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日坂越 (仮称)
 
ひさかごし No.179
 
旧春日村へと通じる裏の峠道
 
(初掲載 2011. 7.13  最終峠走行 2004. 9.25)
 
  
 
旧久瀬村と旧春日村を繋ぐ林道の峠 (撮影 2004. 9.25)
手前が岐阜県揖斐川町(旧久瀬村)日坂
奥が同町(旧春日村)春日美束
峠の標高は750m(2万5千分1地形図より読む)
道は大規模林道 関ヶ原・八幡線 春日・久瀬区間 (日坂林道とも)
この峠には名前がないようである
この1.5kmほど東に本来の日坂越があり、こちらは新日坂越と言ったところ
(日坂越と題したのは仮称ですのでご了承下さい)
  
 
峠の名前など
 
 この峠は現在の揖斐川(いびがわ)町の日坂(ひさか)と、同じく揖斐川町の春日美束(かすがみつか)の境にある。以前の久瀬村(くぜむら)日坂と春日村(かすがむら)美束(みつか)の村境である。久瀬村も春日村も同じ揖斐川町になってしまい、現在の峠はどこの境ともなっていない。地図など見ても、峠を通る境界線が引かれてなくて、全く寂しい限りだ。
 
 この車道の峠に名前はないようだ。比較的新しく開削された林道の峠である。名前がないので、春日峠とでも適当に呼ぼうかと思っていると、文献(角川 地名大辞典 岐阜県 春日村の項)に掲載された地図に、「日坂越」と出ていた。しかし、よくよく調べてみると、この車道の峠の東、1.5kmほど離れた旧村境にある別の峠のことだった。
 
 旧久瀬村に日坂と言う地名があり、峠の名前はそこから来ているらしい。日坂越は古くから両村に通じる峠であった様だが、今までにその峠に車道が開削されたことがあったのかどうかははっきりしない。その代わりと言っては何だが、久瀬村と春日村を立派な車道で結んだのが、今回取り上げる峠である。よって、新日坂越とも言える存在だ。こちらの峠を勝手な名前で呼ぶよりも、元からある日坂越の名前を仮称として使わせて頂いた次第だ。
 
 日坂越は「ひさかごし」と読むようだ。以前は、インターネット上の国土地理院の地名検索で読み方が表示され、「日坂越」で地図検索すると「ひさかごし」と出て来た。峠名に「越」の字が付く場合は、「こえ」とか「ごえ」と読む場合が多い様に思う。例えば尾平越(おびらごえ)や牛廻越(うしまわしごえ)、こえど越(こえどごえ)などなど、いろいろある。一方、日坂越の様に「こし」とか「ごし」と呼ぶのは何となく違和感がある。しかし、国土地理院に敬意を表して、ここでは「ひさかごし」と呼ぶことにする。但し、「ひさかごえ」と呼ぶようなこともあるのかもしれないので、念の為。
 
 尚、紛らわしいことに日坂峠(ひさかとうげ)と言う峠も他にあるのだ。旧久瀬村とその西に位置する旧坂内村(さかうちむら)との間の峠である。両村を繋いで県道40号が唯一の車道として一本通るのだが、その境となる峠より少し北側に旧道の峠があるようで、そこを日坂峠と呼ぶのだ。面白いことに、日坂越も日坂峠も、どちらも旧道の峠の名前であり、後からその近くに開削された車道の峠には名前が付けられていない様だ。
 
 どちらも「日坂」の地名が冠された峠だが、想像するに、「日坂」とは村の名前だったのではなかろうか。昔、日坂村と呼ぶ小さな山村があり、その村と南の村とを繋ぐ峠が日坂越と呼ばれ、西の村とを繋ぐ峠を日坂峠と呼んだ。しかし、後に日坂村は久瀬村に編入され、「日坂」は久瀬村内の大字名と峠の名として残ったのではなかろうか。そして現在は、久瀬村も春日村も、そして坂内村も、全て揖斐川町になってしまった。これからは地図上にそれらの村境を示す境界線はもう描かれない。かつてあった村々の存在が、だんだん薄れていってしまう気がする。「日坂村」と呼ぶ村が実際にあったかどうか、今となっては調べるのも難しいことだろう。
 
