サラリーマンのちょっと一言
 
年に一度のキャバクラ
 
 
 
 
 
 私は、ことアルコールに関しては、全く体が受け付けない質(たち)である。会社の同僚の間で催される忘年会や新年会・送別会なども、酒が全く飲めないことを理由に半分以上は欠席させてもらっている。
 
 実を言うと5千円何がしかもする会費を払うのが嫌なのも、隠れた欠席理由の1つである。周囲がビールを大ジョッキであおり、日本酒だウィスキーだと騒いでいる中、アルコール代わりのウーロン茶をちびちび飲み、つまばかり多い刺身の盛り合わせをちょこっと摘んで何千円。これも世間の付き合いかと思うのだが、やっぱり納得がいかないのが偽らざるところだ。
 
 
   そもそも、飲み会の席に限らずこうした飲食店に入ること自体が極めて稀である。
 
 平日は判で押したように会社と自宅との往復の日々だ。たまに帰宅途中で立ち寄るのは、新聞折り込み広告の特価品をディスカウントショップで買う時や、100円ショップで何かいい出物はないかと探す時ぐらいなものである。帰ったら夕食を済ませ、自室でテレビを見たりパソコンに向かったりし、夜11時には寝てしまう。睡眠時間は7時間とたっぷりとって、朝は6時過ぎに起きる。
 
 休日も繁華街などに出ることはなく、車を使って自然の多い郊外へと出掛け、公園やら散策路を歩いて回る。昼食は河原などに車を停め、カセットコンロで湯を沸かし、即席やレトルトの主食に果物などを添え、野手溢れる食事をする。そして、夕食前には必ず帰宅する。極めて健全で質素な暮らしを営んでいるのである。
 
 たまに友人と一緒の時などに奮発しても、せいぜいリンガーハットの長崎ちゃんぽん380円か吉野家の牛丼280円をおごるのが関の山だ。旅先でさえも滅多にドライブインやレストランに入らない。たまに意を決して食堂に入っても、800円のけんちんうどんを注文するのが精一杯といったところである。
 
 こうしていつもは夜の飲食店街や歓楽街などとは全く隔絶した世界に身を置く暮らしを営んでいる。
 
 こんな私がどういう訳か、年に一度、キャバクラに行くのである。この世にキャバクラなどという店が存在すること自体、普段の私の意識には全く上らないことだ。
 
 事の起こりは悪友である。仮に彼のことをMとする。Mとは今勤めている会社にほぼ同時期に途中入社した仲だった。専門とする技術分野が似かよっていて、年齢もそれほど離れていなかったことから、Mとは会社の外でも2、3度会う機会を持った。そうこうしている内に、ある日、Mから夜の街へと誘われた。
 
 まずは、ありふれた居酒屋で差し向かいになり、会社ではできないような話をいろいろとする。Mはアルコールがいける口で、私はソフトドリンクでお茶を濁す。それでも、なかなか気の合った話が弾む。店の支払いは、私の方が3、4歳年上であることもあり、私が全額払った。ところがMの誘いは、それだけでは終わらなかったのだ。
 
 店を出ると次の店へとMがいざなう。実はMの本当の目的はそちらにあった。居酒屋は単なる前哨戦だったのだ。Mは普段の人なつっこい風貌からは想像できないが、かなりの道楽者なのであった。その筋の店をいろいろと知っているらしく、狭苦しい路地を巧みにすり抜け、夜中だというのに絶えることのない人垣を掻き分け、とある狭いビルのエレベーターに乗ったかと思うと、薄暗い中にも電飾がきらめき、キンキンと若い女性の歌声が響き渡る店内へと私を招き入れた。キャバクラだった。
 
 
   それまでも、あくまで向学の為にと、友人に誘われるままキャバクラに2、3度入った経験はある。しかし、高額な金を取られるこんなバカらしい所、自ら行きたいとは到底思われなかった。そこをMはこの世の楽園とばかりに楽しむのである。自分より20歳以上も若い、けばけばしい身なりの女を相手に、実に愉快そうに会話し、ふざけあい、歌を歌い、アルコールをあびた。時には居合わせた見知らぬ客と共に、店のフロアでドンチャン騒ぎを始める始末である。
 
 普段、会社では目立たない存在のMが、キャバクラでは全く彼の独壇場であった。こちらはただただ呆れて見ているばかりだ。これだけ楽しめるなら、Mにとってキャバクラ代くらい安いものなのかもしれないと思わされた。
 
