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一ツ森峠
  ひとつもりとうげ  (峠と旅 No.301)
  白神ライン西端の峠道
  (掲載 2018. 9. 7  最終峠走行 2018.10.13)
   
   
   
一ツ森峠 (撮影 2018.10.13)
手前は青森県西津軽郡深浦町大字松神
奥は同町大字長慶平
道は県道28号(主要地方道)・岩崎西目屋弘前線(通称:白神ライン、旧弘西林道)
峠の標高は約680m (地形図の等高線より読む)
(上の画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
峠を示す看板は立つが、あまり峠らしくない峠
それもその筈で、峠道の最高所は別にあり、そちらの方がずっと峠らしく見える
この付近の地形はやや複雑だ
 
 
 
   

<白神ラインの峠>
 津軽峠天狗峠と掲載し、今回の一ツ森峠が白神ライン最後の峠となる。

   

<所在>
 峠の東側は青森県西津軽郡深浦町(ふかうらまち)大字長慶平(ちょうけいだいら)であることは、天狗峠のページで示した。人の住む長慶平集落からは全く離れていて、分かりづらかった。 一方、峠の西側の大字を調べるのも苦労した。どうやら深浦町大字松神(まつがみ、まつかみ)であるらしい。
 
<旧岩崎村>
 峠は、以前は深浦町と岩崎村との境であった。2005年にその両者が合併し、新しい深浦町となった。松神も元は岩崎村の大字である。
 
<峠の位置>
 町村境だったのが現在は峠周辺全て深浦町になり、地図上に境界線が描かれなくなった。その為、峠の位置が分かり難い。 それに峠付近の地形が複雑で、等高線から稜線(分水界)を読み解くのが難しくなっている。そもそも地形図上には一ツ森峠の記載が抜けている。 現在の白神ライン沿いに立つ案内図では、一ツ森峠は必ず出て来るのだが、何しろアバウトな地図なので正確な場所は分からない。ドラレコ動画を何度も見返し、やっとここだろうと思う地点を下記の地形図でリンクを貼った次第だ。

   

<地形図(参考)>
国土地理院地形図 にリンクします。
   


(上の地図はマウスによる拡大・縮小、移動ができるようです)
   

<水系>
 峠の東側では、秋田県境の真瀬岳西方を源流とする追良瀬川(おいらせがわ)が旧深浦町内をほぼ北流して追良瀬で日本海に注いでいる。西側は白神岳(しらかみだけ)を源流とする笹内川(ささないがわ)が旧岩崎村内を流れ、岩崎で日本海に注ぐ。峠は追良瀬川・笹内川分水嶺上に位置する。

   

<峠名>
 前回の天狗峠と同様に、峠の近くにある一ツ森(799m)という山名から取られたものと思う。峠道は一ツ森の直ぐ東に通じている。

   

<分水界(やや余談)>
 深浦町・岩崎村の旧町村境は、峠付近では追良瀬川・笹内川の分水界と一致しているものと思う。峠の1Km余り北に小箱峰(こばこみね、926m)という山がある。文献(角川日本地名大辞典)では、この山は「笹内川と追良瀬川両河谷の鞍部、深浦町との境界」としていて、地形図を見てもここに境界線が通っていることは間違いない。ただし、峠近くになって境界線が曖昧だ。
 
 旧町村境が描かれた道路地図などを知れべてみると、どうやら標高約730mのピークを通過しているようだ。それより高い一ツ森を通過していない。その後、境界線は峠を過ぎ、南の太夫峰(1164m)へと延びるらしい。
 
 一ツ森は完全に笹内川水系側に入ってしまっているようだ。道はその山の直ぐ東側を通過し、そこが道の最高所となる。標高約700m。峠より10〜20m高い。変則的な峠道になっている。

   
   
   
長慶平側より峠へ 
   

<追良瀬大橋袂>
 天狗峠と一ツ森峠の境は追良瀬川に架かる追良瀬大橋となる。左岸側の袂近くに「白神山地世界遺産地域」と題した看板が立つ(下の写真)。峠道全体が深浦町になっているので、岩崎村が合併した後の看板である。
 
 一ツ森峠前後の地図はあっさりしている。天狗峠からは稜線上を天狗岳(958m)へと世界遺産地域の管理歩道(天狗岳遺産管理歩道などとも)が延びる。 同じように、一ツ森峠からは向白神岳(むかいしらがみだけ、1243m)、更に白神岳(しらかみだけ、1232m)へと山道が通じるが、通行困難となっている。 地図にはないが、向白神岳の前に太夫峰があり、そこまでの道を「自然観察歩道」としているパンフレットもある。

   
追良瀬大橋の近くに立つ世界遺産の看板の一部 (撮影 2018.10.13)
現在地は追良瀬川左岸
   

 参考まで、津軽峠にあった看板の地図も示す(下の写真)。岩崎村がまだあり、深浦町との境界線が描かれている。小箱峰から太夫峰に至る稜線がそれである。一ツ森が680mとなっているが、誤植だろうか。地形図では799mである。
 
 一ツ森峠の旧岩崎村側にトイレ(W.C)や白神岳展望所がある。そこが数少ない立ちよりポイントだ。

   
津軽峠にあった看板 (撮影 2018.10.13)
地図は斜め右下が北
   

<道路看板>
 追良瀬大橋を出発すると、道は直ちに未舗装となる。その直ぐ先に道路看板が立っている。

   

