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八幡トンネル
  はちまんとんねる  (峠と旅 No.344)
  人里離れた山間部に寂しくトンネルが佇む峠道
  (掲載 2025.10.29  最終峠走行 1996.11. 3)
   
   
   
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八幡トンネル西側坑口の様子 (撮影 1996.11. 3)
トンネルのどちら側も同じ三重県尾鷲市大字南浦
但し、峠から西に2Km程行くと、県境を越えて奈良県吉野郡上北山村大字河合・白川に入る
道は国道425号線 (一部に県道760号・南浦海山線)
トンネル坑口の標高は約550m (地理院地図の等高線より)

国道425号について、最近は「日本三大酷道」と呼ばれるらしい
八幡トンネル前後の峠道区間は、30年程前に2度走ったことがある
当時から寂しい道であったことは確かだ
このトンネルの佇まいからして、容易に想像がつく

   
   
   

   

<掲載理由(余談)>
 このところ、コマゴマとした峠道が続いている。前回の山在峠などは、地図からちょっと目を離すと直ぐどこかへ行ってしまう。 ウェブ上で閲覧する地理院地図などでは尚更だ。マウスのホイールを不用意に回転して表示範囲を拡大してしまうと、もうどこに峠があったか分からなくなってしまう。再び見付け出すのに手間取ってばかりだった。 同じ紀伊半島・紀伊山地に位置する峠で、もうちょっと分かり易い峠はないだろうか。できればドーンと長大な峠道がいい。
 
<国道425号>
 引牛越(ひきうしごえ)のページに書いたことだが、現在、国道425号が東の尾鷲市(おわせし、地理院地図)から西の御坊市(ごぼうし、地理院地図)まで、紀伊半島を南北方向に横断する様にして通じる。 しかし、かつては牛廻越(蟻ノ越)前後で国道が寸断されていて、紀伊半島を横断する一本の道というような認識は全くなかった。 つい最近になって、偶然NHKの「ドキュメント72時間」で国道425号を取り上げているのを見て、初めてそうなんだと知った。 紀伊半島はあちこち旅しているので、通しで走ったことはないが、多分国道425号のほとんど全線は経験済みだと思う。
 
<国道425号の峠>
 国道425号が通る峠としては、引牛越で示した様に、白谷(しらたに)トンネル(地理院地図)と牛廻越(地理院地図)が東西の双璧になるだろうと思う。 白谷トンネルは大峰山脈下に通じる。牛廻越は奈良・和歌山の県境に位置する。標高も白谷トンネルが坑口で約850m、牛廻越は約820mだ。調べ切れている訳ではないが、国道425号上では1番と2番の高さではないだろうか。

   
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白谷(しらたに)トンネル (撮影 1994.10. 9)
トンネルのこちら側は奈良県吉野郡下北山村大字浦向
反対側は同郡十津川村大字大野
坑口標高は850m余り(地理院地図の等高線より)
道は国道425号(旧白谷林道)
多分、国道425号上の最高地点ではないだろうか(未確認)


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牛廻越(うしまわしごえ) (撮影 2004. 5. 4)
蟻ノ越(ありのこし、ありのえつ)などとも呼ばれる
手前が和歌山県龍神村小又川(現田辺市龍神村)
奧が奈良県十津川村迫西川
標高は約820m(地理院地図の等高線より)
道は国道425号(旧主要地方道・田辺十津川線)
峠道としては国道425号上、最も険しいのではないだろうか


<県境の峠>
 ところで、紀伊半島は三重・奈良・和歌山の3県から成る。紀伊半島を横断する国道425号は、当然ながらそれらの境を越えている筈だ。奈良・和歌山の境は牛廻越だ。しかし、白谷トンネルは県境にはない。
 
 では三重・奈良の境はどこかと思ったら、そこは峠ではなかった。しかし、そのちょっと東に八幡トンネルがあった。そこで今回はこの峠にすることとした。 峠道の範囲は国道425号の20%前後と長大だ。それに国道なら地図で見付け易く、しかも県境の直ぐそばである。こんなに分かり易い峠道はない。随分と回りくどい話しになったが、これが掲載理由であった。

   

