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八丁峠
はっちょうとうげ   (峠と旅 No.203)
 伐採が行われて見晴らしが良く なった林道の峠道
 (初掲載 2012.11 23  最終峠走行 2012. 9.13)
    
  
    
八丁峠 (撮影 1992. 9. 5)
車道の峠は八丁隧道になっている
見えている坑口は埼玉県秩父市中津川
(な かつがわ)側
(旧秩父郡大滝村大字中津川字小倉沢(おぐらさわ)側)

隧道の反対側は埼玉県秩父郡小鹿野町(おがのまち)大字河原沢(かわらさわ)
道は林道金山志賀坂線(一部は県道210号・中津川三峰口停車場線)
峠(隧道)の標高は1,230〜1,250m
(国土地理院の1/25,000地形図より読む)
約20年前の八丁隧道だが、
旧大滝村側の坑口の様子は現在とあまり変わりがない

 
    
峠、峠道の概要
   
 この八丁峠は三国峠(みくに)の峠道と志賀坂峠(しがさか)をつなぐような位置関係にある 峠道であ る。三国峠は埼玉県と長野県との境、志賀坂峠は埼玉県と群馬県との境にあり、どちらも県境越えのそれなりの峠 道だ。それらに挟まれ、やや存在感が薄いかもしれない八丁峠であるが、「山椒は小粒でもぴりりと辛い」のたとえもあり、なかなか面白い峠道になっている。 特に最近、峠の小鹿野町側で伐採が行われたようで、非常に眺めが良くなった。
    

金山志賀坂線(終点)の看板 
(撮影 2012. 9.13)
志賀坂峠側の林道入口に立つ
(上の画像をクリックすると、地図部分が拡大表示されます)
 峠道の大半は林道で、金山志賀坂線と呼ぶ。志賀坂隧道の埼玉県小鹿野町側坑 口近くから分岐し、峠を八丁隧道で越え、秩父市中津川の小倉沢(おぐらさわ)地区に至る。
 
 小鹿野町側の林道入口に
左の写真にある看板が立つ。これには「林道」の文字はなく、代わりに「森林管理道」とあり、必ずしも金山志賀坂林道のことではないが、志賀坂ト ンネル側を終点、中津川側にある雁掛(かりがけ)トンネルを抜けた先を起点としている。「全延長14,429m 設計速度 20Km/時」とある。現在 の秩父市がまだ大滝村となっている。少なくとも2004年2月に訪れた時には、既にこの看板は立っていた(1999年7月にはまだない)。
   
 ところで、金山志賀坂線の志賀坂」は志賀坂峠のことだろうが、金山」が分らない。中津川(旧大滝村の大字)にその文字を探し ても、最近の道路地図などには見付からない。すると、文献(角川日本地名大辞典 11 埼玉県)に「小倉沢は金山沢とも呼ばれる」とあった。これは川のことを言っ ているのだが、中津川にある小倉沢地区のことを金山とも呼ぶ可能性がある。金山志賀坂線の「金山」=「小倉沢地区」と考えて良いのではないだろうか。
    
  
志賀坂峠付近
   
 普通、峠やその近くから遠望が楽しめることはあっても、峠道の入口から既に 楽しめる景色があることは珍しい。この八丁峠が、その珍しい峠の一例ということになるだろうか。それもその筈で、道の起点が既に峠なのだ。志賀坂トンネル を群馬県から埼玉県側に 抜けた先、正面に木々の間から赤平川(あかびらがわ、荒川水 系)の谷間が眼下に望める(下の写真)。また、左手には岩峰の二子山の偉容を間近に目にする。そして右手に八丁峠へ登る金山志賀坂林道が分岐しているのだ。
   
志賀坂峠(トンネル坑口先)より赤平川の谷間を望む (撮影 2004. 2.15
  

金山志賀坂林 道の入口 (撮影 1999. 7.24)
この右側に志賀坂隧道がある(右の写真)
ジムニーの直ぐ横に「林道金山志賀坂線(終点)」の看板

志賀坂トンネ ルの 小鹿野町側坑口 (撮影 1999. 7.24)
その手前を左に分岐するのが八丁峠への林道
   

金山志賀坂林道の入口 (撮影 2012. 9.13
右手奥に「森林管理道」と「土砂流出防備保安林」の看板
その先に鉄道の遮断機のようなゲート

林道方向から 志賀坂峠の国道299号を見る (撮影 2012. 9.13
奥に二子山がちらりと見える
   
 林道入口では、先の「森林管理道 金山志賀坂線(終点)」と「土砂流出防備保安林」(右の写真)の看板が大きい。土砂流出防 備保安林の看板は見た目に如何にも古そうだ。昭和58年度(1983年)との日付が見える。八丁峠に続く道をただ「林 道」とだけ記していた。また、林道の南に沿う谷を「三 河谷」と書いている。そこは赤平川の最上流部、河原沢川(かわらさわがわ)が流れ下る谷である筈だ。河原沢川は、群馬県との県境にある諏訪 山(1,207m)を水源にしているとのこと。保安林の地図では、群馬県中里村と書かれた近くにある三角点のある山がそれだ。また、地形図から判断すれ ば、本来の八丁峠(車道の八丁隧道より南東方向へ約400m)からも源流の一つとなる沢が流れ下る訳だ。その沢も含め、保安林の地図には三河谷の源頭部に3つの沢が描かれている。 それで「三河」だろうかと想像したりする。

土砂流出防備保安林の看板 
(撮影 2012. 9.13)
(上の画像をクリックすると、拡大画像が表示されます)
    

林道金山志賀 坂線(終点)の看板 (撮影 1999. 7.24)
最近は見掛けない
 考えてみると、以前は金山志賀坂林道の終点を示す林道看板が並んでいたが、 最近は森林管理道の終点を示す看板しかないようだ。例えば、左の写真に示す林道看板は、もうないようだ。よくある青地に白文字の林道看板も立っていた筈で ある。林道金山志賀坂線という名称そのものを使わなくなってきたのだろうか。少し寂しい気がする。
  
  
峠より峠を目指す
    
 志賀坂峠を後に八丁峠を目指す。あまり見慣れない黄色と黒の遮断機のゲート をくぐる(右の写真)。道路脇に立て掛けられた縦長の看板には、「こ の道は林道です 通行注意」とある。金山志賀 坂林道の文字は見られなくなったが、まだこの道は林道のようである。
 
 この林道を通る主な目的は、国道299号を使わずに志賀坂峠を越えることだった。埼玉県から群馬県に入り、更にその先、十石峠などを使って長野県方面に 旅する時、志賀坂峠越えが通常のルートとなる。一度はまともに国道299号を登って志賀坂峠を越えたが、2回目からはもう少し楽しみたくなった。そこで、 わざわざ中津川の方から八丁峠を越えて志賀坂峠に出たのだった。旅の最初は時間的に余裕があり、そんなこともできたのだが、これが旅の帰路となると事情が 異なる。あちこち寄り道して、志賀坂峠を越える頃には、とっぷり日が暮れていたなんてことも何度かあった。そんな時、わざわざ八丁峠の林道を走ろうなんて 気にはなれない。一目散に国道299号を下るのだった。