追良瀬大橋を背に峠方向を見る (撮影 2018.10.13)
直ぐに未舗装になる

道路看板が立つ (撮影 2018.10.13)
   

<西目屋・岩崎間の距離>
 峠方向に見る看板には「能代 78Km、岩崎 24Km」とあり、反対側には「弘前 67Km、西目屋 50Km」と出ている。弘前・能代間は78+67=145Km、西目屋・岩崎間は24+50=74Kmとなる(看板の場所によっては73Km)。
 
 この「西目屋」は西目屋村役場のある大字田代で、「岩崎」は旧岩崎村の中心地大字岩崎と思われる。「岩崎 24Km」はここから白神ラインの終点までの距離だと思って大筋間違いない。

   

看板を追良瀬大橋方向に見る (撮影 2018.10.13)

弘前市街方向の道路看板 (撮影 2018.10.13)
   

<峠道の道程>
 また、丁度峠にも距離を示した道路看板が立つ(下の写真)。「岩崎 18Km」、「西目屋55Km」と出ている(この場合は合計73Km)。 これらからすると、峠の旧深浦町側が約6Km、旧岩崎村側が約18Kmということになる。岩崎側が長いのは笹内川沿いを延々と河口近くまで走るからである。

   

峠に立つ道路看板 (撮影 2018.10.13)
岩崎方向に見る

峠に立つ道路看板 (撮影 2018.10.13)
弘前市街方向に見る
   

<峠への登り>
 天狗峠を下って来たばかりなのに、再び道は一ツ森峠へと登り始める。峠道の連続というのは、やや虚しさを覚えるものらしい。しかも、一ツ森峠の旧深浦町側は、立寄りスポットが何もない。 視界も広がらず、景色を楽しむこともない。ただただ曲がりくねった砂利道が続くばかりだ。道路脇に流れ下る小さな滝を見付けて眺めてみるが、空しいばかりである。

   

道の様子 (撮影 2018.10.13)
特筆することが何もない

小さな滝 (撮影 2018.10.13)
   

<道の様子>
 路面状況もやや寂れた感じがする。津軽峠は勿論のこと、天狗峠に比べても、人気(ひとけ)が少ないなったような気がする。路肩に停められている車や離合する車は、本の数台であった。

   

道の様子 (撮影 2018.10.13)

車が停められていた (撮影 2018.10.13)
   
   
   
峠直前 
   

<峠直前>
 峠の数100m手前辺りから、空が開けて来て道の勾配が緩くなった。周辺の地形そのものも穏やかである。何となく峠が近そうな気がするが、目の前に分水界の峰がそびえる訳ではなく、峠の所在は見当がつかない。

   
空が開け、峠が近そうだ (撮影 2018.10.13)
   

<太夫峰登山口>
 峠の100m程手前、ヘアピンに近い右カーブのカーブミラー脇から登山道が始まっていた。入口に立つ標柱には「太夫峰登山口」とあった。その先の沿道には「白神山地森林生態系保護地域」と「白神山地の入山マナー」の看板が並ぶ。これらは津軽峠の奥赤石(川)林道入口脇に立つ物とほほ同様だ。
 
 太夫峰登山口とあるように、その登山道は一ツ森峠に続く稜線上を南の太夫峰(1164m)にまで至る。地形図にもその徒歩道が描かれ、パンフレットによっては「自然観察歩道」と記している。 この登山道入口の少し手前の路肩に軽乗用車が一台停められていたが、登山者の物かもしれない。太夫峰から更に稜線を進むと白神山地の最高峰・向白神岳(1243m)がそびえるが、看板によるとそこまでは通行が禁止されている様子だ。

   
左に登山道が分岐 (撮影 2018.10.13)
入口に「太夫峰登山口」の標柱が立つ
   

<峠へ>
 登山道分岐のカーブを曲がり切ると、100m足らずの直線路になる。その奥に看板が見えた。そこが峠であるのだが、どうにも峠らしくない。

   
この先の正面が峠 (撮影 2018.10.13)
   

<地形図にない分岐>
 峠の50mあまり手前に東へと延びる分岐がある。最初は後続車を避ける積りで車を停めたのだが、そこが道だとは思わなかった。側らに黄色い看板が立ち、「立入はご遠慮下さい」とあった。 停めた車の背後を見ると、生い茂った草の下に砂利が敷かれている様子だった。登山道のような細い道ではなく、明らかに車を通すだけの幅がある。
 
 多分、この道はほぼ稜線に沿って北へと向かったのではないだろうか。太夫峰への登山道が稜線を南へと通じいているが、それに続く稜線沿いの道ではないかと思うのだ。


車を停めた所に分岐あり (撮影 2018.10.13)
   

分岐を弘前市街方向に見る (撮影 2018.10.13)

分岐方向を見る (撮影 2018.10.13)
   

分岐する道 (撮影 2018.10.13)
ほとんど廃道状態

立入禁止の看板 (撮影 2018.10.13)
   
   
   
 
   

<峠へ>
 太夫峰登山口を過ぎているので、道は既に稜線上に登り切っているようだが、峠が出て来ない。廃道分岐も過ぎ、更に数10m進んだ何でもない直角カーブの所に、「一ツ森峠」と看板が出て来た。 東側が山、西側が谷で、峠らしい切通しの形態を成さない。峠の看板がなければ、素通りしてしまう。

   
旧深浦町(大字長慶平)側から見る峠 (撮影 2018.10.13)
左カーブの地点が峠
   

<峠の様子>
 一ツ森峠は単に未舗装路がカーブしているだけで、車を停められるような路肩はない。太夫峰登山口付近からずっと登り坂が続き、この地点で登り切った感はある。しかし、峠を過ぎた先も、道は若干登り坂気味なのだが。
 