 本来の日坂越には行ったことがないのだが、何でも現在は東海自然歩道の通過点になっているようだ。昔は南北に隣接する村を繋ぐ生活路として利用されたのであろうが、あまり歴史の表舞台に登場したことがあような峠道には思われない。何らかの大きな街道筋に当たる訳でもなく、ほとんどがお隣同士の村人達が行き交う時に越えた峠道であろうか。ただ、同じ春日村内にあるは国見峠には、古くから美濃と近江を結ぶ近州街道が通っていたとのこと。場合によっては日坂越も、その近州街道の一通過点ではあったのかもしれない。
 
 地形的に見ても、日坂越以北の住人がこの峠を越え、春日村を経由して他所へ向かうとするには、あまり便利な峠とは思えない。この峠より東には南北に揖斐川が流れており、そこはこの地より開けた土地であり、交通の便も良い。日坂越を行くよりも先に、揖斐川沿いに出た方が何かと都合が良いことだろう。
 
 また、日坂越以南に住む者がこの峠を利用し、更に北や西に向かうことも少なかったのではないだろうか。そもそもここより北西は、滋賀県や福井県との県境を成す山深い土地である。何にしろ、この峠の利用者は、そのほとんどがこの近郷の者ばかりだったに違いない。
 
 
春日村について
 
 件(くだん)の日坂越そのものではないが、新日坂越とも言える今回の峠も、同様に極めてマイナーな峠である。いくら峠好きと言っても、この程度の峠までいちいち勘定に入れてたら、この広い日本、同程度以上の峠が一体いくらあるか知れたものではない。何故、日坂越を取上げたか、それにはまず、春日村について語らずにはなるまい。
 
 春日村との出会いは1996年夏のことであった。今となっては何故、春日村に足を踏み入れたか定かでないが、言ってみればそこに旅の匂いを嗅いだのだろう。旧坂内村や旧藤橋村と肩を並べ、岐阜県の最西端部に位置する春日村は、東面を除いた三方を山に囲まれた、小さな山村である。周囲の山々から村内に流れ下った水を集め、粕川(かすがわ)が村の中心を東流し、旧揖斐川町で木曽三川の一つである揖斐川に注いでいる。峠越えをせずに村と外界を繋ぐ道は、この粕川沿いを走る県道32号・春日揖斐川線が唯一である。その道を旅の香りに誘われるまま、ジムニーに乗って春日村へと吸い込まれて行ったのだった。
 
 当時、旅の情報源は手持ちのツーリングマップ(昭文社 中部 1988年5月発行)ただ一冊だけだった。現在のツーリングマップよりも一回り小さい、ほぼB6サイズに近い小さな地図であった。他に旅行雑誌などは一切使わない。ツーリングマップに書かれていることが全てで、それだけを頼りに旅をしていた。そして春日村には何も書かれていなかった。ただ、村の美束(みつか)と呼ばれる所に「民宿とバンガローが多い」とのみ記され、それ以外に何の観光名所も記載がなかった。
 

春日村美束から北へ向かう (撮影 1996. 8.15)
この時は途中で通行止・立入禁止
 その美束付近に着いた頃には、もう日の暮れも近い時刻となってしまった。「民宿」や「バンガロー」の文字から、何となくその付近で野宿地が探せるものと期待していたが、なかなか良い場所が見付からない。美束から更に村の北端へと車を進める。すると、途中からセンターラインもある立派な道になったかと思うと、道幅いっぱいのゲートによる通行止・立入禁止となった(左の写真)。元々ツーリングマップに久瀬村に通じる車道の記載はなく、どこかで行止りになるとは覚悟の上だったが、こんな状況で行き止まっては、野宿のしようがない。仕方なく退散し、寂しい林道で野宿したのだった(☆実例06)。
 
 その通行止の道が新日坂越とも言える新しい峠道として開通するのだが、当時はまだ工事の途中だったのではないだろうか。こんな事があってその後も春日村やその通行止の道が気になっていたが、後に買ったツーリングマップル(昭文社 4 中部 1997年3月発行)では、久瀬村との間に車道が描かれ、あの道が開通したのだと知った。
 