<所在>
 八幡トンネルは丸ごと三重県尾鷲市(おわせし)大字南浦(みなみうら)に入る。しかし、トンネルより西に2Km程行くと、奈良県吉野郡(よしのぐん)上 北山村(かみきたやまむら)大字河合(かわい)に入る。ただ、道は大字白川(しらかわ)とも接していて、どちらになるかはっきりしない。

   

<地理院地図(参考)>
 国土地理院地理院地図 にリンクします。


   
本ページでは地理院地図上での地点を適宜リンクで示してあります。
   

<水系>
 峠の東側は銚子川(ちょうしがわ)水系だ。銚子川は船津川と河口で交流して引本湾に注ぐ。どちらも一水系を成す。峠は銚子川の支流・又口川(またぐちがわ)上流域に位置する。
 
 峠の西側は新宮川(しんぐうがわ)水系になる。峠近くから古川(ふるがわ)が流れ下り、東ノ川(東の川)、北山川(きたやまがわ)、熊野川(くまのがわ)と流れ下る。熊野川は新宮川の一般的な名称で、正式な水系を表す場合は新宮川の方を使うようだ。

   

<峠道の起点>
 国道425号の東側起点は、当然ながら尾鷲市街だ。紀伊半島の外郭に走る大幹線路・国道42号から分岐して始まる(地理院地図)。
 
 しかし、地形や水系から見ると、起点は銚子川の河口と言うことになる(地理院地図)。峠道は銚子川沿いから続いて支流の又口川沿いへと遡って行く。一方、尾鷲市街を出発した国道425号の方は、一旦坂下(さかげ)隧道(地理院地図)を越えてから又口川沿いに出る。ここに八幡トンネルとは別の坂下隧道という小さな峠が存在するのだ。まあ、細かい話ではあるが。
 
 西の起点は簡単で、東ノ川がその本流である北山川に合流する地点である。ただ、そこには北山川本流を堰き止めた池原ダム(いけはらだむ、地理院地図)によって大きな池原貯水池(地理院地図)ができている。 どこまでが東ノ川だかよく分からない。そこで、北山川沿いに通じる国道169号に接続する地点(地理院地図)までを峠道と考える。
 
 尚、峠道の奈良県側では一旦上北山村に入るが、最終的に池原ダムのある下北山村へと至る。上北山村の区間では人家などなく、単に通過するだけとなる。

   

<峠道の印象>
 峠の前後のほとんどの区間をピッタリ川に寄り添って道が通じる。これでは高い峰を越える峠道という印象はあまりない。峠にはトンネルが通じていて、その坑口標高も約550mと低く、険しい山岳道路といった様相もない。 地形的に見て峠道であることは確かだが、実際に走ってみた感想でも、峠越えをしているという実感を持ったことがない。今回、改めて地理院地図などを調べ、八幡トンネルは峠なんだと納得した次第だ。
 
 国道425号上ではやはり牛廻越が一番の峠越えとなるだろう。あの激しい屈曲の繰り返しは峠道ならではである。また白谷トンネル前後の道も険しい。峠直下の道路脇で野宿したことがあったが、通る車など皆無だった。その近くではクマに遭遇している。とても怖い所である。
 
 一方、八幡トンネルの峠道を険しい思ったことがない。この区間の国道425号を「酷道」と呼ぶのは、ちょっと行き過ぎのような気がする。道の狭さや勾配のきつさ、屈曲の程度などからしても、道ととして険しいとは言い難い。 ただ、ジムニーで未舗装林道ばかり走っていた頃の印象なので、今訪れたらそれなりに険しいと感じるかもしれないが。
 
 それでも、どこか空恐ろしい道である。定住する人家など全くない無住地帯を延々と走らされる。カーナビなどない時代では、自分が今どこに居るのか分からない。荒涼とした世界が果てしなく続くような気がする。 いくら車を走らせても、このままどこにも出られないのではないかと不安になってくる。
 
 峠道の険しさは、目の前の現実の道の険しさだったりする。一方、八幡トンネルを越える道は、どこか間違った世界に迷い込んだかのような恐怖を感じさせる、そんな道だと思う。

   
   
   

尾鷲市方面より

   