 太夫峰登山口付近からこの峠の看板が立つ地点まで、道はほとんど稜線沿いに通じるのではないだろうか。 本当は太夫峰登山口から廃道分岐くらいの所が、若干だが切通しとなっていて、まだ峠らしい。しかし、道は更に登りが続く。そして峠の看板の地点でカーブし、その後はっきりと旧岩崎村側に入って行く。 それでそこを峠としたのではないだろうか。地形的には、太夫峰登山口から峠の看板の所まで、ずっと峠の様なものである。


峠より弘前市街方向を見る (撮影 2018.10.13)
   

峠より旧岩崎村方向を見る (撮影 2018.10.13)

峠の旧岩崎村側を望む (撮影 2018.10.13)
道はまだ登って行く
   

<看板>
 カーブの入口に「一ツ森峠」、「岩崎 18Km」とあり、反対側にも「一ツ森峠」、「西目屋55Km」とある。よく見ると、何かの看板が外された形跡がある。 多分、「岩崎村」、「深浦町」の町村境を示す看板だ。岩崎村が深浦町に合併し、峠の全てが新しい深浦町になった。それで、それらの看板が撤去されたのだろう。 今はない「岩崎村」の看板を見てみたかった。単に看板を外すだけでなく、「旧岩崎村」とでもして看板を残してくれると嬉しいのだが。

   
旧岩崎村側から峠を見る (撮影 2018.10.13)
「深浦町」の看板は外されたようだ
   
   
   
峠より旧岩崎村側へ 
   

<松神>
 峠の西側は深浦町大字松神である。文献などでは「まつかみ」とあり、そちらが正式かもしれないが、「まつがみ」とも発音されるようだ。 日本海岸沿いに通じる国道101号やJR五能線沿線に集落が集まるが、少し内陸の十二湖や日本キャニオンの観光地で知られる。松神集落とは水系が異なる笹内川の上流部に一ツ森峠はある。 一見何の関わり合いもなさそうに見えるが、地域としては大字松神に入るらしい。ただ、「大字松神」では分かり難いので、ここでは「旧岩崎村」という表現を多用している。
 
<道の様子>
 旧岩崎村側に入っても、道は一向に下らない。前方にこんもりした山が見えて来た。それが峠名の元となった一ツ森らしい。道はその山の手前(東側)に回り込んで行く。

   

峠より旧岩崎村へと進む (撮影 2018.10.13)
前方に見えるのは一ツ森

道はまだ登って行く (撮影 2018.10.13)
   

<道の最高所>
 峠の看板から200m余り進むと、道は切通し状になった。分水界の峰と一ツ森に挟まれた鞍部である。そこが道の最高所ともなる。峠の看板がある付近は標高約680mだが、この切通し部分は700mに近い。まるで峠そのものだ。それでも一ツ森は笹内川水系にすっぽり入っているので、分水界を越える峠とは言えない。

   

ちょっとした切通し (撮影 2018.10.13)

道の最高所 (撮影 2018.10.13)
まるで峠だ
   

<切通しを抜ける>
 切通しの先には何かの看板が立っている。裏側で何が書かれているか分からないが、こんな様子も如何にも峠らしく見える。

   
切通しを抜ける (撮影 2018.10.13)
看板が立ち、その先に山を望み、如何にも峠っぽい
   

<道路看板>
 看板はよくある道路看板であった。「弘前 73Km、西目屋 56Km」とある。峠の看板の地点では「西目屋 55Km」とあったが、300mくらいしか進んでない。

   
切通しを峠方向に見る (撮影 2018.10.13)
   

<林道茶臼岳線>
 切通しを抜けた直ぐ先、東へと道が分岐する。入口に「林道 茶臼岳線」と看板がある。この道は地形図にも記載があるが、分岐から200m余りで道が途切れている。

   
切通しを峠方向に見る (撮影 2018.10.13)
左に林道分岐
   

<林道の様子>
 入口から見る林道茶臼岳線もほとんど廃道である。ところで、茶臼岳線というからにはそのような山がある筈だ。 ここより5Km余り北に茶臼山(896m)という山はあるが、少し遠い。地形図には掲載がないが、この近くに茶臼岳と呼ばれる山があるのだろう。

   

林道の様子 (撮影 2018.10.13)
廃道状態

林道看板 (撮影 2018.10.13)
   

<小箱峰>
 切通しを抜けた先、その正面に円錐形をした形の良い小山が望む。多分小箱峰(こばこみね)である。標高926m。追良瀬川と笹内川との分水界上にあり、深浦町と岩崎村の旧町村境でもあった。こうした眺めもあり、本来の峠よりこちらの切通しの方がよっぽど峠に似つかわしい。

   
正面に小箱峰を望む (撮影 2018.10.13)
   

 道は小箱峰の手前を曲って西を向き、一ツ森との間を抜けてから本格的な下りを開始する。

   
   
   
小箱峰以降 
   

道の様子 (撮影 2018.10.13)

<道の様子>
 追良瀬大橋以降の未舗装路は続いている。旧深浦町側では路面は湿っていて水溜りも時折見られたが、こちら側は比較的乾燥し、道幅もやや広くて走り易い。一ツ森や小箱峰を眺めるくらいで、他に遠望がないのが残念だ。

   