 春日村は山に囲まれているだけあって、粕川沿いを除けば、開削される道は皆峠道となり易い。車道として古いものでは、南の関ヶ原町に抜ける道がある。「峠と旅」では岩手峠(いわでとうげ、仮称)として掲載しているが、元々の岩手峠は垂井町との間の峠道で、車道はその西隣の関ヶ原町との間に開削された。名神高速道路や東海道本線、東海道新幹線などが通る関ヶ原町へと直接抜ける道路ではあるが、道は細く長く、あまり使われる気配はない。
 
 また春日村で欠かせないのは国見峠である。国見峠自身は古いものだが、そこに車道が通ったのはつい最近で、新日坂越とほぼ同じ時期だと思う。こちらは険しい林道の峠で、尚更一般向きではない。
 
 旧春日村と外界を結ぶ車道としては、他に垂井町との境を通って東の池田町方面に抜ける林道も整備されたが、こちらも生活路とは掛け離れた存在だ。
 
 この様に、春日村は小さいなりにも峠道が多く、峠愛好家には欠かせない村となっている(?)。しかし、その他と言ったら、長者の里というキャンプ場があったり、近年になって国見峠の下に国見岳スキー場(看板には国見岳リゾートスキー場とある)ができたりして、観光に力を入れているようだが、今ひとつ活気に欠ける気がしないでもない。
 
 そんな中、春日村にはあの「さざれ石」があるのだ。その石を見て次の歌が詠まれたと伝承されている。
 
 わが君は、千代に八千代に
 さざれ石の、巌(いわお)となりて
 苔のむすまで
 
 言わずと知れた国家「君が代」の元になった歌の「さざれ石」である。しかし、道路地図などでこの存在を示しているのをあまり見たことがない。春日村を訪れて初めてこのさざれ石があるのを知った。あまり有名ではないのだろうか。それに、さざれ石公園に祀ってあったさざれ石は一つだけではなかった。大きな物でも幾つかある。小さな物は売っている。仮にも日本の国家となるさざれ石なのに、やや腑に落ちないのであった。

さざれ石 (撮影 2004. 9.24)
さざれ石はこれ一つではなく、他にも大きなものが幾つかある
 
 峠はあるし、さざれ石はあるしで、春日村はそれなりに旅をして楽しい土地である。ただ、好みに大きく依存することは否めないのだが。
 
 
春日村の美束から
 

左へ国見岳スキー場への分岐 (撮影 2004. 9.25)
ここを左に行くとスキー場を経て国見峠に通じる
キャミの後ろに同行者O氏のジムニー
 2004年9月、滋賀県伊吹町(いぶきちょう)から国見峠を越えて春日村に入った。前日、さざれ石公園や岩手峠を探訪したが、それを含めると春日村を訪れるのはこれで通算4度目である。国見岳スキー場を左手に見て過ぎ、粕川を渡って日坂越へ通じる本線の道に入る(左の写真)。
 
 この分岐ではスキー場の看板が大きいが、中には小さく「伊吹町 23km」ともある。国見峠越えの林道を指しているのだろうが、この道はそれなり険しく一般向きではないのだが・・・。
 
 この時は珍しく同行者が居た。O氏はジムニーに乗る。雑誌掲載の取材を兼ねた旅であった。車一台の単独行がほとんどなので、なかなか勝手が分からない。
 
 この付近は旧春日村の美束(みつか)と言う大字があった地である。現在は春日美束と呼ぶらしい。この集落内唯一と言ってよいこの幹線路は、県道32号である。この部分では粕川とその上流の表川に沿って北上している。
 
 県道と言えども集落内を通る道は狭いが、沿道の様子は極めてのどかである。落ち着いた山村の雰囲気だ。
 
 県道を北へ遡ると直ぐにも右への分岐が出てくる(下の写真)。県道は道なりに左へカーブして続き、表川を渡って西走する。日坂越へはこの分岐を右に入る。右への分岐と言っても、ほとんど直進に近い。また道路看板が立っているので、日坂越への道を見過ごすことはない。看板には下記の様にある。
 
