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山毛欅峠
  ぶなとうげ  (峠と旅 No.277)
  かつて道智上人が開いた道智通りと呼ばれる峠道
  (掲載 2017. 6. 3  最終峠走行 2012.11. 7)
   
   
   
山毛欅峠 (撮影 2012.11. 7)
手前は山形県西村山郡朝日町大字白倉
奥は同県同郡大江町大字柳川
道は林道地蔵峠線(あるいはブナ峠線?)
峠の標高は約715m (地形図の等高線より)
(上の画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
こちらは未舗装林道が通じる元の山毛欅峠
今はこの近くに完全舗装の大規模林道が通じ、新しい山毛欅峠が出現している
 
 
 
   

<山毛欅峠>
 この峠名の由来について正確なことは分からないが、概ねブナの木が関係しているものと想像できる。文献(角川日本地名大辞典)にも、峠の大江町側にある古寺鉱泉(こでらこうせん)付近はブナの原生林があると記している。
 
 今回の峠では慣例的に「山毛欅」という難しい漢字を用いることが多いようだ。しかし、地図によっては「ぶな峠」とか「ブナ峠」とも書かれる。本稿では「山毛欅峠」で統一しておく。

   

<その他のブナ峠(余談)>
 他にもこうしたブナの名が付く峠がある。 埼玉県の奥武蔵グリーンライン上にある峠は地形図では「ぶな峠」、 ツーリングマップ(1989年5月発行 昭文社)では「檥峠」などと出ていた。 奥武蔵グリーンラインは尾根上を走るスカイラインで、関八州見晴台などがある眺めのいい面白い道となっている。 何度か走っているが、残念ながら「檥峠」などの峠は単に横切るだけで、峠道方向に走った経験がない。
 
 岩手県の山田町内を走る国道45号にもブナ峠があるようだ。 一番最近では2009年1月1日に国道45号を北上したことがある。山田湾を写真に収めた後、峠部分の写真は撮っていなかった。快適な国道で、あまり峠道らしい味わいには欠ける。
 
 また、これまで掲載した峠の中にブナオ峠というのもあった。 「ブナ峠」ではないが、やはりブナの木に関係する峠名の様だ。

   

<所在>
 峠は山形県西村山郡(にしむらやまぐん)の大江町(おおえまち)大字柳川(やながわ)と朝日町(あさひまち)大字白倉(しらくら)との境にある。峠道はほぼ南北に通じ、北が大江町側、南が朝日町側となる。
 
 ただ、文献などでは「大江町古寺地区と朝日町大字立木を結ぶ」峠としている。
 
 峠を北の大江町に降り立つと、その部分だけ大字貫見(ぬくみ)の古寺(こでら)となる。本来の貫見は古寺より東流する月布川(つきぬのがわ)のもっと下流に位置する。古寺の周囲は全て大字柳川だ。古寺だけ貫見の「飛び地」となっているらしい。
 
 峠を南の朝日町に降り立つと、朝日川(あさひがわ)が東流している。その左岸(北側)までは大字白倉だが、右岸(南側)が大字立木(たてき)となる。立木には木川(きがわ)地区がある。
 
 峠を挟んだ前後で人家があったのが、大江町の古寺地区と朝日町の木川地区となるようだ。山毛欅峠はこれらの集落を結ぶ峠道であったようだ。

   

<地形図(参考)>
国土地理院地形図 にリンクします。
   


(上の地図はマウスによる拡大・縮小、移動ができるようです)
   

<水系>
 大江町側の月布川(つきぬのがわ)も朝日町側の朝日川(あさひがわ)も、どちらも最上川の一次支流となる。朝日川の方が最上川上流部に位置する。山毛欅峠は隣り合う最上川支流の奥深くで両水域を繋いでいる峠となる。

   

<道智通り>
 現在、山毛欅峠には未舗装の林道が細々と通じる。ただでさえ山深い上に、近年その脇に快適な大規模林道が通じてしまった。旧道の身となった山毛欅峠を通行する者はほとんどいない。
 
 しかし、そんな山毛欅峠もかつて年間1万人もの人々が越えた時代があったという。 置賜(おきたま)地方から出羽三山(月山・羽黒山・湯殿山)へと向かう行者たちである。この街道は応永年間(1394年〜1427年)に道智(どうち)上人(しょうにん)が開いたものとされ、「道智通り」(どうちどおり)と呼ばれる。

   

