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山神峠  (仮称)
  やまのかみとうげ  (峠と旅 No.349)
  土呂部峠と関係の深い峠道
  (掲載 2026. 4.24  最終峠走行 2024.10.16)
   
   
   
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山神峠(仮称) (撮影 1992. 9.15)
奥は栃木県旧塩谷郡栗山村大字川俣(現日光市川俣)
手前は同村大字湯西川(現日光市湯西川)
左に馬坂林道(村道馬坂線)が下り
右に田代山林道(現県道350号・栗山館山線)が登る
手前は馬坂林道で土呂部峠へ(現県道350号・栗山館山線)
峠の標高は1,250m余り (地理院地図の等高線より)

ここは峠の形態をしているが、峠名などは存在しない
そこで便宜的に「山神峠」と仮称を付けて呼んでみた
この手前1Kmに土呂(どろぶ)峠があり、そこと関係が深い峠だ
土呂部峠と同じく三叉路になっている
写真はもう30数年も前に初めて訪れた時の様子
道は未舗装ながら荒れた様子はなく、現役の林道だった

   
   
   

   

<掲載理由(余談)>
 前々回に土呂部峠を載せてみたが、この峠の三叉路の一本が今回の峠に続いている。土呂部峠の標高は1,193mだが、今回の峠はそこより高く、1,250m余りにある。
 
 土呂部峠には旧栗山村の湯西川(ゆにしがわ)と土呂部(どろぶ)を結ぶ県道249号・黒部西川線が通じる。かつて湯西川沿いの地域は「裏栗山」、土呂部など点在する鬼怒川本流沿いは「表栗山」と呼ばれた。土呂部峠はその「裏」と「表」を繋ぐ重要な往還だった。湯西川側から見てより栗山村中心地に近い土呂部へと越える峠として、「土呂部峠」の名は当然だろう。
 
 しかし、同じ栗山村の川俣(かわまた)方面から来て土呂部へ、あるいは湯西川へと向かった場合、土呂部峠は単なる通過点になってしまう。道の最高所は今回の峠にあり、地形的にはそここそが本来の峠ということになる。
 
 2つの峠にそれぞれ三叉路があり、それらの道の組み合わせ如何で、峠になったり単なる通過点になったりするのだ。今回はその点をはっきりさせてみようという試みだ。

   

<峠名は仮称(余談)>
 今回の峠には名がない。何かないと呼びにくくてしょうがない。そこで、峠の脇に山神様を祀ってあるので、「山神峠」としてみた。「山神」は山ノ神、山の神、山之神などといろいろな書き方がある。そこであえて「山神」とだけ書き、「やまのかみ」と読もうと思う次第だ。
 
 尚、「山の神峠」という峠は実際に富山県南砺市(地理院地図)と岡山県吉備中央町(地理院地図)にあるそうだ。しかし、そちらとは何の関係もないので、悪しからず。余談だが、富山県の方の山の神峠については山の神トンネルの方を通ったことがある(1995. 5. 2)。旧利賀村(現南砺市利賀村)と外界とを結ぶ峠として、栃折峠でちょっと触れた。

   

<所在>
 峠部分はほぼ東西方向に道が通じ、峠の東側は栃木県日光市(にっこうし)湯西川(ゆにしがわ)で、その直前は塩谷郡(しおやぐん)栗山村(くりやまむら)大字湯西川であった。
 
 西側は同市川俣(かわまた)で、同じく旧栗山村大字川俣だった。
 
 現在の日光市は平成18年(2006年)3月20日に今市市、日光市、藤原町、足尾町、栗山村の2市2町1村が合併して誕生している。
 
 更に古くは、明治22年(1889年)に川俣・野門・上栗山・土呂部・黒部・日蔭・日向・湯西川・西川の9か村が合併して栗山村ができている。それ以前は江戸期からの川俣村と湯西川村であった。

   

<地理院地図(参考)>
 国土地理院地理院地図 にリンクします。


   
本ページでは地理院地図上での地点を適宜リンクで示してあります。
   

<水系/湯西川水域>
 湯西川側は湯西川水域になる。峠から流れ下る川の繋がりは以下のようだ。
●藤花沢(ふじはなさわ、地理院地図)→橋立沢(はしだてさわ)→湯西川(ゆにしがわ)→男鹿川(おじかがわ)→鬼怒川(きぬがわ)→利根川(とねがわ)/利根川水系
 
 峠は藤花沢源頭部に位置するが、現在は藤花沢沿いに直接下る道はない。一旦分水界の尾根近くを南下して土呂部峠(地理院地図)に至る。土呂部峠に関する川の流れは以下のようになる。
●マグラリュウ沢(地理院地図)→橋立沢→(以下同じ)
 
 藤花沢とマグラリュウ沢が合流して以降を橋立沢と呼ぶ。どちらが橋立沢の本流ということはないようだ。ただ、藤花沢(山神峠側)は馬坂沢水域との分水界、マグラリュウ沢(土呂部峠側)は土呂部川水域との分水界に源を発する。

   

<水系/馬坂沢水域>
 峠の川俣側に関しては以下のようになる。
●トガ沢→馬坂沢→鬼怒川→利根川/利根川水系
 
 よって峠道は全て利根川水系・鬼怒川水域にあり、広くは男鹿川と馬坂沢の分水界上に位置する。

   

<水系/土呂部川水域>
 本来、峠は2水域だけを考えればいいが、今回の峠は土呂部峠を通過点として土呂部へとも通じる。土呂部峠の土呂部側の川の流れは次のようになる。
●土呂部川→鬼怒川→利根川/利根川水系
 
 今回の峠には湯西川・馬坂沢・土呂部川の3つの水域が絡んだ複雑さがある。

   

<水域から見た峠道>
 湯西川水域では土呂部峠より今回の峠の方が標高が上で、土呂部峠よりも上位にあると言える。但し、それだけでは話が済まない。湯西川の源流は福島県との県境で、枯木山(地理院地図)付近だが、その近くに田代山峠(地理院地図)が通じる。そちらが断然上である。ただ、土呂部峠、山神峠(今回の峠)、田代山峠と3つの峠道が別々にある訳でなく、一本の道で繋がっている。峠道の道筋如何によって、解釈が変わる。
 
 一方、馬坂沢水域では帝釈山峠(仮称、地理院地図)の存在を無視できない。馬坂沢源流は県境の帝釈山(地理院地図)であり、その脇に帝釈山峠が通じる。馬坂沢本流に関しては帝釈山峠の範疇で、今回の峠はその支流のトガ沢水域に限られると言えなくもない。
 
 ただ、車道の帝釈山峠が通じたのは後のことで、少なくともそれまでは馬坂沢水域全てが今回の峠の範疇だったと言える。馬坂沢沿いに通じる馬坂林道も、その上部は今回の峠に至っている。

