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谷地峠 (仮称)
 
やち とうげ
 
第2話
 
別名「赤崩峠」とも呼ばれるちょっと恐ろしげな峠
 
谷地峠 (撮影 2001.10.22)
手前が福島県熱塩加納村
奧が山形県飯豊町
標高は約1,000m
道は五枚沢林道(赤崩林道)と葡萄沢林道
 
 2001年10月22日。早朝から福島県の熱塩加納村(あつしおかのうむら)へと足を踏み入れた。目的は山形県との境にある谷地峠だ。この峠を訪れるのはこれで2回目となる。
 
<喜多方市を出発>
 
 実は、この日は月曜日だったのだが、有給休暇をとってあった。2日前の土曜日から旅に出てきて、その日が3日目。1泊目は野宿、2泊目の昨夜は、喜多方市内の喜多方グリーンホテルに宿泊した。ここは私の定宿(じょうやど)である。といっても、過去に2、3回泊まっただけなのだが、同じ宿に繰り返し泊まることは、私の旅では珍しいことなのである。
 
 喜多方グリーンホテルはこの近辺では最も安く泊まれる宿で、シングル料金5,500円に消費税を合わせても5,775円也。車の駐車はただで、ホテルの裏手のちょっと離れた寂しい所に駐車場がある。そこからは民家の庭先の狭い通路を歩いてホテルの裏口へと通じている。そこがなかなか味わい深い。喜多方駅からは少し離れた県道に沿った立地で、かえって車の交通量も少なく静かなのがいい。裏手の駐車場に面した道は、「蔵の町喜多方」を代表とする散策路ともなっており、観光にも打って付けとなっている。
 
 今回はその味わい深い駐車場ではなく、特別にホテルの玄関先に車を停めさせてもらった。軽のジムニーでも窮屈なくらい狭いスペースで、更にもう1台停まったら、それこそホテルの正面玄関が完全に隠れてしまう程である。でも、車と部屋の間で重い旅行荷物を運ぶのには近くて便利だし、そのまま直ぐに県道に出られるしで、特等席だった。
 
<熱塩加納村へ>
 
 喜多方市街からは県道333、335(大平喜多方線)と北上し、熱塩加納村に入る。そこまではいいが、そのまま真っ直ぐ走っていると大平沼に出て行き止まりである。途中で左の方向に入らなければならない。それがいつもどこだか分からない。これまで熱塩加納村には何度か訪れているが、必ず迷ってしまうのだ。案の定、今回もまた道を失った。
 

熱塩加納村を見渡す (撮影 1997. 8.11)
 村の中には気の利いた道路標識や目ぼしい目印もなく、何とか道が分かり易くならないものかと毎回思う。熱塩加納村には数年に一度くらいしかやって来ないので、道はなかなか覚えられない。
 
 それでも、あちこちうろうろしている内に、やっとそれらしい道に入った。村の北西方向に進む道で、村の中心地を抜け、ちょっとした小高い丘へと駆け登って行く。途中で「村の花」となっている「ひめさゆり」の特別保護区域の脇を過ぎる。「ひめさゆり祭り」の会場にでもなるのだろうか、立派な公園の駐車場がある。ちょっとした高みに登ると、村が見渡せる。さして高くもないが、村には大きな建物はなく、ずっと先まで見通せる。
 
<県道383号>
 
 手持ちのツーリングマップルには記載がないのだが、最近熱塩加納村から西隣の山都町(やまとまち)へと通じる道が、県道として整備されたようだ。県道標識が所々に立っていて、それによると「県道383号・熱塩加納山都西会津線」というらしい。次に来た時は、この県道標識を探せば道に迷わずに済むのだろうか。
 
 道は見通しの利かない林の中へと入り、すると「塩の沢」というバス停がポツンとある。しかしバスが運行されている様子がない。バス停の看板は壊れかけ、時刻表は白紙なのだ。道沿いにほとんど人家も見られない。その付近で県道は左に分岐していく。そちら方向に「山都町 30Km」とある。
 
 更に直進するとまた左に「与内畑」、「板の沢」への分岐を分ける。それを過ぎれば後は峠までの一本道だ。次に「山岩尾」といった集落を過ぎるはずだが、人家があったかどうか記憶にない。その内、谷間の道となり、空が開けてくる。