<バイク(余談)>
 白神ラインもずっと西になるこの一ツ森峠にも、僅かだが車やバイクがやって来る。一方、山菜採りなどで訪れる車はめっきり減ったように思う。やはり、大きな人口を抱える弘前市街から遠いせいだろうか。訪れる車やバイクは、ドライブやツーリング目的のようであった。
 
 一台のバイクが登って来た。どっかりとシートに体重を預けた乗り方なので、やや年齢の高いライダーであろう。ヘルメットから覗く顔がやはりおじさんである(ただ、私の方がずっと歳だが)。 若者ならステップに体重を掛け、両膝でタンクを締め、バイクと一体となった走りである。一目で安定感があることが分かる。
 
 私は早々と45歳でバイクを辞めた。バイク歴は走行距離で8万キロとなる。大半が旅で、残りは通勤だ。周囲に歳を取ってもまだバイクの趣味をやっている者が居て、ちょっと羨ましい気もする。 しかし、私の場合は長期旅行に使っていた。暑い日、寒い日、土砂降りの雨の日。バイクは体力が要る乗り物だ。到底今の身体ではできる相談ではない。


バイクとすれ違い (撮影 2018.10.13)
   

<分岐>
 峠から1Km足らず下った所で、小箱峰西方を抜ける道の分岐があることが、地形図に描かれている。走りながらでは気付かなかったが、ドラレコを確認してみると、確かに道らしい痕跡があった。峠方向に見ると、黄色い看板が立っている。例の「この先 落枝等の恐れあり 立入はご遠慮ください 青森県」の看板である。この峠道からは何本かの枝道が延びていたようだが、今はみんな廃道同然らしい。

   

右に分岐の跡 (撮影 2018.10.13)

分岐を峠方向に見る (撮影 2018.10.13)
黄色い看板が立つ
   

道の様子 (撮影 2018.10.13)

<道の様子>
 道は一ツ森の北西麓の斜面を何回かの大きな蛇行を繰り返しながら下って行く。谷が道の左になったり右側になったりを繰り返す。未舗装ながら路面状況は概ね良好だ。一部に岩がゴツゴツ出ている箇所もあったが、やはり白神ラインである。全般的に整備が行き届いている。

   

<舗装路>
 峠を下ること2Km程の所で舗装路面が現れた。追良瀬大橋以来のことである。何かあるなと思っていると、舗装路を下って最初の右急カーブの所に、トイレと駐車スペースが設けられていた。


舗装路が出て来た (撮影 2018.10.13)
   
舗装路の様子 (撮影 2018.10.13)
   

<一ツ森やすらぎの駐車帯>
 入口に立つ大きな標柱には、「一ツ森 やすらぎの駐車帯」と書かれていた。4台程の駐車スペースと、その奥に「一ツ森公衆トイレ」がある。津軽峠と赤石大橋の袂には、「岩崎西目屋弘前線 やすらぎの駐車帯」の標柱が立っていたが、ここでは「一ツ森」とある。

   

 一ツ森やすらぎの駐車帯 (撮影 2018.10.13)
左奥が岩崎方向

 一ツ森やすらぎの駐車帯 (撮影 2018.10.13)
右奥が峠方向
バイクの先客が一人居た
   

<駐車帯の様子>
 天狗峠の東側起点となる赤石大橋にある「すらぎの駐車帯」以降、久しぶりに整った施設を見る思いだ。アスファルト敷きの駐車場に、こぎれいなトイレ。妻が利用させてもらった。


一ツ森公衆トイレ (撮影 2018.10.13)
「一」の文字が欠けている
   

展望所案内の看板 (撮影 2018.10.13)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)

<展望所案内の看板>
 トイレ横には「白神ライン 展望所案内」と題した看板が立つ。津軽峠にあった物とほとんど同じだ。白神ライン全線が描かれていて、全体を把握するのに参考になる。
 
<現在地>
 ただ、これらの看板の地図には時々細かな点で間違いがある。奥赤石展望所の位置が違っているのは津軽峠で触れたが、この「やすらぎの駐車帯」(現在地)の位置も違うようだ。 看板は南を見る方向に立っているので、地図も上が南になるように描かれている。通常と逆だ。「やすらぎの駐車帯」は南に張り出したカーブにあるので、地図でも上側に突出した位置でなければならない。看板の地図の現在地は下側に出た所にある。実際は次のヘアピン・カーブである。

   
看板の地図の一部 (撮影 2018.10.13)
地図は下が北
「現在地」は間違っている
   

<分岐>
 「一ツ森 やすらぎの駐車帯」入口とは反対側に道が分かれているようだ。例の黄色の看板が立つ。地形図では点線表記の徒歩道が分かれて行く。車道の様にも見えるが、どちらにしろ廃道同然である。

   

やすらぎの駐車帯から車道方向を見る (撮影 2018.10.13)
奥に道が分かれている

分岐には黄色い看板が立つ (撮影 2018.10.13)
   
   
   
やすらぎの駐車帯以降 
   

<道路看板>
 「一ツ森 やすらぎの駐車帯」以降も舗装路が続く。このままずっと舗装路かと思わせる。直ぐに道路看板が出て来て、「能代 70Km、岩崎 16Km」とあった。やはり峠から約2Kmということになる。

   

「やすらぎの駐車帯」直後の道路看板 (撮影 2018.10.13)

