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見晴峠
  みはらしとうげ  (峠と旅 No.350)
  旧栗山村最奥の川俣へと越える峠道
  (掲載 2026. 5. 1  最終峠走行 2005.10.31)

   
   
   
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見晴峠 (撮影 2005.10.31)
道は県道23号(主)・川俣温泉川治線の旧道
奥が川俣方面、手前が野門方面
標高は1,040m (峠に立つ標柱より)
私達の黄色いパジェロ・ミニが停まる

ここは峠と言っても鬼怒川沿いで、川俣ダムの堰堤に続く尾根を回り込んでいるだけ
道は緩やかにアップ・ダウンするので、峠の場所ははっきりしない
代わりに奥に見える茶屋の敷地に峠の標柱が立っていた

   
   
   

   

<掲載動機(余談)>
 前回の山神峠(仮称)でこの峠についてちょっと触れた。余談程度だったので、もうちょっと詳しく掲載してみたくなった。このところ土呂部峠に始まって旧栗山村づいている。こうなったらついでである。
 
 いつもの様に、訪れたのは今から20年以上も前と古い話しだ。しかし、その後、峠のある旧道部分の一部は通行止となっている。今では車で通行できない区間の写真も掲載しているので、少しは価値があるものと期待する。

   

<所在>
 峠は栃木県旧塩谷郡(しおやぐん)栗山村(くりやまむら)大字川俣(かわまた)にある。現在は日光市川俣となるようだ。峠は行政区画としては何の境にもなっていない。

   

<地理院地図(参考)>
 国土地理院地理院地図 にリンクします。


   
本ページでは地理院地図上での地点を適宜リンクで示してあります。
   

<立地>
 旧栗山村は鬼怒川(きぬがわ)最奥の地だ。群馬県との県境を源とする鬼怒川が村内をほぼ東流する。その途中、川俣ダムが架かる(地理院地図)。この付近から下流側は瀬戸合峡(せとあいきょう)と呼ばれる険しい峡谷になっている。風化を耐えた強固な岩壁があちこちにそそり立っている。その間にセメントを注入してアーチ式のダムとしたのが川俣ダムだ。
 
<川俣温泉川治線>
 栗山村の幹線路として鬼怒川沿いに開削されたのが現在の県道23号(主要地方道)・川俣温泉川治線になる。その道が瀬戸合峡沿いに遡り、ダム右岸の尾根を巻く所に今回の見晴峠が位置する。
 
 よって、連なる山並みの鞍部を越える一般的な峠とは形態が全く異なる。川沿いが険しい為に、谷の高みを巻く形だ。代表的な例として葛葉峠(くずばとうげ、地理院地図)が挙げられるだろう。姉川の屈曲部分を迂回する形で峠道状となったが、基本的には終始姉川左岸沿いに通じる道である。

   

<水系>
 峠の形態からして明確な分水界に位置する訳ではない。道は終始鬼怒川本流右岸沿いに通じる。強いて言えば、大事沢(地理院地図)と熊野沢(地理院地図)という2つの支流を分かつ尾根の先端部分に位置する。尚、鬼怒川は利根川(とねがわ)に注ぐ利根川水系の川になる。

   

<栗山村(余談)>
 これまでも記したことだが、栗山村には8回訪れている。その内の3回は1泊ずつしていて、合計11日も旅していることになる。栗山村は栃木県の北西端に位置し、群馬県とも新潟県とも県境を接する奥深い地だ。 峠が多く、それでよく訪れることになった。栗山村は今は日光市の一部になったが、それにより栃木県から村がなくなったとのことである。
 
 栗山村は大きく鬼怒川本流沿いの地域と、湯西川水域に分けて見ることができる。かつては鬼怒川沿いを「表栗山」、湯西川沿いを「裏栗山」とも呼んだそうだ。鬼怒川沿いの方を「栗山村本村部」といった呼び方もあるようである。
 
 村の中心は鬼怒川沿いの日蔭(ひかげ、地理院地図)や黒部(ころべ、地理院地図)になる。村役場は最初黒部にあったそうだが、昭和27年(26年とも)に日蔭の青柳平地区に移った。その後また黒部になったが、今は日光市なので、村役場ではなく日光市栗山庁舎が置かれている(地理院地図)。
 