峠への一本道となる
しかし、この先にまだ集落がある
 
<五枚沢集落へ>
 
 ひめさゆりの公園辺りから先には、集落らしき集落が見受けられなかったし、もうここまでくればこれ以上人家はないのだろうと思われるが、実はそうではない。この先に五枚沢(ごまいさわ)と呼ばれる立派な集落があることになっている。道は峠に源を発する五枚沢川に沿う狭い道となる。数年前に来た時には、部分的に砂利道が現れた。砂利道を通う集落であった。それが今回は全て舗装されていた。
 

舗装された五枚沢集落への道

未舗装が残る頃 (撮影 1997. 8.11)
 
 狭い谷筋がちょっと広がったかと思うと五枚沢集落である。入り口に「五枚沢」と書かれた小さな看板が唯一集落の名を誇っている。集落内に耕すべき広い田畑は見当たらず、住人は畜産を営んで生計を立てているのだろう。家屋からは煙が立ち上り、ゆったりと静かな谷間にたなびく。人の暮らしが感じられる。車の騒音に毎晩悩まされる暮らしに身を置く者には、何とものどかで羨ましい。でも、ここに来る時はいつも雪を見ない季節である。冬場の暮らしには厳しいものがあるのだろう。集落の詳細な住所は、「福島県耶麻郡熱塩加納村大字宮川字五枚沢」である。熱塩加納村の中でも最奧に位置する集落の一つだ。
 
 集落は、歩くような速さで車を進めても、あっと言う間に尽きてしまう。これが正真正銘、福島県側の最後の集落である。峠を目的とする旅ではあるが、こうした集落を訪ねるのも旅の味わいの一つだ。
 

五枚沢集落の入り口
道の脇に「五枚沢」の看板が立つ

五枚沢集落を過ぎて振り返る
 

集落後の道
<五枚沢林道起点>
 
 集落の先でまた谷は狭まり、その中を道は細々と続いている。注意看板が出てきた。
 
注 意
この先、落石・倒木・路肩崩れ
路面掘れ等のおそれあり。
通行には、十分注意して下さい。
       熱 塩 加 納 村
 
 その先直ぐに舗装が途切れる。脇に林道標識が立っている。五枚沢線の起点だ。林道延長は7,830m。これが峠までの距離となる。
 
 1997年くらいから1998年頃までにかけて、五枚沢林道は崩落の為通れなかった。この林道起点まで来て通行止の看板に追い返されたことがあった。今回は無事に越えられそうで安心する。
 

舗装が終わり、ダートの林道が始まる

林道標識
林道 五枚沢線(起点)  延長 7830米
 
<五枚沢林道>
 
 谷はほぼ真っ直ぐ北の峠へと伸びているが、道は沢筋を離れると右手の山腹をジグザグに登って行く。道は適度に砂利を含んだダートで、それ程走りにくいことはない。暫くすると峠が遠望できる。あまり明確な鞍部ではないが、峠の右肩が崩れて山肌が露出しているので、そこが峠とはっきり分かる。
 
 ジグザグの坂道は、ある時は峠を前方に見て、ある時は峠に背中を向けて走る。高度は上がるものの、なかなか峠に近付かない気がする。また一段と峠とは反対方向に進んで、これは一体どうしたことかと思っていると、ヘアピンカーブを一つ曲がって尾根に近い高みに出る。その後は峠に向かってまっしぐらだ。道の勾配も緩やかになる。
 

峠を遠望する

砂利道の様子
 
<紅葉>
 
 見れば 谷を挟んで対岸に、峠から続く尾根が紅葉して実に美しい。やはり峠の旅は秋に限る。しかも今日は平日である。大多数の日本人があくせく働いている中、こうして一人のんびり紅葉を眺めている。何ともこたえられない。誰にも出会うことなく、この広い紅葉の山々を独り占めなのだ。喜多方市を朝の7時に出発したので、まだ8時を少し過ぎたばかりである。天気は良好。価値ある有給休暇の一日を始めることができた。旅はいつもこうありたいものだ。
 