遮断機のゲー トをくぐる (撮影 2012. 9.13
その先の右手に「この道は林道です 通行注意」の看板
   
 そんな訳で、志賀坂峠の方から八丁峠を目指したことは、これまでなかった。 しかし今回(2012年9月)は、この志賀坂峠付近の峠(矢久、土坂、太田部など)を越える為に、わざわざ一泊の旅を計画して来た。群馬県側から志賀 坂峠に登り、その続きとして八丁峠を目指したのだった。
   

林道の様子 (撮影 2012. 9.13

林道の様子 (撮影 2012. 9.13
 
 初めてこの八丁峠の道を通ったのは、1992年9月のことだ。その時から既 に全線舗装済みだったと記憶する。林道ではあるが、早々と舗装化されていたのだ。その後は、あまり改修される様子もなく、路面は古いアスファルト舗装のま まが多い。道幅はほぼ1.5車線幅を確保されていて、林道としては走り易い方だ。
   

河原沢川の谷 の方向を見る (撮影 2012. 9.13)
右端は西岳(1,613m)か?
 道は概ね南南西を目指す。そちらに八丁峠がある。右手には群馬県との境を成 す峰々がそびえ、左手には河原沢川の谷(三河谷)が切れ込んでいる。八丁峠は群馬県境上にある1ピーク(1,589m)から南の両神山(りょうかみさん、 りょうがみやま、1,723m)に延びた尾根上に位置する。その尾根の八丁峠以南を八丁尾根と呼ぶそうだ。ただ、峠道からは両神山は望めなかったと思う。 鋭いピークの山が左手前方に見えたが、それは八丁尾根にある西岳(1,613m)だと思う。
 
 一方、後方を振り返ると二子山が望める(右の写真)。志賀坂峠からは半分ほ ど隠れていた山容が、峠道の途中からは南面の全容が一望だ。志賀坂峠(トンネル)の標高が780mで、そこを起点に更に登っているのだから、より眺望が良 くなる。
 
 路面が悪い箇所が出てきた(下の写真)。古いアスファルトがはがれ、穴が空いている。補修が間に合っていないようだ。ただ、一時的に荒れただけで、また 安定していった。峠道全般的には、問題ない舗装路であった。

二子山を望む  (撮影 2012. 9.13)
   

荒れた道  (撮影 2012. 9.13)

荒れた道  (撮影 2012. 9.13)
  
  
見通しが良くなった峠道
   

以前の林道途 中からの眺め (撮影 1999. 7.24)
向こうに二子山
 正直に言って、八丁峠の小鹿野 町側については、あまり印象が残っていない。ただただ林の中のクネクネ道を、ひたすら走ったという覚えしかないのだ。探してみると、左の写真のような景色 も撮ってあるのだが、眺めを堪能したというような記憶はない。ほとんど視界が広がらず、どこをどう 走っているかも分らない。そしてひょっこり開けた所に出たなと思ったら、そこが林道終点の志賀坂峠であった。
 
 ところが、今年(2012年)に訪れてみると、何やら様子がおかしい。これ まで八丁峠から下るばかりで、今回初めて登り方向に走っているのだが、そのせいばかりではない。これまで見たこともない景色が広がりだした。
   
 ところが、今年(2012年)に訪れてみると、何やら様子がおかしい。これま で八丁峠から下るばかりで、今回初めて登り方向に走っているのだが、そのせいばかりではない。これまで見たこともない景色が広がりだした。
    

何やら視界が 広がった (撮影 2012. 9.13)
(ほぼ南に見る)

伐採が行われ 丸裸の山肌 (撮影 2012. 9.13)
(ほぼ北に見る)
   
 どうやら林道が通る河原沢川左岸の山肌が、広く伐採されたようだ。それで林 道からはさえぎる物なく眺めが広がった。これまであまり分らなかった道の様子が、手に取るように良く分かる。こんな急斜面を通っていたのかと、驚かされ る。
    

上の方にも道 が通っている (撮影 2012. 9.13)

変わった山容 を望む (撮影 2012. 9.13)
 
  
八丁峠への登山道分岐
   

道路脇に登山 道が始まる (撮影 2012. 9.13)
登山標識には「坂本(2.7Km)」とある
 進むに連れ、深かった河原沢川の谷底が車道の近くまで迫ってく る。道がヘアピンで右カーブする時、左手に登山道が分岐し、川沿いへと降りて行っていた。いつの間にやら河原沢川の上流部の沢が、車道の直ぐそこに 流れていたのだ
 
 車道から分岐したその登山道は、本来の八丁峠へと登っているようだ。昔からの峠道は、志賀坂峠を
河原沢川まで下った所にある坂本の地より、ほぼ河原沢川沿いを伝って峠にまで至っていたようだ。 一方、後に開削された車道の八丁峠(隧道)を越える峠道は、川沿いよりずっと高い位置に築かれた。その登山道が分岐する場所は、昔からの峠道と現在の車道の峠道とが、一瞬すれ違った地点なのであった。
 
 余談だが、登山道入口近くに「三川谷保安林」との看板が立っていた。志賀坂 峠の所にあった物は「三河谷」で、こちらは「三川谷」と、やや字が違うが、どちらにしろ三河(川)谷とこの谷を呼ぶことは 間違いなさそうだ。
    
 登山道を分岐してからの車道は、群馬との県境の稜線目掛け、がむしゃらに登 りだす。伐採が行われて、その道筋が露わだ。大胆な九十九折りが待っている。
 
 カーブを曲がるたびに大パノラマが広がる。高度感をひしひし感じる。これまで八丁峠の道で、これほど楽しめたことはない。カメラを持つ妻に、どんどん シャッターを切れと催促する。あの景色を撮れ、あの道の様子をう写せと、ついついむきになる。

九十九折りが 続く (撮影 2012. 9.13)
 

八丁尾根方向 を望む (撮影 2012. 9.13)

高所を行く  (撮影 2012. 9.13)
(ほぼ北に見る)
 
峠道の様子 (撮影 2012. 9.13)
  

八丁尾根方向 を望む (撮影 2012. 9.13)

ほ (撮影 2012. 9.13)
 
峠道の様子 (撮影 2012. 9.13
向こうに二子山が少しのぞく
  

  
峠への終盤
   

稜線付近  (撮影 2012. 9.13)
 地形図などで確認すると、車道はほとんど群馬県との県境となる稜線に、届か ん ばかりの所を通過する。稜線上の低い鞍部で、標高が、1,160強の箇所があるが、その脇を通る時が一番稜線に近い。多分その場所と思えるのが、左の写真 の部分である。土砂がやや崩れているが、その上はもう稜線ではないかと思われる。その上に立てば、群馬県側の眺めが広がったのかもしれない。
 