道路看板 (撮影 2018.10.13)
裏には看板はなかった
   

<白神岳展望所>
 道の山側にはコンクリートで固めた法面が続くようになる。土嚢が置かれて、土止めしている箇所もあった。地形は険しいが、道の南が開けて明るい雰囲気だ。 「やすらぎの駐車帯」から更に1Km程進んだ所、法面箇所も終りに近い頃に白神岳展望所がある。但し、広い敷地はない。僅かな路肩に車を停める。

   
白神岳展望所 (撮影 2018.10.13)
   
白神岳展望所 (撮影 2018.10.13)
峠方向に見る
左奥の山は一ツ森、峠はその奥
   

<看板>
 法面工事の看板が立つが、この展望所近くが最も新しそうな法面であった。他には本格的な工事を行っている様子はない。
 
 「白神ライン 白神岳展望所」の看板が立つが、内容は白神山地全般と世界遺産についてであり、他の看板とは地図上の現在地と眺めの写真が異なる程度だ。

   

法面工事の看板 (撮影 2018.10.13)

展望所の看板 (撮影 2018.10.13)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)
   

<展望>
 この白神ラインには奥赤石展望所、天狗岳展望所、白神岳展望所の3つがある。ただ、最初の2つは木々が成長し、かつての展望はもう得らないようだ。その点、この白神岳展望所では視界が比較的開け、展望所としての体裁はまだ整っている。

   
看板にある写真 (撮影 2018.10.13)
白神岳を示す
   

<白神岳>
 白神岳展望所という名の通り、ここからは白神岳が望めるようで、看板の写真にも白神岳が示されていた。景色の写真を何枚も撮ったので、どこかにその山が写っているだろうと調べたが、看板の写真と一致する箇所は遂に見付からなかった。少し霧で霞んでいたので、見えていなかったのだろうか。

   
実際の眺め (撮影 2018.10.13)
白神岳は見付からなかった
   
   
   
白神岳展望所以降 
   

<一時未舗装>
 白神岳展望所の先の急カーブを曲がると、再び舗装が途切れた。このまま麓までずっと舗装かと思っていたので、不意を突かれた感じだ。しかも、これまでになく荒れが目立つ未舗装路である。 流水で路面が掘られているような箇所もあり、水溜りも多い。落葉や枯れ枝の堆積もやや気になる。やはり白神ラインも西の端となり、利用される頻度も少なく、補修もあまり行われないのだろうか。


未舗装路になる (撮影 2018.10.13)
   

道の様子 (撮影 2018.10.13)
水溜りが多い

道の様子 (撮影 2018.10.13)
落葉も多い
   

 それでも、林道だと思えばまだまだましな方である。それに、確かな安心感がある。滅多に車の通らないような寂れた林道では、いつ通行困難な箇所が出て来るかも分からない。 路面が大きく掘れていたり、路肩が崩れ落ちていたり、落石が転がっていたりと、引き返しを余儀なくされる場合もある。
 
 それに比べると、ここは天下の主要地方道・白神ラインである。通り抜け出来ないという様な事態にはまずならない。通行止なら看板やゲートで前もって知らせてくれる。路面が少しくらい悪くなっても、その点は微塵も不安がない。
 
 白神ラインは笹内川沿いへと急坂を下って行く。

   

再び舗装路 (撮影 2018.10.13)

<再び舗装>
 白神岳展望所から笹内川沿いに至る中間ぐらいで、再び舗装路になった。アスファルトが黒々とし、白線も真新しいので、旧岩崎村側から進んで来た舗装化の先端部分だろう。 今後はずっと舗装が続くらしい。それにしても、狭く屈曲が多い舗装路だ。昔の弘西林道をただただ舗装しただけという感じである。それに、アスファルトの上に多くの落葉や枯枝が積り、それがかえってみすぼらしく見える。
 
 進むに従い、舗装路面も馴染んだものとなり、遂には道路標識も出て来た。「カーブ注意」、「徐行」とある。これまでもカーブはいくらでもあったので、何だかちょっと白々しい。

   

道の様子 (撮影 2018.10.13)
新しそうな舗装路面

珍しく道路標識が立っていた (撮影 2018.10.13)
   

<小さな滝>
 天狗峠の道もそうだったが、この一ツ森峠の道も、追良瀬川と笹内川の分水嶺を一気に登り、一気に下る。それぞれの川には支流らしい支流がないので、道は川沿いを行くことはほとんどない。本流沿いの山腹を上り下りしている。
 
 それでも道の途中には小さな滝が架かっていることが多い。名もない小さな沢が道路脇に流れ下っている。天狗峠も一ツ森峠も、その道の途中には見るべき物がほとんどないので、そうした沢にでも目を向けるしかない。


小さな滝 (撮影 2018.10.13)
   

道路看板 (撮影 2018.10.13)

<道路看板>
 視界はほとんど広がらないが、そろそろ笹内川本流の谷底に着きそうだと思う頃、道路看板が立つ。「能代 66Km、岩崎 12Km」とあり、反対側には「弘前 78Km、西目屋 61Km」となっている。峠からは約6Kmの地点だ。

   

道路看板 (撮影 2018.10.13)
「能代 66Km、岩崎 12Km」
反対側には「弘前 78Km、西目屋 61Km」

反対側の道路看板 (撮影 2018.10.13)
   

<ゲート箇所>
 暗い林の先にゲート箇所が見えて来る。ゲートを抜けると、これまでにない広い谷が広がる。笹内川本流の谷間である。峠方向を振り返ると、ゲートのある峠道とは別に、笹内川沿いに延びる林道が分岐していた。


ゲート箇所に至る (撮影 2018.10.13)
   