<尾鷲市(余談)>
 八幡トンネル越えは、2度とも尾鷲市方面からだった。ところで、尾鷲市とくれば何と言っても矢ノ川峠地理院地図)である。 国道42号の旧道になる。ここを越えないと、尾鷲より西の紀伊半島へ行くことができない。断崖絶壁の道をボンネットバスが行き交うといった、苦難の歴史を持つ峠道だ。 考えてみると、今回の八幡トンネルも尾鷲より西の紀伊半島へと通じる道となる。但し、国道42号は紀伊半島の沿岸部に点在する市街地を走り繋いでいるのに対し、国道425号は小さな集落さえない山間部に通じる。 利用価値は雲泥の差である。

   

<国道425号と県道760号>
 八幡トンネルへは、1度目(1993年3月)は素直に国道425号を進んだ。坂下(さかげ)隧道からしてもう既に寂れた雰囲気だ。さっきまでレストランで昼食を摂ったりした賑やかな尾鷲市街が嘘のようである。
 
<坂下峠>
 現在の坂下隧道も古そうだが、これは2代目だそうだ。元は明治33年(1900年)に坂下峠(さかげとうげ)に開通した坂下隧道が最初だったとのこと。 現在の隧道は明治44に開通したトンネルが補修されて使われているらしい。天然林の伐採と尾鷲港への搬出を目的とした道だったそうだ。
 
 2度目(1996年11月)は銚子川沿いに通じる県道760号・南浦海山線を行った。峠道に忠実に、などと考えた訳ではなく、単に別ルートを取りたかっただけだった。

   

<海山町>
 現在、銚子川河口は北牟婁郡(きたむろぐん)紀北町(きほくちょう)相賀(あいが)となっているようだが、以前は海山町(みやまちょう)だった。紀北町と言う名はあまり聞き慣れない。 調べてみると、平成17年(2005年)10月11日に紀伊長島町と海山町が合併してできた町だそうだ。県道名にはまだ「海山」の名が使われる。

   

<銚子川沿い>
 県道の南浦海山線は、最初の内は国道の坂下隧道などより遥かに走り易い。センターラインまである程だ。銚子川左岸沿いを快適に4、5Kmも走ると、左手に赤い鉄骨で組まれたトラス構造の橋が見えて来る(地理院地図)。魚飛(うおとび)橋だ(昭和36年3月竣工)。

   
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県道760号・南浦海山線沿い (撮影 1996.11. 3)
左手に銚子川が流れる
前方には赤い魚飛橋が見える

   
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左折は「池原ダム 38Km」 (撮影 1996.11. 3)
直進は「林道」

<魚飛橋の分岐>
 道路看板には、左は「池原ダム 38Km」、右は「林道」とだけある。銚子川沿いをそのまま遡る「林道」は、地図を見るとかなり奥まで通じているが、どこにも抜けられる訳ではないようだ。よって、銚子川沿いも八幡トンネルの峠道の一部と考える。
 
 林道分岐手前を左に分かれ、魚飛橋で銚子川を渡って行くのが八幡トンネルへと続く道だ。「池原ダム」が峠道の終点ともなるが、「38Km」というのは何だか短か過ぎる気がする。40Kmは優に超えているのではないか。 グーグルマップなどで道程を調べてみると、43Km超えと出て来る。とにかくこの先に長大な峠道が待っている。
 

   

<又口川沿い>
 魚飛橋以降は、支流の又口川(またぐちがわ)左岸沿いに遡る。魚飛橋直後に木津という小さな集落が見られるが、そこを過ぎるともうこの先人家は皆無だ。沿道に建物などの人工物を見ることも珍しくなる。
 
 暫し、岩がゴロゴロ転がる又口川を間近に見ながら走る。同じ県道ながら道幅は一気に狭くなり、狭苦しい峡谷の中を行く。その閉塞感は怖い程だ。峠方面に発する又口川は、途中幾つもの支流を集めて流れ下る。 大雨が降れば、アッと言う間に路面は水没するのではなかろうか。それどころか、谷全体を埋め尽くすのではと思う程だ。

   

<大字南浦>
 又口川沿いを3、4Km走ると尾鷲市大字南浦(みなみうら)に入る(地理院地図)。大字南浦の地域は尾鷲市の中でも広大な面積を有する。その中心地は尾鷲市街から西に行った中川(なかご)の中流域に位置するそうだが(地理院地図)、今回の峠前後を含んだ尾鷲市側の峠道は全て大字南浦となるようだ。しかし、その沿道に南浦の人々が定住する人家はなさそうだ。この峠道に於いて、南浦は単なる所在地の名に過ぎず、日々の人の暮らしなどとは無縁の世界だ。
 