 県境を越えている訳ではない八丁峠の道が、ほとんど県境にまで達しているというのは、ちょっと面白い話である。

 
 県境をかすめてから八丁峠の隧道入口まで、残り500mほどだ。そこからは もう九十九折りはなく、道の勾配も安定してくる。代わりに沿道の木々が多くなり、やや視界の邪魔である。立ち止まって場所を選んで眺めれば、そこまで登っ て来た道筋を、しっかり見渡せる箇所もある。しかし、車で通過するだけだと、あっと言う間にカメラのシャッターチャンスは逃してしまう。すると、林の中に 入ってしまい、もうあのパノラマは二度と戻らない。

峠までのあと 少し (撮影 2012. 9.13)
   
  
峠の小鹿野町側
   
八丁峠 (撮影 2012. 9.13
八丁隧道手前の広場の様子
  

 林の中からひょっこり明るい広場に出ると、その先に八丁隧道の坑口が見え る。 八丁隧道の小鹿野町側は、ちょっと普通の峠のトンネルと感じが違う。大抵は山の奥深くまで道が入り込み、行止りの林の中にぽっかり坑口が開いているという パターンが多い。しかし、八丁隧道の小鹿野町側は切り立った崖の中腹にトンネルの口が開いているという風だ。本来の八丁峠から流れ下る川は、坑口の遥か下 を流れる。八丁隧道は、尾根の鞍部に穿たれたというより、ほとんど群馬県との県境近くを貫通している。
    
八丁峠 (撮影 2012. 9.13)
八丁隧道の小鹿野町側坑口
上部に掲げてあるトンネル銘板には「八丁隧道」とある
   
  八丁隧道の坑口上部に掲げられたトンネル銘板には、「八丁隧道」とある。このトンネルを別に八丁トンネルと呼んでも良い訳だが、その銘板に敬意を表し、こ こでは「八丁隧道」で通した。文字にしてみても、「八丁トンネル」では何となくカタカナばかりが並んでいるようで締りがない。やはり「八丁隧道」の方が威 厳がありそうみ見える。
 
 1999年7月に訪れた時、八丁隧道の小鹿野町側周辺で工事が行われていた。坑口近辺の法面補強でも行われていたのかもしれない。それ程切り立った崖に トンネルが開いている。
    

八丁隧道の小鹿野町側坑口 (撮影 2012. 9.13)
坑口の右横には
「土砂流出防備保安林」の看板が立つ
林道終点にあったのと同じ物

八丁隧道の小鹿野町側坑口 (撮影 1999. 7.24)
この時は工事中
 
   
峠からの景色
   
 峠から眺める景色は、峠道を旅する者の楽しみの一つだ。八丁峠もその期待に 応えてくれる。トンネル坑口が崖の中腹に開けられていることも関係するだろう。正面に二子山を望む。
 
 ただ、最近は木々が伸びて随分と視界が狭まったような気がする。以前は、ここまで登って来る峠道の一部も見下ろせたが、今ではほとんど林の影に隠れてし まった。あの九十九折りのパノラマは、登って来る途中でしか見られない。
    
峠からの景色 (撮影 2012. 9.13
  
峠からの景色 (撮影 1999. 7.24
  
峠からの景色 (撮影 1992. 9. 5
  
峠からの景色 (撮影 1992. 9. 5)
左手の山肌に峠道の一部が見える
 

  
峠周辺の様子
   
 峠からは八丁峠や両神山へ登る登山道が始まっている。その登山者の為の便宜 か、広い駐車場が道路に隣接し、峠周辺は広い空間となっている。
 
 峠道を登って来ると、駐車場の片隅で「二子山と八丁峠」 と書かれた看板が最初に待っている。昭和60年4月に選定された「小 鹿野観光八景」だそうだ。この八丁峠から眺める二子山がその八景の一つと言う訳か。それとも、本来の八丁峠に登らないといけないのだろう か。昭和60年とは、この林道が開通して間もない頃だから、やはりこの車道の峠からの景色を言っているのだろう。
 
 最近は、その小鹿野観光八景の看板の横に、「森林管理道金山志賀 線」の看板が並んで立つようになった(下の写真)。


峠から下る道  (撮影 2012. 9.13)
左手に立つのは「二子山と八丁峠」の看板
 

峠周辺の様子 (撮影 2012. 9.13)
右手奥にバイオトイレがある(茶色の小屋)

「二子山と八 丁峠」の看板 (撮影 1999. 7.24)
その奥でも工事が行われていた
   

峠周辺の様子  (撮影 2012. 9.13)
右手に広い駐車場
 駐車場奥の一段高い所に真新しいトイレができていた。バイオトイレだそう だ。妻が試用してみたが、注意書きが多く、気を使ったとのこと。私も試しに小用を足したが、特別な手間は要らなかった。志賀坂峠にはトイレがなく、この先 も暫くの間、用を足せる場所はなく、この峠にトイレがあるのは随分と助かる。
 
 坑口に向かって右側の崖に沿って、幾つかの看板が立つ。中でも一番参考になるのは、「両神山・二子山周辺概要図」の看板だ(下の写真)。最近は、大滝村 が秩父市に両神村が小鹿野町に吸収されたので、その点を白ペンキで補修してある。また登山道の白井差コースが削除されている。
 

両神山・二子山周辺概要図 
(撮影 2012. 9.13)
(上の画像をクリックすると、地図部分が拡大表示されます)

両神山・二子山周辺概要図 (撮影 1992. 9. 5
(上の画像をクリックすると、拡大画像が表示されます)
 
 そうした看板に並んで「両神山八丁峠コース登山口」と書かれた標柱が立ち、その脇から 崖によじ登る登山道が始まっている。なかなか険しそうだ。ここより尾根上の八丁峠に登り、八丁尾根沿いに両神山へと続く登山道を示している。古い登山地図 (山と高原地図 26 秩父1 雲取山・両神山 1991年発行 昭文社)を見ると、坑口脇から八丁峠に登る道は描かれていない。車道が通じてから新しく 開削された登山道らしい。
    
  
林道開通の石碑
   
 確か、この八丁峠には林道開通を記念した石碑があった筈だ。初めて訪れた 時、その写真を撮っておいた。広い駐車場のあちこちを捜したが見当たらない。すると、駐車場とは反対側の坑口左の草むらの中に、その黒い石碑はひっそり佇 んで いた。碑文を写真に写し撮ろうとしたが、生い茂った草が邪魔をして、碑文の一部が隠れてしまった。以前に写したもの(下の写真) の方が、石碑全体を撮れていた。参考までに、碑文を以下に写す。