<道智通りの道筋>
 道智通りはいくつかあるようで、山毛欅峠を通る道筋はその一つとなる。 置賜地方の黒鴨(くろかも、現白鷹町)から茎ノ峰(峯)峠(くきのみね)を越えて朝日町の木川(きがわ)に至り、山毛欅峠で古寺(こでら)に出る。 更に地蔵峠を越えて寒河江(さがえ)川上流の根子(ねこ、現西川町)に出て、川沿いに約4km下って大井沢の中村に至る。 この地蔵峠については既に掲載済みだ。
 
<茎ノ峰峠>
 一方、茎ノ峰峠は茎ノ峯峠で現在も地形図に掲載が見られる。 白鷹町(しらたかまち)を流れる最上川一次支流・実淵川の中流域より峠を越え、タバネ沢から木川(きがわ)沢沿いに下って本流の朝日川沿いに出ている。 木川沢が注ぎ込む所は現在昭和33年に完成した木川ダム(きがわだむ)がある。地図を見る限り、茎ノ峰峠には車道が通じているのかどうか微妙である。 この峠の標高は文献では825mとなっているが、現在の地形図では830mを少し超えている。
 
<愛染峠>
 尚、実淵川の上流部へは黒鴨林道が延び、愛染峠を越えて朝日鉱泉経由で木川に至っている。茎ノ峰峠の後継が愛染峠と言えそうだ。
 
<大井沢峠(余談)>
 道智通りの別の道筋には大井沢峠(おおいさわとうげ)がある。月布川下流の左沢(あてらざわ)より川沿いを遡り、中流域から大井沢峠を越えて寒河江川沿いに至る。ほぼ現在の県道(主要地方道)27号・大江西川線に相当するが、峠部分は大井沢トンネルが開通している。大井沢峠は湯殿山などへの参詣道としてだけでなく、左沢と大井沢とを結ぶ物資輸送の峠道でもあったようだ。
 
<大井沢への最短路>
 一方、茎ノ峰峠・山毛欅峠・地蔵峠と次々と峠を越える道筋は、黒鴨からほぼ一直線に大井沢へと向かっている。なるべく最短にと道が切り開かれたようだ。 その為には実淵川・朝日川・月布川・寒河江川と最上川の支流を幾つも渡り歩くことを厭わなかったようである。 関東方面からの行者も、日光(栃木県)・会津(福島県)と経由し、黒鴨からこの道筋を利用したそうだ。

   

<道智通りの経緯>
 道智通りは貞享(じょうきょう)3年(1686年)に道路が改修されてから通行する行者の数が増加したそうだ。多い年には1万8千人に達したとも伝わる。
 
 出羽三山行者の通行は大正初期まで続いたとのこと。しかし、明治後半からは鉄道の利用が始まる。また、自動車の発達も関係したことだろう。 現在、最上川本流沿いに国道287号が通じ、続いて寒河江川沿いには国道112号が通じる。距離は長いが、一つの峠も越えずに置賜地方から湯殿山・月山へと向かうことができるのだ。 人の足でしか越えられない険しい峠道より、自動車が通行できる道路の方が便利な世になって行った。こうしてかつての道智通りが廃れると、山毛欅峠も利用されなくなっていったそうだ。

   
   
   
古寺より峠へ 
   

<古寺>
 古寺(こでら)は地蔵峠の大江町側の起点でもあり、地蔵峠のページで少し触れた。 文献によると、貫見村(ぬくみむら)の八郎兵衛が享保17年(1732年)頃に字古寺山に新田を開発したそうで、その「字古寺山」が今の古寺地区に相当するのではないかと思う。 貫見の村民が開拓した地なので、古寺は貫見の飛び地として扱われたのではないだろうか。
 
 また、「昭和10年頃営林署が採伐製品事業のため大字柳川から月布川沿いに森林軌道を敷設し、さらに官行製炭事業が推進されると字古寺山は世帯27・人口187を数え、同14年七軒東部小学校分教場が設置されたが、同34年には世帯7・人口40となった」とも記されている。七軒東部小学校分教場と同一のものか分からないが、七軒西小学校古寺分校というのがあり、それが昭和49年に閉校となっているとのこと。旧校舎は「県朝日少年自然の家」の分館となったともあるが、今はそれらしき建物は見当たらない。
 
 衰退の一途を辿った古寺地区であったようだが、それでも数軒の人家が見られた(2012年11月現在)。ただ、冬期は深い雪で道路が途絶する厳しい地であり、通年で人が常住しているかどうかは疑問だ。