 入社後間もなく会社での配属先がMとは離れてしまったので、会社でMと顔を合わせる機会はほとんどなくなった。代わりにキャバクラ付き合いは年に2、3度、必ず敢行された。中にはかなりきわどいサービスをする店に連れて行かれたこともある。しかし、その先、更に何かあるという訳でなく、相変わらずキャバクラで得られるものとその代金との間のギャップは、納得がいくものではなかった。
 
 その内、キャバクラ付き合いは年に1度の恒例行事に落ち着いていったが、それがもう10年近くも続いているのだ。
 
 
 
 
 
   去年も12月に入った年の暮れ、デスクに座る私にまた一本の電話が鳴った。出てみるとMだった。Mにとってこの一年は大きな転機であった。転職したのだ。Mとじっくり話したのは会社を辞める直前で、あれからもう1年が経つ。その後のMの近況についてはほとんど分かっていない。電話による例の誘いに二もなくOKの返事をし、早速定時後に待ち合わせ、私の車でMのいつものホームグラウンドへと向かった。
 
 まずは腹ごしらえにと、気の利いた居酒屋に入る。Mはジョッキのビールを何杯もお代わりし、私はといえば小さなグラスのオレンジジュースを1杯だけ少しずつ飲む。100%ジュースなどと能書きされながら、グラスの中身の半分以上は氷である。融けたら50%以下だ。こんな代物、1リッターの紙パックで100円もせずにどこでも買える。
 
 私は飲まない代わりに夕食を兼ねているので、ガーリックライスなる物を注文するが、出てきたのは単なる具の少ない焼き飯である。冷凍食品でももっといい物がそこらのスーパーでいくらでも売っている。焼き飯はMと分け合ったので食べた量が少ないこともあり、次にはピザを注文する。しかし、電話一本で自宅まで運んでもらってこれより更に安いピザが世の中に存在すると知りつつ、それとて高いと考えこれまで一度も注文したことがないのに、こんな店でピザを食べる羽目になるとは思ってもみなかった。
 
 
   Mとの暫くぶりの話は楽しく、彼の近況も知れたのは有益だったが、その居酒屋の支払いは6千円に迫った。恒例通り全額私が払って店を出た。
 
 さて、街中を歩くMの落ち着きがない。Mは歓楽街に知り合いのお兄ちゃん方が多い。この深夜の寒空にコートを着て街頭に立ち、道行くサラリーマンに声を掛けている男達である。中には「Mちゃん」などと呼び止めてくる互いに実懇の間柄の者もいたりする。今しも道で出くわした一人のちょっと若そうな男と親しく話を始めた。
 
 「まだ早いけど、マドカちゃん、居る?」
 「ええ、来てますよ」
 
 結局今夜は、その男が店長をしているという店へ行くことに話がまとまった様子だ。
  
 
 
 
 昼間なら何度も歩いたことがあるこの街も、夜になると一変し、どこをどう歩いているのかさっぱり分からず、ただ前を歩く男2人に遅れず付いて行くだけの私である。入った店内は客がまばらで空いていた。まだ夜の9時は宵の口で、こうした店はこれからが掻き入れ時だ。見回した店の様子からして、ここは私にとって始めてのようだった。  
 
   ボックス席に待つこと暫し、直ぐに女性が2人やって来て、それぞれ私とMの隣に座る。こちらはMとの親睦が目的だが、キャバクラのMは隣に座った女の子に向いたまま、その子との話に夢中である。仕方なく、私も隣の女性と話をしようと試みるのだが、気の利いた話題など持ち合わせている訳がない。どのに住んでいるのだとか、出身はどこだとか、兄弟はいるのかとか、こうした店では全くそぐわないことしか口を突いて出てこない。
 
 それでも、お互い住む世界が異なる宇宙人同士と理解し、少しはコミュニケーションの努力を重ねて歩み寄れば、どうにか会話らしきものも成立してくる。しかし、その頃には女の子がチェンジされてしまう。入れ替わり立ち代り隣に座る女性は、もう誰ちゃんだったかも分からなくなってくる始末だ。どこの店でも同じような名前が多いのも原因だ。ただ、それらの女の子の話から察すると、この5、6週間、Mは毎週1回はこの店に通ってきているらしい。やはりMは強者だった。
 