坑口の左手に 立つ記念碑 (撮影 2012. 9.13)
   

林道金山志賀坂線開設碑 
(撮影 1992. 9. 5)
(上の画像をクリックすると、碑文の部分が拡大表示されます)
 林道金山志賀坂線開 設碑
 
 林道金山志賀坂線は、埼玉県と群馬県が境を

接 する県西端に位置する林道として、大滝村大
字 中津川地区と小鹿野町大字河原沢地区を結び
両 地域の森林資源の維持、培養を図るとともに
、 緑豊かな自然と調和した地域振興を目的とし
て 建設されたもので、特に迂回路のなかった中
津 川金山地区の進展と生活道路としての果す役
割 も大きい。
  この事業は、関係する地権者各位と埼玉県の
深 いご理解のもとに兼営林道として採択され昭
和 三十四年に着手幾多工事上の難関を克服して
以 来、実に二十三年の歳月と二十億五千万円の
巨 費を投じて二箇所のトンネルと十四箇所の橋
梁 からなり延長一四、五粁に及ぶ特色ある林道
で あり、八丁峠(標高一、四八三米)の稜線通過
は、 自然環境の保全を配慮し八丁トンネル(八
八 六米)を開削したものである。
  またこの事業は、両町村の長年に亘る懸案で
あ り、開通によって当地域一帯の林業振興は更
に 活発となるほか、観光資源の開発においても
大 きな意義をもつ極めて重要な事業であったこ
と をここに記して林道開設の碑文とする。
  昭和五十七年五月三十日
       秩 父 郡 小 鹿 野 町
       秩 父 郡 大  滝  村

   
 碑文によると、林道工事着手が昭和34年で、23年の歳月が経っているの で、昭和57年(1982年)完成となる。碑文の日付が昭和57年5月で、計算が合う。私はその10年後に八丁隧道を越えていることになる。
 
 
2箇所のトンネ ルとは、八丁隧道と中津川側にある雁掛トンネルのことか。
 
 林道延長を14.5Kmとあるが、森林管理道金山志賀坂林道の全延長が14,429mで、ほぼ一致する。
 
 また、本来の八丁峠の標高を1,483mとしているが、文献(角川日本地名大辞典)では1,499mと書いてある。国土地理院の地形図を見ると、八丁尾 根にある鞍部で標高1,480m強である。すると1,483mが正しいのか。ただ、峠道が必ずしも鞍部の最も低い部分を通過しているとは限らない。国土地 理院の地形図をよくよく見ると、現在 の登山道を示す点線は、微妙に鞍部を外れて尾根を越えている。そこは1,490m強である。それでは1,499mが正解か。悩みは尽きない。
 
 尚、八丁隧道の標高は、地形図の等高線では、小鹿野町側で1,230m強、秩父市側で1,240m強であり、1,230mから1,250mの間には必ず 入っていると思う。ツーリングマップルなどでは、「八丁峠 1240」と出ていた。
    

坑口直後の道  (撮影 2012. 9.13)
林道開設碑を背にしてみる

隧道を背にし て見る (撮影 2012. 9.13)
この道は林道です 通行注意」の看板が二つ並ぶ
 

峠の秩父市側へ
   
 八丁隧道の中は暗い。照明設備はないようだ。長さ886m。ただ、トンネル は真っ直ぐなので、出口の明かりはずっと前方に見えている。巾員4m。対向車が入って来たら、それは厄介だが、単独走行なら狭くは感じない。
 
 
トンネルを出る 直前のトンネル内壁に、隧道銘板が埋め込まれている。「昭和54年 4月完成」とある。林道完成の3年前には開通していたようだ。
    

八丁隧道を秩 父市側に出るところ (撮影 2012. 9.13)
隧道内壁の右側に隧道銘板が収められている
トンネルを出た所の左手にはキロポスト

八丁隧道の銘 板 (撮影 2012. 9.13)
 
 トンネルを出た所に、「キロポスト」が立っている。道の距離を示す標柱だ。 「7.5Km」とある。ここまで登るに従い、その数値は増えてきていたので、ここより小鹿野町側が7.5Km、秩父市側が約7Kmとなる。
    
隧道の秩父市側 (撮影 2012. 9.13
  

 八丁隧道の秩父市側は、小鹿野町側に比べて何もなくて寂しい。こちらにも路 肩に広い空き地があるので、狭さは感じないが、山の中のどん詰まりといった感じで、視界は広がらない。1992年に訪れた時と比べても、坑口の様子などほ とんど変わりがないようだ。十年一日の如しである。
    
隧道の秩父市側 (撮影 1999. 7.24
この時は、隧道の反対側で工事が行われていた
工事看板が坑口に立つ
  
隧道の秩父市側(最上部に掲載した写真の再掲) (撮影 1992. 9. 5)
    
  峠を少し下ると、左手(南東方向)に切り立つ崖が見える(下の写真)。一時期、石灰の採掘場だったようだ。山肌全体に白い石灰が露出した光景は、荒涼とし ていて、これが八丁峠の旧大滝村側の顔のように思えた。しかし、今では草木が茂り始め、元の緑の山に戻ろうとしている。
    

石灰の採掘場  (撮影 1999. 7.24)
崖の途中で重機が動いていた

左と同じ場所  (撮影 2012. 9.13)
 

秩父市側へ下る
   
  峠からは小倉沢(金山沢とも)の支流・下駄屋坂沢(げたやざかざわ)の右岸を大きくうねって下る。最初は左手に谷を望み、左カーブのヘアピンを過ぎて、今 度は右手に谷が移る。
    

左のヘアピン カーブ (撮影 2012. 9.13)
カーブ途中に道が分岐

右手に谷を望 む (撮影 2012. 9.13)
この直ぐ先で下駄屋坂沢を渡る
 

下駄屋坂沢に 架かる橋 (撮影 2012. 9.13)
 下駄屋坂沢なんていう小さな沢の名前は、普通の道路地図や国土地理院の 1/25,000地形図にも載っていない。荒川の支流の、中津川の支流の、神流川(かんながわ)の支流の、小倉沢の支流の川である。山と高原地図(昭文 社)でやっと「ゲタヤ坂沢」と記載があるのを見付けた。しかし、八丁隧道から最初に下る沢であり、重要な存在である。
 
 道は間もなく、下駄屋坂沢の源頭部を西から東へ横切るようにして渡る。そこに架かる橋の欄干に、川の名前が出ていた(左の写真)。こうして現地でその川 の名を知ることもある。ついでながら、その橋の名も出ていて、撮った写真からは「岩見橋」と読めたが、確かではない。