 ↑ 森の文化博物館 長者の里 長者平スキー場
 ← 伊吹町 国見岳リゾートスキー場
 
 県道方向へ進むと、前掲の分岐と同様、国見岳スキー場から国見峠へと行ける。

集落内の様子 (撮影 2004. 9.25)
左手に粕川の上流・表川が流れる
 
 
県道からの分岐
 

右に峠への分岐 (撮影 2004. 9.25)
県道は道なりに左へとカーブして表川を渡る

左とほぼ同じ場所 (撮影 2001.11.12)
 
 県道から分かれた道は、尚も表川沿いを行く。人家が点在し、小さな畑がそこここに作られている。山里ののどかな様子だが、ひとたび目を上げると、村の背後には岐阜・滋賀県境の峰々がそびえ立つ。雪の季節には険しい様相を呈するのだろう。

県道から分かれた直後の道 (撮影 2004. 9.25)
 
美束付近の風景 (撮影 2001.11.12)
峠を背に集落方向に見る
 
 
工事箇所
 
 概ね人家も過ぎると、蛇行する表川に沿った道が悪くなる。そこでは改修工事が進んでいた。久瀬村との間に立派な車道の峠道が開通したことに伴い、そこに通じる道も相応なものにしようとしている様だ。沿道に人家がないので、改修し易いと言うのもあるかもしれない。 
 
 反面、人家が多い集落内の道は拡幅などし難いことだろう。この部分の道路改修は、春日村の観光資源へのアクセスを良くすることも目的の一つだろうが、ここに辿り着くまでの道程の方が、よっぽど長かったように思う。但し、旧久瀬村側から直接、長者平スキー場などにアクセスするなら、この改修は有効なのかもしれない。
 

表川を渡る狭い橋 (撮影 2001.11.12)
美束の集落方向に見る
この付近の道が特に険しかったが、
今はもう改修されただろうか?

大々的に工事中の道 (撮影 2001.11.12)
峠方向に見る
 

多くはこの様に改修が終了していた (撮影 2004. 9.25)

改修中の箇所 (撮影 2004. 9.25)
なかなか険しい
 
 
「長者の里」付近
 
 ついにはセンターラインもある快適な道が現れる。こんな山の中に、一体何事だろうかと思う。さっきまでの集落内を通る狭い道を考えると、ちょっとした違和感がないでもない。
 
 すると左手に「長者の里」と書かれた看板が現れる。入ったことはないのだが、看板の脇を入った奥にキャンプ場があるらしい。旅の最中の宿泊手段として野宿はするが、体裁の良いキャンプはしたことがない。アウトドアなど無縁な者には、どうも長者の里は敷居が高くて踏み込めない感じがする。
 
 初めて春日村を訪れた時は、この長者の里を過ぎた先で、通行止に遭ったのだ。

左に長者の里 (撮影 2001.11.12)
峠方向に見る
ジムニーは峠を下って来たところ
路上に道路の案内看板が掲げられている
「大規模林道 関ヶ原・八幡線 春日・久瀬区間」とある
 

長者の里の前の看板 (撮影 2001.11.12)
美束の集落方向に見る
 長者の里付近は、道も良くなり、ちょっとしたリゾート地の雰囲気がないでもない。長者の里の入口前に立つ看板には、「森と学び 森と暮らす村 かすが」と題してあり、いろいろな観光場所が列記されている。
 
 道はこの先、峠を越えて旧久瀬村まで、ずっと快適な2車線路が続くが、この峠道の名前は何であろうか。道路地図には見掛かけない。長者の里の前に道路の案内看板がポツリと掲げられているが、それには次の様にある。
 
 大規模林道 関ヶ原・八幡線 春日・久瀬区間
 
 「関ヶ原」とは春日村の南に隣接する関ヶ原町のことだろうが、「八幡」とはあの郡上八幡(ぐじょうはちまん)だろうか。そうだとしたら、同じ岐阜県内でもここから随分と離れている。正しく「大規模林道」なのであった。
 
 看板にある「春日・久瀬区間」と言うのは納得できる。丁度今回の峠を挟んだ峠道の区間である。正確には、旧春日村の「長者の里」の前から、旧久瀬村で県道40号・山東本巣線に合流するまでの区間と思われる。
 
 それにしても、林道に入ってからはセンターラインもある二車線路で、それまでの春日美束の集落付近の方は狭い道で、ちょっとおかしなことになっている。2車線路は快適で良いが、あまり風情(ふぜい)は感じられない。ましてや、峠道を越えると言う険しさは微塵もない。