<川俣への道(余談)>
 その村の中心地から川俣やその奥にある川俣温泉(地理院地図)へは、川俣温泉川治線で鬼怒川左岸沿いを遡る。 すると、河岸段丘が尽きた辺りで野門橋(のかどばし、地理院地図)を渡って右岸に移る。 ここからいよいよ県下一の渓谷と呼ばれた瀬戸合峡が始まる。高さ100mにも及ぶ断崖が約2.5Kmに渡って続く。現在は川俣ダムができているので、その直下までが瀬戸合峡となる。その峡谷区間の最後に越えるのが今回の見晴峠である。 川俣へと至る道として最大の難所と言っていいのかもしれない。

   
   
   

川俣湖より峠へ

   

<川俣大橋>
 旅の都合上、ここでは川俣側から峠を越える。旅の起点は川俣大橋とした(地理院地図)。今回の峠は変則的なので、峠道の起点・終点ははっきりしない。前回の山神峠(仮称)の川俣側起点がこの橋の袂だったので、丁度手頃だと思う。
 
 川俣大橋は川俣湖の上流で鬼怒川を渡っている。野門橋以降、右岸側に通じていた県道・川俣温泉川治線は、この吊り橋で再び左岸側に移る。

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川俣大橋を渡る (撮影 2005.10.31)
手前が川俣温泉方面
奥が峠方向

   
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川俣大橋より川俣湖を望む (撮影 2005.10.31)
川俣ダムはこの奥の右手付近(見えてはいない)

<川俣ダム・川俣湖>
 この県道沿いから川俣湖を眺めるなら、川俣大橋付近が一番広く眺められると思う。ただ、川俣ダムは丁度山影になって見えてこない。
 
 峠へは道を鬼怒川の下流側に向かって進むことになるが、側らに川俣湖が広がるので、下ることはない。逆に峠に向かって一本調子で登ることになる。その点でも川俣大橋は峠道の起点として都合がいい。
 
 川俣ダムは1960年に起工され、1963年に完成・貯水開始、1965年(昭和40年)に完工式が挙行された。一般に1965年をダム完成年とするようだが、稀に1966年とする資料もある。尚、川俣大橋の架設年次は1962年で、ダム建設と共に新しく架けられた橋だった。

   
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川俣大橋 (撮影 2005.10.31)
川俣温泉方向に見る
手前が峠方向

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川俣大橋付近 (撮影 2005.10.31)
観光客の姿も見られる

   
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川俣湖観光ドライブイン (撮影 2005.10.31)
この時は既に営業していない様子だった

<ドライブイン(余談)>
 川俣大橋の右岸側袂近くに、以前は川俣湖観光ドライブインがあった。宿泊や釣り船の貸し出しなども商っていたようだ。道を挟んだ反対側には一般車用の駐車スペースも用意されていた。紅葉の季節などには観光客の姿を多く目にした場所だった。
 
 しかし、最近はドライブインの建物も撤去され、少し寂しい雰囲気となったようだ。川俣温泉へと素通りしてしまう車が多くなったのではないだろうか。

   

<川俣集落>
 現在、川俣の中心集落は川俣湖南岸に位置し(地理院地図)、「川俣湖温泉民宿村」などと呼ばれる。川俣ダム建設に伴い、川俣本村など付近の民家50棟近くが湖底に沈んだ。その時の移転先の一つとして、20数軒の民宿を擁する湖畔観光集落となって誕生した集落だった。
 
 「川俣」とは鬼怒川にその支流の馬坂沢が合流する地点を意味するそうだ。現在は大きな川俣湖が広がり、かつての川俣本村などの様子は窺い知ることはできない。 2つの大きな河川の合流により、比較的広い平坦地が形成され、そこを中心に川俣の集落が発達したそうだ。かつての住民による石碑が川俣大橋の袂に建立されていた(右の写真)。

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「われこの湖底に・・・」の碑 (撮影 2005.10.31)
川俣大橋の袂にあった
背後に川俣湖を望む