 
 先ほどから、荒れた道の分岐が時々出てくるが、黄色いゲートで立入禁止であ る。これらはニッチツ(日窒鉱業)の鉱山道路の跡らしい。もうほとんど使われていなそうだ。
 
 八丁峠が下る小倉沢地区は、金、銀、鉛、鉄の採掘を行う為、昭和12年に秩父鉱山(後の日窒鉱業)が設立され、わが国屈指の金属鉱山となったそうだ。そ の後、経済事 情の変化や交通不便もあって、操業停止へと進んでいった。沿道にはその名残があちこちで見られる。

ニッチツの鉱 山道路 (撮影 2012. 9.13)
 
  小倉沢は甲斐の武田氏が金山を発見したとも伝えられ、江戸期も通じて古くから 採掘が行われてきた地である。小倉沢を金山とも言い習わされているのは、この土地が金鉱と関係が深かったことからだろう。
    

八丁沢の登山道分岐
   
  下駄屋坂沢を過ぎた後、道は尚も東の小倉沢上流方向へと進む。遮断機のゲートが見え、その先で橋を渡る。その橋の手前から尾根方向に登る梯子が掛けられて いた。「両神山登山口 (八丁峠コース)」と案内看 板にある。この登山道は、八丁峠を越えて小倉沢と坂本をつないだ古い峠道と、ほぼ同じコースを辿っているものと思われる。
    

ゲートとその 先左に登山道 (撮影 2012. 9.13)
その直後、八丁沢を上落合橋で渡る

八丁峠への登 山道入口 (撮影 2012. 9.13)
この梯子を登って行くらしい
この道は古い峠道とほぼ同じコースを辿るのだろう
 

上落合橋  (撮影 2012. 9.13
峠方向に見る
 登山道分岐の先で渡る川は八丁沢(はっちょうざわ)で、橋の名は上落合橋で ある。八丁 沢は小倉沢のまた一つの支流(下駄屋坂沢より上流部に位置)である。その沢筋に沿って登山道が登っているので、本来の八丁峠から流れ下って来る沢と考えて 良さそうだ。この付近の橋には、川の名や橋の名がしっかり記されていて便利である。
 
 ところで、八丁峠の「八丁」という名について、 その由来などは分らない。八丁峠の他には「八丁尾根」、「八丁沢」が出てきた。文献では「八丁峠」を「八町峠」とも書くとあ る。「丁」または「町」は長さ(距離)の単位で、時代によりその大きさはやや異なるが、1891年以降では109.09mなのだそうだ。よく「胸突き八 丁」と言われるが、それは富士 山の頂上付近の八丁の距離(約872m)が険しいことから、そう呼ばれたとのこと。
  
  この八丁峠につして、「八丁」の距離が具体的に関わる点があるのだろうか。あるいは、険しい峠道であるということから、胸突き八丁の八丁を当てたものだろ うか。そういえば、八丁隧道の長さが886mで、約八丁である。単なる偶然だが、ちょっと面白い。
 
 
上落合橋を渡っ て八丁沢の左岸を少し下ると、今度は落合橋で右岸に渡り返す。その後は本流の小倉沢の右岸沿いとなる。小倉沢の源は、八丁峠より南に位置する両神山の西面 で ある。落合橋の直 ぐ下流で、八丁沢が小倉沢に合していたと思う。
    

小倉沢沿い
   
  本流の川沿いともなると、道は安定し、ヘアピンカーブなどは少なくなる。代わりに、木々に囲まれてやや暗い道である。道は小倉沢の流れと共に、ほぼ西へと 向かう。途中、コンクリートブロック製の何かの残骸などが路傍に見られた。これらも鉱山関係の跡と思われる。
    

小倉沢の右岸 を行く (撮影 2012. 9.13)

小倉沢の右岸 を行く (撮影 2012. 9.13)
   
  後から地形図を見ると、下駄屋坂沢や他にも小倉沢の支流を渡っていた筈だが、明確には橋があったかどうか記憶がない。
    
小倉沢の右岸を行く笠 (撮影 2012. 9.13)
やや高みを進む
  

  道はやや谷間の高みに移り、視界も少し良くなる。するとその先、ヘアピンカーブが左、右と2度続くS字の坂で高度を落とし、川岸に下りる。その内また高度 が上がると、S字カーブで大きく下るということを繰り返した。その間、目にするのは、鉱山跡の朽ちた遺構ばかりである。
    

ヘアピンカー ブ (撮影 2012. 9.13)
これで高度を下げる

ヘアピンカー ブ後 (撮影 2012. 9.13)
峠方向に見る
   
 一度、小倉沢の左岸に渡ったが(右の写真)、直ぐまた右岸に戻された。その 後、再びS字カーブが現れたが(下の写真)、それが最後となった。
 
 そのカーブの途中からは右手に分岐があり、その先に屋根が見えた。立入禁止で入れなかったが、人家などの屋根のようである。峠からここまでは鉱山跡ばか りだったが、この付近から下流域は、小倉沢の集落があった所と思われる。近年ではニッチツに働く従業員の社宅などであろう。
 
 ここよりずっと下流の中津川沿いは、今では県道210号が通じるが、昔は充分な道がなかったそうだ。その為、この辺の集落からは八丁峠を越えて秩父方面 に出るのが、唯一の陸路だった時代があったとのこと。随分と厳しい環境に、人が住み着いたものである。

左岸に渡る  (撮影 2012. 9.13)
   

この先、最後 のS字カーブ (撮影 2012. 9.13)
向こうに屋根が見える

カーブ途中に 分岐(立入禁止) (撮影 2012. 9.13)
その先に集落跡
   

赤岩橋以降
   

最後のS字 カーブの後、赤岩橋を渡る (撮影 2012. 9.13)
 最後のS字カーブの直後、本流の川を渡る。欄干には赤岩橋(あかいわはし) と銘板がある(左下の写真)。この地点より真北の群馬県との境に赤岩峠なる峠があり(車道は通じていない)、その付近から流れ下る支流が赤岩沢である。
 
 ここで困ったことになった。赤岩橋に書かれた川の名前が神流川(かんながわ)となっている(右下の写真)。てっきり小倉沢(または金山沢)と思っていた が、これはどういうことか。文献(角川日本地名大辞典)では小倉沢のことを「雁掛沢を合わせ、神流川に流入」とある。雁掛沢はもっと下流に ある支流だ。少なくとも、地形図(国土地理院)などでは、赤岩橋より少し上流部を小倉沢と記している。赤岩橋が渡る川が神流川なら、一体どこから上流部が 小倉沢となるのだろうか。
  
 良く分らないが、ここでは赤岩橋以降を一応神流川と呼んでおくことにする。 尚、神流川と言えば、志賀坂峠を群馬県側に下った所に流れている神流川の方が有名である。そちらは利根川水系だ。こちらの埼玉県側にある神流川は中津川の 支流でしかない。
    

赤岩橋 (撮 影 2012. 9.13)

神流川 (撮 影 2012. 9.13)
   
 赤岩橋を渡ると神流川の左岸である。路面は荒れ、大岩の間を抜けたりする寂 しい道だ。対岸を望むと、木々の間に屋根が見える。右岸の方に人家などが集中していたようだ。この左岸の道は、集落のバイパス路適な存在である。
    

赤岩橋以降の 道 (撮 影 2012. 9.13)
寂しい左岸

対岸に建物  (撮 影 2012. 9.13)
   

もう一つの赤岩橋
   
 川沿いに出た所で右に橋が架かっていた。狭いので歩行者用と思われる。ニッ チツによる立入禁止の看板が掲げてあった。この橋を渡ると、右岸の集落へと続く。
    

右手に橋が見 えてきた (撮影 2012. 9.13)

歩行者用の橋  (撮影 2012. 9.13)
これも赤岩橋か?
   