峠から南へ伸びる尾根を望む
 
<峠間近>
 
 峠を間近に道は少し荒れる。加えて左手の谷は深く切れ落ち、なかなか険しい様相だ。間もなく山側の法面を修復した個所が現れる。数年前にこの林道を通行止にした崩壊個所だろう。今は整然と法面がを整えられ、十分な道幅が確保されているが、この峠道の険しさを垣間物語っている。こうした険しい道を維持するのは大変なことだ。
 

峠を前に道が少し荒れた

法面崩壊の修復個所
(手前が峠方向)
 
<赤崩峠>
 
 この峠には地図に記載される正規の名称がない。熱塩加納村にお住まいの方から、村で言い慣わされている名称として、「谷地峠」という呼び名を教わり、ここではそれを使わせて頂いている。他には「赤崩峠(あかくずれとうげ)」とこの峠を呼び示すことがあるようだ。峠から北東へ続く稜線上の近くに、赤崩山(1,071m)という山があることからきているのだろう。
 
 また、遠望でもはっきり見えていたように、土が露出した箇所が峠の直ぐ脇にある。それもこの「赤崩峠」という呼び名をなるほどと思わせている。実際にその場所に差し掛かると、見上げる山肌からはいつ落石が落ちてきてもおかしくない。険しい地形に林道が切り開かれていることを実感する。言わばこの五枚沢林道のハイライトだ。かなり怖いハイライトである。
 

この先が峠
「赤崩」を連想させる

崩れやすそうな山肌を見上げる
 
<「崩」の付く峠>
 
 「崩」という文字からは、峠が好きでちょっと詳しい者には直ぐに、あの「青崩峠」が連想されることだろう。長野県南信濃村と静岡県水窪町との境にある峠だ。長野県側から見上げる青崩峠は、周囲に脆そうな青い岩肌が切り立ち、その名の通り「青く崩れる峠」である。その峠道の険しさは、今も峠の前後に車道を通させない。一方、こちらの「赤崩れ」も負けてはいない。「西に青崩峠あれば、東に赤崩峠あり」といったところだ。
 
峠直前の様子 (下の写真の左側に続くパノラマ写真)
 
峠直前の様子 (上の写真の右から続くパノラマ写真)
 
<峠に着く>
 
 険しい個所を過ぎて到着した峠には、全くホッとさせられる。峠そのものは広々としていて、安定感がある。狭い切通しの様な窮屈さは微塵もない。ただ、峠としての趣にはちょっと欠ける。福島県側が切り立った崖であるのに対し、山形県飯豊町(いいでまち)側はここが峠であることを忘れさせるような平坦地なのだ。道の最高点である峠というより、台地の崖っぷちという感じである。福島県と山形県の県境であるはずだが、どこがその境界線なのかも見当がつかない。
 
 この峠には青崩峠のような歴史的味わいも少ない。青崩峠は秋葉街道としての古い歴史があり、その周囲に史跡も多い。一方、こちらには「飯豊山周辺森林生態保護地域」と題した看板が峠に一つ立つだけである。福島県側から峠に達する道も、数十年前に林道化されたもので、それ以前には細々とした山道が通っていただけと聞く。峠を挟んで福島、山形両県の人や物資の交流はあまりなかったのではないだろうか。それぞれの県にある人里どうしがあまりにも離れ過ぎているのだ。少なくとも現在の峠は、登山者などが時折訪れるだけの存在なのだろう。
 

福島県側から見る峠

山形県側から見る峠
 
<峠の福島県側>
 
 峠から福島県側への眺めは道が険しい分だけ壮観である。崖の端に立ち、思わず背筋を伸ばして眺め入る。しかし、一転足下に目をやれば、遥か谷底までほとんど垂直に切れ落ちている。岩を落とせば見えなくなるまで転げ落ちていきそうである。この崖を避けて、峠道は大きく迂回せざるを得なかったのだ。
 

峠より福島県側を望む

峠に立つ大木
 
<山形県側を進む>
 
 一方、峠の山形県側は何とも穏やかな様相である。道はほぼ水平に進んで行く。何の危険も感じない。ただ、道の脇が所々沼の様になっていて、うっかりよそ見して路肩にタイヤを落とすと、抜け出せなくなるかもしれない。
 