   

<田代山峠などの峠名(余談)>
 尚、ここでは田代山峠(田代峠とも)とか帝釈山峠などと呼んでいるが、これらは一般の地図に記載がない。その峠名を見たのはツーリング・マップルだけである。 「帝釈山峠」などは最初私が仮称で使っていて、その後にツーリング・マップルにも載るようになった。どちらの峠も林道が通じたことで注目され、それで名前が必要になったようだ。 これらは全くの仮称とまではいかないが、あまり一般に認知された峠名ではないように思う。ただ、名無しでは不都合なので、ここでは「田代山峠」、「帝釈山峠」と呼んでしまう。
 
 尚、田代山峠(掲載  1997. 6.25)も帝釈山峠(掲載 1998. 4.19)も既に掲載してあるのだが、何とも昔のことで、内容はあまり参考にならないだろう。どちらの峠も一度しか越えたことがないのだが、もう少し詳しく再掲載してみたい。ただ、そんな時間が残っているのだろうか。
 
<安ヶ森峠(余談)>
 この帝釈山脈に通じる峠は他にも前回再掲した安ヶ森峠などがある。どれも近くに同名の山があり、「帝釈山峠」の名は妥当に思う。ただ、安ヶ森峠は車道開通前の古くから存在した峠で、峠名の歴史的重みが違う。
 
<土呂部峠(余談)>
 その点、土呂部峠も古くから通じた峠だが、どういう訳かこちらも道路地図に記載が見られない。文献(角川日本地名大辞典)にはその名が登場するので、峠名が存在することだけは確かだ。
 
 やはり今回の峠とも関係し、道筋の選び方によって土呂部峠は峠になったり、ならなかったりする。そんなことも影響し、土呂部峠の記載が地図に見られないように思える。

   
   
   

土呂部峠から山神峠へ

   

<土呂部峠>
 土呂部峠の三叉路は、湯西川と土呂部を結んだ場合、鋭角にカーブする道となる。一方、湯西川と川俣、あるいは土呂部と川俣を結んだ場合、カーブは緩やかだ。

   
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土呂部峠 (撮影 2024.10.16)
左は川俣へ、右は湯西川へ
手前は土呂部

   
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土呂部峠より川俣方向を見る (撮影 2024.10.16)
川俣へは殆ど直線路

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湯西川側から見る土呂部峠 (撮影 2024.10.16)
川俣へは緩やか右カーブ

   

<登り坂>
 しかも、川俣方面へは登り坂になっている。こうしたところが土呂部峠があまり峠らしく見えない点である。強いては、土呂部峠の名を道路地図などに記載するのを控えさせている要因のように思えてくるのだ。

   
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土呂部峠より川俣方向を見る (撮影 2024.10.16)
登り坂になっている

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川俣方面から見る土呂部峠 (撮影 2024.10.16)

   
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「栗山舘岩線」とある (撮影 2024.10.16)
この時も通行止

<黒部西川線>
 現在、黒部(くろべ、地理院地図)を起点に土呂部を通過し、土呂部峠を越え、湯西川に下り、西川(にしかわ、地理院地図)で国道121号に接続する道は県道249号・黒部西川線となっている。この道については土呂部峠を参照されたし。
 
<栗山舘岩線>
 一方、土呂部峠を起点に今回の峠を経由し、田代山峠を越えて福島県の旧舘岩村(現南会津町)に通じる道は県道350号・栗山舘岩線となっている。ただ、現地で県道標識などは見たことがないが、少なくとも「栗山舘岩線」と書かれた看板などは見掛ける。
 
 県道への昇格時期は分からないが、少なくとも2003年11月に訪れた時、既に「栗山舘岩線」と看板に出ていた。

   
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土呂部峠より川俣方向を見る (撮影 2003.11.29)

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土呂部峠より湯西川方向を見る (撮影 2003.11.29)

   
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古い道路情報看板が立つ (撮影 2003.11.29)
但し、何も書かれていない

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代わりに栗山舘岩線の看板が立つ (撮影 2003.11.29)

   

<一級村道馬坂線>
 しかし、土呂部峠から川俣方面に進む道は、以前は馬坂林道(林道馬坂線)とか村道馬坂線と呼ばれていた。土呂部峠から川俣方面に見て道路情報の看板が立ち、そこに次のようにあった。
   道 路 情 報
  一級村道 馬坂線
  この先路肩決壊のため
  川俣方面は通り抜けできません

   
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道路情報看板 (撮影 1998. 7.25)
残念ながらピンボケだが、内容は辛うじて読めた

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土呂部峠より川俣方向を見る (撮影 1998. 7.25)
側らに道路情報の看板が立つ

   

<起点の移動>
 かつての馬坂線は土呂部峠を起点として川俣とを結ぶ林道であり、道路情報看板にも「川俣方面」と書かれていた。しかし、田代山峠に林道が通じて舘岩村との連絡が取れるようになった。すると、そちらを優先し、新しく設定された県道は栗山舘岩線という名になった。起点もこの土呂部峠である。一方、馬坂林道は山神峠(今回の峠)まで後退した訳である。以前は田代山林道の方が山神峠を起点としていた。

   
   
   

土呂部峠〜山神峠

   
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看板が並ぶ (撮影 2024.10.16)

<土呂部峠から山神峠へ>
 土呂部峠から今回の峠までは道程で丁度1Km、高低差は60m弱になる。2024年に訪れた時は土呂部から湯西川に抜ける予定だったが、今回の峠まで往復してその様子を見て来た。
 
<看板>
 道は湯西川と土呂部川との分水界となる尾根沿いを進む。直ぐに看板が立っていた(地理院地図)。一つは道路情報看板で「一般県道 栗山舘岩線 通行止」と出ていた。田代山峠は越えられないらしい。

   
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県道の道路情報看板 (撮影 2024.10.16)
「通行止」とあった

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「お知らせ」の看板 (撮影 2024.10.16)
「ここから11.3Km区間」

   

<11.3Km>
 もう一つは雨量規制による通行止の「お知らせ」である。「ここから11.3Km区間」とあったが、どの道とは書かれていない。この・栗山舘岩線だとすれば、丁度県境の田代山峠までの距離になるようだ。

   
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日加倉林道の分岐 (撮影 2024.10.16)
左奥が土呂部峠方面、手前が山神峠方面

<日加倉林道分岐>
 途中に道の分岐がある(地理院地図)。 荒れていて、車の走行はほとんど不可能に見える。その道は日加倉(ひがくら)林道になる。一旦土呂部川水域に下り、その後馬坂沢水域に越え、日加倉山(地理院地図)近くにまで通じているようだ。

   