 当人のMはと見れば、この店に通い詰める原因ともなったお目当てのマドカちゃんとやらが途中から来てからは、もう絶好調である。その子の年齢は22歳。自分の歳の半分くらいしかない女の子を相手に、ちょっとちょっかいを出しては言われ放題やられ放題、子供の様にあしらわれながらそれがまた楽しいらしい。Mの快楽はいつ果てるとも知れなかった。
 
 こちらも相変わらず隣に座るこの子はエリカちゃん?だっただろうかとか考えながらも、大きく開いた服の首からのぞく胸元や、むっちり露出した太股を身近に眺めるのは、男として嫌いな筈はなく、時々しんみり手を繋いで身の上話もどきなどすれば、そのまま暫く流れに任せることとなるのは仕方のないことだった。
 
 
   しかし、さすがにいつもの就寝時刻もとっくに過ぎ、時計がしきりに気になりだすと、早く家に帰って寝たくて仕方がない。明日は友人といつもの健全な郊外散策の約束をしているのだ。なかなか上がらないMの重い腰をようやく上げさせ、店員から出された請求書を見て愕然とした。
 
 代金は5万円を遥かに越えていた。これではさすがに全部は払い切れない。前の居酒屋は私が全額面倒をみたし、Mがマドカちゃんを指名した代金も少なからず含まれているのだろうからと、今回は割り勘にしてもらうことにした。
 
 小さなエレベーターの前で相変わらずこの子は誰だったっけと考えながら、笑顔で女の子と手を振って分かれて店を出た。
 
 まだ一向に眠ろうとしない夜の歓楽街で別れたMの自宅は、都県境を越えた隣接する県にあり、私より遥かに遠い所に位置する。12時もとっくに過ぎて、終電は近い筈だ。なのにMは駅とは反対方向へとふらふらさまよって行く。更にどこぞの店へと行く様子である。明日からの週末を控え、今夜は一晩中遊び回るらしい。人の事は言えないが、いい歳をして結婚もせず、貯金もろくに貯めず、雑踏に消えていく丸い背を見送りながら、Mの行く末が案じられた。  
 
   こちちは早く帰りたいのできびすを返すと早足で歩いた。すると、駅から至近の立体駐車場に停めた私の車には、2,400円の駐車料金が課せられていた。旅先で300円や500円の駐車料金もケチり、折角訪れた観光名所も素通りするくらいの私が、一度に2,400円もの駐車料金を払うなどとは前代未聞である。
 
 帰りの車の中ではひどい頭痛に見舞われた。酒はやらないし、タバコも全くたしなまない。最近は各所で禁煙が普及し、普段タバコの煙を吸うことがないので、たまにタバコの臭いをかぐだけで頭が痛くなるのだ。それが、客やキャバクラ嬢がやたらとふかしたタバコの煙が充満する店内に何時間もいれば、ひどい頭痛となるのは当然だった。
 
 しかし、頭痛の原因はそれだけではなかった。居酒屋の払いとキャバクラの代金、それに駐車料金。それらを合計すれば3万5千円ほどにもなる計算だ。たった一夜の出来事で1万円札が何枚も財布から消えていった。そして手元に残ったのは、駐車料金のレシート1枚である。これでは頭も痛くなる。
 
 その年、趣味としている旅行で使ったお金を別にすれば、その他の趣味や道楽で最もお金を費やしたのはデジカメの購入である。それも、1年以上も買う機会を待ち、新しい機種が出てくるので安売りをした時を見計らって買ったものだった。予備のメモリを付属させても3万円以下で済んだ。それを使って既に2千枚以上の旅の写真を撮り、これからも旅先でどんどん活躍してくれそうである。
 
 このように、手元に残る物なら大枚を払っても価値がある。しかし、キャバクラでは何も残らない。後日、バックの中から店の名と女の子の名前が手書きされた名刺が1枚出てきたが、その子の顔などもう思い浮かぶ筈もなかった。こんな物、何の役に立つのかと、直ぐに破り捨てた。
 
 
   今年も新しい年が明けた。今後暫くMとは音信不通になる。元々気のいい性格のMと話すのは楽しい。ちょっと距離を置いている分、お互いざっくばらんに本音をしゃべれる相手である。これからも年に1度の親睦は続けたいものだと思う。でも、今年こそは居酒屋止まりで、何とかキャバクラだけは回避できないものかと悩んでしまう。
 
 <2004. 1. 2>
 
 
 
 
 
サラリーマンのちょっと一言