<林道分岐>
 南浦に入って直ぐ、右手に支流の古和谷沿いを遡る林道が分岐する(地理院地図)。

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林道の分岐点 (撮影 1996.11. 3)
木津方向に見る
この左手に林道が分岐する

   
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木津方面に通行止の看板 (撮影 1996.11. 3)

<通行止看板>
 林道分岐より木津方面を振り返ると、大きく通行止の看板が立っていた。木津側からは何の案内もなかったように思う。とにかく、木津からここまでの又口川沿いは、やはりかなり危険な箇所だということだ。 道そのものの険しさからすると、八幡トンネルの峠道の中で最強ではないだろうか。

   

<鳥獣保護区の看板>
 確か林道入口脇だったと思うが、「国設大台山系鳥獣保護区」と題した看板が立っていた。「山頂付近で見られるもの」とあったが、この場合の「山頂」とは日出ヶ岳(地理院地図)か、または付近の山の総称となる大台ヶ原山のことだろう。看板に描かれた地図のほぼ中央に位置する。(地図では「日出岳」と書かれている)

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鳥獣保護区の看板 (撮影 1996.11. 3)
林道入口に立つ

   
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鳥獣保護区の看板より (撮影 1996.11. 3)

   
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 日出ヶ岳山頂の様子 (撮影 2015.10.13)
穏やかな雰囲気の中に展望塔がポツリと立つ

<大台山系>
 看板の表題中の「大台山系」が気になる。今回の峠の立地にも関係することと思う。ただ、この名は聞いたことがない。
 
<台高山脈>
 一方、台高山脈(だいこうさんみゃく)なら地理院地図にも掲載がある(地理院地図)。北の高見山(地理院地図)から、南の日出ヶ岳(1,695.0m)を主峰とする大台ヶ原に至る山脈で、それぞれの一文字を取って「台高」と名付けられたそうだ。

   

 看板の地図は広範囲で、台高山脈の大部分から更に南に位置する今回の峠付近までが描かれる。これが「大台山系」となるのだろうか。その主脈は台高山脈に続いて八幡トンネル上に至っている。今回の峠は「大台山系主脈に立地する」と言っていいのかもしれない。
 
 尚、台高山脈を越える車道は北端の高見峠(トンネル)が唯一になる。八幡トンネルは台高山脈ではないが、それに続く稜線上、南端最初の車道となるようだ。直線距離で約40Kmの間、車道が存在しないことになる。険しい筈だ。

   
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鳥獣保護区の看板より (撮影 1996.11. 3)
地図の一番下に八幡トンネルが描かれている

   

<国道に接続>
 古和谷を渡ると直ぐに国道に接続する(地理院地図)。ここでも県道760号の「木津・相賀」方面に通行止の看板が立っていた。
 
 尾鷲市街から来た国道は矢所橋(やどころばし)を渡ってこの又口川左岸に至っている。看板には「尾鷲」まで4Kmとある。県道を使うより近いだけでなく、やはり国道だけあって道が安定している。
 
 国道看板の現住所には「尾鷲市矢所」とある。「矢所」とは大字南浦の中の字名だろうか。
 
 峠方向には「池原・吉野」と案内されている。

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国道に接続 (撮影 1996.11. 3)
奥が県道760号を木津・相賀へ
手前が国道425号を尾鷲市街へ
左が国道を峠を越えて池原へ

   
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県道方向通行止の看板 (撮影 1996.11. 3)

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国道標識など (撮影 1996.11. 3)
現在地は「尾鷲市矢所」とある

       

<池原>
 看板の「池原」(いけはら)とは、漠然と池原ダムや池原貯水池のことだろうと思っていた。当然ながら「池原」という地名もあることだろう。今回調べてみると、奈良県吉野郡下北山村(しもきたやまむら)には、大字上池原(地理院地図)と大字下池原(地理院地図)があるようだ。単なる「池原」だけの大字は見付からなかった。
 
<吉野>
 尚、「吉野」(𠮷野)とは吉野町のことだろうか。確かに北山川沿いの国道169号をそのままどこまでも北上すれば、吉野町に辿り着く。それにしても、この時点で「吉野」と言われても、遥か彼方で気が遠くなるばかりだ。