<マグラリュウ沢と藤花沢の分水界>
 道は地理院地図に1,238mとある地点を過ぎる(地理院地図)。ここはマグラリュウ沢と藤花沢を分ける分水界の尾根上になる。その尾根の頂点が1,300mのピークになる(地理院地図)。ここは馬坂沢、湯西川、土呂部川の3水域の接点となる。
 
 道は藤花沢水域に入ったと同時に、湯西川と馬坂沢との分水界の尾根沿いを進むことになる。土呂部峠や今回の峠はこうした地形の複雑な地帯に通じる。

   
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マグラリュウ沢と藤花沢の分水界 (撮影 2024.10.16)
手前がマグラリュウ沢水域

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マグラリュウ沢と藤花沢の分水界 (撮影 2024.10.16)
手前が藤花沢水域

   
   
   

山神峠

   

<峠直前>
 道は土呂部峠から淡々と緩い坂道を登る。いろいろな分水界の尾根近くに通じる割には、殆ど視界が広がらない。沿道に木々が多いせいだろう。
 
<峠に着く>
 やがて馬坂沢水域との分水界の尾根上に出る。そこだけ開けた雰囲気だ。その先、道は二手に分かれている。 左は馬坂沢水域へと下って川俣に至る村道・馬坂線、右は尚も尾根沿いを北上し、田代山峠を越えて福島県に出る県道・栗山舘岩線(旧田代山林道)になる。この地点は一般に峠として認識はされていないが、あえて「山神峠」と名付けてみた。

   
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今回の峠/山神峠 (撮影 2024.10.16)
左は川俣方面へ、右は田代山峠へ
手前は土呂部峠へ

   

<最初の峠>
 この場所には5回訪れている。最初は1992年9月のことで、辛うじて写真を撮ってあった。一方、手前の土呂部峠では全く写真を撮っていない。当時のツーリングマップにはまだ土呂部峠の名が書かれていなかった。 それで、こちらを土呂部峠だろうと勘違いしていたのだ。土呂部峠より標高は高いし、よっぽど峠らしく見えたのだ。
 
 当時、土呂部峠から続く馬坂林道も、田代山峠へと分岐する田代山林道も、未舗装ながら整った砂利道だった。しかし、残念ながら田代山林道の入口には通行止を示す看板があり、馬坂林道を下って川俣に出たのだった。

   
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今回の峠/山神峠(再掲) (撮影 1992. 9.15)
初めて訪れた時
この後、ジムニーは川俣へ

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田代山林道方向を見る (撮影 1992. 9.15)
この時は通行止の看板が出ていた

   
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今回の峠/山神峠 (撮影 1994. 8.12)
ジムニーはこれから田代山峠を越える

<2度目>
 2度目は1994年8月で、峠の様子はあまり変わっていなかった。嬉しいことに田代山林道が通れて、走り易い未舗装路が峠まで続いていた。この時、初めて田代山峠を越えたのだった。

   
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今回の峠/山神峠 (撮影 1998. 7.25)
ジムニーはこの後、馬坂林道を下って帝釈山峠を越えた

<3度目>
 1998年7月に訪れた時は、土呂部峠からここまでが新しく舗装されていた。それまで看板類は皆無だったが、道路情報などの看板がお目見えしていた。
 
 以前はツーリングマップ(ル)の記載から道の名は単に「馬坂林道」、「田代山林道」と呼んでいた。しかし、道路情報に「一級村道 馬坂線」、「村道 田代山線」とあり、正式名称がはっきりした。
 
 村道馬坂線の一部が舗装化された一方、村道田代山線は未舗装のままで、路面のデコボコが目立ち、荒れた様子だった。尚、この時点で「県道栗山舘岩線」の看板はない。

   
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道路情報の看板 (撮影 1998. 7.25)
「一級村道 馬坂線」とある
起点はまだ土呂部峠だったと思う

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「村道 田代山線」とある (撮影 1998. 7.25)
路面が荒れている

   

<村道田代線(余談)>
 全くの余談だが、田代山林道の福島県舘岩村側では、以前から「村道 田代線」と道路情報案内の看板に出ていた。一方、「田代山林道」と言った場合、峠を挟んだ峠道全線を指すものと理解していた。

   
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舘岩村側に立つ道路情報の看板 (撮影 1992. 9.15)
(残念ながらこの場所が特定できない)

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「村道 田代線」とある (撮影 1992. 9.15)
この時は「通行止」だったので、安ヶ森峠で栗山村に入った

   
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今回の峠/山神峠 (撮影 2003.11.29)
この時は酷い雨
川俣方面からやって来た

<4度目>
 少なくとも2003年11月の時点では、田代山林道(栗山村道・田代山線と舘岩村道・田代線)は県道・栗山舘岩線と名を変えていた。起点も土呂部峠になっていた。一方、村道馬坂線の起点はこちらの峠になったものと思う。
 
 当時、今回の峠から先はどちらも全面通行止の看板が出ていた。しかし、川俣側から馬坂線林道に入ると、何の支障もなく峠に辿り着くことができた。

   
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村道・馬坂線 (撮影 2003.11.29)
全面通行止などと出ている

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県道・栗山舘岩線 (撮影 2003.11.29)
こちらもゲートで通行止

   

<5度目>
 この時は土呂部から湯西川に抜ける予定だった。車はヤリス・クロスで、それまでの軽自動ではない。私にとっては大きな車なので狭い道は苦手だが、土呂部峠から今回の峠まで往復してみることとした。その日は湯西川温泉に宿を取ってあったので、時間的には余裕があった。

   
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村道・馬坂線側から見た峠 (撮影 2024.10.16)
それなりに峠らしく見える?

   

<馬坂線の様子>
 この時、道路情報板には通行止などの記載は見られなかった。実際にも、峠を散策する短い時間に川俣方面から男性2名を乗せた車が登って来て、土呂部峠へと走り去って行った。どこまで舗装されているか分からないが、川俣方面にもアスファルト舗装が伸びていた。

   
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馬坂線道路情報板 (撮影 2024.10.16)
この時は通行可能

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起点を示す「0.0」の看板 (撮影 2024.10.16)
馬坂線の路程だと思うが、
旧田代山線のことだろうか 

   

<栗山舘岩線の様子>
 道は直ぐにゲートが閉じられ「通行止」と大きく看板が立っていた。復旧作業中と理由が書かれていたが、開通の期限などは示されていなかった。

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峠より県道・栗山舘岩線を見る (撮影 2024.10.16)
未舗装路で残る

   
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県道・栗山舘岩線のゲートの様子 (撮影 2024.10.16)

   
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県道・栗山舘岩線側から見た峠 (撮影 2024.10.16)

   

<舗装・改良工事>
 ゲートの通行止看板とは別に、県道入口に工事看板が立っていた。道路舗装と道路改良の2件である。依然として峠から先は未舗装のままだったが、今後改修工事が進められる模様だ。
 