 橋の左脇に「砂防指定地 小倉沢」の看板が立って いた(右の写真)。それに描かれた地図を見ると、その歩行者用の橋を「赤岩橋」 と書いている。赤岩峠から流れ下った川が、その橋の直ぐ下流に注いでいるので、こちらの橋の方が「赤岩」と名付けるのにふさわしい。前にあった車道の橋 は、赤岩沢より少し上流すぎていた。
 
 この地図も本流を神流川としている。また「金山」 という地名が出てきていた。また、右岸の集落内には、かつて「大滝 村立鉱山保育園」があったことが分かる。保育園があるほど、大きな集落だったのだろう。
 
 気掛かりなのは、赤岩沢下流の神流川に注ぐ直前の川に「小倉沢」とある。地名を表しているのか、それとも
川の名前か。もしこれが本当の小倉沢なら、 他の道路地図や地形図は、みんな間違っていることになる。

砂防指定地の看板 
(撮影 2012. 9.13)
(上の画像をクリックすると、地図部分が拡大表示されます)
地図は右が北であるのに注意
   
 看板が立つ現在位置が、集落内(小倉沢沿い)になっているが、これは明らかな 間違いだ。多分、集落が閉鎖され、車道が通じる神流川沿いに移設されたのだろう。
    

左岸の小倉沢集落
   
 歩道の赤岩橋を過ぎると、間もなく左手の沿道に大きな建物が現れる。今回訪れ てみると、建物前の広場いっぱいに白い物が置かれていた。石灰だろうか。建物は朽ち果て、もう単なる採掘物の置き場と化している。
    

左手に大きな 建物が現れる (撮影 2012. 9.13)

崖沿いに大きな建物 (撮影 2012. 9.13)
木々に埋もれている
手前の白い物は石灰か?
   
 1999年に訪れた時は、まだ人の気配が残る場所であった(下の写真)。
    
まだ人の気配が 残る頃 (撮影 1999. 7.24
峠方向に見る
  
崖沿いの大きな建物 (撮影 1999. 7.24)
社宅だったのだろうか
    
 奥の崖沿いの大きな建物を過ぎると、道路脇に公衆浴場がある(下の写真)。勿 論、今は使われていない。
    

左手に公衆浴 場 (撮影 2012. 9.13)
その先で小倉橋を渡る

公衆浴場の入 口 (撮影 2012. 9.13)
左が男湯、右が女湯
    
 八丁峠の道を訪れるようになったのは、約20年前からだが、その間もこの小 倉沢は、徐々に寂れていったような気がする。公衆浴場や社宅など、人の生活の跡を眺めるのは、やはり寂しい。この地が多くの人で賑わっていた昔を想像する と、せつなささえも感じるのであった。

公衆浴場に並 ぶ社宅跡? (撮影 2012. 9.13)
   

小倉橋以降の 右岸 (撮影 2012. 9.13)
左手に慰霊乃碑が建つ
 小倉橋で神流川の右岸に渡ると、暫く寂しい沿道が続く。側に慰霊乃碑が建っ ているくらいだ。
 
   
林道起点
   
 小倉橋を渡って200mほど、左手にニッチツの工場への車道が分岐する少し 手前に、林道起点の看板がある。確かに「林道金山志賀坂線(起点)」 と書いてある。一方、「森林管理道 金山志賀坂線」は、先の看板によると、ここより1Kmほど下流にある雁掛トンネルを抜けた先が起点ということになっ ている。この道の起点の違いが、森林管理道と林道の違いである。すると、峠にあった林道開設碑では、2箇所のトンネルでできているとあったが、これでは雁掛トンネルが林道区間に含まれ ず、話が合わなくなる。八丁隧道の他にトンネルはあっただろうか。
 
 尚、県道看板などは見掛けなかったと思うが、県道210号・中津川三峰口停車場線の中津川側終点が、ほぼ林道起点の位置である。ここで林道と県道が繋 がっていることになる。

左手に林道起 点の看板 (撮影 2012. 9.13)
   

林道起点の看 板 (撮影 2012. 9.13)
林道金山志賀坂線(起点)
峠方向に見る

林道起点 (撮影 1999. 7.24)
   
<小倉沢小中学校>
 山と高原地図には、この林道起点の対岸辺りに「文」の記号が書かれている。 学校があった印だ。文献にも「大字中津川字小倉沢に小倉沢小学校、 小倉沢中学校がある」と出 ている。今はもう「あった」とすべきか。
    

対岸のニッチ ツの工 場の様子 (撮影 2012. 9.13)


対岸のニッチ ツの工 場の様子 (撮影 2012. 9.13)
    
<ニッチツの工場>
 対岸の山の斜面にニッチツの工場群が並ぶ。こうした山間部に大きな建造物が 林立する 光景は、ちょっと異様な雰囲気である。工場の一部は稼動しているようで、薄煙が立ち上っていた。そちらに渡る橋が何箇所かに架かっていたが、全て関係者以 外立 入禁止である。

対岸のニッチ ツの工 場の様子 (撮影 1999. 7.24)
    

集落の雰囲気 がする沿道 (撮影 2012. 9.13)
<小倉沢集落の終端>
 小倉沢地区の終りも近づいた頃、沿道に少し集落の雰囲気がする地点を通り過 ぎる。
板塀の比較的大きな一階屋が建っていて、中には照明が灯されて いた。ニッチツの事務所か何かに使われているようだ。道路沿いには掲示板なども立ち並び、人影は見られなかったが、ここで人が働いているという雰囲気が 漂っている。
     
   
雁掛トンネル
    
<雁掛トンネルの小倉沢側>
 小倉沢の集落を過ぎた後、雁掛(かりがけ)トンネルが待っている。神流川沿 いから、神流川の別の支流沿いへと抜ける300mほどのトンネルだ。
    

雁掛トンネル  (撮影 1999. 7.24)
手前を雁掛沢が流れる

左とほぼ同じ 場所 (撮影 2012. 9.13)
対向車のライトが見えた
    
<隧道とトンネル>
 八丁隧道の銘板は「隧道」となっていたが、こちらは「トンネル」である。雁 掛トンネルの開通日などは分らないが、
「隧道」というのは古い呼称だと思うので、八丁隧道の方が古いのだろうか。
 