   

<又口以降>
 県道から国道に乗り換え、引き続き又口川(またぐちがわ)沿いを西へと遡る。変化の少ない寂しい道が続く。その内、川名の元ともなった又口の地を過ぎる(地理院地図)。 ここにはかつて集落があったそうだ。又口川流域は、林業開発の為に大規模な索道や軌道が建設された。そうした林業に携わる人たちが住み込んだものと思う。ただ、昭和に入ってからは索道・軌道に代わってトラック輸送が主流となったとのこと。 その頃からこの一帯に車道が整備されて行ったものと思う。
 
 「又口」は合流点の意だそうで、ここで柳(りゅう)ノ谷という支流を合している。その後、道は又口川沿いに南へと進路を変える。
 
 この国道は川沿いの区間が多くあまり峠道らしくないが、それでも又口川源流に近付くと、それなりの山深さを感じさせてくれる。峠直前(地理院地図)では又口川の谷を挟んで対岸(右岸)側の景色が広がる。険しそうな林道の道筋が山肌に刻まれている。

   
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峠直前の景色 (撮影 1996.11. 3)

   
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対岸に林道が見える (撮影 1996.11. 3)

   
   
   

   

<峠の様子>
 又口川流域を延々と20Km程登って来ると、やっと峠に辿り着く。台高山脈に続く大台山系の主脈に、八幡トンネルが穿たれているということになる。気が付いてみると、この峰は更に南の矢ノ川峠へと続いている。八幡トンネルとは直線距離で6Km程しか離れていなかった。

   
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八幡トンネルの尾鷲市街方面側の様子 (撮影 1996.11. 3)

   

<八幡トンネル>
 トンネル延長は約450m。長い割には照明がない。そもそもこの山深い地には電気が届いていないのではなかろうか。トンネル内の幅も狭く、反対側の坑口がポツンと心細く見えているだけだ。坑口の外観も寂しい雰囲気で、この長大な峠道に相応しいトンネルと言える。
 
<八幡峠>
 坑口標高は約550mで、トンネル上部の峰の鞍部は約700mになる。矢ノ川峠などは紀伊半島の尾鷲市以西を結ぶ重要な交通路だったが、八幡トンネルの上部に古くから峠道が通じていた可能性は低いように思う。 森林開発を目的に八幡トンネルが通じたのが最初の峠道ではなかったか。
 
 しかし、同じ稜線上を北に目を移すと、アゲグチ峠(地理院地図)、出口峠(地理院地図)、木組峠(地理院地図)などといった数々の峠が見られる。もしかすると「八幡峠」と呼ばれる峠がこの場沿に存在していたかもしれない。このページの表題は念の為「八幡トンネル」としたが、「八幡峠」でも良かったかもしれない。

   
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八幡トンネル坑口の様子 (撮影 1996.11. 3)

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八幡トンネルの扁額 (撮影 1996.11. 3)
左下の電源開発のロゴに並んで、
「昭和33年9月」とあったようだ

       

<扁額>
 八幡トンネルには竣工時期などが書かれた銘板がなく、扁額だけが頼りだ。書をしたためた県知事の名前などが分かれば、それなりに手掛かりとなる。しかし、苔むしていていて判読できなかった(後述)。

   

<和歌山県方面側>
 八幡トンネルの和歌山県方面側には直ぐに橋が架かる。東ノ川の支流・古川(ふるかわ)を八幡橋で渡る。
 
<八幡>
 「八幡」は時に「やはた」、「やわた」などとも読むが、八幡橋の銘板には「はちまんばし」と出ている。トンネルの方も「はちまんとんねる」でいいと思う。「八幡」の由来については分からない。この近辺の字名にでもなろうか。

   
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八幡トンネルの和歌山県方面側の様子 (撮影 1996.11. 3)
トンネル手前に八幡橋が架かる

   

<マーク>
 ところで、トンネルの扁額やこの近隣に架かる橋の銘板などに、家紋のようなマークが書かれている。「〇」の中に「井」のような文字が描かれていた。他にもどこかで見掛けた覚えがある。電力会社の社章か何かだろうか。
 
 調べてみると、これは電源開発株式会社の旧ロゴだったようだ。改めて見ると「開」や「発」の字を変形したようにも見える。現在はJ-POWER(ジェイパワー)という愛称を用いている会社だ。