 かつての田代山林道は村道から県道に昇格したことにより、こうしたテコ入れが可能になったのだろう。再び田代山峠が越えられる日が来るのではと、期待が持てそうだ。田代峠はたった一度しか訪れたことがない。県道開通の暁には是非とも訪れたい。

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道路舗装・改良工事の看板 (撮影 2003.11.29)
県道・栗山舘岩線入口に立つ

   

<車道の開通>
 文献(日本歴史地名大系)の栗山村の項に次のようにあった。黒部と舘山村の間の村道が昭和48年(1973年)に通じたとのこと。これは田代山峠を越える田代山林道(村道・田代山線)の開通を示すものと思う。
 
 加えて、土呂部峠の土呂部側直下に架かる車道のシタシ沢橋(地理院地図)の架設年次が1968年である。黒部からはこの橋を渡ることになる。
 
 以上により、1968年から1973年の間に黒部を起点に土呂部集落・土呂部峠を経由してこの峠までは車道が到達していたことになる。ただ、少なくとも土呂部集落までは、もっと早くから車道が通じていた筈だ(土呂部林道?)。
 
 一方、土呂部峠のページで記したように、土呂部峠から湯西川方面に下る車道の開通は1982年となるようだ。
 
 更に、川俣側の馬坂林道の開通年が重要なのだが、これについては情報がない。唯一、地理院地図の1974年〜1978年の年代別航空写真には(地理院地図)、はっきりと馬坂林道や田代山林道が写っている。多分、田代山林道開通(1973年)よりずっと前に馬坂林道は通していたような気がする。

   

<峠道としての車道開通>
 峠道全線としての車道開通をまとめてみる。
@ 川俣〜山神峠・土呂部峠〜土呂部: 1968年−1973年
A 川俣〜山神峠・土呂部峠〜湯西川: 1982年
B 川俣〜山神峠〜舘岩村: 1973年
C 土呂部〜土呂部峠・山神峠〜舘岩村: 1973年
D 土呂部〜土呂部峠〜湯西川: 1982年
 但し、馬坂林道は1968年頃には開通していたと仮定する。何にしろ、これらの峠道に車が通行できるようになったのは、それ程昔のことではない。

   
   
   

山神社

   

<山神社>
 峠の湯西川側の正に藤花沢源頭部、足下の谷を臨む位置に鳥居が建ち、奥に山神が祀られる。社はなく、ご神体となる石碑のみが鎮座する。その表には大きく「山神」とだけ刻まれる。これをヒントに「山神峠」と呼んでみた。

   
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山神社 (撮影 1998. 7.25)

   

<湯西川の山神>
 文献(日本歴史地名大系)の土呂部の項に、山神社があると記されていて、最初は土呂部集落の山神社かと勘違いしていた。ツーリングマップル程度の地図を見ている限りには、どこまでが土呂部でどこからが湯西川だか分からない。 最近は地理院地図など各種の地図を調べることができ、その山神社は湯西川に建っていると分かったのだ。
 
 山神社はいつもきれいに手入れされ、お賽銭が納められていたり、お神酒が供えられていたりした。多分、湯西川集落の人たちが、時折この峠を訪れているのだろう。

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山神の石碑 (撮影 1998. 7.25)

   
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山神社 (撮影 2003.11.29)
石碑の前に砂山が築かれていた
この時は背後が開けた雰囲気

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山神の石碑 (撮影 2003.11.29)
お賽銭がはめ込まれている

   

<石碑>
 この山神社は地理院地図や他の地図にはまず掲載はなく、現地に訪れて初めてその存在を知ることになる。石碑の「山神」は「やまがみ」または「やまのかみ」と読むのだろう。唯一、 Google マップに「山ノ神」とか「山神様」と出ていた。
 
 石碑の裏側も見てみたが、何か書かれてあるような、ないような、はっきりしない。書かれていたとしても摩滅がひどく、写真などには到底写らなかった。よって建立日などは不明である。

   
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山神社 (撮影 2024.10.16)

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山神社 (撮影 2024.10.16)

   

<山神社の立地>
 しかし、こうして山神様が祀られているからには、ここはそれなりに意味のある地点であろう。広く見渡せば、湯西川集落の西の端に位置する。この下には藤花沢が流れ下り、橋立沢、湯西川と続く。その川沿いに湯西川の集落が点在している。山神様はこの高みに鎮座し、湯西川の集落を見守っているかのようだ。

   
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山神の石碑 (撮影 2024.10.16)
賽銭箱などが置かれていた

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山神の石碑の裏側 (撮影 2024.10.16)

   

<車道開通前の峠>
 しかも、土呂部峠ではなく、こちらに祀られている点に注目したい。土呂部峠は湯西川上流域と栗山村の中心地・日蔭(日蔭、地理院地図)などとを結ぶ重要な峠と言える。 古くから存在した。そちらではなく、何故ここなのだろうか。また、地蔵尊などはよく峠にあることが多く、人の往来がある場所に祀られるのが通常だ。すると、やはりこの地点も峠であろう。しかも、山神の石碑は古くからあるのだろうから、ここに車道が開通する以前から人の往来があった峠ではなかったか。
 
<旧道?>
 藤花沢に架かる藤花橋(ふじさわばし、地理院地図)の袂より、左岸沿いに道が登っている。 道は途中で途切れているが、そのまま谷沿いを遡れば、今回の峠に至る。また、川俣方面と湯西川を直線で結ぶと、ほぼその線上に今回の峠が位置する。湯西川側の車道はマグラリュウ沢を経由して1982年に開通したが、藤花沢沿いに旧道があったとすれば、ここは土呂部峠を経由せず川俣と湯西川を直接結ぶ峠ということになる。
 
 湯西川側からすると、土呂部方面に出るには土呂部峠の方が標高は低いし、距離も短い。一方、川俣へはこちらの峠の方が都合がいいだろう。この峠を越えて川俣に出て、鬼怒川沿いに遡れば川俣温泉に至る。また、更に富士見峠(地理院地図)などを越えれば日光、その先今市方面にも通じる。かつて山神社の脇を通って人が往来したことがあったのではないかと思ってみたい。
 
 ただ、土呂部峠は車道開通前の古くから存在したようだ。そこから1Kmしか離れていない所に今回の山神峠も同時期に存在し得たのだろうかと、疑問は残る。やはり、旧道などなかったか。

   

<田代山峠の前身(余談)>
 現在、この峠を通過して田代山峠への峠道も通じる。田代山峠の前身は、安ヶ森峠のページで記したように、枯木(かれき)越(え)(枯木峠とも)や万歳峠だったそうだ。それが1973年開通の田代山林道に取って代わられたとのこと。 山神峠より先の道は田代山林道開削によってできた新しいものではないだろうか。すると、それ以前の山神峠は三叉路ではなく、もっと違った様子をしていたかもしれない。いろいろと妄想か浮かんでくる。

