とバスを乗り継ぎ、あちこち旅をしていた。さて、どこに行こうかと「佐渡・越後路」のページをめくっていると、一枚の白黒写真が目に止まった。「秘境ムードの屋敷集落」とある。それが秋山郷だった。
 
 最初の秋山郷は、途中の小赤沢までバスで行き、そこの旅館に泊まって帰って来た。終点の切明まで行きたかったが、時間の都合が許さなかった。バスの旅では思うように移動できないのが悔やまれた。それが、車に乗るようになってからは、自由に行動できる。それで無念を晴らすべくと、切明に4回、出掛ける結果となった。最近では今年(2011年)の真冬に、念願の雄川閣に泊ったのだった。
 
 新潟県津南町の中心を通る国道117号から北に国道405号が分岐している。交差点名は大割野。当然ながら、国道番号は群馬県側と同じである。以前は主要地方道・津南秋山長野原線で、新潟県内は860号、長野県に入ってからは42号の県道番号が振られていた。この付近は町役場も近く、津南町の中心街となっている。

国道117号上の大割野の交差点 (撮影 2011. 1. 3)
左に国道405号が分岐する
 

国道405号沿い (撮影 2011. 1. 3)
 国道405号に入ってからも暫く町並みは続くが、それを抜けると前方に山並みがそびえてくる。いよいよ中津川沿いに山に分け入って行く。道の様相が一挙に厳しくなってきた。冬期に訪れた時は、沢水を路面に引き込み、融雪を行っている箇所が何度か現れた。秘境、秋山郷へ通じる道としては、如何にもふさわしい感じを受ける。
 
 途中で何度か集落が現れる。しかし、集落と集落をつなぐ間の道はとても険しい。まだまだ切明まで相当の距離を残しているというのに、この先に集落があるのだろうかと思われるような道が現れる。雪の季節は尚更厳しい。
 
 細かく地図を確認したいなら、県別マップルが詳細でいいのだが、丁度新潟、長野、群馬の各県が入り組んだ地帯なので、どの県のマップルを見ていいのか、なかなか大変である。しかも、肝心な県境近くは掲載を省略されていることも多く、ナビ泣かせである。特に、長野県のマップルがいけない。中津川の上流域は長野県栄村に属しているのに、その部分がそっくり掲載されていないのだ。峠を愛する者にとって、辺ぴな県境付近こそ命である。町中は要らない。困ったものだ。
 

町並みを抜けた (撮影 2011. 1. 3)
前方に山並みがそびえる

険しい道が現れる (撮影 2011. 1. 3)
路面の雪を水が洗い流している
 
県境
 
 秋山郷とは、新潟県と長野県にまたがって中津川沿いに点在する小さな集落の集まりの総称だ。途中で新潟県から長野県に入る。ここまで来るだけでも、相当厳しい思いをするが、ここからが秋山郷の本領発揮となるのだ。
 
 冬場に訪れた時は、切明にある温泉保養センター雄川閣に泊る予定だったので、もう少しで日が暮れるという時間帯であった。しかも天候はやや崩れ気味で、ちらほらと雪も舞ってきた。不安を掻き立てる。
 
 しかし、道は概ね一本道で、間違える不安はない。前もって宿の方に道の状況を聞くと、スタッドレスの4輪駆動車で、ついでにチェーンを携帯すれば大丈夫とのお墨付きである。4輪駆動の軽自動車・パジェロミニに新品のスタッドレスタイヤを履かせ、まだ買って一度も使用していないチェーンを荷室に積んでの万全の旅となった。ただ、パジェロミニの所有者である妻は、4輪駆動のギヤの入れ方を知らない。私がハンドルを握ることとなった。

県境 (撮影 2011. 1. 3)
「ここより信州 秋山郷」とある
 

秋山郷案内図 (撮影 2002. 8.11)
切明にあったもの
(画像をクリックすると地図の拡大図が見れます)

秋山郷案内図 (撮影 2011. 1. 3)
和山との分岐に立っていたもの
(画像をクリックすると地図の拡大図が見れます)
 
 夏場に秋山郷を訪れると、道はそれなりに厳しいが、鳥甲山などの山々が眺められて、清々しい思いがする。長野県側に入ってからは、国道は中津川の右岸沿いを進むが、対岸の上の方にも切明まで道が通じる。冬期は通行止だが、そこからの秋山郷の眺めがすばらしい。

あれは鳥甲山? (撮影 2002. 8.11)
 
 中津川の左岸に通じる道より秋山郷を望む (撮影 1995. 8.19)
 