   
古寺集落 (撮影 2012.11. 7)
大規模林道上より山毛欅峠方向に見る
   

<古寺への道/田の沢林道>
 当初、古寺への交通路は森林軌道に頼っていたようだが、昭和39年に田の沢林道が開通し、同40年には森林軌道は撤去されたそうだ。 この「田の沢林道」というのがはっきりしないが、現在の県道27号沿いに「田の沢」の地名が見られる。 想像するに、大井沢トンネル開通以前、地蔵峠を経由していた頃の県道27号の前身が田の沢林道ではないかったか。

   
広々とした古寺緑地休養施設 (撮影 2012.11. 7)
かつては多くの人家や田畑がここにあったのだろう
   

<地蔵峠林道>
 尚、地蔵峠辺りから古寺〜山毛欅峠と通る林道を地蔵峠林道とも呼んだようだ。県道27号・大江西川線の変遷などとも関わり、その道の範囲は不明だ。田の沢林道との区分けも分からない。ただ、古寺の地に初期の頃に通じた貴重な車道であったことは確かだろう。

   

<大規模林道>
 そして現在、地蔵峠を起点に古寺を通り、朝日川沿いの木川に至る大規模林道が通じている。地蔵峠から古寺のある大江町方向を見ると、その看板が立っている(下の写真)。 名称は「大規模林道 真室川・小国線 大江・朝日区間」とある。少なくともこの大江・朝日区間は完全な2車線舗装路となる林道だ。 開通年は不明だが、初めて地蔵峠を訪れた1994年8月には既に真新しい道が出来上がっていた。

   

地蔵峠より古寺方向を見る (撮影 2012.11. 7)

大規模林道の看板が立つ (撮影 2012.11. 7)
   

<古寺から峠へ>
 古寺集落内には一本、立派な大規模林道が通じる。もうかつての田の沢林道だか地蔵峠林道だかの痕跡は見られない。側らに古寺緑地休養施設と呼ばれる広々とした空き地が広がる。古寺が林業で栄えた頃の面影も失われたようだ。
 
 集落の南の外れに来ると、まず右(西方)に古寺鉱泉へと通じる道が分岐する。月布川の上流部は古寺川(こでらがわ)と呼ばれるが、その古寺川沿いに遡ること約3kmに古寺鉱泉があるようだ。途中まで車道が通じる。新潟県との県境付近に連なる朝日山地への登山口ともなる。
 
 次に左(東方)へと月布川右岸沿いに下る道が分岐する。入口に「神通峡」(じんつうきょう)と書かれた案内看板などが立つ。車道は途中で途絶えているようだ。

   
左に神通峡への道が分岐 (撮影 2012.11. 7)
   

神通峡入口 (撮影 2012.11. 7)

<月布川沿いの道>
 月布川には大小の滝がかかり、秋の紅葉時は特に美しいとのこと。それが神通峡と呼ばれるようだ。
 
 ただ、それだけ月布川が険しい渓谷であるとも言える。月布川沿いに車道が開削できていれば、峠越え無しで古寺と柳川の中心地とが繋がる。 古寺への初期の交通路であった森林軌道は月布川沿いに通じていたようだが、田の沢林道はこの川沿いには通じなかった。 月布川左岸から一度西川町側に下り、改めて地蔵峠を越えて月布川上流部に戻って来たようだ。古寺の地が険しい立地にあることを思い知らされる。

   

<西俣沢沿い>
 神通峡への道を分けると、道ははっきり登りだす。地図を見ると、まずは月布川の支流・西俣沢沿いに山毛欅峠を目指すようだ。
 
 月布川(古寺川)の源流は朝日山地の小朝日岳と鳥原山との間の鞍部となる。その方向の車道は古寺鉱泉の手前で途切れている。山毛欅峠は支流・西俣沢沿いと言えども、月布川最奥を越える車道の峠となる。


峠への登り (撮影 2012.11. 7)
   

沿道の景色 (撮影 2012.11. 7)

<雨模様(余談)>
 山毛欅峠を越えるのは今回で3回目である。過去2回は暑い真夏の8月だったが天候には恵まれた。今回は11月初旬の晩秋から初冬にかけてのいい時期なのだが、生憎の雨模様である。時々、雨脚が強くなる。車の窓越しから写す写真も雨粒でうまく撮れない。
 