   
   
   

馬坂線区間

   

<川俣>
 2003年11月に川俣(かわまた)から山神峠(今回の峠)へと走ったので、ここではその時の写真を中心に記したい。
 
 大字川俣は鬼怒川源流域の広い範囲を占める。名の由来は鬼怒川とその支流・馬坂沢の合流点に位置することにちなむそうだ。氾濫原(はんらんげん)と呼ばれる河川の洪水によりできた平坦な低地に立地した川俣本村を中心とする集落だった。
 
<川俣ダム・川俣湖>
 ところが、昭和35年(1960年)に川俣ダムが起工され、同38年ダム完成・貯水開始、同40年完工式が挙行された。川俣本村と近隣の民家50棟近くが川俣湖に沈んだ。その一方、移住先の一つとして川俣湖南岸(地理院地図)には民宿などを営む湖畔観光集落が新しく誕生した。

   
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川俣湖(1/2) (撮影 2005.10.31)
左の橋は川俣大橋

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川俣湖(2/2) (撮影 2005.10.31)
この湖の奥に今回の峠が通じる

   

<川俣大橋付近>
 近くには大きな釣り橋の川俣大橋(かわまたおおはし)が架かり、川俣湖を眺める風光明媚な観光地となっている。ダムができる前の様子など、もう想像もできない。

   
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川俣大橋 (撮影 2005.10.31)
この日は天気が良かった

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川俣大橋 (撮影 2003.11.29)
この日は雨

   
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川俣大橋 (撮影 1992. 9.15)
山神峠から馬坂林道を下って来たところ

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川俣大橋 (撮影 1992. 9.15)
ちょっと洒落たアングルで撮ってみた

   

<見晴峠(余談)>
 全くの余談になるが、川俣ダムは瀬戸合峡と呼ばれる鬼怒川本流の険しい峡谷部分に造られた。右岸沿いに通じる県道23号(主)・川俣温泉川治線がダム上部を通過する辺り(地理院地図)を見晴峠と呼ぶ。ダム堰堤に続く尾根を回り込んでいるので、若干だが道のアップ・ダウンがある。川俣ダムやその下流に続く瀬戸合峡を望む展望ポイントになり、「日本観光百選」などと案内の標柱が立つ。それによると、峠の標高は1,040mになるそうだ。
 
 
<川俣への交通>
 見晴峠から望む瀬戸合峡は、紅葉の季節などは素晴らしい眺めだ。しかし、その峡谷沿いに通じる道のことを考えると、険しいばかりである。川俣の地に至るにはその瀬戸合峡を遡らなければならなかった。
 
 第2次大戦前までは川俣へと通じる道は険しいものだったようだ。それが、昭和16年から藤原町の川治から川俣への道路の改修が始まり、戦後更に拡幅が進んだ。昭和19年に川治から日蔭まで、昭和29年には日蔭から川俣温泉までのバスの運行開始されたそうだ。

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瀬戸合峡の看板 (撮影 2005.10.31)
「見晴峠 標高1,040米」とある

   
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見晴峠より望む川俣ダム (撮影 2005.10.31)

   
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川俣ダム下流に架かる吊り橋 (撮影 2005.10.31)

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川俣ダム下流の瀬戸合峡 (撮影 2005.10.31)

   

<県道23号の新道(余談)>
 現在は、見晴峠区間を瀬戸合トンネル(地理院地図)などでバイパスする新道が完成している。 見晴峠を訪れるには旧道に入り込まなければならない。見晴峠前後の旧道は辛うじて通れるようになっているが、その他のかつて瀬戸合峡に沿って通じていた区間は、もう通行止となっているようだ。2005年10月に訪れた時はまだ通行可能だった。 瀬戸合峡は見事な紅葉を見せてくれていた。(見晴峠もしっかり掲載したくなってきた)
 見晴峠 (掲載 2026. 5. 1)

   

<川俣側起点>
 やっと本題。山神峠(今回の峠)への川俣側の起点は、川俣大橋の北の袂(地理院地図)になる。 そこで県道23号から分かれて広い川俣湖の西岸沿いに細々と道が延びて行く。県道沿いは川俣湖を眺める観光客や、これから川俣温泉に向かう車が往来し、賑やかな雰囲気だ。その側らでひっそりと狭い道が分岐している。勿論、県道沿いに案内看板などは立っていない。知る人ぞ知るという道である。

   
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県道は右の川俣大橋へとカーブする (撮影 2005.10.31)
橋の手前奥が峠への道
この県道手前は川俣温泉方面

   
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起点の様子 (撮影 2005.10.31)
この時はまだ未舗装
左の赤字の看板はボート使用禁止や釣に関する注意書き
青い看板は鬼怒沼国有林

<起点の様子>
 しかも、以前は未舗装だった。どこに通じているかも分からないそんな道に入り込む車は滅多にない。
 
 ツーリングマップルを見ると、一応田代山林道の起点(今回の峠)や土呂部峠と繋がっていそうだが、果たして無事に通れるだろうか。人家など全く存在しない川俣湖北部の奥地へと入り込むことになる。距離で17Km程にもなる林道だ。 何だか恐ろしそうな道だなと思えていた。
 
 最初にその道を通ったのは1992年9月のことだった。湯西川温泉から土呂部峠、田代山林道分岐(今回の峠)、馬坂林道と走った。以外にもすんなり走れた。当時の馬坂林道は全線未舗装だったと思う。2度目の2003年11月には逆に川俣側から湯西川温泉へと抜けた。山神峠近くで一部舗装化されていた。

   

 そんな林道も最近は舗装化が進んでいるようだ。それでもその道に入り込む車は少ないことだろう。

   
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左の路肩に林道の碑 (撮影 2005.10.31)
右奥には道路情報の看板(多分、村道馬坂線のもの)

   
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川俣桧枝岐林道の碑 (撮影 2003.11.29)

<川俣桧枝岐林道>
 この道は馬坂林道、または旧栗山村の村道・馬坂線と言い切ってしまいたいところなのだが、林道に入って直ぐに「川俣桧枝岐林道 昭和40年度起工 今市営林署」と碑があるのだ。この川俣桧枝岐林道とは一体何であろうか。
 
 昭和40年と言えば前述の様に川俣ダムの完工式が挙行された年で、一般に川俣ダムの完成年とされる。ダム完成と同時に川俣桧枝岐林道は起工されたことになる。

   