   

<峠への道>
 川俣大橋から峠に向かう県道は、意外なほど狭く、かつ屈曲する。道は湖岸から少し離れて通じるので、沿道からダム湖を望むこともできない。 ダム建設によりそれ以前に通じていた道路から大幅に換線された筈で、もっと快適な主要地方道かと思いきや、全く違う。同じ旧栗山村でもつい最近完成した湯西川ダムの方は、かつての険しい湯西川渓谷沿いの道に代わり、空中を飛ぶような快適な2車線道路が誕生している。 やはり川俣ダムは1965年完成と時代が古かった。

   

<瀬戸合トンネル>
 それでも県道23号の改修は進んでいた。丁度見晴峠の区間をバイパスする形で瀬戸合トンネルが完成した(地理院地図)。その坑口の150mくらい手前からセンターラインのある2車線路になっている。道は続いて萱峠(かやとうげ)トンネル(地理院地図)を抜ける。この2本のトンネルがセットになって大幅な改修が行われた。瀬戸合トンネルの竣工は1999年3月で、萱峠トンネルは2002年6月とのこと。私達が2005年に訪れた時は、かつての険しい瀬戸合峡区間に完璧なバイパス路が通じていた。

   
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瀬戸合トンネル手前 (撮影 2005.10.31)
左に旧道が分かれる

   
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川俣ダムなどの案内看板 (撮影 2005.10.31)

<旧道へ>
 瀬戸合トンネルに入る直前、左に旧道が分岐する。大きく「川俣ダム 瀬戸合峡」と案内看板が立っている。見晴峠は川俣ダムや瀬戸合峡の格好の展望所でもある。ただ、看板に「見晴峠」の文字はない。
 
  この分岐から峠までは600m足らずと近い。一方、萱峠トンネルを抜けた先から旧道に入ると、約3Kmの道程がある。また、そちら側の旧道区間は冬期通行止にもなるようだ。栗山村の中心地・日蔭方面から来た場合も、一旦瀬戸合トンネルまで抜け、そこから旧道に引き返した方がいいようだ。

   

<峠への旧道>
 道は途中、川俣ダム堰堤方面へ下る道が分かれる(地理院地図)。ダム管理の必要性からも、この旧道区間は今後も維持されるだろう。ただ、一般車は堰堤のかなり手前で通行止になるので、これまで入ったことはない。今ならダムカードをもらいに歩いたかもしれない。
 
 分岐を過ぎると左手の林の隙間からちらちらとダム湖が覗く。そして一段と開けた場所に出たと思うと、そこが見晴峠である。

   
   
   

見晴峠

   

<峠の様子>
 道はゆったり登ってゆったり下る。しかも道の片側は谷底へと170mくらい鋭く切れ落ちた険しい崖である。誰もここが峠だなどとは思わない。

   
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見晴峠 (撮影 2005.10.31)
奥が川俣方面、手前が野門方面
路肩に観光客の車が並ぶ

   

<見晴休憩舎>
 しかし、見晴峠には崖に張り出すようにして瀬戸合見晴休憩舎(見晴茶屋とも)が立つ。言ってみれば「峠の茶屋」である。これが目印だ。ここは眼下に川俣ダムやその下流に続く瀬戸合峡を眺める絶好の場所になる。峠だからと言う訳ではなく、景観を眺める為に人が立寄る場所である。
 
 ところが、急な崖に通じた古い道で、車を停める十分なスペースはない。ただ、峠の前後100m程の間だけ辛うじて道幅が広くなっている。観光客の車は路肩の隅に狭苦しそうになって停車される。休憩舎の店の敷地も狭く、また何も買わないのに車を停めるのは気が引ける。

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瀬戸合見晴休憩舎 (撮影 2005.10.31)
いわゆる峠の茶屋

   