冬場の様子 (撮影 2011. 1. 4)
 

宿からの帰りは晴天に恵まれた (撮影 2011. 1. 4)
 私が普段運転するキャミはフルタイム4駆で、ギヤを切り替える必要はない。しかし、パジェロミニはセンターデファレンンシャルのないパートタイム4駆だ。これは厄介である。雪道だけなら4駆に入れたままでいいが、グリップの良い舗装路では、4駆のままだとカーブが曲がれない。
 
 こんなことはジムニーの時代にずっと経験してきたことだが、久しぶりに2駆と4駆に入れ替えをすることになって戸惑った。まず、ギヤのレバーを前と後ろのどちらに倒せばいいのか分からない。横にすわる妻に聞いても、一向に埒が明かない。レバーの所に書いてあるのだが、暗いし文字がかすれているしで、判読できない。特に近眼用のメガネを掛けているので、遠くは良く見えても、近くの文字は読みにくいのだ。
 
 やっとどちらに倒さば良いかが分かっても、暫くすると直ぐに忘れてしまう。ジムニーの時は身体で覚えていたが、今は頭で考えなければならない。雪の急坂があったかと思うと、その先でアスファルト路面が露出した急カーブが現れる。慌てて2駆に切り替えようとするが、倒すレバーの方向が、もう分からない。妻にしっかり覚えて置けと、八つ当たりしながらの走行となった。
 
 
和山付近
 

和山の集落 (撮影 2011. 1. 4)
 
 これまであまり4駆を使ったことがない車だったので、ギヤの入りや抜けも悪い。ちょっとしたアクセルワークを工夫しないと、4駆が抜けないこともしばしばだ。それも暫くするとギヤが馴染んできた。また、路面も雪一色になり、切り替える必要もなくなってきた。
 
 やっとどうにか調子が出てきたと思ったら、どうやら谷の方へ下りる道に迷い込んでしまった。明らかに進んでいる方向が違う。しかし、ナビをする妻はキョトンとするばかり。全くの方向音痴なのだ。加えて、携えてきた長野県の県別マップルには、この肝心な場所が書かれていない。日は暮れ掛かるし、雪は降り始めるし、道は分からなくなるしで、どうしようかと思った。
 
 とりあえず、明らかに国道と思しき所まで引き返し、どうにか道の修正ができた。これで安心かと思いきや、その直ぐ先で道が雪で埋まっているではないか。
 
 確かに道路地図には、国道405号は冬期通行止となるように記載されている。しかし、宿に事前に問い合せた時には、そんなことは何も言っていなかった。当然ながら宿まで国道が通じているものと思い込んでいた。
 
 どうやら冬期には国道に代わる迂回路があるらしい。最初に轍の跡に誘われて入った道がそのようだ。雪で行き止まった国道を引き返し、また谷へと下る道に分け入った。道路脇に除雪した雪で軽自動車でも狭苦しくなった細い道を進む。暗くなりかけて、もう写真を撮ることもできない。そもそもカメラを預る妻には、この期に及んでシャッターを切ろうなどという精神的余裕は皆無のようだ。
 
 後から調べると、その道は和山という集落を経由して、切明近くでまた国道の先に合流する枝道だった。とんだ人騒がせだった。

切明から和山の間の道 (撮影 2011. 1. 4)
宿からの帰りを和山方向に見る
 
 
野反峠への分岐
 
 和山経由の道は国道の先に合流し、そして切明へと下って行く。もうこの辺りは国道とは呼ばないのかも知れない。
 
 幾つかあるヘアピンカーブの途中で、左手に分岐する道がある。ゲートが閉じられていて入れない。林道のようにも見えるが、どこまで車が入れるか分からない寂れた道だ。
 

野反峠への分岐 (撮影 2002. 8.11)
カーブの上から見る

野反峠への分岐 (撮影 2011. 1. 4)
カーブの下から見る
 

上信越自然歩道の案内図 (撮影 2002. 8.11)
(画像をクリックすると拡大図が見れます)
 切明の宿の近くにあった上信越自然歩道の案内図(左の写真)には、その道の方向に「至野反湖」と書かれていた。野反峠から下って来ると、ここに出て来るのだろう。県境を越える壮大な峠道だが、ゲートで閉ざされた道は、寂しい限りだ。
 
 
切明
 
 分岐を過ぎ、もう数回カーブを曲がると、切明に到着する。この場所は峠方向から下って来た魚野川(中津川の上流部)と雑魚川(がこがわ)が合流する地点だ。ほぼ魚野川に沿って、温泉保養センター・雄川閣が建つ。他にも宿泊施設が幾つか周辺にあるようだ。
 