   

<峠道の開通>
 私の撮った写真では分からなかったが、トンネルの扁額に「昭和33年9月」と日付が書かれてあったそうだ(グーグルマップ)。八幡橋も同時期に竣工していることだろう。昭和33年(1958年)頃がこの峠道の開通時期と考えて良さそうだ。私の方が一歳年上になる。

   
   
   

峠の和歌山県方面

   

<古川沿い>
 八幡トンネルは県境にはないが、水系は大きく変わって新宮川水系に入る。トンネルを出た直後から古川沿いに道が通じる。この後、水の流れは東ノ川、北山川、熊野川(新宮川)と下る。

   

<県境>
 峠から2Km程、古川左岸沿いに下ると、唐突に県境看板が出て来る。

   
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県境 (撮影 1996.11. 3)
手前が三重県、奥が奈良県

   
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県境看板など (撮影 1996.11. 3)
「大型車通行できません」とある

   
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県境 (撮影 1996.11. 3)
2度目に訪れた時

<県境看板など>
 看板の「下北山 35Km」とあるのは下北山村役場(地理院地図)までの距離だと思う。池原ダムで国道169号に接続するまでなら25Km程だ。その間が険しい。「大型車通行できません」と看板にもある。
 
 
<上北山村>
 県境を過ぎた直後は奈良県吉野郡上北山村の大字河合(かわい)になる。河合は村役場がある上北山村の中心地だが、この県境からはずっと離れた北山川沿いに立地する(地理院地図)。
 
 尚、古川の右岸側は大字白川(しらかわ)になるらしい。飛地となっているようだ。

   
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県境 (撮影 1993. 3.27)
今から32年前
最初に訪れた時

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県境看板 (撮影 1993. 3.27)

       

<不動滝付近>
 道は古川の右岸に移り、間もなく支流の岩屋谷に架かる不動橋を渡る(地理院地図)。橋からは岩屋谷に流れ落ちる不動滝が眺められる。

   
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不動滝付近 (撮影 1996.11. 3)
赤い欄干は不動橋

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不動滝 (撮影 1996.11. 3)
不動橋から眺める

       

<坂本ダム建設>
 ここより下流の東ノ川本流には坂本ダム(さかもとだむ)が建設されている。不動橋付近は既に坂本貯水池の影響が及び、川と言うよりは湖の様相を呈し始めている。
 
 坂本ダムの完成は昭和37年だが、着工は35年だ。勿論、電源開発(株)による建設だ。また、不動橋の竣工は昭和34年6月になる。この付近の国道425号は、坂本ダムの建設に関連して昭和30年代に開削された道のようだ。 八幡トンネルの開通は昭和33年だったが、峠道として下北山村まで通り抜けられるようになったのは、もっと遅いものと思う。多分、坂本ダムの完成後ではなかったか。
 
 八幡トンネルを越える道は、当初は東ノ川水域の木材を尾鷲湾へと輸送するためなど、部分的に使われたものと思う。昭和10年頃に索道や軌道が廃止され、それに代わって自動車輸送の時代になる。あの狭い八幡トンネルを木材を満載した大型トラックが行き交ったのではないだろうか。

   

<出合橋>
 古川が東ノ川に合する直前、道は左岸へ渡る(地理院地図)。そこに出合橋が架かる。竣工は昭和34年。

   
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出合橋の右岸側袂 (撮影 1996.11. 3)

   

<出合>
 「出合」とは多分、古川が東ノ川に合流する地点であることを意味するのだろう。
 
 出合橋の上からは坂本貯水池がよく眺められる。荒涼とした雰囲気だ。この風景は坂本貯水池から更にその下流に位置する池原貯水池へと長々続く。それこそがこの八幡トンネル越えの道を象徴する景観になっていると思う。
 
<看板>
 橋の袂には「上北山温泉、小処温泉、大台ヶ原山 カモシカ園、和佐又山 スキー場・キャンプ場」などと案内されている。尾鷲市街方面からの観光客向けだろうか。 それにしても、一般の人が八幡トンネルを越えて遥々やって来るのは、ある意味命懸けである。のんきな温泉気分とはいかない。しかし、熊野灘に面する沿岸部から上北山村などの山間部に至るルートはそうそうない。この酷道を否が応でも通ることになる。