ゲート箇所付近を峠方向に見る (撮影 2018.10.13)
右に林道が分岐
   

<ゲートの様子>
 峠方向に見るゲートは、なかなか物々しい雰囲気だ。ここから先は別世界だと感じさせる。ゲート脇には「ご迷惑をおかけします」と看板が立つが、内容は何も書かれていなかった。

   
ゲート箇所 (撮影 2018.10.13)
   

<林道分岐>
 一ツ森峠への道の右側からは、未舗装林道が分かれて行く。何の案内もなく、ただ入口は半分バリケードで塞がれていた。
 
 地形図を見ると、その林道は笹内川右岸沿いを笹内堰堤近くまで遡っている。追良瀬川にある追良瀬堰堤(地形図では追良瀬川堰堤とある)まで、東北電力の専用道路が通じていたが、それと同じような存在であろう。笹内堰堤の保守・管理に用いられる専用道と思われる。


林道入口 (撮影 2018.10.13)
左側に鳥獣保護区の看板
   

鳥獣保護区の看板 (撮影 2018.10.13)
(画像をクリックすると別ウィンドウに拡大画像が表示されます)

<鳥獣保護区の看板>
 林道脇には「国指定白神山地鳥獣保護区区域図」のちょっと古そうな看板が立つ。何か林道名などの参考になるかと思ったが、そもそも林道事態が描かれていない。笹内堰堤もない。「一ツ森峠」の文字がちょっとおかしな所に書かれているだけだった。

   
鳥獣保護区の看板の一部 (撮影 2018.10.13)
地図は左が北
一ツ森峠の位置が、まるで現在地のように見える
実際は岩崎村と深浦町との境にある
   

<ゲート近くの看板>
 林道に続いてアスファルト敷きの広い路肩がある。その側らに「白神山地森林生態系保護地域」と「白神山地の入山マナー」の看板が並ぶ。 赤石川を遡る奥赤石(川)林道の入口や太夫峰登山口にもほぼ同じ看板が立っていた。奥赤石林道も赤石川上流にある赤石堰堤(地形図には赤石ダムとある)に通じる道だった。
 
 赤石堰堤、追良瀬堰堤、笹内堰堤で取水された水は、導水トンネルによって大池第一発電所に運ばれ、そこで発電に使用された後、十二湖の大池に貯水されるそうだ。大字松神は全く笹内川水系とは関わりがないかと思っていたら、こんな所で繋がりがあった。


ゲート箇所の先 (撮影 2018.10.13)
   
「白神山地森林生態系保護地域」と「白神山地の入山マナー」の看板 (撮影 2018.10.13)
   

看板の先 (撮影 2018.10.13)
岩崎方面に見る

<ゲート箇所手前>
 ゲート箇所からもう少し大字岩崎方面に進むと、峠方向への案内看板が立つ。「走行注意!! この先42Kmは砂利道です」と書かれている。「白神ライン」などといった洒落た文句は見当たらない。
 
<白神ラインの未舗装区間>
 白神ラインの東側起点は暗門大橋の北側、支流の鬼川辺沢を渡った所だったが、そこにもゲート箇所があり同じ内容の看板が立っていた。 そのゲートとこの笹内川沿いのゲートまでの区間が42Kmということになるようだ。その間、全てが砂利道という訳ではなかったが、90%前後は確かに未舗装だった。弘西林道開通(昭和48年)から半世紀近くが経つが、未舗装は健在という訳だ。

   
林道入口付近を峠方向に見る (撮影 2018.10.13)
左の看板には「走行注意!! この先42Kmは砂利道です」とある
   
前の写真より更に手前 (撮影 2018.10.13)
道路看板では「弘前、西目屋」と案内される
   

<白神ラインの総延長>
 白神ラインは更に笹内川沿いに国道101号に接続するまで続く。その間約12Km。よって白神ラインの総延長は42+12=54Kmとなる。
 
<弘西林道の区間>
 一方、白神ラインの前身となる弘西林道は総延長60Kmを誇った。その差は約6Km。西の起点は同じで、弘西林道の東の起点が西目屋村の川原平(かわらたい)であった。 川原平から白神ラインの東の起点、暗門橋付近までがその差の6Kmに当たる。

   
道の側らを流れる笹内川 (撮影 2018.10.13)
   
   
   
笹内川沿い 
   

<笹内川沿い>
 白神ラインが降り立った笹内川沿いは、既に川幅も十分あり、比較的安定した谷間を形成している。そこに通じる道も、勾配はほとんどなく、広い道幅が確保されている。


道の様子 (撮影 2018.10.13)
落石注意の看板が立つ
   

笹内川に沿う道 (撮影 2018.10.13)

<弘西林道の前身>
 この笹内川沿いも弘西林道の一部である。弘西林道は昭和48年の完成だが、それ以前に笹内川沿いに道が通じていた可能性がある。
 
 笹内堰堤の完成年は分からないが、同時期に造られている赤石堰堤(赤石ダム)は昭和31年の完成だ。弘西林道着工(昭和36年頃)より前のことである。 笹内堰堤建設の為、笹内川沿いには既にある程度の道が開削されていたものと思う。その道が後の弘西林道の一部として改修されたのではないかと想像する。

   

<道の様子>
 現在の笹内川沿いの道は走り易い。センターラインこそほとんど見られないが、十分な2車線幅を有する。それまでの未舗装の峠越えであった白神ラインとは全くの別物だ。 それでいて交通量は僅少である。ただ、この川沿いの快適な12Kmは、やや冗長性を感じるかもしれない。岩崎側から一ツ森峠などへの長いアプローチ路ともなるが、その単調性に飽きるかもしれない。