 夏ともなると、この山奥深い切明の地が観光客で賑わう。切明温泉は河原を掘ると温泉が湧くというので知られている。水着姿で入っている女性も見掛ける。
 
 雄川閣を左に見て過ぎると、その先で中津川を切明橋で渡る。冬期の除雪はその橋の手前までだった。ここまで、本当にたった一本の車道が細々と通じていたのだった。
 
 切明橋の先は雑魚川の左岸に沿う道で、秋山林道(雑魚川林道とも)となる。雑魚川の対岸に切明発電所が見える。魚野川と雑魚川が合流して中津川となって流れ下るこの渓谷は、冬場では寒々しい雰囲気に包まれる。山の中に閉じ込められた様な気分だ。
 

冬の雄川閣 (撮影 2011. 1. 4)
黄色いパジェロミニが一台と宿の車だけ

夏の雄川閣 (撮影 2002. 8.11)
多くの観光客が訪れている
 

中津川の上流方向 (撮影 2011. 1. 4)
切明橋上より見る
見えている橋を歩いて魚野川の左岸に渡ると、
温泉が湧くという河原に降りられる
冬期は危なくて行けない

魚野川 (撮影 2002. 8.11)
河原を掘ると温泉が湧くという
 
 雄川閣に宿泊した翌日は良く晴れた。食事前の散歩とばかりに、除雪されない切明橋を歩いて渡った。発電所近くまで車の轍が延びていたが、そこまでだった。周囲の雪の上には無数の動物の足跡がくっきり残っていた。今朝の未明には、この宿の近くにも野生動物が出没していたのだろう。
 

中津川に架かる切明橋 (撮影 2011. 1. 4)
雑魚川方向に見る
手前左方向は魚野川

中津川 (撮影 2011. 1. 4)
切明橋より下流方向に見る
 

雄川閣のロビー (撮影 2011. 1. 4)
今夜は貸切
 ところで、雄川閣はこれまで憧れの宿であった。山深いすばらしいロケーションで、しかも公共の宿ときては人気が高く、なかなか予約が取れない。そもそも、最初にバスで秋山郷を訪れた時も、雄川閣が希望だったが、叶わなかったのだ。冬場と言えども、混雑するのではないかと心配していたが、あっさり予約が取れて喜んでいた。
 
 パジェロミニを宿の駐車場に入れると、軽トラックと宿のワンボックスカーだけで、他に宿泊者の物らしい車が見当たらない。もう日が暮れるというのに、これからあの険しい雪道を皆さんはやって来るのだろうか。宿の中に入ると、ロビーは石油ストーブの暖房が効いているが、客の姿は見えない。
 
 カウンターで宿泊の手続きをしていると、係りの女性の方が、今夜は貸切ですと言う。これで全て納得した。どうも、私達の感覚は普通と違っているようだ。わざわざこんな真冬に、切明まで泊りに来る者は極めて少ないらしい。
 
 貸切をいいことに、夫婦で男湯に入った。湯温が低いとのことで、露天風呂が使えなかったのは残念であった。
 
  
 
 野反峠より、秋山郷に思いが行って、峠の旅だか何だか分からなくなった。しかし、何にしても旅はいいものだと思う、野反峠であった。
 
  
 
<走行日>
・(日付不明) 秋山林道経由で切明へ(ジムニー)
・1994. 8.11 群馬県六合村から野反峠へ(ジムニー)
・1995. 8.19 新潟県津南町から切明へ(ジムニー)
・2002. 8.11 秋山林道経由で切明へ(キャミ)
・2006.10.22 群馬県六合村から野反峠へ(キャミ)
・2011. 1. 3 新潟県津南町から切明へ(パジェロ・ミニ、切明温泉・雄川閣宿泊)
・2011. 1. 4 切明から新潟県津南町へ(雄川閣宿泊の帰り)
 
<参考資料>
・エスコート WideMap 関東甲信越 (1991年頃の発行)
・昭文社 関東 ツーリングマップ 1989年1月発行
・昭文社 ツーリングマップル 3 関東 1997年3月発行
・昭文社 ツーリングマップル 3 関東甲信越 2003年4月発行
・昭文社 県別マップル道路地図 群馬県 2006年2版15刷発行
・昭文社 県別マップル道路地図 長野県 2004年4月発行
・人文社 大きな字の地図 新潟県 2001年4月発行
・角川 地名大辞典 群馬県(「野反ダム」の項)
 
<制作 2011. 4.21><Copyright 蓑上誠一>
  
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