<雁掛沢>
 尚、トンネルに入る手前で小さな橋を渡るが、これが多分、雁掛沢だと思う。群馬との県境にある雁掛峠より流れ下る、神流川の支流だ。それでこのトンネル の名前も、「雁掛」と付けられたのだと思う。ただ、よくよく見ると、その雁掛沢は川の体を成していない。岩石で埋まり、水が流れそうにないのだ。代わりに 排水ホースのような物がつながれている。


雁掛トンネル の銘板 (撮影 1999. 7.24)
「隧道」ではなく「トンネル」と記されている
    
山中領の八峠
 この付近の埼玉県と群馬県の境には、意外と峠が多い。群馬県側の
上野村、旧中里村、旧万場町(まんばまち)を合わせた地は、古くは山中領と呼ばれたそ うだ。元禄期、武州(埼玉県側)と上州(群馬県)を結ぶ峠は、その山中領だけでも8つあったとのこと。 その八峠とは、東の方から土坂峠、杉ノ峠、 坂丸峠、矢久峠、魚尾道峠(よのお みち、よのうみち)、志賀坂峠、赤岩峠、雁掛峠ではないかと考えている。この内、小倉沢集落、広くは中津川の地と、上野(こうずけ)国を結んでいたの が、赤岩峠と雁掛 峠とではなかったのだろうか。
 
<謎のトンネル>
 雁掛トンネルも照明がなく暗い。いざ入ろうとすると、対向車のヘッドライトが見えた。近くに広い路肩もなく、トンネル手前の左側に僅かな空き地があるの で、咄嗟にそちらに車を乗り入れた。
    

雁掛トンネル の東に隣接するトンネル (撮影 1999. 7.24)

左と同じ場所  (撮影 2012. 9.13)
    
 そこには以前から気になっていたトンネルがあるのだ。雁掛トンネルに並んで神 流川に近い側を、岩盤 を手掘りで貫通したような、荒々しいトンネルが開いている。車が通れる大きさはない。人が立って歩くのがやっとだろうか。中には排水管のような太いホース が通されている。関係者以外立入禁止だ。
    

雁掛トンネル を背に小倉沢方向を見る (撮影 2012. 9.13)
この付近の谷は険しい
<神流川沿いの旧道>
 この部分の神流川の谷は、小倉沢集落があった付近と異なり、岩壁が迫って狭 く屈曲し、険しい様相を示す。雁掛トンネルが開通する以前は、小倉沢集落と外界とを隔てる難所だったのではないだろうか。多分、古くは神流川沿いに道が通 されていた筈だ。その素掘りのトンネルは、その古道の名残ではないかと思うのだ。そのトンネルを抜けると、その先には一体何があるのだろうか。昔の道が残 されているかも知れない。しかし、トンネルは立入禁止で、それでなくとも怖そうなトンネルである。入って行く勇気はない。
    
   
雁掛トンネル以降
    
<雁掛トンネルの下流側>
 宅配便の車が雁掛トンネルから出て来て小倉沢集落の方へ走り去ったので、こちらの車をトンネル内へ進める。壁面はコンクリートで固めてあるようだが、で こぼこである。トンネル出口は鉄骨製のスノーシェッドのようなガードがある。落石防止だろうか。

雁掛トンネル を下流側に出る所 (撮影 2012. 9.13)
    

雁掛トンネル 下流の様子 (撮影 2012. 9.13)

上は雁掛トン ネルの坑口 (撮影 2012. 9.13)
下の道は天丸トンネルへ
この先通行止
    
<天丸トンネルへの分岐>
 トンネルを出ると左急カーブを曲がって下って行く。100m程で右に逆Y字に分岐が出て来る。
天丸峠(仮称、峠は天丸トンネル)へ続く林道だ。 天丸トンネルも埼玉と群馬の県境を越える峠であるが、近年開削された林道の峠として新しく開通したもので、古くから中山領に通じていた峠ではなさそうだ。 天丸トンネルの群馬県側には野栗沢(神流川の支流)の一支流が流れ下るが、赤岩峠や雁掛 峠から流れる川(赤岩沢と所ノ沢)も野栗沢の源流となる川である。
    

左は天丸トン ネルへの分岐 (撮影 2005. 6.26)
雁掛トンネル方向を見る

左と同じ場所  (撮影 2012. 9.13)
道がやや荒れている
  
 以前(2005年6月)に群馬県側から天丸トンネルを越えて来た時、その林 道は比較的走り易かった。今回その林道の入口をのぞくと、路面はかなり荒れているよだった。少し中に足を踏み入れてみると、雁掛トンネルの坑口下付近に通 行止看板が立ち、一般車はそれより先には入れないようだった。
    
   
神流川支流沿い
   
  道は西方から流れ下って来た神流川の支流の左岸沿いを下る。上流には広河原沢という川がある。実はこちらが神流川の本流だと思っていた。文献で「雁掛峠を 源流とする雁掛沢を合わせ神流川に流入」するのが小倉沢となっていたからは、そう考える以外になかった。雁掛沢を合する方が神流川であるなら、雁掛トンネ ルより下流で沿う川は、神流川の支流、場合によってはこれも広河原沢と呼ぶのかもしれない。
 
<大黒>
 地図ではその川沿いに「大黒」と呼ぶ地区名が記されている。しかし、人の気配はほとんどしない。やはりニッチツの鉱山道が分岐していて立入禁止だが、 ゲートは開いていた。
    

鉱山の工場 (撮影 1999. 7.24)
峠方向に見る
道路脇の看板には「ニッチツ 資源開発本部」とある

鉱山の工場  (撮影 2012. 9.13)
   
  道路からはニッチツのものと思われる工場が見える。道路脇には乗用車が停められ、工場の中からは薄煙が立ち昇っていた。ここも一部は稼働中のようだ。
 
 大黒を過ぎた後で川を渡って右岸に出る。その橋を調べておけば、川の名前が分ったかもしれない。また八丁峠に行かなければならなくなった。
 
 右岸を走り出すと間もなく小さなトンネルを過ぎる。出た先はもう神流川の本流沿いだ。トンネルに入っている内に、神流川とその支流が合流していたのだ。 トンネルを出た付近に、小倉沢集落から神流川沿いを下って来た旧道の痕跡でもないかと目を凝らしていたが、切り立つ渓谷と草木に阻まれ、何も見出せなかっ た。
    
   
神流川本流沿い
   

神流川本流沿い (撮影 2012. 9.13)
 再び神流川本流沿いに戻ると、そこは険しい様相を呈する。谷は深く切り込 み、その脇をそそり立つ高い崖に沿った道が続く。ここから中津川沿いに出るまで、ほぼこの調子だ。
 