 それでも、落葉樹のやや遅い紅葉と常緑樹の鮮やかな緑色がコントラストを成し、なかなか楽しい景色を味わせてくれている。

   

<西俣沢左岸へ>
 道は最初西俣沢右岸沿いに登るが、途中から左岸へと移る。後で地図を確認すると、大規模林道が通じる前の地蔵峠林道は、ずっと右岸沿いに登って行ったようだ。どこかに旧道の痕跡があったのかもしれないが、見落としていた。これも雨のせいかもしれない。

   
沿道の様子 (撮影 2012.11. 7)
西俣沢左岸沿い
   

<サカサ沢左岸>
 道は峠までの1/3程を登ると、西俣沢を右岸へと戻り、その先支流のサカサ沢左岸沿いに進みだす。道に暗さはないが、視界は広がらない。

   

道の様子 (撮影 2012.11. 7)

道の様子 (撮影 2012.11. 7)
   

<水源かん養保安林の看板>
 サカサ沢を上り詰めた辺りで、道路脇に水源かん養保安林の看板が立つ。そこに載っている地図が役に立つので、大抵写真に撮ることとしている。この「サカサ沢」という川の名も、実はこの看板から仕入れたものだ。


サカサ沢沿いに登る (撮影 2012.11. 7)
   

正面に水源かん養保安林の看板が立つ (撮影 2012.11. 7)

水源かん養保安林の看板 (撮影 2012.11. 7)
   

<看板の地図>
 地図は下がほぼ北となっていて、現地では見易い方向なのだが、後で地形図などと見比べる時には、非常に見難い。
 
 看板の設置は平成17年度(2005年度)と比較的新しく、描かれている道筋は旧林道ではなく、現在の大規模林道となる。地図の中央に古寺川が流れている。 大規模林道から分かれて金山沢林道が通じるのが支流の西俣沢の筈だが、「西俣沢」の記述はない。上流部に金山沢がある。 大規模林道の現在地はサカサ沢沿いにあることが分かる。大規模林道が朝日町へと越える峠(山毛欅峠)は、更にサカサ沢から離れ、その右岸上部にあることになる。 峠まで後僅かだ。


水源かん養保安林の地図 (撮影 2012.11. 7)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   

<峠直前>
 水源かん養保安林の看板の前を過ぎると、直ぐにサカサ沢を右岸へと渡り、道は緩やかに右にカーブしながら登る。それまで道の左手に谷があったのが、ここからは右手に移る。

   
道の様子 (撮影 2012.11. 7)
サカサ沢右岸
   

峠直前 (撮影 2012.11. 7)

<掲載の理由(余談)>
 写真には撮れていないが、峠までの間に左手に分かれる道がある。朝日町白倉にある「Asahi自然観」方面から延びて来ている林道だ。 つい最近、その道を通った方からメールを頂き、険しいながらも繋がっていることを知った。夜間に走行して古寺に着き、仮眠後、朝日山地の登山を敢行したそうだ。 私より年配者である。感心することしきり。
 
 今回、この山毛欅峠を掲載しようと思ったのはこのメールが切っ掛けであった。地蔵峠・愛染峠と掲載し、その中間にある山毛欅峠を残しておくのも何である。峠としてそれ程魅了がある訳ではないが、大規模林道の陰に細々と残る旧峠の様子を残しておこうと思った。

   
   
   
 
   

<分岐>
 大規模林道が峠に差し掛かる直前、左手に未舗装の細い道が分岐する。何の看板もないが、そちらが元の地蔵峠林道が越えていた山毛欅峠に通じる道だ。

   
峠直前の分岐 (撮影 2012.11. 7)
左が旧道、右が大規模林道の峠
   

<新山毛欅峠>
 山毛欅峠に新しく通じた大規模林道は、峠部分から朝日町側の上部に掛けて、大きく道のコースを変えた。大規模林道が越える新しい峠は非常になだらかで空も大きく開けている。 過去に2回通ったが、ほとんど峠という気がしなかった。写真も撮らずに通過してしまったようだ。それでも大江町と朝日町との町境を越える峠に違いはない。 古くからある山毛欅峠に対し、「新山毛欅峠」とでも呼ぶべき存在だ。

   
大規模林道の峠 (撮影 2012.11. 7)
大江町側から見る
新山毛欅峠とも呼ぶべきか
   

大規模林道から分かれた旧道 (撮影 2012.11. 7)

