サラリーマンのちょっと一言
 
山歩き
 
 
 
 
 
 「登山が趣味です」などと言える程頻繁に山に出掛ける訳ではないが、それでも年に数回は山歩きを楽しむ。近場の低山ばかりで、ハイキング程度の軽いものが多く、勿論日帰りだ。最近は中高年の登山者が増えたと聞くが、私の場合は二十歳代から細々ながらも続いている山歩きである。健康の為という名目もあるが、普段使わない体を動かして気持ちのいい汗をかき、自然豊かな山々の景色を眺めるのは、純水に楽しいものである。それと最近はもう1つ楽しみができた。山頂で食べる昼食である。  
 
   山を歩き始めた頃は、出掛けの途中でコンビニに立ち寄り、助六寿司など簡単な弁当を買ってリュックに詰め、昼時になったらジュースなどと一緒に胃の中に収めていた。寒い時期でも暖かい物は何一つない。山歩きで食べることを楽しもうなどという考えはなく、休憩もそこそこにただひたすら歩いてばかりいた。
 
 ところがある日、東京都の最高峰・雲取山に登った折。山頂には私以外にもう一人男性が居合わせただけだった。たった二人なのでお互いに声を掛け、近くの岩に並んで腰掛けた。すると、その男性はポケットコンロを使い、暖かいコーヒーをご馳走してくれた。野宿旅などをする前のことなので、ポケットコンロを間近に見るのも初めてで、こんな小さな器具でお湯が沸くとは何と便利なことかと感心した。
 
 元来の技術屋志向なので、こうした道具には直ぐに関心が向く。間もなく私の登山用リュックの中には、あの青いキャンピングガスのポケットコンロが入ることとなった。

 それからの私の山歩きの食事事情は徐々に変わっていった。ポケットコンロ1つで食事のバリエーションはぐっと広がるのだった。しかし、エスカレートして問題も発生することとなった。

 
 高尾山は世界一の山なのだそうだ。標高600mにも満たない低山が何で世界一かと言うと、年間に訪れるハイカーが250万人もいるんだそうだ。確かにこんなに多くの人が登る山は、世界広しと言えどもそうあるもんじゃないだろう。日本のハイカー人口が750万人と言われるそうだが、その数と比べても250万人とは大変なものである。
 
 私にとっても高尾山は馴染みの山で、これまでも幾度か登っている。そして最近はその誰でも登る世界一ポピュラーな山に、不似合いなほど大きなリュックを担いで行くのだ。手提げバッグにハイヒールという軽装で訪れる観光客も居る中で、肩に食い込む重いリュックにハアハア息せき切って登るのだ。すれ違う人が背中の大荷物をちらちらのぞく視線を感じる。多分、これから高尾山頂を経由して陣馬高原方面まで縦走するのか、あるいは山中で一泊するのかとでも思っているのだろう。しかし、こちらも皆さんとご同様、高尾山の山頂まで往復するだけなのだ。
 
 
   リュックの中身の7割は食料関係であった。鍋や水筒、カップ麺やスープ、菓子に果物、チョコレートや飴、コーヒーかココアにジュースのペットボトル。寒い時期にはお汁粉や甘酒の準備もする。特に友人と二人で登る時は、友人の分まで入っていることがあるので、なかなかの量である。そして山頂に到着するやいなや、見晴らしのいい場所に陣取り、レジャーシートを大きく広げ、その上に靴や靴下も脱いで足を投げ出しリラックスする。そしておもむろに昼食の宴を始めるのだった。
 
 持って行く食料は、野宿旅と同じ様に質素なものばかりである。たまに少し手を掛けて手作りのおにぎりを持って行くこともあるが、大抵は主食としてラーメンやそば、うどんなどの即席のカップ麺である。そんな物でもレストランなどない不便な山の上では、なかなか貴重な存在だ。特に寒い季節には体が温まり重宝する。それに、山頂からの眺望を楽しみながら食べると、普段食べなれた安っぽいカップラーメンもまた格別な味がするのだ。
 
 ある日、子供連れのキャンパーが山頂での昼食時に居合わせた。その小学校低学年くらいの子供がこちらを暫くじっと見ていたと思ったら、母親に向き直ると「ラーメンが食べたい」と大声でねだり始めた。驚いた母親は、「家に帰ったらあげますからね」となだめるのだが、家に帰ってから食べたっておいしい訳がないのだ。今、この山の上で食べたいのだ。母親手作りの立派な弁当をそっちのけで、子供はいつまでもラーメンを主張する。こちらもまさか1つしかないカップラーメンをおすそ分けする訳にもいかず、やや体裁が悪かった。
 
 でも、子供と違って理性のある大人たちは、声を出してうらやましがったりしないが、やはり正直なところ、この安っぽい即席ラーメンが食べたいに決まっているのだ。小さなポケットコンロひとつで、安上がりだが、ある意味贅沢な食事が摂れる。わびしい野宿旅と同じ物を食べていても、山頂での昼食は、優越感に浸れるのであった。
 
 
   山頂での宴会は勿論カップ麺を食べるだけでは終らない。ソーセージをボイルしてみたり、温かいココアやスープを作ってみたり、和菓子やケーキや餡蜜などの甘い物や、食後に缶詰などのフルーツも欠かさない。優に一時間はたっぷり掛ける。友人と馬鹿話をしながらのんびり食べる。普段の生活ではこれ程の量は食べれない。それもこれも重いリュックを担いで山頂まで歩き、身体を充分使った効果である。
 
 昼食以外も三時のおやつと称して、下山途中にひと休憩する。レトルトのお汁粉を温めて食べたりするのだ。あの大きく重いリュックも、帰りにはしぼんで軽やかである。但しリュックが減った分は、全て自分の身体に入った訳で、全体の重さは変わらないのであった。
 
 普段、スポーツなどで体を使うことが全くないので、これまでの山歩きは健康増進の意味合いが強かった。今でもその積りで山へ行くのだが、山歩きで消費したカロリーより明らかに摂取量の方が多いのだった。
 
 <2006. 6. 6>
 
 
 
 
 
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