 切り立つ崖はほぼ垂直で、法面はコンクリートやネットで上の方まで補修されている。なかなか恐ろしい景観だ。途中、2箇所ほどトンネルが設けられてい る。これらがなければ、車道など容易には通せない厳しい地形が続く。
   
  ここより下流、中津川沿いを旧大滝 村の中心地まで通じる道も、同じようにとても険しい渓谷沿いの道であった。それを思うと、小倉沢の集落が非常に奥まった地であることを痛感する。現在は、 中津川に架かる滝沢ダムが完成し、それに伴い中津川のかなり上流部まで道が改修され、快適になった。八丁峠を訪れ始めた頃を思うと、隔世の感がある。
    

トンネル (撮影 2012. 9.13)

トンネル (撮影 2012. 9.13)
    
<対向車>
 険しい道で具体的に困るのは対向車だ。特にここには鉱山があるので、その関係の車が時折通る。こんな細い道で対向車など来なければいいなと思っている と、そんな時に限って大型車がやって来るのだ。
 
 前方に車の影をちらりと発見したので、早めに路肩に避難し、様子をうかがった。すると、先ほど雁掛トンネル出口で見掛けた宅配の車が、配送を終えて帰っ て行くのか、不用意にも追い越して先に行った。案の定、対向車と鉢合わせになる。しかも運悪く、相手は道幅いっぱいの大型トラックである。

ネットによる保護 (撮影 2012. 9.13)
こんな所で対向車には出合いたくない
    

対向車にトラックが来た (撮影 2012. 9.13)
 相手が大型だから、宅配側が道を譲ることになる。バックランプが灯り、四苦 八苦している様子だ。「大変そうだね〜」と、こちらは高みの見物である。それでも何とか路肩に退避できたようで、その場をやり過ごしたトラックが私たちの 側を通り過ぎて行った。宅配車も路上に戻り、先を急いで行く。それを見届け、こちらも再び車を走らせた。
   
 この近辺は、元々から集落など全くなく、狭い谷間に沿って道が蛇行している ばかりだ。遠望もない。岩が路面上に覆いかぶさるような箇所もある。また、大型トラックが来ない内に、早くやり過ごした方が無難である。中津川沿いに出れ ば道は良い。

岩がオーバーハングしている (撮影 2012. 9.13)
 
    

中津川沿いに出る
   
<出合のトンネル>
 
八丁峠の道は、 最後に短いトンネルをくぐって終わる。トンネルの名前は分らないが、神流川が中津川に注ぐ「出合」という場所にあるので、多分「出合トンネル」だろうと勝 手に思っている。
    

出合のトンネル (撮影 2012. 9.13)

工事中の出合 のトンネル (撮影 1999. 7.24)
   
 中津川側から八丁峠に向かう時は、この出合トンネルが峠道の入口となる。 1999年に来た時は、そのトンネルを改修工事していた。その後は現在見られるコンクリート製のしっかりしたトンネルになったが、それ以前は岩を繰り抜い ただけのような、無骨なものだった。中津川沿いを遡って来た県道は、このトンネルをくぐることになるのだが、こちらが本線には到底思えなかった。トンネル に入る前、本当にこちらが八丁峠へ続く県道だろうかと、立ち止まらずにはいられなかったくらいだ。
    

中津川の上流方向を見る (撮影 2012. 9.13)
ここから先は秩父市道194号線
 出合のトンネルを出ると、そこはT字路で、目の前を中津川の清流が流れる渓 谷が横たう。T字路を右に行けば三国峠に通じる。路肩にある標柱には、その方向の道を「秩父市道一九四号線 起点」と書いている。少なくとも県道の続 きではないことはこれで分かる。
 
 この道を三国峠へと旅するのも、大きな峠越えとなる。最近メールを下さった方によると(メールは11月5日の日付)、長野県側から峠までには行けたそう だが、峠はしっかり通行止になっていたそうだ。中津川林道は
早々と冬籠りに入ったらしい。
   
 中津川沿いから出合のトンネルを覗くと、黒縁の額の中に、明るい緑の神流川 の渓谷が、四角に切り取られて映る。道は直ぐ左に曲がって見えなくなっている。ポツンと立ったカーブミラーが、対向車への注意を促していた。

出合のトンネルを覗く (撮影 2011. 7. 4)
中津川沿いから見る
   

出合のトンネル (撮影 2011. 7. 4)
中津川沿いから下流方向に見る

出合以降の県道を下流方向に見る (撮影 2012. 9.13)
ここで神流川を渡る
   
 出合のトンネルを出て左に曲がると、直ぐに中津川の支流を渡る。それが八丁 峠からずっと寄り添って来た神流川である。神流川はその橋の直後で中津川に注いで終わる。この出合の地から下流は中津川の領域とだ。八丁峠は県境越えの三国峠に道を譲 ることとなる。
 
 中津川沿いの県道は、この出合まではほとんどの部分で改修が完了し、概ね2車線幅の快適な道が到達している。以前は旧大滝村市街の国道140号に出るま で、気の抜けない道がずっと続いていた。今では滝沢ダムによってできた奥秩父もみじ湖を高みから望む、観光道路である。
    
     
   
 八丁峠は、志賀坂峠や三国峠といった県境越えの峠を近くに控えながらも、なか なか面白い峠道となっている。小鹿野町側の山々の景観、秩父市(旧大滝村)側の鉱山跡やニッチツ工場の異様、神流川の渓谷美。「山椒は小粒でもぴりりと辛い」どころでは ないかもしれない。ついついここで掲載した写真の数も増えてしまった。この頃、峠一つ分のページの量がだんだんエスカレート気味である。この分だと、プロ バイダが提供するホームページ容量が不足するのではないかと危惧される、八丁峠であった。
   
     
   
<走行日>
・1992. 9. 5 大滝→小鹿野 最初 ジムニー
・1995. 4.29 大滝→小鹿野 ジムニー
(1995. 5. 5 志賀坂峠を通過 ジムニー)
(1998.11.15 志賀坂峠
を通過 ジム ニー)
・1999. 7.24 大滝→小鹿野 
ジムニー
(2002. 8.10 志賀坂峠を通過 キャミ)
(2004. 2.15 志賀坂峠往復 小鹿野側通行止
 キャミ)
(2005. 6.26 天丸トンネルを越えた後、大滝村側通過
 パジェロ・ミニ
(2011. 7. 4 出合のトンネル前を通過 ジェロ・ミニ)
・2012. 9.13 小鹿野町→秩父市 パジェロ・ミニ
 
<参考資料>
・角川日本地名大辞典 11 埼玉県 昭和55年 7月 8日発行 角川書店
・山と高原地図 26 秩父1 雲取山・両神山 1991年発行
 昭文社
・その他、一般の道路地図など
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒ 資料
  
<1997〜2012 Copyright 蓑上誠一>
   
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