長者の里を過ぎた後はずっと快適な道 (撮影 2004. 9.25)
 
 
旧道の分岐を探す
 

鍋倉山への登山道 (撮影 2004. 9.25)
「鍋倉山 3.8km」とある
その上にもう一つ案内があるのだが、かすれて読めない
 快適な舗装路なので車だと峠まで直ぐだが、ここで少し道路脇に目を向けなければならない。旧道の峠道が途中から分岐している筈なのである。本来の日坂越へと通じる古い峠道だ。道の右手に注意して進む。
 
 まず、鍋倉山への登山道があった(左の写真)。日坂越は西の貝月山(かいづき、1,234.3m)と東の鍋倉山(1,049.9m)との間の鞍部に位置する。鍋倉山へは日坂越から尾根上を東海自然歩道が続いている。よって、鍋倉山への登山道は日坂越を経由している可能性があるのだ。しかも、「鍋倉山 3.8km」と書かれた案内看板の上にもう一つ何か書かれた看板があるのだが、残念ながら文字はかすれて読めない。全部で3文字で、最初は「日」とも読めそうで、「日坂越」かもしれないのである。
 
 しかし、新しい林道から分岐して暗い林の中へと進むその山道は、あまりにも寂しい感じがした。いくら旧道といっても、これ程寂れるとは思えないのである。
 
 その次には車一台がどうにか入れそうな道が見つかった(右の写真)。入口付近は、林道工事のついでにでも少しアスファルト舗装したらしいが、その直ぐ先は未舗装である。入口には何の標識も立っていないが、もしかしたら、これこそが旧春日村と旧久瀬村をつないでいた、日坂越の古い峠道ではないだろうか。
 
 しかし、中に入り込んで確かめる時間がない。今回は同行者がいて、これからホハレ峠の探訪を目的としているのだ。こうして訳も分からない分岐を写真に収めている間も、同行者には車の中で待ってもらっている。後ろ髪を引かれながらも、車を先に進めることとした。
 
 こうして旧道の峠道、そして本来の日坂越は、分からず仕舞いになってしまった。やや残念である。

旧道か? (撮影 2004. 9.25)
 
 
峠に着く
 
新しい日坂越 (撮影 2001.11.12)
 奥が旧久瀬村、手前が旧春日村
ジムニーはこれから春日村へ下ろうとしている
 

久瀬村を示す看板 (撮影 2004. 9.25)
 新しく開削された大規模林道の峠道は、ゆったりと右カーブを描きながら峠に着く。旧道とは異なったルートを取ることで、新しく開削されたこの車道は、なだらかな勾配にできている。また、峠は深い鞍部ではない所を選んで通していて、峠の部分は空が大きく開け、明るい感じである。
 
 そして峠には何もない。ただただ道が稜線のピークを緩やかに越えているだけだ。旧村境である境界もはっきりしない。僅かに、久瀬村に向かって左側に小さく、久瀬村を示す案内看板と、「安全速度 30」と書かれた速度標識が一緒になってポツンと立つ。後は風が通り過ぎるだけ。今は揖斐川町となってしまったので、この「久瀬村」の看板も、既に取り払われてしまっているかもしれない。
 
新しい日坂越 (撮影 2001.11.12)
旧久瀬村側から旧春日村方向に見る
 
 
峠の旧春日村側
 

春日村側より峠を見る (撮影 2004. 9.25)
しゃがんでカメラを構えるのは同行者のOさん

峠の春日村側の下方向を見る (撮影 2004. 9.25)
 
 峠からは、車道の直ぐ脇から春日村側が眺められる。春日村は正しく山々に囲まれた地だった。深い森林の他に人工物はほとんど見られない。その向こうに見えている高い山の連なりは、滋賀県との県境を成す峰であろう。

峠からの春日村側の眺め (撮影 2004. 9.25)
 
峠から春日村を眺めるパノラマ写真 (撮影 2001.11.12)
 
 
峠の旧久瀬村側
 
 峠より旧久瀬村側は、道はストレートに下っている。爽快な道だ。道路の左側に電柱が一列に並んでいるのが印象的だ。
 

峠から久瀬村側を見る (撮影 2004. 9.25)