   

道の様子 (撮影 2018.10.13)

道の様子 (撮影 2018.10.13)
川幅もなかなか広い
   

<笹内川左岸>
 道はほとんど笹内川右岸に通じる。ただ、途中600m程の区間、左岸を通る。そこに架かる2本の橋だけは狭い。多分、弘西林道開通当時のものだろう。半面、現在見られる2車線路は、林道開通以後の改修によるものと思われる。

   

この先左岸へ (撮影 2018.10.13)

右岸へ戻る (撮影 2018.10.13)
   

<大字正道尻>
 余談だが、左岸を通っている内に、大字松神から大字正道尻(しょうどうじり)に入っているようだ。正道尻は笹内川河口近くに集落があるが、この笹内川の途中の区間も大字の領域として持つようだ。ただ、大字境を示す様なものは、沿道には見当たらなかった。

   

<奥ノ湯(余談)>
 笹内川沿いは単調な上に、沿道には何もない。ただ一つ、古いツーリングマップに「奥ノ湯」と記載があった。 右岸に戻り800m程進んだ地点で、地形図には標高88mの記載がある。 対岸から点線表記の徒歩道が始まっているが、その辺りにあった古くからの温泉らしい。 文献では、「客舎は昭和24年頃に建てられ、湯治客でにぎわったといわれているが、同47年7月の豪雨により流失し、現在は荒廃し、浴槽の跡が見られるだけである」としている。左岸の奥ノ湯へと渡る橋の跡だけでも残っていないかと思ったが、もう何の痕跡も見られないようだ。

   

奥ノ湯付近 (撮影 2018.10.13)

奥ノ湯付近 (撮影 2018.10.13)
峠方向に見る
橋などは架かっていない様子だった
   

 奥ノ湯へは笹内川沿いを河口から7Km程も遡らなければならない。笹内堰堤などができるずっと前から、何らかの道は通じていたようだ。 客舎が建てられた昭和20年代なら、笹内堰堤開発もあって、既に車道が通じていただろう。それで大規模な客舎の建設を行ったのではないか。残念ながら、弘西林道開通直前に閉湯となったようだが。

   

道路看板 (撮影 2018.10.13)
「能代 62Km、岩崎 8Km」とある

道路看板 (撮影 2018.10.13)
峠方向に見る
「弘前 82Km、65Km」とある
   

<第二のゲート>
 笹内川沿いにはもう何もないかと思っていると、厳重なゲート箇所が出て来た。白神ライン終点から6Km弱手前だ。


前方にゲート箇所 (撮影 2018.10.13)
   
ゲート箇所を峠方向に見る (撮影 2018.10.13)
   

<看板>
 峠方向に見て、幾つか看板が並ぶ。一つは赤石渓流線通行止の看板で、鰺ケ沢町方面に抜けられないことを知らせている。 他は、白神ラインは砂利道が多く、道幅も狭い山岳道路であることを必要に訴えている。かつての長大な未舗装林道・弘西林道を走りたくてやって来る者には喜々とする内容だが、一般の観光客にとっては怖そうな看板である、

   

赤石渓谷線通行止の看板 (撮影 2018.10.13)

砂利道云々の看板 (撮影 2018.10.13)
  
ゲート脇より笹内川上流方向を見る (撮影 2018.10.13)
   

<長慶平への分岐>
 笹内川沿いでは笹内堰堤への分岐とここの2か所にゲートがある訳だが、その理由の一つは、第二のゲートの手前に分岐があることだ。 その分岐まで道を通し、その先を通行止にする場合があるようだ。ただ、分岐する道には何の案内もない。地形図を見ると、岩崎村・深浦町の旧町村境を越え、長慶平へと続いているらしい。

   

ゲートを背に、岩崎方向を見る (撮影 2018.10.13)
右に分岐がある

分岐する道の様子 (撮影 2018.10.13)
   

<長慶平(余談)>
 一ツ森峠の東側が大字長慶平であった。長慶平は戦後、県外の引揚者を中心に入植が行われた地で、昭和22年頃に旧深浦町の大字となっている。海岸沿いの深浦の中心地からは離れた交通不便な山村で、現在は過疎地とのこと。分岐する道は上流側からその長慶平に至るようだ。

   
   
   
第二のゲート以降 
   

ゲート箇所を抜けた直ぐ先 (撮影 2018.10.13)
左に十二湖への分岐
直進方向は岩崎

<十二湖への分岐>
 第二のゲート箇所を抜けて100m余り、左に分岐があり、行先に「十二湖」とある。古いツーリングマップには載っていない道なので、後に開削されたのだろう。大観光地「十二湖」へのアクセス・ルートの一つとするようだ。

   

<十二湖へ>
 分岐付近から峠方向を見ると、赤石渓谷線通行止の看板が並ぶ。赤石渓谷線は白神ラインからのほぼ唯一の分岐なので、しつこく知らせているようだ。この道はいつ開通するであろうか。
 
 今回は十二湖の青池や日本キャニオンを見学する為、十二湖方面へと白神ラインを外れてしまった。この先は未だ走ったことがない。


赤石渓谷線通行止の看板が立つ (撮影 2018.10.13)
分岐付近から峠方を見る
   

十二湖へ分岐する道 (撮影 2018.10.13)

十二湖側から分岐を見る (撮影 2018.10.13)
「弘前、西目屋」の文字が見える
   
   
   