 以前は村の中心地と川俣方面とを行き来する車は全てこの前を通過した。観光客ばかりでなく川俣温泉へと荷物を運ぶ輸送トラックなども利用する。紅葉の最盛期などは別として、わざわざ立ち寄ろうと思ってやって来る場所ではなかった。 多分、瀬戸合トンネルなどによる新道が通じる前は、ここに車を停めたことは一度もなかったと思う。今は旧道となったので、比較的気軽に車を停められるようになった。紅葉の季節でなくとも、眺めは素晴らしい。 まあ、旧道に入り込む車は、ここ以外に目的とする所はどこもないだろうが。

   

<峠名>
 一般の道路地図や観光パンフレットなどにも、「見晴峠」の文字は全く見られない。ダムや峡谷を眺める展望所で、見晴茶屋があると記される程度だ。私もここが峠であるという認識は全く持っていなかった。しかも名前さえあるとは思わなかった。
 
<峠の標柱>
 ところが、2005年の秋に初めて車を停め、休憩舎の前から紅葉を眺めていると、敷地の一角に「日本観光百選 瀬戸合峡」と書かれた木製の標柱が立っていた。よくよく見ると、「見晴峠 標高1,040米」とも出ている。それで初めてここが見晴峠であることを知った。それがなければ、ここに掲載することもなかった。

   
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「見晴峠」と書かれた標柱 (撮影 2005.10.31)

   

 但し、「見晴峠」の名はあまり一般的ではないと思う。ここに車道が通じた時、瀬戸合峡の好展望地として何らかの名称があった方が便利なので、こう名付けたのではないか。少なくとも古くからあった峠名ではないだろう。見晴峠と呼んではみたものの、あまり一般には広まらなかったのではないだろうか。

   
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「日本観光百選 瀬戸合峡」とある (撮影 2005.10.31)
日本観光百選については不明

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「見晴峠 標高1,040米」とある (撮影 2005.10.31)
見晴峠とあるのはここが唯一
標高は間違いないようだ

   

<標高など>
 標柱にある1,040mという標高は地理院地図の等高線とも矛盾しない。ただ、峠の標柱は休憩舎の敷地内に立っていたが、そこが峠だとは限らないだろう。この付近の道はなだらかなので、最高地点が特定し難い。
 
 野門側の峠道起点は、例えば瀬戸合峡入口の野門橋付近とすると、その標高は833mになる。峠の野門側の標高差は200m余りだ。瀬戸合峡の険しさを物語っている。一方、川俣側は川俣大橋で標高985mなので、標高差55mと小さい。 尚、川俣大橋以降、道は鬼怒川に沿ってまた徐々に登って行き、峠と同じ標高になるのは川俣温泉も過ぎた先である。また、栗山村の幹線路となる鬼怒川沿いの県道は見晴峠までほぼ登りを続けている。見晴峠は見方によって栗山村全域に通じる壮大な峠道となる。
 
<峠からの眺め>
 「見晴」というやや安易な峠名だが、その名の通り見晴しは良好だ(下の写真)。瀬戸合峡を眼下に眺めていると、栗山村の頂点に立ったような気分だ。

   
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峠からの眺め(1/2) (撮影 2005.10.31)
ダムとダム湖

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峠からの眺め(2/2) (撮影 2005.10.31)
「渡らっしゃい吊橋」が架かる

   

<渡らっしゃい吊橋(余談)>
 ダム直下の瀬戸合峡の只中に一本の吊り橋が架かっている。一際目を引く光景だ。「渡らっしゃい吊橋」と呼ぶようだ。渡るにはかなりの高低差を歩くようだ。

   
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渡らっしゃい吊橋 (撮影 2005.10.31)

   

<瀬戸合峡の様子>
 野門橋から川俣ダム直下までを瀬戸合峡とした場合、見晴峠から望められるのはその内の1/4程度だ。それでも巨岩がそそり立っている様(さま)はなかなかの迫力である。

   
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瀬戸合峡の様子(1/2) (撮影 2005.10.31)
川俣ダム下流方向
瀬戸合峡が眺められるのはここまで

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瀬戸合峡の様子(2/2) (撮影 2005.10.31)
巨岩がそそり立つ (望遠で見る)

   