<林道開削の経緯(推測)>
 川俣ダムができる以前は馬坂沢の川沿いに通じる道を馬坂林道または村道・馬坂線と呼んだものと思う。しかし、ダム工事に伴い新しく道を開削し直す必要が出て来た。 その折、これまでの山神峠・土呂部峠を経て湯西川へと通じるルートではなく、県境の帝釈山峠を越えて福島県の檜枝岐(桧枝岐)村へと通じる壮大な林道を計画したのではないだろうか。その林道名が「川俣桧枝岐林道」であろう。 帝釈山峠は馬坂沢源流に位置する。名実共に馬坂沢流域は全て帝釈山峠の範疇となった。その峠道が川俣桧枝岐林道になる。こう言うことであろう。

   

<ゲート箇所>
 川俣桧枝岐林道を進む。起点から僅か200m程行くとゲート箇所があり(地理院地図)、脇に道路情報の看板が立つ。 そこには今度は「村道 馬坂線」とあるのだ。川俣桧枝岐林道を念頭に開削した道なのだろうが、依然として昔の名称を使っていた。
 
 多分、昭和40年に川俣桧枝岐林道を起工したものの、完成までは時間が掛かる。それまでは旧名を使ったのではないだろうか。尚、1998年7月には帝釈山峠を越えていて、その時点で川俣桧枝岐林道は全通していたことになる。それでも馬坂線の名は残っていたようだ。

   
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ゲート箇所 (撮影 2003.11.29)
脇に道路情報の看板

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道路情報の看板 (撮影 2003.11.29)
ここには「村道 馬坂線」とある

   

<ゲート箇所の位置>
 ところで、馬坂線のゲート箇所はとても中途半端な位置にある。しかし、それにはちょっとした訳がありそうだ。現在、鬼怒川と馬坂沢との合流点は大きな川俣湖になっていて、どこまでが支流の馬坂沢だか分からない。 多分、ゲート箇所より上流側を名目上の馬坂沢としているのではないだろうか。馬坂線なのだから当然ながら馬坂沢沿いでなくてはならない。一方、起点からゲート箇所までは鬼怒川沿いということになり、短い距離ながら、その区間は川俣桧枝岐林道と呼ぶしかないのでは。

   

<馬坂線の様子>
 今回(2003年11月)は生憎の雨模様で、時折強く降り付ける。こんな天候の日の険しい峠越えは避けたいところだが、湯西川温泉に向かうにはこの馬坂線のコースが最短である。 昨日は川俣温泉に泊まったので、通常なら鬼怒川沿いを延々と下り、険しい瀬戸合峡も抜け、黒部から再び土呂部へと登り返し、土呂部峠を越えてやっと湯西川へと入ることになる。大変な回り道だ。 その点、馬坂線から今回の峠(山神峠)を経由すれば、無駄なく湯西川に出られる。一回の峠越えで済むのだ。この利点が今回の峠道の真髄と言える。
 
 馬坂線は概ね路面に砂利が敷かれ、未舗装路ながら泥跳ねが気になる程ではなかった。凹凸による水溜りも少なく、まあまあ走り易い林道という印象だ。この馬坂沢右岸は大小の支流が多いようで、湖畔に沿って道は蛇行を繰り返す。中でもウルシノ沢は大きな支流の一つで、しっかりした橋が架かっていた(地理院地図)。

   
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馬坂線の様子 (撮影 2003.11.29)
生憎の雨模様

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ウルシノ沢を渡る (撮影 2003.11.29)
下流方向に見る
馬坂沢対岸の山が見える

   

<湖を望む>
 ウルシノ沢沿いから戻って来た辺りが(地理院地図)、鬼怒川本流方向を望める最後だ。川俣湖は霧が立ち込め、ちょっと恐ろしい雰囲気である。

   
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川俣湖を望む (撮影 2003.11.29)
鬼怒川本流が見える最後

   

<馬坂沢沿い>
 道はしっかりと馬坂沢の谷沿いになる。川幅は広く、湖はまだ暫く続いているようだが、林であまり見えてこない。

   
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道の様子 (撮影 2003.11.29)

   
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沿道の景色(1/3) (撮影 2003.11.29)
谷を望む

<無砂谷沢へ>
 相変わらず道は蛇行を繰り返す。その内、支流の無砂谷沢(地理院地図)の上流方向に大きく迂回を始める。この付近、道の屈曲も多いので、方向感が定まらない。いつの間にやら支流沿いになっている。カーナビがあれば何ら問題ないのだが、当時はまだ普及していなかった。

   
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沿道の景色(2/3) (撮影 2003.11.29)
蛇行が多い

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沿道の景色(3/3) (撮影 2003.11.29)

   

<道の様子>
 路面状況は殆ど変わらない。分岐らしい分岐もなく、現在地は分からなくとも、本線を見誤る心配はない。ただただ、走りに専念するだけだ。

   
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道の様子 (撮影 2003.11.29)
直進が本線

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道の様子 (撮影 2003.11.29)
崩れ易そうな崖

   

<無砂谷橋>
 道は無砂谷沢を1.5Km程も遡る。そこに無砂谷橋が架かる(地理院地図)。

   
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無砂谷橋より無砂谷沢下流方向を望む (撮影 2003.11.29)
左岸側に道が続いている

   
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分岐より無砂谷橋を見る (撮影 2003.11.29)
この先が川俣方面

<無砂谷林道分岐>
 無砂谷橋を渡った直ぐに分岐がある。本線は右に鋭くカーブし、無砂谷沢左岸沿いに引き返して行く。カーブ直前に無砂谷沢左岸沿いを遡るのが無砂谷林道になる。

   
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分岐の様子 (撮影 2003.11.29)
奥に直進するのが無砂谷林道、右にカーブするのが本線
手前は無砂谷橋

   

<不明な道>
 地理院地図にもそこまでは出ているが、もう一本、無砂谷林道に平行し、より川沿いに道が分かれていたようだ。看板が立っていたが、朽ちて内容は読めなかった。比較的轍もはっきりしていて、使われている道ばど思えた。

   
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分岐の様子 (撮影 2003.11.29)
左の道は不明

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分岐に立つ看板 (撮影 2003.11.29)
入山者への注意

   

<看板>
 この林道沿いにはあまり看板を見ないが、この分岐にはいろいろある。「行方不明・滑落事故多発」と恐ろしい文句が並ぶ看板は比較的新しかった。こういう看板が立っていることからも、この一帯が何となく怖い場所だと思わせる。
 
 本線方向に「通行止」と更に怖い看板が立っていたが、解除中で助かった。

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無砂谷林道を分けた直後の本線 (撮影 2003.11.29)

   

<水源かん養保安林の看板>
 この看板はよく役に立つ。まず現在地がはっきりする。無砂谷沢沿いに遡る無砂谷林道は、上部で右岸線、左岸線に分かれているようだ。また、馬坂沢上流部に「川俣桧枝岐線」とあるが、描かれた道はまだ県境の帝釈山峠に至っていない。この看板はちょっと古いようだ。

   
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本線脇に立つ看板 (撮影 2003.11.29)
通行止は解除中