左とほぼ同じ場所 (撮影 2001.11.12)
季節によって山の色合いが違う
 

久瀬村側を眺める (撮影 2004. 9.25)
 峠を歩いて少し旧久瀬村側に下ると、右手(北東方向)の林の間から、僅かに下界の様子が眺められる(左の写真)。
 
 
 
 また、同じく峠を少し旧久瀬村側に下った左手より稜線方向に、砂利道が一本分岐する。但し、直ぐゲートで行止りだ(下の写真)。ゲートの先には、U字溝の様なコンクリートブロックが積まれていた。林道工事をした時の残り物だろうか。峠の前後には、路側に車を停める十分なスペースがないので、少しの間なら、このゲートの前に車を置けば、交通の邪魔にはならないだろう。
 

峠から西への分岐 (撮影 2004. 9.25)

左とほぼ同じ場所 (撮影 2001.11.12)
 
 
旧久瀬村側に下る
 

久瀬村側から峠方向を見る (撮影 2001.11.12)
 峠を過ぎる風の様に、こちらも峠を後に早々と久瀬村側に下る。峠愛好家などの峠に用がある者でなければ、それこそ素通りされてしまう峠である。これが、峠に小さくていいから駐車スペースがあれば、一般車でも立寄る機会が増えよう。そして、峠からの景色を眺め、一息入れることだろう。
 
 快適な車道の峠だけに、仮にここを越える人が増えても、峠を意識する者は少ない。ましてや名前もない峠である。昔の歩いて越える峠なら、それこそ峠で立ち止まらない者など居なかった筈だ。本来の日坂越の方が、ずっと存在感があったに違いない。
 

久瀬村側の眺め (撮影 2001.11.12)

久瀬村側の眺め (撮影 2001.11.12)
 

久瀬村側の道の様子 (撮影 2001.11.12)
峠方向に見る
 峠からある程度下って来ると、比較的眺めが広がりだす。春日村側よりも走っていて気分がいい道だ。ただ、峠から下の県道に至るまで、3kmもない程の短さだ。爽快な気分に浸っていたと思うと、直ぐ終点に着いてしまう。
 
 
旧久瀬村側の峠道の起点
 
 峠道は日坂川に架かる橋を渡った所で県道40号に接続する。日坂越の峠道の領分はここでお仕舞いだ。出た県道を右(東)に日坂川に沿って下れば、本流の揖斐川沿いを行く国道303号に出られる。一方、県道を左(西)に登れば、旧久瀬村と旧坂内村との境(旧道には日坂峠がある)を越え、旧坂内村坂本へと通じる。よって、県道は日坂峠の峠道の領分と考える訳である。
 
 峠方向に向かって橋を渡った右手に、林道の案内看板が立っている。大規模林道の「春日・久瀬区間」の久瀬側基点を示しているものと思う。峠道の起点とこの林道の起点を一致して考えておけば、分かり易いと言うものだ。
 
 尚、こちらの林道看板には、「大規模林道」の代わりに「公団幹線林道」とある。施行が「森林開発公団」となっている。「森林をつくり・林道をつくり・ゆとりをつくる」と言う標語が加わっている。この「林道をつくり」と言うことにより、この新しい日坂越の車道も開削された訳だ。山を切り開いて新しい道が造られることは、諸手を挙げて賛成できる訳ではないが、こうしてできあがっている林道は、折角だから十分と活用したいと思う。それが峠道なら尚更だ。

旧久瀬村側の峠道の起点 (撮影 2004. 9.25)
 

林道の看板が立つ (撮影 2001.11.12)

林道の看板 (撮影 2001.11.12)
「森林をつくり・林道をつくり・ゆとりをつくる」
 

旧久瀬村側の峠道の起点 (撮影 2001.11.12)

 外界から旧春日村の領域に入る道として、この新しい日坂越の峠道は、他の道と比べても断然快適な道と思える。終始センターラインのある新しい舗装路が、長者の里の先まで続いているのだから。しかし、どうしても裏口の様に思えてならない。峠が旧村域の最も北に位置していることと、旧春日村の中心地から随分離れていることは勿論のこと、人家からも遠い存在だからだ。いくら良い道とは言っても、残念ながら旧村民の生活上、あまり利用価値が高そうには思えない。県道から峠道を覗いても、山の中へと登って行く立派な道が、かえってよそよそしく感じる。春日村を示す道路標識もほとんどなく、どこか人知れずこっそり春日村に入る道の様な気がするのだった。
 