 峠から数100mも進むと、また一段と平地が広がる。周囲を低い山に囲まれたちょっとした盆地の様になっていて、中央の平坦地は湿地帯を形成している。ここは「谷地平(やちだいら)」と呼ばれる。峠が「谷地峠」の呼び名を持つのも、この谷地平の存在があるからだろう。
 
 熱塩加納村にお住まいの方から教えていただいたところによると、その昔「谷地平湿原は水芭蕉が一面に群生し、その中を細い川が流れ、岩魚が群れて」いたそうだ。それが、林道が開通した頃から周辺の伐採が進み、湿地も荒れてしまったとのこと。水芭蕉が咲き誇る様子を想像すると、それに比べて今の谷地平は確かに荒れた感じを受ける。
 
 それに私は水が怖い。海でも川でも、遠くから眺めているのはいいが、近付いたり中に入るのはご免だ。しっかり足が地面に着ける場所でないと安心できない性分なのだ。その点、地面だか水面だかはっきりしないこういう湿地は、どうも薄気味悪く感じるのである。
 

山形県側の道
道の直ぐ脇は沼の様になっている

谷地平の湿原
個人的にあまり好きにはなれない
 

葡萄沢林道に合流
左は岳谷へ、右は広河原へ
 <葡萄沢林道に合流>
 
 谷地平湿原の中で、左に道が一本分岐する。実は道が分岐しているというより、こちらが別の道に突き当たったのだ。それは葡萄沢(ぶどうさわ)林道である。道を左に行けば、湿原の中の川を渡って進み、葡萄沢沿いに下って岳谷(たけや)方面へと出る。右は谷地尻西沢沿いを下って広河原(ひろがわら)を過ぎ、白川ダム湖へと通じる。葡萄沢林道は岳谷方面から登って、谷地平を経由し、また広河原方面へと降りる山形県側を周っている林道の総称のようだ。
 
 尚、岳谷方面に下った所にある葡萄沢林道の起点では、以前は飯豊桧枝岐線という林道が開削の真っ最中であった。今では山形・福島県境を貫く「飯豊トンネル」が貫通しているそうだ。まだ一般車両が通り抜けできるか分からないが、谷地峠より西側には南北を繋ぐ峠道はもう存在しないと思っていたのに、こんな所にも道ができたとは驚きである。それにしても「飯豊桧枝岐林道」という名前が気になった。「桧枝岐」とはまさか檜枝岐村のことではあるまいし。
 
<赤崩林道の謎>
 
 葡萄沢林道の合流点より、今来た峠方向を道を振り返ると、道の脇に林道標識が立ち、「赤崩林道」とある。五枚沢集落を過ぎた所には「五枚沢林道」とあったのに、これは一体どういうことか。
 
 これはあくまで推測だが、県境から葡萄沢林道までは、1Km弱ながらある程度の距離がある。県境を挟んで福島県側の道は五枚沢林道と呼び、山形県側の葡萄沢林道に合流するまでを、短いながらも赤崩林道と分けて呼んでいるのではないかと思う。

葡萄沢林道との合流点より峠方向を振り返る
右脇に「赤崩林道」と標識が立つ
 
<葡萄沢林道の岳谷方面を偵察>
 
 さて、葡萄沢林道をどちらに進むかちょっと迷う。岳谷方面に下りるのも魅力的だ。最初に訪れた時は、途中に崖崩れが発生していて、完全には走り通していない道なのだ。今回は通行止の看板はない。ちょっと走ってみる。道は谷地平を横断し、北西方向に徐々に登って行く。地図を見ると一旦福島との県境近くまで登り返してから下るようだ。谷地峠より標高が高い地点を通過している。路面状態は大変良い。砂利で整地され、このままだとどこまでも走りそうなので、適当に引き返してきた。
 
<葡萄沢林道を広河原方面へ進む>
 
 峠道としてはやはり広河原へ下るのが本筋の様に思う。峠よりあまり高い地点を通ることもない。それにその方が未舗装林道の距離も長いのだ。但し、こちらには通行止の看板があった。元々はロープが渡されていたらしいが、それが外され、ロープと一緒に看板が路面に転がっていた。
 