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水源かん養保安林の看板 (撮影 2003.11.29)
これは役に立つ

   

<馬坂沢右岸続き>
 道は馬坂沢右岸沿いに戻るが、川筋からかなり離れていて、谷の高みを行く(地理院地図)。比較的空が開けるが、天候が悪くて白い霧が立ち込め、遠望はなかった。

   
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道の様子 (撮影 2003.11.29)

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道の様子 (撮影 2003.11.29)
落石注意の標識が立つ

   

<迷走気味>
 道は大筋、馬坂沢源流部に向けて北上しているが、谷の中腹を頻繁に蛇行しているので、またもや方向感が定まらない。霧が出ているのも一つの要因だ。標高は1,050mを超えた辺りで、若干のアップダウンを繰り返す。 登るでもなく下るでもなく、ほぼ水平移動に近い。この辺り、迷走気味の林道である。それでもその内やっと湯西川水域との分水界の尾根が望めるようになった。

   
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道の様子 (撮影 2003.11.29)

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道の様子 (撮影 2003.11.29)
馬坂沢上流部へ
少し前方が開け、分水界の尾根が見える

   
   
   

帝釈山峠(馬坂2号線)への分岐/馬坂線区間

   

<帝釈山峠への分岐>
 道がまた馬坂沢沿いに下ると直ぐに分岐がある(地理院地図)。本線より左に帝釈山峠への道が分かれて行く。現在の馬坂線途中に於いて最大の分岐だ。

   
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帝釈山峠(馬坂2号線)方向から見る分岐 (撮影 2003.11.29)
左が山神峠・土呂部峠方向、右が川俣方面
この手前が帝釈山峠へ

   

<道標>
 分岐に立つ道標には次のようにあった。
 → 川俣温泉 17.8Km
 ← 湯西川温泉 14.8Km
 ↓ 福島県 檜枝岐村 県境 13.0Km

   
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分岐に立つ道標など (撮影 2003.11.29)

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分岐の道標 (撮影 2003.11.29)

   

<道程(みちのり)>
 道標の数値などを参考に、道程(道の距離)をまとめてみた。
●川俣温泉〜川俣林道起点:約4.5Km
●川俣林道起点〜帝釈山峠への分岐:約13.3Km(合計17.8Km)
●帝釈山峠への分岐〜山神峠(今回の峠):3.8Km
●山神峠(今回の峠)〜土呂部峠:1Km
●土呂部峠〜三河沢林道分岐(三河沢落合):7Km
●三河沢林道分岐〜湯西川温泉:3Km(合計14.8Km)
 ただ、湯西川温泉の範囲は広く、三河沢林道分岐から3Kmでは、温泉街の中心地まで1.5Km程足らない気がする。
●川俣林道起点〜山神峠(今回の峠):約17Km

   
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分岐に立つ、「つり案内」の看板 (撮影 2003.11.29)
尚、右下の看板は「一般車輌通行禁止」

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分岐より川俣方面を見る (撮影 2003.11.29)
ゲート箇所がある

   

<帝釈山峠方向の道>
 分岐から帝釈山峠方向の道にも直ぐにゲート箇所がある。脇には例の「行方不明・滑落事故」云々の注意看板が立っている。他には国有林に関する注意看板が多かったようだ。

   
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分岐より帝釈山峠方向を見る (撮影 2003.11.29)
こちらにもゲート箇所がある

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左の写真とほぼ同じ場所 (撮影 1998. 7.25)
この時はまだ道路情報看板はない
尚、右の錆びた看板は「一般通行禁止」
右下の白地の看板は「一般車輌通行禁止」

   

<道路情報看板>
 この帝釈山峠を越える林道は川俣桧枝岐林道だと思っていた。ところが以前にはなかった「村道 馬坂2号線」と書かれた道路情報の看板が立っていた。

   
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道路情報の看板 (撮影 2003.11.29)
後ろは国有林に関する注意看板

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「村道 馬坂2号線」とある (撮影 2003.11.29)
「檜枝岐村方面まで通り抜けはできません」とあるが、
期間は過ぎていた

   

<馬坂2号線>
 道路情報の看板をよく見ると「(村道檜枝岐線)」ともある。「馬坂2号線」=「村道檜枝岐線」という意味か、あるいは馬坂2号線の先に村道檜枝岐線が続くとも取れる。
 
 本線の馬坂線はこの分岐以降、馬坂沢本流沿いを離れ、支流のトガ沢源頭部の山神峠へと向かう。一方、馬坂沢沿いには馬坂2号線が遡る。支流が本線で、本流が2号線という訳だ。 このことからしても、当初馬坂沢沿い通した馬坂林道は、福島県とを結ぶ目的ではなく、同じ栗山村の川俣と湯西川・土呂部方面とを結ぶことを意図して開削した車道だと言える。
 
 また、馬坂2号線と呼んだかどうか分からないが、川俣桧枝岐林道が計画される以前から、馬坂線本線から分岐して馬坂沢上流方向へ進む道は存在していた。馬坂沢のちょっと上流側にセトノ沢という支流がある。 古いツーリングマップなどでは、その道はセトノ沢を1Km程遡った地点(地理院地図)まで通じていた。 現在の地理院地図になどにもその道筋が描かれている。一方、セトノ沢の合流点より上流側の馬坂沢沿いに道は存在しなかった。

   

<川俣桧枝岐林道の開通以後>
 セトノ沢に向かう道から分岐して馬坂沢沿いに帝釈山峠を越える川俣桧枝岐林道が新しく開削された。前述の「水源かん養保安林」の看板を見ると、セトノ沢沿いの道は現在はセトノ沢林道と呼んでいるようだ。セトノ沢林道分岐以降に川俣桧枝岐線と出ている。 またある地図では、セトノ沢林道分岐までの僅か700mを馬坂2号線、その先でセトノ沢林道と川俣桧枝岐林道が分かれていることになっている。
 
 これは想像だが、元の馬坂2号線はセトノ沢上流部までを指したのではないだろうか。川俣桧枝岐林道が開通してからは、馬坂沢沿いのみを馬坂2号線、支流セトノ沢沿いをセトノ沢林道と分けた。 セトノ沢林道分岐以降は川俣桧枝岐林道となるが、この呼称は福島県側をも含めた広い峠道全体を指す。そこで栗山村側の峠までの区間を改めて「村道檜(桧)枝岐線」とも呼んだのではないだろうか。

   

<川俣桧枝岐林道とは>
 「川俣桧枝岐林道」(林道川俣桧枝岐線とも)とは漠然と帝釈山峠を挟んだ範囲の道路名と認識している。広くは林道碑がある川俣大橋の袂が林道起点かも知れないし、狭くはセトノ沢林道分岐が起点かもしれない。
 