<開鑿記念碑>
 ところで、見晴休憩舎から80m程野門方向に歩いて行くと、道のカーブの脇に一基の碑が立っている(地理院地図)。大きく「交通安全」と書かれ、台座の上には観音様が立っていた。よく見ると、下には「鬼怒川林道開鑿 記念碑 栃木県知事 横川信夫書」とある。その左にも碑があったが、そちらには寄付者の氏名が列記されていただけだった。
 
 
<鬼怒川林道>
 気になるのは「鬼怒川林道」である。川俣温泉も過ぎた鬼怒川最奥には、鬼怒トンネルで群馬県にも通じる奥鬼怒スーパー林道が延びている。あるいは山王峠を越える道(山王林道)も林道奥鬼怒線と呼ばれる。それらとは別物の林道のようだ。
 
 その名からして鬼怒川沿い、特にこの瀬戸合峡沿いに通じた最初の車道の名前だったように思われる。開通年を知りたいところだが、左隣に建つ石碑に日付が書かれているかと思ったら、寄付者の氏名が載せてあるだけだった。 残念ながらはっきりした手掛かりがない。書をしたためた横川知事の任期は1959年(昭和34年)2月〜1971年(昭和46年)12月で、この間に碑が建立されたことは確かだが、あまりに範囲が広い。

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観音様の立像 (撮影 2005.10.31)
(上がちょっと欠けてしまった)

   
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寄付者御芳名 (撮影 2005.10.31)

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開削の記念碑 (撮影 2005.10.31)

   

<川俣への車道>
 現在、この道は県道23号(主要地方道)・川俣温泉川治線になっているが、その前は主要地方道・川俣藤原線と呼ばれたそうだ。川俣までの道を想定している。更にその前身は分からないが、大元はこの鬼怒川林道であろう。 特に野門橋以降の瀬戸合峡を抜けて川俣へと至る区間が、車道開削の難所だったことは想像に難くない。文献(角川日本地名大辞典)などからその道の開削経緯に関わる事項を挙げてみた。
 
●川俣温泉へはバスの便もなく交通が不便:第2次大戦(1945年)前
●藤原町方面から日蔭までバス運行開始:1944年(昭和19年)
 青柳平まで東武バスが運行開始
●川治(藤原町)〜川俣間の道路改修・バス開通:戦後
●東武バスが川俣まで運行開始:1953年(昭和28年)5月
●日蔭から川俣温泉までバス運行開始:1954年(昭和29年)
 上記と1年異なる
●横川知事任期:1959年(昭和34年)2月〜1971年(昭和46年)12月
●野門橋架設年次:1986年(昭和61年)
 但し、1950年(昭和25年)に初期の野門橋が架橋されている。
 それまでも野門集落へと何らかの橋は架かっていたと思われるが、野門橋が永久橋となる。
●瀬戸合橋架設年次:1953年(昭和28年)
●川俣大橋架設年次:1962年(昭和37年)
●川俣ダム:1960年起工、1963年完成・貯水開始、1965年完工式
●女夫淵温泉・川俣温泉まで自動車で入ることが可能:1965年
 この年(昭和40年)瀬戸合峡にアーチ式の川俣ダムが建設され上流部に川俣湖ができたことによる。
●野門トンネル竣工:1994年3月
●瀬戸合トンネル竣工:1999年3月
●萱峠トンネル竣工:2002年6月
 
 いろいろ矛盾することも多く、簡単には判断が付かない。

   

<川俣までの車道開通(推測)>
 1953年(昭和28年)5月に東武バスが川俣まで運行が開始されたことが確かなら、その時点で鬼怒川林道は川俣まで通じていたことになる。瀬戸合峡の只中に位置する瀬戸合橋(地理院地図)の架設年次が1953年であることとも合致する。 ただ、横川知事の任期(1959年2月〜)と食い違うが、記念碑の建立は開通の後だったかもしれない。 直前の1950年に初代の野門橋が完成していることとは矛盾がない。
 
 戦後のことながら、川俣ダムの起工(1960年)以前には既に昔からの川俣集落まで車道は通じていたようだ。それにしては見晴峠は川俣ダムより遥か上部に通じる。堰堤上端より50m以上高い。この点が解せない。
 