<旧道へ>
 今回は気まぐれに旧道を走ってみることにした。一応、妻に了解を得てから、パジェロ・ミニを林道に乗り入れる。旧道区間は距離で2.5km程だ。どんな道が待っていることやら。
 
 まずは走り易そうな土の道が続く。100mくらいで道が鋭くカーブし、その先が峠の切通しとなった。 カーブの脇に車を停められるスペースがあったのでそこに駐車、徒歩で峠を散策することとした。停めた車の背後はちょっとした草地の丘になっていて、その向こう側が大規模林道の通る峠に当たる。

   

カーブの脇に車を停める (撮影 2012.11. 7)

大規模林道方向を見る (撮影 2012.11. 7)
   
峠方向より車の駐車場所を見る (撮影 2012.11. 7)
   

<峠の様子>
 大規模林道の峠がほぼ南北に通じるのに対し、旧道の峠はそれとは直角の東西方向に通じる。峠が位置する峰は小規模ながらもしっかりとした鞍部となり、峠は浅い切通しとなっている。 道は比較的長い直線路となる。どういう訳か、峠の北側には落葉樹が多く、南側は常緑樹が多い。道の左右で黄色と緑に色分けされているかのようだった。

   
山毛欅峠 (撮影 2012.11. 7)
手前が大江町(西側)、奥が朝日町(東側)
(上の画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   

<標柱>
 峠の境界部分に、何かないかと探すが、何もない。僅かに小さな標柱が草に埋もれるようにして一本立ち、大江町側から見ると「四七林班」、朝日町側からは「三六林班」と書かれているだけだった。

   

47林班 (撮影 2012.11. 7)

36林班 (撮影 2012.11. 7)
   

<峠の朝日町側>
 峠の朝日町側は、切通しの直線部分が終わると道の両側の木々が途切れ、同時に左カーブしながら急に下りだす。比較的落葉樹が多いようだ。 樹木について詳しくないが、ブナの木は落葉広葉樹で黄色く色付くとのこと。写真の中にも峠名の由来となったブナの木が写っているのかもしれない。

   

峠の朝日町側 (撮影 2012.11. 7)
左にカーブしながら下りだす

峠の朝日町側 (撮影 2012.11. 7)
左の写真の先
   

<道智通りの山毛欅峠>
 峠に石碑でもあれば、ここがかつて道智通りと呼ばれた山毛欅峠と確信できるが、今は単に古い林道の峠としか見えない。しかし、地形図上に示された山毛欅峠は正にこの場所を指している。 峰の鞍部の具合も峠として申し分ない。林道の開削で道幅が広げられ、切通しもやや深くなっているかもしれないが、この道の上を年に1万にもの人々が通行したという山毛欅峠であろう。 現在の快適な大規模林道の新山毛欅峠の交通量など、到底及びもしない。
 
<標高>
 文献では山毛欅峠の標高を730mと記している。果して古い山毛欅峠の標高か林道開通後のものかは分からない。現在の地形図では710mと720mの等高線の間に道が通じている。そこで約715mとした。
 
 峠の南に続く稜線上に731mのピークが見られる。いくらかつての山毛欅峠が今の車道より高かったとしても、このピークよりはずっと低かった筈だ。文献が示す730mは以前の標高の測量方法によるものと思う。峠の標高は今も昔もそれ程変わりないのではないか。

   
   
   
峠より朝日町側へ 
   

<険しい地形>
 山毛欅峠の朝日町側直下は地形が険しい。大規模林道がこのコースを避けたのもうなづける。当然ながら道も急勾配でカーブも多い。路面もやや荒れがちだ。
 
<余談>
 車はパジェロ・ミニなので、この程度の未舗装路は全く問題ないのだが、運転している人間の方がもたなくなってきている。 運転技量がどうのこうのではなく、精神力の面で問題なのだ。この先どんな怖い道が現れるかと、ビクビクしながら運転することとなる。神経がすり減って、へとへとになってしまうのだ。


やや険しい道 (撮影 2012.11. 7)
   

 その点、最近は妻と私の立場が逆転し始めている。私が怖気(おじけ)づいて引き返そうかというような時も、妻は行ける所まで行こうと頑張ってくれたりする。これも歳の差が16もあるメリットだろうか。妻を頼りに、もう少し林道走行が出来そうだ。
 