 ◎通 行 止
 この先は深い雨裂と
 路肩欠かいのため
 当分の間通行止め
 となります。
   置賜森林管理署
 
 自分でロープを外してまで、通行止の道に進もうとは思わないが、こうして外してあると、入ってみたくなるのが人情である。多分どうにか通れるから外してあるのだろう。ちょっと怖い気もするが、ジムニーを頼りに進んでみることとした。
 

広河原方向にはロープが渡されていた跡

路面に通行止の看板が
 
<道は荒れた>
 
 ロープ地点から100mも行かない間に、早速お出ましである。雨裂もなかなかだが、その先で横から流れてくる沢により、道が完全に陥没していた。歩いて偵察する。陥没地点の脇をすり抜けて轍がある。狭いがどおにか通れそうだ。とにかく他の車に通れてジムニーに通れない訳がないのである。
 
 しかし、一人旅なので、万が一にも失敗はできない。車を落とせば抜け出す手立てはないし、人里まで歩いて帰るのも大変である。こんな平日では運良く他の車が通りかかるとも思えない。命の危険があるような状態ではないが、慎重にも慎重を期して陥没地点を通過する。
 
 その後には大きな水溜りが現れた。道は谷地平の終わりの方で、僅かながら登って行く。峠から単純な下りが続く訳ではない。水が流れ下る明確な沢が存在しないのだ。そんな地形がこの一体の水はけを悪くし、谷地平と言う湿地帯を生み出したのだろう。峠から2キロ程も走ってやっと一本調子で下りだした。
 

道が陥没

大きな水溜り
 
<恐ろしげな峠道>
 
 この谷地峠の道は、一言で言って「恐ろしい」という印象がある。実際に土砂崩れに遭遇したり、通行止に阻まれたり、今回の様に荒れた道を通ったりした。それ以外にも、赤崩峠という別称や、福島県側のあの土が露出した岩肌、じめじめした薄気味悪い湿地帯が怖そうな雰囲気を漂わしている。
 
 何より飯豊山地のこんな所に道が通じていること自体が恐ろしいではないか。国道121号のあの大峠でさえ、谷地峠より遥か東方を越えているのだ。旅を始めた最初の頃に持っていた東北のツーリングマップ(発行1989年)には、この道は単なる一本線で描かれていた。車が通れる道なのかどうかも分からずにやってきたのだった。
 
 陥没地点を過ぎてからも、この先にもっと恐ろしい事態が待ち受けているのではないかと、車を進めながらも怖くて仕方がない。精神的に疲れるのだ。何だか胃が痛くなってきた。本当に胃が痛くなってくる程の道は、これまで数回経験があるが、この道は実情以上にプレッシャーが掛かるのだった。
 
 狭い道や荒れた沢を渡る。周囲の紅葉がなかなかいいのだが、めでている余裕がない。
 

紅葉の中の狭い道を進む

荒れた沢を渡る
 

沢沿いの道を行く
<谷地尻の沢沿い>
 
 道は谷地尻の沢沿いを下るようになる。車からも川面が直ぐそこに望められる。細い水の流れとその周囲を埋め尽くす紅葉。道はちょこまかとしたカーブを曲がり、何度か川も渡り返す。沢沿いは狭く視界は全く広がらない。どこまで行っても果てしのない迷路のようだ。
 
 この世界から抜け出すには、目の前にあるこの狭い一筋の道に頼るしかない。これが途切れたら終りである。ブラインドカーブの先に無事に道が続いていることを祈らずにはいられない。早く胃痛から開放されたいものだ。
 
 はやる気持ちを抑えつつ、黙々と車を走らせていると、やっと開けた所に出た。道の様相は落ち着きを示し、側らにしっかりした営林局の看板も立つ。どういう訳か「秋田営林局」とある。ここは山形県の筈なのに。とにかく、人心地ついた。地形も安定してきて、この先に土砂崩れで通行不能などという事態はもう起らないだろう。しかし、ここには峠方向に向かって通行止を示す看板などがない。知らずに進んだ者は、あの道路陥没個所にびっくりすることだろうに。