<川俣ダム以前の道筋>
 これは推測だが、ダム起工の前にはもっと瀬戸合峡に近い所に車道が通じていたのではないだろうか。ダム工事に伴い道がダム上部に換線され、横川知事の任期開始の1959年2月以降に見晴峠区間が通じたのではないだろうか。
 
 現在の地理院地図に県道の旧道から分かれてダム直下に通じる道が描かれている(地理院地図)。ダム建設時には作業用道路などとして使われたのかもしれないが、もしかするとこれが見晴峠開通前の旧道ではなかったかと想像する。
 
<川俣ダム以後>
 すると、見晴峠の峠道の開削はほぼ川俣ダムの工事と同時期で、その開通は川俣大橋の架設年次1962年などと一緒ではないかと思う。それなら横川知事の任期とも合致する。 一方、川俣ダム以前に通じた車道は10年にも満たずに見晴峠へと道を譲ったことになる。

   

<ダム完成後の道路改修>
 見晴峠を越える鬼怒川林道開通後は、概ね次のように改修されて行ったようだ。
●新野門橋架設:1986年
●野門トンネル竣工:1994年3月
●瀬戸合トンネル竣工:1999年3月
●萱峠トンネル竣工:2002年6月
 
 新しい野門橋は2車線だった。しかし、その先はまだ1.5車線幅を残した。
 
 古いツーリングマップ(関東 2輪車 ツーリングマップ 1989年1月発行 昭文社)には野門トンネルはまだない。瀬戸合峡区間の主要地方道は単純な一本の道筋で描かれているだけだった。 野門トンネルの開通で瀬戸合峡の約2/3の区間は旧道となった。これにより見晴峠以外の新道からはほとんど瀬戸合峡が眺められなくなった。一方、2車線区間は延長された。
 
 更に瀬戸合トンネル・萱峠トンネルの開通で瀬戸合峡区間は全線が2車線路に生まれ変わった。その側ら、瀬戸合峡を眺めるには旧道の身となった見晴峠へと寄り道することとなった。

   

<川俣温泉への道(余談)>
 日蔭から川俣温泉までのバス運行開始が1954年(昭和29年)とあるのを信じれば、これも川俣ダム工事以前に川俣温泉まで車道が通じていたことになる。ただ、ダム完成(1965年)以降は一般車でも容易に行ける地となったようだ。

   
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開削記念碑の側らから瀬戸合峡を望む (撮影 2005.10.31)

   

<峠の位置>
 「見晴峠」と書かれた標柱は見晴休憩舎に立っていたが、今思うと、鬼怒川林道の開削記念碑が建立されている所の方が、峠として相応しいようだ。野門方面に少し下った所から眺めると、瀬戸合峡を見下ろす角に記念碑がすっくと立つ姿がある(下の写真)。

   
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野門方面より見晴峠方向を見る (撮影 2005.10.31)
マイクロバスが向かう直ぐ先に開削記念碑が立つ
マイクロバスは川俣温泉の宿泊客でも乗せているのだろうか

   
   
   

野門方面へ下る

   
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峠から野門方面へ下る (撮影 2005.10.31)
紅葉の中を行く道

<道の様子>
 2005年10月に訪れた時は瀬戸合トンネルなどによる新道が全通した直後だった為か、まだかつての鬼怒川林道となる旧道区間は全て通ることができた。
 
 峠から野門(のかど)方面へと下る道は、瀬戸合トンネルや萱峠(かやとうげ)トンネルの上部を行く。暫くは瀬戸合峡の谷に面して開けた道だ。地形は険しいが、かつての主要地方道は1.5車線をほぼ維持し、比較的走り易い。しかも、今は観光客以外の車はまず通ることはない。道はすいている。

   

<ヘアピンカーブ以降>
 新道側では萱峠トンネルを抜けた辺りで、旧道にはヘアピンカーブが待ち受けている(地理院地図)。ここから先は大きく蛇行しながら瀬戸合峡沿いへと一気に下って行く。
 