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出合橋袂に立つ看板 (撮影 1996.11. 3)

   

<坂本ダム>
 道は東ノ川左岸沿になり、間もなく右手に坂本ダムが現れる(地理院地図)。

   
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右手に坂本ダムが見えて来る (撮影 1996.11. 3)

   
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坂本ダムの堰堤 (撮影 1993. 3.27)

 坂本ダムはきれいなアーチ型をしている。正確にはドーム型アーチ式ダムと呼ぶそうだ。昭和35年着工、同37年完成、総工費89億3千万円とのこと。古いコンクリートの建造物が深い谷に静かに佇む様子は、荘厳ささえも感じさせる。
 
<林道サンギリ線>
 坂本ダムの堰堤は車で通れるようになっている。そこは林道サンギリ線の一部になる。八幡トンネル前後の国道425号からは多くの林道が分かれるが、ほとんど行止りの枝道である。その点、林道サンギリ線は下北山村の中心地・河合へと抜けている。途中、サンギリトンネルを越える(地理院地図)。これも一つの峠道である。

   
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坂本貯水池を眺める (撮影 1993. 3.27)
荒涼とした景観が広がる

   

<野宿地探し(余談)>
 この「酷道」を訪れる者は、簡単に言えってしまえば物好きである。私も峠道という観点から道を観察することが多いが、本質はただどんな所だろうかと言う興味からバイクや車を走らせていた。 しかし、他の人とは一点だけはっきり異なることがある。それは、寂しい道を走りながらもどこかにいい野宿地がないかと、常に周りを見張っていることだ。
 
 一般の旅行なら、大抵はその日に泊まる宿は決めている。温泉旅館だとか市街地のビジネスホテルとか、それぞれの好みに合わせて前もって予約しておくのが普通である。時にはキャンプ泊する者も居るかもしれないが、そんな場合でも予めどこかのしっかりしたキャンプ場などを当てにして旅行する。
 
 ところが、私の場合は野宿旅であった。その日、一体どこでどのような形で夜を過ごすのか、全く決めずに旅をしているのだ。行き当たりばったりの気楽な貧乏旅などと言えば聞こえはいいが、今夜の宿が決まらずに旅を続けることくらい、不安なことはない。

   

<坂本ダム以降>
 坂本ダムを過ぎても、右手に見える東ノ川は荒涼とした景観を続けている。下流に位置する池原貯水池の延長であろう、川は切り立った谷に満々と水をたたえていた。 道は谷に面した崖の中腹に開削されていて、沿道にはほとんど平坦地が見付からない。これではテントが張れない。
 
 尾鷲市内の食堂で昼食を済ませておいたので、後はいい野宿地さえあれば直ぐにでもテントを張ろうと思っていた。この寂しい国道ならその沿道に野宿地が見付かるだろうと期待して来たのだが、どうも当てが外れたようだ。 日はどんどん西へと傾いて行く。不安な気持ちが尚更周辺の景色を荒涼としたものに感じさせる。

   

<池原ダム>
 湖というと、静かで広い砂地の湖畔があり、そこで湖面を眺めながらのんびり野宿だと、勝手に想像していた。しかし、坂本ダムも池原ダムも完全に期待を裏切ってくれた。 結局、東ノ川沿いには野宿地が全く見付からないまま、池原ダムの堰堤を渡って幹線路の国道169号に出てしまった。こうなると増々野宿地など期待できない。その後、クマに遭遇したり散々な目に遭いながら、暗くなってからやっとテントを張ったのだった(野宿旅)。

   
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池原ダム (撮影 1993. 3.27)
八幡トンネルの峠道の終着点
この後、更に野宿地を探し求めて放浪する

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「池原ダム」とある (撮影 1993. 3.27)

   

<二度目の野宿(余談)>
 一度目の野宿に凝りながらも、その3年後にまた八幡トンネルを越えた。しかし、同じ轍は踏まない。今度は坂本ダムから林道サンギリ線に入った。この林道沿いならどうにかなるだろうと思ったのだが、やっぱりダメだった。 河合で国道169号に入り、大台ヶ原まで足を延ばしてみたりした。相変わらず野宿地が見付からないどころか、大台ヶ原は観光客でごった返していた。 最後に池原ダムまで戻ってダム直下にある広場まで車を乗り入れた(地理院地図)。そこで遂に力尽きた。周囲には人家こそないものの、完全な人里である。こんな所でテントを張る訳にはいかない。狭いジムニーでの車中泊となった。