やっと開けた所に出た
 

西沢2号橋を渡った (峠方向を見る)
<西沢付近>
 
 谷地尻の沢は西沢と名前を変え、途中の右岸より北沢という流れを集める。道は尚も西沢の川に沿っている筈だが、もうあまり川面は見受けられなくなる。
 
 ちょっと新しい小さな橋を渡った。その袂に標柱が立っていた。「平成8年度林道葡萄沢線西沢2号橋災害復旧工事」とある。この林道が間違いなく葡萄沢線ということが確認された。ただ、今手元にある古いツーリングマップには「林道滝沢線」との書き込みがある。どこでその名を見つけたか全く覚えはないのだが。
 
 道は杉木立の中を真っ直ぐ伸びていくようになる。勾配もほとんどない。距離がはかどる。
 
<東沢分岐>
 
 その内、広い分岐に出る。仮にここを東沢分岐と呼んでおく。右に鋭角に分ける道には、「広河原間欠泉 7.5km先」と書かれた看板が立つ。東沢に沿う道である。名前は林道東沢線で、どこにも通じていない行き止まり林道だと思われる。
 
 ただ気になるのは、その間欠泉とやらで、一度見てみたい気がするが、往復15kmはちょっと遠い。しかも間欠泉というのは本当に噴出すのか怪しいものである。自然現象だからそう簡単には見られないことが多い。これまで見ることができたのは、宮城県鳴子町吹上温泉の間欠泉だけだ。ここは有料の観光スポットである。それ以外は地図に示されていても、行ってみたが何もなかったという経験ばかりだ。
 
 川は東沢を合流してからは広河原川(ひろがわらかわ)と名を変えるものと思われる。ちょっとまわりくどい名前だ。道は尚もその川に着かず離れず進む。

東沢の分岐
右が峠へ
左は広河原間欠泉へ続く東沢林道
 
<舗装路が始まる>
 
 東沢分岐を過ぎると直ぐに小さな橋で川を左岸に渡り、するとそこから舗装路が始まった。道は細いままだが舗装は比較的新しい。左手に神社の鳥居が目に付いた。山神様を祀る神社だ。山仕事をする時には、ここで無事を祈ってから山に入るのだろう。
 
 そして山形県側最初の人家が現れる。広河原の集落だ。まだ集落の端っこなので、一軒家がポツンとあるだけだ。
 

道の角に神社
(右にカーブする道が峠方向)

山形県側最初の集落 広河原
 

室ノ沢付近の様子
 その後も沿道に僅かだが人家が点在するようになる。地図では広河原の他に室ノ沢という集落名も記されている。周囲にはのどかな風景が広がる。ぽかぽかとした陽だまりに花が咲く。
 
 
<室ノ沢分岐>
 
 道沿いに細長く伸びる集落を過ぎると、こちらより幾分大きな道に逆Y字で合流する。仮にここを室ノ沢分岐と呼んでおく。鋭角に左に進む道の方向には「飯豊産業砕石工場」とある。通り抜けできないとも書かれている。
 
 しかし、この付近から西の県道8号へ抜ける「大畑峠(おおばたけとうげ)」というのがあることになっている。多分、砕石工場へ行く途中から峠越えの道が分岐しているのだろう。以前反対方向から大畑峠に向かったことがある。砂利道を少し進んだ所で通行止の看板に引き返しとなった。それ以来、大畑峠は今もって謎に包まれたままなのである。
 
 分岐の峠方向には、またも広河原間欠泉の案内看板が立つ。12.7kmとある。東沢分岐から5.2kmの計算になる。
 
 この分岐には覚えがあった。1995年8月にやってきた時に写真を撮っている。それには広河原方向には砂利道が写っていた。福島県側の五枚沢集落への道も舗装化されたが、それに呼応してこちらの広河原集落への道も舗装化されていたのだった。
 