 橋を渡る手前の袂に、春日村の観光案内の看板が立っていた。この道が春日村へ通じることを示す、ほとんど唯一と言ってよい様な存在だった。看板にはあの「さざれ石公園」も書いてある。スキー場やキャンプ場なら、他に幾らもあるが、「さざれ石」はそうあるものじゃない。
 
 ただ、さざれ石公園は旧春日村のどちらかと言うと南の端にある。この新しい日坂越を越えて行くと、南北に長い村域のほとんどを縦断することになるのだ。しかも、道が良いのは最初の峠道区間だけである。集落が現れてからは狭い道が続く。まあ、旧春日村を探訪する積りで行くなら、打って付けのコースなのだが。

春日村の案内看板 (撮影 2001.11.12)
長者の里 モリモリ村 さざれ石公園へ行けます
 
 
分岐周辺の様子
 
 峠道が分岐する付近の県道40号も、比較的最近、改修が行われた様で、交差点も立派なものとなっている。右折車線もしっかりある。ただ、県道上に分岐を示す道路標識をほとんど見掛けない。これも、道は立派でも所詮林道の分岐だからだろうか。
 

県道40号を東に見る (撮影 2004. 9.25)
右が峠道へ

県道40号を西に見る (撮影 2004. 9.25)
この先の旧道に日坂峠がある
新しい日坂越へは右折車線もある
 

上の写真とほぼ同じ所 (撮影 2001.11.12)

上の写真とほぼ同じ所 (撮影 2001.11.12)
 
 林道の分岐付近に人家はほとんどない。峠の名前となっている日坂の集落は、ここより県道を2km程、日坂川沿いに下った地点にある。本来の日坂越の峠道は、その日坂の集落に直接下っていたものと思う。日坂越から下って日坂川へと注ぐ支流に「前谷」と呼ぶ川があるのだが、その川に沿って峠道があったようだ。
 
 また、「前谷」より更に上流側に「和佐谷」と呼ぶ川がある。新しい林道の峠道は、ほぼその谷の西斜面に付けられているのだが、 2万5千分1地形図を見ると、その川沿いを登って旧村境を越えている道も描かれている。どちらにしろ日坂越にしても、その峠道にしても、峠前後は点線になっており、やはり旧村境に車道が通ったのは、今回の林道の峠が初めてなのだと思う。
 
 全長でも僅か6km程の小さな峠道で、しかも全線舗装でその大半が快適な二車線路ときている。険しい未舗装の林道でもなければ、長大な山岳道路でもない。通行量が極めて少なく、峠からの展望が少し楽しめる程度で、これと言って魅力がある訳ではないのだが、やはりどこか惹かれるところがある。それは旧春日村を探訪する、また一つの峠道だと言うことだろうか。素朴な美束の集落があり、さざれ石があり、岩手峠や国見峠がある。周辺には八草峠や鳥越峠など滋賀・岐阜県境の険しい峠道も近い。旧春日村の裏口の様な峠道だが、旅の途中でちょっと越えてみようかと思わせる、そんな新日坂越であった。
 
  
 
<走行日>
・1996. 8.15 春日村美束から北上するも通行止(ジムニー、野宿)
・2001.11.12 久瀬村→春日村(ジムニー)
・2004. 9.25 春日村→久瀬村(キャミ)
 
<参考資料>
・昭文社 中部 ツーリングマップ 1988年5月発行
・昭文社 ツーリングマップル 4 中部 1997年3月発行
・昭文社 ツーリングマップル 4 中部北陸 2003年4月発行
・昭文社 県別マップル道路地図 岐阜県 2001年1月発行
・角川 地名大辞典 岐阜県(春日村の項)
・国土地理院 地図閲覧サービス 2万5千分1地形図  横山(岐阜) 及びその周辺
・その他(インターネットでの検索など)
 
<Copyright 蓑上誠一>
  
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