白神ライン西側起点 
   

笹内川を渡る (撮影 2018.10.13)
国道101号上を岩崎方向に見る

<笹内川河口(余談)>
 白神ラインは笹内川沿いに終るが、河口からは少し離れている。白神ラインが国道101号に接続する地点より200m程南で笹内川は日本海に注いでいる。

   
笹内川の河口 (撮影 2018.10.13)
目の前にJR五能線が通じる(40年近い前の東北一人旅で乗った覚えがある)
   

<白神ラインの西側起点>
 国道101号から白神ラインが分岐する所に、かつては「弘西林道西口の石柱」なる物が立っていたと、古いツーリングマップにある。東口側では見付からなかったので、せめて西口にないかと期待した。分岐の角に大きな標柱があり、それかと思ったら「静観荘」とあった。道の反対側にその温泉宿が建っていた。
 
 分岐に立つ道路看板には、「白神ライン、西目屋」といった文字の他に、「大型車通行不能」ともある。

   
右に白神ラインが分岐する (撮影 2018.10.13)
右側に立つ標柱には「静観荘」あった
   

<分岐の様子>
 白神ライン分岐は広々としていて、かつ殺風景だ。盛大に歓迎するという雰囲気ではない。やはり世界遺産ともなった白神山地は、大都会である弘前側が表玄関である。こちらは裏口といった感じか。


分岐の様子 (撮影 2018.10.13)
正面が白神ライン
   
分岐の様子 (撮影 2018.10.13)
左が白神ライン、右が国道101号を能代方面へ
   

国道を岩崎方向に見る (撮影 2018.10.13)
橋の銘板には「どろがわばし」とある

<泥川(無関係)>
 分岐近くの国道に小さな橋が架かるが、笹内川ではない。泥川に架かる泥川橋(どろがわばし)であった。白神ラインとは何の関係もなかった。
 
 
<白神ラインの様子>
 分岐からは快適そうな2車線路が西へと延びる。しかし、それを興ざめさせるかのように注意看板が立つ。

   
分岐より白神ライン方向を見る (撮影 2018.10.13)
左脇に通行止看板が並ぶ
   
前の写真よりもう少し先の場所 (撮影 1996.12.31)
津軽峠を訪れた数年後にこの白神ライン西側起点を訪れていた
しかし、冬期で白神ラインは通行できず、入口の様子を写真に撮っただけだった
   

赤石渓谷線通行止の看板 (撮影 2018.10.13)

<看板>
 看板は、ここに至る途中に幾つもあった、赤石渓谷線通行止の看板である。白神ライン本線は何ら無事なのだが、初っ端からちょっとびっくりさせられるだろう。
 
 看板の地図では、延長54Km(看板では12+43=55Km)もの白神ラインが見事な程に簡略化されている。 それでいて、暗門の滝があり、津軽峠・天狗峠・一ツ森峠の3峠があり、長慶平と十二湖への分岐もある。これでほぼ十分だ。もう展望がない展望所を間違った位置に記載したりすることもない。

   
赤石渓谷線通行止の看板 (撮影 2018.10.13)
簡略化された白神ライン
   

<白神ラインの碑>
 分岐の脇に小さな園地が設けられている。やはり「弘西林道西口の石柱」はなかったが、代わりに大きく「白神ライン」と刻まれた石碑が佇む。

   

小さな園地 (撮影 2018.10.13)

白神ラインの碑 (撮影 2018.10.13)
   
以前の白神ラインの碑 (撮影 1996.12.31)
今より黒い文字がはっきりしている
   

 白神ラインの少し先には、これまで何度も見て来た道路看板が立つ。「弘前 90Km、西目屋 73Km」とある。これが白神ライン最西端の道路看板となる。その奥には白神山地の山々を望む。弘前市街は更にその先、90Kmの彼方だ。遥々やって来たという感慨がある。

   
白神ラインの奥に白神山地を望む (撮影 2018.10.13)
直ぐ先には道路看板が立つ
   
前の写真のもう少し先の場所 (撮影 1996.12.31)
道路看板にはやはり「弘前 90Km、西目屋 73Km」とある
   

 しかし、考えてみると今夜の宿はその弘前市街に取ってあるのだ。東南アジア系の外国人でごった返す青池や、山道を長々と歩かなければ見られない日本キャニオンで手間を取ってしまった。のんびりしている余裕はない。鰺ケ沢町経由でとっとと引き返さなければならない。

   
   
   

 27年越しの念願だった旧弘西林道をほぼ走り切ることができた。未舗装区間をたっぷり残す60Kmもの道は、まあまあ走り応えがあった。今回の旅では岩木山にも登ることができた。 めっきり体力の落ちた私を妻が補佐してくれたお陰である。これといって華々しい経歴を持たない私の人生で、少しは記憶に残る経験ができたと思う、一ツ森峠であった。

   
   
   

<走行日>
・2018.10.13 西浦町長慶平→西浦町松神 ハスラーにて
 
<参考資料>
・角川日本地名大辞典 2 青森県 1985年12月発行 角川書店
・角川日本地名大辞典のオンライン版(JLogos)
・東北 2輪車 ツーリングマップ 1989年5月発行 昭文社
・ツーリングマップル 2 東北 1997年3月発行 昭文社
・マックスマップル 東北道路地図 2011年2版13刷発行 昭文社
・その他、一般の道路地図など
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒  資料

<1997〜2019 Copyright 蓑上誠一>
   
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