 路面には落葉が堆積し、両側は木々に囲まれ視界がない。ただただ、慎重に車を進める。

   
道の様子 (撮影 2012.11. 7)
   

<ブナ峠林道>
 600m余り下ると、カーブの所に分岐がある。角に「ブナ峠 林道」と標柱が立つ。北へと登る方向に分岐する林道は、地図上ではAsahi自然観方面へと延びている。前述のメールを頂いた方は、最初この道を来ようとして、途中で通行不能となったようだ。
 
 ところで、標柱の「ブナ峠林道」がどれを指すのか分からない。「ブナ峠」というからには今回の山毛欅峠を越える道を指すのだろうか。あるいはここより分岐し、Asahi自然観へと延びる道か。

   

分岐に立つ標柱 (撮影 2012.11. 7)

「ブナ峠 林道」とある (撮影 2012.11. 7)
   

<地蔵峠林道>
 大規模林道やAsahi自然観方面と繋ぐ林道ができる以前、地蔵峠で県道27号と別れ、古寺・山毛欅峠を経由し、朝日川沿い木川に至る細い単線の道が一本だけ、ツーリングマップに描かれていた。 これを地蔵峠林道と理解していた。その後、大規模林道が通じ、この路線のほとんどが付け替えられた。かつての地蔵峠林道は山毛欅峠前後から朝日町側に下る部分だけに残る。 地蔵峠を通らない地蔵峠林道では名称がちょっとおかしい。そこで、「ブナ峠林道」と名を変えたのかとも思った。
 
 道は下るに従いやや安定して来た。そんなに恐ろしい箇所はなさそうな雰囲気である。

   

道の様子 (撮影 2012.11. 7)
やや落ち着きが出て来た

道の様子 (撮影 2012.11. 7)
落葉の堆積は多く、さびれた感じはする
   

川の流れが見えて来る (撮影 2012.11. 7)

<川沿い>
 道は概ね南に下る谷沿いに通じる。車道だからこそ、こうクネクネと曲がるのだろうが、道智通りと呼ばれた頃の峠道は、もっと真っ直ぐ下っていたことだろう。
 
 旧道区間を2/3程下ると、しっかり川沿いになる。道は谷の右岸側に通じ、左手に川の流れが見え隠れする。この川は朝日川の支流・大沢の更に支流の名も知らぬ川である。

   

<材木>
 これまで何もなかった沿道に、材木が積まれていた。近くに枝道が分かれていたが、如何にも木材搬出の為の作業道という荒々しさだった。入口には丸太が一本敷かれ、通行止の役割を担っていた。
 
 大規模林道が通じた今、山毛欅峠の旧道は単に通過するだけの意味は消えた。こうして林業関係で利用されるばかりの様だ。


脇に材木が積まれている (撮影 2012.11. 7)
   
枝道が分かれる (撮影 2012.11. 7)
   

<周辺の様子>
 しっかり川沿いになると、谷もやや広がったようだ。道の左右方向には相変わらず視界は広がらないが、時折前方が見通せるようになる。朝日川本流沿いの山並みだろうか。

   
前方が見通せる (撮影 2012.11. 7)
   

「大倉山歩道入口」の標柱が立つ (撮影 2012.11. 7)

<大倉山歩道入口>
 道路脇から登山道が始まっていた。標柱には「大倉山歩道入口」とあったようだ。しかし、地形図などを見ても、その大倉山という山が見当たらない。近くに六郎山(628m)というのはあるが。

   

<道の様子>
 川沿いになっても、時折急なカーブが待っている。川の流れはまだ急だ。
 
 
 また木材が多数並んでいた。その先に石で入口を塞がれた作業道が分岐していた。この様子からして、あまり林業も盛んなようではない。


道の様子 (撮影 2012.11. 7)
   

木材 (撮影 2012.11. 7)

作業道 (撮影 2012.11. 7)
   
   
   
大規模林道に接続 
   

大規模林道に接続 (撮影 2012.11. 7)

<大規模林道に接続>
 目の前に立派な舗装路が突然横たわる。別コースでやって来た大規模林道・真室川・小国線だ。山毛欅峠を下って来た旧道はその道にほぼ直角に交わっている。

   
大規模林道から旧道を峠方向に見る (撮影 2012.11. 7)
   

<大規模林道>
 山毛欅峠の旧道をバイパスする大規模林道の区間に関しては、一枚の写真も撮っていなかった。快適なばかりの道だったようだ。大沢の上流部は大石沢というらしいが、大規模林道はそちらを迂回して下って来ている。