 カーブの直後、県道標識が立っていた。「県道23号 栃木県 主要地方道 川俣温泉川治線 栗山村 川俣」とあった。この時はまだ日光市にはなっていなかった。

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前方にヘアピンカーブ (撮影 2005.10.31)

   
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ヘアピンカーブ直後 (撮影 2005.10.31)

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県道標識 (撮影 2005.10.31)

   

<萱峠(余談)>
 ところで、地図に描かれる萱峠(地理院地図)というのが気になる。車道は通じていないが、野門集落と川俣方面とを繋いだ古い峠道が通じていたのではないかと想像させられる。
 
 野門集落は険しい鬼怒川沿いではなく、その支流の野門沢川と大事沢川との分水界となるた複合段丘上に立地する。家康ゆかりの栗山東照宮で知られる。また、集落から尾根沿いを遡ると富士見峠(地理院地図)を越えて日光、更に今市方面へと至る。その峠道を通じて当地の産物が馬によって盛んに交易されたとのことだ。
 
 その野門集落から大事沢川に下り(地理院地図)、更に萱峠を越えて川俣に至る道が、鬼怒川林道などの車道開通前の古い道筋だったかもしれない。瀬戸合峡沿いは険しい断崖の連続なので、集落が発達しないのと同時に、道も谷の上部に通したのかもしれない。これも、あくまで推測になるが。

   
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瀬戸合峡が迫る (撮影 2005.10.31)

<瀬戸合峡沿い>
 道は野門トンネル開通後の新道区間も過ぎ(地理院地図)、完全に川沿いになる(地理院地図)。そそり立つ岩壁の脇をすり抜けて行く。車道が最も川に沿う箇所を通過する。
 
 こうした険しい車道を維持管理するのは大変だ。新道が通じた今、この区間はもう車では通れなくなったようだ。瀬戸合峡ほどではないが、湯西川渓谷沿いの道も紅葉の季節は楽しい道だった。その湯西川渓谷は今は湯西川ダム湖に沈む。 こうしてかつての道が失われて行くのは時の趨勢として仕方がないが、やはり寂しい気がするのも確かだ。

   
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瀬戸合峡沿いの道 (撮影 2005.10.31)
車道が最も川に近い箇所を行く
この道は今はもう通れない

   

<瀬戸合橋>
 途中、支流の大事沢川を瀬戸合橋で渡る(地理院地図)。この付近が瀬戸合峡観光のクライマックスだ。車を路肩に停めて紅葉を眺めている者もいた。
 
 瀬戸合橋は古く、その架設年次は1953年(昭和28年)になる。初期の野門橋に遅れること3年である。東武バスが川俣まで運行が開始されたのが1953年5月と文献にあったが、それとも符合する。この峡谷沿いをバスが行き交ったのだ。

   
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瀬戸合橋を渡る (撮影 2005.10.31)

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瀬戸合橋 (撮影 2005.10.31)

   

<バス停(余談)>
 古い道路地図を眺めていたら、瀬戸合峡区間に4つほどバス停があったことが分かった。
 
●野門橋(地理院地図
●瀬戸合峡(地理院地図
●萱峠(地理院地図
●本村(地理院地図
 
 野門橋バス停は現在でも「家康の里民宿村入口」という名のバス停で残っているようだ。瀬戸合峡バス停は本当に瀬戸合峡の深部にあった。ここからの帰り道が心配される。萱峠バス停は前述のヘアピンカーブにあった。 野門集落とを結ぶ道の途中に人家があり、その為だろう。本村バス停は見晴峠近くにあった。これはかつての川俣本村のことであろう。鬼怒川と馬坂沢との合流点付近にあった川俣の中心集落だ。 その合流点はもっと上流側の川俣大橋付近だと思っていたが、川俣ダムの方に近い所だったことを窺わせる。今の本村バス停付近は何もない所だ。ダム堰堤へ下る道が近くで分岐するばかりだ。

   
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瀬戸合橋より鬼怒川を眺める (撮影 2005.10.31)

   
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道の様子 (撮影 2005.10.31)