室ノ沢分岐
左は「広河原部落方面」
右は「飯豊産業砕石工場」 こちらに大畑峠がある筈

左と同じ場所 (撮影 1995. 8.18)
集落への道はまだ砂利道である
 
<広河原を結ぶ道>
 
 砕石工場専用に作られたような味気ない道に入って尚も北へと進む。この道に平行してもっと川沿い他の道があるようで、多分昔はそれが広河原の集落を結ぶ道として使われていたのだろう。古いツーリングマップには、この区間に2本の道が並んで描かれているのだ。この先にあるダム湖の完成などとも関係し、昔の道はもうあまり使われないものと思われる。
 

橋を渡って県道に出た
(県道より峠方向を見る)
ここが長い峠道の入り口
<県道4号・米沢飯豊線に出る>
 
 直線的な走りやすい道の終りは、高い橋を渡って県道に突き当たる。橋の名は須郷橋(すごうばし)という。この橋が谷地峠を越えて遥々福島県へと通じる長い峠道の入り口となっている。
 
 橋の袂に「広河原間欠泉 15km先」とある。よってここから室ノ沢分岐まで2.3km、東沢分岐まで7.5kmという計算になる。こうまで宣伝されると、その間欠泉とやらがどうも気になってくる。また、旅の心残りができてしまった。いつの日か再び訪れなければならない。
 
 間欠泉の看板はあっても、これが県境を越える峠道でもあることを示す道路標識や看板は一切ない。また、ここまで終始、林道葡萄沢線の通行止を示す看板も見受けられないのであった。
 
<白川ダム湖>
 
 須郷橋が高いのは、この付近が白川ダム湖の上流部だからだ。湖の周辺には「白川ダム湖岸公園キャンプ場」がある。橋の上から眺めるとコテージというのかバンガローというのか、立派なのが並んでいる。この公園は広く、ちょっと入ってみたが何とも落ち着かない。ここでテントを張る気にはどうもなれない。もっと、殺風景で、みすぼらしい場所が私の野宿には似合っている。

橋の上からキャンプ場を眺める
 

愛郷の碑
<須郷>
 
 県道沿いの橋の袂の近くをうろついていると、ダム湖を見下ろす所に「愛郷の碑」というのが建てられていた。この付近には「須郷(すごう)」と呼ばれる集落があったようだ。今は公園としてきれいに整えられた湖畔だが、昔はこの谷にどんな景色が広がっていたのだろうか。
 
 愛郷の碑
 
白川ダム建設に伴い長く住み慣れた郷を
須郷部落民一同移転にあたり、ここに
愛郷の意とともに将来にわたる部落民の
絆を深めることを記念し之建立
 
 福島県の喜多方を朝の7時に出てきて、須郷橋を渡ったのが10時過ぎ。熱塩加納村からでも2時間ちょっとの峠の旅だった。のんびり走っているので、これだけの時間が掛かったが、それでなくとも、なかなか骨のある峠道であることには間違いない。林道が荒れていたのを差し引いても、険しさでは日本屈指の峠道ではないだろうか。
 
 突き当たった県道4号を右(東)へ進めば、菅沼峠を越えて川西町へ出る。県道といいながらも途中から非常に狭い道に変わる。遥々谷地峠を越えてきたのに、まだこんな寂しい所に居たのかと驚いてしまう程だ。しかし、峠の川西町側で眺めが広がり、なかなか味わいがある峠越えとなる。
 
 左へ進めば白川ダムを経て飯豊町の中心地へ。また、途中十四郷橋(とよさとばし)を渡って県道8号・川西小国線へ入れば、九才峠を経て小国町に出られる。
 
 さて、有給休暇は今日のみで、明日からはいつもの会社務めが始まる。家の方角は南だが、今朝からずっと北へ向かって走って来てしまった。どこかで折り返さなければならないのだ。一方、谷地峠越えは十分堪能したが、それだけでは今日一日の旅の成果としては不満足である。家路には着かなければならないし、もう一峠くらい越えたいしで、もっと休みが欲しいと思う谷地峠であった。
 
<参考資料>
 昭文社 東北ツーリングマップ  1989年5月発行
 昭文社 ツーリングマップル 2 東北 1997年3月発行
 国土地理院発行 2万5千分の1地形図
 
<制作 2004. 4. 2 蓑上誠一>
 
第1話 (制作 1997.12.22)
 

峠と旅