   

大規模林道を新山毛欅峠方向に見る (撮影 2012.11. 7)

大規模林道を木川方向に見る (撮影 2012.11. 7)
直ぐに山毛欅峠から流れ下って来た大沢の支流を渡る
   

<道智通りの道筋>
 林道が開削されてしまった今では、かつての道智通りの痕跡など全く分からない。しかし、昔の道は概ね川筋に沿って細々と通じていた。 舗装された大規模林道から分かれ、峠から流れ下る川に寄り添って登って行く未舗装路の様子は、間違いなくここを出羽三山の行者が歩いて山毛欅峠へと向かったのではないかと思わせる。

   
山毛欅峠に向かう旧道方向を見る (撮影 2012.11. 7)
右手の川に沿って遡る
   

<林道標柱>
 大規模林道からの旧道入口には、標柱・看板などが並ぶ。「一般通行禁止」という嫌な文字も見られる。この旧道には大江町側から入った方が良心の呵責に悩まずに済むようだ。
 
 元の地蔵峠林道は朝日川沿いの木川まで通じていたのだろうが、ここから木川までは大規模林道に付け替えられている。そのせいか、「地蔵峠林道」の標柱が旧道入口に立つ。それにしても「ブナ峠林道」という名称が気に掛かる。

   

林道標柱などが立つ (撮影 2012.11. 7)
「地蔵峠林道」、「ゴミ捨禁止」、「一般通行禁止」などとある

林道標柱 (撮影 2012.11. 7)
   
   
   
大沢沿いの大規模林道 
   

大沢沿いの大規模林道 (撮影 2012.11. 7)

<大沢沿い>
 旧道を合わせた大規模林道は、直ぐに大沢の支流を渡って大沢左岸沿いに下る。谷間は一段と広くなり、見通しが良くなった。

   

 前方には朝日川本流の谷間の峰も見えだしてくる。地蔵峠・山毛欅峠と越えて来た道智通りだが、まだこの先に越えなければならない峰が待っているのだ。
 
 大沢沿いの大規模林道はほとんど直線状に進む。距離も1km少々と少しなので、車なら2分程で走り切ってしまう。地蔵峠林道の旧道区間とは大違いだ。


道の様子 (撮影 2012.11. 7)
   

道の様子 (撮影 2012.11. 7)

道の様子 (撮影 2012.11. 7)
   

この先で県道289号に接続 (撮影 2012.11. 7)

<県道289号に接続>
 すると前方にT字路が見えて来る。朝日川沿いに通じる県道289号・白滝宮宿線へと接続する。

   
県道289号への接続部 (撮影 2012.11. 7)
右手に大規模林道案内図の看板が立つ
   

<林道看板>
 県道側から大規模林道方向を見ると、地蔵峠にあった物と同じ看板が立つ。「大規模林道 真室川・小国線 大江・朝日区間」と書かれている。大江・朝日区間の最初と最後にこの看板が立つようだ。


県道289号への接続部の様子 (撮影 2012.11. 7)
角に立つ道路情報板には何も記されていなかった
   
県道289号側から大規模林道方向を見る (撮影 2012.11. 7)
大規模林道の看板が立つ
   

大規模林道案内図が立つ (撮影 2012.11. 7)

<大規模林道案内図>
 また、道路脇に「大規模林道案内図」と題した看板も立つ。この大規模林道に関しては、沿道に情報源となる看板類がほとんどなく、この案内図は貴重だ。 しかし、非常にさっぱりした地図で、元の山毛欅峠を越える旧道などはあっさり省略されている。更に、大規模林道上に「山毛欅峠」と記されている。 由緒ある峠名をちゃっかり拝借してしまっているのだ。繰り返すようだが、本来は新山毛欅峠とでもいうべきところである。

   

 案内図では現在地は「木川」となっている。朝日町大字立木(たてき)の木川(きがわ)である。ここよりいろいろな地点までの距離が記載されている。 例えば、柳川までは21Kmとなっているが、そのルートは地蔵峠から大頭森山(984m)の南麓を通っているようだ。現在は大頭森山の北麓の下に大井沢トンネルが開通している。 このトンネル開通が1986年のようなので、大規模林道開通はそれより前なのだろうか。