<新瀬戸合橋など(余談)> 
 尚、瀬戸合橋の上流側に架かる新瀬戸合橋(地理院地図)の架設年次は1993年になる。 野門トンネルの竣工(1994年)とほぼ同時期だ。「大事沢橋」などとは呼ばず、瀬戸合橋の名を引き継いでいる。一方、現在の野門橋の架設年次は1986年と野門トンネル・新瀬戸合橋による新道が開通するより少し早い。これは野門集落への利便性によるものだろう。
 
 瀬戸合峡にピッタリ沿う区間は1Km程度と短い。のんびり走っても車なら5分と掛からない。それでもスリリングで楽しい道だった。

   

<新道に接続>
 瀬戸合峡を抜けた旧道は野門トンネルの坑口近くで新道に合流する(地理院地図)。現在、その分岐より旧道側には入れないようだ。
 
 黒部・日蔭方向に走っても県道沿いに野門の集落は見られない。富士見峠に車道が通じていれば行ってみるのだが、行止りの集落にはちょっと入りずらい気がする。

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新道に接続 (撮影 2005.10.31)
手前が峠方向

   
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左岸沿いの道 (撮影 2005.10.31)
この時はまだ拡幅前の工事中
覆道を建設していたようだ

<左岸沿いへ>
 野門橋を渡って県道は鬼怒川左岸沿いになる。深い峡谷は影を潜めたが、一部に少し険しさを残す。2005年に訪れた時はまだ1.5車線幅の道だったが、丁度拡幅工事の真っ最中だった(地理院地図)。今頃は覆道も完成し、快適な2車線路に改修されているそうだ。
 
 見晴峠は、旧藤原町の川治方面と川俣温泉とを結び、鬼怒川沿いに通じた長い道の本の一コマである。旧栗山村は鬼怒川源流の地で、この川に沿ってアクセスする以外、村外との交通は全て峠越えになる。本来、川に沿う道に峠越えはないのだが、そこにもちょっとした峠越えがあったのだった。

   
   
   

<終わりに(余談)>
 見晴茶屋の敷地にあった「見晴峠」と書かれた標柱は確か木製だった。長い年月を経て、どうやら今はもう立っていないようである。今後、見晴峠の名はどこにも見られないだろうか。 旧道ともなり、川俣ダムや瀬戸合峡の展望所としては今後も残るだろうが、峠としての存在は忘れ去られて行くだろうと思う、見晴峠であった。

   
   
   

<走行日>
・1994. 8.12 川俣→見晴峠→黒部
・2003.11.28 川俣温泉泊/パジェロ・ミニ
・2003.11.29 川俣温泉→川俣→馬坂林道→湯西川温泉/パジェロ・ミニ
・2005.10.30 山王峠→川俣温泉泊/パジェロ・ミニ
・2005.10.31 川俣温泉→見晴峠→黒部/パジェロ・ミニ
 
<参考資料>
・東北 2輪車 ツーリングマップ 1989年5月発行 昭文社
・関東 2輪車 ツーリングマップ 1989年1月発行 昭文社
・ツーリングマップル 2 東北 1997年3月発行 昭文社
・ツーリングマップル 3 関東 1997年3月発行 昭文社
・ツーリングマップル 3 関東甲信越 2003年4月3版 1刷発行 昭文社
・マックスマップル 東北道路地図 2011年2版13刷発行 昭文社
・WideMap 関東甲信越 (1991年頃の発行) エスコート
・栃木県 広域道路地図 1996年1月発行 人文社
・県別マップル道路地図 9 栃木県 2003年 7月 発行 昭文社
・角川日本地名大辞典 9 栃木県 昭和59年12月 8日発行 角川書店
・角川日本地名大辞典のオンライン版(JLogos)
・日本歴史地名大系 9巻 栃木県の地名 1988. 8.25 初版第一刷 (株)平凡社
・旅先で入手した観光パンフレット各種
・地図のウェブサイト 「Google マップ」、「NAVITIME」、「MapFan」、「Yahoo! マップ」など
・川のウェブサイト 「川の名前を調べる地図」(道路名も参考に)
・栃木県・日光市の公式ホームページ
・その他の各種ウェブサイ
・その他、一般の道路地図など
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒  資料

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