   
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池原ダム (撮影 1994.10. 9)
国道169号から眺める(地理院地図
一度目の野宿に苦労した翌年にまた訪れていた

   
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池原ダムの堤体 (撮影 1994.10. 9)
「電源開発株式会社」とある

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池原ダム直下の様子 (撮影 1994.10. 9)
この2年後にそこで車中泊するとは
思ってもみなかった

   
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池原ダム堰堤近くからダム直下を眺める (撮影 1994.10. 9)
現在はスポーツ公園ができているらしい
その奥から上池原集落が広がり始めている

   

<終着点>
 池原ダムの堰堤付近から谷の下を眺めると、ダム下流域に位置する下北山村の上池原集落の姿が覗き始める。それまでの荒涼とした世界からやっと開放され、ホッとする人里の雰囲気を感じる。ここが八幡トンネルを越える峠道の終着点である。尾鷲市街からだと、ざっと45Kmの長旅だった。
 
 国道425号の総延長は180Km前後らしい。その内の25%近くをこの寂しい峠道が占有することになる。ただ、牛廻越(蟻ノ越)もほぼ同様の道程を有していて、道の険しさからしても、牛廻越はやはり紀伊山地随一の峠道だろう。 それでも牛廻越の方は峠近くまで集落が点在していて、沿道に人の暮らしが感じられる。その点、八幡トンネルの方は人気(ひとけ)のない殺伐感では上である。

   
   
   
   
   

<おわりに(余談)>
 八幡トンネルを越えたのは30年前後も前のことで、正直ってあまり峠道の様子などは覚えていない。ただ、東ノ川の寂しい景観だけは脳裏に残っている。 その日のねぐらが決まらないという心細さが相まって、旅先で感じたあの不安な心持ちは、30年経った今でも忘れない。
 
 その頃は、埃だらけのジムニーに安物の野宿道具を積み、一人で日本中を野宿旅していた。縮尺1/14万のツーリングマップだけが情報源だ。それを助手席の上にころがして置き、時々眺めてはこれからの行先や現在地を調べる。 自分が一体今どこに居るのか、それを知るために周囲の川や山の様子、沿道に立つ看板には細心の注意を払う。旅の毎日が新鮮で不安で、時に緊張を強いられる。そんな旅の経験ができたことは良かったと思う。
 
 一方、最近の私の旅は、その日の宿はしっかり予約し、カーナビで常に現在地を把握、宿の到着時間にも余裕を持って行動する。また、デジカメやドラレコがあるので、峠道の様子もつぶさに容易にデジタルデータに記憶できる。 いざという事態ではネットや携帯電話も頼りになる。それに何より、隣の助手席には16歳年下の妻が座っていてくれる。こんな余裕のある旅をしたら、また違った印象を持つことだろうと思う、八幡トンネルであった。

   
   
   

<走行日>
・1993. 3.27 三重県→奈良県/ジムニーにて
・1994.10. 9 国道169号にて池原ダム通過/ジムニーにて
・1996.11. 3 三重県→奈良県/ジムニーにて
・2001. 5. 5 国道169号にて池原ダム通過/ジムニーにて
・2015.10.13 日出ヶ岳登山/パジェロ・ミニにて
 
<参考資料>
・関西 2輪車 ツーリングマップ 1989年7月発行 昭文社
・ツーリングマップル 5 関西 1997年3月発行 昭文社
・ツーリングマップル 関西 2015年8版1刷発行 昭文社
・角川日本地名大辞典 24 三重県 昭和58年 6月 発行 角川書店
・角川日本地名大辞典 29 奈良県 1990年 3月 8日発行 角川書店
・角川日本地名大辞典のオンライン版(JLogos)
・日本歴史地名体系 24巻 三重県の地名 1983.5.20 初版第一刷 (株)平凡社
・日本歴史地名体系 30巻 奈良県の地名 1981.6.23 初版第一刷 (株)平凡社
・尾鷲市の公式ホームページ
・その他の道路地図、河川地図、一般のウェブサイトなど
・Microsoft Copilot
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒  資料

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