大規模林道案内図 (撮影 2012.11. 7)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   

<県道289号の様子(余談)>
 愛染峠のページでも記述したが、木川付近の県道289号はほとんど1車線くらいの幅しかない寂しい道だ。 初めてここを訪れたのは1994年8月のことで、大規模林道の方の山毛欅峠を越えて来た。かつて町道朝日線と呼ばれたその道は、まだ一部に未舗装区間を残す状態だった。 支流沿いの大規模林道よりも朝日川本流沿いの本線ともなる県道の方がずっと寂れていることに驚いた。逆に、山中に通じる大規模林道のあの立派さの方が異様なのかもしれない。

   

県道289号を白滝方向に見る (撮影 2012.11. 7)

県道289号を宮宿方向に見る (撮影 2012.11. 7)
   

<朝日川最奥の峠(余談)>
 現在、県道289号は終点の白滝まで一応舗装済みのようだ。本来はその先、朝日川のより上流部で愛染峠を越え、白鷹町黒鴨へと道は通じる。しかし、ほとんどこの峠は通り抜けできないようだ。1994年に訪れた折りも右の通行止の看板が立っていた。
 
 しかし、通れないからと言っても一応車道の峠が存在する。月布川水域では山毛欅峠が最奥の車道の峠と言えたが、朝日川水域の最奥は愛染峠となるようだ。


以前立っていた通行止看板 (撮影 1994. 8.18)
朝日鉱泉の先が通行止
地図は概ね下が北
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   

白滝へ向かう県道289号が大沢を渡る (撮影 2012.11. 7)
この橋の袂より地蔵峠林道が分岐していたようだ

<大沢に架かる橋(余談)>
 些細なことだが、大規模林道の分岐より県道を白滝方面に進むと、直ぐに大沢を渡る。元の山毛欅峠を越えていた林道(地蔵峠林道)はその橋の袂で県道に接続していた。 大規模林道などが通じる前の古いツーリングマップではそのように描かれている。より川に沿って道が通じていた証拠だ。

   

県道上から大規模林道を望む (撮影 2012.11. 7)
上に白いガードレールが通じる
(大沢に架かる橋より宮宿方向に見る)

県道上から大規模林道を望む (撮影 2012.11. 7)
(宮宿方向に見る)
   

<木川(余談)>
 大沢の合流点から500m程下流の対岸に木川沢が注ぎ込む。かつての道智通りはこの木川沢沿いに遡って茎ノ峰峠に至っていたものと思う。今も地形図には木川沢沿いに点線表記の徒歩道が描かれている。
 
 茎ノ峰峠から山毛欅峠に至る中継地が木川集落であった。その場所は木川沢から大沢にかけての朝日川沿いであろう。 大規模林道が合流した地点から少し下流側の県道沿いに、古いツーリングマップや現在の地形図にも僅かながら建物の記載がある。しかし、実際はもう民家などなかったようだ。 文献でも大字立木の木川・一ノ沢・荒沢といった集落は姿を消したと記述している。木川付近の朝日川は渓谷の様に厳しい様相だ。 また、下流にできた木川ダムも木川集落消滅に関係しているのかもしれない。

   
   
   

 古寺〜木川間の大規模林道は7Km程で、この快適な道路を使えば車で10分程でしかない。しかし、古寺や木川は最上川支流の最奥にあり、冬期は3mを超える積雪が襲う。 外界との自動車交通も途絶し、冬の生活が厳しい地だ。その古寺と木川の集落を繋いだ山毛欅峠は、かつて道智通りとして出羽三山への多くの行者や参詣者が通行した。 大規模林道から道をそれ、ちょっと旧道に立ち寄ると、かすかながらも往時の名残を留める山毛欅峠が寂れている。 時代の流れと共に薄れ行く歴史の記憶に寄り添い、大規模林道の陰でひっそり佇む、山毛欅峠であった。

   
   
   

<走行日>
・1994. 8.18 大江町→朝日町 (新山毛欅峠) ジムニーにて
・1995. 8.17 朝日町→大江町 (新山毛欅峠) ジムニーにて
・2012.11. 7 大江町→朝日町 (旧山毛欅峠) パジェロ・ミニにて
 
<参考資料>
・角川日本地名大辞典  6 山形県 昭和56年12月 8日発行 角川書店
・角川日本地名大辞典のオンライン版(JLogos)
・東北 2輪車 ツーリングマップ 1989年5月発行 昭文社
・ツーリングマップル 2 東北 1997年3月発行 昭文社
・その他、一般の道路地図など
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒  資料

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