 尚、「川俣桧枝岐林道」という林道名の他に、「馬坂峰越連絡林道」とか「帝釈山保安管理林道」という名も見られ、複雑だ。また、檜枝岐村側では舟岐川林道(舟岐林道)とも呼ばれる。

   
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馬坂2号線分岐より山神峠方向を見る (撮影 2003.11.29)
直ぐに馬坂沢に橋が架かる
よく見るとガードレールの脇にゲート箇所があるようだ

<山神峠方向の道>
 分岐から先の馬坂線本線は、直ぐに馬坂沢を左岸へと渡る。写真では分かり難いが、こちらにもゲート箇所があったようだ。すなわち、この分岐のどの方向に向かってもゲートが待ち受けているという訳だ。
 
 そう言えば、山神峠でも馬坂線と田代山線のどちら側にもゲート箇所が設けられていた。土呂部峠では湯西川側にゲート箇所があった。 土呂部集落の外れにもゲート箇所があるのだが、それを除くと、土呂部集落方面からゲートなしで来れるのは土呂部峠を経由して山神峠までである。その峠に山神社があることが関係するのかもしれない。 少なくとも山神峠までは道を通しておこうという意図が感じられる。それなりに重要な地点であることを意味するのではないかと思ったりする。
 
 一方、それ以外の道は冬期通行止以外にも災害時などにより通行止となることが多そうである。 あまり大っぴらには言えないが、この分岐周辺には「一般通行禁止」とか「一般車輌通行禁止」の看板があちこちに見られた。

   
   
   

馬坂2号線分岐以降/馬坂線区間

   

<峠への登り>
 帝釈山峠への分岐を過ぎた道は、馬坂沢左岸の尾根から支流のトガ沢右岸の尾根へとよじ登り始める。峠まで4Km足らずである。ぐんぐん高度を上げ、山岳道路風の様相を呈する。生憎の天候で周辺は霞んでいるが、霧が晴れれば眺めは良さそうだ。 路面は未舗装のままだが道幅は十分あり、急傾斜地ということもあってガードレールも要所要所に設けられている。最初の内は馬坂沢左岸側の様子を望む。

   
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道の様子 (撮影 2003.11.29)
開けた雰囲気

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道の様子 (撮影 2003.11.29)
未舗装が続く

   
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馬坂沢左岸側を望む (撮影 2003.11.29)
地理院地図

   
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S坂(1/3) (撮影 2003.11.29)

<トガ沢水域>
 トガ沢右岸沿いに回り込んだ辺りに鋭いS坂がある(地理院地図)。このちょっと手前から真新しい舗装路が始まった(2003年11月時点)。ガードレールも新品である。地形が険しいので、ここだけ重点的に道の改修が行われたようだ。

   
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S坂(2/3) (撮影 2003.11.29)

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S坂(3/3) (撮影 2003.11.29)

   

<峠直前>
 道は一度も沢沿いには下らず、尾根上部をトガ沢源頭部にある峠を目掛けて登って行く。また未舗装路になったかと思うと、再びアスファルト舗装がちょっと出て来た。結局、峠へは未舗装で到達したのだった。

   
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また未舗装に (撮影 2003.11.29)
高度感がある

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再び舗装路に (撮影 2003.11.29)

   
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峠に到着 (撮影 2003.11.29)
峠より川俣方向に見る(写真は再掲)
こちらからは「立入禁止」、「全面通行止」とあったが、
川俣側から入ったので殆ど何の支障もなく辿り着けた

   

<沿道からの景色>
 峠については既に記したので、峠近くから眺めた景色を掲載し(下の写真)、これで終わりとする。写真は川俣湖の馬坂沢上流部を望んでいる。1998年7月に訪れた時のもので、今よりは沿道の木々が少なく、見通しが良かったようだ。この写真を撮った後、馬坂林道を下り、川俣桧枝岐林道に入って帝釈山峠を越えたのだった。

   
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山神峠近くから川俣湖の馬坂沢上流部を望む (撮影 1998. 7.25)
右奥に鬼怒川本流の川俣湖も少し見えているようだ

   
   
   

<あとがき(余談)>
 勝手に山神峠(やまのかみとうげ)などと仮称を付けて掲載してみた。名前こそないものの、側らに山神社が祀られていたりして、それなりに趣のある峠である。川俣湖などができる以前から、川俣村と湯西川村を繋ぐ峠道が通じていたとも考えられる。そして今も旧栗山村の奥深くにひっそり通じる、山神峠(仮称)であった。

   
   
   

<走行日>
・1992. 9.15 湯西川温泉→土呂部峠→山神峠→馬坂林道/ジムニー にて
・1994. 8.12 土呂部→土呂部峠→山神峠→田代山峠/ジムニー にて
・1998. 7.25 土呂部→土呂部峠→山神峠→馬坂林道→帝釈山峠/ジムニー にて
・2003.11.29 川俣→馬坂林道→山神峠→土呂部峠→湯西川/パジェロ・ミニにて
・2005.10.31 川俣→瀬戸合峡/パジェロ・ミニにて
・2024.10.16 土呂部→土呂部峠→山神峠→土呂部峠→湯西川/ヤリス・クロスにて
 
<参考資料>
・東北 2輪車 ツーリングマップ 1989年5月発行 昭文社
・関東 2輪車 ツーリングマップ 1989年1月発行 昭文社
・ツーリングマップル 2 東北 1997年3月発行 昭文社
・ツーリングマップル 3 関東 1997年3月発行 昭文社
・ツーリングマップル 3 関東甲信越 2003年4月3版 1刷発行 昭文社
・マックスマップル 東北道路地図 2011年2版13刷発行 昭文社
・WideMap 関東甲信越 (1991年頃の発行) エスコート
・福島県 広域道路地図 1996年7月発行 人文社
・栃木県 広域道路地図 1996年1月発行 人文社
・県別マップル道路地図 9 栃木県 2003年 7月 発行 昭文社
・角川日本地名大辞典 7 福島県 昭和56年 3月 8日発行 角川書店
・角川日本地名大辞典 9 栃木県 昭和59年12月 8日発行 角川書店
・角川日本地名大辞典のオンライン版(JLogos)
・日本歴史地名大系 7巻 福井県の地名 1993. 6.15 初版第一刷 (株)平凡社
・日本歴史地名大系 9巻 栃木県の地名 1988. 8.25 初版第一刷 (株)平凡社
・旅先で入手した観光パンフレット各種
・地図のウェブサイト 「Google マップ」、「NAVITIME」、「MapFan」、「Yahoo! マップ」など
・川のウェブサイト 「川の名前を調べる地図」(道路名も参考に)
・栃木県・日光市の公式ホームページ
・その他の各種ウェブサイ
 (本サイト作成に当たって参考にしている資料全般については、こちらを参照 ⇒  資料

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